第5話 袋小路
堂々巡りを繰り返して、入り込んでしまう袋小路。なかなか現実世界では意識としてはあるが、実際に巡り合うのは難しいことであった。
――巡り合いたいなどと思わなければよかった――
人との巡り合いならばいいのだろうが、知らない世界への遭遇を望むなど、冒涜ではないかと後から考えれば思うのだった。
「あんな夢さえ見なければ、こんなことにはならなかったんだ」
どうやら、見てしまった夢に対して後悔しているようだった。
後悔など意味のないことだ。夢は意識して見るものではない。確かに潜在意識が見せるものだという考えもあるが、だからと言って、普通に意識して見れるものではない。
だからこそ、見てしまった夢に対しての後悔は愚の骨頂であり、その意識があるからなのだろうが、忘れてしまうのだ。
都合よく感じるが、覚えていたい夢まで忘れてしまうのでは始末に悪い。どちらがいいのかは分からないが、忘れてしまうことで、余計に夢というものが神秘的に感じさせることになるのだろう。
夢には怖い夢と、怖くない夢がある。怖くない夢を、
「現実により近い夢だから、怖くないんだ」
と思っていたが、それが間違いであることに最近気付いた。
「夢は現実逃避の感覚が作り出す虚像のようなものだ」
と、思っていた。それなのに、現実に近い夢が怖くないという矛盾した考えは、それだけ夢で見る現実的なことが未知数で、怖いという感覚が生まれてくるからなのだろう。
俺が見る夢は、そんな夢ばかりだった。現実離れした夢に、目が覚めれば背中にぐっしょり汗を掻いていて、
「相当怖いと思ったんだな」
と、詳細まで覚えていない夢を思い出そうとして、それが思いを馳せている感覚に陥っていることに気付いていた。
夢の中で現実を見てしまうと、予知夢であったり、逆夢だと思うこともあるだろう。夢というものが、現実のような時系列になっているとは限らないので、そういう風に思ってしまうのだろうが、実際には現実に起こることではなく、起こってしまったことを、まるでこれから起こることのように錯覚してしまうからなのかも知れない。
晴彦にとって、夢の怖さは分かっているつもりだった。誰か知らないが、夢を共有しているという意識を持ったこともあったし、しかも相手が女性であれば、会ってみたいと思うのも男性として当たり前だとも思っていた。
だが、夢を共有していたのは、女性だけとではない。逆に共有したことのない夢を見たことがないと思うくらいだった。
――夢とは誰かと必ず共有する中に存在しているもの――
そんな風にしか、晴彦は夢を見ることができなくなっていた。
夢が少々怖くても、それは仕方がないと思うのは、誰かと共有しているからだと思う。そこに自分の意志は半分しかなく、時々、現実でも自分の意志を半分しか出せないのだと思ってしまうことがあるが、それは、夢の世界が現実の世界と切っても切り離せない関係にあるからだと思い込んでいるからであった。
晴彦が夢を共有しているのは、愛里と明美であった。お互いに現実の世界での面識はあるのだが、一旦夢を見てしまうと、面識があったことを忘れている。夢に入った瞬間に、現実で出会ったことがリセットされてしまっているのだ。
共有している夢を、晴彦は他の男性とも見たことがあるのだが、その男性も稀にであるが、愛里の夢だけに入り込んだことがあった。
明美の夢に入り込んだことはない。その男性は現実の世界で、明美に近い存在であったからだ。現実の世界で近すぎる関係にある人とは、どうやら夢を共有できないようだった。もし共有しようと試みるならば、それはまったく知らない男性として現れるに違いない。ただ、それでも若干、意識があるから、却って厄介で、意識してしまったことを目が覚めてからも気になってしまう。
何を気にしているのか、それすら覚えていないことで、気持ち悪さがしばらく残ってしまう結果を呼ぶことになる。
愛里の夢に出てくる男性は。愛里の夢の中で、彼氏だった。現実の世界での愛里には彼氏はいない。どちらかというと男性への興味は薄く、本人は誰にも言っていないが、軽い男性恐怖症だと思っているようだった。
小学生の頃、幼馴染の男の子に、変態のような行為をされたのが、トラウマとなっているようだ。もっとも、まだ何も分からない頃だったので、それが変態のような行為だったという意識は子供の頃にはなかった。相手の男の子も、本当に変態だと自分でも思っていなかっただろう。
「パンツ脱いで、そこでおしっこしてごらん」
茂みの中で、幼女に対してそんな命令をしていたのだ。
命令されることに恐怖を感じながら、どこか危ない遊びをしている自分が、まるで冒険をしているようで、その時はドキドキしているだけの感覚だった。
だが、少しずつ成長するうちに、
「あの時のことは、女の子にとって一番してはいけないことで、恥かしいことなのだ」
という意識を持ったことで、愛里は自己嫌悪と軽い男性恐怖症に陥った。だが、同時に自分が変態行為であっても、拒否できないマゾの性格を秘めていることにも気づかされたのだ。
明美と知り合うまでは。友達もおらず、そんな性格をまわりは見抜いていたのか、愛里に近づいてくる男性はおろか、女性もいなかった。
「私は一人ぼっちなんだ」
という思いと、
「一人の方が気が楽でいい」
という思いが交錯し、開き直りと卑屈な気持ちが入り混じったおかしな性格になってしまっていたのだ。
愛里は自分で意識はしていたが、どうにもならなかった。そのうちに、
「この性格とうまく付き合って行くしかないか」
と思うようになっていた。
明美はそんな愛里の性格を分かっていて、近づいてきてくれた初めての相手だった。
「離したくないわ」
と思ったのは、その気持ちが強いからであった。
男性恐怖症だった愛里が、夢の中の男性を好きになった。その人のことが最初から好きだったのかと言われれば分からないが、男の人を好きになるはずのない自分が好きになったのだから、最初からだと思って間違いないだろう。
男性は晴彦であり、本当は、現実社会でも会ったことのある男性だった。
晴彦に対しての愛里が夢で感じているイメージは、
