帯金華蛇はかく語りき─プロローグ─
騒がしい朝食を終え、カチャカチャと食器を洗う
華蛇に流されて同居を許してしまったが、出会ってまだ1日も経っていない、素性も何も知らぬ少女と生活を共にするなんて、絶対に正気の沙汰では無い。第一、24の自分と18そこらにしか見えない少女がひとつ屋根の下で暮らすだなんて倫理的にも危ない。
だいたい、同居を許した自分も自分だが、それ以前に惚れただの何だのと迫ってくる相手も相手だ。
と、椿は華蛇に対して何処か狂気的な、人間として何かが欠落しているような印象を受ける。
感情の起伏が異常に激しく、一貫性の持てない言動。
何が、とは言えないが、彼女はおかしい。
確証はひとつもないが、害はないと思う。けれど、言いしれない不安感に椿の心はザワザワと音を立てる。
そんな椿の心も知らずに、今にも鼻唄を歌い出しそうなほどご機嫌な華蛇は蛇口を捻ると食器に付着した泡を水で落とす。
ふと、その後ろ姿を眺めていた椿は重大なことに気づいてしまった。
───帯が動いている。
華蛇が動いているのだから、帯が揺れるのは当然のことである───が、そういった類のものでは無い。帯自身が明確な意志を持って、自ら動いているのだ。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
風に吹かれた枝葉のように悠々と。
そうだ、昨日はすっかりと混乱してしまって頭から抜け落ちていた。けれど、なぜ忘れてしまっていたのだろう。
椿は肝心なことを見落としていた。
それに気づいて、ひゅっと息を飲む。
───この少女が、邂逅の瞬間、椿に襲いかかったことを。
椿はガタ、と勢い良く立ち上がると華蛇に向かって訊ねる。
「おい、お前のその帯───」
「
「...華蛇、その帯は一体何なんだ?それに昨日、俺に襲いかかってきたよな。どういうことか、全部説明してくれ」
危険がない、それが確信できなければ華蛇を追い出す。訝しげな椿の瞳が言外にそう伝えているのを華蛇は察する。
しかし、どうやら誤解があるようだと華蛇はことりと首を傾げた。
「襲いかかった、とは何のことですの?」
「とぼけるな。忘れたとは言わせないぞ。その帯が、俺に向かって攻撃しただろ」
そう。昨日黄昏の中で、影に包まれた帯は大蛇のようにうねり一直線に椿に狙いを定めた。
直後、椿は特殊な家系上護られていたから大事には至らなかったものの、常人では確実に無事で済まない。
すると華蛇はあぁ、と合点がいったように頷くと食器を洗い終え、キュッと蛇口を回して水を止める。手に纏わりついた水分をタオルに染み込ませると、対談の姿勢を取るため椿の向かいの椅子に腰掛けた。
「あれは攻撃のつもりではございませんわ。私の感情が昂るとこの子が勝手に行動を起こしますの」
そう言って華蛇は胸の下───檳榔子黒と金色の帯をそっと撫でた。我が子を慈しむ母親のように優しげな手つきは、到底ただの帯に対する態度では無い。
「あの時は、椿様のことを宗二郎様だと思っていましたから、ようやく遭逢できたことがつい嬉しくなってしまって...」
つまり、華蛇にとってあれは害を与えるものでは無く、無意識に、華蛇の感情を反映した帯が血気に逸って宗二郎を抱きしめようとした結果だったのだ。
恥ずかしそうに頬を両手で包んで、身を捩る華蛇を冷ややかな目で見た椿は最大の疑問についての返答を促す。
「おま...華蛇に敵意がないことはわかったけど、だからってなんで帯が動くんだよ」
途端、華蛇はピタリと動きを止める。
瞼を伏せて、暫しの沈黙を落とす。
すると、何処か
「...それをお話するには、宗二郎様と出会った頃の...いえ、それ以前の昔話をしなければなりませんわ」
意を決したように、緊張をはらんだ声でそう告げた。
これから始まるのは、一人の少女の物語だ。
───これは少女が、本当に少女だった頃の話
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