世界を救ったその先に、

緋咲 汐織

世界を救ったその先に、



 勇者と聖女は恋仲だった。


 生まれた頃からずっとずっと一緒に過ごしてきた幼馴染で、どちらも何よりもお互いのことを大事にしてきた。

 美味しいものは分け合って食べ、綺麗なものは一緒に見て、痛いのも辛いのも嬉しいのも楽しいのも、全部全部半分こにしてきた。


 小さな村の中という子どもには大きくて特別な世界で、ちょっと硬めな黒髪に切長の黒い瞳を持つ勇者と、ふわふわした金髪にぱっちり大きな空色の瞳を持つ聖女は、お互いにお互いのこと以外が見えていないほどに、お互いに依存して、お互いを愛して、お互いを大事にしていた。


 この国には、10歳になった子供全員が例外なく教会にて受ける“洗礼”というものがある。


「彼のお方はこの穢れた世界を魔と混沌から救う勇者さまでございます」


 一足先に10歳になった勇者の洗礼式の時に、勇者が司祭さまにそう言われた時、聖女は自分のことのようにとても嬉しくて、でも、涙が溢れてしまうくらいに惨めだった。

 自分だけ普通の子どもだから、彼のそばにいられないと思って泣いた。でも、数ヶ月後に自分の洗礼式になった時、そんな思いは全部全部吹っ飛んでいった。


「彼のお方は勇者さまを支え、多くの人を慈しみ、多くの人に寄り添う聖女さまでございます」


 勇者の隣に居てもいいと、ずっとずっと勇者と一緒にいていいと肯定された気分だった。

 天にも昇るくらいに、死んでも良いと思えるくらいに、とてもとても嬉しかった。


 勇者と聖女は 6年間、魔法使いに選ばれた真っ直ぐな赤髪に吊り目がちな碧色の瞳を持つ貴族の家の女の子と、盾使いに選ばれた短い銀髪にうさぎみたいな赤色の瞳を持つ商人の家の男の子と一緒に、勇者パーティーのメンバーとして辛い、文字通り血反吐を吐くような訓練を受けて、そして、この世の悪の骨頂である魔王討伐の為の旅に出た。


 この世界には魔王という存在がいて、彼の存在によって、彼の部下の存在によって、世界は常に平和を脅かされていた。


 勇者たちはそんな悲しき世界を救うために女神さまに選ばれた。

 世界を救い、みんなを笑顔にするために、みんなの命を守るために、女神さまによって、選ばれ、そして力を与えられた。祝福をされた。


 四天王が1人、東の四天王との戦いで盾使いが大きく負傷した。

 それまでの戦いで1度も、誰も負傷したことがないからか慢心が生まれていたのかもしれない。

 たくさんの魔物を屠って屠って、これぐらいなら大丈夫という安心感を抱いていたのかもしれない。

 聖女は傷だらけの盾使いに聖なる癒しをかけた。

 聖女の癒しの力は、何故か今までになく強くかかった。

 癒しの光は、この世のものとは思えないくらいに美しくきらきらと黄金色に輝いて、そして盾使いの傷はあっという間になくなった。


 四天王が1人、南の四天王は思っていたよりも弱かった。

 魔魔法使いの攻撃1撃で死んでしまった。あっけない終わりに、誰も負傷しなかったことに、誰しもが安堵した。


 ーーーそれが罠だとも気づかずに。


 南の四天王を屠った夜、野営中に薪を拾いにいったきり、魔法使いは帰ってこなかった。

 次の日になっても帰ってこなかった魔法使いを不審に思い、勇者と聖女、盾使いの3人で森に探しに行くと、森の奥深くに魔法使いが羽織っていた濃紺の生地に金糸の花柄の刺繍が入ったローブが、血だらけで所々無惨に破かれたまま捨てられていた。魔法使いが使っていた、切り倒したご神木と大きな赤いクリスタルを使って作った大きな杖も、バキバキに折られた状態で近くに投げ捨てられていた。周囲の木々には魔法使いのものらしき真っ直ぐで美しかった赤髪が、無惨に切り裂かれた状態でボロ布のように引っかかっていて、それが魔法使いの死に様の凄惨さを物語っていた。


