第3話 偽り

 晴彦が結婚したのは、そろそろ三十五歳になろうかという頃のことで、相手は実に物静かな女性だった。

「彼女といると、本当に時間を共有しているって気がするんだ」

 晴彦の結婚が決まって、まわりが、

「結婚を決めた理由は?」

 という質問に答えたことだった。

「結婚とは人生の墓場だという人がいるが、確かにその通りかも知れない。でも、僕は、墓場であっても、共有できる時間を持っている人と一緒であれば、きっと墓場ではない結婚生活が送れると思うんだ。共有できない人と一緒にいるから、墓場なんだと思い込むんじゃないかな?」

 とも、話していた。

 晴彦のまわりには今まで物静かな人が多く近寄ってきた。嫌いなタイプもいれば、好きなタイプもいる。結婚した相手は、決して好きなタイプではなかった。

 物静かな女性のパターンとして、いつも物思いに耽っているイメージが強い。表情は様々で、考え込んでいる時の目線を、先の方に持っていくか、手元に置いておくかということで、表情の真剣さが違って見えるのだった。

 真剣なまなざしは横顔で決まる。正面から見ると、緊張が走ったり、恥かしさから、相手の顔をまともに見られなかったりする。晴彦は恥かしがり屋な女の子は好きだが、オーバー過ぎるとしらけてしまう。その中間くらいがちょうどよく、横顔に真剣さを感じることのできる女性が、本当に物静かな女性だと思うのだった。

 交際相手と、結婚相手は違って当然である。一緒にいて楽しいだけでは結婚しても続かないし、自分にとって平均的で無難な女性は物足りないと感じるだろう。

 物足りなさは楽しくない。楽しさは自分中心の世界を形成することにあると思っている晴彦は、お互いに助け合っていくことが不可欠である結婚相手には、期待する部分は明らかに制限されてしまう。

 晴彦は、交際相手とそのまま結婚してしまった。

 今までに何人かの女性と付き合って、いかにも交際相手という人が多かったことで、結婚が遅くなったと思っていたが、結婚したいという相手が出てこなかったのも事実だ。結婚した相手も、決して結婚したい相手だったというわけではない、年齢的な年貢の納め時だと感じたことでもあるし、相手というよりも、結婚というもの自体に気持ちが動いていたのかも知れない。

「結婚くらい、死ぬまでに一度はしとくもんだよ」

 と、まるでいかにも近い将来に死を予感させるような言い回しだが、そこが墓場に繋がるという意味では、確かに結婚は人生の墓場と言えるだろう。

 新婚の甘い生活など、嘘っぱちで、ドラマや映画の中だけの世界だと思っていた。晴彦のまわりで新婚の甘い生活を思わせる人など、一人としていない、

 新妻は、毎日を晴彦のために奉仕に使ってくれる。文句も言わず、ただ、喜んでいる様子も見えないのが、物足りなく感じるところであった。ウソでもいいから奉仕することに、そして奉仕を受け入れた相手に対し、笑顔を見せるのは、

「減るもんじゃないし」

 という乱暴な口ぶりであっても、わざとらしさがない分、本音に近い気持ちを持っているに違いない。

 結婚したことに後悔しているわけでも、新妻に不満があるわけではない。新婚旅行から帰ってきて、いきなり離婚するという、いわゆる「成田離婚」というのがあるが、その気持ちも分からない。少なくとも相手を好きになって結婚したのだ。そこまで耐えがたい人であるならば、好きになったこと自体が偽りなのではあるまいか、

 膝枕や耳かきなど、結婚前に夢見ていた表に見える奉仕とは違って、ダイニングに立ってエプロンをした彼女が、後ろ向きで洗い物をしている姿を見ることの方が、よほど暖かみが感じられ、

「これが新婚生活の醍醐味になるのだろう」

 と、考えていた、

 新婚生活は楽しいものだった。結婚前から一人暮らしの経験はあったが、一人暮らしの時に感じていた部屋の中の立場と、養っていく相手が一人でもいることの立場とでは、充実感がここまで違うとは思ってもいなかった。

 二LDKのマンションに、新婚二人暮らし。贅沢でもない普通の生活なのに、まるで豪邸に住んでいるかのような気持ちにさせてくれた、新婚生活という言葉が、これほど暖かで、心地よいものかというのを、初めて思い知らされた。

