帯金華蛇はかく語りき─起源─


───蛇を殺したんです。








この世に生を受けてから18年を少し過ぎた頃。


帯金華蛇おびかねかなは一匹の蛇を殺めた。


何も殺したくて殺した訳では無い。仕方の無いことだったのだ。

あの時はマトモじゃなくて、弱りきっていた。気が狂ってしまっていたのだから。

神のいたずらか、悪魔の仕業か。

哀れな少女は、不幸なことに、化物に魅入られてしまったのだ。



この凶変の前には色々の前兆ありき。





それは前触れもなく突然現れた。



ある一匹の、鮮緑の躰を持つ蛇が、華蛇の家の周りに住み着いたのだ。


茅葺き屋根の古民家じみた帯金家の周りをぐるぐると、温度を持たないその鮮やかな縄は這いずり回る。

初めのうちはそれだけだったのでまだ良かった。が、やがて、その蛇は何時からか。何処からか、知らぬ間に屋内に侵入してくるようになった。

華蛇と家族が家の中で寛いでいると、ひっそりと、そこに存在するのが当たり前の空気のように溶け込んで、かつ、魚の小骨のように僅かな違和を残して、いつの間にか蛇がそこにいるのだ。


蛇がいることに気づくと、華蛇は殺さずに、その首元を掴んで遠くの野に放つようにしていた。

別に蛇の祟りとかそういったものを信じていた訳では無い。ただ、無駄な殺生を好まないだけだ。


しかし、何度遠くに捨てても蛇は戻ってきた。何度も、何度も。見つけては、逃がして。同じことの繰り返し。

一体何度繰り返したのだろう。

流石の華蛇もこれには辟易し始めた。


そんな日々を淡々と送っていた華蛇だったが、ある日事件が起きる。


愛する母が病床に臥せたのだ。


まだ若く、生気に漲っていた母。

それが今は顔から血を無くして、喘鳴を重ねていた。

あまりにも突然で、前兆もなかった。


原因はわからない。


優しく気立ての良い、明るくて大好きな母。

それが如何していきなり。

悲しみに暮れた華蛇は母の快復を祈った。

早く治りますように。声には出さずにそう願った。母に悪さをしているモノが、早く消えて無くなりますように、とも。


それから2週間。

一向に病状は良くならず、原因も不明のまま詮無く日々は過ぎ去った。


ただひとつ、奇妙なことがあった。

敷いた蒲団に寝たきりの母を、いつも通り音もなく入り込んだあの蛇はじっと見つめていた。

光を持たない鋭い瞳が母を射抜く。長い舌をチロチロと動かしながら、ぬらぬらと厭らしく、それは実験対象を観察する科学者のようにも見えた。


───嫌な感じがする。


華蛇は初めてその蛇に不快感を覚えた。

それと同時にはっきりと判った。


───母の病気の原因は、この蛇だ。


漠然とした、でも確信のような、形を持たない考えが脳裏を掠める。

祟りも呪いもあるわけが無い。

この蛇は人間に危害を加える術を持たないはずだ。

それでも、蛇は確かな意志を持って何らかの禍を及ぼしている。そんな気がしてならないのだ。



後になって思えば、この時点で正気を失っていたのだろう。じわじわと、華蛇の精神は蛇に支配され、深くまで侵食されていた。




───この蛇を、殺さなくちゃ。




きっと、この選択を華蛇は後悔し続けるのだろう。




異常な精神状態で焦燥感に駆られた華蛇は、逆にスゥっと頭が冷えて、蛇に明確な殺意を抱く。


蛇の生殺しは人を噛むという。

中途半端な優しさが、今、帯金家を脅かしているのだ。

ならば、確実に元凶を、蛇の命を絶たねばならぬ。

それが唯一の家を守る手段だ。


いつも通り、蛇の首元を掴んで外に出る。玄関に置いていた鉈を手に取ったこと以外は、いつもと変わらない。


くねくねと、縄のような身を絶えず動かし続ける蛇を無理矢理に押さえつける。

その首に狙いを定めると、一思いに鉈を振り下ろした。

ダンッと鈍い音が鳴る。

間違いなく息の根を止めるため、少し力みすぎたか。華蛇の柔らかな手はジンジンと痺れを覚えて、じんわりと熱が広がる。

手の芯は熱いのに、指先は冷えきって。嫌な汗にじっとりと掌を濡らした。


頭を落とされた蛇は、相変わらず動き続けていた。機能を司るはずの脳と分離した躯は混乱しているのか、それとも痛みに苦しみ悶えているのか。

たとえ相手が人間では無いにしても、生き物の命を奪う行為に慣れていない華蛇の意識は朦朧としてしまって、ぼんやりとその様を眺めていた。


その視界の端に、微動だにせず転がったままで視線をこちらに向ける蛇を捉える。

生きていた時と変わらない、気持ちの悪い、嫌な目で。

それは、華蛇が己の存在に気づいたことを悟ると、ニィと裂けた口角を吊り上げた。

可笑しそうに、ただ面白そうに。

心底愉快だといった様子で。

表情筋の乏しい生物がニタニタとチェシャ猫のような気味の悪い笑みを浮かべ続けるのに、華蛇はゾワと恐怖を感じる。


───堕ちた。


本能的にそう感じてしまったのは何故だろうか。

メドゥーサに、はたまた蛇に睨まれた蛙のように、硬直してしまって目が逸らせない。固まった唇が震える。気道がせばまって呼吸ができない。


暴れ回っていた躯は徐々に勢いを無くし、動きが鈍ったかと思えば、終に事切れてパタリと動かなくなった。


それでも蛇は、嗤ったまま、華蛇を見つめ続けていた。





これが事の発端だ。


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蛇帯の少女は落ちこぼれの祓い屋に恋をする ことり @kotorisun

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