第5話 真実に一番近い仮説

 彼女は首を手で絞められ、窒息死せしめられていた。首に残る痕跡、すなわち手型から判断するに、ルリを絞め殺したのはヒイロである。他の二人、サコンとカナタはともに手のサイズが異なる。

 なにゆえヒイロはルリを襲ったか。ルリの遺体の周囲には、拾って容器として使ったというペットボトルの底部が六つ見付かった。その形と傷などから推察すると、二つの底部を重ね合わせ、蓋付きの容器として使っていたと考えられる。ただし、カナタはそのような使い方をしているのを目撃していない。

 カナタの証言によると二日目の昼、ルリは自らの水筒の中身の大部分を外でこぼしてしまい、悲嘆に暮れていたという。一方、先程言及した蓋付き容器の中身は水だったと考えられ、他の食べ物を入れた形跡はなかった。

 これらの状況を総合すると、一つの絵が浮かび上がるのではないか。すなわち、ルリは水をこぼしたふりをして、実は蓋付き容器に移し、隠し持っていた。そして男性陣の同情を買い、新たに水を分けてもらうことに成功した。なお、砂にできていた染みは、彼女自身の尿を用いたのかもしれない。

 この行為は他の三人の立場からすれば裏切りであり、場合によっては殺意を抱かせるのに充分な要素ではないだろうか。

 聞くところによると、ルリは研究室のマドンナ的存在で、特にヒイロはご執心だった。彼は三日目の未明、テントを出て行くルリに気付きあとをつけたのではないか。ルリの遺体の位置から考えると、もしかするとトイレに行く彼女を覗こうという魂胆だったかもしれないが、これは完全に根拠のない空想であり、故人の名誉のためにも公式文書では削除を願う。

 それでもヒイロがルリに気付かれないよう彼女を見ていたのはほぼ確実で、それにより、ルリが水を隠し持っていることを知った。ヒイロはその時点で殺意を抱いたか、それとも彼女に声を掛けてやり取りをした末、殺害に至ったのかは分からない。

 ただ、ある別の推測により、ヒイロは一度ルリと話し合うも物別れになり、テントに戻って自らも死ぬ準備をした後、改めてルリを殺害しに行った節がある。


 ここで、サコンの死に目を向ける。彼は毒物によって呼吸困難に陥り、死に至った。この毒は生物観察用の薬品で、生物の動きを緩やかにする、もしくは仮死状態にするのが本来の用途であるが、分量によっては人間一人の命を奪い得る。

 カナタの証言によれば、この薬品を管理していたのは引率の講師だが、事故後は所在不明で、恐らく砂に埋まったものと考えていた。だが現実には現場検証の際に明らかになったように、車の残骸の近辺に薬品はなく、テント近くの砂に使用後の割れたアンプルが埋まっていた。このアンプルからは複数名の指紋が出ているが、一番最後に触ったのはヒイロと考えられる。

 ヒイロはしかしこの毒をサコン殺害に使う気はなく、自殺のために用いるつもりだったと思われる。それはヒイロの水筒から微量ながら毒の成分が検出された事実により推察される。

 ヒイロが自殺を考えた理由はルリ殺害を決意したためであり、最前触れたルリとの話し合いが決裂後、テントに戻ったヒイロは隠し持っていたアンプルの中身を自身の水筒に投じ、ルリ殺害後すぐに服毒する予定だったと考えられる。

 ところが実際にはできなかった。サコンがヒイロの水筒の(毒投入後の)水を口にしてしまったためである。

 ここからまた大幅に想像が混じるが、ヒイロの水筒にあけられた小さな穴は、サコンの仕業と思われる。カナタや他の学生の証言によると、日常生活でのサコンは軽い性格で、友人に悪戯を仕掛けることも多々あったという。今回の遭難後は生還のため真剣に行動したそうだが、無事に戻れる目が出てきたことでいつもの癖が出たのではないか。

 つまり、ヒイロの水筒をわざと漏れさせ、弱ったヒイロに「これをやるよ」と自らの水筒を渡す。その実、ヒイロの水筒から抜き取った水は、別の容器に移しておき、あとで悪戯でしたと種明かしをする気だったのではないだろうか。

 サコンにとって誤算だったのは、水を抜き取る際、容器から溢れそうになったため、思わず口を着けてしまったことだろう。先程述べた通り、ヒイロの水筒の水は毒入りだ。サコンは異変を察知したが時すでに遅く、苦しみのあまりテントを彷徨い出た挙げ句に、絶命してしまった。


 ルリ殺害から戻ったヒイロは、自殺しようと水筒を手に取ったが、空になっていた。故意にあけられた穴を発見した上に、近くにはメモを挟んだサコンの水筒もあった。おおよその状況を悟った怒りで思わず水筒をボコボコにした。だが死ぬ決心は変わらない。また、水筒にわずかに残る水滴をもしも誰かが舐めたら、死ぬまでは行かずとも、体調が悪くなるのは目に見えている。それは不本意なので水滴をできる限り拭き取った。

 当初予定していた自殺の手段を失ったヒイロは、愛用のナイフの使用を考えるが、ナイフが近くに落ちていたら自殺とすぐにばれてしまう。毒を飲んだ場合は自殺ではない可能性も視野に入れてもらえるだろうが、ナイフはだめだ。そこで思い付いたのが、釣り竿を使ってナイフを遠くへ飛ばすという方法だった。ナイフの柄に釣り糸の先端を固く結び付け、さらには糸そのものもリールから離れて飛んで行くよう、切っておく。こうした準備の上で、ヒイロはナイフで自らの首を掻ききるや、最後の力を振り絞って、竿を操り、ナイフを遠くへ飛ばした。さらに竿もなるべく遠ざけようと放り、それからテント内に倒れ込んだ。

 カナタが発見時、竿が砂に埋まっていた点はやや不可解である。サコンの足跡はまだ認識できる程度には残っていたのだから。これは恐らく目覚めたカナタがまずヒイロの血塗れの遺体を見付け、パニック状態で他の二人を捜しに外に出た。その際、竿に気付かずに踏み付けて、砂に押し込んでしまった可能性が高い。


 以上が現場検証及び物証の鑑定、遺体の解剖、生存者の証言を総合して出した、恐らく真実に近いであろう仮説である。

 想像で補った箇所が多いことを否定はしないが、それでもなお、相当の確信を持ってこれがあり得るべき真実であると申し述べる。

 唯一、懸念するとしたら、カナタが嘘の証言をしている場合だが、彼の証言と現場状況などは概ね一致しており、特段の疑いを向ける理由もないことから、この懸念を退けるに決定した。


 了

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逃げ水 小石原淳 @koIshiara-Jun

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