解説
【青魚】
これはある内気な独身男性の一日です。
【海なんて見ずとも生きていけるけど死ぬにはそれが要るから行こう】
海は独身男性にとって死をもっとも近くに感じさせてくれる場所のひとつです。もちろん命はもろく、そこらへん走ってる車にちょんとぶつかっただけで危機なわけですが、しかし大概慣れきっていて鼻先を通っていったところでもう何も思いません。ところが海は違います。海は、圧倒的にデカく、暗く、荒々しく、これには簡単に飲み潰されてしまうなという実感が湧いてくるのです。
【お魚さん 当方、油ですけども心あります 揚がってかない?】
魚を釣るのはナンパみたいなもんだ、と独身男性は思いました。
魚心あれば水心、逆も然りというならば、サラダ油でもそれは同じでしょう。心が通じ合えばきっと歩み寄ってくれるはずです。そうして手を取り合えるはずです。たとえ揚げて食うつもりでも。
そんなことを考えながら、魚以外ナンパする度胸もない独身男性が、釣り糸を垂らしています。
【赤黒い血合を端に寄せながら脂身突つく箸に枝骨】
お魚のおいしいところだけ食べようとして箸でこねこねやっていたら、小骨がうまく取り除けなくてお箸にくっついちゃった。イーッ。そういう不器用な独身男性のようすです。
ていうか多分、焼いてるじゃん。揚げてないじゃん。
【おしょうゆをそっと渡してくれる
青魚を独りで食べている独身男性の脳内です。
【なくたって食べていけるし 青白く
独身男性の脳内2(ツー)です。青魚には、しゃりしゃりさっぱりとしたピリ辛な大根おろしがあったら最高なわけですが、しかし、独身男性のキッチンに大根はおろかおろし金すらあるわけがないですから、こういう負け惜しみを言っています。青魚の並んだ食卓の向こう側には、色白で気の回るちょっと気の強い嫁さんが居たらなお最高なわけですが、しかし、負け惜しみを言っています。
【二〇度の酒をごくごくこれでぼくほくほく甘い芋になれれば】
苦い気持ちになったので、芋焼酎を飲んでハッピーになろうとしています。
【それがため溜めずにおれぬ息すらも滲みる
その溜め息は甘すぎて歯に染みるほどであったという。
あるいは酔いゆく意識の一方で現実の冷ややかさを敏感に知覚してしまったのかもしれません。
【グミなんて舐めても溶けて消えるけど白い歯それを噛むから至高】
独身男性はきょう、なぜ海に行ったのでしょうか。死を実感してどうしたかったのでしょうか。もしかしたら、魚に海へ誘われて、波に身を任せきって、そのまま死にたかったのかもしれません。しかし、そうはしませんでした。酔っ払って、現実の輪郭がぼやけてしまった今、そのわけは、もう彼自身にもわからないことでした。
ただひとつ、確かなことがありました。それは、今味わっている、食という営みのもたらす快感でした。あのまま海に流されていては、体験することのなかったものでしょう。それよりは、釣りをして、焼いて、食べて、飲んで、それで幸せになった今のほうが、後から考えてみても、はるかに魅力的な選択肢でした。
どうせ死ぬにしても、何もしないまま死ぬよりは、何かやってから死ぬほうがいいなあ。
独身男性は、デザートのグミを口に含んで弄びながら、曖昧にそう思うのでした。
青魚【短歌連作】 大 杉 @753oy
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