 結婚式自体は普通に招待客を招いてのものだったが、新婚旅行は海外に行くような贅沢は避けた。国内旅行の、お互いに行ったことがないという話で、

「いずれ、二人で行ってみたい」

 と話をしていた北海道を回ることにした。海外旅行に行くことを思えば少々の贅沢をしても十分である。温泉や観光を十分に堪能して戻ってきた。特に新妻が感動したのは、森の中にひっそりと横たわるように佇んでいた湖を見た時であった。

「こんな光景が日本でも見れるのよね」

 と新妻がいうと、

「日本だから見れるのかも知れないよ」

 と答えたが、世界は広い、こんな光景は大自然の中では当たり前の光景なのかも知れないが、下手なことを言って気分を害するようなことはしたくない。せっかくの北海道旅行、ここでしか味わえないという気持ちを持つことが、旅行の一番の意義なのではないだろうか。

 妻は、余計なことを言わないことから、物静かに見えるだけで、感受性は強いのかも知れない。

「妻のどこが好きなんだい?」

 と聞かれると、

「横顔の真剣なところ」

 と答えることだろう。妻の横顔は、視線を目の前に置いても、先の方に置いても真剣なまなざしに見える。他の人でも真剣なまなざしを見ることができるが、手前に真剣な顔ができる人は、先の方を見るとどうしても真剣みに欠けてしまう。逆に先の方に真剣なまなざしを送ることができる人は、目の前の視線は、新鮮さを欠くのであった。

 晴彦の勘違いも中にはあるかも知れないが、かなりの確率で信憑性の高いものだと思っている。

 新婚旅行先の北海道で、同じように新婚旅行に来ている一組のカップルに出会った。晴彦はあまり乗り気ではなかったが、妻が相手の奥さんと意気投合したようで、昼間の観光を一緒にするようになった。

「ねえ、いいでしょう?」

 付き合っている頃でさえ、こういう甘え方をしてきたことのない妻が甘えてくれた。自分に乗り気があるかないかなど二の次で、晴彦は有頂天になって、一緒に行動することを許可したのである。

 それでも行動を共にしたのは一日だけだったが、妻は十分に堪能したのか、翌日も興奮が残っているようだった。晴彦の方は、精神的に疲れてしまって、声を発するのも億劫なくらいに疲れていた時間帯があり、二人の間に、微妙な不協和音が響いているかのようだった。

 そのことを先に気にしたのは、妻の方だった。

「どうしたの? 元気ないじゃない」

「ああ、少し疲れが出たようなんだ」

 妻には晴彦の疲れの原因が分かっていたように思う。どうしたのかと聞いた時点で、まるで探りを入れるような、下から見上げるような視線にドキリとしながら、視線を浴び続けるには、疲れが溜まりすぎていた。

 妻は、それ以上視線を浴びせることをせずに、表情が少しつまらなそうになったのを晴彦は見逃さなかった。

――結婚前と結婚してからでは、少し変わったかな?

 真剣なまなざしに惚れて一緒になる決意をしたのに、ただの甘えではないわがままに似たものを垣間見た気がしたことが、晴彦の心の中にちょっとした痕を残した。

 だが、旅行から帰ってくると、そんなちょっとしたわだかまりはすでに消えていた。思い出の中には綺麗な景色と楽しかった観光。そして、温泉で疲れを癒されたことが、晴彦には一番の有難さであった。

 元々、わだかまりがまったくなくて結婚したわけではなかった。結婚することで二人の中に交際期間とは違う覚悟のようなものと、相手を思いやる気持ちが再認識されたことを悟っていたはずだった。結婚ということに対して浮かれてばかりでなかったのは、晴彦の方というよりも、むしろ妻の方が強かったように思えた。

 三十五歳を過ぎた晴彦に、二つ年下の妻。決して若い新婚というわけではない。それだけに若い新婚夫婦にはない落ち着きのようなものを醸し出していると晴彦は自分で感じていた。

 妻もそれは同じで、いつもニコニコ笑っていたのは晴彦と知り合う前、晴彦は見たことはない。そのことを話したとしても、

「そんなこと、信じられないよ」

 と、一蹴することだろう。だから妻も敢えて言わないのだが、だからといって、晴彦の前でだけ他の人と同じ態度を取っているわけではない。晴彦は、そうは感じていないようだが……。

 結婚したことで何が一番変わったかというと、まわりの女性をジロジロ見なくなったことだ。付き合っている頃は、結構目移りしたもので、妻はきっとそれが晴彦の悪いくせだと思ってあきらめの境地だったのかも知れない。

