第6話 交差点
生まれてから、何度交差点を渡ったことだろう。渡るのを当たり前のように感じ、何ら不思議に感じることもなく歩いて行く。
渡りきった向こうに広がる世界は、交差点に入る前、入ってから、そして抜けてからと、同じものに見えていたが、果たして本当に同じ世界だったのだろうか? 一直線に進んでいるので、角度が違って見えているわけではない。距離感の問題だけだが、それだけに、他の日に同じ位置から見たものと違っていたとしても分からないだろうが、同じ時に、距離の違いくらいは意識するだろう。
「そんなバカなことはあるはずがない」
と感じ、自ら否定していたのかも知れない。先入観がすべてで、目の前に見えるものさえ錯覚として片づけようという意識があったのだ。
「まるでデジャブの理論のようだな」
晴彦は、最近特にそのことを感じながら交差点を見つめていることが多くなった。元々道を歩く時は、前を見るというよりも、足元を見ながら歩くことが多く、気が付けばいつも下を向いていて、無意識な自分が、前よりも足元に注意を払っているのがよく分かる。
「ちゃんと前を向いて歩かないと危ない」
と、小さい頃から言われていて、さらに、
「下ばかり向いていると、いざという時、前を向いて進めない人生になっちゃうぞ」
と言われたこともあった。
「分かってるつもりなんだけど、くせでね」
と答えたが、それが、自分が消極的な人間だということを自らが宣伝しているようなものだということを、意識していなかった。
さらには、言わなくてもいいことを口にするのも、悪しきくせではないだろうか。もちろん、黙っていれば認めたことになるのだろうが、自分の中では、言わなければ気が済まないという意識が強く存在していたのだ。
今までに交差点を渡っている間にすれ違った数えきれないほどの人の中に、自分に似た人もたくさんいただろう。
「世の中には、同じ顔をした人が三人はいる」
と聞いたことがある。
この言葉は曖昧で、同じ顔をした人がいると聞いたつもりだったが、本当は、同じ佇まいというようなさらに抽象的な言い方だったかも知れない。人の話をしっかり聞いているつもりでも、話を聞きながら先に勝手に解釈してしまって、頭の中で想像してしまうことが往々にしてあるのは、悪いくせの一つだろう。
くせが悪いと思うことを並べれば、いくらでも出てきそうな気がする。一つの悪いくせから少しずつまわりに意識を広げていけば、悪いくせがいくらでも見つかりそうな気がする。
それは、自分の一番の悪いと思っているくせが、相手の話を最後まで聞かずに、勝手に思い込んでしまうことにあるからだ。勝手に思い込んでしまうと、正規のルートが分からなくなる。見えているものがすべてであって、それ以外の想像を、自らが許さないという感覚が芽生えてくるからだった。
交差点の中にはスクランブル交差点もある。スクランブル交差点を斜めに渡ることもあるが、斜めに渡っている時に感じる思いは、
――また、何か余計なことを考えてしまいそうだ――
ということだった。
普段から前を向いて歩いている時ほど、余計なことを考えてしまうことが多く、それは目の前にいる人たちを意識していないつもりなのに、意識せざるおえなくなってしまっているからであろう。
「だから、足元を見て歩くくせがついてしまったのだろうか?」
それだけではないように思うが、考え事ばかりして歩いていると、次第に頭が重くなってくるのも事実だった。それで自然と首が前のめりになってしまい、結果的に足元を見るようになってしまったのかも知れない。
このくせは、晴彦が持っているもので、ずっと気にはなっていたが、他の人を見ていると、同じようなくせの人は少ない。見かけることがあっても、見ていて情けなく感じる。
「僕もあんな情けない格好で歩いているんだな」
と思ったが、長年かかってついたくせというものは、そう簡単に抜けるものではなかった……。
交差点を渡りながらのことであるが、子供の頃は振り返ったことはなかった。
「後ろを振り返るのは、過去を振り返ることになるから、いけないことなんだよ」
と、一度だけ友達にいわれて、その言葉を真剣に信じていたのだ。
だが、実際にそんな迷信自体存在するわけではなく、どこかの神社で聞いた話を、さも交差点でも同じであるかのように真剣な顔で話をしたので、信じ込んでしまっていた。
これは、明美に当てはまることであったが、子供の頃のこととはいえ、交差点で振り返ったことは本当になかった。
「後ろから、誰かに声を掛けられた時も、後ろを振り返ったことがなかったの?」
と聞かれたが、
「うん、不思議とそのことを信じている時に、後ろから誰かに声を掛けられるということがなかったの。実に不思議なことでしょう? だけど、そのことにこだわりがなくなると、後ろから声を掛けてくる人が急に増えたのよ。私はそっちの方が、怖い気がしていたのよ」
「不思議なものよね。でも迷信というのは、意外とそんなものなのかも知れないわね」
「でも、これは迷信でも何でもなく、私が勝手に思い込んでいたことなのよ」
「それも一種の迷信だよね。信じる人が大勢いるのか、それともたった一人だけなのかというだけの違いだからね」
確かにその通りである。
「迷信だって、定説の裏返しというだけで、誰か一人でもカリスマ的な人の一言で、迷信が定説になることもあるかも知れないですよ」
迷信と、定説についての話を思い出していると、逆説、つまりパラドックスという言葉が頭を過ぎった。
迷信にもパラドックスのような話が多い。夕凪の時間の話など、その最たる例だと明美は思っていた、
交差点に差し掛かった時に、風を感じて、不思議に思うことがある。
