「発展性のない」真実

森本 晃次

第1話 「発展性のない」真実


 野村弘樹は、気の短い男だった。すぐにイライラして、人に当たることもあった。四十歳を過ぎて中年になった今は、若干丸くなったとはいえ、それでも、その傾向は変わっていない。会社に行っても、何かを目標に頑張っているというわけでもなく、

「目標? そんなものは、入社後、半年もしないうちに消え失せたよ」

 と、言って鼻で笑うのが関の山だった。

 何を毎日楽しみに生きているのか、人から聞かれたとしても、答えようがない。そんな話をしてくる人とは、最初から話をしないようにしようと思っているうちに、自分のまわりには、誰もいなくなっていた。

「楽しみなんて、どこにもありゃしないよ」

 と、半分人生を投げていた。

 人生を投げるようになったのは、今に始まったことではない。三十歳近くになってから、世の中が面白くなくなってきた。考えてみれば、学生の頃もあまり面白いとは言えなかったが、

「そのうちに楽しいことがやってくる」

 と、タカをくくっていた。楽天的な性格だったこともあり、あまり意識していなかったが、さすがに四十歳を超えると、

「そのうち」

 などという言葉が、リアリティのないものであることに気付いてくる。

 実際に歳を取ってからの方が、リアリティはなくなってきた。学生時代の方が、まだ現実を直視していたように思う。どちらかというと、

「何とかなるさ」

 と、思っているのは今の方であって、楽天的というよりも、現実逃避に近いものがある。ただ、それは弘樹に限ったことではなく、他の人誰もがそうではないかと思っていた。だからこそ、年齢を重ねるごとに、落ち着いて見えるのは、諦めも多分にあるのかも知れない。

 学生時代から、女にモテない。学生時代には、それほど気にしていなかったのだが、それでも、どうしてモテないか、自覚があったからだ。

「俺は、見た目、老けて見えるんだ」

 大学に入学した年、友達と旅行に出かけて、露天風呂の中で、見知らぬおじさんから、

「お兄さんは、おいくつかね? お子さんは、二人くらいかね?」

 と、言われたことがあった。老けて見えるのは自覚していたが、まさか子持ちに見られるとは、思ってもみなかった。

「いくつに見えるんですか?」

「二十代後半か、三十代前半くらいに見えますよ」

 まさか、十歳も上に見られるとは、ショックであった。それでも、おじさんは悪びれた様子を見せない。さすが、温泉という開放的な場所。少々の無礼講は許されると思っているのかも知れない。

 そんな弘樹だったが、いつ頃からだろうか。年相応に見られるようになり、今では、実年齢よりも若く見られるようになった。

「三十歳前半くらいじゃなかったかな?」

 精神的に何かの変化があったという感じはしない。

 確かに、三十歳を過ぎた頃から、毎日がマンネリ化しているのが分かっていた。一週間、一か月とあっという間に過ぎるのに、一日はなかなか過ぎてくれない。そんな時は、毎日がマンネリ化している時だと思ってきた。

 マンネリ化してくると、余計なことをしたくなくなってくる。好きなことであれば、少々のことはできるのだが、嫌なことであれば、よほどしなければいけないことでない限り、しようとは思わなくなっている。

 毎日の仕事でも、上司に小言を言われると、やりたくない。部下に押し付けることもあるくらいで、そんな自分が無性に嫌になってくることもあるくらいだ。

「どうして、こんなになっちゃったんだろうな?」

 まわりは、彼女がいて、どんどん結婚していく。中には、

「まだ、結婚なんか早い」

 と言いながら、実際は、もっと遊んでいたいと思っているやつも多い。

「俺なんか、彼女ができたら、即行で結婚するのにな」

 と言って笑っているやつもいるが、そんなやつに限って、彼女ができると、もっと他にいい人がいるんじゃないかと思ってか、なかなか結婚しない。

 それでも、まだ毎日をマンネリ化した生活の中にどっぷりと浸かっていないだけいいではないか。弘樹は、自分がどっぷりと、マンネリ化に嵌ってしまっていることを感じ、どうしようもない状態になっていることを自覚していた。

 大学生の頃までいた友達も、就職するとともに、次第に縁遠くなってしまい、自分から連絡ができないと思った瞬間から、友達は減っていった。

 会社の同僚は、あくまでも仕事上での付き合いだけ、それ以外の関係ではない。就職してから、付き合った女性もいたが、彼女との関係は、薄っぺらいもので、まるでままごとの延長のようだった。

 デートと言えば、映画を見たり、ドライブに行ったりはしても、そこからなかなか大人の関係にはならなかった。弘樹には、肉体的なコンペレックスがあり、なかなかセックスに結びつくことはなかったのだ。

 大学一年生の時、まだ童貞だということを先輩に話すと、

「よし、じゃあ、俺が男にしてもらえるところに連れていってやる」

 と言って、風俗に連れてこられた。

 童貞を捨てるのに、風俗は嫌だなどというこだわりは最初からなかったが、逆に恥かしさがなくて済むのではないかと思い、先輩の好意に甘えてみた。

 最初、風俗で済ませるということは別に恥かしいことではないと思えた。先輩が連れていってくれるというのなら、こんなにありがたいことはない。自分の中でも、

「先輩に誘われたから」

 という言い訳が成り立つのだから、自分を納得させるには、好都合だった。

 だが、実際に行ってみると、恥かしいものは恥かしかった。そんな自分を見た女の子が、

「可愛い」

 と言って、喜んでいる姿を見て、苦笑いした。

 苦笑いしたが、それでも嬉しさの方が強かった。萎縮して女の子の前で恥かしいことにならないだろうと思った。

 身体も悦んでいるのが分かる、ただそれは今までに感じたことのない快感だったこともあって、何もかもが未知のもの。女の子の顔を見ていると、嬉しさがこみ上げてくる。自分が錯覚に陥っていくのが分かってきた。

 すべてが終わったあと、さっぱりはしていたが、アッサリした気持ちにもなっていた。

――なんだ、こんなものか――

 この気持ちが身体に対するコンプレックスを感じさせた。

 想像していた快感とは違ったのだ。元々、人が味わう快感を傍目に見ていて、

「あれが快感なんだ」

 と、勝手に思い込んでいただけで、実際に自分が味わうと、そこまではなかった。

 その理由は、自分が想像だと思っていたことが妄想だったからではないだろうか。快感だと思っていたことを、誰もが同じように感じるわけではない。想像が想像を膨らませ、妄想と化してしまうのだった。

 肉体がコンプレックスなのは、精神から来ているものでもある。

 アッサリしている自分に対して、何事も冷めた目で見てしまっている自分がいることで、せっかくの快感が半減してしまう。

 求めるから、半減するのであって、最初から深く意識しなければそれでいいのではないだろうか。

 彼女がほしいとは思うが、結婚したいとは思わない。一時の快楽であれば、何とか自分を満足させることができても、同じ人にずっと縛られてしまって、ずっと自分を満足させることなど、できるはずもないのだった。

 そういう意味で、一時の快楽に溺れた時期があった。給料のほとんどを快楽を求めることに使った時期があったくらいで、風俗通いが日課になっていた。

 しかし、飽きというのはくるもので、どんなに快感を貪っても、次第に冷めた気分がまたしても襲ってくることに、やるせなさを感じていた。

 ただ、それは、快楽に身を任せたことで陥る、世間一般の人の罪悪感とは違っていた。罪悪感は、恥かしいだとか、世間体などを顧みることによって感じることであるが、冷めてくるやるせなさは違うのだった。

 弘樹には、今さら恥かしさや世間体は関係ない。冷めた目で見ることが、今までの自分と結局変わらなかったことへの苛立ちが、やるせなさに変わるのだった。

 もちろん、風俗嬢との恋愛など考えてもいないし、同僚や後輩を見ていて、彼女にしたいと思うような女の子もいない。

 風俗嬢の方が、話をしていて、よほどしっかりしているのではないかと思えることもあった。彼女たちの中には、もっといろいろ勉強したいと真剣に思っている人もたくさんいる。

 勉強と言っても、学校の勉強だけとは限らないが、できれば大学に進みたいと思っている子もいるくらいだ。何を勉強したいのかと言ってもピンと来ないのかも知れないが、とにかく、学問というものに、正面から向かい合ってみたいと思う気持ちが大切だった。そんな彼女たちと、弘樹は、学問の話をするのが好きだった。

 結構、物知りの女の子もいた。雑学など、本を読むだけでも勉強ができるからだ。

 弘樹にとって、風俗は話をするだけでもいいくらいだった。学校で他の女の子たちと話しているよりも、いろいろな話が聞けて楽しい。こちらの話に対しても、どんな話であっても、興味津々で聞いてくれる。そんなところが新鮮で、

――気持ちが通じ合えた気がする――

 と感じるのだ。

 それが「癒し」になるのだと思うことで、弘樹は、風俗通いがやめられなくなってしまったのだ。

 ただ、癒しを求めに行くだけであれば、少し高すぎる。次第に回数も減ってくるが、それはそれでよかった。気分的な卒業だったのだ。

 風俗の女の子は、表で客と顔を合わせるのを嫌う人が多い。あくまでも違う世界に生きているという意識があるからなのだろうが、それはよく分かっていた。

 表で会った彼女たちは、まったく違う人種なのだ。中には、あまりにも雰囲気が違いすぎて、真剣に好きになってしまいそうになる女の子もいるが、そばを通っても気づかないほど、まったく違った雰囲気なのかも知れない。

 寂しい気もするが、やはり密室の中だけの恋愛感情、そこに興奮を感じ、つい、店に通ってしまうのだろう。

 気が短い弘樹にしては、おかしな感覚であった。

 確かに手軽な疑似恋愛のようなものだと思えば、苛立つこともないが、成就することのない恋愛が、果たして気の短い人間に、苛立ちをもたらさないかと言われれば、ありえない気もする。

 ただ、普通の恋愛が、果たして、どれほどのものなのかを考えると、疑問も呈してくる。気が短い人間が一番嫌がるのは、型に嵌ってしまうことである。普通の恋愛は、型に嵌った恋愛とは言えないだろうか。

 好きになったら、まず告白をする。相手に彼氏彼女がいるかいないかを、確かめるのも必要だろう。

 相手に誰もいなければ、ホッとした気持ちになって、後は自分が意を決するかどうかである。

 フラれたくないという思いから、会話をどのように持っていくかを考えるが、そのためにすることは二つ、まず相手の趣味趣向を調べること。そして、それに合わせて、自分も教養を深め、共通の話題で盛り上がれるように考える。

 教養のある人に、相手は好意を抱くものである。尊敬の念と言ってもいいだろう。相手に好きになってもらいたいということの大部分は、この尊敬の念を抱いてほしいという気持ちになることを、その時初めて気づくのだ、

 それが、普通の男女関係だと思うのだが、風俗嬢との付き合いだって、強要を深めたいと貪欲に感じている彼女たちの気持ちは、相手に尊敬の念を抱くという意味で、変わりはないのではないだろうか。

 普通の恋愛もしたことがないわけではなかった。

 大学二年生の頃、入学してきたばかりの女の子と仲良くなった。同じ講義を取っていて、ノートを見せてあげたことがきっかけだったが、最初、弘樹の方は、まったく意識していなかったが、相手の女性が弘樹に興味を持ったのだ。

「どうして、僕に興味を持ったんだい?」

 と、聞くと、

「大学生らしくないところ」

 と答えてくれた。

 確かに他の大学生のように、女の子から好かれたいと、少しでも化粧をしたり、ファッション感覚を磨いたりするのが普通なのに、弘樹は、そんなことはお構いなしだ。いつも同じジャケットを着ていて、髭の剃り跡なども、クッキリと残っていたりする。ファッション関係に目ざとい女性からすれば、弘樹のような男性は、なるべく敬遠したいタイプなのかも知れない。

「俺は、他の人と同じでは嫌な性格なんだ。こんなんじゃ、答えになってないよね」

 と、嘯いたが、彼女は、

「ううん、その方が、本当の自分を見つめているような気がして、私は好きです。皆と同じような人は、わざとらしく見えるというか、個性がないように思うんですよ。弘樹さんのような生き方は、潔くて好きです」

「ふっ」

 思わず吹き出してしまった。冷静がトレンドだった弘樹にとって、中途半端な吹き出しは、相手を不快にさせそうで、一瞬、しまったと思ったが、

「どこがそんなにおかしかったですか?」

 と聞かれて、

「潔いという表現さ」

 と、答えた。潔さというのは、どこか捨て鉢なニュアンスも含まれている。いずれにせよ、最後の決断に近いところであることは間違いない。

 ただ、弘樹は潔いという言葉が妙に気に入った。潔さがあるから、決断ができるのだ。間違っているかも知れないなどと迷ってしまっていては、永遠に決断できない人間になってしまう。

 迷うことが悪いというわけではないが、迷い続けていては、まわりをも巻き込むようで、せっかく他の人にはないものが、自分の長所だと思っているのに、人を巻き込むのは、自分の主旨ではないのだ。そういう意味での潔さは持っているつもりでいた。

 一度挫折を味わうと、その先、人生がマンネリ化してしまうのではないかと思うことがあったが、弘樹に挫折を味わった経験はない。ただ、気になっているのは、今まで生きてきた中で、ところどころ、記憶が欠落しているところがあることだ。

 たいして影響のないことなので、さほど気にしているわけではない。肝心な記憶であれば、もっと気にするのだろうが、記憶の欠落を意識し始めたのに、さほど気にしていない自分に気付いた時、

「自分はあまり細かいことを気にしない人間なのだ」

 と、思い始めた。

 細かいことを気にしないと、少々マンネリ化した人生でも、悪いことではないように思えてくる。毎日が無事にさえ終われば、それでいいのだ。

「中学、高校時代には、こんなことを考えたこともなかったのに」

 と、思いもしたが、考えてみれば、中学、高校時代に、何か目標があって、それを目指していただろうか? 部活に参加したわけでもなく、目の前にある受験勉強をしていただけだ。ただ、他の人と同じでは嫌だという思いがあったので、皆と一緒に勉強するのは嫌だった。

 親から、

「家庭教師を付けてあげよう」

 と言われた時、嬉しかったものだ。

 家庭教師の先生は、女子大生だった。四年制大学の二年生で、今年二十歳になるという女性だった。

 彼女は二十歳には見えないほど、成熟していた。そばに顔が近づいてきて、吐息が聞こえるたびに、まるで魔法に掛かったかのような甘い香りがしてくるのを感じた。まさか、その頃には、自分が大学に入って、風俗通いをするような男になるなど、想像もしていなかった、

 背もスラッと高く、まるでスチュワーデスにでもなれそうな雰囲気があり、

「お姉さんは、綺麗ですね」

 と、勇気を振り絞って聞いてみたが、

「あら、ありがとう。弘樹君も、かっこいいわよ」

 と、言われて思わず舞い上がりかけたが、声のトーンがどこか他人行儀な社交辞令に感じられ、一気に気持ちが冷めていったのを思い出した。

 ただ、その時、お姉さんが社交辞令になったのも、勇気を振り絞って言った言葉のトーンが、よそよそしく感じられたことで、冗談のように聞こえたからだった。

 そういう意味では、弘樹は損な性格だと言えるかも知れない。

 だが、弘樹の心はもっと他にあった。

 素直に気持ちを表すことで、身体に起こりかけた変化を気付かれないようにしようとしていた、健気な態度が弘樹にはあった。だが、本人にとって意識していることではなかった。それでも、健気な態度を取りたいという気持ちだけはあったようで、それが照れ隠しのようになっていたのも事実だった。

 家庭教師の先生を好きになったのは事実だったが、初恋の女性とは似ても似つかない雰囲気だったのも、それまでの弘樹にとっては初めてのことだった。

 清楚で大人しい感じの女の人が、初恋の人で、本当に大人しく、人から話しかけられても、いつもビクビク答えているような女の子だった。それに比べると、お姉さんは、毅然とした態度が見られた。だが、よく見ると、他の男性から声を掛けられて、毅然とした態度を取っている姿が想像できなかったのだ。

 お姉さんは、妖艶な雰囲気を醸し出し、そばに近づいただけで、身体が一気に反応してしまう。今までにはいなかったタイプの女性だった。

「誘惑されたら、断りきれない」

という思いが強くあり、

「誘惑されてみたい」

 という思いとのギャップが、自分の中で心地よい快感となって、想像を妄想に変えていくのだと感じていた。

 想像が妄想を作ることを知ったのは、その時だった。

 妄想はあくまでも妄想として、想像とは孤立したものだと思っていた。だから、妄想には厭らしいイメージがあり、想像とは一線を画していると思ったのだ。だが、延長線上だと考えると、妄想も悪いことではないと思えるようになった。

「妄想は、想像から孤立したものだ」

 つまりは、想像から離れたくないという思いの中で、勝手に離れていった。あるいは、想像によって、離されてしまったものだと思えたのだ。独立が、自分から離れることであれば、孤立は、本体側に離そうとする意志が存在していたのだろう。

 弘樹は、人と関わるのは嫌だったが、女性が好きだった。女性を人として見ていなかったわけではなく、他の人との違いは、身体を刺激してくれるところだった。

「本能のままに生きているのか?」

 本能のままに生きることを、まわりはあまりよくは思っていない。それは自分勝手でまわりを見ようとしないからだと思われているからなのかも知れない。それがわがままであれば、その通りだろうが、本能というものが、誰にでも備わっているもので、本当の自分を現そうとしているものであることを自覚しているのであれば、その限りにはないだろう。そう思うと、本能に生きることもまんざら悪いことではないように思えてくる。

 人には欲望があり、欲望を果たそうとするのが本能である。性欲を叶えようとする気持ちも、どこまでなら許されるか、大学時代には、そんなことを考えていたものだ。

 許す許さないを決めることができるのは、自分だけだと思う。自分の中で許せる範囲を判別できていれば、欲望を抑えることもできるだろう。それはまず頭で考えるよりも、経験によるものが大きいと思う。だが、なかなか本能を許せるところの経験などできるものではない。したがって、余計なことをしないようにしようと、小さく凝り固まる。誰もが同じ考えであると、小さく固まったものが、そのまま真理となってしまい、

「欲望は、抑えるものだ」

 という理念が出来上がるのだろう。宗教とも絡み合うと、それが、常識のように考えられてしまう。弘樹には、それが嫌だったのだ。

 かといって、自分一人が、何かを訴えたとしても、どうなるものでもない。その思いがストレスとなって、蓄積されていくと、どうしても、まわりに悟られないようにしようという心理が生まれてくる。それが、大学生になると、心を閉ざしてしまったかのようになるのだ。

「自分の心を鎖で縛りつけている」

 まわりからは、そんな風に見えるのかも知れない。

 変わり者のレッテルを貼られることは、別に構わないと思っているが、そう言っている人たちは、自分の本質だと思っていることが、表面上だけのものでしかないことを分かっているだろうか。

 そんな連中から、

「あいつは変わっている。自分の殻に閉じ籠ってしまっている」

 と、言われたとしても、そんな連中に限って、自分の本質について考えたこともない連中だと思うと、別に気にもならない。

 そうしてまわりを気にしなくなると、自分が表に出しているものが表面上のものだけだと思っても、構わないと思うようになった。なぜなら、自分には自覚があるからである。

「女が好きだ」

 という思いは、隠そうとは思わない。自覚があることを表に出すことは、恥かしいことでも何でもないと思うからだ。そんな自分をおかしいと思っている人のことをいちいち考えていては、せっかくの成長期、マイナスばかりを抱えてしまう。それだけは嫌だったのだ。

 気が短いのは、すぐにイライラしてくるからだ。人と話をしていたり、人の話を聞いていたりするとイライラしてくる。それは、自分の本質を自分の中に閉じ込めて、まわりに悟られないようにしようとしているからだ。

 せっかく相手と仲良くなろうと思ったとしても、相手が隠そうとするのであれば、こちらから歩み寄る必要はない。相手が隠そうとしているのが見えた時点で、相手に対して興ざめするのだ。しかも表に出している部分は、あくまでも自分を飾って手っ取り早く取り繕った部分だけだ。そんな白々しさに苛立ちを覚えるのだった。

 弘樹は、家庭教師のお姉さんに、すべてを委ねる気分になっていた。お姉さんにだけは素直になれた。親や友達、先生などには、自分の気持ちは分からない。自分の目の前にいて、逃げ出さない人だけが、自分の味方だと思っていたのだ。

 家庭教師の先生も、確かにお金で雇われたから、弘樹と一緒にいて、勉強を教えてくれているのだ。形式的なものが表に出てくるのは当たり前だった。

 だが、彼女にはそれだけではない何かを感じた。それが何なのか分からなかったが、弘樹はそれを知りたいと思った。

「もし、悩みごとのようなものであれば、逆に僕が聞いてあげたい」

 そんな風に自分が思うなんて、今までにはなかったことだ。やはり、先生には何か自分の中で抑えきれない気持ちが燻っているに違いない。

 先生と一緒にいると、まわりの人と一緒の世界とは、違う世界を感じているようだ。

 先生とは、家で会っていただけではなかった。時々、食事に誘われたり、映画に一緒に行ったこともあった。そんな時、ふとしたことで寂しさを感じることがあったが、気のせいだったのだろうか。

「先生には、彼氏とかいないの?」

 と聞いたことがあったが、寂しそうな、だが、急に元気になって、

「いないわよ」

 という答えが返ってきた。先生には、何度か同じ質問をしたが、いつも同じだった。

――この子、どうしていつも同じ質問をするのかしら?

 と思われるかも知れないが、聞かないわけにはいかなかった。

――今日は違うリアクションが返ってくるかも知れない――

 という思いがあったからだ。

 確かに毎回同じというわけではないが、それは、その時々の心境の違いが影響しているのかも知れない。気分がすぐれない時は、寂しそうな姿が、さらに沈んでいるように見えたり、逆に気が晴れ晴れとしている時は、寂しそうな中にも、何か訴えてくるものがあるような気がした。

 気分がすぐれていない時の方が、訴えてくるものがあるのではないかと思えるが、訴えるものがあったとしても、パワーが足りない。相手が気付かなければ、いくら訴えていたとしても、態度から察することはできないだろう。

 先生のことを好きになったのかも知れないと思った弘樹は、先生の態度を気にして見るようになった。先生には寂しそうな姿が似合っている。訴えるものがない方が、先生らしいと思うようになった。

――俺は、寂しがり屋で、弱弱しい感じの女性が好きなんだろうか?

 それに間違いはないが、先生を見ていると、それだけではない。確かに寂しい表情をした時の先生の表情に、何とも言えない感情を抱いてしまう。

 どちらが年上なのか分からない気分になるのは、先生の顔にまだ幼さが残っているからだが、その時の弘樹には、分からなかった。どうしても先生という立場から見てしまうと、いくら弱弱しい態度を取られても、年上として見てしまう。だからこそ、先生にすべてを委ねようと思い、

「お姉さん」

 と呼んでしまうのだ。

 お姉さんは、そんな弘樹を弟のように思ってくれているようだ。一緒に映画に行った時も、食事に行った時も、堂々としていた。このあたりが高校生と大学生の違いなのだろう。中学生の頃、高校生を大人のように見ていたが、それはあくまでも肉体的なものから感じていたことで、成長期の真っ只中、中学生と高校生とでは、かなりの違いが肉体的にはある。

――大学生になると、そんなに大人になれるのだろうか?

 大学に入学してからのことなど、考えたこともなかった。目の前の受験をいかに乗り越えられるかだけが、弘樹にとって大きな問題であり、その先のことは、考えてしまうと、却って邪念が入り、勉強に集中できないのではないだろうか。

――勉強だけに集中していればよかった高校時代――

 こんなことを感じたのは、三十歳になってからだっただろうか。それまでは、考えたことはない。

 高校時代がよかったのか、悪かったのかなど、判断がつくわけではないが、高校時代というと、よくも悪くも、ほとんど何も感じなかった時期だったように思う。そんな中で記憶が鮮明に残っているのは、先生のことだけだったのだ。

 だが、それも、三十歳を超えて思い出してみると、先生の思い出が、高校時代だったということすら、意識としてないような感じだった。大学時代の中の一時期のことだったとするには、あまりにも一人のことに集中しすぎている。大学時代には、一つのことに集中していた時期などなかったような思いがあるのだ。ただ、それは漠然と考えてのことで、一つ一つを思い出してみると、集中していなかった時期など、どこにも存在しなかったように思えた。

 社会人になってから、いや、大学生の頃からであろうか、いつの間にか、毎日を漠然と過ごすようになり、一日が平凡に終わってしまっていることに気付かないまま、過ぎてしまっていたのだ。

 本人の意識としては、毎日を波乱万丈に過ごしていたように思えた。毎日何かに疲れていた。それは一生懸命に生きているからだと思っていたが、果たしてそうだったのだろうか?

 大学時代の友達とは、よく人生についての話をしたものだ。ただ、それは個人の人生というよりも、生き方の話から、考え方の話、まるでオカルトっぽい話に展開していたこともあった。一言でオカルトというには弊害がありそうなほど、テーマがいつも漠然としていたように思う。

 男と女の話も結構したように思う。女好きなのは、友達も弘樹も同じだった。ただ、女好きと言っても、女性の考え方や男の接し方などの話になると、微妙に意見が食い違っていたりして、それが却って会話に膨らみを持たせ、白熱した議論を湧き起こしたのだ。

 一つのテーマで、ほんの少し考え方が微妙に違っていただけで、話はまったく違った方向に進展してしまうことがある。それが弘樹にとっては面白く、話を展開させることの楽しさを知った気がした。

 喧嘩ではなく、激論を戦わせていれば、自分の理論の正しさを相手に示そうと、相手の考えも無視できなくなってくる。相手も同じように考えを示してくれるのだが、そのことが次第に相手の考えを尊重することになり、尊敬の念を抱く。それが会話となるのだ。自分の理論を理解してくれていることを確かめたいがために会話していると言っても過言ではない、それが、弘樹には至福の時間となっていた。

 ただ、その時期も大学時代の中の一時期にしかすぎない。ずっと続いているわけではなく、時々のことだったので、毎日の生活のエッセンスにはなっても、根幹を揺るがすような決定的な違いに変わることはなかったのだ。

 ただ、そんな会話も学生時代までのこと。社会人になってから、そんな会話をする人も周りにはいなかった。いたとしても、気付かないし、そんな時間もないだろう。

――男は、表に出れば七人の敵がいるというが――

 そんなことを感じたこともない。感じたとしても、敵に回さなければいいのだ。

――敵を作らなければいいんだ――

 という思いが高じたのか、弘樹は人に逆らうという気持ちが失せてきた。まわりが言っていることを、そのまま守ればいいのだ。そう思っていたのだが、どうやら、弘樹の考えは違っていたようだ。

 弘樹の性格はそんなに単純ではない。天邪鬼なところがあって、つい人に逆らうことが身についてしまっていたようだ。

 それは、子供の頃からのようで、育った環境に大きな影響があるようだ。

 親が厳しい人だった。普通のサラリーマンなのだが、

「普通にサラリーマンを押し通すというのも、難しいものだ」

 というのが、持論だったらしく、まずそこから言っている意味が分からない。仕事や会社でのことを家庭に持ち込むことは嫌な性格だったくせに、この言葉だけは、時々口にしていた。

 弘樹には、この言葉は愚痴にしか聞こえない。愚痴にしか聞こえないと、

「この人は愚痴しか言わない人なんだ」

 としか思わなくなってくる。

 たまにしか口にしないのに、そして、他にもいいことを言っていたとしても、聞いているまわりには、一番インパクトのある言葉しか記憶に残らないのだ。

 それは、父親が厳しい人だったからだ。

 自分に厳しいかどうかなど、子供には分からない。だが、まわりには厳しい父は、明らかに子供にとっては、鬱陶しいだけの人でしかない。会話をすることすら嫌になり、近づかなくなると、余計に父親も意固地になっていたようだ。

 頑固が、厳格で正しい生き方だと思っている人が多かった時代の人だったのかも知れない。自分もその時の自分に負けず劣らずの頑固な父親に育てられた人間だったのかも知れない。それが正しいかどうかなど誰にも分かるはずもないし、分かったとしても、今さら生き方を変えるなど、できるはずもないのだ。

 弘樹は、子供の頃に、

「自分の子供には、絶対に同じ思いをさせたくない」

 と、何度思ったことか。

 これは子供に対して、いや、子孫に対して、自分が変えなければいけないという使命感のようなものによるものではない。単純に、父親に逆らうことが、父親への復讐のように思ったからだ。父親に逆らって生きた人間が、どのように成長したか、それを示してやりたくなったのだ。

 もし、まともな人間になれば、父親の意志にしたがっているのであれば、父親の力によるものだが、逆らって逆らい尽くしてまともな人間になれば、それは、息子の力によるものである。逆にまともな人間にならなければ、それこそ父親のやり方が間違っていたからだと思えばいいのだ。後から思えば、逆恨みのようにも思えたが、その時の弘樹は、それ以外のことを思い浮かべることもなかった。

 厳しい父の思惑通りには、決して育ったわけではない弘樹は、学生時代に感じた父親への反発心が、社会人になってから、さらにハッキリとしてきたような気がした。確かに父親とは時代が違っているが、社会に出ると、父親が言っていた言葉が、大げさに思えて仕方がなかった。

 その頃の弘樹は、自分が自信過剰になっていることに気付かないでいた。

「まわりの人は、皆自分よりも優れた人たちばかりなんだ」

 という意識が弘樹にはあった。

 それは、自信過剰になっている自分とは、矛盾した考えだった。だからこそ、自信過剰になっていることに、気付かなかったのかも知れない。

 矛盾した考えであるが、それぞれ両極端な考えが頭の中に共有していることで、それぞれが暴走することを抑えているのかも知れない。

 暴走を抑えながら、楽をしたいという思いがあるのか、すぐに余計なことを考えないようにしようという思いが頭を巡る。ただ楽をしたいだけだというのは、語弊があるが、逃げに走っているという気持ちには変わりない。逃げに回ってしまうと、背中を見せることでもあり、隙を作ってしまうことになる。そんな気持ちで本当に暴走を抑えることができるのだろうか?

 学生時代から、社会人になりたての頃を思い出すと、まるで昨日のことのように思い出すことができる。

 だが、最近のことはまったく思い出すことができない。何を考え、何を目標に生きているかなど、当の昔に忘れてしまったような人生に、思い出すことがないのも当然かも知れない。

 四十歳を超えると、普通なら家庭があって、会社でもそれなりの地位があり、部下や上司との関係に悩む人生という構図ができあがっていいのかも知れないが、弘樹には、そんなものはない。

 会社での地位は、年功序列でなった係長。家に帰れば家族はおらず、一人暮らしの男やもめであった。

「俺はしがない係長」

 上司からは、

「部下の面倒見も悪いし、業績もパッとしない」

 というレッテルを貼られているようだし、部下からは、

「あの人に言っても、何も変わらない」

 と、部下から上がってきた要望や進言を叶えられないでいた。

 そういえば、自分が平社員の頃、係長をしていた人も同じように、部下から進言したことが何も叶えられていなかったが、自分に対しての風当たりよりも、マシだったように思う。

 どうしても自分のことなので贔屓目に見てしまうのだろうが、それを差し引いても、自分に対しての言われ方は酷いものだった。

「俺のことだと、どうしても大げさになるんだ」

 と思い、自分が損な性格であることを自覚するようになった。

「損な性格なら、それでもいい」

 と、すぐに諦めた。自分で自分を可愛そうだと思うようになったからだ。開き直りというよりも、投げやりな性格は、それこそが損な性格を形成していることを理解させない。だから、堂々巡りを繰り返すように損な性格は増幅していくようだった。

 性格の問題であれば、他人は関係のないことだった。だが、自分で投げやりになってしまえば、誰も関わることを許さないだろう。そうなれば、抜け殻のようになってしまうのではないかと思うが、そんなことはない。どこで辻褄が合ってくるのか分からないが、弘樹は、自分の人生をあまり気にしないことが、まるで風に揺られながら落ちてこない木葉のようにしがみつく何かがあるのだと思うようになっていた。

 趣味がないわけではないが、今は、絵を描きたいと思っている。だが、今までにも趣味を持ちたいと、いろいろしてみたが、なかなか長続きするものではない。数か月続けてみて、急にやめてしまうのだ。

「朝、目が覚めて、急にやるのが嫌になった」

 という気持ちになったことが何度あったことだろう。

「そんな気持ちになる時、何か共通性があるのだろうか?」

 と思ったこともあったが、思い当たるふしはなかった。考えてみれば、急に何かをしたくなくなるというのは学生時代にもあったことだ。

 学生時代にも、何が嫌だったのか考えたこともあったが、思い当たらなかった。目が覚めて急に嫌になるのは、何かの前兆ではないかということだけが頭の中にあり、ただ、前兆を感じるものが実現したわけではない。

「俺の気まぐれが、災いしたのかな?」

 と、思うようになったが、気まぐれとは何を基準に思うことなのだろうか?