「きっと結婚していて、優しい旦那さんなんだけれども、奥さんが性悪で、浮気を繰り返している」
大まかに言えば、そんなイメージだった。
妻に浮気される、情けない亭主なのに、なぜか彼に対しては、情けないというイメージが湧いてこない。ただ、
「可哀そうな人なので、私が癒してあげたいわ」
と、感じさせられた。
「もし、現実世界で知り合ったら、私は彼に惹かれるかしら?」
夢で、これだけ惹かれるのだから、疑う余地など、どこにあろうというのだろうか。そうは思ってみても、惹かれる理由が見当たらないのだ。夢を見ている時は、理由など関係ないのだが、目が覚めてしまうと、理由を求めてしまう。夢の中での愛里は、そんなことを考えていた。
夢の中の人間は、夢の世界が表で、現実世界の方を裏だと思っていることだろう。そうでなければ、自分の存在意義に思い悩み、そればかり考えてしまうに違いないからだ。
愛里が晴彦の夢を見始めたのは、現実の晴彦にはすでに妻がいたのだ。夢を見ている相手は、同い年くらいなので、夢を共有している相手とは、タイムラグがあるようだ。
同じ夢を共有している晴彦が見ている愛里は、数年後の愛里だった。お互いに現実世界で出会ったとしても、夢の中の相手だと気付くはずもない。これこそが、決して交わってはいけない関係。パラドックスなのだろう。
「では、一体、何のために夢の共有などが行われ、さらには気付かない人が多い中で、気付く人もいたりするのだろう?」
予知能力を持っているという人がいると聞くが、その人たちは、自分に能力があることを決して口外しないという。口外してしまうと、自分の立場はなくなり、それどころか、身の危険を感じなければならないだろう。人にはない力を持っているだけで気持ち悪がられるのは、いつの時代も同じではないだろうか。特に今の科学万能と言われる時代だからこそ、余計に非科学的なことは気持ち悪がられ、別世界のように思われるに違いない。
予知能力を人に話してしまうと、効力がなくなってしまう。話さなければ効力は持ったままだが、自慢にはならない。かといって話してしまうと効力がなくなるので、元も子もない。そんな状態で、誰が話すというのだろう。
晴彦は、自分だけの胸に収めておくつもりだったが、どうやら妻は気付いているようだ。自分から話しているわけではないので、効力は失われない。そのことを知っているのか、妻は敢えて聞いてこない。
「ひょっとして、あいつも同じ能力を持っているのかも知れないな」
と思うと、案外皆持っていて、誰にも言わないから、存在するはずのない能力として、それぞれにタブーを化しているのかも知れない。
妻の勘が鋭いのは分かっていた。そこが気に入ったのであって、浮気でもしようものなら、すぐに気付かれてしまうはずだ。
それでもいいと思った。浮気で終わるような中途半端なことは、自分にはないだろうと晴彦は思っていたからだ。逆にいうと、本気の相手と妻とを比べることになることに、果たして耐えられるかどうか、想像もつかない。考えることを拒否してしまいそうだ。
妻を愛していた。お互いに相手の気持ちを分かりすぎるくらいに分かっていると思っていて、その気持ちは晴彦の方が強い気がした。何かあった時に頼ってくれる妻を見て、自分の自尊心をくすぐられ、さらには、頼られることで、まわりに対しての自分のイメージや、オシドリ夫婦としてのイメージが確立されることは嬉しかった。
愛している妻の夢も、最初の頃にはよく見たものだ。だが、途中から出てきた愛里が気になり始めたのは、
「以前にしょっちゅう会っていた気がする」
という思いがあったからだ。
だが、どう思い返しても会った記憶がない。本当は大学生の愛里が、大学生の頃の自分と夢を共有していて、ただの夢だと思っていた相手のことをおぼろげに覚えているだけだった。それがまさか今、自分が共有している相手の若い頃の記憶がよみがえってくるなど、信じられるわけもない。思い出したとしても、錯覚だとしてしか思わないだろう。
では明美との共有を、晴彦はどう思っているのだろう。
明美との記憶は、もっと前に遡る。それは小学生の頃のことではないだろうか。
明美との記憶には、自分が大学生で、明美が小学生だった記憶があった。お兄ちゃんのように慕ってくれた明美、きっと今会っても絶対に分からないかも知れない、本当に意識としては薄いものだった。
明美とは、夢を共有はしているが、その意識は晴彦にはほとんどない。明美の方に共有している意識が強いので、共有しているということを晴彦にも自覚があるだけで、もしその意識がなければ、晴彦は明美を意識することはなかっただろう。
明美とは面識があることを意識していた。
会社の帰りに見かける女の子が、夢を共有していた女の子だというのを分かったのは、明美の視線からだった。
突き刺すような視線ではない。まるで舐めるような少し陰湿な視線だった。それでもなぜか嫌ではなかった。むしろ懐かしさからか、明美は睨み返しながら表情が緩んでいくのを感じていた。すると相手は却って不気味に思ったのか、ギクリとした態度を取ったかと思うと、後ずさりをした。一寸前までの態度とは明らかに違う人だった。
「明美ちゃん?」
晴彦が明美に声を掛けた。
「どうして私の名前を?」
「この間会ったのを覚えていないかな?」
ビックリしている明美に対して、晴彦は一歩も引かない。余裕のある態度は、何よりも相手を威圧する。特に知らない相手に名前まで呼ばれたのだから、ビックリしないわけにはいかないだろう。
それにしても、一瞬だけだが、後ずさりしたのはどういうことなのだろうか? 明美はまったく知らない相手だと思っているだけに、見当もつかない。
「一体、どこで?」
背が高い彼の顔を覗き込みながら、恐る恐る明美は答えた。瞬時にして、立場が入れ替わった相手との最終的な立場がここで確立したかのようだった。
怯えが走っているだろう顔を、相手はニコニコしながら覗き込んでいる。相手の余裕が羨ましいというよりも、恨めしいと言った方がいいだろう。