夕方はどちらかというと風を感じる時間だが、時間帯によっては風がまったく吹かない時間があることを明美は知っていた。それは、日が沈む前に、まるでろうそくの消える前の業火のように、カッとあたりを照らし、その後を影が追いかけるような時間帯が少し続いた後に訪れる。
夕凪の時間がモノクロに見えること、そして事故が多発する時間帯であること、そして、魔物と出会うと言われる迷信が存在していること、それぞれを明美は知っていた。
だが、それはあくまでも昔の話である。事故が多発する時間というのは今もあることだろうが、それも目の錯覚によるもの。科学的な証明があり、夕凪の迷信的なところの裏付けだということに過ぎないのだ。
交差点で後ろを振り向いてはいけないという迷信は、本当は夕凪の時間に言われていたことで、事故が多いからだということを知ったのは、だいぶ後になってからのことだった。子供の頃に聞いた話の中で、夕凪という話も聞いたと思うのだが、理解できなかったことで、そこだけかっ飛ばされた形で記憶の中に残ってしまい、すべての時間帯で、後ろを振り返ってはいけないという意識に繋がったに違いないのだった。
交差点を渡りきって、声を掛けられたことは何度もあった。
「明美ったら、どうして気付いてくれなかったの?」
と、まるで、交差点の途中から声をかけてきたことを示した言い方をしてきたが、その声が聞こえていないのだから、どうしようもない。本当は、
「ごめんごめん、気が付かなかった」
と言って、謝らなければいけないのだろうが、明美にはそれができなかった。
謝るということは、声を掛けてきたのを分かっていると認めることであって、認めてしまうことは、迷信に逆らうことだった。実際に聞こえていないのだから、謝る必要もないと思い、何も言えないのだ。相手は訝しげな表情をするが、元々友達なのだから、それほど長くこだわられることもない。何とかやり過ごせばそれでよかったのだ。
明美に声を掛けて、振り返ってくれなかったことを気にしている女の子は、そんなにいない。皆その時に忘れてしまっていて、気にも留めていない。しかも誰もが一度きりで、二度目は声を掛けようとはしない。
「どうせ、返事は返ってくることはないんだわ」
と思っているからだった。
だが、一人だけ、返事が返ってこなかったことを気にしすぎ続けている人がいた。それが愛里だったのだ。
愛里はそれからも何度も声を掛けているが相変わらずだった。そのことについて怒りを覚えるわけではない、むしろ、明美を助けてあげたいとすら思っているほどだ。
明美が考えているよりも、このことはもっと深刻なことではないかと愛里は感じていた。深刻といっても、すぐに何とかしないと、事態が急変するというほど大げさなことではなく、明美の中で、まわりに対する誤解が増していくのではないかという思いであった。
ただ、愛里の中には、
「明美を独占したい」
と思っている自分がいるのも事実で、せっかくのチャンスだと思っている自分との葛藤があることも分かっていた。
交差点の中にいる時の自分は、特別なのだと、強く思っているのが、愛里だった。
愛里は交差点の中に入って抜けるまでの自分は、普段の自分ではないと思っている。前を向いて歩いていても、後ろを振り返っても、そこに見えている光景を、普段の自分が見ている光景と同じだとは思えないのだった。
ただ、別の世界だと思う交差点は、一つだけだった。それは、最初に明美と一緒に渡った交差点だった。
交差点に入るまで見えていた人たちが、入った瞬間に、急にいなくなり、明美と二人きりになっていた。手を繋いでいなければ、明美もそこから消えていたかも知れない。一人ぼっちで取り残されるのと、明美が一緒にいてくれるのとでは明らかに違う。その時明美が今後の自分の人生に大きな影響を与える存在であることに気付いたのと同時に、自分が本当に寂しがり屋であるということを、改めて思い知った気がしたのだ。
愛里は、自分が寂しがり屋であることを自覚していた。
両親は共稼ぎで、いつも家に帰ればたった一人の冷たい部屋が待っているだけだった。
それでも誰も連れてくる気にはならなかった。それは親友と思っている明美も同じことで。
「明美と一緒にいる場所は、うちじゃない」
と思ったのだ。
家を神聖なものだとは思っているわけではなく、見られることで、自分の考えも見透かされてしまうような気がしてくる。特に、寂しさの根底を見られるのは、愛里には耐えられないことだった。本当は、知ってほしいと思っている反面、見られたくないという思いは矛盾しているようだが、見られることによって走るかも知れない亀裂の方が、もっと怖かったのだ。
共稼ぎの家は、決して珍しいわけではなかったが、他の女の子たちと愛里は決定的に違っていると自分で思っていた。
寂しがり屋の度合いが違うのだ。
「寂しかったら、お友達を家に呼べばいいのよ」
と、簡単に母親は言ってのけたが、母親は覚えていないのだ。
あれは、愛里が小学三年生くらいの頃だっただろうか。母親が夜の仕事で昼間家で寝ていた時期があった。愛里は、大人のことを分かる年齢でもなく、友達が遊びに来たいと言えば、断る理由もないので、簡単に遊びに連れてきたのだった。
母親も、嫌な顔はできないので、
「いらっしゃい。愛里と仲良くしてあげてね」
と、ニッコリ笑って、友達を受け入れてくれたが、その時の表情が複雑だったことにその時は気付かなかった。後になって気付くのだが、どうしてその時に気付かなかったのかということを後悔しながら、どうしてもその理由は分からなかった。
最初は大人しくしていても、子供同士のこと、話に夢中になってくれば、声も大きくなるし、さらに笑い声などが聞こえるようになると、さすがに母親も我慢ができなくなったのだろう。
「ごめんなさいね。お母さん、寝てるので、もう少し静かにしてくれる?」
