第6話

 陽翔との最後の一週間。碧は車椅子をレンタルして、街のいたるところに連れ出した。

「今までずっと家に閉じ込めてて、ごめん」

 コンビニの前でそう謝ると、陽翔は首を横に振って、手元のメモ帳にこう書き記した。

『あおと、いられるだけで、うれしかったよ。』

 炎天下の下で、碧は陽翔を後ろから抱きしめた。通り行く人々など気にもせず、碧は陽翔の肩口に顔を埋める。

「陽翔」

 そう呼ぶと、陽翔の顔がほころぶ。

「どこ行きたい」

 これから一週間の間は、バイトも、バンドも休む。蓮が全部手配して、「いってらっしゃい」と送り届けてくれた。

 陽翔はメモ帳を手に迷っているようだったが、そのうち、ペンを走らせた。

『どうぶつえん、いってみたい。』

『ドリルで、どうぶつえん、でてきた。』

「分かった。行こう」

 車椅子のレンタルで貯金が残りわずかになったことも、バンド練習に行けないと言ったら新が憤慨していたことも、あまり長い休みは困ると言っていたバイトの店長も、何も関係なかった。

 ただ、陽翔といたい。

 陽翔といられれば、それでよかった。

『しゃしん、また、とろうね。』

「そうだな」

 二人は思い出を残すように、どこに行くにも写真を撮るようになった。最初は陽翔だけだったものの、二人で一緒に写真が撮れると知った陽翔は、必ず碧も写るようにと手を引くようになった。

「電車に乗るぞ」

 車椅子の上で、陽翔はわくわくと目を輝かせている。

 ああ、なぜ部屋に閉じ込めていたのだろう。

 バイトも練習もない日は、どこかに連れ出してあげればよかった。

 いまさらの後悔を抱えながらも、碧はそれを表には出さない。

 最後の一週間を、大切に、幸せにしてやりたかった。

 こぼれそうになる涙をさっと拭いて、碧は駅に電話を掛けた。


   ×   ×   ×


 どこにでも連れて行ってやった。動物園はもちろん、遊園地、水族館、少し足を延ばして温泉、滝が見たいというから、日本の滝百選の中から陽翔が選んだ、二県またいだところにある滝まで連れて行った。川にも、海にも、毎日、朝から晩まで遊びつくした。