 友達からも、

「お前は気まぐれだから」

 と言われたが、思い当たるふしがあるとすれば、天邪鬼な性格しかなかったのだ。

 そんな弘樹だったが、たまに旅行に出ることがあった。もちろん、誰かを誘うわけでもなく、有休を使って、三泊ほどの旅行である。

 旅行先では、釣りをすることが多かった。吊りの道具を肩から掛け、電車に乗っていくのは、普段のスーツを着て会社に出かけるのとは、まったく違っていたのだ。

 弘樹は、通勤が嫌で嫌で仕方がなかった。

 もちろん、満員電車に揺られるのも嫌だったが、それが一番の理由ではない。一番嫌だったのは、スーツを着て出かけなければいけないことだった。

 スーツが堅苦しいから嫌だというわけではない。もっと精神的なところでスーツを着るのが嫌なのだ。スーツと言うと、サラリーマンの象徴のような気がする。まるでスーツを着て人ごみに揉まれていると、自分は本当に社会という歯車の一部になってしまったかのように思えてくる。

 さらに、違う意味でもっと嫌なのは、スーツを着るのは正装だというイメージもある。何かの賞をいただいたり、人から認められた人が着るものだという思いである。

 形から入ることを嫌う弘樹にとって、サラリーマン生活に嫌気が差している自分が、スーツを身に纏わなければいけない理由が見当たらないことで、スーツを着ている自分が嫌なのだ。

 わがままな考えだが、本人としては、理に適っていると思っている。それだけ、自分がサラリーマンであるということに、誇りなど持てるはずはなく、何も発展性もない毎日をただ送っているだけになってしまうのだ。

 旅行に出かけて、釣り糸を垂れている時だけが、考えていることが記憶に残っている時だ。普段でも何も考えていないわけではない。いつも何かを考えているのが、弘樹なのだ。しかし、それが記憶として残っていない。その理由として二つ考えられる。

 一つは、考えていることが支離滅裂で、記憶に残るような理路整然とした考えではないということだ。もう一つは、最初から記憶に残そうなどと思わないような、他愛もないこと、考えるにも至らないようなことを考えていて、今考えていたことすら、忘れてしまうほどのことなので、最初から考えていなかったと思うのも無理のないことなのかも知れない。

「高校時代まで、あれほど、いろいろなことを考えていたのにな」

 高校時代まで考えていたこと、それは、考えていたというよりも、組み立てていたと言った方がいい。小学生の頃、算数が好きだったこともあって、数列には興味を深く持っていた。

 公式などを考えるのが結構好きで、中学の数学で習ったはずの公式を、さらに頭の中で、

「他に解き方ってないのかな?」

 などと、考えるのが好きだった。既製の事実に囚われることなく、自分の自由な発想が許されるものを、弘樹は好んだのだ。

 だが、高校生になる頃には、そんな発想は通用しなくなる。大学に入るための勉強を余儀なくされ、勉強するのが嫌になった時期もあったが、それでも何とか大学に入学できたのは、きっと、

「自分の中で、何かを捨てることができたからだ」

 と、思うようになっていた。

 それが何なのか分からないが、

「人が成長するためには、得るものもあれば、捨てるものもある」

 と、少なくとも、そう考えるようになっていた。

 弘樹は、整理整頓が苦手だった。

 どうしてなのか、最初は分からなかったが、社会人になる頃には分かってきた。

「捨てることができないからだ」

 整理整頓する中で、捨てることが、一番効果的でありながら、一番難しい。

「もし、必要なものを捨ててしまったら」

 という思いがどうしても頭の中にあり、その思いが捨てられないことに繋がるのは誰も同じことだろう。それなのに、どうして皆、捨てることができるのか、不思議で仕方がない。

「嫌なことは、一刻も早く終わらせたい」

 という思いと、整理整頓は、子供の頃から

「押し付けられた」

 というイメージが強い。それは、勉強と同じで、やらされているイメージがあるのだ。

 勉強であれば、中には好きになる教科もあり、すべてを否定しなくても済むが、整理整頓は、一つが嫌なら、すべてが嫌になってしまう。そう思うと、捨てることができない自分は、整理整頓ができない性格だとしか思えなくなるのだ。

 捨てることができない性格の影響が、気の短さに繋がっているような気がしていた。

 捨てることができずに整理ができないと、苛立ちが生まれてくる。生まれてきた苛立ちが、捨てることができないことから来ていることだということを分からない。整理整頓という言葉自体に嫌悪を感じるようになると、自己嫌悪が頻繁に起きていることが気になっていたことも頷ける。

 釣りをするようになったのは、三十歳に近くなってからのことだった。元々旅行だけは好きだったので、温泉に行くことは年に何度かあった。温泉に行って、おいしいものを食べて、少し近くの観光地を巡るという、誰でも考え付きそうな、平凡な旅行だった。

 誰かと知り合いたいという期待もあった。だが、煩わしいのはあまり好きではない。女の子と知り合いたいという気持ちもあるが、それは、

「旅の恥は掻き捨て」

 という言葉のように、あくまでも旅行先だけでの知り合いでいいのかどうか、自分でも分からなかった。

 だが、心の中では、

「それだけでは寂しいな」

 という気持ちも強かった。

 もう少し気持ちに余裕があれば、寂しいなどと思わないだろうと思うのだが、

「煩わしいのは嫌いだ」

 という思いが、気持ちの中で矛盾していることは分かっていたのだ。

 要するに、どちらの気持ちが強いかということなのだろうが、それは、その時々で違うはずである。

 同じ旅行期間中であっても、日によって違っていたり、また、同じ日であっても、午前と午後で違っていたりするだろう。それは、きっと一人の時間が長いからなのではないかと思えた。

 一人の時間が長いと、一人でいろいろ考える。考えている中にも、様々な思いが交錯することで、多々の矛盾があるだろう。矛盾だと感じていることも、感じながらそのまま意識しないようにしようとしていることもあるようで、

「考えを一つにしたい」

 という思いがあればあるほど、混乱を整理できなくなってしまう。

 整理整頓が苦手なのは、自分の頭の中を整理できるはずなどないという思いが強いからなのかも知れない。

 釣りを始めたきっかけは、やはり旅行先で一緒になった人が、いかにも釣り人です、と言わんばかりに、釣り道具を肩から下げて、宿に来ていたからである。

 それを見た時、

「格好いいな」

 と感じた。

 サラリーマンの趣味といえば、ゴルフというのが頭の中にあった。特に父親が週末というとゴルフに出かけていたので、余計に、ゴルフは嫌だった。

 父親に対しての確執は、一人暮らしを始めても残っていた。

 すでに父親とは、話をすることもなくなっていたが、嫌だという気持ちと、

「あんな大人にはなりたくない」

 という気持ちが同居していて、自分の中で反面教師となっているのだった。

 大人になってまで、父親の影が自分の中にあるというのも嫌なことだったが、一人でいたいという気持ち、そして、一人でいても、孤独感を感じないというのは、父親の影が、自分の中に残っているからなのかも知れない。

 釣りには、年に数回出かけるようになった。場所も最初はいろいろなところに行っていたが、最近では、決まったところに行くようになった。馴染みの場所が見つかったというところである。

 今までの弘樹に馴染みの場所はなかった。本当は、馴染みの店を一軒くらい作っておきたいという思いもあったのだが、それは自分の中にある性格と矛盾していることでもあるので、心のどこかで、

「馴染みの店などできっこないだろうな」

 という思いがあったのだ。

 自分から距離を置こうとするのだから、そんな相手に歩み寄ろうと言うような殊勝な人はいるはずもないと思っていた。

 確かに、自分から距離を置いていると、相手の自分に対しての見方がどんなものか、分かってきたようだ。冷めた目で見ているが、視線は決して合わせようとはしない。こちらが相手をしようと思わない限り、相手も目を合わそうとしないのも当たり前のことだ。

 馴染みの店だけは、持ちたいと思うようになり、社会人になってから、家の近くの喫茶店を探してみた。飲み屋にすると、どうしても、愚痴などを聞かされる機会が多くなり、不快な思いをしてしまうだろうから、喫茶店の方が、いいと思った。

 さらに、コーヒーのおいしい店は、いるだけで落ち着くし、雑誌や新聞を見ているだけでも、自分の時間が持てることで、馴染みのお店を持つことの意義を感じることができる。

 歩いて、五分ほどのところにちょうどいい喫茶店があった。通勤路とは少し離れたところだったので、最初から探すつもりでないと、まず見つけることはなかっただろう。表通りに面しているわけではなく、どちらかというと住宅街に近いところにある。開店直後のモーニングの時間帯、昼下がり、さらには、会社が終わってからの帰宅時間、それぞれ覗いたことがあったが、それぞれに客層も違い、面白かった。

 二十歳過ぎの頃というと、まだまだ近くにある商店街も賑わいがあった。今でこそ商店街はほとんどの店がシャッターを閉めていて、以前の賑わいの影も見当たらない状態だが、その時は、そろそろ影が見えてきそうな傾向にはあったが、まだ、商店街は健在だった。

 常連客の中には、商店街に店を構える店長さんも結構いて、店長さんたちの溜まり場でもあった。最初、弘樹は、

「馴染めないな」

 と、自分がサラリーマンであることを、さらに痛感させられそうで、あまりいい気分はしなかった。

 だが、商店街の店長さんたちは、思っていたよりも優しかった。愚痴をこぼしていることもあったが、サラリーマンが口にしている愚痴のようなものではない。愚痴の一言一言に重みのようなものはあるが、却って軽率ではない。

 サラリーマンの愚痴のほとんどは、自分の悪いところを棚に上げて、勝手に好き放題言っているだけだ。同じような人とただ管をまいているだけなので、これほど、見苦しいものはない。重みのない愚痴ほど聞いていて、不愉快になるものはないと思ったのは、父親の影響があったのかも知れない。

 厳格で、融通の利かない父親だったが、少なくとも間違ったことを言っているわけではない。それを見てきているだけに、サラリーマンの自分勝手な愚痴は、聞くに堪えないものがあるのだ。

 馴染みの喫茶店で、仲良くなったのは、商店街の店長さんたちが最初だった。

 なるべく、愚痴は聞き耳を立てないようにしていたつもりだったが、ある日、

「すまないね。サラリーマンの人には、俺たちの愚痴は分からないだろうから、不愉快な思いをしていたら、悪いと思ってね」

 と、声を掛けてくれた。

「いえ」

 ビックリしながら、声のする方を振り向くと、三人の店長さんたちがこちらを見て、微笑んでいる。その表情に他意はないようだった。素直な笑顔に、こちらも思わず笑顔を見せる。若干引きつっていたかも知れないが、それでもこちらが笑顔を見せたことに、大層喜んでくれたようだ。

「よかった。本当にすまないね」

 三人のうちの一番年上の人がそう言って、頭を下げてくれる。

――この人たちは、本当にいい人たちなんだ――

 今まで、自分が孤独だと思っていたのが、ウソのように心が晴れた気がした。普段の変わらない生活とは別に、新しい生活が芽生えたのだと思うと、気が楽にもなった。

 それでも、この喫茶店を一歩出ると、相変わらずであった。それでも、少しは違ってきたのは、間違いないことだった。

 溜まったストレスを、いかに発散させようかと思っている時、助言してくれたのが、店長さんの一人だった。

「お兄さんは、釣りをするかい?」

「えっ?」

 いきなり声を掛けられた時は、ビックリした。この人は、確か商店街では惣菜屋さんの店長さんだったと思った。少し白髪が混じっていて、苦労されているのだと見受けられたが、その表情には余裕すら感じられ、まるで恵比須顔のようだった。

「いえ、したことはないですね」

「お兄さんのような人がすると、いいかも知れないよ」

「どうしてですか?」

「釣りというのは、短気な人がするのがいいらしいんだ」

 何と、何回かしか話をしたことがなく、自分から、あまり話題を提供したことのない弘樹の性格を、いとも簡単に見破ったかのようで、思わずポカンと開けてしまった口を閉じるのを忘れてしまったほどだった。それにしても、釣りというのが、短気な人に似合うというのは、意外なことだった。

「気の長い人は、あまり考えなくても、その状況を受け入れるのだけど、短気な人は、その状況を何とかしようとする気持ちがあるらしく、釣りのように、単純だけど、どうすれば釣れるかという探求心を必要とするものには、気が短い人間のように、状況を打破しようとする気持ちを持っている人の方が向いていると思うんだ」

「なるほどですね」

 確かにその人のいう通りだった。確かに気が短い人は、いろいろ考えようとする。だが、それが弘樹にそのまま通用するとは思えない。気が短いくせに、人生を投げやりに生きているような最悪の性格だからである。騙されたつもりで、釣りをしてみるのも面白いかも知れないと思ったのも、そのせいだった。

 何をやっても面白くない。いろいろ試してみようと思ったが、やってみると、すぐに、

「自分には向いていない」

 と、考えるようになるのだ。

 ずっと続けている趣味としては、旅行に出ることくらいであろうか。旅行に出かけるのは、趣味としては受動的で、自分から何かをするというものではない。それでも、何もしないよりもマシだと思うくらい、自分からする趣味に関しては、長続きした試しはなかった。

 釣りは、旅行に出かけたそのついでにできるものだ。最初から釣りができるところを選んで出かければいいわけで、最初は、釣りについて何も知識もなく出かけたものだ。

 旅に出れば、そこで知り合いというのはできるもので、普段であれば、話もしないであろう相手であったとしても、話しかけてしまうのが、旅の楽しみというものだ。釣りができるところに出かければ、集まってくる人も釣り道具持参である。最初は釣り道具すらまともに持っていなかった弘樹だったので、釣りをしている人を後ろから漠然と見ているだけだったが、

「お兄さんは、釣りはしないのかい?」

 と、声を掛けてきた。

「釣りをしたいと思って出かけてはきたんですけど、釣りに対しての知識はまったくない状態で出かけてきましたので、どうしていいか分からない状態ですよ」

 と言いながら、苦笑いした。

 本当は調べるのも面倒だったというのもある。人から、

「期の短い人には釣りが似合う」

 と言われて出てきただけなので、実際に、釣りがどのようなもので、どれほど奥の深さがあるかなど、分かってはいなかった。ただ、

「気が短い人が似合う」

 と、言われた時、すぐに感じたのは、

「案外、奥の深いものなんだろうな」

 ということであった。

 何も分からない自分が下手に調べるよりも、実際に釣りをしている人を見てみたり、話を聞いたりする方が手っ取り早いと思ったのだ。面倒だったという表現は不適切かも知れない。

 釣りをしていた人は、

「それなら、俺がしているのを見るといい」

 と、言って何も言わずに釣り糸を垂れていた。話をするわけではないが、その人が感じている緊張感が伝わってくるようで、こっちも手に汗握る気持ちになってきた。

 そのうち、自分も痺れを切らしてきたのが分かってきた。

「お兄さん、宿では釣り道具を貸してくれるから、借りて来ればいい」

 絶妙のタイミングで、釣り人が話しかけてくれた。まるで背中に目でもついているのか、弘樹の緊張感が、痺れを切らすのを分かったかのようであった。

「ありがとうございます。そうします」

 そう言って、釣り道具を借りに行き、自分も初めての釣りに勤しむことになった。餌の付け方や、本当に基本的なことは教えてくれ、後は文字通り、釣り糸を垂らしていただけだった。

 釣り人は、その後、何も教えてはくれなかったが、その日、弘樹にも何匹か、魚を釣ることができた。宿に持って帰り、調理してもらうことで、自分が釣ったことの意義を感じることができたのだ。

 おいしさは格別だった。この味が、自分を釣りの虜にした一つの要因だったのは間違いない。だが、釣りに嵌ったと言っても、奥を極めようとは思わなかった。相変わらず、釣りのできるところへ一人で旅に出て、いつも変わらずに、釣り糸を垂れているだけだった。船を使って沖に出たり、岸壁での釣りを楽しむなどということはなかったのだ。

 最後の日に釣った魚は、帰ってきてから、馴染みの喫茶店で、「おすそ分け」にしている。

「君は、欲がないから、それが一つの魅力かも知れないな」

 と、釣りの話を最初にしてくれた人が、時々そう言っている。ここでいう「欲」というのは、趣味に対して、奥を探求しようとする気持ちのことである。それがいいのか悪いのか、弘樹には分からないが、素直に聞いて、

「ありがとうございます」

 と、答えた。

 そこには、皮肉などはなく、純粋な気持ちの表れしかなかった。その気持ちを汲んでくれたのか、ニッコリと笑って、満足げに頷いてくれた。

 会社では相変わらず、そして、たまに出かける釣りを堪能しながら、年月は流れ、気が付けば、すでに中年と呼ばれる年齢になっていた。

 結婚したいと思った時期もあったが、相手がいないのでは仕方がない。彼女がほしいと思った時期もあり、好きになった人もいたが、そのほとんどは、すでに付き合っている人がいたり、結婚していたりだった。相手がいる人を奪うようなバイタリティがあるわけでもない弘樹は、いつしか、

「諦めることも、人生の一つだ」

 と思うようになり、諦めに対して、あまりショックを感じないようになっていた。

「本当に何を考えて生きているんだろう?」

 と、自分で疑問に思うくらいなのだが、人生を平凡に生きていることに、最近は少し疑問を抱くようになっていた。

「人生って、そんなに平凡に生きられるものなんだろうか?」

 それまでに感じたこともない疑問だった。

 それでも、相変わらずの人生しか生きられなくなってしまった自分に若干の後悔も生まれていた。

 もちろん、今までに感じたことのない後悔である。だが、後悔と言っても、ずっと引きずるようなものではなく、自分に対しての疑問を抱いた時に、時々感じるものだった。そんなに深い思いでもないことは幸いだった。

 後悔が大きなものではないことの大きな理由の一つは、

「孤独も自分の人生だ」

 と、思っているからであろう。

 孤独というものが、悪いことだと思い続けていると、きっと今までの人生をすべて否定しないといけないくらいの後悔が襲ってくるに違いない。

 人生への後悔など、今まで感じたことがなかった。

「後悔なんて、その時々にちょっと感じるだけのもので、何も考えずに生きていれば、別に気にするものではない」

 と、楽天的にも見えるが、逆に自虐ではないかとも見えるかも知れない。それも、人によって弘樹を見ていて感じる考え方の違いによるものだ。

 中年になると、孤独に対しての考え方が少し変わってくるようだ。

 それまで、孤独と寂しさは、違うものだと思っていた。

「孤独な時間は、自分の時間であり、堪能できる時間なので、寂しくなどないんだ」

 と思っていたからだ。

 下手に人が関わってくると、自分の時間が変わってくる。感じる時間の長さもしかりで、感覚が違ってくると、明らかに自分のペースを崩されてしまう。

「自分の時間というのは、自分のペースを自由に使えてこその時間であり、それこそが、孤独な時間なのだ。だから、孤独な時間は、誰も犯してはならない自分だけのものなのだ」

 と思っていた。

 だが、孤独という言葉を穿き違えていたことに、今さらながら気が付いた。孤独というのは、寂しさを伴うから、孤独というのであって、寂しさを伴わない自分の時間は別に存在するのだ。

 ただ、そう思うと、自分以外の人は、自分の時間というものを持っているのだろうかという疑問を抱く。明らかに弘樹は、「自分の時間」を意識している。意識しているから「孤独な時間」だと思っていたのだが、他の人には孤独な時間が、そのまま一人の時間だという意識でいるならば、

「一人だけの時間をなるべく持ちたくない」

 と、思うものだと思っていた。

 それこそが、大きな誤解だったのだ。中年になってやっとそのことを分かるというのは遅いのかも知れないが、寂しさを感じたくないという思いを、無意識にずっと抱いてきたことを思い知ると、

「寂しさとは、孤独とは何だろう?」

 と感じるようになったのだ。

 その時になって、初めて感じたのが、

「他の人の考え」

 である。

 考えてみれば、他の人と同じでは嫌だと思っていたくせに、他の人の考えを知ろうともしなかったというのも、自分の性格が、それほどいい加減だったことの証明ではないかと思うほどだった。

 他の人が感じる「寂しさ」と「孤独」は、同じものなのだろうか? 人によって異なってはいるだろうが、同じものだと思っていいのではないかと思う。

 一人が寂しいと思い始めてはいたが、相変わらず、一人の旅行は続けていた。一人釣り糸を垂らしていると、勝手な想像が頭を過ぎる。想像が、現実にも勝ることもあると感じるのだ。

 想像であれば、失恋などしなくてもいいのだ。いつまでも甘い恋愛だって、勝手に思い描くことができる。ただ、それは経験に基づかないものであって、我に返って考えると、これほど虚しいものはない。ただ、今までの弘樹には、虚しさという感覚が希薄だった。そのため、想像が妄想に変わっても、限界を感じることはない。ただ、一気に想像してしまうと、途中で息詰まることがあるようで、セーブしながら想像することだけを心掛けていたのだった。

 釣りを始めてから、かなりの年月が経ったことで、馴染みの宿も五、六軒に増えた。今回行こうと思っているのは、その中でも一番遠いところで、密かに一番気に入っているところでもあった。

 水が綺麗なところとしては、一番かも知れない。それに、漁港としてもいいところで、ちょうど入り江のようになったところは、波も穏やかで、気持ちを落ち着かせてくれるにはちょうどよかった。

「ここは、以前から、温泉の効用もいろいろあって」

 と、宿の人が自慢していたが、そのおかげか、湯治に来るのは老人が多く、中年の自分でも、まだまだひよっこの雰囲気だった。

 入り江になった小さな漁村ではあるが、入り江の張り出した場所の波打ち際に、ひと際大きく見えている、白い建物の洋館が見える。そこには、誰も住んでいないのだが、時々、療養に来る人がいるようで、

「あそこの屋敷には、男の人が時々出入りしているのを見るんだが、どうやら一人の女の子が、病気らしくて、たまに療養に来ているらしいんですよ。水が綺麗だし、温泉の効用もあるしということでしょうね」

「前の持ち主の人から、子供の療養のために、買い受けた別荘のようなものなんでしょうね」

「そのようですよ」

 宿の人との話で、洋館には、たまに誰かが来るという話は聞いていたが、来る時期も不定期らしく、弘樹自身も、たまにしか来ないので、まず会うことはないだろうと思えたのだ。

 旅に出る当日、いつもより、少し遅い時間になってしまったこともあって、到着が夕方になる予定だった。夕食の時間にちょうどいいくらいで、いつもであれば、昼下がりには宿に入り、温泉にゆっくり浸かり、軽く昼寝をする時間があったのだが、この日は少し慌ただしかった。

 それでも、六時前には入れたので、夕食前に温泉に入ることができた。温泉に入ってからの方が、お酒がおいしいのである。

 お酒は、ビールよりも日本酒を好んだ。昼気を日本酒を甘いと思っている。そのくせ、辛口が好きだというのだから、面白いもので、

「辛口じゃないと、どうも後味が悪い気がしてですね」

 と、いつも女将さんには話している。

 ここの宿は、女将さんと女中さん三人が切り盛りしていて、厨房の板前さんがしっかりしていることもあって、常連客が気軽に来れるありがたい宿だった。

 弘樹が常宿にしているところは、それぞれに特徴があるが、ここの特徴は、やはり料理だろう。

 入り江ばかりが目立つ漁村ではあるが、裏には山があり、野菜やフルーツも新鮮で、肉、魚、そして野菜と、自給自足でも十分にやっていけそうなところが気に入っていたのだった。

 たまに、宿に女性が泊まりに来ることもあるらしく、目的は温泉のようだ。女性二人もあれば、一人で来られる人もいるという。訳ありに見えるのは、

「傷心旅行じゃないかしら?」

 という話だった。

 そんな中で、一度一人で来た女性客が、また一人でやってくることもあるらしい。ただ、その時は傷心旅行ではなく、

「前に来た時は、気分が乗らない時だったので、せっかくの温泉や食事を味わえなかったんですよ。でも、今度はゆっくり味わいたいと思ってですね」

 と、言ってやってくるらしい。

「彼女たちは、本当は思い出を作りたいと思っているんでしょうね。だから最初は傷心旅行でも、また来てくれるんですよ。私は、そんな彼女たちを見守っていてあげたいと思うんですよね」

 と、女将さんは話してくれた。

 ここに来ると、弘樹も大らかな気持ちになれる。一人でいることの意義を、この宿が教えてくれているように思うからだ。頑固なところがあるのを、

「ひょっとして、悪いことなのかも知れない」

 と、思いがちな気持ちを、ここに来ることで、

「自分の考えに間違いはないんだ」

 と、思うことができるのが、ありがたかった。

 たとえまわりが認めてくれなくても、間違いはないという気持ちになれる場所があるだけで、安心できた。信じていることに自信を持ち続けることができれば、それは誰が何と言おうとも、その人にとって、たった一つの真実なのだ。

 今回は、最初から、女性が誰か泊まりに来ているような予感があった。我ながら、心がときめいているのを感じたが、今までは、それを誰にも悟られたくないと思い、必死に思いをうちに籠めていた。だが、今回の旅行では、

「もし、自分の予感が当たっているとすれば、気持ちを隠すことなどせずに、相手にときめきを伝えてみるのも、いいことかも知れない」

 と、感じていた。

 宿に着いて、温泉に浸かり、部屋に戻って、食事を摂る。なかなか最初に考えていた予定通りには、普通は行かないものだと思っていたが、思い描いていた通りに進んだことで、出会うかも知れない女性のイメージが抱けないでいたものが、少しずつ形になってくるのを感じた。

 宿の表は、すでに真っ暗になっていて、部屋の明かりが暖かさを感じさせる。用意してもらった日本酒を飲みながら、食事をいただいていると、普段は、コンビニか、スーパーで、閉店間際の惣菜を買う程度の食事が、情けなく感じられる。

「年に何度かの贅沢だ」

 と、思えば、悪い気はしない。

 若い頃は、魚よりも肉を好んで食べていたが、今は、肉より魚の方がいいと思うこともある。釣りはするくせに魚臭さは苦手であったが、それでも自分が釣った魚を料理してもらうと、これ以上至高の料理はない。

「明日は、自分が釣った魚が、ここに並ぶんだ」

 と、思うと、楽しみになってくる。今日はその前祝と言ったところであろうか。焼き魚、刺身、煮魚。それぞれに味わいがある。目の前に並ぶであろう料理を想像していると、酒が進む。

「やはり、魚には、日本酒だな」

 と、感じていた。

 ほろ酔い気分になってくると、横になりたくなる。座布団を枕に、軽く寝ようと思った。ほろ酔い気分だと、畳の上でも身体の痛みを感じることがないような気がしていた。

 気が付けば、夢の中を漂っているようだった。普段なら、自分が夢を見ているなどという意識を、最初から感じることはない。確かに夢を見ていると感じることはあるが、それは夢をある程度見た後のことで、

「すぐに目を覚ますに違いない」

 と、思うようになるだろう。

 だが、その時は、夢を見始めてすぐに、

「これは夢なんだ」

 と感じた。現実ではありえないような夢を見ているのであれば、分かるのだが、そんなに突飛な内容の夢を見ているわけではない。どんな夢を見ているのか、自分でもハッキリ分からないのだ。

 ただ、しいて言えば、夢の中で女性が出てきたのだ。この宿に泊まって、出会うかも知れないと感じている女性だった。

「どうして夢だと思ったのか?」

 と聞かれたら、

「この女性とは、最初に現実で出会うわけではない」

 と、思っていたからだ。現実ではないとすれば、後考えられることとすれば、夢しかないではないか。

 最初に、夢で出会った人は、今までに何人もいたが、一番最初も女性だった。その人とは、お互いに運命的な出会いをしたと思ったのだ。相手も、自分と出会うのを予期していたらしい。ただ、予期していたと言っても夢を見たわけではなく、あくまでも、想像の世界だったようだ。

 夢に出てくるのと、相手の想像の中に出てくるのと、どちらが信憑性があるだろうか。どちらも信憑性はないように思うが、夢の場合は、相手も予期せぬことが多く、相手の想像であれば、幾分かコントロールできるような気がする。

 ただ、それも相手の性格を知りぬいてのこと、会ったこともない相手のコントロールなどできるはずもない。

 夢というのは都合のいいもので、理屈で説明できない事柄を、夢という形を取ることで、汎用性を利かせることができる。理解できないことも、無理やり理解させることもできるというものだ。

 相手は、最初、弘樹と出会うことを予感していたと言った。だが、よく話を聞いてみると、辻褄の合わない話が出てきたことで、

――この人は、口から出まかせを言っているのではないか――

 と思ったのだ。

 あまり人を疑うことを知らない弘樹だったので、もし、このことがなかったら、相手の口車に乗って、相手に都合よく使われていたかも知れない。夢の中に出てくるということは、相手に対して警戒しなければいけないことへの警鐘を鳴らしているのではないかと思うようになっていた。

 その日、夢に出てきた女性は、以前にどこかで会ったことがある女性だった。どこで会ったのか分からなかったが、アイコンタクトで合図を送ると、

「あなたとなんて、会ったことないわ」

 という、アイコンタクトが返ってきた。

 最初にアイコンタクトで話をしたために、もう、お互いに普通に話ができなくなってしまっていた。アイコンタクトで話をしていくうちに、相手も次第に何かを思い出したのか、

「そういえば、あなたとは確かにどこかで出会ったような気がするわ」

 と、答えていた。

 すると、彼女の表情が急に変わった。それまで、アイコンタクトを取っていたのがウソのように、まったくこちらを意識しなくなったのだ。キョロキョロしても、視線を合わせることはない、そこに不自然さはなく、本当に弘樹のことが見えていないようだ。

「アイコンタクトは、最初にうまく話ができれば、お互いの気持ちが通じ合う最短の手段となるのだが、うまくいかないと、相手の姿すら視界から消えてしまうという諸刃の剣のようなものだ」

 と、感じた瞬間に、目が覚めた。

「夢だったのか」

 汗をぐっしょりと掻いていたが、夢であったことにホッとしていた。

 その日の夢は、それだけではなかったように思ったが、記憶にあるのはそれだけだった。きっと夢の最後だったのだろう。最後の部分だけが中途半端であるが、記憶として残ったのだろう。

 だが、考えてみれば、それが夢の本当の姿なのかも知れない。見ていた夢を覚えているのは珍しい。それだけに、覚えている内容だけしか、夢では見ていないと思いがちだが、本当は、他にもたくさんの内容を見ていて、覚えているのが最後だけだという意識しかないのかも知れない。

「夢というのは、潜在意識が見せるもの」

 という話が頭の中にあり、その思いが夢に対しての憶測を、制限しているのだと言えなくもないだろう。

 夢の長さは様々だ。

「目が覚める前の数秒で見ているものだ」

 という話もあるが、それは、記憶している最後の部分だけであって、それまで記憶に残っていない部分は、眠っている間のどこかで見ているとすれば、覚えていないという理屈も成り立つような気がする。

 何と言っても、夢という、まったく別世界のものへの記憶なので、勝手な憶測で考えているだけだ。夢を見ている本人の精神状態、体調にも大きく影響されてしかるべきであろう。

 目が覚めて、夢のことを考えている時間がどれだけあったのか、まだ夜が明けていないことに気が付くまでに、少し時間が掛かった。目は覚めていないと思っているのに、もう一度寝ようとは思わない。寝てしまうのが、もったいないような気分になってしまったのだ。

 朝から釣りに出掛けようと、朝食は、少な目にしてもらった。釣りに行くといつもそうなのだが、潮風に当たると、気分が悪くなる。最初はなぜか分からなかったが、どうやら、潮風に酔っているようだった。潮風に酔うということは、船に酔うのとあまり変わらない状態であろう。

 腹八分目にしておかないと、気分が悪くなる。そのため、朝食は、控えめにしてもらい、その代わり、お弁当を作ってもらうようにした。

 昔から、朝はあまり食べられる方ではなかった。今でも出勤前に朝食を摂るのは珍しい。出張などに行って、ビジネスホテルに泊まると、そこでバイキング形式の朝食があるが、その時には、結構食べたりする。喫茶店でモーニングサービスを食べるようになったのは、それからだった。

 朝食というと、ごはんに味噌汁。毎日この繰り返しで、次第に、米の飯を見るのも嫌になった。父親の世代の人には逆らえない。特に食事に関して言えば、戦争中の話を持ち出されると、知らないだけに、反論できない。

 父は、疎開先で終戦を迎えたという。まだ、小学生の低学年で、何も分からなかった頃に終戦の混乱時期だったこともあって、父の記憶としては、絶えず飢えと背中合わせだったようだ。

 自分が反発しながらも、父に頭が上がらなかった理由が、

「自分の知らないこと」

 で、あることに気付くと、余計に父の牙城の大きさに、自己嫌悪が重なり、どうしていいのか分からなくなってしまうのだった。

 一人暮らしを始めると、朝食は摂らなくなった。最初こそ、お腹が減っていたが、一度堪えると、食事を摂らなくてもよくなっていた。

 空腹状態を乗り越えると、お腹が減ってくることはなくなる。しばらくの間、何かを食べたいと思わなくなるのは、身体が空腹に慣れてきたからであり、空腹状態だったことすら、忘れてしまったようになる。

 もちろん、個人差はあるだろうが、空腹に慣れたとしても、昼になれば、朝食を食べた時と同じように、お腹が減ってくる。人間の身体が、辻褄が合うようにできている証拠ではないだろうか。

 お弁当を作ってもらうのも、昼になると、同じように腹が減ってくるのが分かっているからだ。

 お弁当もごはんは少な目にしてもらっている。潮風に酔った状態では、甘いものは却ってきつい。少し塩味が利いたものがいいだろう。

 その日も入り江から少し突き出した堤防から、いつものように釣り糸を垂れていた。まわりには同じような釣り人が、各々の定位置が決まっていて、確保した場所は、いつもの暗黙の了解になっているようだった。

 頻繁に来ている人は、月に何度も来ているようだ。年に数回しか来ない弘樹は、まだまだ暗黙の了解が得られるほど、まわりに認知されていなかった。

 弘樹が陣取った場所は、漁場としては、最悪の場所なのかも知れない。だが、それも潮の流れの影響もある。いくらしょっちゅう来ているからと言って、毎回大漁というわけにはいかないだろう。弘樹にとって、今日が、その「はずれ」の日に当たってくれていればいいと思っていた。

 釣り客のほとんどは、車を利用している。車にいろいろな道具を詰めて来れるので、少々長居をしてもいいようにしているのだろう。釣りが好きな人は短気な人が多いというが、まわりの人を見ていると、確かに短気な人が多い。ただ、頑固な人が多いかどうかは疑問であった。

 どうしても、短気な人は、頑固な人だというイメージが強かった。それは父親を見ていたからだと思うのだが、自分のまわりにいた人で、短気な人は、短気頑固な人が多かったが、頑固な人に短気な人が多いかというと、ハッキリとは分からなかった。

 短気な人は、すぐにイライラする。それは、考えがまとまらなかったりして、先に進まないことに苛立ちを覚えるからだ。だが、頑固な人は、自分の意見を譲ろうとしない。ある意味で、逆の性格だと言ってもいいだろう。それを混同してしまうから、

「短気な人は釣りに向いている」

 という言葉を聞いて、疑問に感じるのだ。じっとして動かない状態を、いかに進展させるかという発展性を考えられる短気な人だからこそ、釣りに向いているのだ。

 釣り糸を垂れていると、ついつい釣り糸や浮きの動きに気を取られてしまう。波の動きを先に見ていないと、酔ってしまう可能性もある。だが、弘樹は、潮風に酔うことはあっても、波を見ていて酔うことはない。船に乗っても酔ったことなど今までになく、

「どうして、潮風に酔うんだろう?」

 と、不思議で仕方がなかった。

 単純に、肌に合わないだけなのだが、それだけではないと思うのは、風の生ぬるさにあるのかも知れない。

 生ぬるい風が吹き込んでくる中で、釣りをしていると、少し離れたところから、自分の釣りを眺めている人がいた。

 一人の老人がこっちをずっと見ていたが、気が付くといなくなっていた。どこかで見たような気がしたが、どこにでもいそうな人で、しかも、この防波堤に、妙に似合う感じの人だった。

 麦わら帽子を目深にかぶっているので、顔は見えなかったが、少し曲がった腰を痛々しそうにしながら、うろうろしているかと思ったら、いなくなっていたのだ。防波堤によく似合っているように思えたことが、どこかで見たことがあると思わせたのかも知れない。

 顔は見えなかったが、老人は人が好さそうに見えた。口元が歪んでいるように見えたのは、気のせいかも知れない。老人を意識していると、釣り糸に集中していなかった自分を感じさせなかったが、しばらくすると、指に微妙な力が入り、次の瞬間、思い切り引っ張られるのを感じた。

「来たか?」

 その日は、最初から、あまり調子は良くなさそうに感じられた。釣りに大切な潮の流れも、今までの経験から考えれば、あまりよくなさそうに感じたからだ。それでも、ふとしたきっかけから急に釣れ始めることもある。だからこそ、釣りというのは面白い。やめられないと思うのは、そこにあるからだろう。

 老人から、釣りの方に意識を移している間に老人は立ち去っていた。釣りに意識が向く寸前、老人が微笑んだような気がしたのは、まるで釣れ始めることが分かったかのようで、

まるで神通力でもあるのではないかと思えるほどだった。

 人間の意識というのは現金なもので、バカみたいに釣れ始めると、今度は、さっきの老人のことが頭から離れてしまった。釣りに集中していると、他に意識がいかない。元々が、一つのことに集中していると、他に意識がいかないようにできているのが、弘樹の性格だった。自分では悪い性格だとは思っていない。集中力を分散させてしまって、結局どっちも中途半端になるくらいなら、どちらかに集中している方がマシだと思うからだった。

 老人を見ていると、まるで自分の性格を読まれているようで、少し面白くない気分にもなっていたが、それも、なかなか釣れないストレスを、老人にぶつけてしまっていたからだった。釣れ始めると、老人のことを忘れてしまったのは、そういう心理的な動きが影響していたからに違いない。

「なかなか釣れませんね」

 少し離れたところで釣っていた人が、途中休憩したようで、話しかけてきたのは、老人が現れる少し前だった。

「そうですね。今日は潮が悪いんでしょうか?」

 気軽に弘樹も答えていたが、精神的には釣れないことにストレスがあったので、話しかけられたのは、ある意味気分転換になるので、面白くないとも思わなかった。

「私は、週に何度か、ここで釣りをするんですが、釣れる日と釣れない日の比率がまちまちでしてね、釣れない時は、まったくなんですよ」

「それは私も同じでしょうね。でも、釣れない日というのは、意外と最初から分かっているような気がして、今日も実はそんな気がしていたんですよ」

「ただ、それは錯覚ではないかって、最近は思うようになったんですけどね」

「どうしてですか?」

「釣れないと最初から思っていたというのは、まるで自分に対しての言い訳のような気がしてですね。というのは、釣れなかった時というのって、結構ショックでしょう? それは自分に対して考えが甘かったことへの戒めの気持ちは、自分に対して向けるものですよね。それを少しでも緩和させようとすると、最初から釣れないと思ったという感覚を持っていれば、予知能力があったことで、自分に知らなかった力が備わっていることを相手、つまりは自分の自慢しているような感じですね。そうでもしないと、どちらも情けない自分でしかないからですね」

 どう説明していいのか分かっていないのか、何とか言葉を繋いで説明してくれたが、言いたいことは分かった気がする。もっとも自分に同じことを説明しろと言われても、同じような言い方にしかならないだろう。それでも説明しないと気が済まないのは、それこそ、最初から分かっていたという感覚に似ているのかも知れない。

 その人は、しばらく弘樹の釣りの様子を見ていたかと思うと、

「お邪魔しました」

 と言って、元の場所に戻っていった。また、釣り糸を垂れ、同じように糸の先を眺めていたが、先ほど聞いた話を思いながら、釣りをしているのではないかと思えてならなかった。見た目は何も考えていないようだが、こうやって考えながら釣りをしている弘樹も、まわりから見れば、ただ釣り糸を垂らしながら、何も考えていないように見えているのかも知れない。

 よほど、その日は集中できないような精神状態なのか、後ろの老人に気が付いてからは、何も考えることなく、釣り糸を垂らすことが難しくなっていた。

 それを断ち切ったのが、指に掛かった待望の獲物だったのだが、もし、このまま獲物もなく、最初に考えた通り、まったく釣れていなかったら、考えることは、いつを引き際にしようかということであろう。