晴彦は、臆している明美の態度に構うことなく、どっしりと構えている。微動だにしない態度は、すべてを見透かされているようで、次の言葉までの間が、あまりにも長く感じられるようで、気持ち悪いくらいだった。
ゆっくりと晴彦は口を開いて、
「ここでさ」
と、平然と言い切った。
晴彦を知っている人なら、こんな表情をする晴彦を初めて見たというだろう。
足元を見ると、鉄板の上に足が乗っかっていて、舗道はどこに行ったのか、分からないくらいだった。
足元の正方形になった鉄板は、まるで畳二枚敷かれているような感じで、真ん中からパカッと開いて、後は奈落の底に真っ逆さまに落ち込んでいってしまうのを想像できた。
身体がフッと浮いたかのような錯覚を覚えると、落ち込んでいく感覚が瞬時にして自分の身体が溶けて消えてしまうかのように思うと、もう、何事もどうでもいいことのように思えてきた。
「私はこのまま死んじゃうのかしら?」
と感じたほどで、前を見ると、そこには白骨が転がっているのまで見えたほどだ。
「白い物体が真っ暗な場所にあると、どうして白骨だって思っちゃうのかしら? 他の人もそうなのかな?」
と思っていたが、中には白骨を想像する人もいるだろうが、白骨ばかり想像するわけではない。
死ぬことを想像することなんて、そうもないはずだ。特に足元が開いて奈落の底に落ち込んでいくなどという発想は、明らかにテレビドラマの影響だ。
「この人とここで会ったって、まるで死んだ後の世界のようじゃない」
明美の恐怖は、自分が死んだわけではないのなら、相手が死人だということだ。今の明美は自分が死んでしまったことを信じるよりも、死人と話をしている自分を想像していることの方が怖いのだった。
生きている人間が死者の世界に入り込む。その方が怖いのだ。
瞬時に感じることとして、人はどれだけのことを考えきることができるのだろう? 明美は、一瞬だけのことなら、自分が死んで死者の世界にいることと、生きている自分が死者の世界の死人と会っているということを比較すると、後者の方が恐ろしく感じる。しかも潜在意識が邪魔をして、自分が生きているということを意識することができるので、死人と話ができることで、死者の世界に引きずり込まれそうになっているという恐怖を生々しく感じるのだ。
――それこそ生き地獄というものだ――
生き地獄など、そう簡単に味わうことなどできるはずはない。
晴彦は、彼女は殺されたという夢を見たことがあった。それは愛里か明美のどちらかだったのだが。晴彦にとっては生き地獄にふさわしいものだった。
殺される瞬間を夢に見るのだが、彼女は死んではいなかった。殺されたと思った瞬間、
――これは夢なのだ――
という思いがあった。それは、殺されるという切羽詰ったような状況に、焦りは感じるが、リアルさも感じられた。本来なら、人が殺されるようなシチュエーションは、夢であるなら、リアルさを少しでも削れるような意識を持つものなのだろうが、リアルさを感じるというのは、却って、夢であってほしいという意識の表れなのではないだろうか。
生き地獄とはまさしくよく言ったもので、恐ろしくて目を背けたくなるものに対して、背を向けることができない環境である。瞬きすら許されない状況に、晴彦は、却って夢を見ているのだと思ったのだ。
「自分が殺される方が、よほどいい」
以前に見た、ミステリーのテレビ化されたドラマを思い出した。復讐に一生を掛けた男が、まず最初に狙うのは、肉親だった。一人ずつ。復讐鬼の毒牙に掛かって殺されていく。最初は殺されるところを見ることもなく、死体で発見されるというシチュエーション。次には脅迫状が送られてくる。そのうちに脅迫者と思われる男が現れ、さらなる恐怖を煽るのだ。
そしてクライマックスは、一番愛している人が目の前で苦しみながら死に絶えるのを見せつけられて、自分もやがて苦しみながら死んでいくというストーリーだった。クライマックスでは、復讐の理由を喜々として話す男の勝ち誇ったような表情を、死んでも忘れないとばかりに焼き付けさせられるのだ。
それこそが生き地獄、そして、晴彦は本当の生き地獄は、それだけではないことに気付いていた。
「生き地獄とは、相手を助けることができない焦りとやるせなさとが入り混じった、言葉にならない状況を言うのだ」
と感じていた。
目の前で愛する人が苦しみながら死んでいく様子は、自分が死ぬよりも辛いことだ。特に苦しみながら死んでいくのを見せつけられるのも、これ以上の恐怖はない。
相手を助けることができないことが、そのまま自分の死に結びついてくる。
さらには、救えなかったわだかまりを持ったまま死ぬことは、やり残したという思いを残すことになる。死を目の前にした人は、まずこの世の憂いを断ち切りたいと思うのが当然でないだろうか。
その思いをしっかりと掴んだ復讐者は、容赦なく責めたてる。それこそが、生き地獄という言葉にふさわしいのではないだろうか。
ただ、晴彦が見た、彼女が殺された夢というのは、そこまで怖いものではなかった。確かに恐ろしさは普通の夢とは違っていたが、意識の中で想定内のものでもあった。
「殺されるところを想像していた自分もいるのかも知れない」
と、晴彦は思っていたが。殺された彼女が次の瞬間に夢の中で復活していたのを見た時の方が恐ろしかった。
死んだはずの人が目の前で生きているのを見ると普通なら、
「ああ、よかった。殺されたと思っていたけど、それは錯覚で、夢だけのことだったんだ」
というところで終わってしまうだろう。
だが、夢の中ではないとすれば?
そんな考えが頭を過ぎる。その時に感じることは、死の世界を覗いてしまったのではないかという思いであった。
そう考えると、夢の世界と死後の世界。どこか共通点が多いような気がする。
夢の世界は、皆それぞれ独立していて、死後の世界は共通のものだという考えがあるから、二つはまったく違ったものだという考えが生まれるのである。
まったく違うものだからこそ、夢は夢で片づけられ、死後の世界とはまったく違うものだということで切り離して考えられるのだ。
では、殺されたのは、誰だったのだろう?
