第4話 左右対称

 今まで、

――男性を本当に好きになったことなどあったのだろうか?

 と、明美は考えていた。

 高校時代に好きになった人がいたのだが、結局告白できずに終わってしまった。

 恋愛に関しては、極端に晩生だと思っている明美は、芸術に走ってしまうことが、恋愛を妨げる原因になっているのではないかと感じるのだった。

 だが、芸術に親しんでいたおかげで、芸術を共有できる男性と知り合うことができたのは幸運だった。明美は絵画を専門に描いていたが、彼は彫刻の方だった。同じ美術系であっても、絵画と彫刻では、かなりの違いがあるだろう。それだけに一度会話になると、話題は果てしなく、今までに感じたことのない会話への興奮が、沸き起こってくるのであった。

 大学に入ると、美術サークルに籍を置いた。部員は全部で二十名もいない。そのうち半分近くは幽霊部員のような感じで、入った時は、拍子抜けしてしまった。大学のサークルなので、どこまで活動に真剣さがあるかが疑問ではあったが、本当に幽霊部員がいるほどのひどさとは思わなかっただけに、やる気が失せてしまった時期があった。

 さらにそれが五月病と重なったのだろう。今までに感じたことのない寂しさと不安が明美に容赦なく降りかかる。

 明美も自分が流されやすい性格だということを、大学に入って知ったことで、こんなサークルの無様な姿を見てしまったら、すぐにでも、自分も幽霊部員の一人に数えられることになるに違いないと思えた。

 その考えは半分当たっていた。最初の数日、毎日通って、疑問を抱きながらも絵を描いていたが、そのうちに、まるで暖簾に腕押し、やりがいなどまったくない状態に、やる気が出るはずなどなかった。

 誰もいない部室で、一人何かをするのも普通なら一日で嫌気が差すのだろうが、それでも数日でまったくやる気をなくしてしまったことで、再度やる気を出させるの、至難の業である。

 道具だけは揃っているので、道具を拝借し、それほど遠くないところで、絵を描くのに勤しんでいた。

 少し離れたところで、一人の男性が彫刻を作っているのが見えたが、誰だか分からず、本来なら部屋の中で作るはずの彫刻を表に持ち出している不思議さを感じることで、その人のことも見ることができなかった。

――私のような変わり者もいるのね――

 本当は自分よりもはるかに変わっているように思えるのだが、敬意を表したつもりだった。

 適度な距離を保ったところで、明美は、彫刻の男性を少し意識したまま、絵画に勤しんでいた。出来上がりは、思ったよりも早く、

――やはり中で閉じ籠るよりも。表の空気に触れながら自然の中で描くことができるのであれば、それに越したことはないんだわ――

 と思えた。

 明美は、大胆に省略することを絵の醍醐味なのだとして覚えてからは、目の前の光景にこだわらないようにしていた。

 目に映っているものだけではなく、想像できるものはすべて題材に使う。それによって、描き出されるものが、他の人には不思議に感じることがないのだ。

――私の絵は、すべて本当のことを描いているのかしら?

 とも考えたが、もう少し深く入って考えれば、

――私の描いた絵が、本物になってしまうのではないだろうか?

 絵が現実を変えてしまうなど信じられない。ということは明美の目が狂っていて。見えていたはずのものが、見えてきただけなのかも知れない。

 現実の物語を絵で表現しようとして、どの部分の断片を見るかということが重要になってくる。

 目の前にあることだけを描いているだけでは、何も伝わらないのではないかというのが明美の考えであった。

 有名な絵描きの作品には、現実の世界を物語にできるだけの力がある、だから名画として崇められているのだ。人がたくさん載っている絵は、それぞれの人に意味があり、それが物語を形成しているのかも知れない。

 確かに昔の絵を見ていると、無意味な人がたくさん写っているように見えるが、一人一人を見ているからそう思うのかも知れない。

 だが、まわりから見ているとすべてが無関係に感じられるのだ。逆に見てみるのも真理ではないか。絵の持つ性質である平面の意識で時間を見ているからそうなのかも知れない。時間軸を考えるようにして見ていると、時間差で、少しずつ絵に描かれている人たちの意味が垣間見られてくるのではないだろうか。

 彫刻を奏でている人を横から見ていると、ピンと伸びた背筋に、緊張感がみなぎっているように感じられる。

――絵を描く時も、同じなのかしら?

 と、自分の姿勢がどうなのか、疑問であった。

 集中している時はあまり感じないことでも、後から思い返して、作品を見てみたりすると、思ったよりも作品の完成度が高いことに気付く。

 集中している時は、狭い範囲でしかモノを見ることができないため、全体を見渡すと、関連性に欠けているところがあり、頭の中と同じように綺麗に繋がっていないと思うのだった。

 それなのに、実際に絵を見てみると、これほど完成されたものであることに気付かされて、ビックリするものだ。

 作品は、横から見ているだけなので、どれほどのものかは分からない。何よりも、どこまでの完成度なのかも分かっていない。そう思って見ていると、さらに作品への興味、そして作者である男性への興味、それぞれに深まっていくのであった。

「素晴らしい絵ですね」

「ありがとうございます」

 声を掛けているのは。明美、そして、それににこやかに答える男性、まるで夢を見ているようなのだが、思ったよりもリアルで、夢の中で、現実を見ているかのような感覚に陥っていたのである。

 懐かしい光景にも思えた。

 森の中で、絵を描いている男性と以前出会ったことがあった。その人は絵を描いているのだが、雰囲気が少し違った。ただ、絵筆を物差し代わりにして距離感を測ったり、背筋を伸ばして遠くのものを見ている姿は、絵描きそのものだった。

 それなのに、どこかが違っている。

 それは、自分が絵を描く時のイメージとかけ離れているように思えたからだ。明美が絵を描き始めるようになったのは。高校に上がったことだった。

 それまでは小説を読むのが好きだったのに、急に絵画に目覚めたのは。やはり、高原に広がったすすきの穂をイメージしたからだったに違いない。

 記憶はあるのに、それがどこだったか、分からない。思い出すには、自分が絵を描いてイメージを思い出すしかないだろうというのが、絵を描き始めるきっかけになったのだった。

 絵を描くのが最初から好きだったわけではないのに、自分でいうのもおかしなものだが、上達が早かった。きっかけの違いが影響しているかも知れないと思ったが、まさしくその通りかも知れない。

 小説は読んでいても、書こうとは思わなかった。書きたいと思ったこともあったが、考えたのが中学生の頃だったので、

「無理だわ」

 と、一旦思ってしまったら。それ以上は、考えが及ばなくなった。

 要するに、

「諦めが早い」

 のである。

 諦めが早いということは、それだけ自分に自信を持てないということである。

 元々自信過剰だったはずの明美だったが、時々急に自分に対して不安になることがある。そんな時に、自分に自信が持てなくなるのだ。

 躁鬱ではないかと思ったこともあった。

 躁鬱であれば、それまでいくら自信が持てたことであっても、自信がなくなってしまうと、不安だけが残ってしまう。残った不安は解消されないまま、他の不安と一緒になって蓄積していく。

 不安が募ってくる時というのは、往々にして頭の整理ができない時が多い。そんな時に、時系列が不安定な精神状態とあいまって、混乱した頭から封印される記憶と、忘れてしまう記憶とに分けられ、ほとんどが、忘れてしまっている。物忘れが激しい時というのは、不安から収拾のつかなくなった時系列が、頭の中に及ぼす消去の影響なのかも知れない。

 諦めてしまった小説を書くこと。書きたいと思った記憶すらなくなってしまっている。そんな中で絵を描くことは、最初から新鮮な気持ちになっていた。

――大胆に省略するのが絵画という芸術だ――

 という話が頭の中に残っている限り、いつまでも新鮮な気持ちが明美の頭の中から、消えることはないだろう。

 省略しすぎると、確かに何を描いていいのか悩んでしまう。描くことがなくなってしまうと思うからだ。

 しかし、実際に描いてみると、省略することを頭に置いていることで、余計なものが何なのか、漠然とではあるが見えてくるようになる。

 そのうちに、省略の意義が分かるようになってきた。意味ではなく、意義なのだ。

 意味というと、理由が必要になるが、意義であれば、理由はともなく、省略することで簡潔に描くことができ、全体にバランスをもたらすということが理屈として分かってくるようになる。それが、いずれ意味に繋がっていくのだろう。

――急がば回れ――

 というが、遠回りすることが、却って探しものを見つけることへの近道に繋がってくる。そう思えば、世の中にある何が今自分に必要なことか、分かってくるのかも知れない。

「絵というものは平面で、しかも時間という概念がない」

 つまりは二次元だということだ。

 三次元には、そこに高さが加わる。そして四次元には時間の概念の違うものが広がっている。

 では、二次元には時間という概念はないのだろうか?

