終幕 龍虎相剋

 史敬思しけいしは結局戻らなかった。

 彼は主を逃がすために、その命を失ったのだ。もはや嫌でもその事実を受け入れるしかない。

 頭に血が上った李克用りこくようが、朱全忠しゅぜんちゅうの治める汴州べんしゅうへと鴉軍あぐんを出撃させようとすると、妻の劉夫人がその胸倉を掴む勢いで制止した。

 今や李克用は太原たいげん節度使せつどし、そして朱全忠は汴州節度使なのである。ここでやり合えば双方とも私闘を行ったとして唐朝から罰せられるか、そうでなくとも立場が悪くなる事は明白。

 今度の一件を仕掛けてきたのは朱全忠の方なのだから、それを唐朝に訴え、正道で相手を失脚させればいいと説いたのだ。

 悔しさに歯噛みしながらも、妻の言葉に従い、李克用は唐朝からの通達を待った。しかし間もなく送られてきた通達は、双方とも矛を収めよという物であった。


 朱全忠の軍団によって襲撃されたと、その怒りを表明し、裁いてくれるよう要請した李克用。

 対して朱全忠は、酒宴の席での李克用の失言に配下の者が憤慨し、勝手に報復行動に出てしまった。その者はすでに処刑したが、全ては自身の監督不行き届きにあるゆえ、李克用の罪は問わないでほしいと、平身低頭の態度で唐朝に報告したのである。

 両者の言い分を吟味した皇帝・李儇りけん僖宗きそう)は、双方に非があったとし、今回は両人とも不問に付すという結論を出したのだ。

 要するに、どちらも大事な臣下ゆえに仲良くしろという落としどころに持って行ったわけである。


 だがあの時、あの場にいた李克用には朱全忠の主張は嘘だと分かっていた。本当に配下が勝手に行ったのだとしたら、上源駅がもぬけの殻になっていたわけはない。

 だが結局は、が全てであった。

 朱全忠の方が一枚上手だったのである。


 そうして汴州軍が収容していた史敬思の遺体が太原に返された。その体には、無数の矢傷が残されていた。

 李克用はの遺体に縋り付いて泣いた。周りの目を気にする事もなく、声を上げて泣いた。

 脳裏に在りし日の親友の顔が浮かんでくる。子が生まれたと照れ笑いしていた顔。無茶をする李克用を苦笑しながら諫めてきた顔。

 だが史敬思はもう、そんな表情を見せる事は無いのだ。もう二度と。


 李克用の悲しみは、次第に怒りへ、そして憎しみへと変わっていった。その向かう先は、今や宿敵となった朱全忠、己の腹の底を決して見せぬ笑顔を纏った笑面虎へ。

 だが同時に李克用の心の中では、今でも史敬思が苦笑を浮かべながら諫め続けていた。どうか無茶はおやめください、と。


 今やこうして太原節度使の地位に昇った以上、昔のような無茶は控えねばならない。だから今は耐える事にした。

 だが機会さえあれば、朱全忠に公然と斬りかかれる機会さえ与えられるならば、彼は絶対にそれを逃さぬと誓ったのであった。




 独眼龍・李克用の生涯のうちに、彼を特に支えた十三人の将を指して、後世に「十三太保じゅうさんたいほ」と呼ぶ。そんな十三人の中で、最も早くに仕え、最も早くに戦死した者として、史敬思の名が刻まれている。

 一方で楊彦洪は、朱全忠に仕えながらも、命令違反を犯した不忠者として主から断罪され、死してなお、その名誉をも奪われた。

 あの日、上源で戦死した二人の忠臣は、その死後も対照的であった。




 その後、盗賊出身である朱全忠が影響力を強めていく事を警戒する門閥貴族らであったが、すでに一大軍閥の軍主となり、皇帝のお気に入りともなっていた朱全忠を表立って排除する事は困難であった。


 そこで貴族たちが目を付けたのが、最強と誉れ高い軍を保持し、朱全忠と犬猿の仲にあると周知されていた独眼龍・李克用である。

 李克用に対して後ろ盾となる事を約束し、何かと理由を付けては朱全忠と争わせていったのだ。

 貴族らの本心としては、下賤の盗賊上がりどもに、粗暴な蛮族集団をけしかけているに過ぎない。結局は目障りな者同士を争わせ潰し合わせる事が目的であり、どちらが負けようと損はない。あわよくば共倒れしてくれるのが一番という事なのだ。