 釣れている時は、引き際の難しさは当然のごとく分かるのだが、釣れていない時も、

「もう少し待っていれば釣れるようになるかも」

 と思い、なかなかその場から立ち去ることができなくなってしまうかも知れない。

 どちらにしても、立ち去れない状況であるから、離れられない中で、いかに自分の精神状態を保てるかというのが難しくなる。

 特に気の短い人は難しいだろう。

 気の短い人間の方が、立ち去ることは難しいかも知れない。

「後で後悔したくない」

 という気持ちが先に立ち、急いて考えることが、結論になかなか行きつかない。結局その場を離れることができなくなってしまうのだ。

「釣りは短気な人ほど似合っている」

 というのも、そういうところから来ている発想なのではないだろうか。

 釣りに勤しむようになってから、確かに今までとは、少し考えが変わってきた。それでも相変わらず、発展性のない毎日を送っているのは、釣りと、普段の生活を、まったく別物として自分が考えているからである。

 ただ、それは当たり前のことで、趣味と仕事や生活を一緒にしてしまっては、どちらに対しても悪影響を及ぼす。本当であれば、相乗効果を狙わなければいけないはずなのに、どうしても、どちらも中途半端になってしまうことを恐れてしまう。発展性のない考えの元凶は、この恐れが一番の原因なのではないだろうか。

 趣味としての釣りは、時間を費やすにはちょうどいいものだった。仕事や生活に費やす時間は、

「流される」

 という気持ちが一番強い。しかし、趣味となると、流されるのは嫌で、どちらかというと、

「追いかける時間」

 でないといけないだろう。

 その日は、最初、時間に流されていたが、途中から、追いかける時間に変わった。

 だが、それは釣れるようになったから変わったのではない。老人の姿を見かけた時からだった。

「そういえば、老人に気付いてから、何となく釣れ始めるような感覚があった気がするな」

 と感じた。釣りをしていて、途中から急に釣れ始めるということは珍しく、最初から釣れない時は、場所を変えない限り、一気に釣れ始めたりすることはない。

 それなのに、弘樹は釣れなくても、すぐにその場所を離れようとはしない。理由としては、釣りを楽しむのは、何も釣れる釣れないだけに左右されていないということだ。面白いように釣れる時でも、何か物足りないと思うこともあった。なぜなのか分からないが、釣り糸を垂らして、動かない時間を楽しみたいと思っているのだ。

 釣り糸を見ていると、何も考えていないように思えるが、何かをいつも考えている。釣り糸を見ているのは、何も考えないでいい時間を作りたいからだったはずなのに、何かを考えていても、違和感がないのは不思議だった。

 考えていることが、深みに嵌ってしまうようなことであれば、考えたくないと思うのだろうが、そういうわけでもない。深みに入り込むというよりも、考えが放射線状に浮かび上がってくる感覚である。

 この日は、釣れても釣れなくても、本当はどちらでもよかった。しいて言えば、せっかく釣った魚を料理してくれるシステムになっているのだから、釣れた方がいいのは分かりきっていることだった。

 まるで、釣れるのを見届けにきたかのような老人の出現は、過去を思い出させるものだった。

 高校受験の日、それまで勉強したことをそのまま発揮できれば、かなりの確率で合格は間違いないだろうと言われていた。先生も、

「これくらいの成績なら、もう一つ上のランクの学校でも、いいかも知れないぞ」

 と、言われたが、

「いえ、ここでいいです」

 と、安全な高校を選択した。もし、合格できたとしても、ランクが上の学校であれば、まわりは自分よりも優秀な連中ばかり、そんな中で残っていくのは至難の業だと思ったからだ。

「何で、こんな簡単なこと、誰も分からないのだろう?」

 と、思ったが、それだけ先生も生徒のことよりも、どれだけいい学校に何人入学させるかを考えているのかと思うと、ウンザリだった。だが、逆に考えれば、不合格の可能性も高いのだ。合格率という観点から言うと、下がってしまうことは、いいことではないはずだ。

 生徒の意見を尊重して、安全パイの学校を選び、いよいよ受験の日となったのだが、その日の弘樹の体調は最悪だった。

 前の日から食欲がなく、ほとんど食事を摂っていない。しかも睡眠も中途半端で、意識が飛んでしまいそうなくらいになっていた。

「こんな状態で受験なんて」

 と思ったが、自分が選んだ安全パイ。普通であれば気楽にいけばいいはずなのだ。

 だが、安全パイほど、却って自分にプレッシャーを掛けることを、今さらながらに気が付いた。それも簡単なことだったはずなのに、どうして気付かなかったのか、あとの祭りだった。

 試験会場まで行きつくまでに、頭の中は余計なことばかり考えていた。

「もし、不合格になったらどうしよう? 先生やまわりに合わせる顔がない。きっと、まわりは、余裕を持ちすぎて、油断したんじゃないかって思うだろう。余裕が油断を呼ぶことだけは避けたかった。もっとも、余裕が油断を呼ぶことなど、自分には縁遠いことだとも思っていた。それなのに、どうしてこんなに緊張しているんだろう?」

 緊張はプレッシャーから来ているものだ。絶対大丈夫に近い状態で、自他ともに安心していたことに対し、いざ直面すると、自分の置かれた立場に対し、初めて対面したような気分になる。

 その時にプレッシャーを感じるのだが、プレッシャーが、緊張に変わるのは、すでに逃げられない状況に追い込まれていることに気付くからだ。

 体調は最悪だが、頭はまだ回っていた。それだけが救いだったが、試験会場に到着してから、それまで身体から吹き出すように出ていた汗が、急に引いてくるのを感じた。学校の正門をくぐる瞬間、誰かに見られているような気がして振り向くと、そこに一人の老人が立っていた。

 そう、さっきいたと感じた老人を、どこかで見たと思ったのは、高校受験の試験会場で見た人だったのだ。

 すぐに思い出せなかったのは、時間が経っていたからではない。それよりも、シチュエーションがあまりにも違いすぎていたからだ。あの時は、藁にもすがりたいような気持ちにさせたプレッシャーが引いていくのを感じながら、

「包み込まれているような感じがする」

 というイメージを持ったからだ。

 包み込まれている感覚を感じると、体調の悪さが抜けて来て、会場に入った自分がこれから挑戦することに、期待感すら抱かせたのだった。

 包み込んでいるものが、自分の意志を自由にさせてくれるものであったことが、幸いだった。

 包み込まれながら、身動きが取れると、包み込んでいるものが、正義に感じられる。自分が正義に守られているという感覚を持つと、少々の無理は、きつくないという感覚になるのだった。

 老人は、弘樹を見て微笑んでいる。その表情は、まさに恵比須顔だ。

「よし、これで大丈夫」

 と、その瞬間に思ったかどうか思い出せないが、教室に入る頃には、いつもの自信のある自分に戻っていた。

 弘樹は、自信過剰な方だった。まず自分に自信を持つことが大切で、実績はその後についてくるというのが、持論だったのだ。自信過剰を自惚れというのだろうが、自惚れの何が悪いというのか、

「自分に自信が持てなくて、人と話をしていても、説得力などないではないか」

 という考えだったのだ。

 受験という人生最初の大きなイベントの前に、普段の自信過剰なだけでは乗り越えられないものがあり、そのプレッシャーから解き放たれた時、さらなる自信を得ることができたのではないかと思うと、プレッシャーというのも、まんざら悪いことではないのかも知れない。

 老人を見たのは、その時だけではなかったように思うが、今までに何度か見たはずだ。老人が自分にとっての福の神であれば、出現回数にも制限があるのではないかと、疑ってしまう。

「ひょっとすると、いるのかも知れないが、見えないだけなのかも知れないな」

 それは、守護霊のような発想であった。ということは、その老人は、守護霊として自分にとって影響力の強い人物だったのかも知れない。

 弘樹は、守護霊という考えを信じている方だった。これは小学生の頃に守護霊の話を初めて聞いてから、ずっと変わらぬ思いであった。

 一つ疑問に思うのは、その人が老人だったのは、現れた姿が、死んだ時の姿そのままだという思いだった。死んでしまって、肉体は焼かれてしまうが、魂がどのような姿なのかというと、想像できるのは、死んだ時の姿だけだった。テレビなどの影響もあるのだろうが、それ以外に想像できないだろう。

 ただ、老人だというのも、まるで取ってつけたような発想である。見えたつもりでいて、本当は見えていないのかも知れない。見えたとすれば、その姿は老人である以外、考えられないからだ。

 だが、実際に見えたという意識があり、思い出そうとして思い出せる時があるのは、やはり見たという確信があるからだろう。中学の時に見た老人と、釣りの時に見た老人、まったく同じ人だったからだ。精神状態が、中学時代に遡ったからなのだろうか。

 大漁に気分よくして宿に帰ると、女将さんが待ち構えていた。

「大漁でしたでしょう?」

 いきなり弘樹の顔を見るなり、ニコニコしている。

 弘樹はビックリした。他の日と違って、その日は大漁でも、どこか喜べない気分だったからだ。

 喜べないというより、感情がなかったと言った方がいいかも知れない。受験の時もそうだったのだが、老人を見た時の弘樹は、顔に感情が出ていないようだった。その時は人に言われて初めて意識したが、今回はそのことを思い出し、鏡を見てみると、確かに無表情だった。

 それなのに、女将さんの口からは、大漁という言葉が出てきた。今回は、自分が鏡で見た顔と、他の人が見た顔とでは、まったく違った表情になっているということだろうか? 

そうであるとすれば、女将さんの見た顔の方が信憑性がある。自分自身の中には、思い込みがあり、しかも以前に同じシチュエーションで無表情だったという意識が、自分の中にあるのだ。

「どうして分かったの?」

 などと聞くのは愚問だった。答えは決まっているからだ。ニコニコ微笑む女将さんの表情が、そのことを物語っていた。

「今日は、腕を振るうのが楽しみですわ」

 女将さんの表情が緩みっぱなしだった。

 女将さんに、クーラーボックスを手渡し、重たい荷を下ろしたような気分になっていると、その瞬間に、弘樹も、何かのタガが外れたかのように、笑顔になっていく自分を感じていた。肩にずっしりと重たくのしかかっていたものが、気持ちを抑える役目をしていたのだろう。

「とりあえず、温泉に浸かってきますね」

 まずは、潮でベタベタになった身体を、軽くしたかった。潮風が苦手なのは、身体にへばりつく湿気と、身体に纏わりつくことでの、気だるさからくるものだった。気だるさは、身体を重くし、身動きをまともに取れなくするのだ。同じ包み込まれたような感覚でも、高校受験の時に感じた自由に動ける包み込みとはまったく違ったものだったのだ。

「それがいいわね。相当お疲れになっているのが見えますからね」

 疲れている感覚は、本当はなかった。気だるさのために、なかなか身体を動かすことのできないもどかしさは感じていたが、疲れとまでは行っていない。何と言っても、魚が釣れたことで、疲れはその時からなかったようなものである。

 女将さんが疲れているように見えたということは、それだけ潮風の影響が深かったのだろう。身体の気だるさは、自分が思っているよりも表に出ていて、疲れに見せていたのである。

 ここの温泉は、潮風を癒してくれるにはちょうどよかった。さすがに海に近いせいか、温泉の成分には、塩分は少々含まれている。逆にそれが、潮風を癒してくれているのではないかと思うほどだった。

 露天風呂からは、大海原を見ることができる。後ろを振り向くと、崖が張り出していて、いかにも秘境を思わせる。秘境と言われるところでは、何も考えないようにしていた。考えることがまるで罪のように思うからだ。

 自然に抱かれるのは、包み込まれているのと同じ感覚で、余計なことを考えなくても、自然に何かを考えるようになる。気が付けば、癒された気持ちになっていて、その時に考えていたことが、遠い昔の思い出だったように思えるのだ。

「思い出すことのできない思い出」

 誰にでも一つや二つはあるだろう。デジャブと言われるものも、同じ感覚なのかも知れない。

 その日は、温泉に結構長い時間浸かっていたような気がする。

 元々、貧血気味の弘樹は、長湯は苦手だった。

 短気な性格ゆえ、血の気が多い。血の気が多いのは、血液が足りていないからではないかと思っていた。

「血の巡りが悪いから、その分、頭が働かない。そのために、思っているほど、閃きがないため、イライラして、気が短くなるんだ」

 と、自覚していた。

 そこまで分かっていても、どうすることもできない。だから、気が短いことを自覚できるのだ。

 意外と気が短い人間は、自分のことを自覚できているのかも知れない。それだけに、自分に対しての苛立ちは、他の人が見ているよりも強いもので、

「いきなり何を言い出すのかって、思ったりしますよ」

 今までも、温泉に浸かっている間は、自宅での風呂に浸かっている時間に比べて、長いものだった。温泉というと、身体の芯から暖かさがこみ上げてくるものであろうから、あまり長湯は感心できないが、弘樹には、長湯がよかった。

 慣れるまで、最初の頃は、のぼせたりしていたが、それでも、浸かっていると、のぼせても悪い気はしなかった。なぜなら、温泉というのは、のぼせるのも早ければ、湯あたりしても、元に戻るのも早かった。

 しかも、湯あたりが、そのうちに悪いことではないように思えてきたからだ。

 最初は、吐き気を催していたが、三回目くらいから、吐き気はなくなり、その代わり、普段感じないものを感じるようになっていた。それは、想像だったり妄想だったりするのだが、普段から発展性のない自分にもそんな妄想ができるのかと思えるほどのものだった。

「これを小説にでもすれば、売れるかも知れないな」

 などと、思わず苦笑いしたりしたが、いかんせん、そんな欲を持ってしまうと、妄想というのは、記憶から消えてしまうようだった。小説にして、売ろうなどという発想は、無駄に終わってしまったのだ。

「俺にとっての発展性のなさは、ここから来るのかも知れないな」

 つまりは、発展性のなさというのは、

「出る杭は打たれる」

 という言葉に近いものがあった。

 ちょっと欲を掻いて、何かを求めようとすると、そこから先にはいけないようになっているのだ。自分が悪いのか、それともそういう性分なのか分からないが、誰も恨むわけにはいかない。だから、

「俺は発展性のない人間なんだ」

 と言って、諦めるというよりも、楽をしようと考えたとしても、それは無理のないことなのかも知れない。

 発展性を持つことは、誰にでも与えられた権利のようなものだと、皆思っているかも知れない。だが、それは大間違いだ。発展性を持つことができる人たちが考えていることであって、発展性を持てる人間がほとんどなので、誰もが、持てると思ったら大間違いだ。それこそ、持てる人間のエゴではないかと思えた。

 世の中、多数が勝つようにできている。公平に見えるが、これほど不公平なことはないだろう。しかも、少数派のことは誰にも分からない。いや、分かろうとしないからで、それは多数が正義だと思わせるような風習や教育の産物と言ってもいいだろう。

「負の産物」

 そのために犠牲になる人もいるが、弘樹は、最近まで、それを犠牲だとは思わなかった。すべてが、仕方のないことだと思うことで、自分を納得させてきた。いや、納得させることが自然であり、そうせざるおえない世の中になっているからだ。

 弘樹にとって温泉は、自分へのご褒美であり、癒しであった。

 意識していないとはいえ、世の中の理不尽は嫌というほど味わっている。発展性のないことが、自分への理不尽を引き寄せていることにも気付かなかった。

 理不尽なことに対しては、それなりにストレスも、辛さもため込んでいた。発散させなければならないが、その術を知らない。今まで、その時々で発散させてきたつもりだったが、時には人を巻き込んで、後味の悪い思いをしたこともあった。その都度、友達を失うことにもなり、開き直ることでしか、ストレスを発散できなかった。それが若かりし頃の自分だったと思うと、

「人生をやり直したいと言っている人もいるが、俺はそんなことは思わない」

 と、感じるのだ。

 根本が治らないのに、一体どうしてやり直せるというのだ。しかも、やり直す地点が重要なのに、間違えると、却って、もっと悪い結果が待っているかも知れない。それを考えずに、人生をやり直したいなどと、軽々しく言える連中は、今の自分をおおむね満足している連中ではないだろうか。どっちに転んでも、人生悪くなることはないという考えである。羨ましいが、自分にはそんな考えを持つことはできないと感じる弘樹であった、

 温泉の効用にはいろいろあるが、最近では、効用についてはあまり気にしなくなった。どんな効用であっても、自分の本当の意味での効用は、探しえないはずだからである。

 弘樹が、寂しさを感じるようになるとしたら、どんな時であろうか?

 寂しさが、心の奥から滲みだしてくるものなのか、それとも、表から与えられるものなのかも分からない。与えられるという言い方もおかしいが、味わったことのない弘樹にとっては、味わえるものがどんなものか分からないのに、与えられるものなのか、押し付けられるものなのかの判断もつかなかった。

 ただ、寂しさは、そんな一刀両断に測れるものではないのではないかとも思っている。身体の中から滲みだすものだという思いの方が最初は強かった。なぜなら、人が寂しそうにしているのは分かるのに、自分が寂しさから辛さを感じることがないからだ。寂しさという感覚が他人に見える寂しさと、自分の中に感じる寂しさでは差がある。きっと、自分の中から滲み出てくるものの中に、何か足りないものがあるからだろう。

 だが、最近では、まわりからの影響が、寂しさには含まれていることに気が付いた。それは、自分が寂しさを甘んじて受け入れようと感じた時、自分に対して興味を持ってくれた人間以外をまったく排除してしまったことから、まわりに対して自分を閉ざしてしまったことで、分からなくなったのだろう、

 確かに今までに自分に対して興味を持ってくれた人もいた。珍しいものが好きな人というのは中にはいるもので、ただの興味本位で近づいてきた人も少なくなかった。だが、閉ざしている自分の気持ちをこじ開けるほどの力があるわけでもなく、ただの興味本位の人間に、そこまでしようと思う人間がいるはずもない。

 結局は、

「あの人はただの変わり者」

 というレッテルを勝手に貼って、弘樹も、それに対して別に文句をいうこともない。

「またか」

 と、思って、それだけのことだった。

 近づいてくる人を無下に遠ざけることはしない。だから、最初の印象は、相手から見て、それほど悪いものではないはずだ。ただ、興味本位の軽い気持ちで、閉ざした心を見てしまうと、そこから先の進展はないのだ。

 相手があることに対しての発展性のなさも、弘樹にとっては、今始まったことではないのだった。

 ただ、釣りを始めてからの弘樹の中で、少しずつ変わっていったものがある。それは、余裕という言葉で言い表すことができるだろう。

「釣りというのは、気の短い人の方が似合うんだ」

 という言葉は、今から思えば、弘樹にとって、目からウロコが落ちた瞬間だった。

 釣りをすることで、温泉宿に一人で泊まる口実もできる。弘樹にとって、温泉宿に一人で泊まることに理由や口実などいらないが、

「それでも、何か熱中できるものと一緒に温泉に浸かることができれば最高ではないか」

 と思うようになったことが、余裕を持てるようになった一番最初のきっかけだったのだと思っている。

 おかげで今は、温泉の常宿が、だいぶ増えた。それぞれに趣きがあるが、今回泊まりに来ている温泉が、一番多い。

「なぜ?」

 と聞かれると、ハッキリと答えることはできないが、何か予感めいたものがあるというのが本音だった。今まで考えたことのない発展性を感じるのであって、発展性は妄想から繋がっているのだが、妄想が現実のものになりそうな気分など、今までにはなかった。それは、発想が割り切っているからだと言えなくもないが、それだけではないだろう。

 いろいろなことを考えながら、温泉に浸かることも最近になってからだった。

 最初は温泉に浸かっても、何も頭の中に思い浮かぶことはなかった。ただ。普段から何か分からないが、モヤモヤしたものが頭の中にあることだけは自覚していたのに、それがハッキリしないことで、ストレスが溜まっていた原因だったのかも知れない。温泉に入っても、そのモヤモヤが解消されるわけではなく、むしろ、目の前に湧き上がる真っ白い湯気に集中しているうちに、のぼせてしまいそうになることもあったくらいだ。

 それでも、のぼせずにいられたのは、自分の中で、制御できるものがあるからだ。温泉に来ての最初の収穫は、制御できるものを自分の中で持っていることを発見したことだった。

 その日の月は、三日月だったが、弘樹は三日月が好きだった。満月も悪くはないが、三日月に研ぎ澄まされた潔さを感じる。真ん中で切って、左右対称な形も好きだし、何よりも、潔さというキーワードが、三日月には感じられるのだ。

 満月でもなく、半月でもない。鋭利な部分を持っていながら、丸みを帯びた部分に大きさを感じる。見た目よりも大きく感じると言った方がいい。

 さらにしなりを帯びたものには、さらなる隠された力を感じるのだ。弓にしてもしなりがあるからこそ、爆発的な力が出るのである。太古から、弓矢を武器に徴用し、今でも、武器にあらずとも、スポーツとして色褪せることなく続いてきている。時代がいかに変わろうとも、しなりを持ったものは、未来永劫へとその力を保ち続けることができるのだと弘樹は感じていた。

 三日月に、湯気が掛かって、湿気を感じるが、湿気によってさらに研ぎ澄まされた三日月は、潔さが倍増する。

 潔さという発想は、バッサリと切ってしまった後でも、刃こぼれすることもなく、威風堂々とした姿、それでいて、切られたものに対して、絶えず、空から見守っている暖かさを含んでいることから感じるものだった。

 たぶん、他の人は三日月に対し、研ぎ澄まされた本能までは感じるだろうが、その先の暖かさや、刃こぼれまでは感じないだろう。それだけでは潔さを感じることはできない。他の人に感じることができないものを、自分だけが感じることができるというのは、これほどの感情などないというものだ。

 弘樹がそろそろ上がろうかと思ったのは、三日月を包んでいた湯気が深くなり、湯気で三日月が見えなくなりそうになったからだった。気持ちよく浸かっている温泉から出ようと思うには、何かきっかけを必要とするのも、弘樹ならでは、なのかも知れない。

 それまでは、湯あたりしないようになっていた。最初に湯あたりしたのは、何も分からず、出るきっかけを掴むこともできずにそのままいたからだ。

「気を付けないといけないな」

 と思ったが、きっかけが必要であることにいつ気づいたのか分からないが、気を付けようと思った時に、きっかけは訪れてくれたものだった。

 満月に委ねられながら、温泉を出ると、一気に身体に溜まった暖かさが、一点に集中してくるようだった。

――下半身が無性に熱い――

 この時、血行の良さが、頂点に達したことに気付くと、今が一番性欲の強い時間であることに気が付いた。

――女を抱きたい――

 本能は、身体の一点に集中している熱さに耐えられなくなっていく。今までどうやって抑えることができていたのか、その時は分からずに、むずがゆい感覚に、身体が反応しっぱなしで、どうしようもなくなっていた。

「一体、どうしたら?」

 と感じたが、とりあえず、脱衣場で座り込んで、収まるのを待つしかなかった。

 この瞬間が、身体は一番辛いのかも知れないが、辛さだけで抑えが利かないわけではないように思えた。もし、目の前に女がいたら、理性を抑えることができるのかという疑問と、自分の中で葛藤しているに違いない。

 しばらく意識が朦朧としたまま、その場に倒れこむこともなく、正面を見ていたが、実は何も見えていなかった。意識が前にあるだけで、目の前に張られた放射線状の糸は真っ赤で、目が慣れてくると、今度はまわりの光が失せてくるように感じられ、夜なのでただでさえ見えない状態なのに、さらに見えない以上、下手に動かない方がいいに決まっている。

 それでも、目が見えるようになると、少し楽になったが、その後に襲ってくるものを考えると、一刻も早く部屋に戻り、薬を飲みたかった。

 襲ってくるもの。それは、頭痛だった。

 最近では、あまりなくなってきた頭痛だが、環境が変わったりすると、たまに起きることがある。旅行もその一つで、特に成長期などの、中学、高校時代では頻繁に起こっていた。

「そういえば、修学旅行でも、途中で熱を出したっけ」

 そう思うと、確かに頭痛がする時は、旅行の時などにあった。ただ、それは自分だけに限ったことではなく、友達も数人、旅行中に体調を崩したりしたものだ。

「きっと、特異体質ではありながら、一人だけではなく、団体の中には数人、そんな体質の人がいるのかも知れないね」

「特異体質というよりも、少数派体質とでも言えばいいのかな?」

 と苦笑いをしていたやつがいたが、彼はこの症状が長く続かないことを知っていた。頭痛薬を飲めば楽になれるし、成長しきってしまうと、頭痛もなくなるのだと言っていたが、それは口から出まかせだと思っていた。

 だが、実際には口から出まかせではなく、人から聞いた話らしい。だからこそ、信憑性を信じていたようだし、その人も、同じような体質で、やはり誰か先輩から聞いて、長続きしないことを悟ったことで、かなり気が楽になったようだ。

 部屋に帰って、頭痛薬を飲んだ。痛みが来る前の頭痛薬なので、痛みが来なかった場合、本当に頭痛薬が効いたのかが分からない。だが、常備薬として持っている薬なので、さほどきついものではない。とりあえず数十分ほど横になっていれば、おのずと結果が出るものだ。

 頭痛がしてくるかも知れないと思って、構えていると、スーッと身体の力が抜けてくる。そんな時は、頭痛がしてくることもないはずだ。

「今日は大丈夫だ」

 と、思って起き上がった。

 起き上がった身体は、一瞬宙に浮いたかのように軽くなった。まるで下りのエレベーターに乗ったかのようである。

 身体の中に暖かいものを感じるが、温泉で感じた暖かさとはまた違っている。きっと先ほど飲んだ薬が効いているのではないかと思うのだが、その後に襲ってくるのは、喉の渇きだった。

「ロビーまで行けば、自動販売機があったな」

 部屋にあるお茶では、この喉の渇きは補うことはできない。小さめのペットボトルの飲料くらいがなければ、補えないだろう。

 スポーツドリンクを買って、少し口に含む。先ほどまで熱かった身体が、スーッと冷えてくるのを感じた。さっきまでは感じなかった汗が滲んでいるのを感じる。少し気持ち悪さもあったが、それでも吹き込んでくる風が、それほど寒いわけではないので、暖かさが、再度こみ上げてきそうなほどであった。

 時間的にはまだ午後九時過ぎくらい。都会であれば、まだまだ宵の口と言える時間であるが、ここでは、深夜のような静けさだ。漁村なので、朝が早い。すでに誰もが寝静まっている状態だと思っても、今度は弘樹に睡魔が襲ってこない。こんな時は、夜更かしと決め込んでいるのだが、一人で何をすればいいというのか、薄暗いロビーのソファーに腰かけて、表からかすかにこぼれてくる明かりを感じていると、まるで、人魂でも飛んでいるのではないかと思うほど、薄気味悪いものであった。

 薄気味悪い状態ではあるが、座っていると今度は腰を上げる気分になかなかならない。このまま立ち上がることを戸惑っているのだ。

 数分は、そこにいただろうか、部屋に帰ってテレビでも見ようと考えたが、寝静まった中で誰もいないと思っていたが、スリッパの音が、規則的な音を立てているのが聞こえた。歩いているにしては、あまりにもゆっくりで、ただ、確実に近づいてきていのが感じられたのだ。

「誰かいるのか?」

 思わず声を掛けると、

「……」

 一瞬、フッと溜息のようなものが聞こえたかと思うと、そこから、湿気のようなものを感じたのは、その溜息が女性だったからだ。濡れた声は、思ったよりも、静かに広く響いていた。

「脅かして、すまない」

 相手からの返事を待っていたが、息遣いが聞こえるだけで、どうやら、声を出すことができないようだ。

 それとも、こちらがどういう人間なのか分からないので、次の言葉が出てこないのか、どちらにしても、脅かしてしまったことには、変わりない。

「いいえ、大丈夫ですよ。ただ、こんな暗闇の中に、人がいるなんて、ちょっとビックリしてしまったから」

 と、彼女がそう言ったが、それはお互い様である。同じように暗いところに一人佇んでいると思ったところに、もう一人いた。しかも、弘樹がここに来て、しばし経つのに、その間に誰かが来た気配を感じなかったということは、彼女はそれ以前からいたことになる。ということは、おたがいに、かなりの間、誰もいないと思って、この場所にいたのだ。お互いにその間、相手の気配を感じなかったというのは、考えてみれば、すごいことではないだろうか。

「この場所にこうやって座っていると、何となく落ち着くんですよ」

 弘樹は、お互いに気配を感じなかったという疑問には触れず、差し障りのない会話から入った。

「そうですね。私もそうなんですよ、ここにいて座っていると、いろいろなことを考えます。でも、ここだったら、嫌なことを考えなくてもいいんです。私は考え事をしてしまうと、悪い方に考えてしまうくせがあるみたいだからですね」

 弘樹も、考え事を始めると、悪い方にばかり考えてしまう。ただ、悪い方に考えてしまうと、考えていたことを忘れてしまうことが多く、それがいいことなのか悪いことなのか考えあぐねていた。そもそも悪いことを考えるから、余計なことを考えないといけないのであって、最初からいいことばかり考えられる性格であれば、どんなによかったかと思うのだ。

「僕もそれは同じですね。ここにいると、確かに嫌なことは考えないで済む。やっぱり、普段と環境が違うと、考えることも変わってくるんでしょうね」

「ここの場合は特に違うようなんです。私にとっては、匂いや湿気が、そう感じさせるのかも知れませんね」

 弘樹は、その言葉の意味が分からなかった。同じような感じ方をするこの場所ではあるが、彼女のいうような匂いや湿気に、何かいい方に考えられるようなものがあるとは思えない。匂いを感じることはあっても、それは、温泉の匂いだし、湿気も潮風を若干含んだ湿気なので、むしろ弘樹は苦手な方だった。

「これって、多分男性には分からないことだと思います。直接、女性ホルモンに刺激を与えるもののようですからね」

 なるほど、女性ホルモンに刺激を与えるものであれば、男性の弘樹に分かるものではない。

「何か、いいことを感じることができましたか?」

「そうですね。最初、ここで感じたのは、以前にどこかで会ったことがある人に、再会できるようなイメージがあったんですよ。私がここでイメージしたことって、結構当たるんですよ」

「ひょっとして、僕だったりしてですね」

 思わず苦笑した。

 その苦笑は彼女に対してではなく、自分に対してだ。

 普段から発展性がなく、一人でいるという孤独を感じながら生きてきた自分に、誰かと再会というほどの人と知り合ったことなど、あるだろうか。しかも、こんな辺鄙なところで、誰が来ると言うのだろう。弘樹は自分の性格に対して、思わず笑ってしまいたくなっていたのだ。

「何かおかしいですか?」

「あ、いえ。そういうわけではないですよ」

 どうやら、途中から、苦笑いが、本当の笑いに変わってしまっていたようだ。

 声に出して、笑っている自分を感じると、暗闇に目が慣れてきたはずだったのに、また、真っ暗に感じられるようになってきた。

 彼女の方を見てみると、目がどこにあるかというのと、時々口を開いているのか、白い歯が見えているような感じがした。こんなに真っ暗では、本当に気持ち悪いとしか言いようがない。

「温泉はいかがでしたか?」

「私は、ここには何度か来ているので、だいぶ分かってきた気がしますが、言葉では言い表せにくいですが、来るたびに、何か新しい発見ができるような気がして仕方はないんですよ」

「新しい発見ですか?」

「そうですね。僕は釣りを主にしに来るんですけど、釣りをしていると、それ以外のことは頭に入らなくなる。ただ、それだけだったはずなのに、最近では、気が付くと、何かを考えている自分がいるんですよ」

「それはいいことを考えているんですか?」

「いいことだけでしか、考えられなくなっています。何かを考えるということが、こんなに楽しいなんて、初めて感じるようになりました」

「それはいいことですよね。私も、ここに来るようになってから、今まであまり何も考えていなかった自分が不思議に思うくらいになりましたからね」

「あなたも、釣りをするんですか?」

「はい、一度だけ、以前に釣りをしたことがあります。でも、すぐにやめてしまったのですが、今度する時は、ゆっくりとしてみたいと思っていました」

「どうですか? 明日ご一緒しませんか?」

 思わず声を掛けてしまったが、彼女が自分の誘いに乗ってくる可能性は、五分五分だと思った。

 彼女は少し考えているようだった。

――望み薄かな?

 もし、一緒に釣りをする五十パーセントの方であれば、即答だと思っていたので、迷えば迷うほど、可能性が低くなると思えたのだ。

 これは、考え方が、減算法に基づいているからではないだろうか。即答なら百だが、少しでも迷いが生じてくると、次第に確率が低くなってくる。元々半々からの確率だと思っていただけに、少しずつ低くなってくると言っても、ないに等しいくらいではないだろうか。

 だが、彼女は、顔を上げると、

「いいですね。お付き合いしたいです」

 と、喜ばしい答えを返してくれた。

「では、明日は早朝からになりますが、大丈夫ですか?」

「ええ、そろそろ眠たくなってきたと思っていたので、早く起きる分には問題ないと思います。朝食前に一仕事と言ったところでしょうか?」

 彼女の気が変わらないうちにと思って、早朝と言った。時間的には都会では宵の口なのに、確かにここにいると、この時間でも眠くなってくる。時間というのは、感覚には勝てないものなのかも知れない。

 今から寝ると、四時前には目が覚めそうだ。まだ、真っ暗な状態だが、漁師にとっては仕事始めの時間。

「ゆっくりと、眠れましたか?」

 ロビーに現れた彼女の顔が今度はハッキリと分かった。最初は一人だと思っていたので、電気を付けなかったが、今度は相手がくるのが分かっているので、最初から電気をつけておいた。

 電気に照らされた顔を見ていると、目鼻立ちもクッキリとした女性で、吸い込まれそうな錯覚を覚える気がした。彼女は思ったよりもしっかりとした目で、弘樹を見つめた。

「どこかでお会いしたこと、ありませんでしたか?」

 彼女が、穴が空くほどの視線でこちらを見つめたのは、どこかで見たことのある人だと思ったからなのかも知れない。

「僕には記憶にないんだけど、本当に僕でした?」

「あまり人の顔を覚えるのは得意ではないんですが、確かに会ったことがあるような気がするんです」

「実は、僕も人の顔を覚えるのは、とても苦手なんですよ。特に、この人は覚えていたいなんて思うと余計に意識してしまって、他の人の顔を見ると、その人と印象がダブってしまうんでしょうね。覚えることができないんです」

 覚えることができない理由まで、頭の中で用意してしまうと、本当に覚えられなくなってしまった。逃げ道を用意しているようでおかしな話であるが、考えてみれば、確かに、否定的な理由を用意してしまっているのは、それだけ自分に自信がないからである。

「私は、見たことがあると思えば、次第に思い出していくタイプのようなんですが、今はまったくどこで会ったのかも思い出せないですが、そのうちにいろいろと思い出せるようになるかも知れないと思っています」

 彼女の性格が少しずつだが、分かってきたように思えた。

 ゆっくりだが、確実なタイプの性格。どちらかというと、弘樹とは違ったタイプなのかも知れない。弘樹はあまり発展性のない性格ではあるくせに、何事もすぐに結論を求めてしまうところがある、いわゆる、「慌て者」なところがあるのだった。

 慌ててしまって、焦ることで、思ったような成果が現れない。まわりからは、そのことで、認められず、いくら努力しても報われないという思いに至っていたのは事実のようであった。

 慌てても、何もいいことがないのは分かっているつもりだったのに、冷静になれないのは、子供の頃からだった。

 小学校の頃、何が嫌いだったかといって、国語ほど嫌いなものはなかった。テストでも、文章を読まないと答えに辿り着けないことに、イライラしてしまって、ついつい問題もまともに読まずに答えを見出そうとした。

 中学に入って、本を読むようにはなったが、気が付けば途中の文章は、ほとんどまともに読まずに、セリフのところだけを見て、ストーリーを勝手に作り上げていた。本を読んでも面白いわけでもないのに、どうして本を読んだりしていたのだろうか? 実は今でも弘樹にとっては謎であったのだ。

 大学生になる頃には、だいぶ落ち着いてきた。文章もまともに読むようになったが、今度は、人の考えを読むのが苦手になっていた。

「子供の頃には、分かっていた人の考えが、今では分からなくなってしまったかのようなんだよ」

 と、友達に話したことがあったが、

「それは、焦って見ていることが、お前の本当の性格だったのかも知れないな。まわりが何と言おうとも、それがお前の真実であるなら、それを徹底して自分で貫けばいいんだ。それができなくなったから、分かっていたものが分からなくなってしまったんじゃないかな?」

 と言われた。目からウロコが落ちたような気がしたが、それでも半分納得がいかない。あまりにも突飛な発想だったからだ。だが、友達の言葉には説得力を感じる。確かにそうなのかも知れない。

 ゆっくりで確実な性格は。

「石橋を叩いて渡る」

 そんな性格であるが、叩いても渡らないわけではなかった。叩いても渡らない性格であれば、ただの頑固者と捉えられるかも知れない。中には、自分が見たモノ、触れたモノ以外には信じられないという人もいるが、弘樹は、そんな性格は嫌いではない。嫌いではないが、自分にはなれない性格だと思う。自分になれない性格の人に対して、羨ましいと感じる時と、自分とは、生きる道が違うんだと思う時とに分かれてしまう。まったく正反対のように思うが、結局は羨ましいと思うから、道が違うと思うのだし、道が違うから、羨ましいと思うのだ。正反対の性格だと言っても、紙一重のところでの違いが、受ける人によって、感じ方が違うということになるのかも知れない。

 頑固だと言われる人も、弘樹が見れば羨ましく思えてくる。自分と違う性格の人を羨ましいと思う習性があるとすれば、弘樹はまわりの誰もが羨ましく感じられるのだ。

――まわりの人が、皆自分よりも優れているように見える――

 と、いつも思っている。それはきっと、まわり皆を羨ましく思っているからなのかも知れない。

 弘樹にとって、頑固な人は嫌いではないが、話をしていて、衝突が免れないように思える。きっと口論になるだろう。口論になってしまえば、心にもないことを罵ってしまわないとも限らないと思うと、なるべく争いは避けたいと思うのだ。

 頑固な相手は、一歩も引くことはないはずだ。そうなれば、弘樹が引かないと、収拾がつかなくなる。

 弘樹にも一歩も引く気がないことは自分でも分かる。

――それなのに、頑固ではないと言いきれるのか?