「っ、ぉおぇっ、」


 盾使いの呻き声と共に、ツンと鼻をつく酸っぱい匂いがした。


 ーーー多分、この頃から勇者パーティーの歯車は大きく狂い始めた。


 次の戦いでは四天王が1人、北の四天王を屠った。

 ありえないぐらいに苦戦して、怪我をして、全員がぼろぼろになった。

 たった1人、魔法使いがいなくなっただけなのに。

 戦いが終わった後、悲壮感に暮れていた勇者の背中がとても小さく見えたのは何故だろうか。

 聖女は盾使いの失った腕がくっつかないか四苦八苦しながら、ずっと頭の中では勇者のことを考えていた。


 盾使いの腕は結局くっつかなくて、でも、魔王を倒すまで国に帰れない勇者パーティーは前に進むしかなかった。

 仲間が死んでも、仲間の四肢がなくなっても、前に進むしかない。

 魔王を倒すしかない。


 勇者パーティーは、魔王に挑むことでしか存在意義を見出せない、存在を許されない。


「………勇者パーティーってなんなんだろうね………………」


 聖女がこぼした言葉に、誰も答えをくれなかった。


 最後の四天王である西の四天王の戦いでは、盾使いを喪った。

 ボロボロになってしまった片腕では勇者と聖女を満足に守ることも叶わず、勇者に庇われたことによって勇者に怪我を負わせ、あまつさえ自分だけにきた攻撃に当たってころっと死んでいった。

 あまりにあっけなく死んだために、聖女は人間の命の軽さを実感した。祝福の脆さを、女神さまの残酷さを、目の当たりにした。


 西の四天王を倒したら、そのまま魔王の部屋に強制転移させられた。

 ぼろぼろで装備もまともな状態じゃないのに、この世界でもっとも恐ろしいと言われる魔物と戦わなくてはならなかった。


 漆黒の禍々しい毛皮に覆われている肌、武器にすれば1発で人間を殺せそうなぐらいに大きな角、豪華絢爛な衣装を身に纏った魔王は、魔王という名前に相応しくおどろおどろしかった。

 魔王が名乗るまでもなく、玉座に座るあれが、あれこそが魔王であると直感で理解できた。


「待ちかねたぞ!勇者!!」


 高い所から勇者と聖女を見下ろす魔王によって、上から重たいもので押さえつけられるかのような殺気を感じる。

 魔王との力の差は歴然としていた。


「さぁ、我を崇めよ!讃えよ!!

 身を引き裂くような激しい悲しみを!憎しみを!悪を!我に捧げるがいい!!

 さぁ!我を楽しませろ!!」


 勇者は剣を握って一気に魔王の間合に入り込んだ。

 死を感じる空間、なのに、彼は心底楽しそうに、ーーー笑っていた。


「ははっ!!お前の力はそんなものか!魔王!!」


 勇者としての本能が、彼を優しくて謙虚な彼じゃない、何か別の歪なものに変えてしまっていた。


 知っていた。

 分かっていた。

 理解していた。


 ーーーでも、なんだかそれが虚しくて、苦しかった。


 彼は勇者となったことで戦闘への楽しみ以外の感情を徐々に失っていた。

 旅を続けるにつれて勇者は聖女と幸せを分けることも、苦しみを分けることを、悲しみを、痛みを、楽しみを分けることも、何もかもなくなっていた。

 それが寂しかったのに、何度も気づいてと願ったのに、勇者は決して気づいてくれなかった。


 勇者の身体が、聖女の力では癒すのが間に合わないくらいの鮮血を纏いながら剣を振るう。


「俺はお前を倒して、平和な世界を作るんだ!!」


 絶叫を聞きながら、聖女は魔法を紡ぎ続ける。変わってしまってもなお愛おしい彼の傷を癒やし続ける。


「あぁ!お前はどうしようもなく可愛いな!勇者!!」


 魔王の叫びに、勇者の動きが止まった。

 ぽたぽたと聖女の癒したる金粉を纏う彼の身体からは血が流れている。


「お前は世の中に善と悪があると信じて戦っている!

 この戦争も人間良い国と、魔族悪い国が戦っていると思っている!!