 李克用もまた、そうした貴族の思惑を感じていながらも、ただ復讐の刃を朱全忠に突き立てる事のみを優先に行動し、それに乗り続けた。


 かつて朱全忠の最も恐れていた事態が、その想像通りに起こったわけだ。

 同じ敵を共有する友として歩みたいと願った李克用こそが、皮肉にも彼にとって最大の敵となってしまったのである。


 李克用の率いる鴉軍は、まさに最強の軍団である。正面から当たれば勝ち目などない。そして朱全忠が苦戦すればするだけ、背後では門閥貴族たちが意地の悪い笑みを浮かべるのである。


 そんな中にあって朱全忠率いる汴州軍閥は、ひたすら眼前の状況に対処していった。

 正面に李克用、背後に門閥貴族という両面の敵を抱えながらも朱全忠は、それまでと変わる事なく動き続けた。自分を害そうとする敵の動きを察知しては先手を取っていくのである。


 李克用を太原に封じ込めて経済的に孤立させる。そのためには太原を囲むように黄河流域の流通経路を押さえ、自身の領土と影響力を拡大させねばならない。

 そして同時に敵対する貴族や宦官を次々と陥れて始末していった。自分を狙う敵の刃を少しでも減らすために。


 そんな頃、新たに皇帝となった李敏りびん昭宗しょうそう)は、かつて朱全忠を取り立てた僖宗とは違い、皇帝としての職務に精を出す、世が世なら思慮深い名君となっていたはずの皇帝であった。

 そんな皇帝なればこそ、宮廷内で政敵の暗殺を繰り返し、領土拡張を推し進めていく汴州節度使を危険視するのも当然の事と言える。特に唐の首都機能を、当時復興の途上にあった長安から、朱全忠の庭先となっていた洛陽らくようへ強引に遷都させた事が決め手となった。

 昭宗が朱全忠排除の動きを見せるやいなや、朱全忠は即座に動いた。とうとう皇帝をも弑逆しいぎゃくしてしまったのである。


 彼は後世に語られる。

 権力を求めて謀略を繰り返し、政敵を次々と殺害し、遂には主君を手にかけ、かつての世界帝国に引導を渡した簒奪者・朱全忠、と。

 だがその心は、かつて朱温しゅおんという名の若者だった頃と何も変わっていない。ただであった。


 新たに皇帝となった朱全忠は国号を「りょう」として、唐に代わる新国家の樹立を宣言するも、太原の李克用をはじめ、それを認める者は少なかった。

 結果として各地の有力者たちが次々と国を建てて独立し、天下は分裂。

 こうして五代十国の乱世が幕を開けたのである。


 そんな状況を生み出した二人の男、朱全忠と李克用は、彼らを追い立てた唐の門閥貴族たち、そして唐王朝それ自体が、この世から消えてしまった後も、ずっと争い続けた。

 そして三十年近くも争い続けながら遂に決着する事なく、共にその人生を終えた。

 天下を巻き込んだ龍虎の争いは、次の世代へと受け継がれる事となったのである。


 五代十国の乱世は、中央政権の国号が五度も変わり、騎馬民族「契丹きったん」の侵攻など、様々な思惑が交錯する混迷の時代となった末、最終的に北宋ほくそうによる天下再統一で終わりを迎える。

 それは唐末の黄巣こうそうの乱から数えれば百年にも及んだが、その全ては、あの夜に始まった事と言える。


 朱全忠が李克用を宴に招かなければ。

 李克用が朱全忠を公然と罵らなければ。

 あの夜が雷雨でなければ。

 楊彦洪が李克用を仕留めていれば。

 史敬思が討ち死にしなければ。


 ひいては朱全忠と李克用が、手を結べていたなら。


 何かひとつでも、ほんの少しでも運命が違えば、天下の様相は大きく違っていたのかもしれない……。






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上源は雷雨なり 水城洋臣 @yankun1984

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