 晴彦にとって結婚は、一大イベントだったに違いない。彼女が妻と呼び方が変わったことがこれほど大きな影響を自分に対して与えようなど、想像もつかなかった。

 一緒に暮らし始めたことは、それほどまではなかったが、気分的には有頂天で、舞い上がった気持ちになっていたことも否定できない。

「結婚するということは責任を背負うことになる」

 と言われても、そこまで現実味を帯びていなかった。

「結婚ごっこ」と言われても仕方がなかったが、現実味を帯びていないのだから、緊張感の持ちようもなかった。

 新婚生活とはそんなものであろう。そのうちに現実味を帯びてくるのだろうが、晴彦はいつまで経っても結婚ごっこを脱着できないでいた。

「いつまでも新婚気分じゃいけない」

 と思ってみても、新婚時代から何が変わったと言って、何も変わっていない。妻にしてもそうだった。お互いに趣味を持っていたこともあって、自分の時間も大切にしていたのだ。

 趣味の時間を大切にするということは、それだけ相手の気持ちや立場を大切にしているということであり、晴彦は、自分の妻にはそのことを求める前から備わっていたことは嬉しかった。

 妻のいいところは、晴彦のことをすべて把握していたことだった。

「すべて分かっていて、結婚してくれたんだ」

 というと、

「あなたは本当に分かりやすいからね、私にとっても、操縦しやすいのよ」

 と言って笑っていた。

「操縦しやすいとは、まったくもって失礼千万」

「だって、その通りなんだもん」

 と、言い返してくる。朗らかな空気がその場を包んだ瞬間だった。

 そんな中、少し気になるのが、妻の両親が、あまり晴彦のことを気に入っていないというところだった。

 気に入ってもらっていないのは分かっていたので、さぞや、結婚には大きな障害となるに違いないと思っていたが、そこまではなかった。

 それほどの障害もなく結婚できたのは、幸運だったのかも知れない。思い切り反対されたら、本当に結婚まで行きつけたか、自信がなかった。あまりにも反対が大きいと、彼女が諦めの気持ちになるかも知れない。もし、そうなれば、彼女の精神が異常をきたすかも知れないということは、想像できた。それだけに、抑えることができるのは晴彦だけなのだろうが、抑えることができる自信はハッキリ言ってない。そう思うと結婚というものを、再度考え直すことになるのは、容易に想像のつくことだった。

 晴彦が結婚してから時々感じるのは、

「こんなに幸せでいいのだろうか?」

 ということだった。

「好事魔多し」

 ということわざもあるが、確かにいいことばかり続いていると、言い知れぬ不安に襲われることになる。避けることのできないもので、人間の性のようなものではないのだろうか。

 悪いことばかり起こった時には、

「今が一番最低なんだから、後は上を目指して昇るだけだ」

 という考えと正反対である。

 最悪の時期も晴彦は経験したことがあった。大学の入学試験の日、本命と思っていた大学の試験の日にお腹を壊して、まともに試験を受けれる状況でない中で、何とか試験を受けたが、結果は不合格。まわりからは、

「あそこなら大丈夫だろう」

 と言われ、自分もその気になっていた。

 だが、結果は不合格、まわりは誰もその日、晴彦が体調の悪かったことを知らない。完全にやせ我慢で試験に臨んだのだ。

 じっくりと見ていれば、異常にすぐに気付くだろう。だが、入学試験である。

「顔色が悪いのは緊張感から」

 誰もが、そう思っていたに違いない。

 晴彦はまわりに自分の体調の悪さをあまり出さない方だ。我慢強いわけではなく、まわりから気にされると、余計にきつくなるからだ。心配そうな顔で覗き込まれると、自分の想像以上に悪い状態なのだと思い込んでしまうからだ。足が攣った時など、痛くてたまらないのに、まわりに悟られないようにするくせがあったが、それを晴彦は自分だけだと思っていた。だが、実際には自分だけではなく、ちょっと話題に出すと、

「俺もだ、俺も」

 と、皆が反応する。話の中でタブーとなっていただけで、考えていることは同じだったのだ。そう思うと、

「誰もが考えていないことを、自分だけが考えていると思うことでも、意外と皆感じていることが多かったりするのだろう」

 と感じるのだった。

 そんなこともあったのを思い出しながら、その時の幸せを身に染みて感じていた。もちろん、ずっと続くとは真剣には思っていなかったが、悪くなる要素が浮かんでくるわけではない。