 でも、最後に陽翔が選んだのは、二人が出会った浜辺だった。

「本当にここでいいのか?」

 夜空の下、背中に背負われている陽翔が頷く。うん、と言ったのだろう、短い呼気が耳にかかる。

 車椅子は砂浜の端に止めておいた。砂浜は、タイヤが取られて車椅子を動かせない。

碧は、あの日、陽翔が寝転んでいた辺りで腰を下ろした。陽翔を足の間に挟み込むように座らせる。

 海は静かで、道路を通る車の音の方が煩かった。

 期限は、夜明け。あと数時間。

『ありがとう。』

 肩越しに覗くと、陽翔がメモ帳にそう書いた。

『うみも、きれいだった。たきも、きれいだった。かわも、きもちよかった。ゆうえんちも、すいぞくかんも、おんせんも、ぜんぶ、たのしかった。』

「それならよかった」

『あおは、』

 そこで筆が止まった。

「何?」

 迷っていた筆が、動き出した。

『たのしかった。』

 クエスチョンマークを知らない陽翔。メモ帳には断定された形で書かれていた。

「うん、楽しかったよ」

 抱きしめてやると、陽翔はふふふと笑う。

 静かな空間だった。車がいなくなると、ここは、恐ろしいほどに静かになる。

『また、あえるかな。』

 メモ帳に、文字が並んだ。

「……会えるよ、絶対に」

 ぽつりと、陽翔の肩に、染みが広がる。

 空は快晴で、月が煌々と輝いている。

「……陽翔」

 きつく抱きしめて、顔を肩口に埋める。陽翔の手が、抱きしめている碧の手に重ねられた。

 静かだ。

 ただただ静かだ。

『こんど、かいがいに、いってみたい。』

「うん」

『あおと、いっしょに、ひこうきに、のりたい。』

「うん」

『あおと、いっしょに、』

 メモ帳の文字がにじんだ。陽翔は目元を拭いながら続ける。

『いっぱい、あそびたい。いっしょに、うたをうたいたい。ぼく、あおの、うたが、すきで、にんげんに、なった。』

「え……?」

『ここで、まえに、みんなで、あそんでたでしょ。はなれたところで、あお、うたうたってた。そのこえが、きれいで、すきだった。』

 ライブの日のことが思い起こされる。

 あの日、陽翔を迎えに行った時、陽翔はステージを見たまま涙を流していた。

『ちかずこうとしたら、おとうさんに、てをつかまれて、ここよりさきに、いっちゃだめだって。でも、そこからでも、あおが、かっこいいことが、よくわかった。いえにかえっても、あいたいって、ずっとおもって、でも、おとうさんも、おかあさんも、いもうとも、にんげんになっちゃだめって、いった。だから、ひとりで、まじょのところに、いった。』

 陽翔を海の泡にしようとする、見たことのない老いぼれた老女を想像する。

『だいしょうとして、こえと、あるくことを、とられた。あしは、かざりだって。かざりものを、うごかすと、いたくなるって、いわれた。』

 出会ったあの日、顔を歪めた陽翔を思い出す。

『こえ、でたら、いっしょに、うた、うたいたかった。カラオケっていうのにも、いきたかった。』

「……カラオケ、行こうか。今からでも行ける。最後まで歌ってやるから」

 陽翔は首を横に振った。

『はるとのうた、ちゃんときけたから、いい。』

 月は徐々に傾いていく。

『たのしかったな。あおが、ぼくを、みつけてくれて、いっしょに、おなじいえで、くらして、ごはんも、つくってくれて、なまえも、くれて、うたも、きかせてくれて、れんにも、あえて、しあわせだった。あおは。』