その表情は、愛里が初めて見た母親の苦悩の表情だった。それは、今まで愛里に気を遣ってくれていたイメージとは一変、自分の感情を表に出しているもので、愛里にとって、初めて母親を怖く感じ、他人のような冷たさを感じた瞬間だった。悪いと思いながらも恐怖に震えたその時から、愛里は決して家に誰も連れて来なくなった。そして、家族と他人との間に、決定的な境界線を作った。これが今の愛里の性格の根底であり、誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出させるに至ったのだった。
他の家庭で同じ環境なら、当然の成り行きなのだが、他の人はここまで極端な考えを持たないに違いない。愛里だからこそ感じることで、それだけ寂しがり屋な中に感受性の強さから、思い込んだら、後は何も考えられないような人間だという本性があらわになってくる。
愛里と明美の性格上での決定的な違いでもあるのだろう。
そんな愛里の心を揺さぶったのが明美だった。明美が自分の意志から愛里の気持ちを揺さぶったものではないことは分かっている。だが、明美には、自分が愛理に対して何かしらの影響を与えていることは、前から分かっていたような気がする。
自分がどんな影響を与えているか、明美には分からなくとも、愛里には分かっている。ただ、それを口にすることは愛里には到底できない。
理由は二つある。
一つは、自分が口にすることで、効力が失われてしまうのではないかという危惧を抱いていることだった。
もう一つは、口にしてしまうことで、明美に自分の気持ちがすべて分かってしまうのではないかという思いであった。
効力が失われてしまうという考えは、同じ立ち場になれば、愛里でなくとも考えるであろう。それよりも、明美に気持ちを見透かされてしまうという思いの方は、きっと他に考え付く人はいないに違いない。
自分の中にいる明美は絶対なのだ。自分よりも劣っているところなど、ありえるはずがないという思いがある。そのくせ、ちょっとしたことで、自分の方が分かっているということがあれば、相手に分からないようにほくそえんでいる自分を想像してしまう。
しかし、そんな想像ほど浅はかなものはない。愛里が考えているよりも明美は、ずっと愛里のことを分かっているのだった。
それでも、愛里の寂しがり屋なところは、自分にしか分からない。明美がいくら探ろうとも、愛里の中にある寂しさを垣間見ることはできても、その広がりがどれほどのものなのか、愛里にしか分からないようになっているのだ。
もっとも、そこまで明美に読破されてしまうと、明美は丸裸同然である。精神的にも肉体的にも明美に支配されかねない。明美がそこまで考えていようとは、愛里に知る由もなかったであろう。
予感というのは、ギリギリのところまですることができる、だが、そこから一歩踏み出すことがなければ、すべてが無に帰してしまうのだ。九十九パーセント分かっていても、最後の一パーセントを押し切ることができなければ、自分の中で信じられないという殻を作ってしまい、それ以上先に進むことは絶対にできなくなってしまうのだ。
「九十九里を行って半ばとす」
ということわざもあるが、まさにその通りであろう。
明美と愛里の関係の中に割って入る人間などいないと思われたが、どこから出てきたのか晴彦が二人の間に入り込んだ。
「夢の共有」から始まったのだろうが、共有するにしても、何かしらの理由というものがあるだろう。
今から思い返すと、そこには交差点が影響しているように思えてならない。晴彦にも明美と愛里の関係にも、交差点が大きな影響を与えている。
お互いに、
「交わることのない平行線」
を描いていたはずなのに、どこかで交差してしまったのだろう。それが普段歩いている交差点であったとすれば、どこか、違う世界に通じるものが、そこにはあるのかも知れない。
明美と愛里は、お互いに、見た目はまったく違って見えるが、考え方で共鳴できるところも多く、ただ、決して交わることのない平行線を描いているのだと思っている点では共通していた。
お互いに、認め合うところは認め合い、相容れないところは干渉しない。そんな性格が二人を結び付けていたに違いない。
特に、愛里の方は難しかった。寂しがり屋で、相手になるべく悟られないようにしようという考えは、強いものがあった。それだけに、明美に対しては、余計に警戒心を強く持ち、最初は、一触即発に感じられたほどだ。
「どちらが先に歩み寄ったのだろう?」
明美は、考えていたが、
「きっと私の方だ」
自分から歩み寄ったのでなければ、二人が親友でありえることはないと思えて仕方がない。頑なな相手を開かせるより、自分が歩み寄る方が楽だというのは、当然の理屈でもあったが、それよりも、愛里の気持ちが分かってくると、自然と歩み寄る気持ちになってくるから不思議だったのだ。
「夢の共有」は、きっと明美の歩み寄りから実現したものなのかも知れない。他の人と共有できたとしても、それは知らない相手なので、意識はない。知っている相手が夢に出てくるのであれば、共有を意識しないわけにはいかないだろう。
そして、今までに「夢の共有」などという概念がなかったことから、愛里と明美の関係は、それまで思っていた友達、親友と言った概念をさらに飛び越えたものであるに違いない。
明美と愛里の間に、スッと入ってきた晴彦。晴彦は愛里と会ったような記憶があった。
近藤と一緒に行ったスナック、交差点を過ぎたところにある喫茶店で見かけた女性、彼女に愛里のイメージを抱いていた。
晴彦が忘れることのできない女性が、夢の共有の相手ではないかと思うのは当然である。
では一体明美と愛里のどちらが、忘れることのできない相手なのかということを、晴彦は分からない。
――ひょっとして、それぞれに忘れられない部分を持っていて、二人で一人の人間を作り出しているのではないだろうか?
