バースデー・マニア(改訂版)

言の葉綾

バースデー・マニア(改訂版)

 出席番号1番の、伊藤娃菜は変人だ。うちのクラスには、そんな固定概念が根付いている。誰が言い出した、そういうわけではない。むしろ、伊藤娃菜本人が、自らの口で「変人である」ことをほのめかしたのだ。でも、伊藤娃菜は持ち前のバケモノのようなコミュ力で、友人がたくさんいる。クラスの隅っこにいるかと思えば、真ん中にいたり、後ろにいたり。常にクラスの中で目立つ存在、それが、伊藤娃菜という人間だ。

 出席番号40番の私は、今日も相変わらず、クラスを、遠近法を使ったように遠目で見ていた。このクラスも、もうすぐ終わり。来月から3年生になり、受験モードでぴりぴりと凍てついたような環境に変化するのであろう。クラス内の人間関係、というしがらみから離れられるのはありがたいが、受験するはするで、また新たなしがらみに囚われてしまう。世の中は、ちょっと不細工で、キレイにできていない。

「結芽ちゃん、お誕生日おめでとー!!」

 結芽というクラスメイトの名前がクラス内で叫ばれる。声の主は伊藤娃菜だ。それにのっかるように、他のクラスメイトも口々に「おめでとう」と言う。結芽さんは恥ずかしそうに、伊藤娃菜から何かを受け取っていた。

 誕生日。人は誰しも。誕生日を持っている。

「次の誕生日の子は誰なの、娃菜」

 女子の誰かが、そう伊藤娃菜に問う。

「次の誕生日? 次は吉崎さんだよ」

 吉崎、という名前。クラスメイトが一斉に、私のことを見た。

 私が次の誕生日。今日は3月17日。

 私の誕生日、その後なのか。

「吉崎さん、4月1日だから」

 その言葉に、私は思わず目を丸くした。


 出席番号1番の伊藤娃菜には、特殊な能力がある。

 それは、「人の誕生日を一発で当てる」というものだ。


 2007年4月1日。未だ乳幼児と呼ぶに等しい幼子が、雨の中、道端の段ボールに入った状態で見つかった。水に浸ったかのようにずぶぬれで、段ボールには「拾ってください。育てられないので」と書いてあったという。

 名前も、誕生日も、わからない状態だった、と施設の園長は言っていた。

 当時、その施設にいた、今では私の母親のような、姉のような存在の郁里ちゃんが、私の名前を付けてくれた。あの頃は14歳の中学生だったらしい郁里ちゃんは、今では31歳になってしまった。郁里ちゃんが「吉崎」という苗字だったから苗字は「吉崎」、名前は「英里花」と名付けられた。本当の名前は知らない。そして、何で「英里花」なのと尋ねても、「えりか、って可愛いでしょ!」としか言われない。

 また、見つかった日を誕生日としていたため、私の誕生日は、4月1日ということになっている。本当なのかは全然、わからない。

 だから、伊藤娃菜の言葉が、私にはにわかに信じられなかったのだ。本当に4月1日なのか。伊藤娃菜は今まで、人の誕生日を外したことがない、と言っていた。だからもし、本当なのだとしたら・・・・

 そう考えていたら、いつの間にか午後の授業は終わり、放課後になっていた。クラスメイトはどんどん教室から退散してゆく。私も流れに身を任せ、郁里ちゃんが待っている家に帰ろう。今日は郁里ちゃんの彼氏がいるかもしれない。そんなことにふけりながら教室を出ようとすると、ひとりの少女が私の目の前に現れた。