「……幸せだった」

 最後の方は、声が震えた。

 陽翔は振り返って、碧の涙を拭った。

『れんが、あおは、なきむしだって、いってた。』

「……うるせえ」

 乱暴に目元を拭っても、まだ涙は止まらない。

 陽翔がそっと唇を寄せた。碧は唇を重ねる。

 キスは、しょっぱかった。

『あお』

 我慢できなくなったのか、書きかけのメモ帳を放り出して、陽翔は正面から碧に抱き着いた。碧はそれを力強く抱きしめ返す。

「……」

 胸元で、陽翔の唇が動く。声にならない言葉が、空気を震わせる。

「……消えたくないよな、一緒にいたいよな」

 碧が言うと、陽翔が頷く。

 何度も、何度も。

「また会えたら、一緒に、また、暮らそうな」

 涙に濡れた言葉に、陽翔が激しく頷く。

 胸元が暖かく湿っていく。

 空の向こうが、明るくなる気配がする。

 別れの時間が、近づいて来る。

 碧は陽翔を抱き締めた。

 抱きしめていれば、消えることなんて、ないと思っていた。

 でも、そうはいかなくて。

 朝が、遠くにやって来た。

「……足」

 陽翔にあげた靴が、ことり、と砂浜に落ちた。同時に、泡が天に昇っていく。

 碧が陽翔にあげたズボンも、裾の方からぺしゃんこになっていく。

「……」

 見上げた陽翔の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。

 ──消えたくない。

 そう口が動いた。

「陽翔、陽翔、陽翔……」

 碧は陽翔を強く抱きしめた。陽翔も、縋るように抱きしめてくる。

 腰から下が消えた。空へと上る泡が増えていく。

 陽翔が、手探りでメモ帳を取った。

 書けるように少しスペースを作ってやると、急いで陽翔は書いた。

『しゃしん、とろ』

 碧ははっとして、尻ポケットからスマホを取り出した。内カメラにして、陽翔と一緒に写る。

「はい、チーズ」

 笑えなかった。泣くのを堪えるので精一杯で。

 陽翔に見えるように撮れた写真を開くと、ほんの少しぶれていて、そして、二人とも、笑えていなかった。

「笑うの下手くそだな」

 そう言うと、陽翔は目に涙を溜めて頷いた。

 徐々に服がぺしゃんこになっていく。

 陽翔が、またメモ帳に文字を並べた。

『ありがとう』

「……こっちこそ、ありがとう」

 ぐしゃぐしゃの顔で碧は消えゆく陽翔を抱き締める。

 指の先が泡になった。ペンとメモ帳が、砂浜に落ちる。。

 もう、頭しか残っていない。

 ──ありがとう。

 そう動いたように感じた口も、泡になって消えていった。

 涙に濡れた、大きく、切れ長の瞳は、最後まで、碧を見ていた。そして、消える寸前に一粒、最後の涙を落とした。

 やがて全てが泡になり、そして、空へと消えていった。

 もう、陽翔はいない。

 抜け殻になった洋服と、『ありがとう』と記されたメモ帳。

「……うわああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 碧は叫んだ。

 朝日は街を照らして、新しい日常を始めようとしている。

「陽翔、陽翔、陽翔!!!」

 服の中にも、ズボンの中にも、靴の中にも、陽翔は残っていない。

「どこだよ、陽翔! 出て来いよ!」

 分かっている。

 もういないことくらい。

 碧は立ち上がって、砂浜をうろうろと歩き始めた。

 泣きながらないものを探す姿は、気が狂ったように見えた。

 犬の散歩をしていた主婦は、怪訝そうな顔をして、足早に去った。

「……碧」

 狂ったように泣き叫ぶ碧に、声をかける者がいた。

 蓮だった。

 蓮は、ずっと、離れたところから、二人を見ていたのだ。最後は、きっと、ここだろうと予想して。

「帰ろう、碧」

「陽翔、陽翔……」

 声を枯らしながら、それでもなお、碧は陽翔の姿を探す。

「碧」

 蓮は虚ろな視線を砂浜に投げ出しながらうろうろと歩き続ける碧を、後ろから抱きしめた。

「帰ろう、碧。陽翔は、もう──」

「陽翔? 陽翔、いるんだろ?」

 蓮の声は届かない。

「碧!」

 蓮が、碧を抱き締めたまま叫んだ。

「陽翔は、もういないんだよ!」

 ぷつりと、糸が切れたようだった。

 碧は全身の力が抜けたように、砂浜に膝をついた。

「陽翔……陽翔……」

 砂をかきわけながら、ぶつぶつと念仏のように碧はまだ唱えている。

「……帰るよ、碧」

 蓮は半ば抱きかかえるようにして、碧の肩を抱いて立ち上がった。散らばった服も、ズボンも、靴も、メモ帳も、ペンも、すべて回収して、碧の家へと向かう。

「陽翔……どこにいるんだ、陽翔……」

 その間も、碧は壊れた玩具のように、陽翔の名前を呟き続けた。

   ×   ×   ×


 碧は布団でぐっすりと眠っている。眠るまでが長かったなと、すでに活動を始めた人々が行き交う街を見下ろして、蓮はため息をついた。

 ここまでになるとは予想していなかった。泣くだけ泣いて、弟の時と同じように、すっと日常に戻るのかと思っていた。

 しかし、泣くということを覚えた碧は、前とは同じようにいかないらしい。

 面倒な状況にしてくれたなと、泡になって消えた陽翔に心の中で文句を言う。きっと、陽翔がいたら、本当に申し訳なさそうな顔で謝るのだろう。

 蓮は陽翔から、ほとんどのことを聞いていた。どうして人間になったのかも、碧に惚れていることも、初めて会ったあの日に、聞いていたのだ。

 蓮は碧のスマホを開いた。危機感のない碧は、隠すこともなく蓮の前でパスワードを入力していたから、蓮はパスワードを知っている。

 通知を知らせる数字が、メッセージアプリに表示されていた。

 蓮はそれを無視してアルバムを開いた。そこには、碧と陽翔のツーショットが並んで出てくる。

 沸き上がる感情を無視して、蓮は一つ一つを見ていった。

 一番新しいのは、海辺で撮った写真。震える手で撮ったのか、少しぶれてるうえに、笑顔とは程遠い表情の二人が写っている。

 次は、どこか分からない道中での写真。山の中のように見える。車椅子の陽翔と、シャッターを押す碧。

 どんどんと遡っていくと、途中から、陽翔だけの写真が並ぶ。きっと最初はツーショットを撮るという発想に至らなかったんだろうなと、蓮は呆れる。元々、写真など撮らない男だ。陽翔が自撮りをしている人を見て、一緒に撮ろうと誘ったのだろう。