今から思えばどちらもだったように思う。どちらかだけの記憶が強いのは、生きているのをその後に見たからだった。もし、見ていなければ、ただの夢として、目が覚めるにしたがって忘れて行ったかも知れない。ただの怖い夢として忘れ去るには厳しい夢なので、少しくらいの意識は残っている。その意識が、さらに死んだ人間を見てしまったという恐怖と重なって、晴彦の中に残っているのであろう。
最初に殺されたのは、明美だったように思う。明美に対しての記憶は、明美が小さい頃からあった。小さかった頃の明美が死んだイメージが強い。明美を意識し始めたのが、高校生の明美くらいだったことは、途中で記憶が途切れている証拠として、殺されたという夢がまとわりついているからなのかも知れない。
自分が死ぬという感覚を夢に見たことがある。人が死ぬ姿を見せつけられることさえなければ、死ぬということへの恐怖は、さほどないのではないだろうか。
死ぬということに対して最初に感じるのは、痛いか痛くないかという肉体的な感覚についてである。まずは直接的に感じることから気になるのは当たり前のことで、痛みを感じることは嫌だと思うのも、無理にないことだ。
痛さと苦しさ、死に対して感じるのは、同じ感覚だった。
――痛ければ苦しい。苦しければ痛みを伴うものだ――
という感覚だった。
確かに痛みを伴うのは嫌だ。自殺を企てる人が、どの方法で死のうかと考えるのも、まずは苦しまずに済む方法を考えるだろう。
首吊り、睡眠薬、飛び降り、飛び込み、手首裂傷など、いろいろあるだろうが、晴彦は想像するだけでおぞましかった。
死ぬという感覚の次に感じることは、実際に息絶えるまでに、どれほどの時間が掛かるかということだ。
苦しんでいる間に絶命することもあると聞くが、実際にまわりから苦しんでいるのを見るのと、苦しんでいる本人との感じ方がどれほど違うかである。
苦しんでいるのを見てしまうと、恐怖が頭から離れなくなる。特にすぐに死を控えている人であればなおさらだ。そういうシーンをドラマなどで見れば確かに頭にこびりついた恐怖は、本当の死よりも恐ろしいものなのかも知れない。
晴彦は、死の瞬間はあっという間で、それまでの苦痛が恐怖と一緒になって、最後に断末魔の瞬間には、大往生のように、静かに終わるのではないかと思うのだった。途中にどんなプロセスがあろうとも、死んでしまえば同じこと、そこから先をいかに進むかは、自分の意志によらないところで決められる。
夢の中では決して死ぬことはない。死んでしまうということは、そこで夢が途絶えてしまうということだ。
「夢の中での死と、実際の死と、二つの死が待ち構えている」
人の中には、死を迎えて、
「翌日には、自分は死んでしまうんだ」
ということが分かるのか、遺言を残したり、身の回りのものを急に整理する人がいる。死に対しての正夢を信じている人であろう。
死に対しての夢は正夢に近いと信じている人は多いのかも知れない。宗教的な考えが強く、死に対して、宗派によって受け止め方もバラバラではないだろうか。
死後の世界に思いを馳せるのは、誰にでもあることだろう。それを小説やドラマ、アニメで表現する人はたくさんいるが、どうしても恐怖とは切っても切り離せない領域だ。
死後の世界を表現することで、この世に対してのやるせなさや、叶わぬ思いを死後の世界に求める人もいるだろう。宗教観の中には、生きている時から、死後の世界を思いうけば、絶えず意識しながら生きることを教えるものも少なくはない。戒律などはその最たる例ではないだろうか。
絵の中にも死後の世界に思いを馳せるものもある。行先は極楽浄土か、果たして地獄か、どちらをイメージするかによって、絵に対する力の入れ方も違ってくるというものだ。
死後の世界というと、晴彦は、まず地獄を思い浮かべる。それは自分が地獄に落ちるという思いではなく、単純に、インパクトの強い方が頭に残るものだと思っているからであって、それも無理のないことだ。
地獄の絵を見て、そのイメージが脳裏に残ったことで、絵を描く趣味に結びついたと言っても過言ではない。ただ、絵を描こうと思うようになったのは、大学の頃で、それまでまったく絵に興味がなかったのがウソのようだ。
「どうした風の吹き回しだ」
と、まわりから言われたものだが、
「急に思い立ったのさ」
と答えたが、それは半分本当のことだった。
後の半分はウソであるが、急に思いついたわけでもなかったからだ。
自分から死を選ぶことは、絶対にしないと思いながらも死を意識してしまうのは、
「誰かに殺されるかも知れない」
という予感が頭を離れないからだ。
それは故意ではない、事故のようなものかも知れないが、事故であるならば、一瞬のことであって、一番楽な死に方なのかも知れない。
ただ、それも死んでしまってから感じることができないことなので、矛盾の中にしか存在しえない理屈であった。
死んでから出会う人もいる。その人たちは、いつ死んだのだろう? まず最初に出会うのは、同じ頃に死んだ人であり、身近の人ではないことが前提のように思えた。
最初から身近な人と出会ってしまうと、死ぬ前の意識がよみがえり、却って死んだことを余計に意識してしまって、辛くなるのは自分だけだと思えてくる。
一人で辛い思いをするのは、気が楽ではあるが、まわりが見えなくなりそうで、あまりいい傾向ではないように思う。
まず出会う場所がどこであるかである。三蔵の川のように想像できるところであればいいのだが、そうでなければ、現実の世界しか思い浮かばない。いきなり蓮の花が咲いていたり、血の海が見える世界を想像などできないものだ。
蓮の花が咲いている世界は、何となく想像がつく。子供の頃に行った温泉で、天国をイメージしたシチュエーションの場所が、似ていたのだ。地獄のイメージもあったが、子供心に怖かったせいもあって、ほとんど覚えていない。子供にありがちな怖いもの知らずという言葉は、晴彦には似合わない。
それだけに天国が死後の世界だという気持ちのままに夢を見ると、地獄を想像できないことで、知らない世界の夢を見ると、
「これが地獄という世界ではないか」
という思いに駆られて、地獄に対してのイメージが、膨らみ続けるのであった。
膨らんできたイメージは次第に大きくなるが、ある時点を境に、狭まってくる。限界を見てしまうと、後は縮んでいくものだという意識が強くなってくる。