 勇者!!お前はこの世に勧善懲悪が存在していると思っているのか?」


 魔王の高らかな声は、聖女の耳にぐらぐらとした決意の揺らぎを抱かせる。


「はははっ!そんなわけないだろう?

 我が国でのお前は殺戮者だ!!

 仲間を殺し!王を殺そうとする無作法者だ!!

 我らが何をした!お前たちを無差別に殺したか?

 そんなことはしていない!!

 我らは我が領地に勝手に入った侵入者を排除しただけだ!!

 それなのに人間はどうだ!

 魔物を見つけては全てを嬲り殺し!あまつさえ奴隷にする!!

 本当の悪はどちらなんだろうなぁ?どうなんだ!勇者!!」


 ーーーガキンツッ!!


 激しい火花を散らしながら剣と剣が桔梗する。

 下がっては前に行き、前に行っては下がってを繰り返す激戦は、いつしか聖女の目には追えなくなっていた。


 魔王が嗤う。

 勇者が顔を歪める。


 2人とも笑っているのに、どこか歪で、これが超越者であるのだと思い知らされる。


 2人の間合いがゼロになった。

 互いの胸からは互いの剣が突き出している。


 魔王がおらぶ。


「あの世で我に詫び続けろ!この糞勇者が!!」


 魔王を包んでいた漆黒の禍々しい闇が霧散して、灰のように魔王の身体が崩れ落ちていく。あっけない終わりだった。


 ーーーガシャンーーーっ、


 剣が、勇者の手から滑り落ちた。

 勇者は血の池となっている床に崩れ落ち、聖女は勇者の元に駆け寄り、彼を抱きしめる。


「ーーーーー、」


 勇者が聖女の名前を呼ぶ。

 彼の顔には勇者だった頃の追い詰められたような、殺すことを楽しむような、ただただ殺戮に溺れたものは浮かんでいない。

 でも、だからこそ、聖女は気づいてしまった。


 彼からーーー“勇者の祝福”ーーーが消え失せたことを。


 それはつまり、彼の死期を意味する。

 聖女の空色の瞳から、真珠のような涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

 ぽたんと雫が床に溢れるたびに、涙から波紋が広がり、荒土はたっぷりと栄養を含んだ植物の生える地面へと変化する。


「ーーーーー、あいしてる、」

「わたしも、………あなたのことを愛しているわ、ーーー」


 彼の身体を抱きしめていた聖女の手から重みが消えていく。

 ぽわぽわと光を纏う勇者の身体は、暖かな光となって天に昇っていった。

 魔王同様にあっけない最期だった。


 聖女は血だらけの身体を叱責して立ち上がる。


「………国民に、魔王の死を知らせなくちゃね」


 聖女には魔王という生き物が死ななければならなかった理由が、もう分からなくなっていた。

 でも、聖女は人々の憧れであるから、憧れられるような存在でなくてはいけない。血だらけの衣装で聖女は国へと帰還する。行きよりも簡単に帰ることができたことをとても寂しく思いながら、魔物たちが消えた森の中を1人粛々と歩いた。


 国に帰れば、聖女は英雄となった。

 死んでしまった勇者も、盾使いも、魔法使いも、みんなみんな英雄になった。人々は口々に聖女たちのことを褒め称える。勇者たちの死を尊ぶ。


 聖女は耐えた。

 侮辱とも取れる褒め言葉も、苦しい戦場を思い出すような質問も、全部全部必死になって耐えた。

 耐えて耐えて耐えて、そして聖女として微笑んだ。


 けれど、耐えられることには限度がある。


「お前には褒賞として王太子と婚姻を結んでもらおう」


 ある日、でっぷりと太った国王に呼ばれて謁見の間に連れて行かれた聖女は、なんの拒否権もなく国王に命じられた。

 隣に立つ金髪藍眼の王太子は微笑んでいるけれど目が笑っていないし、彼の本来の婚約者であったはずの気が強そうな女性は目を赤く腫らして必死になって耐えている。


 聖女は無言で頷いて、そして、国王によって監禁されるかのように王城の奥深くに、部屋から出られないように鎖で繋がれて滞在させられた。


 陽の光も当たらないジメジメとした北向きの部屋。

 調度品だけは王城に相応しく全てがきらきらと輝いているが、それ以外は家畜未満な扱いな気がした。


「はははっ、ははははははっ!!」


 聖女は涙を流しながら笑う。


 聖女たちは何のために戦ってきたのだろうか。


 世界を救うため?