 スマホを閉じてテーブルの上に置き、ため息をつく。碧の家は狭くて暗い。光が入りにくい構造をしている上に、荷物がごちゃごちゃとしているからだろうが、暗さが目立つ。心が憂鬱になっていく。

 布団の上で音もたてずに眠る碧の頬には、涙の跡が残っている。そっと手で触れても、すでに乾いて取れそうにない。

 蓮は、そっと唇を寄せようとした。けれど、やめた。

 蓮が碧に恋心を抱いていることは、誰も知らない。

 気分を変えようと、ごちゃごちゃとした荷物を片付け始める。しかし、収納に対して物が多すぎるため、綺麗に片付かない。

 床に散らばった譜面やゴミなどを片付けて、これくらいでいいかと腰を下ろした時、ふと、本棚の上の写真立てに目が吸い寄せられた。そこにあるのは、弟と碧のツーショット写真。実家で撮ったというその写真は、日常を切り取った写真だ。

 音をたてないようにして取り上げて、テーブルの上に置く。幼さの残る碧すらも、蓮にとっては愛おしい存在だ。そっとガラス面を撫でて、微笑む。

 その時、蓮はふいに思いついた。

 もう一度、碧のスマホのアルバムを開くと、写真をコンビニでプリントアウトできるように操作した。そして鍵を手にすると、蓮は碧の家を出た。


   ×   ×   ×


 目が覚めると、一人だった。陽翔の洋服は、綺麗に畳まれてしまわれていた。

 ここまで連れてきてくれたのは、確か、蓮だったはずだ。

 ぼーっとする頭で辺りを見回したが、蓮の姿はない。

 碧はベッドから抜け出ると、ふらふらと玄関へ向かった。靴を履いて、外に出る。照り付ける太陽が、脳天を焼く。

 碧はそのままふらふらと階段を下りて行く。目指す場所は一つだった。

 道路を渡って、歩いて行く。すれ違う人は、みな、どこか明るく見える。

 眩しい。

 碧は目を細めながら、徐々に見えてきた砂浜に目をやる。砂浜には子どもが数人、親に見守られて遊んでいた。碧はそれを横目に、階段を下りて行った。

 陽翔が消えた場所に佇む。海は青く、空も青く、地平線は融合しそうなほど蜃気楼で揺れていた。

「おぬしか」

 ふいに、しゃがれた声が耳を掠めた。

 横を見ると、腰の曲がった老婆が、杖を手に佇んでいた。

「あの人魚と一緒に暮らしていたのは」

 え、と口を開けたまま呆ける碧に、老婆は言った。

「人魚になるか、おぬしも」

「……人魚に、なれるんですか」

「もともとは同じ種族じゃ。海を選ぶか、陸を選ぶか。今からでも選択を変えることはできる」

 碧はじっと老婆を見た。この人が魔女なのか。

 疑いの眼差しを感じたのか、老婆はガサゴソとポケットを漁り、一つのナイフを取り出した。

 あの日、陽翔が取り出したナイフだった。いつの間にか消えていたと思っていたが、魔女の元に戻っていたようだ。

「どうする?」

 にやりと魔女は笑って見せた。

 脳裏には、陽翔と過ごした日々が走馬灯のように駆け抜ける。

 陽翔は、いつだって笑顔だった。時折、びっくりした顔をすることもあるけど、その後は必ず笑顔になった。

 あの笑顔に、また、会いたい。

「人魚になったら……陽翔と会えますか」

 魔女はふぁふぁふぁと奇妙な笑い方をした。

「会わせてやってもいい。わしの命が伸びるからな」

「命が、伸びる……?」

「わしは人魚が人間に、人間が人魚になる時に出るエネルギーで生きてるんじゃ。海の泡から人魚にしても、いくらかエネルギーがもらえるじゃろ」

 ふぁふぁふぁと魔女は笑って、「どうするか」と聞いてきた。

「……俺も、人魚に──」

 ふいに、脳裏に陽翔の書いた言葉が浮かんできた。

 ──こえ、でたら、いっしょに、うた、うたいたかった。カラオケっていうのにも、いきたかった。