 三次元に時間が存在するのであれば、二次元にも存在する。その最たる例が、「劣化」や「腐敗」という現象ではないだろうか。

 絵を描くようになると、彫刻をする人が、同じ芸術家だという意識が薄れてくる。

 絵を描き始める前は、彫刻家も、絵描きさんも、同じ芸術という括りで、別物という意識はなかった。

 絵を描いていると、最初は平面の意識が強く、

「いかに立体的に描こうか」

 ということをテーマに考えるようになるが、集中して描いていると、焦点が狭まってしまい、狭まった焦点で、立体感を出そうなど、土台無理な話であった。

 平面であることを理解して、その上でいかに立体感を出させるかということが問題になるのだが、

「遠くから見れば立体的に見える」

 という感覚があれば、それだけでいいのではないだろうか。

 確かに平面であれば、遠くから見て立体感があればそれでいい。ただ、距離も微妙なところで。あまり遠くから見ても、変わらないかも知れない。適度な距離が平面を立体に魅せ、遠くもなく近くもない距離の選定が、絵画の命なのかも知れない。

 明美は、あまり距離にこだわることはなかった。

「立体的に見える距離があれば、それでいい」

 立体感に燃えていた時期はどこへやら、立体感というよりも、距離によって、大きさが変わって感じる絵の方が、興味深く感じられるのだった。

 距離感を深く考えないようになったのは、彫刻を作っている人を意識し始めてからだった。どうしても一点を集中的に見るくせがついてしまったことで、彫刻を作る人は同じ種類の芸術家ではないと思えていたのだ。そのために明美は、その男性を気にするようになり、その人が同じ大学の学生であると知ると、学校に行くことが楽しくなるほどワクワクした気分になっていた。

――彼はいつも何をしているのだろう?

 大学というところは、決まった広さのキャンパスであるにも関わらず、人と出会う偶然を考えると、相当広いもののように感じられる。どれだけの人間と一度も出会わずに四年間を過ごすことになるかと思うと、会う人間が本当に限られていることに気付く。

「街の縮図がキャンパスだよ」

 と言っている人もいたが、なるほど、生活に必要なものはキャンパス内で揃ってしまうほど、縮図と言ってもいい。

 偶然とは本当に存在するのかと思えるくらい、そこに人の感情が介在しているのではないかと思う。

 彫刻に勤しんでいた彼が、キャンパス内を歩いていた。一人で歩いていたのだが、歩いていても彼だと分からないほど表情が違った。焦点は、どこか合っておらず、少し上を向いて歩いているようだった。

――彫刻をしていない時は、まるで別人のようだわ――

 それを見ると、自分も絵を描いていない時は、どんな風になっているのか。想像するだけで怖くなった。

 友達が話しかけても上の空、そんな彼が、明美には気になって仕方がなかった。

 その日から、明美はその男のストーカーになった。と言っても、相手が気にしていないのだから、ストーカーというほどのこともない。逆に相手が少しでも気にしてくれたら、明美がストーキングをすることなどないのだ。ただ、その時の明美の感情が、どのようなものだったのか。今となっては分からない。

 気持ちが左右に揺れ動いてはいたようだ。好きだという感情はなかったが、気になり始めると、感覚が狂ってくる。

 まず、人を好きになるという感覚が分からなくなる。本当は、本能のように自分でも訳が分からなくなるもののようだが、明美は今までそこまでになったことはなかった。

 だが、人を好きになる感覚を味わったことがないわけではない。思い出そうとするが。なかなか思い出せないのも、不思議だった。

 明美は、彼を見ていると、好きだと思う感覚が湧いてくるのを感じていた。

――どうしてなのかしら?

 この感覚は確かに、以前感じた。人を好きになる感覚だった。その時は、告白もできずに終わってしまった片想い、初めて人を好きになった時の感覚だったかも知れない。

 そういえば、その人もよく分からない人だった。覚えているのは、あまりまわりにモノを置かない人だった。

 ちょっと使えばすぐに捨ててしまう人で、整理整頓はよくできていたが、あまりにもスッパリと捨てられるのを見て、怖くなった覚えがある。

 気になったのは、捨てられる感覚が頭を過ぎったからだ。まだ異性に対してどのような感情を持つものなのかも知れない自分が、捨てられることを怖がっているというのも、おかしな話だった。

 モノを簡単に捨てることができる人を、明美は以前から尊敬していたことがあった。後から役に立つかも知れないと思ったり、捨ててしまったものが、実は必要だったりということを考えると、捨てるに捨てれない気持ちになってしまう。

 明美は、友達だった杉村愛里のことを思い出していた。愛里とは、中学生の頃くらいまでは親友として付き合っていたが。急に愛里を遠ざけるようになった。切り捨てたというイメージがもし明美の中に残っているとすれば、それは愛理にことだろう。

 あれだけ仲がよかったのに、遠ざけ始めたのは明美の方からだった。愛里を見ていて、不安になってきたというべきなのか、怖さを感じた。

 愛里は次第に明美に近寄ってくる。身体が触れ合うことも辞さないのは親友だからだろうと最初は思っていたが、偶然を装って、わざと身体を寄せてくるのが分かってくるようになった。

 明美が気付いたことを、愛里は分かったようで、分かってしまえば、遠慮はいらないとばかりに、露骨に身体を寄せてくる。

 ゾッとした悪寒のようなものが背筋を走り抜けた。

――私にはそんな趣味はない――

 声にならない声を発したかのように、その場に立ち尽くしたが、舐めるような下からの視線には、身体を動かしたくても動かせないものを感じていた。

 愛里が、同性愛を求めているという話は、しばらくしてから湧き上がってきた。皆愛里の話をタブーとはせず、人と情報を共有することで、防御ラインのようなものを気付いていたようだ。

 そんな中でたくさんの憶測が飛んだ。

「彼女は、同性愛だけではなく、SMの世界も知っているようなのよ」

「父親から、乱暴された経験もあるらしいわ」

 など、本来なら、話題にすることすら控えるべきことを、大っぴらに話をしているのには、何か訳があるのかも知れない。それほど彼女はまわりの人に対して、露骨な迷惑を掛けているのだろうか? 明美には想像を絶する発想が必要なのかも知れない。

 元々、女性でミステリーが好きだというのも、変わっていると思われる理由の一つだった。

 話題が露骨になってからは、さすがに愛里は明美に近づくのを止めていた。自粛しているだけなのか、それとも明美を嫌いになったのからなのだろうが、露骨な話題が出るようになってからと同じタイミングだというのを偶然として片づけられないものがあるのではないだろう。

 明美自身、この時ほど、

――そう簡単に人を遠ざける気持ちになるものだろうか?