 妻はその時、どう思っていたのだろう。同じように幸せを感じてくれていたと思っていたが、その通りだったのだろうか。幸せというのは、お互いの気持ちが離れていては、絶対にありえないことだと思う。ということは、晴彦の勘違いでなければ、妻も同じ気持ちだったはずだ。

「僕のことなら、何でも分かってくれているんだ」

 気持ち悪さがないではないが、それでも分かってくれているということが安心感に繋がっていることを理解すると、自分も妻に与えるのが安心感だと思うようになった。安心感が幸せの根源であると思っている以上、新婚気分は、いい意味でずっと続いていくと思うのだった。

 何が離婚に繋がったのか、今となっても分からない。妻が離婚を言い出したのだが、理由については、何も教えてくれない。

「自分の胸に聞いてみればいいでしょう」

「離婚するだけの理由がどうしても見つからない」

「そうでしょうね。あなたなら分からないでしょうね」

 妻の話が罵声に変わる前に、

「悪いところがあったら治すから、悪いところを教えておくれよ」

 というと、さらにその言葉にカチンと来たのか、少し黙り込んだその後で、

「そんなだから、あなたには何を言っても無駄なのよ」

 と言われてしまう。

 確かに晴彦には鈍いところがあるのは自分でも分かっている。だから、教えてもらいたいと思っているのに、すでにけんもほろろになってしまっている。

 女は男と違って、我慢できるところは必死に我慢する、だから、堪忍袋を緒が切れたら、後は、取り付く島もなくなってしまう。

 男は、女に開き直られると、楽しかった頃のことしか思い出さない。

――楽しかった時のことを思い出してくれば喧嘩にもならないし、取り返しのつかないことになどなるはずもない――

 と思っている。

 それなのに、自分だけで勝手に相手を嫌いになり、相手の気持ちを考えるよりも何よりも、結論を急いで出そうとするのだ。

 男としてはたまったものではない。自分だけが置き去りにされてしまった気持ちは、もう二度と味わいたくはないものである。

 離婚に対しての理由を言わないということは、妻の側には、ハッキリとした理由がないからなのかも知れない。

「一緒にいるのが嫌だ」

 というのであっても、気持ちを相手に分からせることができれば、立派な離婚の理由であろう。

 楽しかった頃のことが走馬灯のようによみがえる。妻にも走馬灯の動きを感じたことが絶対にあったはずである。

だが、妻には、ハッキリとした離婚の理由があるわけではない。晴彦が離婚を断ることだってできるはずだ。だが、頑なに離婚を拒んでどうするというのか、離婚を強要はできないが、頑なに拒むのも傍から見ていれば、それほど変わっているわけではない、わがままのぶつけ合いは泥仕合を呼び、底なし沼のような泥沼に片足を突っ込んだような感じであった。

「離婚は、結婚の数倍の体力を使う」

 と言われた。相手の親からは、

「やはり君に嫁がせたのは間違いだったよ」

 と、父親に言われ、

「あなたなら、大丈夫だと思ったんですけどね」

 と、母親にも言われた。

 母親の言い分を聞いていると、今までに他の人ではダメだったのだが、晴彦だけは、という気持ちである

 妻からは、あまり男性と付き合ったことはなく、両親に会わせるほどの関係になった人は数人しかいないと聞かされていた。

 それでも数人いるわけで、その人たちが母親の目に、どのように写ったかということである。 父親の威厳よりも、母親の情け容赦のない視線は、それだけ人間らしさを含んでいた。

 視線を合わせて、離すことのできない相手には、気後れしないようにしなければいけない。

 晴彦のことを、母親は最初は気に入ってくれていたようであるが、次第にどこか気になるところが見え隠れしていた。

 母親の気持ちが分からないというのは、男の子よりも、女の子に多いだろう。

 女の子は父親に似ていて、男の子は母親に似ているものだというが、母親に似ていなかったことが晴彦には慰めになっているのかも知れない。

 顔が似ているからと言って、性格が似ているとは限らないが、それは他人との間のことで、肉親の間であれば、どうなのだろう?

 似ている人は、どんなに探しても範囲を広げても、見つけることすらできない人もいるにも関わらず、道を歩いている時に、ふっと振り向いただけで、似ていると自分で把握できる人がいるのは間違いない。

「自分と同じ人は、あと二人はいて、全部で三人いるのだ」

 と言われるが、一体どれだけの範囲が必要だというのだろう?