 頑固ではないと、ずっと思っている根拠はどこにあるというのだろう。根拠などあるはずはない。いつも自分のことを客観的に見ている自分がいて、その自分は、かなり贔屓目に見ていることが分かる。贔屓目に見ていると、間違っても悪い性格には感じないようにしようとするに違いない。

 客観的に自分を見るということは、贔屓目に見ることの言い訳のようだ。言い訳と、贔屓目に見ることとでは、相乗効果があるようだ。贔屓目に見ていると、自分が言い訳をしていることを忘れさせてくれる。逆に、言い訳をしていると、贔屓目に見ているのを、他人に分かってしまうが、言い訳をしているようには、思われないので、下手をすると、いい方向に見えてしまうこともあるだろう。

 どちらにしても、負の要素を掛けあわせれば、正になるということなのかも知れない。

 彼女の本質は、頑固なのではないかと、弘樹は思った。

「女性が頑固であれば、救いようがない」

 と、言っていた奴がいたが、負の要素が掛け合わさって正の要素を含んでくるという考え方を正しいとするならば、彼女の頑固さには、可愛げが見いだせるのではないかと思えた。

 ゆっくりと考えて頑固なのであれば、それは本当に真実なのかも知れない。

 一般的なことすべてが正しいなどということは、決して言えることではない。中には理不尽なこともたくさんある。頑固なことが必ずしもいいというわけではないが、流されないことが真実だと思うことが強さを呼ぶ。

「頑固は強さの象徴である」

 と、言っていた人がいたが、確かにその通りだろう。

 頑固な人は、自分のことを頑固だとは思っていない。強いと思っているはずだ。それも言葉の違いは紙一重で、本人が感じていることと、まわりが感じていることは、さほど違いはない。ただ、客観的に自分を見ているか、あるいは、まわりからの目で見ているかの違いだけではないだろうか。

 彼女を見ていると、自分に強さというものが欠けていたことを思い出させた。客観的に見て、中途半端な性格に見える自分を見出したのは、彼女の雰囲気からだった。もっとも、このことに気付くまでには、しばらく付き合う必要があったからで、彼女と付き合ってみたいと思ったのは、意外と早い時期だったのは覚えているが、この時だったというのを思い出すまでにかなりの時間が掛かった。

 釣りに出かけた時の彼女の目は、好奇に満ちていた。

 弘樹を見る目もそうだったし、釣り糸の先を見る目も、横からだったが、ハッキリ輝いているのが見えた。彼女は横から見ていても表情が分かるのではないかと思うほどで、今までに横顔だけでそんな判断をした人がいたような気がしたが、思い出せなかった。その時は、それだけ彼女に対して集中していたのであろうし、目が離せない相手であると、感じていた証拠であった。

 彼女は、弘樹に見覚えがあると言った。もし見覚えがあったとすれば、それはいつのことだったのだろう。

 当の弘樹には見覚えはない。ただ、彼女が見たと言っているのであれば、その通りなのだろう。それだけ人の顔を覚えることが苦手であることを思い知らされた弘樹だった。

 その日の釣りは、可もなく不可もなくで、まったく釣れなかったわけではないが、成果があったというわけでもない。

 それでも初めて釣りというものに、興味を持って見た人にとっては、それなりに面白いものに映ったようである。

「なかなか面白そうでしたわね。私にもできるかしら?」

 その日も一緒に釣り糸を垂れてみようと話をしたのだが、

「足手まといにならないように、まずは見ているだけにします」

 と、言って笑っていた。

 途中で退屈するかと思っていたが、最後まで興味を持って見ていた。

 ゆっくり確実に落ち着いた性格を持った彼女が短気だとは思えないが、釣りに対して興味を持ったところを見ると、短気な部分も隠し持っているのかも知れない。

 短気な人は、弘樹が知っているかぎり、三種類に分かれる。一つは、なるべく短気であることを知られたくないと思う人と、隠そうとしても、隠しきれない人にであった。中には、短気なことを隠そうともしない人がいるが、どちらに近いのだろうと考えたことがあった。隠す気がない人というのは、本当は短気ではないのかも知れない。短気に見えるが、冷静沈着な面を持っていて、人に対して自分が短気であるということを示すことに、何らかの計算を含んでいるのかも知れない。計算高い人だと言えよう。

 彼女にも計算高いイメージが感じないので、短気だとは思えない。やはり贔屓目なのか、自分をことを知っていると聞かされただけで、若干贔屓目に見えてしまうのも、仕方のないことだろう。

「釣りって、面白いと思います?」

「ええ、自分では、まだそこまでは思いませんが、釣りを楽しいと思っている人の気持ちは何となく分かった気がします。」

「逆じゃないんですか?」

「私の場合は違うみたいですね。人が感じたことが最初で、自分はその次になってしまうんですよ」

「そういえば、お名前、伺っていませんでしたね。僕は野村弘樹と言います。年齢は、もう中年ですけどね」

 と言って、苦笑いをした。

「私は、山村琴音と言います。二十代後半ですね」

「女性がお一人でご旅行というのは、珍しくないように思いましたが、もっとガイドブックにでも載っているような素敵なところに行かれるものだと思っていましたので、意外ですね」

「そんなことはありませんよ。友達と一緒の時は、ガイドブックに載っているようなところにも行きますし、流行を追いかけたりもします。でも、一人になりたい時ってあるもので、そんな時は、一人で、ガイドブックにも載っていないところに出かけることも多かったりしますね」

「ここは、初めてなんですか?」

「いえ、何度かありますよ。二、三泊することが多いんですけど、何も考えずに本を読んだり、温泉に浸かったりする時間を持ちたいと思っているんです」

 顔立ちのクッキリとした美人を思わせるが、美人が言えば何でもありに思えてくるから不思議だ。琴音の言い方を聞いていれば、確かに琴音くらいであれば、ここに一人でいても絵になるように思えた。部屋の縁側にある安楽椅子に腰かけて、湯上りに浴衣姿で、本を読んでいる姿を思い浮かべるだけで、ホッとした気分にさせられる。浮いているように感じながら、浮いて見えないという矛盾した考えが、普通にイメージできるのが、琴音だったのだ。

 聞いていいのか悪いのか、気にはなったが、それ以上に自分が気にしていることを聞かないと気が済まない性格であることには勝てなかった。

「お付き合いされている方はおられないんですか?」

「ええ、今はいません。この間まではいたんですが、どうもお互いに性格が合わないことにお互い気付いたんですね。どちらからともなく別れました」

 お互いにまったく同じ時期に別れを思い立つわけでもない。必ずどちらかは傷ついたことになるだろう。

――どちらも気づいているかも知れないな――

 と思えた。

 ただ、自分が苦しんでいるとすれば、相手は苦しんでなどいないと思いがちの考え方だが、実際には大きな間違いなのかも知れない。

 自分が苦しんでいるのが、相手から苦しめられているからで、苦しめている相手は、自分が苦しんでいないからだと思えてならなかった。だから、自分を苦しめている相手に対しての復讐にも近い思いを抱くのだった。

「復讐を企てているような人が、自分でも苦しんでいる姿を復讐の当事者に見せるかどうかは、その人の性格によるのかも知れないな」

 と思っていた。

「俺はこれだけ苦しんでいるんだから、復讐を企てることは悪いことではないんだ」

 という思い、

「相手に復讐している自分が、相手よりも苦しい思いをしているのでは、埒が明かない」

 という思いと、それぞれである。

 琴音はどちらなのだろう?

 復讐を企ているような、そんな気性の荒い女には見えない。だが、一人を好み、寂しい温泉に浸かりにくるような女性は、どこか変わった要素を持っていてしかるべきだと思った。

 性格の不一致という言葉は、実に都合のいいものだ。

 弘樹も同じように以前付き合っていた女性から、

「性格の不一致」

 を理由に別れることになったが、この時は、明らかに相手からの一方的なものだった。

 弘樹も、言いたいことはあったのだが、性格の不一致という一言で片づけられてしまうと、何も言えなくなってしまったのだ。

――性格の不一致って、何なんだ――

 と、言いたかった。

 相手が勝手に思い込んだ性格の不一致、相手が言うなら、こちらも言いたい。

「勝手なこと言いやがって」

 という言葉を飲み込みながら、しょせんはこんな女なんだということで諦めるようにしたのだ。

 諦めというよりも、愛想を尽かしたと言った方がいい。言いたいだけ言わせておいて、それだけで我慢しなければいけないのは理不尽だ。弘樹は、その女に苛立ちを感じながらも、

「変な女と別れられて、よかった」

 と、思えればそれでいいではないか。

 弘樹にとって、そんな女たちばかりではないとは思えたが、なぜか弘樹のまわりにはそんな女性ばかりしか集まってこない。発展性のない考え方ばかりするようになったのは、まわりの女性の雰囲気から、そう感じるようにもなったのかも知れない。

 女性と付き合っても、あまり長続きする気がしなかった。

 大学時代にも何人かと付き合ったが、付き合い始めてからすぐ、

「この人とは、長くないな」

 と、思うようになっていた。

 その理由の一番は、

「僕が、すぐに冷めてしまうからだ」

 と、思うからだったが、実際に付き合っていると、未練がましく思えてくるのは、弘樹の方であった。

 ただ、付き合った女性はずるがしこい人が多かったのか、それともほとんどの女性がそうなのか、別れを言い出した時には、すでに自分の気持ちは決まっている。つまり、相手に言い訳をさせることなく、間髪入れずに問答無用というのが、今までの女性の常套手段だった。

 冷めてしまうと、こちらも話をするのも嫌になる。相手も気持ちはすでに決まっている。あまりお互いに引きずることもなく、別れに向かうのだが、弘樹はスムーズでありながら、どうにも許せない気持ちだけは残っている。

 その気持ちを誰にぶつけていいのか分からないし、誰にもぶつけることができないと思っている。

 発展性のない考えというのは、ストレスを溜めたくないという思いから、派生してできあがったもののようだ。

 ストレスを溜めないようにするには、何も考えないようにするのが一番だが、何も考えないようにするのは難しい。却って、気になってしまうというものだが、発展性のない考えを持つことが、考えないようにするのに一番近い考え方だという、少しずれた考え方をするようになったのだ。

 それがいつ頃のことだったか、ハッキリと覚えていないが、忘れてしまったわけではない。

 覚えていないのは、忘れてしまったわけではなく、記憶の裏に、紙一重でしがみついているものもある、何かのきっかけで思い出すこともあるだろう。

 記憶喪失でも、突発的な記憶喪失もある。何かのきっかけで思い出すことができるのが、そんな突発的な記憶喪失であろう。

 ただ、本人の意識の中で、

「絶対に思い出したくない」

 と思っていることもある。

 それは、記憶の中で封印してしまったものであり、意識しているだけに、奥深くにしまい込んだりするはずのないものであった。

 付き合ったと言っても、身体の関係にまで発展した人は、ほとんどいない。身体の関係になったとしても、長続きしないのではないかと思ったのは、弘樹の方だった。

「願いが叶ったら、急に冷めてしまうことがあるというが、そんな感覚に近いかも知れない」

 目標にしていたことが達成されれば、目標を失うということは、多々あるものだ。

 目標が高ければ高いほど、叶ってしまった目標が思っていたよりも、感動がなかったり、想像とは違っていたりした場合に冷めてしまうことは多いだろう。

 また、目標が叶ってしまったことで、今度は何をしていいのか分からなくなってしまう。いわゆる意気消沈してしまうという事態に陥ることもあるだろう。

 むしろ、そちらの方が大きいかも知れない。目標を持っていた人間が、急に目標を失うと、まるで抜け殻のようになってしまう。

 ただ、意気消沈してしまうということは、目標に置いていたことが、彼女を得たいという漠然とした気持ちよりも、もっと生々しく、身体を求めていただけだということになるのではないか。それを認めたくない気持ちが弘樹にはあり、急に冷めてしまったことを認めながらも、その理由については、言及しようとは思わなかったのだ。

 また、自分の目標が、ただ身体を求めていたのではないかということに気付いてしまうと、自己嫌悪にも陥ってしまう。それを認めたくないという思いが、冷めてしまうという行動に落ち着く結果になってしまったのだ。

――彼女は、自分を知っていると言った。だが、僕は覚えていない。冷めてしまったことで忘れてしまうことは今までにもあった。同じパターンだとすると、彼女に対して、僕は何を冷めてしまったというのだろう?

 自問自答を繰り返していたが思い出せない。

 翌日、弘樹は朝寝坊だった。と言っても、まだ九時過ぎだったので、普段の休みよりも早いくらいだった。昨日は、琴音と一緒に夕食を摂り、日本酒を酌み交わしながら、いろいろ話をしたような気がしていたが、記憶にはなかった。

 少しだけ起きるのが億劫だった。睡眠時間は、少し短かったように思うが、それでも、何か夢を見ていたような気がする。夢を見たということはそれだけ、ゆっくり眠りに就いたということだ。

 夢を見るのは、眠りが浅いからなのか、深いからなのか、分からない。浅い時に夢を見ることもあったからだ。

 夢を見た時は、ちょうどいいところで目を覚ます。目を覚ましてから、少し意識が戻るまでに時間が掛かる。このことから、夢を見るのは、眠りが深いからだと思うようになっていた。

 確かに、眠りが深いと、気が付けば夢を見ていて、ちょうどいいところで目を覚ましてしまうということが多い。夢は毎日見るわけでもなく、夢の続きを見たということも、記憶にはない。

 夢は記憶に残すものではなく、その時だけの一点ものではないだろうか。精神状態が不安定の時の方が夢を見る確率は高いのではないかと思う。夢は、現実社会で達成できないことのより派生する願望ではないかとも思うくらいだ。

 だから、夢で覚えているものは少ない。ただ、逆に、記憶としては残っているが、意識としては、決して表には出さないものが夢なのだという考えもある。

 夢を見ていると、初めて会った人なのに。どこかで会ったことがあるのではないかと思うことがある。

「夢を他の人と共有しているのではないか」

 かとさえ思うくらいで、ひょっとしたら、琴音も、弘樹が覚えていないだけで、夢の中で出会ったことがあったのかも知れない。

「もし、夢の続きを見ることができるとしたら、その時は、琴音のことを忘れずに覚えていたのかも知れないな」

 とも感じた。

 しかし、夢の世界というのは、現実よりも、理路整然としているのではないかと思う。覚えていないということは、それだけインパクトに欠けるということだ。インパクトに欠けるのは、それだけ、印象が浅い、つまり、奇抜ではないということでもある。

 奇抜さは、理路整然とした中からは生まれない。決まっている自然の摂理に逆らうこともなく進んでいると、考える力も薄くなり、何も考えなくなってしまう。その方が楽だからだ。楽になることを覚えると、どうしてもそちらに向かうのも、自然で無理のないことだと言えないだろうか。

 規則性のある夢が、続きを見せないのは、そこに意思が働いているわけではなく、自然の摂理の一つなのかも知れない。それは、現実世界と、夢の中の世界とを決定的な壁を作り、お互いを行き来できないようにしているのと似ている。夢は夢の世界の中で、完結しているものだという考えがあるからだ。

――では、夢と夢の間では、何か結びつきはないものだろうか?

 現実の世界のように、共有できる世界があるのではないかという考えは突飛なものであろうか。突飛であればあるほど、夢の世界への思いが募り、現実世界では考えない発展性を考えるようになっていた。

 空想という言葉は嫌いではない。特に最近、本を読むようになったきっかけは、テレビで見た空想映画だった。子供の頃に戻ったような感覚になり、ワクワクしながら見たものだ。

 本を読むのと、映画で見るのとでは、また趣が違う。映画で見たものの原作を読んでみると、結構面白かった。ストーリーの展開は分かっていても、文章から想像させる内容が、映画と違っていたりなどしたら、余計に空想が膨らむ。

 逆に本で読んだものが映画化されたりすれば、見に行ったこともあったが、映画が終わる頃には、少し幻滅している自分に気付いた。どうしても、最初に描いた空想に、映像がついてこれないのだ。

「見るんじゃなかった」

 と思ったが、見てしまったものはしょうがない。再度読み返すことで、空想がよみがえってくる。それだけ弘樹には、映像の印象は浅かったのだ。

 夢についての本もいくつかあった。小説なのに、どこか論文のように感じるのは、テーマがそれだけ重たい証拠であろうか。確かに夢の世界に思いを馳せてしまうと、妄想であっても、何でも許せてしまう感覚に陥ってしまう。

 目が覚めた弘樹は、すでにその時、琴音がいなくなっていることが分かっていたような気がした。だが、

「ああ、山村様なら、早朝にお発ちになられましたよ」

 と、女将さんに聞かされた時、想像以上のショックな表情をしていたのだろう。女将さんが弘樹を見る目が、明らかに萎縮していたように思う。そのため、弘樹もビックリしたくらいで、お互いに苦笑したくらいだった。

 だが、弘樹はまたしても、急に冷めた気分になった。顔から血の気が引いていくのを感じる。弘樹が冷めたような気分になる時は、顔から血の気が引いてくる時だったのだ。

 血の気が引いてくると、相手にも分かるようで、それが弘樹の冷めた気分になる時だというのも分かっているようだ。人によっては冷めるというよりも、我に返る時もあるようで、一概に悪いことだとは言いにくい。

「血の気が引いてくる表情というのが、人によって異なるので、相手をするのが難しい時もありますよ」

 と、最初、弘樹の血の気の引いた表情を見て、驚いた話を後で女将さんから聞かされた時、そんな話をしていた。

「そうですか? 僕の表情って、難しかったですか?」

「そうですね。少しビックリしました。目が座って見えてきたりしましたので、どう対応していいかって、悩みましたよ」

 と、苦笑いをした。

 女将さんと話をする時、お互いに苦笑いをすることが多い。それだけ話の内容に深みがあるのか、それとも、含みを持たせた話が多いのか、どちらにしても、

「大人の会話」

 だと、弘樹は思えたのだ。

 大人の会話ができる人が、今までまわりにいなかった。いたかも知れないが、最初から話をしたいと思う人でなければ、先に進まない。相手も、発展性のない様子が見える弘樹と、わざわざ話をしたいとまで思わないだろう。

 女将さんは、さすがだと思えた。生まれついての話し好きなところもあり、さらに、話題性も豊富なところは、本を読んだりして努力も惜しまないところもある。

 そんな女将さんと話をするのは、好きだった。発展性のない中で、話を含みを持たせたいと思わせるのは、それだけ、会話を長引かせたいと思うからで、

「充実した時間を過ごしたい」

 という、率直な気持ちが、自分にとって素直な気持ちに繋がっていることに気付いたのだった。

 琴音は、朝早くから出かけるような話をしていたわけではなかった。ひょっとすると、急に思い立って、すぐに出かけたのかも知れない。

 ただ、逆に、本当は最初から早く出かけるつもりだったが、弘樹との話が面白く、

――もう少しいてみようかな?

 と思ったが、一人になると、今度はまた早く出かけようと、元の考えに思いなおしたのかも知れない。

 それは、弘樹にとって都合のいい考えだったが、それで、気分的によくなるなら、それでもよかった。今までには絶対にすることのなかった想像だったからだ。

 楽天的な想像は、今までにしたことがない。それはただの夢であって、夢というのは、ちょうどいいところで目が覚めてしまう。つまり、成就することがないことを示しているのだ。

 琴音と話をしていて、

「この人とは、仲良くなれそうだ」

 と、思っていた。その日、もう一日一緒にいれば、その時は連絡先を聞いたりできると思っていた。

 元々、孤独を味わいにきた旅行だったので、一人でいることに何ら問題はないのだが、一旦誰かと知り合ってしまうと、一人が物足りないことを、思い知らされたような気がして、仕方がなかった。

 その日、一日が弘樹にとっても最終日、昼頃まで釣りをして、夕方には家路につくつもりでいたのだ。

 熱しやすく冷めやすいのも弘樹の性格で、朝食を食べ終わる頃には、一人の状況の自分を思い出していた。琴音がいないことに違和感がないわけではないが、一人の自分を思い出したことで、

「普段の自分に戻っただけだ」

 と、そこから先は、本当に普段通りだった。

 釣りに出かけても、その日は釣れなくてもよかった。本当は、いつもなら、釣れた魚は夕食に出してもらうのだが、最終日には昼食になる。それに時間を考えても、さほどの成果は期待できるものではなかったからだ。

 いつも最終日は、慌ただしく一日が過ぎていった。

 朝起きて、

「今日は、もう帰ってしまうんだな。夜には、家にいるんだ」

 そして、実際に家に帰ってから思うのは、

「朝は、まだ、温泉にいたんだ」

 と、感じることで、その間があっという間であったのに気付く。それだけ慌ただしい中でも、考えが繋がっているのを感じると、その間はあっという間で気持ちだけが、時間を超越して繋がったかのように思えるのだった。

 やはり、その日は何も釣れなかったが、釣りをしている後ろに、昨日のように、琴音がいるような気がして仕方がなかった。

 気が散っていたわけではないが、琴音がいるような気がしたのは、それだけ、昨日のことが、まるでさっきまでのことのように思い出されるからなのか、琴音という女性のイメージが頭から離れないのかのどちらかであろう。

 そのどちらも確かにあるが、どちらが強いかと言われれば、

「昨日があっという間だったような気がする」

 という気持ちだったのだ。

 なぜなら、昨日一緒に、夕食を食べたりしたことを思い出す方が、もっと以前だったように思えるからだ。同じ場所で、シチュエーションを思い出すからだと言うことを差し引いても、時系列の違いは、大きなものに違いない。

「野村さん、また来てくださいね」

「今回もお世話になりました」

 女将さんに言われて、言い返したが、弘樹の言葉に、女将の顔が少し上気したのを見逃さなかった。その眼は潤み、寂しそうな雰囲気が感じられた。

 弘樹は、前回この宿に来た時のことを思い出していた。

 あの時は、今までにきた中で、一番精神的に乱れていた時だった。

 それまで、欲など考えるなどなかった弘樹だったが、その時も精神的に荒れてはいたが、それが、なぜなのか分からなかった。発展性のないことで、自分は苛立つこともない。そして欲を掻くこともない。さらには、

「孤独こそが、ここにいる時の自分の本来の姿なのだ」

 と、思っていた。

 実際には、孤独だとは思っていない。孤独というのは寂しさを伴って初めて孤独というのだと思っていたからだ。

 だが、寂しさを伴わない孤独もあるのだということを知ったのは、何を隠そう、この温泉に来るようになったからだ。

 女将さんと知り合って、それを知った。そこには欲が存在していた。

 孤独な弘樹を看破した女将さんは、

「私も寂しいのよ」

 それまでの女将さんとは、明らかに違っていた。

 その時は他に宿泊客もなく、弘樹だけだった。その前日も、またその前も、宿泊客はなく、

「一週間ぶりのお客様が、あなたなの」

 と言っていた。

 完全に、女将さんは、「オンナ」になっていた。妖艶な雰囲気は、今までに知っている女性にはないもので、

「これがオンナというものなのか」

 と思わせるに十分だったのだ。

 女将さんが抱き付いてくる。考える暇を与えないようにするためか、強く唇に吸い付いてくる様子は、まるで切羽詰っているかのようだった。

 身体が切羽詰っているのか、精神的なものが切羽詰っているのか、そのどちらもであるとするならば、そのどちらが強いというのか、考えさせないようにしようとしている女将さんの考えとは裏腹に、弘樹の頭の中では、いろいろと想像を膨らませていたのだ。

 女将さんの身体は、柔らかかった、今まで知っている女性の中でも柔らかさが分かったが、柔らかさの中でも、唇の柔らかさは、一番最初に感じただけに、印象が深かった。

 抱きしめると、小柄な女将さんは、さらに弱弱しさが感じられた。弱弱しさの中で、身体を持て余しているかのように抱き付いてくる感覚は、本当に、さっきまでの女将さんと同じ人なのかと思うほどであった。

 弘樹の中で、女将さんを抱いている意識は希薄でもあった。

――信じられない――

 という気持ちが強かったのも事実である。

 それまでにも、女将さんを見て、

――いい女だな――

 と思わなかったわけではない。むしろ、その気持ちを押し殺すことに苦労していたのも事実だった。

 孤独が信条のように思っている自分の気持ちに逆らうような感情を持つことは、自分として許せない。自己嫌悪に値するものではないだろうか。

 自己嫌悪を感じるということは、それだけ、女将さんの気持ちに従うことは、いけないことだという意識がある。

 それは自分の中での孤独を否定することでもあり、そのことを自分でどう納得させるかが問題だった。

 だが、女将さんに唇を吸われた時には、そんなことはどうでもよくなっていた。ここからの行動が、欲ではないと思ったからだ。

――こんな時にも頭が回るなんて――

 切羽詰っているわりには、よく考えが生まれたものである。

――これは、欲ではなく、本能による行動なんだ――

 そう、本能の成せる業である。

 本能であれば、自分を抑制する必要はない。自分の中にある孤独と同じような感情ではないか。むしろ、素直に従うべきものである。そう思ったのだ。

 ただ、これも確かに勝手な思い込みであることには違いない。

 勝手な思い込みが、その後で後悔を呼ばないかというのが、本能に従いながらも不安なところであった。確かに後悔がその後に襲ってきたのは、間違いのないことで、それをいかに少しでも緩和させるかということを考えていた。

――なるべく忘れてしまうことだ――

 それが結論だった。忘れてしまえば、後悔があっても、一番被害が少なくて済むだろう。後ろ向きなネガティブな考えであるが仕方がない。本能に任せて行動したことは仕方がないとはいえ、それなりに、リスクを背負うことになると思わなければいけないことではないだろうか。

 弘樹にとって、女性を抱くことは、今までにもあったことだが、相手を知っている女性として抱くことは、初めてだった。

 ただ、そこに愛があるのかと言われれば疑問ではあるが、少なくとも、愛おしいと思ったのは間違いない。

 相手がどう思っているかは分からないが、弘樹には、少なくともその時だけは、愛情に溢れているように思える。その証拠に後で我に返って、お客と女将の関係に戻っても、女将の弘樹を見る目に、恥じらいが感じられるからだった。

 弘樹は、二十代前半に、結婚しようと思っていた女性がいた。彼女も弘樹に対して好意を持っていて、結婚願望はむしろ、彼女にあった。

 最初は間違いなくそうだったはずなのだが、気が付けば、彼女の方が、先に冷めてしまっていたようだ。弘樹が冷めた考えを持つようになったのは、ひょっとすれば、この時だったのかも知れない。

 ただ、彼女が弘樹に対して冷めた目で見るようになったから、弘樹の方が熱くなっていた。お互いに燃え上がった時期が同じではなかったことが、悲劇だったのかも知れない。弘樹にとって結婚は、彼女と一緒にいることの延長だった。ただ、彼女の場合は、結婚は結婚、相手が誰であれ、よかったのかも知れない。

 弘樹が彼女と別れてショックだったのに対して、彼女は、弘樹に対してのイメージを無くしてしまったのではないかと思うほど、そのあとあっさりと、他の男性と結婚した。

「まるで、二股掛けられていたのかも知れない」

 と、思うほどのスピード結婚に、一気に結婚への思いも彼女への思いも冷めてきたのだった。

 それからの弘樹は、女性を好きになって、付き合い始めたとしても、本当に自分が相手を好きになれるのかが、疑問だった。相手が自分を好きになってくれるはずないという思いも強く、これから自分と付き合っていける女性が果たして現れるかどうかを考えてみると、思いつくはずもなかったのだ。

 女性に対してのイメージが壊れかけてから、かなりの時間が経った。その間、女性と付き合うこともなく、風俗通いなどで何とか性欲をごまかしてきたが、ここの女将に出会ってから、忘れていた何かを思い出したような気がしてきた。

「ああ、懐かしさを感じる」

「何が懐かしいの? 昔付き合っていた女性を思い出したの?」

 身体が女将に慣れていくのを感じながら、絶頂を迎えた弘樹は、果ててしまった気だるさの中で、思わず呟いた。

 その言葉に対し、女将は、少し意地悪っぽく言ったが、他意のなさそうな言葉尻に、素直な女将の感情が、見え隠れしているかのようだった。

「そんなことありませんよ。私が懐かしいと言ったのは、何かを考えようとしている自分に対してですね」

 今でこそ、何も考えなくなったが、以前は絶えず何かを考えていた時期があった。特に、身体を委ねられる感覚の時に何かを考えていると、宙に浮くような感覚が生まれてくるのだ。

 それが、女将の抱擁によるものであると思った時、以前に考えていたことが思い出されてきそうな気がして、

「懐かしい」

 という言葉になったのだ。

 懐かしさは、身体に纏わりついてくる感覚と、女性特有の匂いにも感じていた。だが、そんなことをいうと、自分が恥かしくも思うし、恥かしいと感じている自分を感づかれることも嫌だったのだ。

 女将の中にいると、果てしない時間を想像してしまいそうで、想像力にも限界があることに気付いていた。

「僕が、この旅館に来るようになって、何回目なんでしょうね」

「自分で覚えていないの?」

「覚えてはいるつもりなんだけど、女将さんの感覚とは違っているような気がしていて、不思議な感覚なんですよ」

「おかしなことを言うのね」

「僕は、四回だと思っているんですが、女将さんは何回だって思っています?」

「え? 四回ですか? 私には、五回に思えますよ」

「ね、感覚が違っているでしょう?僕も不思議なんですよ」

「からかっているんじゃありませんか?」

「いえいえ、そんなことはありません。思った通り、感じている通りを話しているつもりですよ」

「じゃあ、どうして違うのかしらね。私は間違っているとは思えないんだけど?」

「僕も間違っているとは思っていない。どっちも正しいという選択肢はないんですかね?」

「ないんじゃないかしら? あなたは、真剣にどっちも正しいんじゃないかって、思っているんですか?」

「ええ、思っています」

 それにしても、回数の感覚が女将さんの方が多いと言うのも、どうなのだろう? 弘樹は、どちらが多いと思っていたのだろう?

 錯覚なのか、思い込みなのか、弘樹は不思議に思いながらも、必要以上な感覚を持たないようにした。それは以前にも同じように考えていて、痛い目に合ったことを思い出したからだ。

 弘樹は、大学四年生の時、就職活動で、何度か同じになった人がいて、なかなか就職が決まらないことで、お互いにイライラしながらも、妙に気が合うことから、次第に仲良くなっていた。

 最初はお互いにイライラしていたせいもあってか、仲良くなったと思っていても、どこか相手を信じられないことがあった。

 信じられないと、仲良くなっても、まるで烏合の衆の中にいるようで、どちらかがアウトローな気がしてくる。相手が信じられなくなることもあるが、一歩間違うと、自分まで信じられなくなってくる。助け合っているつもりで、相手の足を引っ張っているなどというのは、考えられないことではないからだ。

 ただ、話をしていて、気が合うのは確かだった。自分の考えていたことを相手が分かっていてくれること、また相手が考えていることを、自分が分かった時の自慢したいような心境を感じたことがあるのは、その友達にだけだった。

 その友達と、どこかに行った時の回数で、言い争ったことがあった。こちらが主張する回数と、相手が感じている回数とか違ったのだ、

 なぜか口論になり、彼はムキになっている、弘樹は、口論にする気などさらさらなく、口論になったこと自体、何からなのか、きっかけも思いつかない。

 ムキになることが、彼の性格ではあったが、それは、話に集中してしまうと、高ぶってくる気持ちを抑えきれなくなってしまうからだった。

 他にも彼には、誤解を受けるような、損な性格に見えるところが何か所かある。本当に損な性格なのか、それとも生き方が不器用なのか分からないが、ただ、何事にも一生懸命に見えるところが、彼の一番いいところで、彼となかなか別れられない理由だと思っていたのだ。

 弘樹にとって、友達とは何だったのだろう?

 他にも友達がいなかったわけではないが、就職するとともに、誰とも連絡を取らなくなった。誰も、連絡してこないし、就職し立てで、皆忙しいだろうから、こちらから連絡するのは控えていた。もっとも、そんな自分も、会社では覚えることも多く、それどころではなかったからだ。

 仕事での仲間は、友達ではない。腹を割って話せる相手がいないからだ。腹を割って話せる相手だけが友達だとは限らないだろうが、仲間と友達という感覚は、明確に違っているのではないかと弘樹は思っていた。

 仕事の仲間同士で、合コンを開くと言う話があった。弘樹にも誘いがあり、少し迷ったが、結果は一緒だった。

「ごめん、僕はいいや」

 と言って断ったのだが、

「付き合い悪いな」

 と、陰口を叩かれているというのを聞いた。

「そんなことをいう連中とは、最初からつるむ気はないので、断ってよかった」

 と、感じた。一触即発とまではいかないが、険悪なムードがあったかと思うと、いつの間にかオフィス内でも自分だけが浮いていたのだ。

 まったく考え方の違う連中と、一緒にいるのは苦痛である。自分が何度彼らに対してイライラしたり、嫌気が差したか分からない。その回数を思い出そうとすると、毎回違っているのだ。

 人と比較して違うわけではない。その時は、自分の中で、思い出す回数が違うのだ。それは、人と感じる回数が違う感覚とは違って、

――自分は情緒不安定になっているのではないか?