 と感じたことはない。

 嫌いになったわけではないのに、遠ざけなければいけない気持ちは複雑で、

――嫌いになれないのが、これほど気持ち悪いものだとは、思ってもみなかった――

 と、感じたほどだ。

 いくら、恐ろしかったとはいえ、愛里を遠ざけてしまったのは事実である。明美は愛里を遠ざけたことで、自らを苦しめることになってしまった。

――愛里が悪いのよ――

 と、思ってみたところで、友達を突き放したことに対しての罪の意識は薄れることはなかった。

 それどころか、時間が経てば経つほど、一人になっていくことへの恐怖に立ち返ってくるのを思い出していた。その時の明美は、友達というと、愛里しかいなかった。

 一人が好きだったわけではないが、なぜか友達ができなかった。もちろん、明美の性格に問題があるのだろうが、そんな明美に対して、仲良くしようと近づいてきてくれたのが愛里だけだったのだ。

 愛里と一緒にいると楽しかった。気持ち悪いなどと思ったこともない。怖いはずもない相手をどうして怖いと思うようになったのか、そのことを考えようともしなかった。

 明美が愛里を遠ざけているのは、愛里にも分かっていたはずなのに、愛里はそのことについて、明美を責めようともしなかった。愛里を見ていると、

――まわりの人が言っているようなことを、感じないのに――

 と思うのだが、恐怖がどこから来るのか分からないことが、明美にさらなる怯えを感じさせるのだった。

 明美の中で、愛里は普通に友達だったはず。それを恐怖に変えたもの。考えられるのは、人の噂だった。

 人の噂の中に、信憑性が限りなく高いものがあったからであるが、それは明美が父親と関係していたということであった。

 その時は分からなかったが、愛里が父親と、楽しそうに、角を曲がってきたのを見たのだが、愛里はその時明美に気付かなかった。寸前のところで、影に隠れたからだが、明美とすれば、

――とっさのこととはいえ、よく隠れたものだ――

 と思った。

 鉢合わせしていれば、明らかに気まずい雰囲気だった。

 だが、後から思えば、鉢合わせしている方がよかったかも知れない。露骨に嫌になった理由がそこでできていたからだ。そのことに対して、明美には後悔の念が残っていた。

 鉢合わせしたことに対して、その時は、立ち直れないほどのショックが襲ったかも知れないが、すぐに立ち直り、お互いに気まずい思いを残すかも知れないが、一気に突き放すには、それが一番いいと思われた。

 しかし、結局、それができなかったのだ。明美は愛里を突き放すことができずに苦しんでいる。訳も分からず、

――自分だけがどうして?

 と、いう思いと、

――友達になんてことをしてしまったんだ――

 という、罪の意識とに苛まれ、今度は、愛里を自分が求めていることに次第に気付かされるようになることを、知るのだった。

 もちろん、求めている気持ちになるまでには、結構な時間が掛かるか、あるいは、何かのきっかけを必要とするかのどちらかであろう。愛里を遠ざける気持ちになったのだって、きっかけがあって、意を決したわけであるから、その逆もきっかけがあって、意を決しないと、生まれてくる感情ではないはずだ。

 明美にとってのきっかけは、一人でいた時のことを思い出したからだ。

 一人でいても寂しくないと思っていたのは実は思い過ごしで、寂しさを表に出すと自分が惨めになるということを、無意識に分かっていたからだろう。そのことがさらに自分を殻に閉じ込めるきっかけになり、一人でいることと、孤独を分けて考えていた。

 そんな時に、一人でいる明美に声を掛けてきた男性がいた。彼は、優しく明美に話しかけてくれる。明美はその男を好きになったかのような錯覚を覚えていた。

 人を好きになることの本当の意味を明美は分かっていながった。

「優しくされたから」

 と、そんな単純な理由だったのだ。

 警戒心が強ければ強いほど、単純な気持ちで心を開く。

 そのことを明美は疑問に思いながらも、

――意外とそんなものなのかも知れない――

 と、それまでの自分が、殻を割ることができないだけの、まるで食わず嫌いだったように思えてくるのだった。

 愛里が近づいてきたのもそんな時だった。

 男は愛里を煙たがっていたが、明美が愛里のことを親友と思うようになると、今度は明美から離れようとした。

 すると、明美が今度は男が自分から去ろうとしていることに気が付くと、離れることをやめさせようという心境になる。

――私が一体何をしようとしたの?

 と、男が離れていく理由が分からないだけに、煮え切らない気持ちになった。

 離れて行くなら離れていくで、それなりの理由が必要である。それを明美は気が付いたのだ。

 自分から離れて行く人に理由を求めるくせに、自分が離れようとするのに理由はいらない。分かろうとしないからかも知れないのだが、それではあまりにも虫が良すぎるというものだ。

 罪の意識があるからと言って、一度感じたことはなかなか忘れない。

――自分から離れていく人に理由を求めるのが無理であれば、自分だって人から離れるのに、理由なんかいらないだろう――

 そんな思いが、頭を巡っている。

 後悔があるとすれば、愛里に対して、何も聞かなかったことを後悔していると言えるかも知れない。

「あの時にハッキリさせておけば」

 時間が経つにつれて、言い出しにくくなったり、確認するタイミングを逸してしまったことへの後悔が頭を擡げたりするものだ。

 だが、もうそんなことはどうでもよかった。

 男が離れていった時、明美は最終的に開き直ることができた。

「別に男なんて」

 やせ我慢と言われればそれまでだが、思ったよりもスッキリした気分になったのも事実だった。

 愛里が気になって仕方がなくなる。この前まで避けていた気持ち悪さは、消えたわけではないが、むしろ、その気持ち悪さが明美の中で愛おしさに変わってきたことで、新鮮さを感じるようになった。

 男が離れていったことで、男への愛着が薄れてきた。

――どうしてあんなものを好きになったのかしら――

 頭の中には男の身体しか残っていなかった。感じることは、汚らしさだった。

 風呂に入った時、鏡で自分の身体を見る。

「綺麗だわ」

 自分の身体にうっとしとしている時、男の身体を思い出すと、ウンザリする。吐き気を催してくるようで、あまりもの違いに愕然とする。

「私はこんなケモノのような身体に愛されていたと思っていたんだわ」

 と思うと、もう、男などいらないと思った。

 その日から鏡を見るのが日課になった明美は、気が付けば自分に話しかけているのに気付く。

「あなたは、綺麗だわ」

 誰にも見せられないこの姿。見せられないだけに神秘性を感じる。この美しさは女だけのものだ。どんな美少年であっても、男は男なのだ。

 そう思うと愛里の視線が気持ち悪くなくなってきた。視線を感じるのは、いつも背中からで、背中から浴びせられる視線は、快感であった。

「痒いところに手が届きそうで、届かない感覚は、気持ち悪いというよりも、快感なんだわ」

 と感じた。

 特に後ろから見られるというのは、半分恐怖感も伴っていて、恐怖感も快感に変わってくることに初めて気が付いたのだ。

 ある日を境に、明らかに愛里の視線が変わった。後ろから以外の視線もあったのだが、今では後ろから以外の視線を感じることがなくなったのだ。前にいても視線を感じることはない。視線を感じさせないような爽やかな風が吹いているようで、それはそれで安らぎを感じさせられる。

 愛里と視線を合わせることが苦手だったことが、まるでウソのようである。避けていた時期も、愛里が自分から遠ざかろうとしていた時期も、まるで幻のようで、

「今という時が大切なのだ」

 ということを、愛里は思い出させてくれた。

 日が西の空に傾き始めた頃を、果たして昼下がりと呼べるのかどうか、愛里は考えていたが、

「昼下がりでもいいんだろう」

 と思うようになったのは、紅茶を飲むようになってからだ。

 愛里の視線に快感を覚えるようになった明美を見て、それまで気にもしたことのなかった紅茶専門店に気が付いた。大学の近くにあるのに、なかなか行くことがなかったその店から、紅茶の香りがしてきたのに、初めて気が付いた。

 レモンの香りが強く、柑橘系の香りが嫌いではなかった愛里だったが、実際に飲んだりするのには抵抗を感じていたが、紅茶の香りに混じっていれば、悪くはなかったのだ。

 柑橘系の香りは、子供の頃は嫌いだった。まだ、香りとしてはコーヒーの方が好きで、高校の頃までは、コーヒーの方をよく飲んでいた。

 まわりの友達にはコーヒーが苦手で、紅茶ばかりを好んで飲んでいた人もいたが、皆口を揃えて、

「コーヒーが苦いから」

 と、答える。

 愛里から見れば、紅茶の方が、

「味が薄くて、ミルクを入れれば、さらに薄まる感じがして、レモンを入れればまさしくレモンの香りしかしてこない。ストレートであれば、苦味だけしか口に残らず、あまりおいしくはない」

 と思っていた。

 逆にコーヒーであれば、確かに苦いのだが、同じ苦さでも、他の味に左右されるものではなく、コーヒーとしての苦味がある。香りそのものの味には、どこか落ち着かせるものがあり、鎮静効果は、コーヒー独特のものがあるからに違いない。