 相手の両親に、何を言われても怒らないようにしないといけないのは辛かった。喧嘩両成敗というが、離婚も同じではないだろうか。いくら一方的なものであっても、理由もハッキリせずの一方的は、卑怯とも言える。

 とりあえず、晴彦の家族については気にしないようにしていた。どちらも気にしていては、身体がいくつあっても持たないだろう。

 なるべく離婚は避けたかった。離婚というのが戸籍に傷をつけることになるからなどという理屈はどうでもよかった。ただ、自分としては、つい最近までの二人に戻れればそれでいいのだ。新婚気分をいつまでも続けていけると思っていたはずなのだから、元に戻れると信じて疑わなかった。

 だから、説得するにも、

「一時の気の迷い」

 ということを相手への説得材料に使ってしまう。それが相手には苛立ちを募らせるようだ。

「あなたには、いくら言っても分からない」

 という言葉は苛立ちから来るものに違いない。

 晴彦にとって、過去は未来への蓄積だという気持ちが強いのに対し、すでに過去は過ぎ去ってしまって、記憶の中に封印するものだとする相手の考え方の隔たりは。決定的な溝を作ってしまったに違いない。

「まだ、若いんだからこれからさ」

 すでに離婚を経験している知り合いは、簡単に言ってのける。無責任なセリフではあったが、下手な慰めよりも気が楽であった。

 若くして結婚し、

「こんなはずではなかったのに」

 と思っている人たちとは、明らかに違っている。結婚も早ければ離婚するのも早い。

――諦めがよく、考え方がドライなんだ――

 と言ってしまえばそれまでなのだが、晴彦にとって、それを羨ましいとは思わない。何と言っても別れは別れ、辛くないなどないはずだ。ただ、どうしてそんなに簡単に割り切れるのか。それが不思議で仕方がないだけだった。

 離婚を経験すると、人間というのは大きくなるものなのだろうか。

 離婚は明らかに負の要素である。前を進んでいたはずなのに、後ろに引き戻されるのだから、それまで見えていた光景とは全く違った風景が目の前に広がっている。

 今の時代は、離婚を一つのステータスと思う人もいるくらい、恥かしいものではない。自分も離婚となるまでは、

――離婚するくらいなら、結婚などしなければいいんだ――

 と思い、結婚相手は、慎重に選んでいたつもりだ。少なくとも年齢で結婚を決めたり、どこかで妥協しなければ、などという考えはなかった。結婚したいと思った時に、結婚したい相手に巡り合った。これほどのナイスなタイミングはないだろう。そう思うと、離婚などどこにそんな要素があるというのだろうか。晴彦は、本当に有頂天になっていたのである。

 離婚してからというもの、それまでの生活とは一変した。女の子にフラれることは、今までにも何度もあった。そのたびに、いつ立ち直れるか分からないと思うほど落ち込んでしまい、長い時には一年以上もの間、ショックから立ち直れないでいたのだ。そんな時、立ち直るには時間ときっかけが必要であることを悟ったのだ。

 離婚の痛手も同じことだろう。ショックから立ち直るためのきっかけは簡単に訪れるものではない。訪れていたとしても、立ち直れる機会を逸してしまっているのではないかと思うほどだ。それほどショックを背負ってしまうと周りが見えてこない。見えないまわりが晴彦のことをどう思っているかなど、想像できるはずもなかった。

 離婚の痛手は、寂しさだけではなかった。新たない旅立ちとして始めた生活が、一気に崩れてしまったのだ。寂しさよりも、そちらの方が、立ち直るためには時間が掛かる。容赦なく襲ってくる寂しさを避けながら、その時をじっと待っているしかない状況に、苛立ちは湧いてこない。

 苛立ちが湧いてくるほど精神的に活性化できていない。言い換えれば血液が逆流するくらいの興奮が、身体の奥から湧き出してくることがない限り、自分は生ける屍のようなものだった。抜け殻と化していた晴彦の心を癒すには。やはり女性でなければいけないという結論は、すでに出ていたのだ。

 異性を求めるのは、人間にとって、いや、動物ならば、同じことであった。本能として求めるもので、癒しはその付属のようなものだと思っていた。だが、それだとあまりにも寂しいではないか。ひょっとすると妻もその気持ちを察知して、晴彦の中にある冷徹な部分を垣間見てしまったのかも知れない。それならば、いくら口で言ったとしても、治るものではないだろう。

 離婚の痛手を解消するには、新しい恋で補うのが一番である。ただ、一度、恋愛の頂点ともいうべき、結婚を味わっているだけに、中途半端は却ってきつい。もう一度結婚したいという気持ちは、なかなか芽生えてこないだろう、