 と思うのだった。

 ただ、人と比較して違う感覚になっているという時の方が、自分では重傷な気がしていた。

 大学時代の友達が、急に連絡してきたのが、そんな時だった。いつもイライラしている彼と、連絡を取るのが億劫になって連絡を絶ったのは、弘樹の方だった。だが、話を聞いてみると、彼の方も、その時には弘樹に愛想を尽かしていて、

「俺の方が、君を遠ざけてしまったのかと思って、謝らないといけないと思っていたんだ。やっと連絡が取れてよかったよ」

 と、彼は言った。いつもイライラしていて、ムキになる性格だった彼からは、信じられないような変わりようだ。

「お前、変わったな」

 前なら、そんなことを言えば、また喧嘩になったかも知れないということを聞いてみた。カマを掛けてみた気もしたのだが、喧嘩になるかも知れないというリスクを冒してまで、カマを掛けるような気にはならなかった。

「変わったかも知れないな。でも、俺本人は、そんな気はしないんだ。人には変わったって言われるんだけどな。でも、いい方に変わったと言われているようなので、それはそれで嬉しいんだ」

 と話をしていた。

 角が取れて、性格が丸くなったようだ。

 ただ、弘樹には、どうしても、そんな風にはなれなかった。きっと何か心境の変化になる何かがあったのだろうが、弘樹には、自分に何があれば、もう少し、変われるかが分からないのだ。

 変わらなければいけないとは思う。それは、自分の性格があまり、まわりにいいイメージを与えていないことは分かっているからだ。

 どこがいけないのかというのも、分かっている。しかし、何をどこから変えていいのかが分からない。

 自分を客観的に見ると、むしろ嫌いな性格ではない。中から見ると、あまり気に入っているわけではないのに、きっと、自分を見ている客観的な自分も性格を擁護する気持ちが強いので、治そうとしても、客観的な目が邪魔をして、真実の性格が、ぼやけてしか見えないのかも知れない。

 ということは、治さなければいけないと思いながら、治したくないという思いが働き、そちらの方が強く作用しているので、治せないのだろう。しかも、その理屈を正当化させようと、どうして治せないかということを、煙に巻くことで、自分に納得させようという、苦肉の策なのかも知れない。

 中年になっても治せないのは、やはりそれだけ頑固なのだろうが、頑固もここまでくれば、意識もない。年を取って来れば、頑固になるか、丸くなるかのどちらかなのだろうが、弘樹は、明らかに頑固になってきた。

 ただ、丸くなってきたところもあるのかも知れないと感じてはいた。それが、旅館の女将さんに、身体を求められた時で、女将さんがどうして、自分のような男に身体を任せたのか、最初は分からなかった。

 ただの寂しさから弘樹を求めたのではないような気がした。それだけであれば、女将の性格からすれば、一度果ててしまえば、少し、我に返ってから、女将としての意地を思い出すに違いないからだ。

 だが、弘樹に対して、果ててからも、身を委ねている。しかも、さらにその気持ちが強いのか、激しく唇を吸いながら、身体を、これでもかと密着させてくる。これは、気持ちをオープンにし、相手に委ねる気持ちが強くなければできないことだ。それだけ相手を信用しているということだろう。

――僕はそんなに信用できる人間ではないはずなのに――

 と思って怪訝にしていると、

「どうして、そんな顔になるの?」

「だって、女将さんは、どうして、そんなに僕に身を委ねてくれるのかが分からないものだから」

「どうやら、あなたは、本当の自分をご存じないようですね」

「本当の自分?」

「ええ、あなたには、他の人にはない、奥の部分があるんですよ。見る人が見れば、ハッキリと分かると思うんだけど、あなたは、その存在を分かっていないので、どうして私がこんなことをしているか分からないんでしょうね」

「はい、なかなか自分のことは分からないようで」

「あなたは、自分が頑固だと思っているようですけど、確かにそうなんでしょうが、ただそれだけではなく、あなたは、客観的に自分を見ることができる、従順な人でもあるんです。だから、私は惹かれているのかも知れないわ」

 そう言って、さらに身体を密着させてきた。女将さんの話を聞くと、愛おしさがこみ上げてくる。自分でなかなか自分を納得させることは難しいが、相手から、しかも身体を委ねてくれている人から言われると、これ以上の説得力はない。

――自分でも気付かない自分は、客観的に見ている、もう一人の自分が知っているわけなんだな――

 と、感じた。

 もう一人の自分の存在は、絶えず意識していたような気がする。意識はしているが、それ以上に意識の発展性はない。こんなところにも発展性のない性格が影響してきているのだが、逆に発展性のない性格の元凶は、ここから来ているのではないかと思えるほどだった。

 女将さんの身体は柔らかく、

「こんなに柔らかく、きめの細かい身体は、初めてだ」

「嬉しいわ。あなたにそう言われると、私は何でも信じてしまう気になってしまうんです」

「僕の言葉に信憑性を感じてくれているということ?」

「ええ、あなたの言葉には、それだけの信憑性と、あなたは気付いていないかも知れないけど、言葉への責任感のようなものを感じるんです」

 女将さんの言葉も、まんざら身体の快感からの絵空事だけではなさそうだ。心底から話してくれているようで、嬉しい限りである。

 女将さんを抱いていると、まるで、自分好みの身体に変わってきているような錯覚を覚えた。身体が抱いているうちに馴染んできている感覚を覚えるのか、その感覚を忘れたくないという思いが強いからなのか、弘樹には、女将さんが最初のイメージとどんどんいい方に変わっていくのを感じていた。

 だが、自分に対しては、女将さんがいうようなほど、いい方には解釈できないでいた。疑問が頭の中にあり、その疑問がハッキリしないのだ。

 ただ、今はそれ以上余計なことは考えたくなかった。目の前にある女将さんの身体と気持ちを、弘樹は味わいたかったのだ。中途半端に考えを止めてしまう悪いくせ、これが、自分の中での発展性のなさを強調する性格を形成しているのかも知れない。

 弘樹は女将さんの身体を貪るようなことはしなかった。焦っているわけではないのが、その理由だった。いとおしくないわけではないのだが、相手の身体を貪るようなことを、女将さん相手にはしたくなかったのだ。

――彼女は、他の女とは違う――

 と思ったが、どこが違うのか、俄かには分からなかった。

 そこが、女将さんの特徴なのかも知れない。

 なかなか、相手に自分の本性を見せないのは、女将としての性格と、持って生まれた性格が噛み合っていて、だからこそ、女将さんをやっていけているのかも知れない。

 女将さんの話では、ここを引き受けるまでは、大きなホテルで、女中経験もあるという。もちろんたくさんの人がいるので、それなりに、人間関係のいい面、悪い面を、いろいろな場面で見てきているはずである。

「都会を懐かしく思うことはないかい?」

「ありますよ。それなりに思い出もありますからね」

 そう言って、顔が赤らんだ。耳が熱を持ったような錯覚を感じるほどだった。

――この人は、都会で、恋に落ちたことがあるんだ――

 と、感じた。

 都会にいれば、女将さんくらいの女性であれば、恋の一つや二つはあるだろう。特に自分を隠すこともなく表に出すことをいとわない性格に見えている女将さんであれば、なおさらのことである。

 そんな女将さんを、弘樹はだんだん好きになってくるのが分かったが、それでも、結局どこかで別れは訪れそうな気がしていた。

 あくまでも、付き合ったとしての話だが、弘樹が今まで女性と知り合う機会が少なかったのは否めない、それでも、年齢を重ねるごとに、自分のような男性を好きになってくれる女性も現れるのではないかという考えが浮かんでくるのであった。

 女将さんの身体は、弾力性があって、包容力を感じる。それでいて、抱きしめてあげたくなる感覚はどこから来るのだろう?

 弘樹は、受け身ではなく、自分が包み込むようにするのが好きなタイプなので、好きになる女性は、大人しい感じで、身体も大きくなく、抱きしめると砕けてしまうような雰囲気の女性を好んだ。

 それは年を取るにつれて、その思いは強くなっていった。娘がいないので、娘のような女の子を好んでいるのかも知れないが、それだけではないだろう。

 だが、女将は、和服の上からでは、最初は分からなかったが、明らかにグラマーである。ただ、顔は幼さが残っていて、堂々とした雰囲気はない。女将としては、若干頼りないと思うくらいだったが、あまり大きくない宿では、ちょうどそのくらいがいいのかも知れない。

 小柄な雰囲気には好感が持てた。女将さんを好きになった時期もあったが、女将さんという立場上、あまり関わってはいけないという思いがあった。

 商売上の問題を抱えていたら、関わってはいけないと思うし、知らないところで、他の男性とねんごろになっていたりすれば、ショックを受けることになる。女将としても、枕営業など、女将に対して想像もしたくないからだ。

 要するに、巻き込まれたくないという思いが強いのだ。

――だが、どうして、女将とこんなことになったのだろう?

 その時の心境は、女将に対してというよりも、自分の中で、女将と感覚がずれていたのに、却って、親近感が湧いたことだ。

――女将もそれだけ僕のことを思ってくれているんだ――

 としか考えられなかった。

 女将であれば、常連客の来店回数くらいは覚えていて当然なのかも知れないが、どこか自信がなさそうなのは、

――間違ったら、どうしよう――

 という感覚が強かったのかも知れない。

 弘樹の方は、悪いなんて思うはずなどないのに、そう感じることに、嫌われたら嫌だという思いがあったからだろう。

 女将に対して、少し回数の件についてムキになりすぎたかも知れない。

 一緒にいて、癒される人に対して、たまにムキになってみたいことがある。それは、好きな女の子ほど、苛めたくなるという小学生の男の子の感覚に似ているのだ。

 女将を抱いてしまえば、最初のきっかけが何だったか、一緒にいる時は思い出せなかった。思い出そうとしても、真剣に思い出そうという意志が働いているわけではないので、すぐにどうでもいいことのように思えてくるのだ。

 思い切り愛し合えば、二人は、そのまま深い眠りに就いていた。二人は夢の中で決して会えていないように思えるがどうだろう。もし出会っている夢を見ているとしても、それは相手が見ている夢とは違っているはずだ。

 弘樹は見ている夢が何であっても、すぐに汗を掻くことが多い。その日も、女将を抱きながら、気が付けば汗を掻いていて、女将の肌を濡らしていた。

「ごめん。僕は寝汗を掻くことが多いので、病院で診てもらったことがあるんだけど、その時は、何ともないという診断でしかないんだ。何度か定期的に、病院を変えたりもしたけど、別に異常はないらしい」

「汗を掻くという話は私も聞いたことがあります。あまりいい傾向ではないという話だったんですけど、病院に行かれているのでしたら、大丈夫でしょうね」

「そうだね。汗を掻く時というのは、いつも夢を見ている時なんだけど、目が覚めると、いつものように忘れているから困ったものなんだよ」

「私も夢を見て、気が付けば、汗を掻いている時ってありますよ。でも、私の場合は、夢の内容を覚えているんです。怖い夢を見たので、汗を掻いたというのが、私の場合ですね」

「僕の場合、夢は覚えていないものだというのが、いつものことなんですよ」

「それは、覚えていないと言うよりも、現実の世界に引き戻される時のショックが、夢を思い出の世界に封印してしまっているんじゃないかって思うんですよ」

 夢の話をしていると、以前急に腹が立ってきたことがあったのを思い出していた。相手が誰だったのか、どこから腹が立つ内容になってしまったのか覚えていない。ただ、腹が立ったのは内容に対してというよりも、その時の雰囲気だったのだろう。夢というのも、覚えていないのは、その時、夢の中でどのような心境だったのかが思い出せないからだ。

 今回、この宿に来て、女将とどう顔を合わせようかと、思っていたが、顔を見た瞬間、急に気持ちが冷めてしまっていく自分を感じた。

 いつも冷めてはいるので、冷めてくる感覚を思い出すことはなかった。

 普段から冷めている人間が、冷めてくる感覚を感じることがないのは当たり前のことなのだ。

 ただ、女将の顔は、無表情だった。寂しそうな顔に見えたことで、

――癒してあげたい――

 と、感じたが、以前の時に、癒されたのは自分の方だったことで、いくら冷めてしまっているとは言え、以前と正反対の気持ちになるとは思えなかった。

 弘樹は、癒しを受けるのは、相手が風俗嬢の時だと、割り切っている感覚があった。風俗嬢に対しては。自分の身を任されるという気持ちと、いくら自分が癒してあげようと思っても、相手は風俗嬢、

「自分ごときが相手になるものではない」

 と、感じるようになった。

 癒しを受けることが、彼女たちの気持ちに触れることでもある。弘樹は。身体よりも彼女たちには、気持ちの面を求めている。それは、他の人に感じることのない満面の笑みを見ることができるからだ。

 確かに営業スマイルなのだろうが、それでも、他の女性にできるものではないはずだ。自分がいかに感じるかということが、一番大切なことではないだろうか。

――女性にモテないことでの、言い訳のようなものなのかも知れない――

 とも感じたが、誰からモテたって、そこに愛が存在するかどうかで違ってくるのだ。普通に付き合っていたとしても、そこに打算が存在すれば、それが分かった時のショックは大きいに違いない。

 風俗通いしている連中と、仲良くなったことがある。

 確かに彼らの考え方には特徴があり、弘樹には信じられない考えもあった。だが、共通して話ができるところも多く、他の誰と話をするよりも、話に花が咲くのだった。

 話が盛り上がるということは、感情で話をしているからだ。一歩間違えば、喧嘩になるのではないかと思うほど、話は白熱している。

――白く燃える――

 静かに燃えているように見えるのだが、光りの明るさによって、目の焦点を外され、さらに、気が散らされているのだ。

 気が散ってしまうことで、見えなかった入り口が見えてきた気がする。白さも中に飛び込むと、明るさは半減する。シルエットに大きく映る姿に自分を感じると、シルエットの自分が、白熱した会話の中心にいるのだ。

 客観的に自分を見ていることに気付いたのは、そんな話を聞いた時だ。風俗通いの連中は、皆白い球の中にいて、客観的な自分を冷静に見ている。だから、風俗に通う自分を冷静に分析しているからであった。

 だから、感情で話していても、喧嘩にはならないのだ。

 激情してくれば、喧嘩になるのは必至。そんな状態は、すでに危険と背中合わせなのだ。

 一度、同じ女の子を贔屓にしている男の人と知り合った。相手が彼女のことを客としてだけでなく、深い感情を抱いているのも分かっていた。

 弘樹はそれを知りながら、

――負けたくない――

 と思った。自分から身を引くことは、決してしてはいけない。なぜなら、相手に対して失礼だからだ。

 では相手とは誰のこと?

 それは、好きになった女の子に対しても、また、ライバルの男性に対してもであった。

 どちらに対して失礼さは強いかというと比較にはならない。比較してはいけないのだ。なぜなら、失礼な感覚は段階を持って、大きくなってくる。その段階を踏む上で、どちらが先であっても、二人への思いが連鎖しているのを感じるからだ。捕獲してしまっては、連鎖を解いてしまい、連鎖が解ければ、好きだという感覚は消えてしまい、そのせいで、今後、他の誰も愛することができるのではないかと感じるのだ。

 風俗通いで仲良くなった友達は、今までの友達に比べて、何か発展性を感じる。そう思うと、今までの友達が、表面上だけの結びつきに思えて仕方がなかった。

 もし、弘樹に何かあった時、助けてくれるとすれば、普段の友達というよりも、風俗通い仲間の方が強いように思うのだ。少なくとも彼らとは、共通した好きなもので繋がっている仲である。形があるものが強いというのは、自然の摂理だと言えないだろうか。

 弘樹は、女将と身体を重ねた時、風俗嬢の誰かを思い出したような気がした。好きな女の子もいるが、いつも同じ女の子だとは限らない。好きになったのが風俗嬢だったというだけで、気持ちの高ぶりは、今までと何ら変わりはない。ただ、気持ちの中で、

「この娘は僕のものなのだ」

 と、感じることができるのが、決まった時間だけだということに、虚しさを感じないわけにはいかなかった。

 だが、いつでも一緒にいられるという関係であっても、実際に一緒にいられるのは、どれくらいだろう。普段は仕事をしていて、週に一度か二度、夕食を共にして、その後の時間ということになるのではないだろうか。その時間にしても、一緒にいる時間よりも、その日の午後くらいから徐々に盛り上がってくる気持ちが新鮮ではあるが、実際に会ってからというのは、どれほどの感動を味わうことができるというのだろう。

 風俗の場合は、部屋の雰囲気も手伝ってか、好みの女の子と一緒にいるだけで、ドキドキした気持ちが収まらない。サービスを受けるのを忘れても一緒にいたいだけだという人もいるらしいが、その気持ちは分からなくもなかった。

 普段の生活に発展性を感じない弘樹だったが、風俗では、何かを期待してしまう。実際に風俗通いの人と友達になってみれば、その気持ちがさらに大きくなる。

 釣り糸を垂らしている時にも、風俗の女の子のことを考えていることがある。風俗では普段誰にも話さないことでも話ができるのが楽しみの一つだった。もちろん、釣りが趣味だという話も、常連の女の子は知っている。

「今度、私も連れていってくださいよ」

 と、言ってくれたことがあったが、なかなか実現はしないだろうと思いながらも、返事だけは大げさに、

「もちろんさ、僕のそばにずっといて、離れたらだめだからね」

 というと、

「大丈夫よ。そんなに心配なら、手錠を掛ければいいのよ」

 と、手を前に差し出し、手首を重ねるようにして、手錠を掛けられた時の仕草を見せた。手錠とは、拘束するという意味もあれば、相手と同等の関係だという意味もある。拘束しているのが一体どちらなのか、弘樹は彼女に手錠を掛けた自分を思い浮かべてみた。

 こんな奇抜な話ができるのも、風俗嬢ならではなのだが、女将とも同じような話をできる気がした。

 大人のジョークとも言える会話ができるのは、ひょっとして風俗嬢との会話から、自分の気持ちを素直に表に出せるようになったからなのかも知れないと感じていた。

 今回の来訪では、もちろん、女将さんとの対面にドキドキしないわけはなかった。だが、冷めた目で見られるかも知れないというのは、最初から想定していたこと、むしろ、今までの経験からいけば、時間が経ってしまえば、強烈な思い出ほど、色褪せてしまうのは早いものであった。

 女将さんの身体は、風俗嬢とは違っていた。明らかに身体が固かった。普段からサービスを心掛け、その通りに身体を使っている人とは違う。身体と精神が一致してこその、男女の肉体関係。そう考えれば、女将さんの固かった身体が、余計いとおしく思えたのだ。

 前回の来訪での女将さんの記憶は、身体が固かったという記憶くらいである。あれからまだ数か月しか経っていないが、

「数か月も経ったんだ」

 と、身体の方がそう感じていたとすれば、気持ちも身体について行ったのかも知れない。数か月という期間は、中途半端であった。

 今回の来訪では、身体が満足するようなことはなかったが、一人の女性と知り合えたことは嬉しかった。だが、連絡先を聞くこともなく、彼女は知り合った翌朝、すぐに出かけてしまったというのは、腑に落ちない部分があるが、この旅館での初めての出会いである。何か期待するものを感じさせる気がしていた、

 家に帰ると、すでに、旅館でリフレッシュしたはずなのに、元に戻ってしまった。

「発展性のない人生」

 それが、弘樹の代名詞だった。

 毎日、朝から満員電車に揺られ、会社に出勤し、毎日を同じ業務でこなして、上からと下からの板挟みが、血液の中で脈を打つような味気無さだけを残しながら、毎日の業務を終える。馴染みの喫茶店に寄るくらいしか、日々のストレス解消はない。最初の頃はそれでも、よかったのだが、最近は、満足できなくなってきた。欲が出てきたのか、それとも余計なことを、無意識に考えるようになったのか、そして、それが年齢からくるものなのか、いろいろ考える。

 年齢からくるものであるならば、あまりありがたいことではない。年は取っていくもので。若返ることなどないからだ。

 いや、若返らないとしても、過去のある時期に戻ってやり直したいとも思わない。どの時期に戻ったとしても、結局は精神的にすべてが中途半端なのだ。

 その理由は、いつも考えていることが一つではないということだ。何も考えていないつもりでも、無意識なことを含めれば、絶えず進行して何かを考えているように思う。それを考えると、どの時点に戻ったとしても、やり直せるだけの精神状態になどなりえないのだ。

 それに、今に不満はたくさんあるが、満足できていないわけではない。今さら違う精神状態を持つなど、考えられないことだった。

 女将さんとの一夜は、弘樹にとってかけがいのない日ではあったが、それだけであった。発展性がないものは、やはり、その時かぎり、よく行きずりの恋などという言葉を聞くが、要するに、一晩限りのもので、満足できるなら、それで十分だという人がいるということだ。

 結婚しているが、旦那だけでは我慢できない妻、また逆のパターンで、男性の中にも、妻だけで我慢できない人もたくさんいるだろう。

 そんな人が不倫に走るには、リスクが大きいとして、その日限りのアバンチュールに走ることもある。不倫の香りを限りなく漂わせたもので、男であっても、女であっても、お互いに結婚しているというだけで、拘束された気分になることで、つまみ食いをしたくなるのも、分からなくはない。

 かといって、認めることができるように思えてきたのは最近だった。

「伴侶がいるのに、どうして他の異性を求めたりするんだろう?」

 と、思うのだったが、欲という感情について考えていない時は分からなかったが、今は分かるような気がする。

 さらに、若い頃は、聖人君子のような考えに憧れた時期もあった。付き合っている人、さらには、伴侶を裏切るなど、ありえないと思っていた。生活の面でも、破局に向かう自分を考えないのか、それとも、快楽に簡単に人間は負けてしまうのかと思えてならなかった。

 実際には快楽に負けてしまうという考えはありえるだろうが、リスクという問題よりも、自分の信念として、弘樹は許せなかった。どちらかというと、マイナス面の考えが大きな弘樹だったが、自分に素直に、つまりは正直に生きるという信条だけは、誰にも負けないという気持ちがあった。

 弘樹は、あまり女性と付き合ったことがなかったので、不倫や二股をかける以前の問題だった。

――風俗の女性を意識するから、他の女の子への気持ちが萎えてしまうのかな?

 と、感じた。

 弘樹の中に、罪悪感を感じることがあってはならないという思いが強かった。風俗に行くことは罪悪感に繋がることはない。最初の頃は、

「お金がもったいないな」

 と思うことはあったが、果ててしまった時に感じる憔悴感はなかった。

 他の人であれば、果ててしまった後の憔悴感が、身体を支配するのだが、弘樹にはそれがない。

「自分に対して甘い」

 と言われればそれまでなのだが、弘樹の場合は、甘いというよりも、

「ストレスを解消しないと、何を考えるか分からなくなる」

 という思いから、それならば、甘くても、風俗で解消する方がいいと考えるのだ。

 今まで、女性と付き合っている間でも、風俗通いはしていた。風俗は、不倫でも二股でもないという考えが、甘さと言われれば仕方がない。

――知らぬが仏――

 という言葉があるが、好きになった女の子が風俗嬢であったとすれば、どうなるか怖くなる。その時点で、どちらを選んでも、後悔がないということは考えられないからだ。

「僕が風俗嬢を好きになることなんてありえない」

 と、言い切れないかも知れないが、発展性のない自分に、彼女たちが、自分を好きになるオーラを発することもないように思う。

 弘樹は、オーラを感じないと、相手を好きになることはない。つまりは、相手が自分を好きになってくれることが前提で、好きになられない限り、相手を好きになることはないのだ。

 弘樹にとって、相手が誰であれ、

――自分を好きになってくれる人が、自分が好きになるに値する女性だ――

 という気持ちになるのだった。

――好きだから、好かれたい。好かれたから、相手を好きになる――

 どちらも経験があるが、弘樹にとっては、好かれたから相手を好きになる方がいい。ドキドキした気分になり、いとおしさがこみ上げてくるのは、後者の方だった。

 受け身な態度は、女性に対しての自分の態度ではないと思っていたが、そう考えると、実際には受け身な自分も、本当の自分なのではないかと思うのだった。

 弘樹にとって、好かれることは、自分の中でのバイタリティのようなものだと思っているのかも知れない。

 今回の来訪で出会った女性、琴音。彼女とは初めて出会ったはずなのに、初めてではないような気がしたのはなぜだろう? デジャブというのがあるが、一度も行ったこともない場所や、会ったことのない人と、どこかで見たり、会ったりしたという経験である。

 デジャブがあるなら、最初から感じることであり、もしすぐに感じなかったとしても、前兆のようなものがあったはずだ。

 それなのに、今回はそんな感覚は感じられない。感じたのも、家に帰ってから、夢に見たからだった。夢に見なければ、初対面だったという思いだけで、ひょっとすれば、すぐに忘れてしまったかも知れない。

 夢で見た琴音は、弘樹を愛しているという言葉を連呼していた。普通なら、連呼するような女性には胡散臭さを感じ、何か怪しいと思うのだが、琴音に対しては、そんなことを感じなかった。それは、以前に出会ったことがあったからだという思いが起因しているようなのだが、夢で感じるはずのないものを、ことごとく感じた気がしたからだ。

 まずは、琴音が着ていた服。真っ赤なセーターに、ジーンズ系のスカート、帽子も赤く光っていたように思えた。

 光っているのも、夢では感じられないものに思えた。それは、夢の世界の終わりが、光りが訪れると思っているからである。

 逆に、夢が終わる時のパターンとして、まったく逆の闇に包まれるパターンもあった。

 明るい夢を見ている時に、さらなる光を感じる時。そして、寂しくて暗い夢を見ている時に、闇に包まれるのを感じた時、それぞれで、夢の終わりを感じるのだった。

 相手が琴音であれば、光しかありえないと思った。光を感じたその時、弘樹は、琴音の服の色を初めて意識した。

「夢から覚めても、忘れたくない」

 という思いがあったからだ。

 この思いは二つのことが影響している。

 今、自分が夢を見ているという感覚と、夢から覚めようとしている感覚である。

 どちらかというと、夢だと分かってしまえば、覚めようとする感覚は容易なものであった。逆に夢を見ている感覚を感じるのは、難しい。

「夢を見ているという感覚を、夢を見ながら感じることはできない。感じてしまうと、たちどころに夢は冷めてしまうだろう」

 という感覚だ。

 冷めるというのは、「覚める」ではない。感覚的に気持ちが冷たさを感じることであった。

 冷たさを感じた時点で、もはや夢ではない。夢から覚めていく間、何かを考えようとしていたが、それは夢を忘れないようにしたいという思いであった。

 そんな思いは虚しく砕け、目が覚めてからボーっとしている頭がすっきりしてくるにしたがって、思い出せない世界に入り込んでいくのだ。

 思い出そうとしてもムリなのは、考えている世界が違うからだ。夢の共有を考えた時、

――どうして、夢の共有という考え方が思い浮かばないのだろう?

 と、思ったが、それは、違う世界で思い浮かべようとしても無理なことを理屈では分かっていても、実際には、気付かないからだ。

 弘樹は、その日の夢で、琴音と出会った頃だと思わせるような景色を見た。それは、自分には馴染みのある場所だったのだが、そこに長い時間いた記憶はなかった。

――イメージとは、そんなに一瞬で印象が焼き付いてしまうものなのだろうか?

 温泉旅館とは、似ても似つかない場所だった。そこは秋に行ってみたいと思わせるようなところで、大学時代のキャンパスを思わせる。けやきか、銀杏の葉の舞い散る小道であった。

 真っ赤なセーターに、ジーンズのスカート、長い髪を束ねて、ポニーテールにしている雰囲気は、ちょっとおちゃめな感じがあった。

 初めて大学のキャンパスを歩いたのは、銀杏の時期で、黄色いじゅうたんは、果てしなく続くのではないかと思わせるほどだった。

 高校三年生の秋、受験勉強の合間に、志望校を見学に行ったが、すっかり、銀杏並木に魅せられて、第一志望が、この景色で決定したと言っても、過言ではないほどだった。

 その時にすれ違った大学生は、凛々しく見えて、大人の雰囲気を十分に感じさせるものだった。

――早く大学生になりたい――

 この思いが、受験勉強のストレスを少しでも解消させてくれた。もしこれが、ただ大学生になって遊びたいだけのような気持ちであれば、ストレスを解消する前に、楽な方にしか頭が回らず、真面目に勉強に勤しむのは難しかったかも知れない。考え方に発展性はないかも知れないが、真面目な性格であることに変わりはなく、

――僕は真面目が信条だ――

 という思いがあるからこそ、先が見えるというものである。

――大学のキャンパスを思い出すということは、高校時代の最後の方か、大学入学直後くらいに見たことがあると思っているからだろう――

 今から、二十年以上も前の記憶を思い出すことなど、最近ではない。ただ、夢で見るのは、大学時代のことが多かったりする。

――あの頃に、何か気になるものを残してきてしまったのではあるまいか?

 と、感じていた。

 残してきたとすれば、女性とのことかも知れない。男の友達もたくさんいたが、その日に何か気になることがあっても、次の日には解決してきた。それが、大学時代の弘樹の信条であり、自分のまわりにも同じような考え方の友達が揃っていた。

 しかし、次第にその日や、翌日だけでは解決できないような、簡単ではない出来事が徐々にであるが、増えてきた。

 そのため、次第に苛立ちが募ってきた。友達と話しをして解決していけばいいのだろうが、解決できないことが出てくると、その人との関係もそこで終わることが多かった。

 後悔などなかった。友達をさほど大切にするわけでもなく、少なくとも自分と意見をたがえるような人であれば、それはすでに友達ではないと思う。そんな考えばかりしてきた弘樹は、相手をバッサリと切ることで、何も残さないようにしていたのだ。今さら後悔もなければ、残してきたなどという記憶もありはしない。

 やはり、女性のことなのであろうが、今度は女性のこととなると、あまりにも以前のことだというイメージがあり、大学時代に付き合っていたり、好きだった女の子のイメージが湧いてこない。

「今自分が大学生になったとしても、きっと、同じような女性しか相手にしないだろうな」

 という思いが強い。

 どちらかというと、惚れっぽい性格であるくせに、好かれたから好きになるタイプなのだ。プライドが高いと言われたこともあったが、確かにそれも認める。しかし、それだけではないことは、自分でも分かっているつもりであるが、プライドというよりも、ポリシーに近いのかも知れない。

「自分の気持ちには、素直でないと」

 と、大学時代の自分に言い聞かせていた。

 もちろん、中年になった今さら、意識の中の大学時代の自分に言い聞かせても仕方がないのだが、夢の中では、言い聞かせることで、自問自答を繰り返していることに気付くのだった。

 旅行から帰ってから、一週間が経った。すでに頭は普段の生活一色になっていたが、弘樹は、自覚している環境以外のイメージを抱くことが苦手だったのだ。旅行に出かける前であっても、温泉旅館のイメージは湧いてきそうではあるのに、頭の中に映像として湧いてこない。ひょっとすると、自分の中でイメージするのを拒否しているのかも知れない。イメージしてしまったことで、実際に行った時と違った時に、軽い記憶喪失に陥るのではないかという懸念を抱いているからである。

 その懸念の根拠がどこから来るのか、まったく見当がつかない。だが、一つ言えることとしては、

――人の顔を覚えることができないのと、感覚は似ている――

 と、感じることだった。

 人の顔には、いくつもの表情がある。覚えていた人のイメージを一生懸命に覚えていても、他に誰かと話をして、その人のイメージが頭の中に入ってしまったら、前の記憶が追い出されてしまう気がするのだ。

 それは、記憶に対して、自分が素直に考えるからである。

 前の記憶が打ち消されるのは、自然の摂理、大きさが一定であって、そこが満タンになってしまって、次に何かが入ってきたとすれば、押し出されるものがあるのは当然である。特に一人に無数の表情が存在するのだ。それを同一人物として記憶したりしなければ、それこそ、記憶に収拾がつかなくなる。そのため、余計に意識を必要としてしまうので、それだけ、意識は膨れ上がってしまうのだ。

 弘樹は、まわりの誰から言われるよりも、自問自答による意識の方が説得力を感じる。それがもう一人の自分の存在であり、いつも一番そばにいて、影になっているのである。

 もう一人の自分の存在を、感じることは時々ある。影が表に出てきた瞬間なのだろうが、影を意識することはないので、影が表に出てきたということに気付いたのはいつのことだったのだろう?

 弘樹が会社から帰ってきて、郵便受けを見ると、ダイレクトメールなどと一緒に手紙が入っていた。いつもはダイレクト―メールの数にウンザリしながら、

「捨てられる運命にしかないのに、毎日同じようなものがいつも入っているのを見ると、虚しさで悲しくなってくるな」

 と思った。

 まるで、自分が捨てられているような感覚である。

 ただ、郵便物を捨てる時の感覚は、快感でもあった。鬱陶しいと誰もが感じるであろうものを、我が手でバッサリと切るのだから、快感に浸るのも無理のないことなのかも知れない。

 その日も、どうせ全部ダイレクトメールだと思い、いつものように、ため息交じりで、捨てるつもりの封筒をめくりながら眺めていた。

「おや?」

 その中に、少し可愛らしい封筒が混じっているのに気が付いて、目を引いた。

「今のダイレクトメールは、こんな封筒に入れて、目を引くようにさせているのか?」

 虚しさを感じていた気持ちが、急に腹ただしさに変わった。わざとらしい行為は、弘樹のもっとも嫌う行為だからである。

 だが、よく見ると、ダイレクトメールではない、前にも後ろにも、会社名はどこにもなかった。いろいろなダイレクトメールがあるが、その中で共通しているのは、必ず封筒のどこかに会社名が印刷されていることである。それでなければ、ダイレクトメールの意味がなくなってしまう。

 それが普通郵便だとすると、今度は別の意味で、腹ただしさを覚えたのだ。

「間違えて配達しやがって」

 という思いである。

 自分にこんな可愛らしい封筒に入った手紙が来るはずがないと思ったからだ。どこかの高校生か、中学生ではないだろうか。

――いや、待てよ?

 腹ただしさと並行で、疑問が浮かんできた。

「今の高校生や中学生が、昔ながらの手紙でやり取りなんかするだろうか? 今であればパソコンもあればスマホもある。メールでやり取りするのが主流じゃないかな?」

 と思った。

 そう思いながら、宛名を見ると、

――野村弘樹様――

 まぎれもなく自分宛ての手紙だったのだ。

 裏を見ると、送り主は、琴音だった。

「えっ?」

 急に背筋が寒くなった。

 彼女に、住所を教えたはずもないのに、どうして彼女から手紙が来るのだろう? もっとも一度しか会ったことのない人には、住所はおろか、電話番号を教えたりすることもないのだ。

 捨てる予定のダイレクトメールと一緒に、琴音からの封筒を手にして、まずは部屋のカギを開けて、中に入った。いつものような冷めた空気が中から這い出してくるが、電気をつけると、冷たさはすぐに消える。

 それが毎日の感覚だったのだが、この日は。部屋からはみ出してきた空気に冷たさは感じなかった。電気をつけても、いつもと同じ景色が目の前に広がっていただけだが、

――どこかが違う――

 と、感じた。

 何が違うのか、すぐには分からなかったが、分かってしまえば、何ということはない。

「疲れているからかな?」

 と感じた。理由は、部屋の中がいつもより狭く感じられたからで、今日初めて感じたことではなく、今までにもあったことだったのだが、疲れて帰った時に、感じることが多かった。

 仕事で遅くなった時など、目が充血しているほど、目を開けているのが辛いくらいになっていて、

――潤んだ眼が、錯覚を起させるんだ――

 と、思ったが、開けていられなくなるほどの細目で見ることで、視界の狭さから、全体的に、狭く感じさせるものだった。

 確かに、ここ数日は疲れていた。その理由はハッキリとしなかったのだが、別に残業しなければいけないわけではなかったし、毎日、変わりのない業務をこなしているだけだった。

 しいて言えば、毎日変わりない、退屈な日々が、無意識に疲れを呼びこんでいるのかも知れない。退屈な日々を思い出すと、大学時代に好きだった、高校時代に最初に見た銀杏並木のキャンバスに続く道を思い出すのだった。

――大学時代には、波乱万丈だと思っていたのに――

 と、感じる。時間が経つにつれて、記憶の中にある出来事は色褪せていき、どんなに波乱な状態を経験していたとしても、ごく最近のくだらない出来事には適わないという思いを抱かせるのであった。

 大学を卒業するくらいまでであれば、風俗に通っている自分を、悪いことをしていると思うことはないとしても、どこか後ろめたさのようなものがあり、他の人との違いを感じさせられることが多かった。

 だが、就職してから少し経った頃から、自分に後ろめたさを感じなくなったのだ。後ろめたさを感じなくなった理由は、自分を客観的に見れるようになったからだと思う。だが、実際には、客観的に見れるようになったからだというよりも、客観的に見ることができていたのは以前からで、厳密に言えば、そのことに気づいたのが、今まで感じていた「客観的に見ることができるようになった」頃なのだ。

 部屋の電気に目が慣れてくると、封筒を開けてみた。中には可愛らしい便箋が入っていて、ボールペンで、少し小さめの整った字が目に飛び込んできた。

 字は体を表わすというが、小柄だった彼女のイメージがよみがえってくるのを感じた。それでも人の顔を覚えるのが苦手な弘樹には、顔まで思い出すことは無理だったのだ。

 内容を読んでいくうちに、次第に不思議な感覚に襲われてきた。書いてあることが、自分の記憶と随所に違っていたからである。

 まず不思議だったのは、一緒に初日に夕食を食べたというところであった。

 確か、温泉から上がってきた時に話をしたので、夕食はとっくに終わっている時間だったはずである。二日目であれば、記憶に間違いはないのだが、確かに初日と書いてある。ずっと一緒に行動をともにした日を初日と考えるなら、初日でも間違いではないのだろうが、それにしても、食事をした時に会話に花が咲いたと書いているが、食事の時間中は、食事に集中していたはずである。集中して食べている間、会話はなかったが、その間、彼女が独り言を呟いていたような気がしていた。気にはならなかったが、

――おかしな人だな――

 と思ったのは確かであるが、呟いている内容は、まったく聞こえなかった。声は小さかったが、聞き取れにくいほどではなかったのに、何を言っているのか、さっぱり分からなかった。分からないように呟いていたようだが、それが作為的なものなのかどうかは、分からなかった。

 雰囲気を見ていると、学生時代には、

「夢見る少女」

 だったのではないかという雰囲気があった。

 白いワンピースに、白い帽子が似合いそうな雰囲気は、お嬢様を思わせ、風に揺れるシルエットが、目を瞑ると浮かんでくるような気がするのだ。

 顔を思い出せない理由の一つに、シルエットのイメージが強く残っているからというのもあるかも知れない。だが、シルエットが思い浮かぶ人というのは、そんなにたくさんいるわけではない。琴音は、その中でも希少価値とも言える存在であった。

 手紙の中の琴音は、一緒にいた時とは違って、饒舌である。口下手な人でも、手紙になると、いくらでも文章が出てくる人もいる。琴音はそんな女性なのだろう。

 弘樹が、可愛いと感じた女性のほとんどは、上手な文章を書いた。弘樹の心を打つような文章なのだが、それは相手のことを素直に受け止める気持ちがあるから書ける文章なのではないかと思えた。

 風俗の女の子の中に、

「私、実は夢があるの」

 と言って、小説家を目指したいと思っている女の子がいた。

「官能小説かい?」

 と言うと、一瞬、悲しそうな顔になったが、すぐに気を取り直して、

「ううん、普通の恋愛小説ですよ。私だって、純愛に憧れたりしますし、素敵な王子様の出現を願っているんですよ」

 と、話していた。

 彼女も、白いワンピースが似合いそうな女の子だった。高校時代には、演劇部だったと言っていたが、お姫様役もやったことがあると言っていた。

「演じるだけでは我慢できなくなって、今は実際に書いているんですよ。そういう趣味があるから、余計にこのお仕事が好きになったのかも知れないです」

 彼女は、この仕事を好きでやっていた。金銭的なものは二の次で、

「喜んでくれるのが、嬉しくて」

 と、話していたが、それだけではないようだ。趣味と実益を兼ねてというわけではないのだろうが、話をしていて、落ち着いた気分になれたりするのも。その一つかも知れない。

――彼女なら、釣りが似合うかも知れないな――

 短気な人が釣りに似合うと言われるが、彼女が短気だとは考えにくい。どちらかというと、

「思慮深い人が、釣りに似合う」

 と、言った方がいいかも知れない。

 考え方がポジティブで、発展性のある考え方をする人は似合うのだろう。

――じゃあ、僕のように発展性のない人は?