天国と地獄を真逆の世界のように想像する人がいるが、死後の世界という意味では、どこまでが逆なのか、ハッキリと分からない時がある、天国は空のさらに上を思い浮かべる。そして地獄は地中深くに蠢いている世界に思える。それは人間が勝手にイメージしたもので、そもそも天国と地獄という概念も、どこから生まれたのか、疑問に感じるものである。
晴彦は、今まで夢の中で、何人もの女性と付き合ったという意識がある。彼女たちにはそれぞれ特徴があり、晴彦自身、好みのタイプが多様化しているのだろうと感じたほどだった。物静かな女性、調子のいい女性、いつもニコニコしていて自分も思わず微笑んでしまいそうになる女性、様々である。
物静かな女性の中には、目が合うと、満面の笑みを浮かべる人がいる。そのイメージが晴彦にとっては大きく残っていて、物静かな女性に自分が惹かれる一番の理由が、相手の笑顔にあると思っている。
満面の笑みに対して満面の笑みを返すのは礼儀であるが、これほど自然にできることはないと思うのだった。人を好きになるということは、本能であり、自然な気持ちの表れだと思っている自分の考えを、証明してくれているようだった。
調子のいいと思える女性も、晴彦は嫌いではなかった。一見調子のいい人には、騙されがちなところがあるのだろうが、騙されてもいいというくらいに思える女性であれば、晴彦は嫌ではなかった。
自分が誠意を持って接していれば、そのうちに気付いてくれると思うからで、気付いてくれれば、今度は正真正銘、晴彦に従順な女性になることは間違いのないことだろうと感じるからだった。
そして、何と言っても、いつもニコニコしている人が一番なのは、晴彦だけのことではないだろう。
その人が発するオーラは癒しとなり、晴彦を包んでくれている。自分から何もしなくても、すべてを与えてくれるかのようなオーラは、与えられることが、楽をするためだという考えではなく、癒しを受けているという前向きの考えに変えてくれる。それがオーラというものではないだろうか。
笑顔が暖かさを運んでくれ、暖かさが、お互いのオーラとして、倍以上の光をまわりに放っていることだろう。理想の男女関係であり、人間であることを喜ばしく思える瞬間なのだろう。
そんな彼女たちの夢をそれぞれに見ていると、普段では見ることができない
「夢の続き」
というものを見ることができる気がしていたのだ。
夢の続きは次の日ではなかったであろう。それが夢を時系列のものではないという意識にさせるもので、見た夢を思い出そうとしても、それがいつの夢だったたかなど、まったく見当もつかなかったりするものだ。
「昨日だったような気もするし、子供の頃に見た夢だったのかも知れない」
ち感じる。
逆に言えば、夢の続きを見ることができないと思っているのは勘違いで、いつの夢だったか起きてからでは覚えていないことと、夢の内容をおぼろげにされてしまうことで、夢には何かの作用をもたらす力があるのかも知れないと考えられる。その作用が、
「夢の続きなど、見ることはできないのだ」
と思い込ませることに繋がっているのだとすれば、夢が現実に残すもの、伝えるものというのは何なのかが見えてくるのではないだろうか?
少なくとも晴彦は、夢の中で付き合っていたかも知れないと思う女性たちの夢の続きを見ているという意識がある。
中には、まだ続きの人もいるのだ。きっといつか続きを見るに違いない。そして、ほとんどの女性の夢は完結している。夢で付き合うと、その愛は永遠ではないということなのだろうか?
すべてが中途半端ではない気がするにも関わらず。もう完結したと思っている女性たちの夢を見ることができないのだ。それは、きっと自分が夢の中で彼女たちから殺されるからだった。
殺されることは、夢の中では苦痛ではない。むしろ、
「夢を完結させることだ」
ということであるなら、殺されることを苦痛だとは思わない。実際に自分の命がなくなるというよりも、殺されることで、現実に引き戻される。つまり、目が覚めることに直結しているのだからだ。
普段の夢でも、肝心なところで夢から覚めてしまうということが多い。それは怖い夢であっても、楽しい夢であっても共通している。結局夢とは核心に近づけば、覚めることになっているのだ。
現実の世界でも、何かの核心に近づけば、夢から覚めるようなものがあるのだろうか。
殺されるという意識まではないまでも、それに近いショックなことを夢に見ることで、現実に引き戻されているのだろう。そして、
「肝心なところで、夢というものは目を覚ますようになっているのだ」
ということを、意識の中に植え付けられることになるのだ。
ショックなことというのは、毎回同じものなのだとうか? 疑問として浮かんでくる。ショックなことが夢から引き戻す作用に繋がっているという意識がない限り、生まれない発想ではあるが、現実の世界でもショックなことにはいくつも出会っていて、その時々のシチュエーションでも違っている。夢であっても同じこと、ショックなことが毎回同じだという発想が出てくること自体、不思議なのだ。
それなのに、晴彦は、
「同じショックなことなのかも知れない」
と思ってしまう。どこか繋がっているものが夢の中ではあるのかも知れない。
「夢の続きには、限界というものがないのだろうか?」
夢を見るということは、潜在意識の成せる業だという話を聞くが、果てしなく広がっていく夢の中では、どこかに限界が存在しなければ、歯止めが利かなくなってしまうに違いない。それを思うと、限界という言葉が頭を過ぎってくるのだった。
夢の続きを見ていると、晴彦は、そのうちにどこかで現実と交差してくる部分があるように思えてならなかった。
「夢の世界と現実とは明らかに違っていて、境目が存在するはずなのだが、それがどこなのか、分かるはずもない」
と、晴彦は思っているが、それは晴彦に限らず、皆思っていることであろう。
しかし、逆も真なりという言葉もあるが、夢と現実の境目は曖昧であって、夢だと思っていることが現実であったり、正夢であったりする。
正夢というのは、夢に見たことが現実に起こった時のことをいうのだが、晴彦は正夢に対して少し違った感覚を持っている。
正夢とは夢に見たことが起こるのではなく、起こってしまったことを、夢に見たと思うことが正夢ではないかと思うのだ。その方が理屈としては合いそうな気がするのだが、この考えは、デジャブに似ているのではないだろうか?