 紅茶には、鎮静効果はないが。高級感が漂っている。英国紳士の飲み物という印象が深く、コーヒーとは別の意味で高級感と、落ち着いた気分を味あわせてくれるのだ、

 愛里が紅茶専門店に最初に入った時感じたのは、室内の湿気だった。コーヒーの美味しい喫茶店に入った時も感じたが、紅茶の店はすべてにコーヒーの店より暖かく感じられ、湿気が気だるさを呼び、気だるさがなぜか、達成感を運んでくるのだった。

 紅茶専門店では、最初いつもブレンドを頼んでいた。メニューを見てもピンと来ないし、聞くのも恥かしかったからだ。

 ハーブだけは、さすがに抵抗があったが、普通の紅茶であれば、何とか飲めるような気がして。メニューの上から一つずつ頼んでいった。

 最初は、アールグレイを頼んだが、少し自分には合わなかった。ハーブのようなイメージを感じたからだ。

 次に頼んだのが、ダージリンだった。アールグレイほど、くせがなく、少し薄いくらいに感じた。

 その次に頼んだのが、アッサムだったが、愛里はアッサムがお気に入りだ。ダージリンも悪くないが、ダージリンよりも薄くない。そこが気に入っていた。

 カップと一体型になった丸いポットで入れる紅茶は、甘い香りを引き立てて、スイーツと合いそうだった。コーヒーも悪くないが、よりスイーツの甘みを味わいたいと思うのだったら。紅茶の方が好きである。

 紅茶の暖かみはコーヒーに比べれば、多いのではないだろうか。発汗作用も利尿作用も、紅茶の方が強い。それでいて、甘い香りと、フルーティな味は、紅茶でなければ味わえない。それがスイーツをさらに甘く感じさせる秘訣なのだと愛里は感じていた。

 スイーツも豊富なこの店で、いろいろ食べてみたが、愛里のお気に入りは、スコーンだった。暖かいスコーンにブルーベリーソースをつけて食べるのがおいしい。ブルーベリーが少し渋めだが、元々甘みを抑えてあるスコーンの甘みを引き出すのに、ちょうどよかった。

 店の雰囲気は本当に明るい。

 ただ、一つ気になったのが。店内には、絵がまったく飾られていないことだった。花は、たくさん飾られているが、壁はシンプルなものだった。最初に入った時に何となく違和感を感じ、それがどこから来るものなのか分からなかったが、見ているうちにだだっ広く感じられたことで、殺風景さとどちらが深く心に残るのか考えてみた。

――賛否両論それぞれで、気に入る人もいれば、殺風景なだけだと感じる人もいるだろう――

 そうは思ったが、最初に感じた店内の暖かさは本物なので。シンプルさが似合う店だとして、愛里は落ち着いた雰囲気に浸ろうと思ったのだった。

 明美が愛里を意識するようになったから、愛里は紅茶を意識するようになったわけではない。紅茶を意識するようになったことで、少し雰囲気が変わったことで、明美が愛里を意識し始めたのかも知れない。

 紅茶を飲んで身体が火照ってくる感覚が、明美が見ていて、不思議に見えてくるのかも知れない。紅茶によって火照ってくる感覚は、快感と同時に、気持ちの余裕を与えてくれるものでもある。だからこそ、明美に見つめられていることが分かるのであって、快感に繋がる肌触りは、暖かな風がもたらしてくれるものであった。

 風が吹くはずのない店内に、時々風が吹いてくる。その時に汗を吸い込み、甘い香りをもたらしてくれるのが、紅茶の香りだった。

 紅茶の発汗作用はすごいもので、紅茶を飲んでいると、背中の汗は尋常ではない。いくら水を飲んでも足りないくらいに吹き出した汗が、眠気を吹き飛ばすのだろう。

 だが、愛里は、紅茶を飲むと逆に眠気を誘うことが多い。いつも眠くなるわけではないが、気が付いたらハッとして目を覚ますことが多いのは事実だった。

 目が覚めると、夢を見ていたのを思い出す。夢というのは、たいていの場合、ちょうどのところで目を覚ますもので、ちょうどいいところなのか悪いところなのかは区別なく、どちらの場合でも、ハッキリしたところで目を覚ますのだった。

 そういう場合の時の方が、ハッキリと夢の内容を思えているのだ。見たかった夢であっても、見たくない夢であっても。ハッキリと記憶にあるというのは、

「夢を見たいと思って見た夢だからに違いない」

 と思う。

 目が覚める時に、これほどスッキリする目覚めはない。布団の上でも、これほどスッキリした目覚めはほとんどなく、だから、夢を見たいと思うのかも知れない。

 ただ、その夢には愛里自体が出てくるわけではない。自分ではない人が出てきて、主人公を演じている。いつも主人公は同じなのだが、愛里にはその人が誰なのか分からない。

 どこかで会ったことがあるような気はするのだが、面識があるかと言われれば、ハッキリとしない。少なくとも話をしたことがないのは事実であった。

 夢の中は、さながらサイレントが繰り返される。字幕のないサイレント映画、モノクロな映像は、動きもぎこちない。

「愛里」

 誰かが声を掛けてくるが、夢の中に出てこない愛里なので、誰も返事をすることはない。サイレント映画の外から、サイレント映画に向かって話しかけているのだ。もし、映画の中に愛理が出演していても、その声に気付かないのではないだろうか。

 八回、愛里に呼びかける。なぜかいつも八回なのである。等間隔で声を掛ける声の主は、八回目に声を掛けてからは、もう夢の中に登場することはなかった。夢のプロローグの演出の一人であったのだ。

 主人公は、いつも同じなのだが場面は違っている。それにともないシチュエーションも違っている。

 これも不思議なことなのだが、登場人物の数もいつも決まっている。主人公を入れて八人。いつもこの八人で構成されるサイレント映画なのだ。

 主人公も最初から最後までスクリーンに登場するわけではない。知らない人が見ると、その人が主人公だとは思わないだろう。毎回登場するのがその人だというだけで。主人公だというのも、愛里が勝手に想っているだけのことだった。

 とはいっても、夢を見ているのは愛里である。自分の夢なので、勝手に何を思おうが自由なはずである。それなのに、

――自分の夢であって、自分だけのものではない――

 と、思っている。それは、夢の中に誰か他の人が入り込んでいるように思うからだ。

――夢の共有――

 一言でいえば、そういうことなのだが、一体誰と共有しているというのだろう? 毎回同じ人だとは思えないのは、きっと登場人物が毎回違うからだろう。

「愛里は、想像力が豊かね」

 明美からそう言われたことがあったが、

「想像力が豊かなんじゃないの。夢の中で創造するのが豊かなのよ。創造というのは、作るという意味の創造ね」

 と、返事をした。

 話していて、納得しながら話しているわけではないが、説得力を感じる返事だった。自分が納得したからこそ、説得力というのが生まれるものだと思っているのに、実に不思議な感覚だった。

 豊かな説得力を感じていると、夢の続きが見たいと思うようになった。

 ちょうど夢はキリがいいはずなのに、夢の続きというのはどういうことだろう? それは説得力にともなった納得を自分自身で味わいたいと思っているからなのかも知れない。

 夢の続きを一度見たような気がした。

 それはちょうどいいところで目を覚ましたのだが、いつもであれば、そのまま気分よく目を覚まし、本の続きでも読もうと思うのだが、その時は。まだ睡魔が残っていたのだ。

「そんなに、疲れが残っているのかしら?」

 と、我ながらビックリしたが、夢はまだまだ見たりないと、ここで初めて感じたのだった。

 睡魔に任せて眠りに入ると、そこはさっきの続きの夢だった。

――想像通りだわ――

 夢の続きを見ていると、今度は次の瞬間に何が起こるか、手に取るように分かってきた。それまでは夢の続きを想像するのは難しかったのだ。なぜなら夢は創造するもので。想像するものではなかったからだ。想像しようと思うと、頭の中には浮かんでこない。ここの夢の世界は、そんな考えを頭の中に抱かせる世界だったのだ。

 その時は、まさしく「想像」だったのだ。

 夢が潜在意識の成せる業だということを、今さらながらに思い知らされたものだ。では、創造によるものは夢だと思っていたが違うのだろうか?