 結婚するにはきっかけと勢いが必要だ。離婚するのはエネルギーがいるが、きっかけや勢いは、結婚と比べて、それほど大きなものはなかった。

「新しい人を見つければいいんだ。僕はまだまだ若いんだし」

 という気持ちが、先に立っている時は、気持ちが自然と弾んできて。逆にネガティブな気分が先に立ってしまえば、自分がまだまだ若いことすら忘れてしまう。

 自分の若さが信用できなくなると、女性が寄ってこないのではないかという危惧に陥り、それが長いと、次第に、諦めの境地が芽生えてくるのだが、若さに自信が持てている間が、女の子を惹きつける唯一の力だと思っていた。

 晴彦は、今度は明るめの女の子を探した。控えめなところはいいのだが、笑顔に屈託のない顔の女性は、ウソは言わないと感じていた。ウソを言ったとしても、それは相手を思いやるウソで、本当は晴彦はそんなウソを簡単に許すことができない性格だったが、笑顔に屈託がないと、最後は許してしまい、許せなかった自分を忘れてしまうほどであった。

 晴彦にとって、笑顔の屈託のなさは、自分を癒そうとする相手の気持ちを一番分かることができ、

「気持ちが通じ合うということは、こういうことなんだ」

 と、感じさせるに至るのだった。

 晴彦がそんな女性と出会うまでには、それほど時間が経たなかった。彼女の笑顔を見ていると、自分がバツイチであるなど、忘れてしまうほどだった。

 晴彦にとって、バツイチと言われるのは、さほど気にならなかった。むしろ女性相手では拍が付くのではないかと思うほどで、一度結婚経験のある男性を好む女性もいるくらいだった。

 それは女性の方にも離婚経験者が多いくらいで、お互いにいた無傷のありかを分かっていることで、いたわり合えると思っているのだろう。

 悪く言えば、傷の舐めあいでもある。だが、晴彦はそれでもいいと思っている。傷の舐めあいからでも、愛は生まれてくると思ったからだ。簡単に別れることを経験した人は、次の恋愛では、なるべく長続きさせようとするのか、それとも最初の結婚で我慢しすぎた経験から、今度はあっさり諦めようとするのか、そのどちらかのパターンが多いことだろう。

 晴彦は、新しい彼女と知り合ってから、妻の面影をどうしても追いかけてしまうことを疑問に感じていた。

「やはり、自分にとって最高だと思った女性を妻にしたのだろうか」

 その思いに間違いはないだろう。だが、離婚してしまい、もう元には戻れないのだ。必死に苦しんだのが、元に戻れないという厳しい現実を受け入れることができるだけの人間ではなかったからで、付き合っていた女性と別れた時に感じる、やるせなさとは違っていた。

「どちらが辛いのか」

 と聞かれると、現実問題としては、結婚相手と別れた方である。こちらが世間一般にも言われていることで、晴彦にも反論はない。だが、付き合っていた女性と別れるのは、掛けたはしごを外された痛みというよりも、地面だと思って踏みしめて歩いていたところが実は落とし穴の隠された場所で、踏み出した足元が急に二つに割れ、奈落の底に叩き落された気分になるのが、失恋の痛みだった。

 いきなりだということも辛いが、足元が割れたことを意識しないまま気が付けば奈落の底で苦しんでいる自分を感じる。意識を失っていたと思っていた自分が、奈落の底から這い出そうと、必死になっているのだ。

 堕ちていく感覚を、最初は訳が分からず、次にスリルを感じる絶叫マシンのごとく、普段味わえない感覚を快感だと勘違いし、さらには恐怖がジワジワと湧き出してくる。

 すぐに湧き出さないのは、それを許さない急転直下の勢いがあるからだ。ただの想像にすぎないのに、夢であれば、味わうことすらできないだろう。夢は潜在意識の成せる業だと思うからで、想像以上のことはありえないと思うからだ。だが、恐怖を味わいことができないというのも、それが現実で、その時に考えるのは、楽しかった頃のことばかりであった。

 目の前のことを直視できないのは、まだ気持ちに余裕があるからなのかも知れない。どこかに甘えのようなものもあり、甘えが急転直下を受け入れないのだ。心のどこかで、修復は可能だと思っている。それは相手にある気持ちの余裕が、ハッキリと見て取れるからだ。