 みんなの命を守るため?

 みんなを笑顔にするため?


 分からない、分からない分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない………!!


 世界を救うために戦ったのに、世界は魔王を倒さなくても救えた。

 みんなの命を守るために戦ったのに、肝心の守った人は聖女以外みんな死んでしまった。

 みんなの笑顔を守るために戦ったのに、勇者パーティーのみんなは戦いの中で精神を壊して笑顔になれなくなってしまった。


「ねえ、みんなの中に私たちは入れてもらえないの?」


 聖女はベッドに腰掛けて、じめじめとした天井に向けて尋ねる。


「私たちは、勇者や聖女、盾使いや魔法使いの“特別な祝福”をもらったから幸せになってはいけないの?」


 聖女は天井に向かって涙をこぼす。


 ふっと視線を元に戻せば、聖女の空虚な空色の瞳には血に濡れて、泥に塗れて、見るに耐えないほどにぼろぼろになった本がある。


 聖女は思い立ったようにその本を手に取って嗤った。


 唯一手元に持つことを、残すことを許された、村から持ってきた本の最期のページに、聖女は綴る。

 不幸を、苦しみを、悲しみを、全部全部ぶつけるように、血の滲むような文字を書く。涙で紙が弱くなってシワができてしまうけれど、聖女はそんなことにも気づくことなくがむしゃらに文字を書く。


 勇者としての、聖女としての、魔法使いとしての、盾使いとしての、人々に崇め称えられる英雄としての苦しみを、絶望を、ありったけの憎しみを込めて綴る。


『私は、永遠に勇者ーーーだけを愛する。

 たとえ尊敬する王さまの命令であったとしても、私は王子さまなんかと結婚したくない。

 だから、これは私の意思を全部無視した王家へのささやかな復讐。


 私は慈悲深い聖女だもの。

 女神さまに選ばれし聖女だもの。


 許されるよね?


 でも、私は永遠に王家を許さない。

 私たち勇者パーティーの幸福と人生全てを奪った王家を、国を、世界を、絶対に許さない。』


 聖女の殴り書いた文字は本当に酷かった。

 流麗なのにも関わらず、苦しくて哀しくて、今にも壊れてしまいそうな文字。


 聖女は思い立ったように、自らが綴った自伝を読み返す。

 半分日記帳とかしてしまっている本は、幼馴染の勇者が勇者の称号を得た日から始まっていいる。

 ページが捲られるごとに時が経って、文字がだんだん美しくなっていく。


 自らの文字で丁寧に丁寧に本に綴られた、聖女の苦しみが、聖女が聞いた勇者の叫びが、聖女が見た魔法使いの悲しみが、聖女が感じ取った盾使いの絶望が、旅をするにつれて勇者パーティー全員が失っていく人間らしさが、かろうじて保っていた聖女の最後の砦を破壊する。


 ただただ静かに流れていた涙は、行き場のなくなった激情を示すかのように流れを増した。


「………私たちも人間よ」


 聖女はぽつりと何かを踏みしめるように声を漏らした。


「っ、私たちも人間よ!!

 どうして!どうして私たちは、普通の幸せすらも許されないの!!」


 聖女は叫んで、そしてふらっと立ち上がる。


 歪な笑みを浮かべた聖女に向かう先には、果物のカゴがあった。

 色とりどりで目に鮮やかなカゴの中には、りんごやぶどう、バナナやみかん、ももやメロンなどがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。


 聖女は果物のカゴに手を伸ばす。


 彼女の手には、1本の果物ナイフが握られていた。

 聖女は壊れたようにゆらんゆらんと横に揺れてから、ふわっと幸せそうに微笑む。


「あぁ、そこにいたのね。ーーー」


 幸せそうに笑う聖女の首からは、鮮やかな真紅の華が生み出されていたーーー。



〜〜〜世界を救ったその先に、英雄たちを待っていたのは辛く救いようない現実だった〜〜〜

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世界を救ったその先に、 緋咲 汐織 @hisaki-shiori

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