そう思えば、晴彦が忘れられないと思っている女性は、どこか存在感に矛盾を与えるところがある。
いつも同じ人物ではないのではないかという思いを抱いていたことがあったが、そんなバカなことはないと、自らで否定していた。
明美と愛里のそれぞれ、いいところばかりを見ていたのではないかとも思えたが、それも違うようだ。お互いにいいところばかりを見つけて貼りあわせれば、一人の理想の女性が出来上がるという考えは、少し無謀な気がする。
明美には愛里のいいところを引き出す力があり、愛里には明美のいいところを引き出す力がある。それは、それぞれが相手を見てつける力なので、いいとこ取りという感覚とは違っている。
それでも晴彦の夢の中で、一人の完成された女性が作り出されているのは、明美と愛里を現実の世界の二人として見ているのではなく、夢を共有している相手として見ていることから生まれた忘れられない相手である。
忘れられない相手が、本当に理想の女性なのかというのも疑問で、女性を好きになる時に感じる「理想」が、本当に自分の中で思っている理想の積み重ねなのかというと、そうではなかったりするものである、
晴彦の中で、明美という女性の存在は微妙になりつつあった。
晴彦の心の中にいる女性のイメージは愛里であって、明美のイメージはどこにも出てくるわけではない。ただ、愛里の性格の中に、明美の性格が入り込んでいて、それも愛里の中でしか、躍動できない性格もあるようだった。
決して交わることのない平行線が交わった時に生まれるプラスアルファを知らずにいると、晴彦も二人の存在に気付かないまま、「夢の共有」を信じることなく、ただ無為に過ごしていくだけになってしまうだろう。
晴彦にとって愛里と明美の存在、愛里にとっての明美の存在、それぞれにお互いを引き出す力を感じるのだが、明美にとっては、何があるというのだろう?
明美には愛里との間に、確かにお互いを引き出すものがあり、愛里がいることで、明美にとっての愛里が存在しえるのだが、明美のどこにメリットがあるのかと言われれば、疑問でしかないのだ。
愛里という女性は、一見付き合いやすいタイプの女性だった。晴彦が学生時代に付き合ったことのある女性が愛里に似ていた。しかし、少しでも相手に疑問を抱かせてしまうと、愛里は、その人にもう一度靡くことが難しくなってしまう。
そこまで極端ではないが、晴彦が、そのあたりに鈍感であったこともあって、愛里が少しずつ心が離れて行こうとした時、本当は引き留めてくれることを前提に、自分の中で殻を作り、相手と別れる口実を作ろうとする愛里の中では、晴彦から離れることができなくなっていたのだ。
夢の中の愛里は、いつも微笑んでいた。だが、実際の愛里はあまり微笑むことをしない。それはすぐそばに明美がいるからだ。
目の前の相手が明美と晴彦では、完全に態度も違っている。だが、見つめているその先は同じものではないだろうか、少なくとも目の前にいるのは明美の方、明美を通して、その先を見ると、そこに現れるのが晴彦であった。
愛里から見た晴彦は、どんな男性に写っているのだろう? 夢の中なので、実際に見えている姿とは違って見えているとしても不思議ではないだろう。
この世界で見えている姿が、夢の中で同じ姿に見えているとは限らない。この世界で好きになった相手を同じように好きになるとも限らないし、好きになるとすれば、それはまったく違った価値観の中で生まれた世界が作り出した感情が、そこには渦巻いているのかも知れない、
晴彦が見えている愛里は、性格的には、現実社会の愛里と変わらないだろう。だが、外見は明らかに違っていた。ただ、現実社会での愛里も、共有している夢の中に現れる愛里も、晴彦から見れば同じ相手であり、同じ感覚で好きになれる相手でもあった。外見だけで相手を選ぶわけではないが、確かに愛里は晴彦の好みの女性であったのだ。
晴彦は、自分の人生が省略の上に成り立っていることに気が付いた。それを気付かせてくれたのが、愛里であり明美であった。
一体何を省略しているというのだろう? 自分がいつしか本能のままに生きるようになっていた。それが省略だとするならば、快楽を求めるようになっているのだ。
快楽とは、どういうことなのだろう? 男であれば、女から受ける奉仕、そして、自分の欲望を満たしてくれるものを快楽と呼ぶ。
面倒なことには首を突っ込まず、楽な道ばかりを進む。だが人生、楽な方ばかりでは済まないことが多々ある。
怖いことから遠ざかるのも一つの本能である。晴彦は、夢をどのように考えればいいのかと思っていた。
快楽を求めるための楽な道であるのか、怖いものを現実世界では見ないように、夢として処分するために、存在しているものなのか。どちらにしても、何かから逃れるために設けられているのは間違いないようだ。
快楽を夢で見ると、目が覚めてから、
「しょせんは夢の中だけのこと」
として、諦めの境地に陥る。
夢の中で微笑んでいる愛里。その笑顔は何ものにも代えがたいものだと思っていると、微妙に顔が変わっていく。次第にまったく違う人の顔が出て来て、その人の顔も見覚えがある。いつも見ている顔で、明美だったのだ。
まるで、満月に向かって吠えるオオカミ男のようである。
そこには恐怖があるはずなのに、恐怖感が湧いてこない。最初から夢だと分かっているからで、しかも、愛里が明美に変わっていくだけのことなので、恐怖が湧いてくることもない。
「でも、夢だと思っているからこそ、怖いと感じるものではないのだろうか?」
怖いと思わないということは、それだけ恐怖心に対して感覚がマヒしている世界なのかも知れない。
夢の中の明美が微笑んでいるのは、愛里の顔が明美に変わっていく時だけである。明美自身が表に出てくる時は、決して晴彦に微笑むことはない。満面の笑みを浮かべる愛里と、真顔で見つめる明美の顔が、元は一つではないかと思うようになっていた。
「僕の夢の中では、愛里と明美は、同じ人間なのかも知れない」