「離婚は、精神的なステータスだ」

 つまりは一つの気持ちの中での節目だと考えれば、少しは楽になれるかも知れないということだ。

 晴彦は、最近おかしな夢を見ることが多かった。夢というものは、目が覚めるにしたがって忘れて行くものなので、ハッキリとおぼえている夢の方が珍しかったりする。おかしな夢は、それだけインパクトが強いので、怖い夢として頭の中にインプットされていることで、覚えていることが多い。

 夢の中で感じる、「怖い」という感覚も、漠然としたもので、何が一体怖いのか、考えてしまうことがある。

 自分が想定していたことと違うことを夢に見たからだろうか? それとも、見ている夢の雰囲気が恐怖に満ち溢れていることを、そのまま恐怖だとして感じることもある。そのどちらも恐怖の元は現実世界で考えている、恐怖に対しての基準をオーバーしたかどうかということになるのだ。

 怖い夢を見ているという感覚の中で、自分の性格的なものや、自分の身に降りかかってくるものを怖いと感じる方が、晴彦には辛かった。今回見ている夢も同じで、身体から滲み出る汗の気持ち悪さで目を覚ましてしまうほどだった。

 晴彦は、夢の中でもう一人の自分を確かに見た。ただ、それが自分であるかどうかというのは、目が覚めるにしたがってあやふやになってくることで、ハッキリと自分だと言い切ることができない。

 その人物は、いつもニコニコ笑っている。自分が笑うことで、まわりも楽しい気分になることを知っている。

――見ているだけで考えていることが分かるのだから、やっぱりこの人はもう一人の自分なんだ――

 と感じた。

 もう一人の自分も、この世界で結婚していた。だが、今離婚騒動が巻き起こっているようで、そのあたりは、現実の自分と同じだった。

 不思議なことに、他のことならもう一人の自分の気持ちが手に取るように分かるのに、離婚に際して考えている自分の気持ちがまったく分からないのだ。

――他のことが分かっているので、すべてが分かるはずだという思い込みがあるから分からないのかも知れない――

 当たらずとも遠からじだと思っているが、それだけではないような気がする。本当であれば、もう一人の自分の存在が本当にあるとしても、そのことを意識させないようにするのが普通ではないだろうか。それを分からせようとするのは、何か別の力が働いているのかも知れない。

 離婚を目の前にしているもう一人の自分、どんな気持ちなのだろうか?

 気持ちを表情から思い知ることはできない。何しろいつもニコニコ笑っているのだからである。般若の面とはまったく逆のえびすの顔のその下に、どんな精神を宿しているのだろうか?

 一番分からないのは、晴彦本人に違いない。自分の顔だって、他の人は直接見ることはできるが、自分だけが、何かを写すものを媒体として通さなければ決して見ることができないのだ。精神状態も同じことなのかも知れない。

 もう一人の自分の存在など、考えたことがある人は少なからずいるであろうが、そのことをずっと頭の中に思い描いている人は、そうはいないだろう。皆考えるとしても一瞬のことで、すぐに忘れてしまうに違いない。

 もう一人の自分がいる世界には、こちらの世界と同じ人が存在している。離婚騒動が起こっている相手も、こちらの世界での妻だった……相手である。

 すぐにもう一つの世界での妻の性格を図り知ることができない。いくら自分とはいえ、まったく違った性格の自分の目を通して、相手を見ることができないからだ。もし見ることができたとしても、きっとまったく違った性格の相手を見ることになるのではないだろうか?

 自分自身性格が違っているのだから、目線がまったく違うはずだ。上から目線のこっちの世界とは違い、もう一つの世界の自分は、いつもへりくだっているようだ。

 だが、逆の見方も考えられる。へりくだって見えているように感じるからこそ、普段の目線と違っているという思い込みから、まったく相手が見えないのではないだろうか。視界が限られていることで、まわりを余計に隅々まで見ないといけないという本能的な意識が働いて、見えてくるものも見えてくるのではないかと思うのだった。

 妻は、こちらの世界と同じように、あまり目立たないタイプの人のようだ。客観的に見る限りでは、ほとんどこちらの彼女と変わりはない。そんな彼女は、一体自分のどこを好きになって結婚しようと思ったのだろう? こちらの世界の妻のことを分からないくせに、もう一つの世界の方が気になってしまうのは、おかしな現象であった。

「あなたって、どうしていつも、私を見てくれないの?」

 夫婦げんかの場面にいきなり変わった。普段からおとなしい彼女で、しかもこちらの世界の彼女は、黙ったまま自分の気持ちを押し殺し、最終的に爆発させたのだから、行動パターンとしてはまったく違っている。

「黙って離れていくのなら、罵声を浴びせられた方がマシだ」

 と思っていたはずなのに、罵声を浴びせられているのを見ると、それもかなり辛いものだと思えてならない。

――客観的に見せられるからかな?