 思わず、考えたことが矛盾していることに苦笑いしてしまった弘樹だったが、ただ、何か新しいことを始めてみたいと思ったことがあるのも事実で、それでも、行動に移さないのであれば、同じことであった。

 だが、彼女と一緒にいる時は、本当に何か新しいことを始めてみたいと思うのは事実であった。彼女のように小説を書いたり、芸術的なことができるとは思えなかったが、釣りを始めたきっかけを作ってくれたのは、彼女と話をするようになったからなのかも知れない。

 釣りをしていると、いろいろなことを考えてしまう。ただ、考えていると、いつも同じところに考えが戻ってくるのが、気になっていた。自分の中の考え方に限界があり、そこを過ぎるとUターンして考えが戻ってくるということではないだろうか。

 Uターンするくらいのところまで考えが及んでいるのなら、釣りをしている時の自分は、発展性のある考えを持っているのだろう。今までの自分に深みを持たせるという意味で、釣りという趣味は、大いに役立っている。

 琴音との温泉宿での思い出を思い出そうとしていたが、あまり思い出すことができなかった。人の顔を覚えられない感覚に似ているような気がして、仕方がなかったのだ。

 手紙の中を見ていくと、やはり記憶とかなり違っている内容が書かれていた。

――本当に相手は、僕だったのか?

 と、考えてみたが、元々、どうして弘樹が教えてもいないはずなのに、簡単に手紙を送ることができたのかというところに、考えが戻ってきた。今のように個人情報に対して厳しい世の中で、勝手に教えられるわけはないはずなので、疑問はもっとものことで、気持ち悪さを拭うことはできなかった。

 ただ、夢の中で、琴音と話をしながら、自分の家に招待したような記憶があった。それは、最初に琴音が自分の家に弘樹を招待してくれたことで、彼女に対して生まれた安心感がもたらしたものだった。礼儀に対して、こちらも礼儀で返すという考えは、いくら発展性のない人間と言えど、心得ているつもりであった。

 琴音の家は、白壁の家で、異人館のようだったが、さほど大きさは感じなかった。それでも、まかないさんがいるようで、他に家族はいなかった。燕尾服の運転手のおじさんもいて、裕福な感じを受けた。

――別荘なのかも知れない――

 海に面したところに作られた建物は、空や海の青さに照らされて、さらに白壁が目立っていたように思える。

 自分が中年だということを、すっかり忘れてしまいそうなのだが、不思議なことに頭の中では、彼女に比べて、自分の年齢がかなり上であることだけは意識していた。それなのに、発想や彼女と接している自分は、琴音と同い年か、または、年下ではないかと思えるほどだった。

 そのくせ、琴音に対して引けを取らない自分を感じている。唯一、琴音のことを分かっていないことが、自分にとっての「引け」ではないかと思うだけだったのだ。

 琴音の部屋には、男が入ったことなどないような雰囲気が漂っていた。(実際にもないはずだが)そんな部屋に入っていいものかと、思わず後ずさりしてしまいそうになるのを、必死で堪えた。そんな弘樹の顔を見ながら、妖艶に微笑んだこと値の表情を、弘樹は見逃さなかった。

 見逃さなかったのは、夢だからなのかも知れない。弘樹自身、自分がそんなに敏いタイプの人間ではないことは分かっていた。もっとも、こんなことに敏いタイプになりたくないという思いがあってしかるべきで、変なところで真面目な自分に、思わず苦笑いをしてみたくなる弘樹だった。

 琴音の部屋は眩しかった。匂いも甘酸っぱくて、妖艶さを感じさせる。白いワンピースが似合う清楚な雰囲気にピッタリの部屋のはずなのに、どうしてそう思うのかと考えたが、一番の理由は匂いだった。

 だが、ここでさらに疑問がある。

「夢を見ているのに、匂いを感じるのか?」

 という思いだ。

 そもそも、これが夢だというのも、よく分かったものであるが、時々、弘樹には、夢を見ている意識を感じることがあったのだ。夢の内容は忘れてしまっても、肝心なところだけ覚えていることがある。そんな時、夢で普段なら感じることのできないものを感じたことで、夢だと悟るのだと思う時だった。

 女性の匂いについては、分かっているつもりだったが、夢の中の自分は、まだ高校生くらいなので、何も知らない頃の記憶があるだけだった。夢の中では過去の自分であれば、いくつにもなれるが、その時は、未来に対して覚えたことも、すべて忘れて夢に入っているようである。本当に高校生に戻ってしまったようだった。

 それなのに、頭のどこかで、自分が社会人であり、仕事を持っているという意識がある。まったく違う自分が存在していて、夢の中では別人なのだ。社会人の自分が夢を見ているという意識を持っていて、実際に夢を感じている高校生の自分は、夢だなどと意識していないのだろう。

 夢が終わり、目が覚めていくと、その日は、布団の感覚がないことに違和感を感じていた。手紙を見ながら、寝入ってしまったのか、気がつけば、目が覚めていた。

 軽い頭痛に襲われていて、

――一体、どれだけの時間が経ったのだろう?

 と、感じていたが、意識がしっかりしてくるにつれて、夢を見ていたという意識も消えていくようだった。

 手紙を見ていて、あまりにも記憶と違う内容だったので、

――手紙の内容どおりになっていたら――

 という思いに駆られたことで、普段は釣りをしている時くらいにしか働かせない想像力を働かせたことで、夢の世界へと誘うものが、生まれたのかも知れない。

 夢から覚めると、身体に程よい弾力性と、暖かさが残っていた。抱き合った時の感覚だったが、裸で抱き合ったわけではないはずなのに、こんなに暖かさが残るものかと思うほどの暖かさに包まれていた。それだけに、暖かさが身体に及ぼす効果を、夢の力だと思うのかも知れない。

 夢から覚めてからの方が、琴音のイメージが湧いてきた。本当であれば、夢から覚めてくる間に、夢の中のことは忘れてしまうはずなのに、どうしたことなのだろう?

 若くて可愛い女の子のイメージが夢の中であったのは、自分も高校生になっていたからだ。高校生というと、まわりは皆大人のお姉さんだというイメージでありながら、夢の中では、どこか、現実と結びついているところがあったのだ。だからこそ、琴音のことを、いとおしいと思った瞬間、若くて可愛い女の子のイメージに変わったのだろう。

 もし、高校生の感覚がなければ、琴音に対してのイメージが変わることもなかっただろう。夢の中で琴音のイメージを変えることが主旨であったとすれば、自分が高校生になっているのも分かる気がした。すべてが過去のことをイメージしている感覚なので、そう感じるのだ。未来に向けての夢など、今まで見たことがなかった弘樹だった。

 琴音と、本当は連絡先を交換しておきたいと思っていたのに、翌朝早くいなくなっていたのはショックだった。

「僕が嫌われるようなことをしたのかな?」

 と、感じたが、もしそうであるならば、却って諦めがつくというものだった。中途半端に思いを残していると、忘れるのには時間が掛かる。自分が悪いと思うのであれば、嫌いになるのは当たり前、簡単に諦めがつくことで、すぐに忘れることもできる。

 そんな考えになったのは、最近のことだった。四十歳を超えて、中年を意識するようになると、次第に、しつこく相手を求めるような考えはなくなっていった。二十歳になった時、自分が大人になったような錯覚を覚えたのと、似ているかも知れない。簡単に諦めがつくことは、自分にとって悪いことではない。しかも、誰に迷惑を掛けるわけでもないことから、

――人間が丸くなったように見られるかも知れないな――

 とも、感じるようになっていた。

 だが、その反面、マナーの悪い人を許せないところがある。特に咥えタバコやポイ捨て、電車の中での携帯電話の通話など、ちょっとしたことが許せないのだ。

――三十代までは、許せないという思いまで抱かなかったはずなのに――

 と、思うようになり、良くも悪くも、四十歳を境に、明らかに弘樹は変わっていたのである。

 自分が変わってしまったことを、悪いことではないと思っている反面、夢の中では高校生になっている自分を感じるというのは、何か違和感を感じるからなのだろうか?

 今回の夢は、覚めてくるにしたがって、夢を思い出せるということは、本当に見ていた夢と同じなのかどうか、疑問に感じていた。夢に見たいと思っていたことと、違う夢を見ていたために、本当に見たかった夢を、ねつ造しようとする自分の中にある正直な気持ちが、夢という形であれば、許されるという思いを元に作り上げた虚像なのかも知れない。

 目が覚めるまで、忘れてしまわない夢というのも、今までにいくつかあるが、これもねつ造ではないかと思えてきた。

 しかし、忘れてしまわない夢の多くは、怖い夢であった。一刻も早く忘れてしまいたいと思うような夢であったのにも関わらず、忘れないというのは、ひょっとすると、氷山の一角ではないかとも思っていた。それだけ、似たような夢を見ることで、マンネリ化してしまった感覚が、記憶には響かないのかも知れない。

 琴音の手紙には、かすかにある記憶の中で、微妙に違っているように思うのは、そこに、もう一人、自分に似た人がいるのではないかと思えたからだった。

 顔が似ているのか、性格が似ているのか、それとも、行動パターンが似ているのか、すべてが似ているわけではなくても、どれか一つが似ていると、連鎖で他も似てくるのではないかと思えてくるのだった。

 行動パターンが似ているのであれば、性格が似ていないとしても、相手が考えていることは分かってくるかも知れない。ただ、自分にだけ見ることができない相手であり、気配すら感じることはない。しかも、誰の目にも見えるわけではなく、何かの共通点がある人にしか見えないとすると、その人は、自分にとってどんな人なのかということを、想像しないわけにはいかないだろう。

 どんな共通性があるというのか、それが大きな問題である。共通性が深いところにあるからこそ、同じ世界では存在しえないのかも知れない。いや、存在しえたとしても、同じ世界の中の、別の空間に存在しているものなのかも知れないという発想である。

 中年になるまで、こんなことを考えたことなどなかったのに、急に考えるようになったのは、年齢からくる、意識変化によるものであろうか。もしそうであるならば、共通性を持った自分というのは、三十歳代よりずっと以前なのかも知れない。

 夢の中に出てくる高校生の自分が頭に浮かんできた。顔は浮かんでこないが、シルエットに浮かぶ表情は、想像がつきそうだ。一人で孤独を楽しんでいる少年。それが、高校生の頃の自分のイメージだったのだ。

 琴音の手紙には、今度会いたいと書いてあった。住所を見ると、さほど遠いところではない。とにかく会ってみたいと思った。会わないと、分からないこともあり、まず、この手紙の主旨を聞いてみたかったのだ。

 ただ、会いたいだけなのか、何か訴えたいことがあるのか、訴えたいことがあるというのは、少し怖い気もする。今まで、波風立てないような、発展性のない生活をしていた自分が、今さら何を求めようというのか、求めようとするから、訴えようとする人も現れる。今まで、何も求めようとしていなかった自分を顧みることができなくなっていた。

 温泉旅館でのことを思い出そうとするのだが、あの時のことを思い出すことができない。思い出すのは、女将の身体だった。

 夢の中で、女の匂いを感じたが、それは風俗の誰かの匂いなのだろうか、それとも、女将の匂いだろうか。それぞれで匂いを感じようとすると、匂いを感じることができる気がするのだが、比較して感じようとすると、まずどちらの匂いなのかを、感じることができない気がしてきた。

 女将の匂いは、甘い中にも酸っぱさを感じる。なぜなのかを考えてみたが、それは、蜜の濃さに影響されているのだと思えた。

 女性たちが発する匂いは、自分が感じる匂いだという意識が強いことで、好きになる女性を匂いで判断する人がいるのではないかと思う。弘樹は、今まで匂いをあまり意識していなかったが、身体を思い出すと同時に思い出すのが匂いであるということも、好きになってしまった証拠ではないかと、思えてくるのだ。

 女将さんに対しては、確かに思い出すものが強いが、好きになったというイメージはない。ただ、琴音と女将さんのイメージがかぶってしまっているのは事実で、その分、琴音という女性が、自分にとって幻なのではないかとさえ思えるほどだった。

 追いかけると、幻のように消えてしまうことが、今までに何度かあったような気がする。女性に限ったことではないが、自分の中で目標として挙げていたものが、急に目の前から消えてしまうこともあった。

「目標って何なのだろう?」

 達成してしまえば、そこから先はないという思いを抱くことで、目標に近づけば、それだけ、幻として消えてしまうのではないかという思いも強くなってくる。考えすぎだと言われるかも知れないが、それが弘樹の性格の中の特徴であった。

――いつ、目の前から何が消えるか分からない――

 そんな懸念を抱いてしまう自分を、時々怖いと思うことがある。本当は、消えるのではなく、もう一人の自分が、奪い取っていくのではないかと思うことに恐怖を感じるのであった。

 手紙を読んでいると、今回の旅行が、次第に実際の時間よりも、かなり前だったかのように思えてきた。記憶が薄くなってきているようで、まるで、作られた時間だったようにさえ思えるほどだった。

 女将さんとの甘い時間が、前回の時になければ、そんな気持ちにはなからなかったかも知れない。ただ、今回知り合った琴音という女性と、女将さんがかぶってしまったのではないかという思いはあった。

 二人が似ているというわけではない。

 女将をしているくらいなので、気丈なところがあるが、今回初めて見せた弱々しい雰囲気が、弘樹の男心に火をつけたのは間違いない。甘えてきた女性を、介抱してあげたいという気持ちは、相手が女将でなくとも、あったことだろう。

 琴音は、最初から雰囲気的に弱弱しさがある。気になってしまったのは、それが理由だったのだが、会っていた時には分からなかった。温泉旅館の中にいると、まるで自分の身体に、まだ女将の匂いが残っているのではないかという思いがあったからだ。

 時系列がハッキリしないのは、今に始まったことではないが、女将との甘い時間は、まるで夢だったのだと、自分の中で割り切っているつもりだった。しかも、今回の旅行で、女将は今までの態度と一切変わることなく、女将として弘樹に接していた。まるで何もなかったかのような態度を取ってくれたおかげで、弘樹もバツの悪い気持ちになることもなく、普段通りに接することができたのだ。

 気丈で凛々しい女将を見ていると、釣りに勤しむ気持ちも強くなっていた。その時に現れた琴音だったが、もし、女将との関係がなければ、もっと意識していたかも知れない。琴音という女性と知り合ったことは、弘樹にとって、ただの旅の友だっただけだった。

 それなのに、戻ってきてから、すでに普段の生活に戻っていた自分に対して、手紙をよこした琴音。しかも、会いたいと言ってきているのは、どういうことであろうか。

 わざわざ住所まで調べて、連絡してきたのだから、何か考えがあってのことだろう。温泉旅館での彼女は、そこまで考えていたとは思えない。もし考えがあったのなら、その時に何かのアクションがあったと思うからだ。まったくそんな素振りはなかったので、その時に考えがあったのなら、よほどの役者だったに違いない。

 旅行から戻って来てから、二週間は経っていた。二週間の間には、いつもと変わらぬ、平凡な毎日が通り過ぎていたが、何もなかったというだけで、まったく同じような毎日だったわけではない。心境的に変化があったような気がするのは、あまり余計なことを考えないようにしていたはずの弘樹が、いろいろ考えていたからなのかも知れない。

 女将さんとのことを思い出したのも、その一つであろうし、女将さんのイメージが強かったので、それほどでもないと思っていたが、確実に思い出していたのが、琴音のことだった。

 琴音のことを思い出したからといって、会いたいなどといったことを一足飛びに考えたわけでもない。ただ、同じような毎日が退屈ではないようにしようと思っていたことで、琴音のイメージが頭に浮かんできたのではないかと思うのだった。

 琴音のことを思い出せば思い出すほど、最初に会った時のイメージと少しずつ変わってきたように思えてならなかった。

 根本的なイメージが変わってくるわけではなかったが、どこかが違っている。それは自分が琴音に対してのイメージが変わってきたというのもあるだろうが、記憶の中の琴音へのイメージが変わってきたからだ。

 記憶の中のイメージが変わってくれば、思いを馳せているイメージも変わってくる。思いを馳せている相手が変わってくれば、平凡でまったく変わりない毎日を過ごしているという思いが変わってくるのも、当然なのだろう。

 それにしても、琴音は弘樹のどこを気に入ったというのだろう。

 会いたいからと言って、気に入ったというわけではないのだろうが、気になる存在であることは間違いない。彼女にとって弘樹という男性を想像するに、弘樹が自分で見ている自分とイメージがかなり違っていることには違いないように思う。

 そこで、弘樹に欲が出てきた。

「琴音の思いに沿うような男性になっていたい」

 それは、まず嫌われたくないという思いからだった。好きになってほしいという気持ちの一歩手前だが、消極的というか、謙虚というか、そんな姿勢がひょっとすると、表に出ていて、琴音が気に入った部分だったのかも知れない。

 今まで、女性と付き合ったことは少なかったのには、理由があった。

 弘樹は、女性に対して、基本的に、

「好かれたから、好きになる」

 というパターンである。

 知り合ってから、初めてのデートであったり、人からの紹介であれば、初対面の時には、とても気分が高ぶり、夜も眠れないことがあるくらいだったが、実際に会ってからは、次第にその思いは、トーンダウンしていき、なかなか、上昇する気分にはなれないでいた。

 性格的にも「加算方式」というよりも「減算方式」で、満点からの減算のパターンを辿ってきた。

 しかも、弘樹に対して付き合ってみたいと思う女性や、紹介された女性のほとんどは、加算方式の考えを取る人が多かったので、考えが交わることはなかった。

 そういう意味で、まわりからは、

「せっかく紹介してやったのに」

 であったり、

「一体、何様のつもりだ」

 などと、陰口を叩かれることも多い。

 相手が、弘樹に興味を持ち始める頃になると、弘樹の方では、相手の悪い面しか見ないようになっているので、それも仕方がないのかも知れない。一般的に受け入れられない性格を損な性格だと思って、仕方がないと考えるか、あるいは、余計なことを考えないようにするかのどちらかしかないのだろうが、弘樹の場合は、余計なことを考えないようにしようとしていたのだ。それも、発展性のない人間性を形成してしまう一つの要因であったことには違いないようだ。

――今回も同じことになるのだろうか?

 それは分からない。発展性がないからと言って、せっかく相手が会いたいと思ってくれているのなら、会わないわけにはいかないと思った。それに、

「もしかしたら、本当に好きになれる相手かも知れない」

 という期待も抱いていたし、何よりも、手紙の内容の真偽を自分で確かめたいと思ったからだった。本人と話をしてみないと分からないことなのだろうが、果たしていかに話を切り出すかというのも、難しいことだった。

 弘樹は手紙の返事を書き、数回のやり取りで待ち合わせの時間を決めた。

 今さら古風な手紙のやり取りなど、どういう考えなのかと思ったが、他の男性なら、痺れを切らせるところなのだろうが、弘樹のように、会うまでに気持ちを高ぶらせる男には、焦らされている方が、気持ちの高ぶりをフルスロットルに持っていけるであろうから、ありがたかった。

 弘樹にとって、待っている時間は、やってきてしまうと、あっという間だったように思う。他の人がどのように感じるのか分からなかったが、きっと、他の人も同じなのだろうと思いながらも、人と違っていてほしいと思うのは、自分が天邪鬼だからなのかと思うのだった。

 天邪鬼といえば、聞こえは悪いが、他の人と少しでも違っているところを示したいのだ。考えに発展性がないくせに、なぜそのことにこだわるというのだろう? 性格的に生真面目なところを示したいからではないだろうか。自分に対して素直なところがあり、生真面目であれば、天邪鬼だと言われてもいいと思っていた。

 久しぶりの再会に、弘樹の胸は躍っていた。待ち合わせの喫茶店には、三十分も前に着いていて、琴音の到着を待っていた。

 待ち合わせに指定された喫茶店に来るのは初めてではなかったが、初めてのような気がしたのは、それだけ、以前来た時と、心境が違っているからに違いない。以前来た時は、ただの時間潰しで、電車の時間待ちだった。雑誌を見ながら電車の時間まで待っていたが、一時間近く、いたような気がした。急いで帰る気になれなかった時で、時間を無駄にしているという感覚はまったくなかった。

 雑誌を手に取って読んでいたが、普段は読まない雑誌を読むのは新鮮だった。政治面の記事など、普段新聞で斜め読みしかしたことの内容を、いろいろ比喩しながら書いているのが面白く、興味深く読んでいた。

「こんな時間を過ごすのも、いいものだ」

 と、思ったのを思い出していた。

 以前と同じように、雑誌を手に取って読んでいた。同じように政治面の記事を中心に読んでいたが、以前に比べて新鮮さに欠けていた。

「一回目でなければ、これほど新鮮さに欠けるものなのだろうか?」

 と感じたが、回数の問題ではないような気がしていた。

 あれから、時々雑誌を買って読むようになったが、次第に興味を持つようになっていた。興味を持った最初の場所に戻って、もう一度読むと、同じような新鮮さを思い出すものだと思っていたが、どうやら違うようだ。

「なぜなんだろう?」

 自問自答を繰り返したが、環境が、その時と違っていたからではないかと思うのだ。

 琴音を待っていると次第に喫茶店内が暗くなってくるのを感じた。

 自分の目が部屋の調度に慣れてきたからなのだろうが、雑誌を読むにはギリギリの明るさだった。

 待ち合わせの時間は、午後七時半、これから夕食を一緒に食べるには、ちょうどいい時間ではないだろうか。待ち合わせ時間の三十分も前に来ることは珍しいことではなかったが、時間を持て余さないつもりでいたのに、途中から、雑誌を読むのも控えるようになった。気分的に心境が変わってきたのだ。

 待ち合わせ時間の十分前と、五分前とでは、全然心境が違っていた。

 十分前は、待ち合わせの時間までには、まだまだあると思っていたのだが、気が付けば五分前になっていた。その間は、あっという間に過ぎた気がしていたのに、次第に不安になってくる自分を感じていた。

 まだまだ時間があると思っていた時は、精神的に余裕があった。だが、実際に五分経ってしまうと、まだ、五分前なので現れないと分かっているはずなのに、

――ひょっとして現れないんじゃないか――

 という不安感に襲われるようになっていた。

 それは徐々にこみ上げてくるもので、最初から一気に感じるものであれば、不安感として残っていかなかったかも知れないと感じた。

 弘樹にとって、この待ち合わせには、期待するものがあった。

 琴音という女性が、自分に対してどのような印象を持ってくれているか、分かっているつもりだった。後からわざわざ手紙までよこして、会いたいと言ってきているのだから、心に思うところがあってのことであろう。

 だが、会って最初の印象から、次第に変わっていく人もいる。それは、最初に会いたいと思った時の印象があまりにもいいものが残っていて、過大評価してしまっていた場合である。

 女学生には多いかも知れないが、彼女のように落ち着いた雰囲気を感じさせる人には、そんなことはないだろうと思えた。

 弘樹は、琴音のことを何も知らないが、琴音も弘樹のことをどこまで知っているというのだろう。

 一緒にいて、すぐに相手のことを分かってしまう女性もいるのかも知れないが、弘樹はそんなに人に簡単に看破されてしまうような単純な性格ではない。

 だが、それは、あまり馴染みのない人に対してだけだった。

 学生時代の友達から、

「お前は本当に分かりやすいやつだ」

 と言われたことがある。

 その最たる例が、女性の好みらしく、

「お前の好きなタイプは見ていてすぐに分かる」

 と、言われる。しかし、

「どんなタイプが好きなタイプかと聞かれると、答えられないんだよな。一口では言い表せない気がするんだけど、でも、女性を見て、その人が好みかどうか、すぐに分かるのさ」

 と、言われたが、それは、一種のハッタリのようなものだった。

 女性を見て分かるわけではなく、弘樹の表情を見て、好きな相手なのかどうなのかを、その表情で見抜くというのだ。

 最たる例が分かってしまうと、いろいろ弘樹のことを、

「なるほど」

 と思わせるのだ。

 分かりやすいという意味が、素直だということであれば、弘樹は正直嬉しいと思う。ここで正直に喜べるのも、弘樹が分かりやすい性格であることを示している。

 なるほど、弘樹の性格は、堂々巡りのようだ。三すくみのようなものだと言ってもいい、それぞれに牽制があって、均等なバランスが取れているのだと思えば、横の広がりがどれほどのものかということで、

 性格が堂々巡りを繰り返すからなのか、考えていることも堂々巡りを繰り返す。

 性格に発展性がないと思っていたが、発展性がないわけではなく、堂々巡りを繰り返して、出口が見つからないからなのかも知れない。

 待ち人来たらずに近い気持ちにならないように、再度気持ちを引き締めた。五分を切ると、いつ現れても不思議のない時間。目の前に琴音が現れた時に、どのように応対するかを今さらながら考えていた。

 それまでに、いくらか考えていたが、ラスト五分のカウントダウンを切ると、考えていたことが、リセットされたかのように思えた。

 頭の中で、何かがリピートを繰り返し、カウントダウンが、梵鐘を繰り返していた。

「お待たせしました。お待ちになりましたよね?」

 目の前に現れた琴音は、前に会った時の琴音と明らかに雰囲気が違っていた。明るさが表情からは溢れていて、目線が合ったら、お互いに笑顔で返す。そんな仲になっていた。

「いえいえ、そんなことはないですよ」

 言葉に出して言ったのが本当に自分なのかと、疑ってみたくなるほどだった。声のトーンは高くなっていて、声も震えていた。まるで大学時代の恋愛を思い出した気分になっていた。

 仕事で遅くなったとは言っていたが、もし、遅くならなければ、もっと早く来ていたということだろうか、あまりお互いに約束の時間よりも早く出会っていれば、どこか冷めてしまっていたかも知れないと思った。ここは、男が待たされるという構図が一番似合っているのだ。

 約束の時間の十分前に、彼女が現れていればどうだっただろう?

 まだ時間までには、かなりあると思っていたのだから、まだまだ心の準備はできていないはずだ。あまり早くから心の準備をしていれば、疲れてしまうこともあるだろう。それ以上に長続きしないはずなので、結局は、どこかで後悔させられる運命にあったのではないだろうか。

 最初に感じた喫茶店内の明るさが、いつの間にか元に戻っていた。暗い雰囲気に包まれていたと思ったのが、いつ元に戻ったのか。それは琴音が威勢よく入ってきた時だったに違いない。

 喫茶店の雰囲気も途中、狭く感じられたが、こちらもいつの間にか、元に戻っていた。

 待っている間という時間は、きっと特殊な時間だったのだろう。普段とは違う世界を形成していて、

――違う時間を通り越してきたからこそ、出会った時に感じる雰囲気は、最初と同じに見えても、違ったものであることを意識させるものだ――

 と、思わせたのだ。

 相変わらずの笑顔がステキだった。だが、以前一緒にいた時間、こんな笑顔を見せたであろうか。同じ笑顔であっても、少し違っていたかも知れない。そう思うと今の笑顔は、本当の彼女の笑顔ではないような気がした。

――ただの社交辞令?

 そうは考えたくなかったが、信憑性は高い気がした。

 笑顔がステキな琴音の顔を見ると、言いたいこと、聞きたいことがたくさんあったように思っていたのが、まるでウソのようであった。何を言おうか、すっかり分からなくなってしまっていた。

「何か、僕の記憶と違っている部分があるような気がするんですけど」

 一番聞きたいことをストレートに聞いてしまった。それも、何を話していいか分からなくなってしまったことで、話の順序を無視するしかなかったのだ。

「そうですね。お手紙を差し上げたのも、そんな気持ちがあったからなんですが、野村さんは、私がどうして連絡先を知っていたか、それが不思議なんでしょう?」

「ええ、その通りなんです。あなたにどこで連絡先を教えたのかが、不思議で仕方がなかったんですよ」

 声が上ずっているのが分かった。

「いいえ、私はあなたから教えられたわけではないんですよ。かといって、わざわざ苦労して調べたわけでもありません。それは野村さんが思い出せないだけなんですよ」

「どういうことなの?」

「私は、高校時代、野村さんの会社でアルバイトをしたことがあったんです。その時に連絡網みたいなものを一度教えられたことがあったんですが、その時の資料が残っていたんですよ」

 会社が緊急連絡先を提示したのは覚えているが、住所まであったかどうか、今では記憶にない。今の会社ではなく、前に勤めていた会社で、あまり好きではない業種でもあったので、それほど長くは勤めていなかったが、言われてみれば、何となく、その時のことが思い出された。

 だが、その中に琴音がいたかどうかまでハッキリとしないのは、その時にアルバイトに来ていた人たちは全体的に暗い性格で、

「僕のところには、暗い人ばかりが集まってくるのかも知れないな」

 と、勝手に想像したのを思い出した。

 琴音と最初に出会った時の印象は、決して明るい雰囲気ではなかったが、話をしてみれば、暗いという雰囲気は払しょくされ、可愛らしさや愛おしさを感じさせるほどの女性であることに気が付いた。もし、以前に琴音と話を少しでもしたことがあれば、今の琴音が分からなかったということはないだろう。

 温泉旅館で会った時と今とでは、琴音の雰囲気が違っているように思えた。それなのに、

「野村さんは、この間と雰囲気が違いますね」

 と、先制攻撃を受けた。

――いきなり何を?

 思わず、声に出そうになるのを思いとどめるのには、力がいった。まるでこちらの言いたいことを分かっていて、先を越そうとしているようではないか。

 確かに、あの時とはまったく違う心境だと言ってもいい。旅行先と、今とでは、明らかに違っているのも当たり前だ。

「私もあの時とは違っていると思いますよ」

「どういう風にだい?」

「きっと、野村さんが感じているのと同じ思いだと思います。野村さんは、私のことを暗い女の子だと思っているでしょう?」

「どうしてそう思うんですか?」

「だって、私が今、暗いという表現をした時に、表情が変わったのが分かりましたからね」

 と言った。

 ということは、ハッタリを掛けたのと同じではないか。表情に変化を付けさせることを聞いておいて、相手の出方次第で、如何様にも返事を変えることができるような、そんなやり方である。

 手品師が使う心理を読むやり方のようだ。

「何だ」

 と、思うかも知れないが、だからと言って、相手の心理を読むのは、ここからが難しいのではないだろうか。手段としての方法は尽くしても、そこから先は、度量がいるものだ。簡単にいくものではない。

 琴音と最初に会った時、暗い雰囲気だと感じたのは、間違いではないが、性格が暗いと思うことは間違いのようだ。暗い雰囲気と、暗い性格とでは、同じものではない。暗く見えたとしても、それはいろいろ考えてしまうことで、相手に何かを悟られたくないという思いから、相手の興味を遠ざけようと、わざと何を考えているか分からない素振りを、感じさせようとしているのだ。

 今までにも同じような女の子を見たような気がした。その子は弘樹が最初に好きになった女の子で、

「僕は、何か含みのある雰囲気の女性が好きなのかも知れないな」

 と、思った時でもあった。

 惚れっぽい性格ではあったが、本当に好きになるということはなかった。女性を好きになるということの意味が分からなかったからだ。

 思春期は、女の子を好きになるというよりも、思春期独特の性欲に目覚めたことが、そのまま異性への目覚めだと思っていたが、そうではないと思ったのは、生来の生真面目な性格の成せる業だったのかも知れない。

 中学時代に、友達から聞かされた性行為に対する知識、ドキドキしながら聞いたものだ。今でも思い出しただけでも、顔が真っ赤になるほどだ。

 しかし、新鮮であったのも事実で、性欲というのは、諸悪の根源のように、まわりの大人は言っていたが、それだけに友達から聞かされた内容は、インパクトに満ちていた。

 実際に最初、風俗に行った時に感じた興奮は、その時に友達から聞いた話に新鮮さとインパクトを意識として残していなければ、終わった後には、後悔と自己嫌悪しか残らなかったに違いない。

 後悔や自己嫌悪を持ったことから、風俗通いを止められただろうか?

 いや、止めることはできなかったに違いない。やめてしまえば、自分の中に残ったストレスを解消する術がなかったはずだ。風俗通いをしているおかげで、他の趣味にも一生懸命になれるのだ。今の弘樹にとって、それは釣りであり、一生懸命に釣りに勤しんでいる自分を思い起すと、そこにあるのは、自分に対してのいじらしさであった。

 元々が大人しい女の子を好きな弘樹は、最初に好きになった女の子に、何か違和感を感じていた。何を話していいか分からなかったのは、その違和感のためだったが、相手も、同じように何か言おうと思いながらも、言葉にできないようだった。

 お互いに言葉を発しようとしたタイミングはまったく同じ。お互いに遠慮して言葉にならない。

 そんな場面をドラマなどのシーンで見かける。見合いの場面などであれば、まるで茶番を見ているようである。

 そんな場面を繰り返しているうちに、どちらからともなく、冷めた気分になってきた。お互いに一言も話すことなく別れてしまったが、後から思うと、本当はこれほど気が合う相手はいなかったのではないかと思えた。

 話すタイミングが合わないくらいに、同じタイミングで声を発しようとしていたのだから、気が合うのは当たり前だ。

 だが、後悔したわけではない。

 もし、同じ場面で同じようなシチュエーションに、同じ人となったとしても、弘樹はまったく同じことを繰り返すであろうし、相手も同じだと思えたからだ。時間が過ぎたとしても、それは、流れただけで話を先に進めたりなどの意志を働かせることはできないに違いない。

「人生を遡ってやり直したい」

 という人がいる。

「いつのどの場面に遡りたい?」

 と聞くと、相手は必ず言葉を詰まらせることであろう。

 弘樹も、きっと言葉に詰まるに違いない。それは、あまりにも漠然とした設定だからだ。過去に遡ることができたとしても、それは、危険と背中合わせであることは分かっている。現在が過去からの積み重ねによって形成されているのもであるのだとすれば、過去を変えてしまえば、今はないのだ。「今」があったとしても、それはまったく違った「今」である。

「パラレルワールド」

 過去から未来への橋渡しは、放射線状に広がった輪の中にあるという考えだと、弘樹は思っている。

 後悔するということは、過去を振り返すことだ。

「過去を振り返ることは、後ろ向きの人生になるので。、よくないことだ」

 という話を聞くが、弘樹は違う意味で、過去を振り返ることはしない。

「過去を振り返るのは、隣り合わせになっている危険をほじくり返すことになるのだ」

 という考えがあるからだった。

 好きになった人を嫌いになることは、今までにはなかった。皆は、嫌いになったからだと思うかも知れないが、決して嫌いになったわけではなく、

「気持ちが冷めた」

 という感情が強くなっただけなのだ。

「同じことではないか」

 と言われるかも知れないが、大きく違う。嫌いになるのは、相手に、嫌いになられる理由が存在するからで、冷めてしまうのは、相手の理由のいかんは関係ない。

 好きになった女の子に含みが感じられたのは、

「気持ちが冷めることはない」

 と、直感したからなのかも知れない。明るい女の子よりも暗めの女の子が好きなのは、自分の接し方次第によって、自分好みの女の子にできるのではないかという思いもあった。

 別にサディスティックなところがあるわけではない、逆に苛められたいと思うことが高校時代にはあったくらいだ。

 もちろん、本当に苛めに遭うのは嫌だったが、刺激を与えられたいという思いがあり、それには苛められることが一番だという思いを抱いたのも事実だった。

 その頃、初めてSMという言葉を知った。

「僕には理解できない世界だ」

 と、他の人が誰でも思う同じことを、弘樹も最初に感じた。

 アブノーマルという言葉と、同じではないが、意味としては同種のものであり、自分がそのアブノーマルな性格であるという自覚はあった。さすがに一気にSMと結びつくことはなかったが、いつの間にか、苛めが刺激を与えてくれるものだということを理解していた。

 アブノーマルには、男と女の関係が、必ず絡んでいるものだと思っていた。時々女性に対して急に冷めてしまう自分の心境が、アブノーマルと絡んでいるのではないかと思うようになったのだ。

 自分好みに相手をいくらでも変えられるという想像を抱くことは、サディスティックな性格を持っていることもあるだろうが、それだけではないだろう。弘樹は、思春期の自分の中に弱さを感じていた。

 ただ、それは思春期なるがゆえの弱さで、成長期にある中で、しっかりしていなければいけないはずの土台が、本当にしっかりしていたのかどうか、自分の中で怪しいと思っていたのも事実であった。

 そこに弱さを感じていたのかも知れない。

 しかし、それを認めたくない自分がいて、それは、自分が弱いからなのか、思春期だという意識があるからなのか、思春期だという意識があるとすれば、それは弱さの言い訳として使おうとしていた証拠ではないだろうか。

 精神的な弱さは、恥かしさとは違う意味で、表に出してはいけないものだと思うようになっていた。

 恥かしさは、まわりが認める表に出してはいけないもの。精神的な弱さは、知られることで、さらに自分に対しての嫌悪を激しくすることで、立ち直れないかも知れないと思わせるものであった。

 琴音と会うことになっていた二日前のことである。

 何かが、徐々に変わっていくように感じられるようになったのは、気のせいであろうか?