 伊藤娃菜だった。

「吉崎さん、吉崎さんの誕生日ってさ、4月1日で本当に合ってた?」

 私の誕生日の正解を求めているようだ。あながちまちがいではないが、まちがいでもある。私の事情は糸が絡み合い、複雑で面倒だ。話すと長いし、理解も追いつかないだろう。

 だから私は、人と関わることは極力避けてきた。学校、という場では。だからクラスメイトの視線を一斉に浴びたときは、正直怖気もしていた。

「え・・・・あなたには関係ないでしょ」

 そう、冷たく言い放ってしまった。事情は複雑だし、クラスにいてもいなくても同じな存在の私の誕生日を祝う義務など、伊藤娃菜にはない。

「・・・・そっか、でも当たってるかだけでも教えてよ」

 伊藤娃菜は引き下がらなかった。私はきっと、少し苛ついていたと思う。伊藤娃菜を見た時に、目に力がこもったような気がしたから。

「わからないよ、自分の誕生日なんて」

 初めてだ。やけになって言ってしまったけれど、人に自分の誕生日がわからないことを伝えるのは。伊藤娃菜は驚いたように口をあんぐりとあけていた。私はそのまま身をひるがえし、昇降口へと向かった。

 本当に、わからないんだよ。


 幼い頃は、本当に4月1日が誕生日だと思っていた。1年間の中で最も遅い誕生日と知った時は、好奇心がわいてきた。

 でも、小学6年生の時、それは仮の誕生日だって知った。園長が勇気を出して、言ってくれたのだ。その時のショックの深さは計り知れなかった。「本当」というものは、闇の中に葬られたようなものだからだ。今までは、仮の誕生日で祝われてきたんだと思うと、心の底から傷ができたように、ズキズキと痛んだ。

 中学2年生の時、マンションでの一人暮らしが決まった郁里ちゃんと共に、私は施設を出た。その後も郁里ちゃんは、4月1日に私のことを祝ってくれた。

 嬉しかった。でも、本当の誕生日で祝われてみたいという気持ちはずっとある。

 伊藤娃菜は、そのきっかけを与えてくれるはずだったのに。私は突き放してしまった。あの子には、私の痛みなどわからない、そう決め込んで。今までもそうだった。近寄ってくれる子に対して嬉しさもあったけれど、心の底からは分かり合えない友達だと気づくと、冷たく突き放していた。

 生温い環境で育ってきた子たちからの同情なんて、いらない。そう心で強く強く、思い込んでいる私がいるのだ。伊藤娃菜にも、それを感じてしまった。

 家に帰ると、郁里ちゃんと郁里ちゃんの彼氏がいた。今日も夕食はハンバーグだという。いつもはすごく嬉しいはずなのに、今日はどこか、違和感があった。心の底から、喜べなかった。

 誰かを突き放して、心が「むしばまれた」ような感覚を覚えるのは、初めてだった。


 無事修了式も離任式も終わった。2年生が、終わった。

 いつものように、今年も4月1日がやって来た。3年次のクラス発表が、今日はある。だから、学校へ行かなければならない。学校へ行く支度をしていると、スマホの通知が鳴った。誰だろうとLINEを開くと、友達ではないユーザーからだった。

 「あいな」とあることから、すぐに誰だか認知した。伊藤娃菜だ。おそらく、2年のクラスLINEから追加したのだろう。伊藤娃菜からのメッセージは、こんなものだった。

「突然追加ごめんね。伊藤娃菜です。今からクラス発表見に行くんだけれど、その後に吉崎さんと話したいんだ。いいかな?」

 心にチクリ、針をつついたような感覚がした。この間の要件だろう。あの日の感覚が、ありありとよみがえってくる。

「いいよ」

 私はなぜか、そう返信してしまっていた。「嫌」とか、「無理」とかという文字を打つことは、できなかった。


 学校に到着すると、クラス発表を見に来た生徒たちでごった返していた。その中に、伊藤娃菜がいるのを見つけた。向こうも私に気付いたらしく、手を振ってくれた。

 少しむずがゆい。

「おはよう、吉崎さん。急にごめんね!」

 それから伊藤娃菜に、私は3年7組39番だったよと伝えられた。私の分も見ていてくれたらしい。ちなみに伊藤娃菜も7組で、同じクラスだという。

 なんとか人の輪を潜り抜けると、伊藤娃菜は私に言った。

「向こうの公園に行こう」


 高校の近くにある公園は、広々としていて、辺り一面に、緑でいっぱいである。春休みの時期であるため、幼稚園児や小学生らしき子どもたち、朗らかな親子の姿が見受けられた。その様子を、伊藤娃菜は愛おしそうに眺めている。私には、それはできなかった。本当のお母さん、お父さんは一体どんな人なのだろう。そういう疑問に苛まれるからだ。誰ひとり肉親がいない私にとって、そういう様子は少々、憎たらしいものに見えてしまう。