 夢の世界を垣間見たと思った愛里は、夢の共有者を想像してみた。もちろん、その人が現れることはないと思っている。ひょっとすると、想像することすら、してはいけないことなのかも知れない。

 いつも創造している世界は、時間の感覚が漠然としてだが、あるのだ。どちらかというと、創造している夢の方がより現実の世界に近い。

「現実の世界の方が、創造の世界に近いのかも知れない」

 と、まるで自分中心の世界であることを誇示するかのような考えであった。創造する夢の世界のことを誰にも話したことがないので、そう感じるのかも知れない。

 本当は人に話したくてウズウズしているのだが、話をしても、バカにされるだけだと思い。誰にも話したことはなかった。だからこそ、自分の世界だと思うのであって、それなのに人と共有していると思うのは、一人だけの世界にしておきたくないという矛盾した考えがあるのも事実だった。

 紅茶の持つ発汗作用というのは、そんな夢の世界を作り出すのに必要なものだ。余計な雑念を汗とともに吐き出して、自分の中に創造しやすい環境を作り上げる。それが愛里の考え方であった。

 明美にとって愛里は特別な存在だった。夢を共有している感覚があったからだ。愛里は自分の夢の中を、明美が見ているなどということに、気付いていないに違いない。

 人に見られているという感覚は、見られている本人にとって、両極端なものかも知れない。

 気付かない人はまったく気づかない。普段から鈍感というわけではないのに、夢のことになると分からなくなるのだ。逆に気付く人は、これほど目敏いものだとは思わないくらい、まわりの視線が気になったりしているようだ。

――誰の夢か分からないので、どうしてもまわりを意識してしまう――

 明美は、他の人が夢を共有しているのを、そういう風に感じていた。

 しかし、明美が見る夢は、相手が愛里だと分かっているのだ。分かっているから安心だと思う部分と、隠し事はできないと感じる部分とに分かれている。夢の中では相手の気持ちが分かるような気がするからだ。

 愛里は、自分と夢の共有をしているのが明美であることは知らないかも知れない。知っていれば意識してしまって、まともに話をもできるはずのない人だからだ。

――愛里が、相手を私だと知ってしまうと、もう私のまわりに近寄らなくなってくるかしら?

 明美はそう感じていたが、実際に愛里が知ってしまうと、却って明美を意識してしまう。明美に対して恥かしい態度は取れないのだとばかりに、急によそよそしさが見えるようになると、今度は明美が寂しさを感じてしまった。

――離れて行くわけではなく、かといって近づいてくるわけではない。適度な距離を保って、つかず離れずの関係を、愛里が私に課したんだわ――

 と、感じた。

 人から押し付けられた距離感は、明美のプライドが許さない。距離感を感じないくらいになるには主導権を自分で握ることが大切だ、

 握った主導権を、保ち続けるのは結構きついことである。

 明美は自分が夢を共有しているのを感じているが、その時、愛里は夢の共有について気付いているのだろうか? どうも気が付いていないように思う。愛里が明美との夢の共有について気付いていないわけではないと思うが、お互いに夢をその時に共有しているという意識はない。

 したがって。主導権を握ろうとするなら、相手をいつもの愛里だと思うと、痛い目に遭うかも知れない。愛里が明美のことをどのように意識しているか分からないが、明美は、少なくとも、夢の中での愛里は、明美の中にある潜在意識と、明美の中にある愛里の本能的な部分を、まるで映像化したかのようなイメージで見ているのだった。

 ある日、夢の中で、愛里の髪型が変わっていた。今までしたことのないショートカットで、人ごみの中などで会えば、きっと分からないくらいである。夢の中で共有しているという意識のある相手なので、愛里だと気が付いたのである。

 ショートカットが似合う女の子は、ロングでも似合うと思っている。普段、ロングの愛里がショートにしたイメージを抱いたことがあり、

――愛里はショートも似合うかも知れないわね――

 と、感じたが。まさしくその通り、想像以上に似合っていた。

 ボーイッシュな雰囲気もさることながら、ロングヘアの時の落ち着いた雰囲気も保ったままだったことで、元々綺麗な感じの顔立ちなのだと、今さらながらに感じたほどだ。

 夢の中で、それまでほとんど会話になったことのない愛里が話しかけてきた。普段とは違うイメージも魅力的だと思っていた愛里から話しかけられると、ドキッとしたものだ。

 夢の中では、胸の鼓動はさらに激しくなる。

――彼女は夢の中だけの愛里なのだ――

 と思っているにも関わらず、綺麗な女性が今まで以上に気になるようになった自分に驚きを感じながら、明美は愛里を見つめる。

――何を言われるのだろう?

 想像もつかなかったが、

「明美、久しぶりだな」

「えっ」

 思わず明美はビックリして、愛里を見た。ボーイッシュに見えるとはいえ、明らかに女性である。そんな彼女が女性にはおよそ出せないような低い声で、まるで恋人との久しぶりの再会でもあるかのような声の掛け方をされたのである。

 顔はそのままに、明美は相手を誰だか想像していた。すると思い出したのは、以前夢の中に出てきた男性が浮かんできたのである。

 起きている時では絶対に思い出すことのない相手。その人が、今目の前にいるのだ。

 夢は目が覚めるにしたがって忘れていくもので、同じ夢の続きを見ることは不可能に近いと思っていた。

 確かに夢の中の出来事は目が覚めると忘れてしまっている。だが夢を見ている時には、夢の続きを見ることができるようだ。目が覚めてしまうと、そのことすら忘れてしまっているのだ。

 今は、その夢の中、その人の夢を最後に見たのがいつのことだったのかまったく覚えていないが、最近でなかったことは確かだろう。

 その男性の顔は思い出せない。目の前に対峙しているのが愛里だからだ。愛里の顔でその人から話しかけられてもピンと来ないが、しばらく一緒にいると、雰囲気だけは思い出せた。

「本当、久しぶりね」

 その人は、夢の中では絵描きだった。

 芸術家に恋をするというシチュエーションを、明美は何度も夢に見たものだ。それは起きている時に見る夢で、現実になってほしいという願望の元だったのに、まさか夢の中で実現するとは思ってもみなかった。

――これが夢の共有かしら?

 一番最初に夢の共有を感じたのは、何を隠そう、この人と夢の中で出会ったことに端を発している。

――愛里と夢の共有をするようになったのは、この人との再会を予知させるものだったのかも知れないわ――

 だが、この男性が、どこの誰かは分からない。分からないのに夢を共有しているとどうして分かったのだろう? 相手を特定できるから、その人が現実に存在することが分かるのであって、特定できなければ、夢の中だけの人だという結論で終わってしまうかも知れないではないか。

 お互いに、久しぶりに会った感覚で、明美は、その男性が変わりないことが分かってきた。

 会話をするうちに、顔が次第に男性に変わっていく。ビックリしながらも、やっと現れた彼を見て、

「久しぶりです」

 改めて声を掛けた明美に対し、彼はバツの悪そうな顔で、

「そうだな」

 と、答えた。

「俺は、明美に会いたいと思うと、普通に夢を共有することが無理になっていたんだ。だから明美が夢を共有している相手を介して、こんな再会の仕方になってしまったのだが、まあ、こういうこともあるよね」

「もちろんよ、あなたが、こうやって苦労してでも私に会いに来てくれるなんて。私は嬉しいわ」

「でも、明美は僕が介した女の子に対して、不思議な気持ちを持っているんだろう?」

「それは……」

 痛いところを突かれた気がした。確かに愛里を意識しているのは事実だが、それだけではない。愛里が自分を見る目に並々ならぬ思いを感じていたが、それが彼との共有であれば、それも分からなくもない。

――だが、愛里も彼と夢を共有しているんだ――

 と思うと複雑な気がしてきた。

 夢を共有できる人間は、限られているのだろう。誰もができるわけではない。しかも、夢の共有を信じていないと成立しないものだと思う。そう思えば、かなり限られた人になるのではないだろうか。

 彼と愛里が夢を共有しているのは、気が気ではない。夢の中で何度も会っていた頃から二人は夢を共有していたのだろうか?