晴彦はデジャブというものを信じていた。
初めて見たもののはずなのに、以前に見たことだと思うことをデジャブというが、それは、あまり話題にしないだけで、誰でもが経験のあることであろう。
晴彦の考えとしては、デジャブとは、自分の経験や統計的な感覚から、起こるであろうことを予期していて、そのことが起こってしまったことへの精神的な辻褄を合わせるために記憶の中に作り上げた幻影のようなものだと思っている。実際にそういう研究をしている本を読んだことがあり、自分の考えと同じであることにビックリしたほどであった。
デジャブと似た考えとして正夢がある。正夢も、
「どこかで見た感覚」
それが夢の中であっただけのことである。
デジャブについての考えより、正夢の方が説得力があるかも知れない。相手が夢であれば、いくらでも解釈のしようがあるからだ。
理解できないことであっても、夢であれば、
「しょせんは、夢の中でのこと」
として、納得できるが、それ以上の考えが及ばない。
夢を見ることは、晴彦にとって、何かの辻褄を合わせることに繋がってくるのであれば、現実世界で納得のいかないことも、夢なら納得させることができるという、どこか言い訳っぽい考えが生まれてくれば、どこかで帳尻を合わせなければならないと思うのは本能的なものである。
夢の続きだと思っていることでも、それが本当に前に見た夢の続きだと、ハッキリ断言できるであろうか。辻褄を合わせるために夢を利用するというのであれば、夢の続きもその前がどういうものだったのかということを思い出すのにも、辻褄を合わせようとするのかも知れない。
次第に考えが堂々巡りを繰り返していき、今度は、夢の完結がありえるのかということに対しても疑問を感じるようになっていた。
堂々巡りは、夢に関してだけではない。現実世界での方が、余計に強く感じられるものであった。
現実世界は曖昧な世界ではない。一つの歯車が他の歯車を動かし、また他の歯車から自分が動かされる。一本の線に繋がっている部分もあれば、複雑に絡み合った部分もある。曖昧ではないだけに、掴み心のないものでもあるだろう。
夢の世界に人が住んでいて、こちらの世界を見ていたとすれば、これほど複雑に見えるものもないかも知れない。いや、逆に夢の世界がこちらの世界での現実であり、曖昧では許されない世界ではないだろうか。そう考えれば、境界線など、存在しないのかも知れない。鏡のようなものがあり、そこが左右対称を作り上げ、見えていないつもりで、誰もが見ているものなのだ。
晴彦の考えはとどまるところを知らない。さらに考えるのは、広がっている世界は、現実世界と夢の世界の二つではなく、他にもたくさんあるのではないかと思っている。ミラールームに写った無数の自分の姿のように、無数に自分が存在している。それは一秒前にも自分がいて、一秒後にも自分がいる。しかも今の自分が一秒後には、そこにいる自分にうなっているのだ。時間への思いは、果てしない想像を掻きたてるものである。想像が果てしない世界。それが今の自分がいる現実の世界なのだ。
殺される夢は、そんな自分の果てしない想像をどこかで断ち切るために必要不可欠なものなのかも知れない。晴彦は、この思いを他の誰にも味わうことができない自分だけのものだと思っていた。
晴彦は彼女に殺される夢を見た。彼女が誰なのか、最初は分からなかったが、それが、明美であることに気付くと、明美には自分の他にも男がいることを知った。
「他にもそんなにたくさんの男性と付き合っているなんて、俺には信じられない。信じていた相手に裏切られた気分だ。そんな相手と一緒にいるくらいなら、いっそのこと、殺してもらった方がいいくらいだ」
と、叫んでいた。
夢の中で言い争いになり、それが高じて、そんな言葉を吐いてしまったようだ。
「分かったわ、お望み通り殺してあげる。恨みっこなしで願いたいわ」
これが付き合っていた相手の言葉なのであろうか? 思わず耳を疑った。
形相もそれまでとはまったく違い、鬼の形相と言えるほど、目は吊り上がり、唇は震えていて、まるで断末魔の表情のようであった。
目の充血は、何かを相当悩んでいたものなのか、それとも怒りに震えてのものなのか分からないが、尋常ではないのは、読み取れた。
――人を殺すという思いがこれほど人の表情を変えるほど、気持ちを高ぶらせるとは思わなかった――
ただ、その形相のひどさには、他にも理由があったようだ。
彼女は自分で精算したいことがあるようで、それがどうやら、今まで付き合っていた男性の粛清のようだった。
自分で招いたことなのに、それを男性に押し付けて粛清するというのは、身勝手であるが、明美の中で、
「これは夢なんだ」
と、分かっているからできることなのだという、潔さのようなものがあった。
また、夢の中でできれば、現実社会でも、複数の男性を殺すことなどなく、別れることができるのだと思い込んでいるようだ。
「私はすでに、何人もの男性を夢の中で殺してきた。あなたが最後なの」
「どうして、僕が最後なんだい?」
「分からない。でも、殺してきた男性のすべてが、最後に思えていたのよ」
「じゃあ、僕が本当に最後なのかどうか、分からないじゃないか」
「皆殺したのは一度きり、殺してしまえば二度と私の前には現れない。最初に殺した人もその次に殺した人の時も、他の男性はすでにいないという意識があるのよ。ひょっとしたら、一人を殺せば、皆死ぬんじゃないかって思っているのかも知れないわ」
「それは、君の独りよがりな妄想さ。何回も人を殺すよりも一度だけの方がいいに決まっているからね」
「そうかも知れないわ。でも。本当にそれだけのことかしら?」
「僕はそうだと思うね」
本当は、そんなことはない。だが、そうだと思わないと、彼女に余計な苦しみを与えることになりそうだからだ。妄想は、いくらでも自分の中で広げていける。それだけに自分に都合のいいことも好きなだけ想像できる。そうなってしまうと歯止めが利かなくなってしまって、最後にそのことで苦しみを抱え込むのは、結局自分になるからである。
――これだって堂々巡りではないだろうか――
繰り返し考えること、それは悪いことではないが、無意識に入り込んでしまった袋小路からはなかなか抜けられない。それは、毎日を繰り返しているという発想に似ているが、晴彦は、今までに一日を繰り返している時期があったという意識を、何度か持っていたことがあった。
「毎日を繰り返す」
この言葉には二つの考えがあった。
「同じ日を毎日繰り返している」
という考えと、
「同じ日を、もう一度次の日に繰り返し、今度は違う時に、同じ日を、もう一度次の日を繰り返す」