そういえば、愛里が表に出ている時、明美が出てくることはない。逆に明美が表に出ている時には、愛里が出てくることはないのだ。今さらながらにそのことに気付いたのは、それだけ鈍感なのか、それとも、夢の中の二人は、まったく違った人間を演じているのかも知れない。
愛里が見ている夢には晴彦と明美が出てくる。
愛里の夢の中で、晴彦は愛里の恋人なのだが、晴彦の目移りが激しいのか、愛里は気が気ではない。だが、次第に落ち着いてくる晴彦を見て、愛里はホッと胸を撫でおろした気分になっていたが、それも束の間のこと、晴彦の目は、明美を見つめていたのだ。
愛里はその時、自分が嫉妬深い女であることを知った。嫉妬深さが、自分の命取りにでもなりそうなほど深刻なことも分かっている。
それでも、愛里が乗り切れるのは、熱しやすく冷めやすい性格だからだ。
「竹を割ったようなさっぱりとした性格」
というのとは少し違う。諦めが早いというわけでもない。
「なるようにしかならないわ」
と、開き直りを絶妙なタイミングで起こすことができる。これが愛理の最大の魅力ではないだろうか。
明美が見ていて、愛里はいい加減な性格に見える。几帳面なところがなくて、猪突猛進的な性格は、熱しやすく冷めやすさを示している。それでも何とかなってしまうところが明美には分からない。自分にはない何かを持っているからだとは思うのだが、明美はそれでも愛里に憧れを持つことはない。
晴彦が見ていて、愛里の性格のほとんどが分からないと思っていた。特に明美が分かっている部分の性格はところどころが分かっていたとしても、それが繋がってこないのだ。繋がらなければ分かっていないのと同じこと。普通ならそれ以上意識することはないであろう。
それなのに、明美にも理解できない愛里の性格である、「開き直りのタイミングの良さ」に関しては、誰よりも愛里を理解しているのだろう。愛里にもそれが分かっているからなのだろう、晴彦に惹かれるのだった。
愛里は、自分のことを理解してくれる人に惹かれる。そして、いつもそんな人を捜し求めていると言っても過言ではない。愛里が寂しがり屋だということは、そのことを取っても分かることではないだろうか。
晴彦は愛里の性格の中で、明美が理解できないところを理解できている。かといって、明美が理解できるところは、あまり分からないようである。
二人合わせて、一人の人の性格を完璧に理解できるというのも、夢の世界ならではではないだろうか。
晴彦の人生で、省略できるところがあるとすると、明美が分かっている愛里の性格を除いた部分を、いかに自分が理解できるかというところに落ち着くのだろう。
人の性格など、そう簡単に分かるものではない。覗き見をしたような感覚で見ていると、客観的に見ることができ、分かることもあるだろう。夢で覗いて見ているというのも、相手を客観的に見ることができるからで、夢の中というのは、まず自分がどのような状況に置かれているかということを理解するところから始まる。
相手がどうであれ、夢を見ているのは自分、あくまでも相手は脇役であって、気持ちを理解しようと思うまでには、何度も同じ夢を見なければならない。現実世界であっても、相手のことが理解できないのに、夢であればなおさらだ。夢というものがそれだけ、神秘的で、現実社会との左右対称をイメージしているかということである。
毎日を繰り返している夢を見ていたが、それは、何かの前兆だったのではないかと、今考えている。堂々巡りを繰り返しながら、何度となく回数などという感覚すらなくなってしまい、同じ世界を繰り返していることへの感覚はマヒし、いつしか、
「その日の住人」
であることを、自覚するようになっていた。
毎日を繰り返していることで、晴彦は、その意義を考えてみた。ふと浮かんだ考えは、
「性格を変えることができたのではないか?」
ということだった。
生まれついての性格は、普通であれば変えることは絶対と言っていいほどできないことだと晴彦は思っている。第一、コロコロ変わってしまうようでは、それまでに培ってきた自分の性格を否定するということは、自分のそれまでの人生すら否定するのではないかと考えたからだ。
しかし、絶対にありえないことが起こっている中でなら、変えることができても不思議ではない。
むしろ、晴彦は自分の性格をあまり好きではなかった。変えることができるのであれば、それに越したことはない。変えることができないという考えがあるからこそ、変えられない憤りの言い訳にしていたのではないだろうか。
「無意識ではあるが、言い訳をいつも頭の中で考えている」
晴彦はそんな自分の性格も嫌なところの一つだった。
と言っても、晴彦はそれほど、自分の性格について分かっているわけではない。人から見ると、決して悪い性格ではないのかも知れない。特に明美や愛里の二人は、密かに晴彦に憧れていた、そんなことを知らない晴彦は、自分のまわりに起こっている不思議なことが自分のために起きていることだという意識がまるでないのだった。
それは仕方がないことだろう。それだけ、自分に対して自信がないのだ。そのくせ、表に出ている自分は、どこか自信過剰であった。自分の中では、
「僕の性格は自信過剰なくらいでちょうどいい」
と思っているから、自信過剰になるのだが、本当はなってはいけない部分が自信過剰になって、それが表に出てくると、押しつけのようになってしまうことで、自分が損をしてしまっていることを分かっていない。
さらに、くせの悪い性格としては、一言多いことだった。
「ここで止めておけばいいのに」
ということを言ってしまうことで、余計、人から自信過剰に見られ、それが高じて、許されない性格を作り上げてしまっていたのだ。
一言多いと、自分の近くにいる友達だったり、親友は、イライラしているはずだ。友達だと思っているから、余計に腹が立つ。それでも、
「これがあいつの悪いくせなんだ」
ということで、割り切ってくれる人は、まだいい。しかし、性格的に許せない人は、この性格を知った瞬間に、友達としては付き合えなくなり、離れていくことになるのだ。
「どうして、皆僕から離れて行くんだろう?」