――まるで二股だわ――

 夢の世界で、そういう表現は適切ではないかも知れないが、夢の中でまで嫉妬してしまうとは、自分がなんと情けない女なのかと、明美は感じていた。

 愛里のイメージを思い浮かべると、どうしても彼の後ろにしか浮かんでこない。横にいる雰囲気が浮かんでこないのだ。

――それにしても、彼は一体、どこの誰なのだろう?

 夢の共有ということは、必ず現実の世界にも彼はいるはずだ。身近にいるような気がするのだが、気が付かないだけなのだろうか。

 まるで保護色に包まれていて、分からないのか、それとも、

「木を隠すなら、森の中」

 たくさんの中に紛れ込ませることで分からなくする。そんな存在なのか、それとも道端の石ころのように、その場所にあってもまったく気にすることのないという、気配をまったく表に出さない存在なのか、そのどれかに思えてならなかった。

 今度は愛里のことが気になり始めた。その男性の後ろに隠れた愛里は、見えそうで見えない。

――余計に気になるわ――

 すぐ、真横に立っていれば、嫉妬もするだろう。その時の愛里の表情がしたり顔であったり、上から目線であったりすれば、嫉妬というより、怒りに満ちてくるかも知れない。

 怒りに満ちてこないのは、表情が見えてこないからなのだが、その代わり、嫉妬は横にいられるよりも強いかも知れない。

 愛里は、彼と一緒にいることで、明美の知っている愛里ではなくなってしまっている。男性を知った女性が豹変するのとは少し違って、愛里はやはり明美を意識しないわけにはいかないのだろう。

 男性との付き合いも、明美ありきなのだろう。

 愛里の顔を見ていると、影の部分が次第に大きくなる、表情が分からなくなる。そのうちに彼の後ろの存在がなくなり、愛里の存在が頭から消えてしまう。

――やっと二人きりだわ――

 と思い、彼に甘えたいという気分になってくると、今度は誰かに見られている感覚に陥る。さっきまで愛里の存在を意識していたはずなのに、視線が愛里であることに気付くまで、かなりの時間を要するのだった。

「明美、あなたは、永遠に私の夢の中から抜けることはできないのよ」

 表から見ている愛里がささやきかけてくる。

 この時初めて、人と夢を共有することの恐怖を感じた。

 今までに見た夢で一番怖い思いをしたのが、もう一人の自分が出てくる夢だったのだが、それに匹敵するほどの恐怖が夢の共有には存在するのだ。

 抜けられないという言葉が、どれほど相手に恐怖心を与えるかということを今さらながらに思い知らされた。

 恐怖心は人から与えられるものなのか、それとも自分の中から醸し出されるものなのかということを、ずっと考えていたような気がする。今までは人から与えられるのが恐怖だと思っていたが、夢の世界で感じた恐怖心の説明がつかない。夢の世界が錯覚であると考えれば納得もいくが、納得できない夢もあるのだ。

 夢の中で感じたことは、愛里にも時間差で感じることなのかも知れない。そして、この感覚は彼には永遠に分かるものではない。女同士であるからこそ、分かるもののはずだからだ。

 夢の中で彼と夢を共有しているという認識は愛里にもあった。だが、愛里は、同じ彼が明美とも夢を共有しているなど、思ってもいないようだった。

 愛里が彼に感じていた印象は、

――変わった人――

 だという第一印象が抜けないでいたくせに、気になる存在であることには違いなかった。

 夢を共有するには、それなりに理由があるのではないだろうか。明美にも愛里にもそこまでは感じていたのだが、その理由に関しては見当もつかなかった。

 だが、愛里は明美よりも少し考えが深いとことにあった、理由は分からないまでも、「夢を共有できる相手だからこそ、知り合ったに違いない」

 という思いであった。

 だから、夢を共有する理由があるとすれば、それは知り合ったことが偶然ではなく、知り合ったことに対しても理由があるという思いである。夢を共有するということが信じられないからこそ、理由を求めるのであって、知り合うことが日常茶飯事に起こっていることではなければ、知り合うこと自体、夢の共有よりも、神秘的なことではないかと思うのだった。

 それは愛里がいつも落ち着いて考えることができるからであり、分析力に長けた人であるということである。明美が愛里の中に惹かれるものがあるとするならば、それは分析力が一番の理由ではないだろうか。

 そもそも愛里と明美の間に、何か理由を必要とするものなど、最初からなかった。あるとすれば、意識しないだけで、出会ったことの理由だけではなかったであろうか。そのことは愛里の頭にあるだけで、明美は意識はしていなかった。

 だからといって、明美が何も考えていないわけではない。明美は愛里にはない感受性の強さがあった。何事も冷静に分析してしまう愛里には、感受性という意味では、明美ほどではない。明美の感受性の強さは、考えすぎるところを示していて、感受性の強さによって、引き起こされた感覚なのだろう。考えすぎてしまうと、何でもかんでも一度戻って考えないと気が済まなくなり、堂々巡りを繰り返してしまうことが多くなってしまう。結局、導き出されるはずの結論が遅れてしまったり、誤った結論を引き出したりしてしまうことにも繋がってしまう。それが明美の悪いところではないだろうか。

 愛里は、明美のそんな性格を分かっていた。分かっていて。敢えて余計なことは言わないようにしていた。

「言って簡単に治ることなら、助言しているわ」

 あくまでも冷静な愛里は、明美に対して、自分が冷静な人間であることを隠して付き合っていた。その方が付き合いやすいからで、正直楽であった。

 そんな愛里も、夢を共有している彼に対して、

「変わった人」

 だという感覚を覚えたのだ。よほど変わっているのだろうが、それも、どこの誰だか分からないということが、大きく影響しているに違いない。

 愛里は彼と、夢の中では恋人だった。

 愛里は現実の世界では、今付き合っている人はいない。以前は何人かいた。それは明美も知っていることだが。愛里は、複数の男性と同時に付き合うことを悪いことだとは思っていなかったようで、実際に同時に何人かと付き合ったこともあった。

 不思議なことに、よほどうまくやったのか、それとも付き合っている男性皆が、鈍感なのか、それがまわりにバレることはなかった。

「私には、すぐに分かったのに」

 と、明美は思う。

 明美は、愛里のことに対しては結構分かっているつもりだった。他の人のことはあまりよくは分からなかったが、こと、愛里のことはすぐに分かった。分かろうとするから分かるわけではなく、気持ちが手に取るように分かり、

――愛里なら、次は、こうするだろう――

 というのが分かっているからだった。

 愛里が明美に対してだけは、

――分かってほしい――

 という信号のようなものを送っているのかも知れない。明美に対してだけのオーラが発せられ、明美もそれを理解できるからこそ、友達関係が続けられる。普通であれば、付き合いを続けていくのも、気持ち悪くて、難しいのではないだろうか?

 愛里は、背がスラッと高く、胸も大きい。スリムな身体に、大人の雰囲気を十分に漂わせる顔立ちは、水商売の女性だと言っても、誰も不思議に感じることはないだろう。

――ショートカットが似合うボーイッシュな女性――

 頭の中で感じた時、

「ほら、また堂々巡りを始めた」

 結局、またここに戻ってくるのだった。

 愛里が感じた彼の変わっているところ、それは、愛里が自分を女性だという感覚が強いことから、分からないもののようだった。

 愛里は、男性の気持ちはたいてい分かるつもりでいた。それは、

「私は男性の身になって考えることができるからだ」

 というのが、愛里の理屈だった。

 だが、心の奥では、男性と女性は明らかに違うという意識が根底にあり、無意識の意識として、潜在しているものである。

 そこに考え方の矛盾があり、その矛盾に気づかないうちは、決して彼の真意を見つけることはできないだろう。

 そのことを分かっているのは、明美だった。

 明美は普段の愛里も知っているので、冷静な明美を分かっているつもりだ。

 だが、本当の愛里は、明美が考えているほど冷静ではない。夢の中の愛里を知っているから、愛里が冷静沈着な性格なのだと思っているのだ。冷静に人物分析ができるのは愛里の方なのだろうが、こと愛里のことに関しては、愛里本人よりも明美の方がよく分かっている。

 考えてみれば当たり前のことだ。人のことを冷静に分析できる人ほど、自分のことが分からないもの。

「まるで医者の不養生のようだわ」

 自分のことほど、分からないものはないというこの考えに、愛里は気付いていないのだ。そのことが、明美にはじれったくもあり、その反面、人間臭く感じるところがいとおしいとも言える。