 そんな私をよそに、伊藤娃菜は「ここ」とベンチを指さした。私は言われるがままに腰を掛けると、伊藤娃菜は何かをバッグから取り出した。

「これ。私からのメッセージカード」

 メッセージカード。受け取って中身を見ると、本当に私へのメッセージが記されてあった。

施設の園長や、郁里ちゃん以外の人から誕生日プレゼントを貰うのは、初めてだった。

 この間、結芽というクラスメイトにあげていたのも、それだろうか。

「この間、吉崎さん、自分の誕生日がわからないって言ってたから、きっと深い事情があるんだなって、思った。だから、軽はずみなこと聞いて、ごめんね」

 伊藤娃菜は、私のことを真っ直ぐ見て、頭を下げた。その姿は、私の心の底に、訴えてくる何かを抱いていた。

「でも、私、本当に人の誕生日がわかるの。直感というのもあるし、その人の瞳に書いてあるんだ。吉崎さんの誕生日は、2006年4月1日、って書いてあった」

 2006年4月1日。私が道端で発見される、ちょうど1年前だ。

 瞳に、自分の誕生日が書いてある。他の普通の人ならにわかに感じ難い、信じられない話であろう。あるいは、「気持ち悪い」と避けられてしまうかもしれない。

「・・・・このメッセージカード、クラス全員に書いているの?」

 私はいつの間にか、そう尋ねていた。伊藤娃菜は、うん、と笑顔で頷いた。

「全員に書いてる。だから、吉崎さんにだけ書かないってことはしたくなかったし、何よりおめでとうって言いたかった。なかなか、クラスで話せなかったから・・・・」

「私、クラスにいてもいなくても同じじゃない? クラスの子のこと、避けてたし・・・」

 はっと我に返る。私の唇から、今まで溜めてきた・・・心の中で抱えた本音が、ぽろぽろと零れだした。

「私、赤ちゃんの時、道端で雨の中、段ボールに入った状態で見つかって、施設に入って。本当のお母さん、お父さん、本当の名前、本当の誕生日、わからなくて。他のちゃんと家庭がある子を見ると、幸せそうで羨ましくて。だから近寄ってこられるの辛くて、話したくなくて、避けてたのに。私にも、書いてくれるの?」

 涙まで零れた私の姿を、伊藤娃菜はじっと見つめていた。

 私はずっと、我慢してきて、辛かった。

「当たり前だよ。同じクラスの友達でしょ。私はずっと、話していなくても、吉崎さんのこと、勝手に友達だって思ってたよ」

 嗚咽をあげる私に向かって、伊藤娃菜は優しい瞳を向ける。

「・・・・本当の誕生日はわからないけれど、私が見つかった日は、2007年4月1日で。ずっとその日が仮の誕生日だったんだけれど・・・・本当に4月1日が誕生日?」

 すがるような眼を、私はしていたと思う。

 ずっと、誰とも分かり合えないと思っていたのに。伊藤娃菜は、本当にバケモノのような、コミュ力の持ち主だ。

「うん。私を信じて」

 その言葉は、私を内奥から暖めてくれる、そんな言葉だった。

「吉崎英里花ちゃん。お誕生日おめでとう。17歳、楽しんでね」


 何もかも、「本当」はわからないまま。

 でも、ひとつ、見つかった。

 バースデー・マニアの彼女のおかげで。

 吉崎英里花。誕生日は、2006年4月1日。

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バースデー・マニア(改訂版) 言の葉綾 @Kotonoha_Aya

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