第4話 回帰・壱


 ピピピピピピッ!


 「うわああっ! は、はあ、はあ…」


 いきなり起き上がったせいか、体のあちこちが変な音を立てた。


 冷や汗がひどい。寝間着がびっちょりと湿っている。


 「あ、あれ? 俺、なんで部屋にいるんだ?」


 4月から暮らしている、築30年の学生向けアパート。


 特別綺麗でも汚くもない、強いて特徴を挙げれば大学生にしては私物が少なめな、ごく普通の部屋。


 「…昨日は、サークルの見学に行って、それで、」


 俺は、いつどうやって帰ってきた?


 けたたましく鳴るスマホの目覚ましを無視して、どうにか俺は昨日のことを思い出そうしている。


 頭が、ひどくぼんやりしている。


 昨日、あそこで、先輩も隼人も倒れてて、それで…。


 「…それで、どうなったんだっけ」


 おかしい。記憶がひどく曖昧だ。


 まるで小さい頃に読んだ絵本みたいだ。


 読んだという記憶はあるのに、内容が曖昧で思い出せない。


 確か、藤峰先輩が実は美少年で、なんか十字架を持ってて。なにかされそうになって、それで…。


 そこからが、どうしても思い出せない。


 意識でも失ってしまったのか、そこから先の記憶が真っ黒だ。


 落ち着け、ゆっくり思い出すんだ。


 先輩や隼人たちはあれからどうなったんだっけ? あのまま放って帰るなんてことはしないはずだけど、救急車とか呼んだのか。


 というか、俺はなんか変なことをされかけたんじゃなかったか?


 あの美少年が持ってた十字架が、変なふうに光ってきた気がする。


 いや、でも普通サークルの見学ごときであんなことが起こるわけないよな…。


 ピピピピピッ!


 「ああ、もう! うるさいな!」


 理由もない焦りから、乱暴に目覚ましを止める。


 「…とりあえず、隼人に電話してみよう」


 スマホを触ったついでに、通話アプリを起動する。


 そのまま隼人のアカウントをタップして、通話をかけてみた。


 『…ふわあ〜い、どうったのアキ』


 数回のコールの後、間延びした声で隼人が出た。アキっていうのは、まああだ名みたいなものだ。フルネームだと長いから。


 「…隼人、お前なんともないのか?」


 自分はろくに昨日のことを覚えていないくせに、俺は思わずそんなことを聞いていた。


 『なんともってなんだよ。こんな朝っぱらから。今日俺もお前も3限からだろ? 昼まで寝てようと思ったのに』


 電話越しにもわかるくらいには、隼人は不機嫌そうだった。


 けど、俺はそんなことも気にならないくらいに嫌な悪寒が全身を走るのを感じていた。


 「そ、それはごめんだけど、なあ。変なことを聞くようだけどさ。昨日って、何してたっけ」


 おそるおそる、聞いてみる。


 『あ、昨日? 何って、


 「…は?」


 『普通に講義終わって、普通に家帰って。適当に動画見て、寝た』










◆◆◆










 その後、俺の記憶にある通りのことを質問してみても、隼人は何も覚えていないようだった。


 サークル見学に行ったことはおろか、ボルダリングのサークルがあるなんていうことも知らないようだった。


 『なあ、アキ。お前どったの? さっきから変なことばっか聞くけどさ』


 「あ、いや、そのなんていうか、」


 どう説明したらいいんだろう。


 『あれか、そういう夢でも見たん? まあたまにあるよな〜、やけに本当っぽい夢ってさ』


 夢、だったのだろうか。


 その後も少しばかり話したが、結局隼人には気分が悪くなったからと言って、すぐに電話を切らせてもらった。


 実際、気分はひどいものだった。


 たかが数時間の記憶が食い違っているだけなのに、それだけで自分の記憶が急に頼りなく思えて、自分の存在が不確かなものに思えてしまった。


 「…あれは、夢だった?」


 否。


 口に出してみて、すぐにそれは違うと確信できる。


 あれは夢なんかじゃない。


 曖昧だけど、確かな現実感と緊張を伴った記憶が俺の中にはある。


 ふと思い立って、スマホで検索をかけてみる。


 自分の通っている大学の名前と、昨日聞いたボルダリングサークルの名前を打ちこんだ。


 「…出てこない」


 いくらスクロールしても、検索結果にひっかからない。


 普通、今どきのサークルならホームページはなくても、何かしらのSNSアカウントを作ってる。


 それらにすら、痕跡が見当たらない。


 ならばと昨日行ったジムの予約状況を見てみる。


 団体予約の欄に、団体名が書いてあるはずだ。


 「ここにも、ない」


 そもそも、昨日の夕方から夜にかけては予約されていなかったと表示されている。


 「…なんだよ、どうなってるんだ」


 本当に夢だったのか。


 いや、でも。


 結論の出ない思考がグルグルと回る。


 曖昧な記憶を何度も再生して、噛み合わない現実との差に気分が沈んでいく。

 

 ふと、変な記憶が再生される。


 ”予想以上ね”


 「誰の、声だ?」


 ”派手にやったわねえ。掃除大変じゃない”


 ひどく柔らかく、ゆったりとした口調の、女性の声だ。


 ”大丈夫、あとはあたしがうまくやっておくわ”


 心地よい声で、ぶっきらぼうな言い方。


 声はわかるのに、顔とかは一切分からない。


 真っ暗な視界の中で、その声だけが聞こえていた。


 「なんだよ、これ…」

 

 変な記憶だった。


 どうにも落ち着かなかったけど、ここで考え込んでいても何も始まらない。


 それに、今日は病院に行かなくちゃいけないんだ。


 のそりとベッドから降りて、俺は出かける用意をし始めた。


 …そうだ。病院に行って、大学も終わったら、あのジムに行ってみよう。実際に見れば、何かわかるかもしれない。

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機械仕掛けの魔術師《パンツァー・マギエル》 春風落花 @gennbu

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