複数回、同じ日を繰り返しているという考えだ。
同じ日を毎日繰り返しているとすれば、晴彦自身ではなく、繰り返している人が他にいるのだ。その人は抜けられない自分の運命を知っているのかが疑問だが、毎日同じことを繰り返しているのだから、その日のすべてを分かっている。分かっていて、
「どこかに次の日に繋がるカギがあるはずだ」
と、思うのだろうが、それが見つからずに、我慢を重ねていくと、最後に出てくる結論は、
「死ななければ、今日という日を逃れられない」
という思いだった。
死んでしまったことで、永遠にこの世と縁が切れてしまうのか、それともめでたく、明日を迎えることができるのかが疑問だ。
もし、めでたく明日を迎えることができても、明日にいる人たちが本当に今日の続きなのかが分からない。まるで浦島太郎状態ではないか。
「ひょっとして浦島太郎の物語は、毎日を繰り返しているという考えを暗示していたのではないだろうか?」
あの物語は、海の底の世界と、現実世界とであまりにも時間の差がありすぎたということを事実として、
「楽しいことが続きすぎると、時間の感覚がマヒしてしまう」
という教訓に、さらには、
「別世界として、時間の進み方がまったく違う世界が存在している」
という、相対性理論のような理論を、物語にしたという物語なのだ。
浦島太郎の物語をすぐに思い出すのは、それだけ教訓の方か、別世界の方の存在を以前からずっと意識していた証拠なのかも知れない。強いとすれば、相対性理論の方が大きかったに違いない。
だからこそ、夢の世界という概念を通して、毎日を繰り返しているなどという感覚が芽生えてくるのであろう。
晴彦にとって、毎日を繰り返しているという感覚は、夢の中で起こっていた。それも毎日を何度も繰り返していて、その中で、同じように繰り返している人が何人もいるのを知った。
実際に初めて自覚した時も、一人の男性が、
「私は同じ日を繰り返している」
と、話したから自覚ができたのだ。もし話してくれていなかったら、知らぬまま、毎日を繰り返している夢を見ていたことだろう。夢では時系列の感覚がマヒしてしまうというのも、その影響が強いからだと思っている。
だからこそ、夢だと思うのだ。夢であれば何でもありだという考えが、少し残っていて、確かに潜在意識が見せるものだという考えが強い中で、それだけではないという考えが心の中で、徐々に膨らんでいるのかも知れない。
「同じ日を繰り返すというのは、いささか苦しいものがある」
と、まだそのくらいでしか、毎日を繰り返していないようだった。
同じ日を繰り返すのが嫌で、死んでいった人間を晴彦は何人も知っていた。その中には前日の最後、一緒に屋台で酒を酌み交わしていた人もいた。その人が次の日に同じ世界にいないことは、何となく分かっていた。
「死を迎える人は顔に死相が出る」
というのをよく聞くが、その人の顔に浮かんだのは死相ではない。すがすがしい表情は、明日を見つめているようだったのだ。
果たしてその人がこの世界を抜けられたのかどうかは分からない。現実の世界では自ら命を絶つことを許さない宗派もあるが、この世界ではどうなのだろう? 逆にそれだけの覚悟がなければ、先に進めないということか。ということであれば、この世界は、何かの咎で、押し込められた世界ではないだろうか。
――一体、僕が何をしたというのだろう?
と、頭を悩ませる晴彦だった。
「夢の共有」について考えてみた。
晴彦は、何人もの人と夢を共有しているように思っていた。そのほとんどが女性で、現実世界では実現できないことを、夢で実現できていると思っている。現実世界よりも夢の方が、晴彦は好きなくらいだった。
共有していると言っても、夢にも範疇というものがある。共有している部分の中にも、相手の範疇、自分の範疇が存在するのだ。そんな中、晴彦は相手が殺されていくのを目の当たりにする。助けたいのだが、どうやら、範疇が相手にあるようで、助けることができない。範疇をさらに共有するには、相手と自分の意志が一致しないと共有はできないようだ。殺されそうになっている相手に、範疇を解除するだけの意志を持つことは難しいだろう。これこそ、「生き地獄」というものだ。
同じ日を繰り返している時に出会った人たち。この人たちもある意味で、夢の共有である。いや、夢を共有するために、同じ日を繰り返す必要があるのかも知れない。晴彦が咎だと思っているのは、人との共有に深入りしすぎたことで起こった矛盾が、咎として晴彦の頭の中に残ったのかも知れない。
「屋台で一緒に呑んだ人は、その日に初めて一緒に呑んだんだったな」
同じ日を繰り返している時というのは、前の日も、翌日も変わることのない一日だ。そうでなければ、同じ日を繰り返していることにはならない。ただ、その中で、自分だけが微妙に違っていることを許される。そこが夢を共有していると言っても、夢の中に範疇が存在しているのと同じ理屈ではないかと思うのだった。
それでも、夢の最後はいつも同じ屋台だった。誰かと一緒の時もあるが、一人で呑んでいる時もある。屋台のおやじはいつも同じ表情で、話しかけてくれる。
「今日はいいことありましたか?」
晴彦は毎日、素直にその日の感想を口にした。いつも可もなく不可もなくという返答だったが、
「それはよかったですね」
何がいいのか分からないが、決まって同じ言葉を繰り返す。それがおやじにとっての、「今日」なのだろう。
「今度は、おひとりになるんですかね?」
連れの男が死んでしまうことを分かっているようだった。毎日を同じように過ごしているのだから、いつどこにいけば死を迎えることができるか分かるのだろう。さすがに、晴彦はその人の死を見届ける勇気がなかった。
「晴彦さんも、いずれ見たくないものを見ないわけにはいけなくなるかも知れませんね」
おやじはボソッと呟いた。背筋がゾクッとして、思わず生唾を飲み込む。分かっていることだった。分かっていて、敢えて避けてきたことを人に言われると、これほど辛いものもない。額から流れる汗は止まることがなく、金縛りに遭ったかのような気がしていた。
「分かっているよ」
晴彦は日本酒をグイッと飲み干すと、呟いた。目を瞑って一気に呑む日本酒は、喉には決して優しいものではなかった。
「それはよかったですね」
と言ったおやじのセリフが頭から離れない。ここにいると、どんなによくないことであっても、他の人から見れば、
「よかったですね」
ということになるのだろうか。
おやじと最初に会った時、
「お客さん、初顔だね。これからもよろしく頼むよ」
と言われた。
その時はまだ、始まりの一日目で、繰り返す前のことだった。