自業自得であることは分かっているが、その理由が分からない。もっとも、簡単に分かるようであれば、友達が離れて行くこともなく、晴彦が、毎日を繰り返す夢を見たり、他の人と夢を共有したりしないだろう。
毎日を繰り返したり、夢を共有したりするのは、決していいことではない。悪い性格を少しでも強制しようとする、一つのターニングポイントなのだ。
「人生の分岐点」
いつから、晴彦の身に起こるようになったのか。それは自分の中で夢として意識しているから分かるものではない。夢というものの中に、時系列という概念が、晴彦の感覚としては持っていないからだ。
晴彦の夢の中には、寂しがり屋な女の子、愛里が共有していた。愛里は、晴彦にだけは心を開いてくれている。そんな女の子を晴彦は待ち侘びていたのだが、しょせんは夢であることを自覚するようになる。
だが、本当の愛里は、明美の存在なくしては、見つけることができない。晴彦の夢の中で、明美の影が見え隠れしているが、それは、愛里の中にいる明美ではなく、愛里の後ろで自分を表に出したいと思って迷走している明美だった。
晴彦の夢の中で、愛里と明美の思惑が見え隠れしていた。それは毎日を繰り返していた晴彦の夢の中では意識できていたが、一日の終わりが近づくと、虚しさに変わってしまう。「愛里を愛していた毎日を思い出す」
本当は、繰り返している毎日の間に、愛里を抱いたという意識はなかったのに、思い切って繰り返していた毎日から抜け出した後に感じたのは、愛里を毎日抱いていたという快楽に溺れた毎日だった。
「こんな毎日を抜けられてよかった」
快楽だけに溺れる毎日だという意識だけが残っていたのだ。
快楽だけを楽しんでいた毎日を繰り返していたと思うことは、毎日を繰り返していた自分が、そこから抜けることの意義を求めたことで生まれた虚映なのかも知れない。
晴彦の夢は、そのほとんどが、言い訳から生まれているものだった。
自分の性格であったり、悪いくせから逃れるための言い訳? それとも、現実世界で起こった、あるいは、これから起こるであろうことへの言い訳、考えてみればいろいろ考えられる。
ただ、夢だと思っているそのすべてが、本当に夢なのだろうか? 矛盾した言い訳も中にはあり、その辻褄を合わせるようにしようという思いが夢を見せているのだとすれば、現実社会の中にも夢だと思いながら、夢だという意識を言い訳にして、分からないふりをしているだけなのかも知れない。
晴彦が共有している愛里は、夢の中では従順だった。元々、明美に対しては従順で、女性同士独特の淫靡な空気を漂わせていたのだが、そのほとんどは、愛里から発せられた。明美は愛里の淫靡な空気を醸し出させるための媒体でもあったが、明美がいないと、愛里は抑えの利かない凧の糸のように、切れてしまうとどこに行くか分からないだろう。それを繋ぎとめておく役目も明美は担っていた。
だが、それはあくまでも晴彦の夢の中だけでのこと、現実社会での明美と愛里は、本当に淫靡な関係で、愛里は、明美がいなければ、生きていけないとまで思っていたくらいだった。
晴彦は、現実社会での二人を知らないわけではなかった。愛里は喫茶店に勤めながら、夜はスナックでアルバイトもしていた。
さらに明美は、風俗嬢である。男性に仕事として奉仕することのストレスを、明美は愛里で癒していた。愛里も明美に委ねることで、自分の存在感を改めて見つめなおすことができる。
愛里は男が嫌いというわけではない。本当の男と出会う前に、明美に出会っただけなのだ。
愛里は、夢の中で出会った晴彦を本当の男だとは思っていない。ただ、甘えることができる相手だとして、打算的なところが大きい。
「バカな男」
と思っているかも知れない。それを表に出さないのは、それだけ、愛里もしたたかだということだろうが、そのしたたかさを植え付けたのは、明美だったのだ。
現実世界での晴彦は、いい意味では、疑うことを知らない。愛里に対してのイメージも、清純で、穢れを知らない聖女のような女の子だと思っていたのだ。
だが、夢の世界での晴彦は、もう少し疑い深いところがあった。それなのに、疑うことを知らなかったのは、現実社会での愛里を知っているという意識があったからだろう。
ただ、それは無意識の中であって、どこか愛里を信じられない気持ちに陥っていくのを、愛里の後ろから見ている明美の視線が、晴彦の神経をマヒさせるに至ったのかも知れない。
明美の中ではそんなはずではなかったであろう。あくまで自分が表に出て、晴彦と正対したいという思いがあったのだろう。だから、影となってではなく、晴彦の前に現れた。愛里しか見えていない晴彦に、何とか残像だけでも見せるだけの力を、明美は持っていたのだった。
今度は、晴彦が明美を意識し始めた。ただ、それが晴彦を夢の世界から覚まさせることに繋がろうとは、皮肉なことだった。
現実世界での明美は、男性不信であった。男が近づいてきただけでも、逃げ腰になってしまう。愛里に対しての態度や、夢の中での態度とはまったくの別人なのだ。
夢の中での明美は、愛里や晴彦以外と共有していた。
その男性は一言で言って、豪傑とでも言えようか。そんな男性に夢の中の明美は憧れるのだ。そういう意味では、晴彦とはまったく違った人物、後先を考えずに行動するようなタイプだ。
だが、明美のような女性が、いくら夢の中でとはいえ、猪突猛進的な男性を好きになるというのも解せないところがある。後先考えずに行動しているように見えて、実は緻密な計算をしているようなそんな男に憧れる。
相手に対しては、そんな素振りをおくびにも出さない。そんな男性で、他の人に言わせると、
「あまりにも理想が高すぎて、そんな男性なんていないわよ」
と言われることだろう。
だが、男性不信の明美には、それくらいの男性でなければと付き合っていけるはずもない。現実世界では難しくても、夢の世界ではいるかも知れないと思ったのだ。
いくら夢の世界とはいえ、現実の世界の人間と違っているわけはない。現実社会との違いは環境で、理想の男性がその力を発揮できる場所は現実世界ではなく、夢の世界でしかないのだ。