 季節の感覚が分からない時期があったことを思い出していた。自分はどの季節が好きだと聞かれると、

「冬が好きです」

 と答えるだろう。

 冬が好きな根拠は、食事がおいしいのと、夏のように暑さで気分が悪くならないことだった。

 では、なぜ春と秋が好きな季節に入らないかというと、実は春と秋に関しては、どちらに対しても中途半端な意識しか持っていないからだった。

 春は出会いを感じさせる季節、秋は別れを感じさせる季節。春の場合は、陽気で楽天的な考え方になっているが、それが自然なだけに、まるでウソっぽく感じられるのだった。その分、秋の寂しさに重みがあり、重たすぎることが、中途半端な感覚を呼び起こすのかも知れない。

 また、過去の記憶が曖昧になってきている感覚もあった。ついさっきのことのはずなのに、まったく意識がない状態。さっきのことがまるで昨日のことのようだったり、昨日のことがさっきだったりと、短い過去の記憶に曖昧さが残るのだった。

 何かを考えているわけではない。弘樹は何も考えていないつもりでも、時々時間を飛び越してしまった感覚に陥ることがある。無意識の時間は、時間を意識しないから過ぎ去るのだ。気がつけば、時間が過ぎ去ってしまっているのも、当然のことなのかも知れない。

 最近、その原因の一つに頭痛が影響しているのではないかと、思うことがあった。

 頭痛は、定期的に訪れるもので、頭痛が発生する頃になると、感覚で分かるのだが、目の前が真っ暗になるような感覚が襲ってくるのだが、それは、白い閃光が、目を瞬かせる時、まるで蜘蛛の巣が張ったかのような錯覚を覚えた時に訪れる、無数に広がる放射線状の毛細血管が視界を遮ったかのようだった。

 必死で見えない目を、見えるようにしようと奮闘している中で、自分が集中していることに気付き、ハッとする。

 何かに集中している時は、今までであれば、頭痛を感じたことなどなかった。集中しなければならない時、注意力散漫な状態に陥ったことで、自分の中で焦りを煽られていると思うことが一番頭痛を誘う原因になってしまう。

 本当に集中していると、散漫になるほど、まわりを見ていない。一つのことを考えながら、何かに操られている思いがしてくると、操る相手に委ねることが楽だと分かってくる。

 余裕というと聞こえがいいが、一番正直で、簡単に思い浮かぶことなのに、ついつい楽な道を避けようとしている自分がいることに気付く。

 自分の気持ちに素直になることの、一体何が悪いというのか、楽な道を歩こうとしていると、あまりいい方には見られない。

 その気持ちが余計な考えを呼び起こし、素直な気持ちを妨げようとする。天邪鬼だと自分で考えてしまうのも、そのせいではないだろうか。

――まるで同じ日を繰り返しているのではないか?

 と感じることもあった。

 昨日の今の時間のことを思い出すと、明日の今の時間が思い浮かんでしまうのだ。

――まったく見たことがないはずの光景を、前に見たことがある気がする――

 いわゆるデジャブであるが、その時弘樹は、

――デジャブというのは、過去にだけこだわるものではないのではないか?

 と思うのだった。

 見たことがあると思うことが、過去である必要ではない。予知夢というのを見る人もいるというが、未来に見るであろう光景を見たとしても、それは不思議ではないだろう。

 誰にでも起こりそうなデジャブである。弘樹も以前に見た気がした。

 ただ、それは、後になってから、

「あの時がデジャブだったのかも知れない」

 と、感じるのが多く、リアルタイムで、デジャブを感じることは、むしろ少なかった。

「夢を見たつもりの夢を見る」

 という話を聞いたことがある。

 夢など見ていないのに、夢を見た感覚になった時、夢を覚えていないのが当たり前だと思うが、夢を見ていないという感覚に陥ることは、あまりなかったように思う。夢を見ている時が幸せな時だと思う意識が以前からあった。覚えていないとしても、夢を見たことで、夢の内容をもう一度繰り返して見ることができると思ったのだ。

 現実でも同じことが起こるとすれば、それは、同じ日を繰り返さなければ、ありえないことに思えてならなかった。

 同じ日を繰り返したと思った時、

「どちらが夢だったのだろう?」

 と感じた。先に見たのが夢で、次が現実なのか、それとも、現実が先で後が夢なのかである。

 普通に考えれば、最初が現実で、現実を比喩した夢を見たのだと思う方が、よほど信憑性がある。

 だが、現実を、再度夢で見ると言うのも、難しい気がする。

 実際に、現実に起こったことを夢に見た記憶があるだろうか。もしあったとしても、意識の中で否定してしまっているように思う。

 ただ、その夢を見たのが、発展性のない性格である弘樹だったとしたら、考え方が素直なだけに、夢に逆らうことはなく、記憶に残っているのかも知れない。

 自分のことを天邪鬼だと思っている弘樹の考え方とは、明らかに矛盾しているが、矛盾したことを分かっていて、天邪鬼だとさらに考えると、却って素直な気持ちになるのだろう。

――マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる――

 考えを減算方式、加算方式だと考えたりする弘樹の頭の中は、数学的な思考で固まっているのも知れない。時々そんな自分を理屈っぽいと思いながらも、数学的な考え方に集中してしまっている自分に気付く。

 そういえば、風俗の女の子に、似たような考えを持った人がいたのを思い出していた。彼女は、どこか、琴音に似ていた。琴音を見て、

――どこかで会ったことがあるような気がするな――

 と感じさせた。

 琴音と話をしていると、次第に琴音の雰囲気が変わってくるのを感じた。目の焦点が合わなくなってきているようで、それでも、一生懸命にこちらを見つめているようだった。その表情がいかにも色っぽく、弘樹は目が離せなくなってしまった。

 自然と、顔が近づいていき、気が付けば、唇が重なりあっていた。思わず目を瞑ってしまったが、自分が目を瞑るよりも先に、目を閉じた琴音の顔が、とても可愛らしかったのだ。

 貪り合うように唇を重ねる琴音に対し、ここが喫茶店であり、これ以上、エスカレートすることを静止することは、もはやできなくなっていた。弘樹は、元々公衆の面前でキスくらいまでなら気にする方ではなかったが、これ以上エスカレートしてしまうと、さすがに、店員に注意されるであろう。

「表に出ましょうか?」

 弘樹の誘いに、琴音は拒否の姿勢を示さなかった。手を差し出すと、握り返してきた手が汗に滲んでいるのを感じたが、それはまるで、熱い血潮がたぎっているかのようにも感じられた。

 手の平を通じて伝わってくる感情は、さっきまでの琴音と違っているようだ。いや、感情を押し殺しているような雰囲気があったのは、今の感情を押し殺していたからなのかも知れない。

 そう思うと、弘樹は今までに感じたことのない興奮を味わっているような感じがした。それは風俗嬢に会いに行く時とは違っていた。今まで女性との出会いに、どこかわざとらしさを感じていたのが、ウソのようだ。

 新鮮さを感じる。しかも、その新鮮さは、今まで感じていた新鮮さとは違ったもの、新鮮さにも種類があるのだと、感じた。

 背が高い弘樹に対して、琴音はさほど身長は高くない。さらに密着度を高めたいのか、琴音は、今度は腕にしがみつくように、腕を組んできた。

 弘樹の肘が、琴音の胸に当たっている。弾力のある胸は、肘を押し返すが、そのリズムが先ほどの手を握った時に感じた鼓動とリズムが似ていたことで、さらに興奮を高めてしまった。

 公園のベンチに座り、少し話をしようと思った。公園には誰もいなかったので、ゆっくりできると思ったが、今さら何を話そうか、話だけで場が持つのかも疑問だった。

 やはり、琴音は公園に入ろうとする弘樹を抗った。

 弘樹は、琴音を見下ろしたが、下を向いたまま、顔を上げようとしない琴音を見て、自分も覚悟を決めなければいけないと思い、そのまま公園を通りすぎ、ネオン街に消えていった。

 そのうちの一軒に入ったが、琴音が抗うことはなかった。

 腕にしっかりしがみついた琴音をエスコートするように部屋まで一気に進むと、重たく感じた扉を開いた。

 重たく感じたのは、扉に冷たさを感じたからだ。部屋は一瞬、真っ暗だったが、照明は感知式になっているようで、すぐに明るくなった。扉を開けた瞬間、足元を抜けていく冷たい空気が、すぐに暖かさに変わったように思えた。

 部屋に入り、二人きりになると、どちらからともなく抱き付いた。琴音の方が、一瞬早かったような気がする。それは弘樹が気後れしたわけではなく、最初の暗さに怯えを感じた琴音の反射的な行動だったのかも知れない。

 抱き付かれたという感覚よりも、自分から抱き付いた感覚の方が強いから、

「どちらからともなく、抱き付いた」

 と、後から思った時に感じたのだろう。

 お互い、同時に抱き付いた方が、強い密着力を感じる。相手の力の強い時は、こちらは相手に合わせ、相手が少し力を弱めると、こちらが一気に攻める感覚である。

 舌と舌が絡み合っている時、最初に身体が反応していることを感じる。感じるというよりも、「知る」と言った方がいいかも知れない。無意識に感じているわけではなく、相手の気持ちを探ろうとしている自分には、明らかな意識があるからだ。意識がある場合は、感じるというよりも、知ろうとしていることに他ならない。

 弘樹は、琴音の何を意識しようとしているのだろう?

 琴音が弘樹に対して、何かを感じようとしているのを感じるから、弘樹も琴音を意識しているのかも知れない。

 そもそもアルバイトをしていた時の会社の人と偶然会ったというだけで、ここまでするものだろうか? 琴音という女性の性格を考えた時、どうしても、アルバイトをしていた時の彼女を思い出そうとするのだが、彼女がいたという意識すらないのだ。

 最初は思い出せなくても、これだけ一緒にいれば思い出せそうな気がするのに、意識の中では思い出すことは不可能なようだ。今までであれば、思い出せたような気がする。それなのに思い出せないというのは、彼女の言っていることがウソであるか、それとも、よほど、当時意識を残さないように振る舞っていたかのどちらかとしか思えない。そのどちらにしても、容易に理解できるものではない。それだけに、琴音という女性を余計に意識してしまっても無理のないことである。

 ただ、不思議なのは、琴音を抱きしめていると、抱きしめた感覚が初めてではないように思えてきた。

 以前にも抱きしめたことがある感覚。そんな思いは、本当に抱きしめたことのない女性に感じるなど、考えられないことであった。

――思ったよりも、華奢だな――

 服を脱がせていく中で感じたことだ。

 ゆっくりと無言で、そしてなるべく無駄のない動きで、脱がせていくさまは、まわりから見ていると、感情のない機械的な動きに見えるかも知れない。だが、相手に恥かしさを感じさせないようにするには、これが一番効果的だということを、弘樹は知っていた。それを悟らせてくれたのは、風俗の女の子で、彼女たちから、癒しだけではなく、他にもたくさん与えられたものがあることを感じている。いろいろな世界で作法があるように、男女の作法を教えてもらえたことだけでもよかったのだと思える一つであった。

 琴音の華奢な身体、確かに覚えがあった。

 以前から本当は、華奢な身体の女の子は苦手であった。どこか計算高い女の子のイメージがあったからだ。風俗嬢の中にも計算高い女の子もいた。そんな女の子は、ほとんどが華奢だったからだ。

 もちろん、その思いは弘樹の勝手な思い込みであり、誰にも言えないことだが、誰でも自分なりの思い込みを持っていることだろう。そういう意味では、弘樹のような男性を生理的に苦手だと思っている女の子はいるはずである。

 華奢ではあるが、反応は、今まで接してきた華奢な身体をした女の子と、少し違っていた。

――どこが違うんだろう?

 と感じたが、それは考えればすぐに分かることだった。

――身体の反応に、恥じらいを感じさせるんだ――

 言葉で説明するのは難しいが、快感がツボにはまった時の敏捷性は、まるで条件反射であった。だが、すぐにそれを引き戻す力が働く。ただ、これは条件反射ではない。明らかに感情、意志が働いていた。

――意志が働いているとすれば、どんな意志なんだ?

 と感じたが、その答えはすぐに見つかった。なぜなら、弘樹にとって、その行動は、願っている行動だったので、完全に、

「願ったり叶ったり」

 の状態だったのだ。

 身体の反応を楽しんでいると、今度は、聴覚への刺激を感じた。

 聴覚への刺激は、そのまま弘樹の身体を反応させる。相手の身体の反応だけでは得られなかった快感を感じるには、聴覚への刺激は不可欠であった。

「ああ……」

 たったこれだけの言葉で、彼女がどれほどの快感に身を震わせていたかを感じることができる。

 身体の中には、五感というのがあるが、一つだけでは中途半端、他の快感と結びつくことで、沸騰してくる感覚が得られることを教えてくれたのも、風俗だったと思っている。

 もちろん、風俗だけで得られたものではないのだろうが、

「身体の快感だけではなく、心身ともに癒しを与えたい」

 と思ってくれている彼女たちだからこそ、弘樹は安心して身を任せることができるのだし、与える方も、冥利に尽きると思ってくれているのだろう。

 何と言っても、感情のやり取りがなければ、快感などありえないと思っている。一人で感情を高めることができないわけではないが、高める感情の中には限界があるだろう。風俗の場合は時間に制限があるだけに、余計に気持ちの高ぶりをコントロールできるようになったのかも知れない。

 だが、実際に誰かと愛し合う時には、そんなコントロールはまったく無意味だ。無用の長物と言ってもいいかも知れない。身を任せるだけではなく、自分の感情をあらわにすることが恋愛では大切なこと。コントロールなどという制限は、不要ではないだろうか。

 琴音の反応は絶えず、条件反射の繰り返しだった。感情に任せたかと思うと、引き戻し、さらに快感に身を委ねる。そんな琴音を弘樹は可愛いと思う。可愛さは、感情に任せた時に感じ、愛おしさを、引き戻した時に感じる。それが、弘樹が琴音に対して感じる思いの丈であった。

 ベッドの中では、シーツが身体を包みながら、普段にはない感触を感じた。琴音の身体に集中しているはずなのに、なぜかシーツの感触を味合わないわけにはいかなかった。なぜなのかと考えていたが、それだけ身体が敏感になっているからだった。そんなことは考えなくてもすぐに分かることであろうと思うのに、どうして分からないのか、それだけ敏感になった身体が、相手によってなのか、その時々でなのか、違っているからであった。

 本来ならふわふわで、重みを感じることなのどないのに、ホテルのシーツには重みと、身体を刺激する違和感すら感じさせる。

――琴音も同じことを感じているのだろうか?

 シーツの感触を感じるようになると、今日一日のことを回想し始めた。

 朝からソワソワした気分でいたが、一日とは長いもので、ソワソワした感覚の波が、何回となく訪れた。そのたびに、時間が気になって、

「まだ、こんな時間なのか?」

 と思う時と、

「もう、こんなに時間が経って」

 と思う時、それぞれであった。ただ、約束の時間が近づくにつれて、その周期は短くなり、なかなか時間が過ぎてくれない感覚の方が強くなっていった。

 約束の時間を待たずに、待ち合わせ場所にきたのだが、居ても立っても居られないという感覚は今までとは少し違っていた。

 今までであれば、約束の場所で待っていても、ただ時間の経過を待っていればいいだけで、気にすることは何もなかったが、今回は。

――来てくれなかったらどうしよう――

 という気持ちも正直あったのだ。

 今まではもし、相手が現れなくても、それなりに諦めがついていたと思うのに、今回はそれが自分で許せなかった。きっと何か、確かめたいと思っていることがあったからに違いない。

――確かめたいこと――

 それが何なのか、今となっては思い出せない。会ってから顔を見た瞬間に忘れてしまったようだ。

――身体を重ねているうちに思い出すかも知れない――

 自然な成り行きとして、ここまで来てしまった弘樹にとって、思い出そうとする意志はあるのだが、身体を重ねていると、そんなことはどうでもいいことのように思えてきた。

 琴音の反応と、快感に耐えられず漏れてくる声を感じながら、弘樹も自分がどんどん男として変わってくることを感じていた。

「僕は絶えず紳士でありたい」

 という気持ちが強かったのだと、今感じている。

 紳士でありたいから、どこか遠慮だったり、強く責められないところがあったりしたのだ。

 ただ、紳士だからといって、遠慮と背中合わせではないはずだ。相手を責めるSMというのも、大人の紳士のたしなみだという人もいるくらいで、穿き違えていたのかも知れないと感じたほどだった。

「紳士というのは、相手が望むことを、さりげなくこなすことができる人だ」

 というイメージを持つようになった。ただ、それはすべてではなく、相手のためになることであればという前提に基ずくものだと思っているが、果たして自分にそれができるかどうか、疑問であった。

 少なくとも、相手が自分を曝け出し、委ねる気持ちになって、ベッドを共にしているのだから、紳士でなければいけないと思う。ベッドの中の紳士は、心得ているつもりだった。琴音は、そんな弘樹の思いを分かっているのではないかと思っている。快感に身を委ねている琴音が、一気に暴走しないように制御するのも、弘樹の紳士としての態度だと思っていた。

 その中には、焦らしもあった。

「ああ、そんな……」

 その言葉を聞いて、思わず唇を歪める弘樹は、まさにサディストだった。だが、それは紳士的な行動がもたらすもので、

――この女は、私が蹂躙しているんだ――

 と、支配感が充満している気持ちの中のどこに、紳士的な行動があるのか疑問であったが、蹂躙の中にこそ、包み込むことの満たされる充実感でお互いの気持ちが溢れていることを感じさせた。

 男と女の関係ほど、流動的なものはない。お互いの感情、そして立場、打算などが渦巻いている中でのゲームのようなものだと言っている人もいたが、ゲームのように単純なものではない。最終結論が勝ち負けでもないし、従属でもない。行きつく先が幾種類あったとしても、それが真実であれば、その人たちにとっては、「正解」なのだ。

 男と女の関係がゲームだと思ってしまった瞬間に、その人は、トラップに引っかかってしまったような感覚になるだろう。堂々巡りを繰り返すことがくせになり、どうして抜けられないのか、考えることはあるだろうが、トラップであること、そして、ゲームという感覚が邪魔していることを悟らない限り、堂々巡りを抜け出すことはできないのだ。

 堂々巡りという感覚は、普段から誰にでもあるだろう。もちろん、男女の関係になったことのない人にもある。堂々巡りのすべてが、男女関係から発生しているわけではないのは分かっているつもりだが、男女関係から派生するものが、意外とその人の性格に大きな影響を及ぼしていることもあるに違いない。

 琴音の身体が、弘樹にピッタリと合わさり、空気の入る隙間もないくらいになる瞬間を感じる時がある。それは、最後の一線を越えた時ではなく、それ以前に一度感じることがあるのだ。

 それは、誰にでもあることなのだが、感じている人が果たしてどれだけいるのか疑問ではあった。

 聴覚の快感を感じ、相手の表情に視覚の快感が加わり、全身で触覚を感じる。さらに人間の五感の中には、臭覚というのがあるが、女性ホルモンの分泌が大きくなり、その匂いを感じた時が、

「相手と一つになれた」

 と、感じる時だと思うのだ。

 甘酸っぱい感覚に、身体の反応が一気に爆発する瞬間だ。ただ、それは一瞬であり、果ててしまうわけではないので、気付かない人もたくさんいるだろう。弘樹もずっと気付かないでいたが、これも、風俗で気付いたことだったのだ。

 その時の快感を果たして、どれほど大きなものとして感じたことだろう。弘樹は、琴音との快感を感じながら、思い出していた。

――琴音には、五感をすべて満足させる魅力がある――

 味覚に関しては、文章では表現できない。しいていえば、相手がどれほど自分を愛してくれているかの答えは、その密度にあるということであろうか。

 五感を満足させられると、それ以上の快感などありえないだろう。理屈でも分かっていて、身体でも感じている。その思いを、弘樹は忘れないようにしたいと思い、なるべく長引かせようとする。その間にも、琴音は何度も絶頂を迎えていたようだ。

 どれくらいの時間が経ったのだろう? 気が付けば眠ってしまっていたようだ。

 目が覚めると、隣で琴音が弘樹の腕に抱かれながら眠っていた。自分の記憶にあるシチュエーションの延長なので、疑いもない事実なのだろうが、

「夢の続きではないだろうか?」

 と思うのは、なぜだろう?

 夢というものが、寝て見るものだけではないということを思う瞬間でもあった。

 起きていて夢を見ているのだとすると、起きていること自体の信憑性を疑いたくなってくる。

 夢は潜在意識の成せる業だと言われることから、

――夢を見ている感覚は、何も考えていないことの証拠なのかも知れない――

 と思う。

 考えが入ってしまうと、夢が歪んでしまう気がするからだ。夢というものが、何かの力によって見せられているものだとすれば、そこに自分の考えが後から影響することはない。元々の考えから派生しただけのものが夢だという考えだからである。

 隣で気持ちよさそうに寝息を立てている琴音はどんな夢を見ているのだろう?

 そういえば、夢の共有を考えたことがある。ここまで近いのだから、一番共有していてもいいはずで、今琴音の夢の中に、自分が出ているのではないかと思うと、むず痒い感覚になるのだった。

 琴音の夢の中には、果たして弘樹がいた。だが、同じ弘樹なのだが、夢の中の弘樹は、完全なサディスティックな弘樹であった。

 琴音が嫌がることを平気でする。身体を縛ってみたり、感じる部分の刺激に強弱をつけて、焦らしてみたり、琴音が恥かしいと思っていることを、ことごとくさせようとする弘樹に、琴音は快感で身悶えしていた。

 もちろん、弘樹はそんな琴音の夢の中まで分かるはずもなく、優しく見つめているだけだった。

 琴音の夢の中では、そんな優しい顔の弘樹は登場せず、いやらしく唇を歪めた厭らしさしか感じさせない表情だった。

「お願い、許して」

「ダメだ!」

 そんなやり取りに、夢の中であるにも関わらず、淫臭が漂っている。弘樹は、さらに淫乱な行動に出るのだが、何度も頂点に達した琴音の身体は、どこまで耐えられるのか、それが一番の興味であった。

「まだ、夢の中で余韻があるんだな」

 と、弘樹は感じていたが、まさか、琴音の中の「もう一人の自分」が暴れているなど、思ってもいなかった。

 しかも、この「もう一人の自分」を、琴音は愛しているのだ。本当に琴音が愛しているのは、現実世界の弘樹ではない。それを琴音は自覚しているのだろうか?

 ただ、今回の行動は、その思いを確かめたくての行動であった。琴音にとってそれは意識的ではなく、無意識だったことで、弘樹に対しては、何かを疑う気持ちになることはなかったようだ。

「愛とは何なのか?」

 誰もが考えていることだが、それぞれに定義が違う。琴音も弘樹も、お互いに相手がそれを知っているのではないかという思いになったことで、知り合ったのではないかと思っている。身体を重ねることで、その答えが見つかると思ったわけではないだろうか、自然な行動であることから、何かの意味があることには違いないようだ。

 琴音がどこまで今の自分を理解しているか分からない。また、夢の世界の出来事も、夢だという自覚がなければ、きっと、頭の中で混乱を招いていることだろう。招いてしまった混乱を少しでも和らげようと、無意識にすべてを夢だと思うようにしているのかも知れない。

 弘樹は、次第に琴音の夢の中に入り込んでいる自分を感じているようだった。ただ、夢の中に入り込んでいく中で、少しずつ大切なことを忘れて行っているように思えてならない。なくしているのか、失っているのか、どちらにしても、どんどん消えていくのを感じるのだった。

 琴音の身体を忘れることはないように思うが、それよりも、琴音という女性の存在自体が薄くなってくるのではないかと感じることが怖かった。話を深める前に身体を重ねてしまったことに、弘樹が後悔の念を抱いたのは事実だった。

 釣りをしている時、琴音はじっと釣り糸を見ていた。自分の手で操っている糸を見ているのであれば、飽きることもないのだが、人が操っている糸を見ているのに、飽きが来ないというのも不思議なものである。

 浮き輪が浮いたり沈んだりしているのを見ていると、眠くなったりするのではないかと思うのだが、琴音には、そんなことはないだようだ。

 考え事をしていると、確かに時間が経つのを忘れてしまうくらいになり、あっという間の出来事として記憶に残るのだろうが、その時の琴音は、考え事をしているのかが分からなかった。気にしていても、まるで気配を消しているかのように、オーラを感じさせなかった。再会した時の喫茶店では、いるだけでオーラを感じさせたのに、温泉旅館ではまったく気配を感じさせない。まるで別人ではないかと思うほどだった。

 別人ではないかという意識は、随所に見られた。

 弘樹を見つめる目は、以前にも感じたことのあるものだったが、それは、琴音が弘樹の会社でアルバイトをしていた時の女の子に感じたものだった。そういう意味では、今日現れた琴音は、以前弘樹の会社でアルバイトをしていた女の子に違いないと思える。

 その頃の弘樹も、毎日が平凡で変わりのない生活の繰り返しだった。平凡で、変化のない暮らしに違和感がなくなってきたのは、ちょうどその頃だったように思う。少々のことには、何も感じなくなった。潔いという言葉で自分を納得させてきたが、ただの言い訳でしかないことは、その時も分かっていたはずだ。

――いかに自分を納得させられるか――

 それが、弘樹の中での言い訳を正当化させようとする、さらなる言い訳のようなものだった。

 自分が、毎日の生活を平凡でも納得できるようになったのは、女の子に対して、あまり感情を持たなくなってからだ。それまでは、彼女がいないことや、女性の友達がいても、まるで相手にされていないことを分かることで、絶えず自己嫌悪に悩まされていた。

 いつも何かを考えているというのは、余計なことを考えてしまうことを自己嫌悪に結びつけないようにするために、いろいろなことを考えるようにしていたのだ。最初からいろいろなことを考えるのは、意識してのことではなく、無意識の考えが、頭の中を巡ったのだ。

 琴音を抱いていると、次第に、彼女の視線が自分ではなく、自分の後ろにいる誰かを見つめているように思えてならない。最初は、恍惚の表情から、目の焦点が合っていないことで、どこを向いているのか分からなくなってしまっているかのように思えたが、実際にはそうではないようだ。

 釣りをしていた時の自分と、今の自分を見比べている。そして、琴音の感情は、釣りをしている時の弘樹を明らかに意識している。毎日を平凡に過ごしていて、発展性のない弘樹である。

――普通なら、逆だと思うのだが――

 しかも、そう思いながら、今の弘樹に抱かれて、琴音は恍惚の状態にいる。

 弘樹はそんな琴音を見ながら、自分が、少しずつ変わってきているのが、気になっていた。

――琴音が、僕を意識しているために、もう一人の僕が顔を出したということなのだろうか?

 弘樹は、琴音を意識しすぎないようにしなければいけなかった。意識してしまったがゆえに、もう一人の自分、つまり琴音が会いたいと思っているであろう弘樹を呼び起こしたのかも知れない。

 弘樹自身は、もう一人の自分の存在を知らない。もし、もう一人の自分が表に出てきてしまえば、今の自分が裏に隠れてしまう。裏に隠れれば、その間にもう一人の自分が琴音にしたことを何も知らないことになるのだ。

――果たして、いいことなのか悪いことなのか――

 弘樹には分からなかった。

 だが、逆も言えることで、琴音の中にもう一人の琴音がいると思っている弘樹には、いくら告白したとしても、二人同時にすることはできない。どちらかにしか告白はできないのだ。

 そうなれば、確実に二人の見分けがついていないといけないだろう。それもその時だけではなく、これからずっとということになる。これほどきついことはないだろう。

 見分けがつかないことで、相手を間違えてしまえば、取り返しがつかない。まったくの別人なら見分けもつくだろうが、肉体は同じ、考え方も表に出ているところしか分からないので、それぞれ、隠そうとしているところが似ていたりすると、それこそ見分けがつかない。釣り場に一緒にいた彼女は特に自分を表に出そうとはしなかった。それだけに、手紙があった時にはビックリしたのである。

 琴音が手紙を出そうと思った心境がどうしても分からなかったが、彼女の中にもう一人いるのであれば、それも分からなくもない。だが、実際にそれぞれの彼女を分かっていくと、どちらの琴音も、手紙を出すような気がしていた。

 一人は積極性のある性格からで、もう一人は、手紙を出さなければ自分ではどうしようもないという切羽詰った考えの自分である。

 正反対の考えの元であっても、行ってしまう行動は同じ、結局、同じことをしてしまうシチュエーションに、それぞれの世界では設定されているのかも知れない。それはお互いに背中合わせの人生であって、人間それぞれに背中合わせの人生がある。それは、その人の都合による背中合わせであって、他の人の背中合わせとどういう関係にあるのかを考えると、無数に存在しているように思う。

 無数に存在しているからこそ、もう一人の自分の存在を誰も分からないのだ。分かっていれば頭が混乱して、さらに人との関係の中での秩序に、関連性も何もなくなってしまうに違いない。

 それは毛細血管の広がりに似ている。突然襲ってくる頭痛に苛まれた時、放射状に見えていた毛細血管を思い出す。放射状に伸びているのを思い出すと、無数に存在している背中合わせの関係は、放射状に広がっているのではないかと思うのだ。

「待てよ」

 頭痛が起こる時、何も関係性が認められないと思っていたが、ひょっとすると、背中合わせの関係が入れ替わっている瞬間なのかも知れない。もし、そうだとするのであれば、少なくとも自分の中で納得できるような気がしていた。

 特に最近は、頭痛に悩まされることが多い、そして、頭痛が起こった時の後の記憶が曖昧だったり、辻褄が合わないような気がすることがあったが、それは、無意識に作られた意識なのかも知れない。

 もう一人の自分に、相手の記憶を操作できる力があるとは思えない。あるのだとすれば、今の自分にもあるはずだ。そもそももう一人の自分が、こちらの存在を知っているという根拠もない。もし、知るのだとすれば、今しかないような気がするからだ。

――では、記憶が曖昧ではありながら、存在するのだろう?

 それは、自分の意識が、記憶のないことを気にして、勝手に前後の関係から、記憶をねつ造しているからではないだろうか。記憶をねつ造するといっても、前後の関係は誰よりも知っているのだ。ただ、他の誰にも分からないことでも、自分に分かってしまうようでは仕方がない。ただ、弘樹自身、疑ってはみるが、それ以上考えない性格だったことが幸いしているに違いない。

――感情などというのは、いくらでも操作できそうだが、辻褄の合わないことを、よくもこんなにうまく制御できるものだ――

 と、思うのだった。

――そういえば、今朝も頭痛に悩まされたものだ――

 と、感じた。

 頭痛は、簡単には引かないが、頭痛薬を飲むことで、気が付けば、引いていることが多い。

――病は気から――

 と言われるが、まさしくその通りである。

 頭痛薬は気休めでしかないと思っていたはずなのに、一度効いてしまうのを感じると、その次からは、頭痛薬を飲まないと、頭痛は引いてくれないと思うようになっていた。

 頭の痛さは、胃痛とも微妙に絡み合っている。頭痛があった時は、食事がいけない。どちらかというと小食の弘樹は、たまに、何も食べていないはずなのに、お腹がいっぱいになるのを感じることがある。

――精神的にお腹が膨れるような気がするのではないだろうか――

 と思ったりするが、それだけではなく、

――ひょっとすると、もう一人の自分が大食漢で、知らない間にたくさん食べているのかも知れない――

 などと思うが、

――バカバカしい――

 と、簡単に否定してしまう自分もいた。理屈ではありえないが、それでも打ち消した自分が本当に自分なのかと思うと、どこまでが自分なのか、分からなくなってしまう。

 身体が慣れてしまうことは、往々にしてある。順応性があるというのとは、少し違っているのかも知れないが、特に最近は、不規則な勤務体制のために、あまり食事を摂らないことが多い。そのために、胃が小さくなっているのかも知れない。

 食事を摂っているのと、摂っていないのとでは、あまり変わらないと思っていたが、実際に体力的な面では、かなり違ってくる。特に、通勤ラッシュの中で立っていたりすると、結構きつい。

 空気が濃厚な中では、呼吸困難に陥る。臭さにも敏感で、特に満員電車の中などでは、吐き気を催すことがあり、空腹が辛いのを、教えてくれる。

 それだけに、空腹を少しでも、和らげたいという気持ちから、空腹な状態でも、満腹感を植え付けるようになったのだろう。その気持ちと同じ感覚は他にもありそうで、辛い気持ちを隠すために、無意識に身体が反応することである。

 ただ、身体が反応する瞬間、自分ではないという感覚を覚えることがあった。最初は分からなかったが、もう一人の自分の存在を意識すると、そこにいる自分が、どこまで今の自分を意識しているかが分からない。無意識の行動が、特に最近多くなったような気がする。何かをしていて。気が付いたら、

――どうして、今、こんなことをしているんだろう?

 と思うことも少なくないくらいだ。

 もちろん、自分の危険になることをしているわけではない。夢だって潜在意識が見せるもの、無意識の行動として行っていることも、そのすべては潜在意識によるもののはずである。

 琴音を抱いている自分は、どっちの自分なのだろう?

 時間がなかなか経たない時と、あっという間に時間が過ぎてしまうことがあるが、それも、もう一人の自分が表に出ているか出ていないかの違いで感じるのかも知れない。

 もう一人の自分を意識することがあっても、本当にその存在を確信できるほどではない。漠然と意識している方が自分の行動をあまり把握できないが、中途半端な把握であれば、分からない方がいいかも知れないと思う。

 いつも、もう一人の自分が表に出ているわけではないので、意識しすぎると、今度は、本当の自分を見失ってしまうことになるだろう。見失ってしまうと、もう一人の自分どころではない。なぜなら、他の人に見えているのは、本当の自分でしかないからだと思うからだ。

――もう一人の自分の存在は、自分にしか分からない?

 もし、他の人に分かるのであれば、弘樹の行動をおかしいと思い、誰かが指摘してもしかるべきだ。誰もしないということは、意識していない証拠である。

 ひょっとして、もう一人の自分が表に出る時は、本当の自分に見えるように表に出るのではないかと思ってもみたが、それではもう一人の自分の存在意義自体がないではないか。やはり、もう一人の自分の存在価値は、自分の中にいて、自分にすら意識させないほど隠れていて、自分への戒めとしているだけなのかも知れない。

 だが、その考え方は、あまりにも都合がよすぎる感じもする。それでももう一人の自分の存在を意識しているだけいいのではないか。存在を知らないのであれば、それで済むことを、わざわざ意識するのだから、それがもう一人の自分にとって、有難迷惑に当たるとしても、存在を意識してもらえるのは、悪いことではないだろう。

 誰もが、もう一人の自分を背中合わせに持っているという考えは危険であろうか。少なくとも、まわりを見ていると、持っていない人はいないように思える。それは自分の知り合いには、性格的に極端な人が多いからだ。それは、裏を返せば、性格が一直線で、素直な性格だとも言えるだろう。多重人格に見える人も、一つの性格に曲がったところがない。だからこそ、「多重」に見えるのだ。もし、多重に見えなければ、性格が曲がっているように見えることだろう。そういう意味では、見ている人によって、彼の場合は、いろいろな角度から見られていることだろう。

 琴音は、弘樹のことを好きだと言った。弘樹も琴音のことが好きである。好かれたから好きになったのだが、好きになっていく過程で、

――本当に好かれたから、好きになったのだろうか?