――愛里は精神分析の医者を、夢の中で気取っているのかも知れない――

 確かに、現実社会では、夢のようなことだと一蹴されるのがオチだが、自分の夢であれば許される。ただ、共有している相手には知られてしまうということにはなるのだが、愛里はそれでもいいと思っている。

 愛里にとって、彼の存在は、夢の中だけのものだと思っている。明美のように、どこかにいて、その人が現れたらどうしようというような考えはないようだ。それだけに、夢の中だけという意識の中で、いくらでもいじることができると思っていた。

 明美は、自分の好きな男性のタイプを思い浮かべた時、夢の中に現れる彼ではないと、ずっと思っていた。好きな男性は他にいて、夢の中の男性がまったくタイプも違っていたのだ。

 明美と、愛里、どちらも今はその男性の存在を知らず、ただ夢を共有していることを意識しているが、もし、どちらかがその男性と現実の世界で出会うことになれば、彼はその人のものとなり、もう一人は、夢の共有が外れ、共有が外れただけには止まらず、記憶の中から消去されるのではないかと思われた。

 一人の存在を、意識の中から抹消してしまう効果があり、何もなかったことになってしまうのである。

――ということは、今までにもあったことなのかも知れない――

 覚えていないだけと言えばそれまでだが、一人の人の記憶が、思いの中から消えてしまうというのは、辛いことだ。

 そのことを感じているのは、明美だけだった。愛里と彼はそのことを意識していない。夢の共有は、永遠のことだと思っている。ただ、二人は夢の共有を複数できるということを意識しているのは、分からなかった。

 少なくとも愛里に意識はないだろう。愛里という女性は、すぐに顔に出たり、態度に表したりする女性だ。何か不安なことや気になることは、序実に顔に出る。そんな愛里が顔に出さないのは、おかしなことだった。

 そういえば、一度、あまり顔に出さない愛里を、明美は見たことがあった。

 あれは、中学時代の頃だっただろうか?

 学校に時々やってくるネコがいたのだが、ネコが最初に見つけたのは愛里だった。完全なノラネコで、時間になったらやってくる。昼下がりというよりも夕方に近い時間。普段であれば、皆が帰宅する時間くらいだっただろうか。

 ネコ嫌いの人は別にして、ノラネコはそれなりに人気があり、誰彼ともなく餌を与えているうちに、すっかりなついてしまったようである。

 愛里も最初はそんなネコを愛らしいと思いながら見つめていた。ネコも愛里になついていて、他の人が羨むほどになっていた。明美はそんな愛里を羨ましいとは思っていたが、やっかむこともなく、ネコとともに暖かい目で見ていた。

 座り込んでネコを覗いている愛里、それを後ろから中腰で見つめている明美。そんな姿が、沈みゆく夕日を背に展開されていた。

 愛里はネコに餌を与えようとはしなかった。だが、ある日を境に餌を与えるようになったのだが。それは、明美が愛里が覗き込んでいるのを後ろから見るようになってからだった。

「どうして今まで餌を与えてあげなかったの?」

 疑問をストレートにぶつけてみる明美。

「だって、皆が与えているから私が与えたって、しょせん二番煎じでしょう?」

 と、愛里は平然として答えた。

――なんか問題が違う気がするんだけど――

 と、明美は思いながら、愛里が何をするにしても、まわりを気にする女性であることにその時初めて気が付いた。

 だが、まわりを気にしているわりには、まわりが自分をどのように思っているかということを、あまり気にしていないようだ。個性の強さは、そのまま人との距離を思わせる。そのことを意識していないのは、それだけまわりが自分をどう見ているかということを感じない性格だということだろう。

 人と同じことをしたくないという感覚は明美に似ている。

――類は友を呼ぶ――

 というが、まさしくその通りだ。集団の中にいて、自分が意識していないのに、気が付いたら、まわりは皆同じ血液型だったなどというのは、今までに何度あったことだろう。明美も、あまりまわりが自分をどう見ているかということを気にしないタイプだった。

 しかも明美も、人と同じことをするのは好きではない。ある意味、愛里と似た性格なのだ。愛里から、二番煎じだという言葉を聞いた時、ドキッとした。それは、自分と同じ性格であることを今さらながらに思い知らされたからで、やはり、類は友を呼ぶというのは本当なのだと感じたからだ。

 愛里は、後ろから見つめている明美に対して、ウソはつけないと思っていた。だから素直にネコに餌を与えることができたのだろうと思っていた。また、そのことを明美も理解していて、相手の気持ちが分かるわけではないのに、気持ちが通じ合っているかのように感じたのは、おかしなことであろうか?

 ネコを覗き込んで餌を与えている愛里を見て、明美は、まるで自分が愛理に餌を与えているような気分になっていた。

――まるで愛里は私のペット――

 そんな目で後ろから見つめていた。

 愛里には、実はそこまで分かっていた。分かっていて、気持ち悪く感じなかったのは、愛里も、

――誰かに飼われたい――

 という感覚が芽生えていたのかも知れない。

 飼い猫は気が楽だと思っていた。言う通りにさえしていれば、餌を与えてくれるし、癒してもくれる。少しばかり自分のプライドを捨てればいいだけであった。

――プライドなんて、いつでも捨てられるわ――

 と、思うのは、明美の方だった。どちらかというと見ていて、愛里の方が、プライドなどかなぐり捨てられるタイプに見えるが、実際には、二番煎じが嫌だと口に出せる時点で、捨てることのできないプライドを心の奥に秘めていることは分かったのだ。

 明美にはそれができるのだ。

 プライドなどしょせん一人でいる時だけの生きていくための自分に繋がるもので、

――まわりに人がいれば、プライドにしがみつくことはない――

 という考えでいた。

「しがみつく」

 この言葉で、愛里と明美のプライドという言葉に対しての考え方の違いがハッキリとしてきた。

 道具として考える明美に対して、愛里はステータスだと考えている。より自分の中で大切なものだと考えるのは愛里の方なのだ。

 だが、他人から見ると、明美の方がプライドが高そうに見える。それは人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている明美に対し、愛里は、近寄ってくる人を迎えようとする態度が見られる。

 人に対して自分を表に出すことが自分にとってのプライドだと思っているのは、愛里である。

 明美は逆に、自分の中にあるポリシーは人と最初から違っているのだから、

――決して交わることのない平行線だ――

 と思っているに違いない。

――捨てたプライドって、どこに行くのかしら?

 明美は考えたことがあった。

 捨てるのだから、どこかに行くのだろうという思いだったが。捨てた瞬間、今まで誰にも気づかれなかったプライドをまわりに悟られて、しかも捨ててしまったことも、悟られるのではないだろうか。

――これって隙を見せること?

 もし、そうだとするならば、簡単にプライドを捨てるというわけにもいかない。

 そういえば、

「プライドを捨てたらいけない」

 人の話しを聞いていたり、テレビドラマなどのセリフの中で聞いたことのあるようなセリフであるが、

「何、当たり前のことを言っているのかしら?」

 と、呟いてみたが、明美が考えているプライドを捨てるという意識と、違っているのかも知れない。

「プライドとは、取得するとか、捨てるとか、そんなレベルのものじゃなく、備わっているかどうかから始まって、備わっていれば、いかに自分のためになるように生かしていくかが大切だ」

 と、大学生になって、講義の中で聞いた。心理学の講義ではなかったはずだ。授業の中の雑談で出てきた言葉で、誰もがあまり意識して聞いていなかったに違いない。

 明美もあまり真面目に聞いていなかった。分かっていることであったので、今さらという気持ちもあったが、それ以上に、

「本当なのかしら?」

 と、その頃になってプライドということに違った意識が芽生えてきたことで、あまりにもありきたりなセリフは却って鬱陶しく感じられるのだった。

 餌を与えられていたネコを見ながら、少し涙を流している愛里を見た。その時の愛里の心境は、

「あの時なら、手に取るように分かったのに」

 と、今では、涙を流した愛里のことが脳裏から離れないくせに、分かっていたはずの理由をどうしても思い出せないのだ。

 愛里が急に呟いた。

「このネコ、私なのよね」

 言葉の意味がよく分からなかったが、しばらくして愛里の両親が離婚したことを聞かされた。母親に引き取られた愛里は、両親の離婚が落ち着くと、いつもの愛里に戻っていたようだった。