「それであなたは満足なの?」
明美は、自問自答を繰り返す。
しかし、今はそれしかないのであって、夢の世界でその人の良さを引き出すことで、現実世界で出会った時、明美の存在に気が付いてくれれば、その人は、きっと明美の理想の男性になっているに違いないと思っている。
明美は愛里や晴彦に比べて、はるかに理想主義者だった。夢を見ることを他の二人に比べて一番正当化している人である。
「理想主義者で何がいけないというの?」
と言いたいのだ。
そんな明美がどうして晴彦の夢の中で、愛里の影に隠れているというのだろう。自分が表に出ることもなく、愛里の影に隠れ、それでも自分の存在を示そうとしている。理想主義者の明美であれば、そんな行動は取らないはずではないか。
男性不信であることが影響している。明美が男性不信に陥った理由の一番は、高校時代の先生に端を発している。
その頃までの明美は、引っ込み思案の性格が表に出ている、普通に大人しい女の子だった。愛里と親友である以外は、友達も少なく、自分の気持ちを表に出すこともあまりなかった。
そんな明美のことを気にしている男の子たちが少なくなかったことを一番よく知っていたのは、愛里だった。男性の視線に関しては、他の人よりも敏感で、それは自分に対してだけでなく、他の人に対しての視線も気になっていた。しかも、相手が明美だとすればなおさらのこと、明美は愛里自身が気になっている女性でもあったからだ。
明美に対しての視線を気にしていたもう一人の人物、それが高校時代の担任だった。愛里も同級生の視線を感じることはできたが、大人の先生の視線を感じることは、さすがにできなかった。それは、他の誰をも無視した視線で、何人とも寄せ付けない厭らしさを含んでいた。あまりにも淫靡な視線であるために、愛里には気付くすべもなかったのだ。
そんな明美を射抜く視線。明美自身は気付いていた。だが、その淫靡な視線は鋭さよりも、
「ヘビに睨まれたカエル」
のごとく、金縛りに遭った身体は、すでに先生の意のままになっていたような気がする。
ただ、先生が言い寄ってくることはなかった。厭らしい視線が、明美の身体を嘗め回すがごとく、逃げることのできない恐怖は、まさしくストーカーのものだった。
何をしてくるわけではないので、誰にも相談できない。警察などが動いてくれるはずもなく、もちろん、学校に言っても無駄であることは、明らかだ。
痛いほどの視線を浴びているわけではなく、逃れられない気持ちというのは、味わった者でしか感じることはできない。しかも、これは明美のような性格の女性でなければ味わえないことだと明美自身は思っている。
このことは、他の誰も知らない。愛里は視線に気が付いていたとしても、明美の心の奥のことが分かるわけではない。さらに明美に自分を委ねようとしている愛里に、明美を救うことなどできるはずのもないのだ。
「明美……」
愛里が自分の夢の中で明美に語り掛けても、明美は答えない。愛里の夢の中で明美は、自分から気持ちや言葉や態度を発することができても、他の人が明美に語り掛けても、明美には分かっていない。そのことを分かっているのは、夢の本人である愛里だけだった。晴彦は明美の存在を知りながら、話しかけることができないのをなぜなのかと感じていたが、その理由が、こちらから発した気持ちに対して明美が答えることになるなど、知る由もなかったのである。
先生の視線は、明美に対してだけのものではなかった。しばらくすると、先生は警察に逮捕され、学校を解雇された。理由は、他の女生徒に対して行ったストーカー行為だった。
先生がいなくなってから、明美の殻は取れたように思えたが、すぐにまた硬直が始まった。先生の視線がなくなったはずなのに、自分の身体に覚えこまされた視線が、痛さを通り越して、マヒしてしまった身体に、痺れを起させるようだった。
そんな明美を、ずっと以前から意識していた男の子がいた。その子は、明美が先生の視線に怯えながら、他の誰にも気づかれないようにしなければいけないと思いながら、苦悩の日々を送っていることを、分かっていた。
彼は、明美を助けてあげようと思って見ていたわけではない。淫靡な視線に怯えながら、それでも毅然とした態度を取っている明美に対して、
「お前のことを一番よく知っているのは、この俺なんだ」
という意識を胸に秘め、じっと見つめていた。
彼は、明美を彼女にしたいとか、付き合いたいというような意識で見ていたわけではない。
「俺だけの明美が存在するんだ」
という意識がその男にとっての快感だったのだ。
確かに、その男だけの明美が存在していたが、もし、先生の視線がなければ、その男の中にあるもう一人の明美が存在したであろうか? その男の存在を明美は、夢の中の晴彦と重ねて見てしまっているところがあった。
晴彦にとっては、まったく想像もしていない見られ方だった。むしろ、明美よりも晴彦が意識しているのは愛里だったのだ。だが、愛里の影のように存在している明美は、晴彦の中で大きな存在であることに間違いはない。
晴彦が明美を意識し始めた時、明美は高校生に戻っていた。晴彦のことを意識しているわけではないが、晴彦を見ていると、思い出すのが高校の時の先生だった。
晴彦は優男で、どう見ても、がたいが大きかった先生とは比べ物にならない。
「でも、彼の後ろに見え隠れしている人が、先生のように見えてくるのよ」
晴彦を意識している自分に言い聞かせるように呟いた。
晴彦の知り合いで、がたいが大きな人というと、近藤だった。近藤が明美の先生だったということはないはずだ。第一年齢が違いすぎる。
だが、近藤の性格を思い出せば、明美に対しての視線の主であることを否定できない気がしていた。
近藤は、竹を割ったような性格で、頼りがいがある男だと晴彦はずっと想ってきた。だが、最近気になり始めたのは、
「僕はうまく利用されているんじゃないだろうか?」
と思うことだった。
本当にウマが合い、考え方が分かるような相手であれば、利用されたとしても、それでもいいと思っていた。