「どうする?」

 魔女は口を閉ざした碧に答えを促した。

 碧の答えは、「ならない」だった。

「俺は、碧が生まれ変わるのを待ちます」

「生まれ変わりだと?」

 魔女はひゃっひゃっひゃと甲高く笑った。

「どれだけ生まれ変わりが難しいか、分かって言っているのか?」

「知りません。でも、陽翔は、きっと、生まれ変わってくる」

 真剣なまなざしに、魔女は「つまらんな」と吐き捨てるように言った。

「たとえ生まれ変わっても出会えるかどうかすら分からんのに、確実に会える道を選ばんのか」

「俺は、人間として、陽翔に会いたい」

「泣くほど会いたいのにか」

 碧は零れる涙を拭きながら言った。

「俺にはいろんな人がいます。蓮も、新も、竜介も、きっと、今、怒ってるけど、でも、友達です」

「友達と恋人を天秤にかけて友達を取ったのか」

「そんな簡単なことじゃないです。だって、人魚になったら、カラオケに行けないじゃないですか」

 魔女はチッと舌打ちをして、鞘に納められたナイフを取り出した。

「わしには無用じゃ」

 押し付けるように碧に渡すと、魔女は砂浜をあとにした。

「碧!」

 入れ替わるように、蓮が階段を駆け下りてくる。

「勝手に出ていくなよ。鍵は?」

「かけてない」

「馬鹿」

 ぽかりと殴られて、腕を引かれた。

「……何があった」

「……魔女に会った」

 ぴたりと、蓮の脚が止まる。

「……なんて言ったんだ」

「人魚には、ならない。陽翔が生まれ変わるのを待つって言った」

 蓮はそれを聞いて、はーっと長いため息をついた。

「……本当に良かった」

 魔女の姿は、もうどこにもなかった。

「……心配かけてごめん」

 碧はポケットの中のナイフに触れながら答えた。

「ほんとだよ、このアホ」

 そう言いながら、蓮は碧の涙を拭ってやった。

 照り付ける太陽の下、二人はゆっくりと、碧の部屋に戻って行った。


   ×   ×   ×


 碧は少しずつ日常に戻っていった。

 一週間の休みは、たくさんの人に心配をかけた。たくさん謝罪もした。

 けれど、後悔はしていない。

 あの一週間は、人生でも一番と言っていいほど大切な時間だった。

 喪失感は、いまだにある。

 そしてきっと、これからもそれを抱えながら生きていくのだろう。

 夜もまだ怖いし、不安で壊れそうなこともある。

 けれど、写真の中には陽翔がいて、それを見る度に、あの数か月が思い起こされる。

 家にはいないし、どこにもいなくなってしまったけれど、心の中に、きっと、いる。

 そう思うと、少しだけ、ほんの少しだけ、夜が怖くなくなる。

 蓮が用意してくれた写真立ての中には、最後に撮った陽翔との写真が飾られている。泣くのを堪えるのに精いっぱいで、二人とも笑うどころか変な顔になっている。目は真っ赤だし、頬に涙の跡がくっきりと残っている。

 そしてその写真とともに、弟の写真、そして金の鞘に入ったナイフが、本棚の上には置いてある。魔女が渡してきた金色の小さなナイフだ。これを見た時、蓮は悟ったように、人魚にならなくてよかった、と安堵していた。

 そろそろバイトの時間だ。

 碧は制服などの入ったバッグを手にすると、本棚の前に行く。

「行ってきます」

 二人の陽翔に挨拶をして、碧は部屋を出て行った。

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にんぎょのはなし 侑菜(ゆうな) @yuuna0715

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