 だが、それはまわりからの見方で、明美には、どうしてもそうは思えなかった。落ち込んでいた時は、他の人と同じような女の子になってしまったかのように思えた愛里だったが、落ち込みが治ると、以前とは違った愛里になっていた。

 逞しくなったという言葉では言い表せないようで、同じ喜怒哀楽の激しさでも、以前は怒りや悲しみが大きかったように思えた愛里だったが、今では喜びに対しての態度が敏感に感じられる。

 愛里にとって、明美の存在が、さらに大きくなったかのようだった。甘えではなく、慕ってくるような態度である。

「甘えと、慕ってくる態度のどこが違うの?」

 と、言われるかも知れないが、明らかに違う。甘えは完全に相手に委ねる感覚で、受け身である、慕うというのは、自分への見返りとして、自分の納得できることが含まれていなければ、慕えないのだ。

 逆に言えば、よほど相手を信じていなければ委ねることなどできない。それほど人を信用できなくなったであろう愛里に、人に甘えたり委ねたりすることなどできないと思ったからだ。

 愛里は自分がネコのようなものだと思ったことがあった。

 甘える時は徹底的に甘えたくなるが、一度ヘソを曲げてしまうと、相手をしなくなる。

 ネコにもいろいろな種類がいるようで、ヘソを曲げて、相手にしなくなるネコもいれば、食って掛かるネコもいる。どちらも可愛くないが、どちらかというと愛里は食って掛かるネコの方が好きだった。

 ここで明美との違いがみられる。明美は、相手にしなくなるネコの方が好きだった。それはお互いに相手を見て感じていることで、明美が愛里に見たもの、愛里が明美に見たものを感じることで、好き嫌いが生まれていたのだ。

 そういう意味では、二人とも、やはりどこかで惹き合っているのだろう。

 男に対しての興味も同じで、明美は、喧嘩した時、食って掛かられるよりも、無視される方がマシだと思っている。喧嘩になるよりも、ほとぼりが冷めるのをじっと待っているのだ。波風は立たないだろうが、仲直りには時間が掛かるに違いない。

――じっと、嵐が通り過ぎるのを待っている――

 それが、明美の考え方だった。

 愛里の方は逆に、食って掛かられる方がよかった。喧嘩にはなるだろう、自分の意見もハッキリと言える。ただ、頭に血が上っていることもあって、相手の気持ちを考えるところまで余裕がないに違いない。それでも、熱しやすく冷めやすい性格で、仲直りも早いはずだ。

――肌と肌の付き合い。心を割って話したりぶつかったりできるのが、本当の友達ではないだろうか――

 というのが、愛里の考えだった。

 考えてみれば、お互いに違っているところは結構あるだろう。特に明美の方が愛里のことを分かっているようで、明美が主導権を握っている方が、二人の関係はうまくいくのではないだろうか。

 愛里は、

――明美の考えていることなら、何でも分かる――

 というくらいに思っていた。

 明美の方の同じで、愛里のことは分かっているつもりだ。

 どちらの方が気持ちが強いかといえば、明美の方であろう。だが、自信を持っているのは愛里の方である。気持ちの強さと、自信を持つこととは違っているようだ。

 だが、それは同じ目線で見た時のことであって、二人の間で言葉にすると違っていることでも、考え方は同じである。明美の中では、

――気持ちを強く持つことが、自信に繋がっている――

 と、思っていて、

 愛里の中では、

――自信を持つことが、気持ちを強く持てるようになる秘訣である――

 という思いが強いのだ。

 これだけ性格的に違う相手と夢を共有しているこの男。彼は本当に夢を二人と共有しているという意識があるのだろうか。

 確かに二人と夢を共有しているように思っているが、どちらか一人とは共有しているのではなく、

「共有しているという夢を見ている」

 という感覚を覚えているのかも知れない。

 夢の中での夢のようだが、それもありではないだろうか。

 彼の方は、普段夢の中では結構女性が登場することが多い。そんなに頻繁に夢を見るわけではないが、その中での女性の登場頻度は高いということだ。

 彼も、

――目が覚めるにしたがって、夢は忘れて行くものだ――

 という感覚は自覚していた。

 実は夢は結構見ていて、忘れていっているのではないかと思うこともあり、忘れていく夢のほとんどが、男性が出てくるか、自分だけのシチュエーションの夢のどちらかだと思っていた。

 自分一人だけの夢というシチュエーションを想像もできなかった。だから、

――一人の夢は見ていないのだ――

 と思っていたが。実はそうではない。

 覚えていないだけで、実際には見ているかも知れないと思うと、どんな夢なのかを想像してみたくなってくる。

 夢の続きを見ることができないものかというのは、自分だけではなく、誰もが思っていることだと感じていたが、その思いを感じさせてくれたのが、共有していると思っている二人だったのだ。

 彼は、夢とは共有するのが普通だと思っていた。自分の夢に出てきた人は、現実での登場人物と変わりない。まったく同じシチュエーションで、夢と現実の境がないかのようだった。

 現実と、より近い夢というのは、ある意味、怖い夢である。現実逃避をしたくて見るのも夢の一つだとすると、それができないのは、心が休まる場所を自らで拒絶したかのようではないか。

 それなのに、夢の中での女性の頻度が高いというのは、不思議だった。現実の世界では、あまり女性が近寄ってくることがないと思っていたからだ。

 それが共有という感覚を持つことを可能にしたのではないだろうか。

 女性が出てくるのは、現実に近いからではなく、共有しているからだという考えである。そうでなければ、自分が女性にモテるわけなどないと思っているからである。

 ただ、この考えも、本当に彼の本心かどうかは分からない。夢の中だけで感じているものであって、普段考えていることではないのだと……。

「夢を見ているという夢を見ている」

 という禅問答にも似た発想もある。

「目が覚めたら死んでいた」

 という、一見矛盾したブラックユーモアも聞いたことがあるが、笑い話だけで終わらせられるものではない。

「本当に死んだ人間が、次にいくどこかの世界では目が覚めるのかも知れない」

「というと?」

「だって人間だって、生まれてくる時って、目が覚めるようなものじゃないか。ただ、赤ん坊なので、意識しているわけではない」

「確かにそうだけど、でも、それじゃあ、この世界にいる俺たちって、まるでどこかに前世があったみたいじゃないか?」

「きっとあったんだと思う。そして前世がどういう終わり方をしたかで、この世での運命も決まってしまう。そうやって、一度生まれたら、ずっと世界を変えながら生き続けるものなんじゃないか?」

「じゃあ、前世の俺も違う世界で、今生きてるのかな?」

「そうだと思うぞ。他の世界で死なないと、この世界では生まれないという考えを持つと、人が増え続ける気がするんだ。違うかな?」

 少し違う気がするが、説得力はあった。生まれ変わりという考えだと、どこかの世界だけ人が増え続け、どこかは減り続ける。それも見えない力が調整しているのだとすれば、生まれ変わる先がどうなっているかまで決めるのは、本当に大変なことだ。他の世界の自分も似たようなものだと思えば、違う感覚はしてこないかも知れない。

 こんな会話をした現実世界の友達は、言葉足らずだったが、そこがどこか魅力を感じさせるところだった。

――他の世界での自分を見ているようだ――

 と感じたからだ。

 夢の共有という考えも、この人との会話から端を発したのかも知れない。そう思うと、世の中が次第に狭く見えてくるようで、おかしな感覚を味わうのだった。

「夢の共有と、他の世界」

 誰もが意識しているのだろうが、どこまでの信憑性を信じているかの違いで、まったく頭の中にさえないと思って暮らしている人もいる。いや、それがほとんどなのだろう。信じている人には、その気持ちが分からなかった。

 この感覚が、

「左右対称」

 という意識を呼び、鏡を怖がる要因になってくる。夢を共有していると思っている三人は、少なくとも鏡に対して異常なまでの恐怖感を持っている。左右対称という言葉が大きく作用していることを、次第に思い描いていく三人だった……。

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