 と思った。

 琴音という女性が、今まで自分が知っている女性たちと違っていたからだが、それは、風俗の女の子も含めてのことだった。

 琴音には、その後ろに、もう一人の自分を感じたからだったが、実は風俗の女の子にも、もう一人の自分を感じていた。ただ、もう一人の自分が前面に出てくることはなく、何となく感じるだけであった。

 琴音の場合は、完全に表に出てきていて、気を付けていなければ誰も分からないかも知れないが、

「どこかが違う」

 という気持ちが、

「彼女は変わっている」

 という言葉で片づけられてしまうかも知れない。

 もう一人の自分が前面に出ているのを感じたことがあったのは、琴音だけではなかった。温泉旅館の女将さんにも同じものを感じた。感じたからこそ、身体の関係になってしまったのであって、もう一人の女将さんは、本当に素直であった。

 普段の女将さんは、素直さを表に出しながら、どうしても女将さんとしてのしたたかさが強く押し出されるため、なかなか素直さを素通りしてしまうだろう。

「彼女は女将さん」

 ということで、女性として彼女を見ている人がどれだけいるのだろう? と思うくらいであった。

 琴音が弘樹のことを好きだと言ったが、どっちの弘樹のことを見ているのか、ハッキリと分からない。分からない方がいいのかも知れないと思うほどで、何と言っても、ほとんど、お互いのことを知らないではないか。弘樹も琴音を好きだと思ったが、それは好かれたからだという前提があるからで、もし、前提がなければ、本当に好きになったかどうか分からない。

 もう一人の自分が見え隠れしているところには、魅力を感じる。自分も同じだと思うからだ。他の人に感じないことを、その人にだけ感じるとなると、それだけで、十分に魅力を感じて当然ではないだろうか。

 弘樹が気になっているのは、琴音に関して、

――どこか、彼女に対しての記憶が飛んでいるところがあるのではないか?

 と思うことだった。

 彼女のいうように、確かにアルバイトに来ていた女の子を思い出すと、琴音がいたことを思い出すことができる。だが、どうしても、今の琴音の行動と、その時の琴音とでは、繋がらないところが見えてくるのだ。それが何かのか分からない今なのに、好きになったというのもおかしなものである。

 釣りで一緒になった琴音も、まるで別人ではないかと思えるほどだ。もう一人の自分という存在を考慮に入れても、どこか違っているように思えてならない。それは、きっとアルバイトをしていた時に感じた琴音の印象に、インパクトのある何かがあって、それが何なのかを思い出せないからであろう。

 釣り糸を眺めていた彼女を思い出すと、何を考えているのか分からないというイメージしか残っていない。初対面だとしか思っていなかったから、そういう目で見てしまったからであろうが、それだけであろうか。

 ただ、何かを考えていたのは事実だと思う。糸の先を見ながら微動だにせず、ずっと見ているなど、他のことに考えを巡らせていなければ、できないことであろう。もちろん、それは弘樹自身、自分に置き換えて考えているにすぎないのであるが、琴音の視線の焦点が合っていて、目をカッと見開いていた時だけ、考えていないかも知れないのではないだろうか。

 弘樹は、アルバイトに来ていた時の琴音を思い出していた。

 まだあどけなさが残る中で、どこか大人っぽさを感じさせたが、それは、思春期の女の子が背伸びしている雰囲気も感じられたが、それ以上に、彼女の中にある人を纏める力のようなものがあった。

 ただ、それは自分が中心になって、まわりを従えるというわけではなく、人に助言をすることで、役に立とうと思っているようだ。

「縁の下の力持ち」

 という言葉が合う、裏方が似合うのかも知れない。

 正社員の中には、弘樹よりも若い男の子もいて、彼らには、琴音は人気があった。派手ではないが、どこか気になる女の子というイメージを抱いたに違いない。かくいう弘樹も同じことを抱いていたからだ。

 ただ、弘樹は年齢が離れていることと、社員とアルバイトという関係以上になることを、必要以上に気にしていたように思う。素直でなかったと言えば、それまでなのだが、

――もう少し、気にしてあげてもよかったかも知れないな――

 すぐに思い出せなかったのは、自分が素直でなかったのが原因だったのだろう。

「寂しいな」

 釣りをしていて、ボソッと、琴音が呟いた。

 最初は何のことか分からなかった。自分だけのことをいろいろ考えていて、感極まった感覚で、思わず出てしまった言葉ではないかとも思ったが、それは、弘樹がなかなか自分のことを思い出してくれないことへの寂しさだったのではないかと思うのは、どちらが自然であろうか。

 弘樹にとっては実に都合のいい解釈でもあった。ただ、都合のいい解釈をすることが、分からないことを解釈しようとしたり、忘れてしまったことを思い出すための一つの手段だと思うのも無理のないことだと思う。

 琴音は、アルバイトをしている時、誰ともあまり話をしているところを見たことがないが、気遣いだけはキチンとしていた。それなのに、アルバイトを辞めることになったのはいきなりだった。

「彼女は、他のアルバイトの男性と、関係を持った」

 さらには、

「社員の男性と関係を持った」

 などと、いろいろな良くない噂が飛び交っていた。

――彼女に限って――

 と思いながらも、信憑性を確かめることなく、噂を信じてしまうのは、弘樹も人間として未熟なところがあったからだ。

 ここでも、琴音のことを忘れてしまって思い出せない要素があったことを思い出した。勝手に思い込んでしまったことで、琴音に悪いと思うことで、

――彼女のことを覚えていてあげないことがいいことなのだ――

 という思いが、弘樹の中にあったのだ。

 いろいろな細かい要素があって、琴音のことを覚えていないように、意識していたことを思い出してくると、琴音のことを一気に思い出せるような気がしたのだが、それでも何か引っかかりがある。やはり、琴音は弘樹にとって、不思議な雰囲気を背負った女の子である。

 今では、あの時の噂が本当であったかウソであったかは関係ない気がした。それは時間が経っているからというわけではない。琴音が、もし他の男性と関係を持ったとしても、それは彼女の性格であればそれでも仕方がないと思う。

――好きになったのに、それを許してしまうのか?

 自問自答してみるが、それに対してもう一人の自分は答えてくれない。

 好きになった人を独占したいという気持ちは強い方なのに、なぜ琴音に関しては、感じないのだろう。

――それだけ年を取ったのかな?

 年齢を重ねると、自分に自信が持てなくなり、相手が他に男性がいても、それを仕方がないと思う人もいるというが、少なくとも、弘樹にそんな気持ちはない。好きになった人を独占したいという独占欲は、当然のごとく持っているのだ。

 琴音がアルバイトに来ていた頃の自分を思い出していた。

 自分は三十代前半くらいだっただろうか。今から思えば、琴音は相当年齢が離れているように思えた。

 相手が学生であるということも大きかったが、成長期であれば、日に日に雰囲気が違ってくるという感覚が強くあったからだ。

 三十代前半の弘樹は、やはり今と変わらずの発展性のない性格で、さらに気が短かった。しかも釣りを知る前だったので、自分の性格をいかに抑えるかという術も分からず、人に逆らうことも結構あったと思う。それでも、何とかここまで来れたのだから、何か他にいいところもあったのではないかと思うが、それは本人には分からないところだった。

 弘樹の考えに納得する人もまわりにはいた。さすがに本心をズバズバいうことはなかったが、話をしていて共感してくれる人はいた。彼らは、今の生活のどこかに不満を持っているようだが、何に不満なのかを分かっていない。それだけに苛立ちは激しいのに、短気な部分を表に出さないようにしているので、自分の中でのジレンマに耐えきれなくなり、抑えきれない感情の持っていき場所に困っていた。

 弘樹はそんな彼らの気持ちが痛いほど分かった。分かったが、どうしてやることもできない。ただ、話を聞いてあげるしかできないが、それでも彼らには感謝される。

――恐縮だな――

 と思ってしまうが、自分の話を聞いてくれる人がいないことに、複雑な思いを抱いてしまうのだった。

 聞き役に徹するのは、学生時代からのことだった。自分から発言することがなく、ただ話を聞いているだけというのは、離す方にはありがたがられるが、聞いている方は、結構疲れる。

「どうして、そんな疲れることをするんだい?」

 誰かに言えば、きっとそう言ってもらえるだろう。

 だが、これが自分の性格なのだと最初に思いこんでしまったのだから、途中で性格を変えることは難しい。しかも、自分の中にもう一人いるのだとすれば、余計に難しいことである。分かったのは、最近のことであるが、何となくもう一人の自分の存在というものに気付いていたのかも知れないと思うのだ。

 三十代前半という年齢は、それからの十年があっという間に過ぎることを予感させるに十分だった。すでにその頃になると、毎日のマンネリ化を当然のごとく受け入れる自分を感じていた。

 確かに発展性のない性格ではあるが、マンネリ化をいいことだとは思っていない。機会があれば、少しでも膨らみのある毎日にしたいと思って当然ではないだろうか。

――薄っぺらさがあるから、余計に背中合わせになっているもう一人の自分を感じることができるのかも知れない――

 そんなことを感じていると、弘樹にとっての三十代前半は、人生の中に何度かあるターニングポイントが存在しているのではないかと思えた。

 膨らもうという気持ちが強い方が、表に出て行くのだとすれば、今の自分のように発展性のない性格でも、膨らもうとする何かがあるのだろうか。あるとすれば、どこに膨らもうとする根拠があるのかが分からない。根拠もなく膨らもうとするなど、考えられないからだ。

 釣りをするようになって、少し変わったのかも知れないが、根本にそんな変わりはない。琴音は、そんな弘樹に何を見たというのだろう? 魅力を感じるものなど、何もないはずなのにである。

 発展性のない性格になってしまったのは、心の中に、発展することに対して諦めを見たからであるが、他の人から見れば、それこそ、諦めが早すぎると見られることだろう。それだけ冷めた目で見ているからで、冷めた目で見ている人は諦めが早く、気も短いと思うようになっていた。

 弘樹の十年後輩に、弘樹と同じような性格の社員がいた。

――僕のような性格の人は、そうもいないだろう――

 と思っていたが、まさか、自分の後輩に現れようなど思ってもいなかった。

「類は友を呼ぶ」

 と言われるが、まさしくその通りだ。

 だが、彼が同じ部署にやってきたのは、偶然ではないかも知れない。上司や総務の人が見て、同じような性格の人を転属させたのかも知れない。考えすぎかも知れないが、そう思う方が自然な気がした。

 お互いに性格が突出しているので、衝突もある。さすがに後輩の方から、挑発的な態度を取ることはないが、弘樹の方も、露骨な態度を取ることは控えていた。大人げないことくらいは分かるからである。だが、いつ爆発しても不思議のないような一触即発の状態が続いたことも事実である。今では落ち着いているが、思い出しただけでも、会社に来るのが本当に嫌な時期でもあった。

 自分の性格が短気で、発展性のないことを、自分なりに確信したのは、彼を見てからのことだった。それまではウスウス気付いていても、それを認めることが怖いと思っていた時期があった。

 後輩を見ていて、イライラしてしまう自分に気付く。それは自分にイライラしているのと同じであった。

 釣りに出るようになった本当の理由は、後輩を見て、

「このままではいけない」

 と思ったからかも知れない。

 琴音と出会ったのはもっと前のことだったので、自分の性格を知る前であった。ただ、性格がエスカレートする前だったのかは分からない。それでも釣りをしている弘樹を見て、琴音はどう思っただろう?

――少し、性格が丸くなったのかしら?

 とでも思ったであろうか。釣りに勤しむ姿など、当時の弘樹から想像もつかなかったに違いない。偶然とはいえ、出会ったことがお互いの気持ちに何かの変化を与えたのは事実で、ひょっとすると、彼女の方では、最初に燻っていた思いが、再燃したのではないかと思うのも無理のないことだった。

「人の振り見て我が振り直せ」

 というが、弘樹にとって反面教師がいたのは、不幸中の幸いだったかも知れない。

 久しぶりに会った琴音は、最初分からなかったほど、大人になっていた。元々顔を覚えるのは苦手であったが、しばらくしても思い出せないほどの変わりようであった。

 ただ、今は当時の琴音を思い出すことができる。それは、琴音を抱いたからである。切なそうに弘樹を見つめる目、あれは明らかに弘樹の記憶にあったものだ。しかも、琴音を見ていて、一番印象深い表情だったことは間違いない。身体が正直に反応したことがその証拠であろう。

 琴音を抱いたことを後悔しているわけではないのに、何か気持ちの中に自己嫌悪を感じる。

 琴音という女性が、正直であることを今さらながらに気が付いたからだ。

 単なる噂で、根も葉もない根拠のないことだと思いながらも、当時の琴音への誹謗中傷を全面的に否定できなかった自分を思い出したからだ。

「僕に、琴音を抱く資格なんてあるのか?」

 という思いが頭を巡る。

 弘樹は、頑固なところがあるが、人に流されているところもある。どうしようもない性格だが、

「人に流されるのも、正直な証拠。正直ではなくなるくらいなら、人に流されてもいい」

 とまで思っているほどだ。

 弘樹は性格の中で往々にして、正反対の、しかも悪い性格が同居していることがある。短気で諦めが早いのも同じことだ。

 だが、性格には表裏一体のものがあり、隠れている部分が、前に出ている他の性格と結びつくこともある。それが相反関係を示すことで、悪いところだけが表に出てしまう。

「どうして、僕のやることは、そんなに目立つんだ?」

 と、学生時代に感じたことがある。それも、悪い方に目立つのだ、

 他の人が同じことをしても、何とかなっているのに、自分がすると表に出て問題になったりする。不公平な気持ちを抱いたまま、ずっとここまで来たが、その答えは今も出ていない。

 弘樹は、一度、夢の中で見たことがある女性と知り合ったことがあった。知り合った時、夢で見た相手だとは気づかなかったが、何となく、彼女に好かれている気がしたので、自分もその気になり、彼女を口説こうとした時であった。

「何するのよ」

 と、罵倒されたのだ。

 少し言い寄った感じではあるが、しつこく言い寄ったわけではない。むしろ、気を遣いながらだったように思う。彼女の雰囲気は、一目見て、

「気が強そうな女性だ」

 と、思うほど、つりあがった感じの目をしていたのだ。

 いい雰囲気に持っていったのは、彼女の方だった。それまではつり上がったような目線ではなく、逆に、相手に委ねるような目線だったのが、急に豹変したのである。最初から目が釣りあがっていたのであれば、彼女が夢で見た女性であるということが分かったはずである。

「私のこと、どう思っているのよ」

「好きになりそうな相手だと思っているよ」

「何ですって? たったそれだけのことで私に言い寄るなんて、百年早いわよ」

 この現実では信じられないようなセリフも、夢の中そのままだったように思えた。

 だからこそ、思い出せたのだ。夢の中の女は、豹変したわけではなく、最初からそんな感じだった。一番苦手で、嫌いなタイプのはずなのに、夢でなければ、絶対に近づくはずのない相手である。夢であるとしても、一体どうして、こんな女のそばにいることになったのだろう? 弘樹は、夢と現実の狭間にいることを自覚していた。

 気が強そうな女性に近づいたことがないわけではない。最初から気が強そうに見える相手であれば、潔さを気に入っている弘樹にとって、彼女としてみることができるかは別にして、気になる相手となることは間違いないだろう。決して、自分から避けるようなことはしないはずだと思うのだった。

 彼女のことを夢で見たというのを思い出したのは、罵声の瞬間だった。まったく同じシチュエーションだと思ったからだ。だが、後から思い返してみると、どうやら、同じシチュエーションではなかったようだ。どちらかというと、表情にだけ気を取られていて、逆に性格は、それほどきついものではなかったように思えた。

 ただ、人を遠ざけるようなオーラはあった。引きつけないオーラとすれば、偉大すぎて近寄ることができないといういい面を持った人であること、また逆に、喜怒哀楽が激しすぎて、周りから受け入れられない性格である面を持った人の二通りが考えられる。どちらも、弘樹には悪い性格だとは思えない。喜怒哀楽が激しい人であっても、激しすぎるがゆえに、受け入れられないだけで、芯はしっかりしているので、人から頼られる性格でもあるだろう。だが、それが女性であるがゆえに、損な性格だと見られがちなところもあり、却って人を寄せ付けないのだろう。

 彼女は、同じ大学で、重なっている講義がいくつかあって、お互いに気にしても無理のないことだった。

 講義室では、二人とも、あまり後ろに座ることはなかった。

 弘樹の場合は、講義が好きだというわけではなかったが、他の連中のように後ろで屯するのが嫌だったのだ。

「わざとらしいんだよな」

 後ろの方にいたからといって、講義を途中で抜けられるわけでもない。中には抜けれる講義もあるにはあるが、抜けれない講義に対して、わざと後ろに座ることもないだろう。

 講演台に立ってみれば分かるが、講義室の後ろの方というのは、却って目立つ。遠ければ遠いほど、近く見せようとして高い位置になっている。それだけ、相手の水平目線に近づくのだから、目立って当然ではないだろうか。

 それなのに、大学の講義というのは面白いもので、前に陣取って、しっかりノートを取っている者、奥の方で、集団で講義のことなど眼中にないと言わんばかりに、自分たち本位の世界を作って言う連中、真ん中がぽっかりと空いている感じだ。

 弘樹は、真ん中あたりに座っている。一緒に講義を受ける人がいるわけでもなく、必死にノートを取るわけでもない。一人ゆっくりできるのは、真ん中の席だ。

 講義も面白ければ、真面目に聞くが、面白くない講義であれば、本を読んだり、好きなことをしていた。

 確かに後ろの方で、好き勝手やっている連中とは違っている。少なくとも、他の人に迷惑は掛けない。前で必死になってノートを取っている人たちにとって、後ろの方の連中は、邪魔でしかないに違いない。騒がしい時は、本当にまわりが見えていないからだ。

 彼女は、そんな弘樹のそばで、一人佇んでいる。絶えず本を開いているが、ずっと読んでいる雰囲気ではない。何を読んでいるのか興味もあったが、ファッション雑誌であったり、音楽の本であったりした。

――多趣味な人なのかな?

 弘樹は、多趣味な人に興味があった。

 大学時代に、趣味を持っているわけではなかった。 たまにミステリーを読んだり、絵を見に行ったり、といったところだが、ミステリーにしても、絵画にしても、共通性があるわけではなかった。

 ミステリーも好きな作家がいるわけでもなく、絵画にしても、画家にこだわったり、流派にこだわることもなかった。

 流行に流されるわけではなかったので、他の人が見れば、

「おかしなやつだ」

 としか見えなかっただろう。

 ただ、それを弘樹は、多趣味だと思っていたのだ。

 共通性のないことが、自分の趣味を広げてくれると思っていたのだ。それでも、

「一つのことを極めるのが、趣味の醍醐味だ」

 と思っている人から見れば、おかしな考え方だろう。

 だが、弘樹も、

「平均的な人よりも、一つのことに秀でた人になりたい」

 という気持ちに変わりはない。

 だからこそ、いろいろなことに手を出している。自分の趣味と呼べるものが確立されているわけではないので、逆に共通性のないものから何かが見いだせればいいと思っているのだった。

 ただ、結局一つのことに秀でた趣味を見つけることができず、中年になってから、釣りに目覚めたというわけだった。

 だが、それでも、他の趣味を諦めたわけでもない。考える時間が増えたことが、釣りを始めたことで一番のよかったことだろうと思っている。釣り糸を垂らしながら考えている時間は、他のことをしている時間とは明らかに違う。やはり趣味をしている時間だという自覚があるからなのだろう。

 彼女は、講義室の中でも、人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。そばに誰もいないのは、場所もあるが、彼女のオーラが誰も近づけないのだ。

 人のオーラを気にならない人は、無意識に遠ざけてしまっていることに対して、違和感を感じない。感じないどころか、彼女の存在自体、ほとんど意識がないのではないだろうか。弘樹のように意識している人間にはオーラが見えるが、オーラに流されている人には、オーラを感じることはないからだった。

 弘樹が、自分と合わない人には、身体が反応しないことを知ったのは、夢に見た女性と出会ったことと、風俗に通い始めたかことからだった。

 彼女に対しては、身体が反応することはなかったが、それよりも風俗の女性には、ほとんど身体が反応するのは、相手のテクニックによるものだけではなく、与えてくれる癒しを、自分に合わせてくれていることで、感じさせてくれたのだろう。

 時間が決まっているというのは、寂しいようで、弘樹にとっては、却って大切にできる時間だと思えるのだ。ダラダラ一緒にいるのが楽しい時期という年齢では、もはやなくなってきているとも言える。ただ、それでも、

「もっと長い時間一緒にいられれば、どんなに楽しいことか」

 と、考えるのであった。

 風俗嬢たちへの身体の反応は、彼女たちを喜ばせるもののようだ。

「これが癒しというものか」

 最初にそう感じた時、弘樹の身体がまるで宙に浮いたような感覚になっていた。

「お話しているだけで、楽しいと思える女性との感覚は、普段の友達では味わえないものだからね」

「それが私たちだって言うの?」

「そうだよ。僕がおかしいのかな?」

「ううん、そんなことないと思うわ。私だって、弘樹さんとご一緒できるのが嬉しいですよ」

 いつも同じ店に通いながら、最初は、何人か相手にしてもらったが、結局、一番最初に相手をしてもらった女の子と、懇意になっていた。

「最初だから、僕も緊張していたしね」

 他の女の子を何人か指名したことを正直に話したが、嫌な顔をするどころか、心底喜んでくれた。

「私のところに戻ってきてくれたのね?」

 という言葉にウソは感じられない。ありがたいと真剣に思ってくれているのだ。

 その時から、弘樹の夢の中に、その女の子が現れることが多かった。

 お店での名前は、ゆりなという。

 ストレートなロングヘアに、全体的にふっくらした体型が可愛く、笑顔がとてもよく似合うゆりなに、中年のおやじは、メロメロ状態だった。

「お父さんくらいの年齢かも知れないよ」

「そうですね。でも、私年上の方が大好きなので、弘樹さんと仲良くなれて嬉しいわ」

 もちろん、店の中だけでの仲ではあるが、それでも弘樹は満足していた。

 ゆりなと仲良くなって、店の外で会いたいと思ったこともあったが、

「風俗の娘だから表では会えない」

 という思いではなく、

「店の中だからこそ、夢のような世界が広がるんだ」

 と思うようになった。

 もし、もっと自分が若ければ、他の考え方を持ったかも知れない。この年で、独身で、しかも風俗通いなどというと、女性たちに、

「あの人、きもいわ」

 と、言われかねない。確かに表から見れば、自己嫌悪に陥っても仕方がないくらいであるが、今は不思議と自己嫌悪になることはない。

 それが年齢によるものなのか、それとも、ゆりなと夢でも会えるからなのか分からない。今までに感じていた夢の世界と、ゆりなとの夢の世界では、違った感覚が弘樹の中に広がっているのだった。

 夢の世界といっても、夢というより、どっちが現実なのか分からないと思うような世界だった。

 ゆりなが出てくる夢の世界は、風俗の世界ではない。自分が勝手に想像したゆりなの、普通の女の子としての生活だった。知り合ったきっかけは定かではないが、

「気がつけば、いつもゆりなは僕のそばにいる」

 と思わせる。

 つまり、いつもそばにいるにも関わらず、気がついていないということである。こんな感覚は普段では味わうことなどできるはずもない。それが分かっているからこそ、見ているものが夢だということを分かっているのだ。

 しかも、夢の中で、シチュエーションを勝手に想像している。親子であったり、恋人であったり、先生と生徒の時もある。ゆりなはセーラー服が似合っていた。

 普段お店では、私服のワンピースが似合っていると思っていた弘樹が、夢の中ではいつもセーラー服のゆりなばかりを想像している。

「本当は、コスプレが好きなのかな?」

 と思ってしまうが、夢で無意識に見るのだから、否定できない。

 高校時代は、あまりいい思い出はなく、異性に興味はあったが、同い年の女の子よりも、むしろ、年上の女性ばかりに目が行っていた。想像するのも、大人の妖艶さに魅了されて、異常な性欲が浮かんできて、ドキッとしてしまった自分に情けなさを感じていた。

 恥じらいと、自己嫌悪が渦巻く中で、初めて好きになった女性は、女教師だった。ありふれた恋愛感情だったのだと思うが、本当に好きだったのかと言われると、自信がない。

 ただ、ありふれた恋愛感情だという意識はあったのだが、ありふれているという意識よりも、

「恋愛というのは、こんなものか」

 と、どこか冷めた感覚だったのを覚えている。

 想像していたよりもアッサリしていた。それは、恋愛にも様々あるということと、身体の関係、気持ちの関係と、それぞれを分けて意識しようとしても、どうしても、分けることができなかったことが、アッサリしたイメージを植え付けたのかも知れない。

 好きだった先生に、不倫の噂があったことも大きな理由だった。ただの噂だけだと思っていたが、急に先生が遠くの学校に転任させられたことを聞いて、噂が本当だったことを知ると、誰も信じられなくなっていた。

 ただの片想いというだけなのに、まるで裏切られた感覚に陥り、勝手に自分を裏切られた悲劇の主人公に祭り上げ、女性というものを毛嫌いしている自分が可哀そうだと思うようになっていたのである。

 自己敬愛にもほどがあると、今となっては思うのだが、その時は、自分を悲劇の主人公にしてしまわないと、先生を好きになったという理由にはならない気がしたのだ。自分が納得したいがために、勝手に作り上げた感情は、今も弘樹の中に残っていた。

 発展性のない性格が顔を出した時だったのかも知れない。状況を勝手に判断して、自分を納得させるために、自分を悲劇の主人公に祭り上げる。それが、弘樹の基本的な今までの生き方の一つを形成していたのだ。

「どうして、同い年くらいの女の子を好きになれなかったんだろう?」

 と、考えてみたが、クラスメイトの女の子たちには、ほとんど彼氏がいて、クラスの中で、平気で彼氏の話題を大声で話し合っているのを見たりしている。

 まわりと同じであることが嫌いな弘樹は、そのくせ、自分が彼女たちの話題に上らないことを、悔しいと思っていた。クラスメイトの、軽いタイプの男で、いかにも遊んでいると思うような男に限って、あどけなさの残る女の子と付き合っていたりする。

――騙されてるんだ――

 と、思うのだが、それでも、女の子の話題の中に、平気で彼の名前を口にしているのを見ると、

――自業自得だ――

 と言いたくなる。

――どうせ、お前なんて、僕の好みじゃないんだ――

 と、心の中で言いながら、口惜しさだけが残ってしまった心境に疑問を抱くことで、心境は、次第に冷めてくる自分に行きつくのだった。

 年上の先生も最後は、いなくなったことで、心境が冷めてしまう。結局、恋愛感情の行き着く先は、冷めることしかないのだという思いしか残らなかった高校時代だった。

 それでも、人を好きになりたいという気持ちに変わりはなかった。本能のようなものだと思って、自分を納得させているが、自分が考えている本能とは、少し違った感覚であった。

 自分で思っていた本能とは、決して嫌なものではなかった。むしろ、自分を助けてくれる感情だと思っていたほどで、本能があってこそ、自分の性格が形成されるとさえ思っていた。

 本能は、無意識のうちに出てくるものなので、性格とはあまり関係のないもののように思いがちだが、それは、本能をあまりいいイメージで考えていない人たちが思うことではないだろうか。

 本能とは、考えを伴わない、感情だけが支配しているもので、理性もそこには存在しない。だから、本能のままに行動するのは、獣と同じで、人間としての思考がそこには存在しないと思われがちだ。

 だが、弘樹は違っていた。

「本能があってこそ、その後に思考が存在するのであって、本能を軽視することは、考えの土台となるものをも否定してしまうのではないか」

 と思うようになっていた。

 弘樹が風俗に通うようになったのも、本能の成せる業だと思っている。だからこそ、他の人から見れば、

「本能に身を委ねるから、風俗のような如何わしいところに通うようになるのよ」

 と、いう風に見えてしまうに違いない。

「普通の恋愛をしたいとは、思わないな」

 ゆりなを知ってから、そう思うようになった。ゆりなが自分にとっての聖母マリアのような存在であるわけではないので、彼女には彼女の普段の生活があるのも分かっている。もし、ゆりなの普通の生活を知ってしまうと、一気に冷めてしまうのではないかという気持ちに陥るかも知れないことは、十分に承知している。それなのに、ゆりなであれば、普段の生活を知ることになったとしても、他の人に対して感じた口惜しさや、憤りは感じないと思うのだ。

「自分だけのゆりなを、僕は知っているんだ」

 と、思っているからだ。年を取ったから、そんな気持ちになれたのも確かだろうが、相手がゆりなでなければ、こんな気持ちにはなれなかったはずだ。そういう意味で、ゆりなを本当に好きになったのだと思うのだが、なぜか、独占欲が湧いてくるわけではなかった。

 大体、独占欲を抱くくらいなら、最初から、風俗嬢を意識しないだろう。

「客と、風俗嬢」

 という関係は、どこまで行っても、変わりがないのだ。

 それを超えるには、何か一つ大きなものを失わなければいけないのだと思う。ゆりなに対して、大きなものを失うだけの相手であるかどうか、いまだに分かっていない。

「今の関係を続けられる間はそれでいい」

 と、思うことが、弘樹にとっての一番の考えで、そこに存在する一番適切な概念が、

「自然」

 だということを分かると、考えている大きさに柔軟性があり、伸縮自裁な考えを持つことができると思えたのだ。

 発展性のない考えを、あまり嫌いな性格ではないと思い始めたのは、ゆりなに通い始めてからだった。

 ゆりなと一緒にいることで、普段考えないことを考えるようになった。一緒にいる時間というよりも、店を出てから、ゆりなの余韻を感じながら、身体が微妙な心地よさに包まれている中で考える時間であった。

 表の風は暖かくも冷たくもない。感覚がマヒした状態なのは、身体がまだまだゆりなを覚えている証拠である。そこにはかすかな震えが、痺れを伴っていて、一か所に集中したかと思うと、また放射状に広がっていく。その繰り返しなので、最後はどちらで終わるかと、途中まで意識しているくせに、気が付けば、いつもどちらで終わったかも分からずに、意識の外にいるのだった。

「ゆりなと一緒にいる時間よりも、その後で一人になる時間の方が、大切なのかも知れない」

 と、思うようになった。

 本当の自分がゆりなを欲するのか、それとも、もう一人の自分がゆりなを欲するのか分からない。

――ゆりなだって、僕の目の前にいるのが本当の自分なのか、それとも、もう一人のゆりななのか分からない――

 ゆりなは風俗嬢だ。風俗嬢の多くは、本当の自分を隠して、仕事をしているだろう。ただ、それは風俗嬢にだけ言えることではない。むしろ、営業マンの方が、その傾向が近いのかも知れない。誰もが、自分を隠して、表にはいい顔を出そうとしている。その気持ちは弘樹だから余計に分かるのかも知れない。

 弘樹の場合は、なるべく自分を隠そうとしない。隠そうとしないからなのか、余計、無意識に本当の自分とは違う、もう一人の自分を意識するのだ。

 もう一人の自分は、弘樹にとって、

――隠そうとしたい自分――

 というわけではない。隠そうとしたいのは、むしろ、本当の自分の方だった。だが、今では本当の自分を隠そうとすることもない。だから、もう一人の自分の存在を意識しているのかも知れない。

 隠そうとしたい自分を持っている人には、却って、もう一人の自分の存在を知らないだろう。隠そうとすればするほど、表に出てくるのが、隠そうとしている部分であって、そこに意識が集中してしまうと、もう一人の自分の存在など、考えられるわけもないからだ。

 風俗に通うようになって、弘樹はそのことに少しずつ気が付くようになった。そして、自分に無意識なのか意識的なのか分からないが、自分に近づいてきた琴音は、自分の中にももう一人の自分がいることを悟っていて、そして、同じ考えの人を探していたに違いない。

 探していたのは無意識だったかも知れないが、偶然再会した弘樹の中に、最初は自信がなかったであろうが、同じ考えを人であるという意識を持ち始めたのだろう。

 だからこそ、弘樹に近づき、身体も重ねた。そこに本当の愛が存在したのかは分からないが、少なくとも、愛だと認識していて、実は愛ではなかったような、恋愛感情とは違っていることだろう。

 何かを捜し求めて、同じ気持ちの相手に何かを求め、身体を重ねることも、ひょっとすると形の違う愛なのかも知れない。

 弘樹が釣りに興味を持ったのは、考える時間を求めてであったことは、自分でも分かっていたが、考える時間が、時として、同じ時間でも長く感じられたり、短く感じられたりするからである。

 ただ、そのことはすぐには分からなかった。集中している時間ほど、考えている時間に段階があるなどということを、果たしてどれだけの人が分かっているだろう?

 弘樹は、時々、そうやって他の人と比べてしまうことがある。

「僕は人と同じでは嫌なんだ」

 と、日ごろから考えているからであるが、考えてみれば、人と同じことが嫌だということは、結局人と比べていることに変わりはない。自分独自という表現を最初に使うのであれば、それでいいのだが、先に人と比べる言葉が出てくるというのは、それだけ、気が弱いからなのかも知れない。

 気が短いのも同じこと。人を意識しなければ、気が短くもないだろう。自分に対しての嫌悪感もひょっとすると、人と比べて、自分を見た時に感じる嫌悪感であったりすれば、それは、弘樹にとって、自分では認めたくない感覚に近づいているのかも知れない。

 女性を求める気持ちに人との違いを考えたことはない。元々、同じはずがないと思っているからで、独自の考え方があるから、自分を好きになってくれる人は、最高な女性だと思うのだ。

「好かれたから、好きになる」

 という考え方は、そのあたりに由来しているのだろう。

 何事においても、考えの元になっている根幹は、一つなのかも知れない。その中で大きな要素を占めているのが、

「人と同じでは嫌だ」

 という考えであろう。

「この気持ちは、もう一人の自分の考えと一致しているのだろうか?」

 一致しているように思うようになったが、

「人と同じでは嫌だ」

 という考え方の、「人」という中に、もう一人の自分が入っているのかどうかというのは疑問である。

 琴音の中に、ゆりなを見ている弘樹がいた。

 今感じているのは、

「自分に対しては、他の人と同じでは、嫌だと思っているくせに、好きな人に対しては、好きな人は同じような人がたくさんいてほしい。そして、そんな人たちがたくさん自分を好きになってほしい」

 と、思っているのだ。

 自分が、他の人と一緒では嫌なのは、好きな人から好かれたいと思うからである。

「だって、同じ人がたくさんいたら、好きになってほしい人たちは、他の人を好きになるじゃないか。僕以外の誰を好きになるか分からないというのも、嫌だよ」

 もし、付き合い始めても、他の人に目移りされるのが嫌だという考えである。

 これも発展性のないと思っている考え方から生まれたことだろう。発展性があれば、もっと他にいろいろ考えるであろう。だが、それも考えが堂々巡りをしてしまえば同じこと、つまりは、余計なことを考えないで、自分に素直になることが、一番自分のためになるという考えだった。

 ゆりながそれを弘樹に教えてくれた気がした。そして、その考えに成就を与えてくれたのが、琴音だった。

 琴音と出会う前の自分、それまでの自分を解放できたことの証明が、温泉旅館の女将さんが、弘樹に抱かれたことだ。弘樹に対してのイメージが変わったことが、女将に魔法の媚薬を与えてしまったのか、本当に女将さんは素直に、弘樹の腕に抱かれていた。

 その瞬間だけということであれば、女将さんとの時間が、一番の至福の刻だったのかも知れない。

 これからの自分がどうなるのか分からないが、いろいろ考えてくる中で、少しずつ分かってくる自分のことを、一つの発展性と思うようになるだろう。だが、これはあくまでも自分の中でだけのこと、まわりに対して、この思いが伝わるとは思えない。

 もう一人の自分の存在は、弘樹にとって、いや、弘樹を取り巻く環境をも含めたところで、無意識に探していた何かを見つけられる気がするのだ。

 それが何であるかは、今は問うことをしない。おのずと見つかる答えだからだ。

「おのずと見つかる答え」

 それは、今までと変わらぬ考えを持ち続けることが、弘樹にとっての「真実」に違いないのだった……。


                 (  完  )

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「発展性のない」真実 森本 晃次 @kakku

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