人から利用されるのも、自分に利用価値があるからで、考え方が合っている人であれば、利用されたとしても、いずれは自分のメリットになると考えていた。
晴彦と近藤が友達になったのは、大学に入ってからだったが、それ以前の彼をまったく知らない。知りたいとも思わないし、近藤の方も、敢えて晴彦の過去について、何も聞こうとはしなかった。
「俺たちは気が合う仲間。それでいいのさ」
と、近藤は肩を組むようにして、晴彦に語り掛ける。そして、豪快に笑い飛ばしたかと思うと、今度は真剣な顔になって、
「今だって、すぐに過去になるのさ」
と、小さな声だが、ドスの効いた声が、響いていた。
その言葉を聞いて、晴彦は、近藤と仲良くなるのも悪くないと思った。自分と似たような考えを持っていて、通じるものがあるとすれば、相手が望んでくれているのもあって、すぐに打ち解けたのだった。
近藤にとって、晴彦は踏み台だったのだろうか? 晴彦を前面に押し出して、後ろから自分が操っているような関係は決して対等とは言えない。だが、それでも似たような考えを持っている相手なのだ。そう簡単に切り捨てる気にはなれなかった。
明美が、愛里に対して抱いているイメージも、近藤と似ているのかも知れない。愛里が明美を慕っているほど、明美は愛里を必要としていない。ただ、どこか考え方の似たところがあり、こちらも切り捨てるには忍びない。
近藤が連れていってくれた店にいた女性は、明らかに明美だった。明美も近藤も、お互いに意識しているようには思えない。むしろ、近藤が明美に気があるのではないかと思うほどだ。明美は近藤の好きなタイプの女性で、そんな女性に対してストーカーのような淫靡なまなざしができる男ではないことを、晴彦は知っていたのだ。
「好きな女の子には、苛めたくなる」
ということはある。どちらかというと、近藤もそんなタイプの男だが、彼に限って、陰湿なストーカー行為をするようなことはないと信じている。
「彼に限って……」
この言葉も、考えてみれば、一番信憑性のない言葉でもあった。
明美をストーキングしていた先生のことを報道に来た記者に対して語った人は、皆口々に、
「そんな、先生に限ってストーカー行為だなんて」
と言っていたものだ。
明美の思いが以心伝心、晴彦にも乗り移ったのか、ストーカー先生への怒りがこみ上げてくるのだった。
先生に対する怒りと、近藤に対してのイメージは、どうしても重なってこない。やはり、近藤という男にストーカー行為はありえないと思った。
現実社会で男性不信に陥っている明美は、愛里を自分に引き寄せるのに必死だった。夢の世界で、愛里が晴彦に惹かれているのを黙って見ていたが、それも次第にたまらなくなって、愛里の後ろに見え隠れするようになったのだろう。
愛里にとっての明美と同様。近藤も晴彦の後ろに見え隠れしている。近藤が見つめているのは明美ではないだろうか。
本当は明美のことが好きで、何とかしたいと思いながら、現実社会での明美の頑なな気持ちをこじ開けることはできない。せめて夢で明美を見守っていきたいという気持ちが、晴彦の後ろで見え隠れしているようなイメージを司っているのだろう。
明美は、夢の世界では、決して男性不信ではない。逆に男性不信な自分をなんとかしたいと思っているほどで、他の人と夢の共有をしているのも、その気持ちの表れからなのかも知れない。
「夢の共有には、必ず何かしらの理由が存在しているのだ」
と、思うと、晴彦は自分の夢の共有に対しての理由が何であるのかを、考えるようになった。
「夢を共有したい、しなければなららい」
そんな理由が存在しているのだ。
それは、現実社会ですでに存在しているもので、晴彦には分かっていないものではないだろうか。
夢を共有しながら、毎日を繰り返している夢を見ていたり、夢に対して、いろいろなことが起こっている。
毎日を繰り返している時は、夢に対して恐怖心はなかった。夢を繰り返すことで、死の恐怖すら乗り越えられるような気がしたくらいだ。もちろん、現実社会で死の恐怖を乗り越えられるわけはないので。虚空の幻影でしかないのだろうが、それでも、夢はいろいろなことを教えてくれた。
晴彦は夢で出会った愛里を愛しているのを自分で感じていた。だが、現実社会で出会うことは決してないのではないかと思っている。
「夢など見なければよかった」
夢の共有を後悔しているわけではないが、夢を共有していると思っていること自体が、夢の中だと思うようになっていた。
毎日を繰り返している夢の中で、共有している夢がある。
そう思うと、夢が堂々巡りを繰り返す袋小路という世界に入り込んでしまっていたことに気が付いた。
袋小路は、現実社会にも存在し、そして夢の中にも存在する。そして、現実社会の袋小路への入り口が。交差点になるのだ。
「夢など見なければよかった」
無意識に、その言葉を繰り返す。繰り返している世界が一体どこなのか、晴彦は考えていた。
現実世界では交差点。夢の世界では、毎日を繰り返している世界。具体的に思い出すのは、愛里がいた屋敷と、おやじの屋台である。それぞれに分岐点があり、死ぬことで次の世界へ向かった男もいた。晴彦も自ら死を選ぶことはしなかったが、次の世界を垣間見た気がしていた。
夢を司っている世界がさらにあり、現実社会からの受け渡しができるようになっていて、その存在を知られることがないから、夢と現実の秩序が保たれている。その秩序を晴彦は知ってしまった。
それにより、晴彦は袋小路という世界から抜けられなくなってしまった。毎日を繰り返しているという意識がないまま、ずっと同じところから抜けられない。
それが夢の世界なのか。現実の世界なのか誰にも分からない。
「夢の共有」
そのカギを解いてくれるのは、果たして明美なのか愛里なのか、まずは、夢の世界が現実社会の「交差点」の中の「袋小路」であることを、理解しなければいけないのだろう……。
( 完 )
交差点の中の袋小路 森本 晃次 @kakku
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