「繰り返しの始まりっていつからなんだろう?」
最初に同じ日を繰り返していると思った時なのだろうか? 晴彦は最初、そう思っていた。だが、おやじは一日目から存在していて、確かにこれからよろしく頼むと言われた。
同じ日を繰り返している中で、ほとんどの人がまったく同じことを繰り返している。それは晴彦がまったく知らない相手であっても、知り合いであっても同じだった。
その他に、自分の想像していなかった行動を取る人もいる。よく思い出してみると、その人は、最初の日にはいなかった人だった。
それなのに、おやじだけは違っている。この人は最初の日にはちゃんといたのに、他の人のように、毎日同じ行動を取っているわけではない。
毎日違う行動を取っている人は晴彦にとっての舞台の脇役であり。まったく同じ行動を取っている人は、晴彦の舞台ではエキストラなのであった。
おやじはその中でも主役に近い、そう目立たないけど、毎回登場しているナレーターのような存在とでもいうべきだろうか。
「もし、僕が意を決して、自らの命を断って、この世界から一歩踏み出そうとすれば、次の世界では、このおやじと出会えるのだろうか?」
出会えないような気がする。同じようなナレーター的な存在の人がもしそこに存在するなら、また、今度は明日を繰り返すことになる。
「死を覚悟することなんて、そう何度もできるはずなどない」
と思う。
それが夢であっても同じこと、いつであっても、死というのは恐ろしいものなのだ。
現実世界に引き戻される時というのは、夢の中で、目が覚めて、それがさっきまでの一日と同じであることに気付いた瞬間だった。
――もし、気付かなかったら、そのまま夢から覚めないのかも知れない――
夢から覚めた瞬間、汗を掻いているのは、怖い夢を見た時と同じだが、目が覚めて。怖い夢だったという感覚はなかった。
「今日も同じ夢を見るからかな?」
現実社会から、毎日を繰り返している夢に思いを馳せるのは、あまりしたくなかった。夢の世界はあくまでも夢の世界。現実社会と混同させてしまったら、二度と同じ夢を見ることができないと思うからだ。
「いつもあの夢には、何かを置き忘れてきたような気がするんだ」
その思いがあるから、夢を見続けるのかも知れない。
夢に何かを忘れてきたという感覚は、他の夢にもあった。だが、他の夢のほとんどは、目が覚めた瞬間に忘れてしまうものが多く、忘れてきたという感覚も、本当にふとしたきっかけでしか思い出さない。
ただ、思い出す時は、続くのである。夢を毎日見ているわけではないと思っているのに、忘れてきた感覚がある時は、毎日夢を見ていて、そのいずれにも忘れ物をしてきたという感覚があるのだった。
忘れ物の内容についてはいつも違っているのだが、夢の中で何か忘れてはいけないということを感じたことを思い起こさせる。
現実社会でも、物忘れが激しい晴彦は、夢の世界では、
「忘れないようにしよう」
という気持ちが強いのかも知れない。
現実社会でも、忘れたくないという思いが強すぎて、その感覚がマヒしてしまうことで、結局が覚えることができなくなってしまっているのではないかと思うのだった。
「そういえば、この間、夢の中で別れた人、現実社会で見たような気がする」
と思いかけて、すぐに打ち消した。
それは、
「そんなバカな」
という気持ちよりも、
「そんなことを考えてはいけないんだ」
という思いの方が強かったからだ。
「あの人は、現実社会に戻ったわけではなく、夢の世界だけで生きている人なんだ」
と、思ったからだが、その裏返しに、晴彦はゾッとするものを感じていた。
「ということは、僕も夢の世界だけの住人だということなのか? だったら、この世界は何なんだ?」
現実社会だと思っていたことを打ち消そうとしている自分の頭がどうかしてしまったと感じた。
「やはりそうか」
晴彦は一つの結論に達していた。
夢の世界のことを考えている時は、現実社会にいる時であっても、それはまだ夢の世界の中なのだ。つまりは、夢の中で、現実社会の夢を見ているということではないのだろうか。
「現実にはいつ、戻れるのだろう?」
それを思うと、屋台でのシーンを思い出す。
何があっても、「よかったですね」というおやじの言葉、それはこの世界では、現実世界にはまったく影響のないことなのだから、言えることなのだろう。やはり、晴彦の本当の世界は、現実世界にあるのだ。
また、晴彦に対して、これから自分が死を迎えるという意思表示を示した人も、本当は現実世界に戻りたい一人だったに違いない。
その人が戻れたかどうかはハッキリとはしないが、少なくとも晴彦に、同じ行動で現実世界に戻ることを許さないという意思が、この世界には存在しているのだ。その見張り役がナレーター役に徹しているように見えるおやじなのかも知れない。
他力本願でいいとは思えないが、かといって早まったこともできない状態だ。
晴彦は意を決してみた。
それは自らが生き地獄に首を突っ込むことになる行動だった。
一日の終わりに、いつものように屋台にいる晴彦。その隣には、この間と別の人がいる。その人は、精神的にもう限界だった。この間の男と同じである。
晴彦は、彼をいつものように無言で見送った。最後は目を見つめあい。お互いに頷いていた。
男が一人街に出ていく。
「じゃあ、僕も」
「ああ、達者でな」
おやじが別れの言葉を吐いた。分かっているようだ。
晴彦は男を追いかける。ある場所までいくと、そこは寂しい交差点だった。
向こうから、バイクの轟音が聞こえる。男は道の真ん中に佇んで目を瞑っている。轟音がけたたましさを増した時、男は目を見開いてこちらを見る。断末魔のゾッとした表情だ。だが、晴彦がもっとゾッとした気分になったのは、次の瞬間だった。彼が晴彦を見て、微笑んだのである。
――僕が追いかけていたのを知っていたのか?
ビックリする晴彦を優しそうな穏やかな表情のまま、男は目の前から消えた。バイクのひっくり返る轟音とともに、晴彦も自分の夢から覚めていくのを感じていた。
毎日を繰り返しているという夢が、晴彦にとっていい夢だったのか、悪夢だったのか、本当に死んでしまうまで晴彦には分からないだろう。死んだ後に、どんな世界が待っているというのか? その世界では、すでに自らを意識することはできないのだろうと、晴彦は思うのだった。
「袋小路に入り込み、堂々巡りを繰り返す」
やはり、どう考えても悪夢だった。できることなら、見たくなかったことだと、晴彦は思うのだった……。
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