 客観的には「見る」というよりも、「見せられている」という感覚の方が強い。それだけ、自分のことを分かっていないのか、もう一人の自分の出現で戸惑ってしまったのか、元々が

――自分のことは、そう簡単に分かるはずなどない――

 という考えが底辺にあって、それが普段は隠れた感情になっていることで、考えないようにしようとしていたのだろう。

 自分のことを考えないようにすると、見えていたものが急に見えなくなることがある。妻に感じていた思いが、急に何だったのか分からなくなったことがあったが、その原因が自分のことを無意識に考えないようにしたからだということに気付いたのは、偶然であった。

 世の中のことに失望した時期があった。別に直接的に自分に何かの危害が加わって、失望するだけのパンチを浴びせられたわけではない。溜まっていた何かが吹き出してきた感覚に近いものがあるのだが、ことの発端が夫婦げんかが元になっていることには違いなかった。

 一度心理学の話を聞いたことがあったが、夢は何かの箱に入っていて、表から覗いているようなものだと言っていたような気がする。難しすぎて、ほとんど理解できなかったが、理解できない頭の中で、何とか結びつけたのが、その思いだったのだ。

 心理学については、友達に好きな人がいて、いろいろ話を聞いたが、興味深いことも多かった。子供の頃にいろいろ考えていたことが、心理学上でもテーマとして存在していることには喜びを感じた。ただ、逆に言えば、自分以外でも感じる人がいるというのは複雑な気分だった。自分だけの世界を持っていたいと思っていたはずのものに、いくら偉い先生たちであったとしても、先駆者がいたことには、ショックを隠せない気分になっていたのである。

 それでも、相手は心理学者として名前を残している人たちだ。自分のようなものの考えであっても学問として立派に残っているであれば、やはり素晴らしいことなのであろう。

 学校で教えてもらえないようなことを、自分で考えて、そのことを誰かに話して評価してもらうというよりも、感心してもらうことが、至高の悦びなのではないだろうか。そう思っていると、誰よりも発想が豊かなのは自分なのではないかという思いを持つことも悪いことではないように思える。

 確かに自惚れには違いない。しかし自惚れであっても、自分のすべてを否定してしまうよりもいいだろう。

 自惚れであっても、自分の考えを信じることは大切で、そうでなければ、人と対等に話をすることなどできるはずなどない。ましてや人を説得するなどというのは、実におこがましいことである。

――夢の世界であっても、自惚れであっても、自分の中だけで収めておくことのできないものだ――

 という考えがあるからであろうか、もう一人の自分がいる世界などという発想を思いつくようになったのは……。

 自惚れが強いのは、晴彦の中で感じていたことだった。そのくせに、まわりの人よりも自分が一番劣っているのではないかという思いがあることも否定できない。

 そんな極端な考え方をしている自分が、たまにおかしく思えてくることがある。自分のことを振り返ることは嫌いではないが、そのたびに、それぞれ極端な自分を嫌いに思えてくる。

――振り返らなければよかった――

 と、何度感じたことだろう。

 晴彦にとっての夢と現実は、他の人が考えている夢と現実への感覚とは少し違っているのかも知れない。

 人と、本当は夢と現実について話をしてみたいと思うのだが。話しかけるのが怖い。中には、

「話しかけてくれるのを待っていたんだ」

 と言ってくれる人もいるだろう、だが、ほとんどの人は、

「何バカなことを言っているんだ」

 と言って、少なくとも心の中だけでも嘲笑っていることだろう。

 夢の世界の自分が、どうして今の自分と同じように離婚しなければいけないのか分からなかった。どうやらもう一つの世界での自分は正反対の性格のようである。それなのに、なぜ離婚などという事態になっているのか? よく見ていると、それも不思議なことではなかったのだ。

 離婚を言い出したのは、自分の方だった。

 こちらの世界の自分が離婚を言い出すなどありえないことなので、どうしてなのか分からない。どんなことがあっても、妻を手放したくないという思いは同じはずなのに、いとも簡単に離婚を考えるなど信じられなかった。

「いとも簡単に考えていたわけではないさ。これでもいろいろ考えて悩んだりもしたんだぜ。そっちの世界のお前との違いは簡単さ。どこで妥協できるかの違いにあるのさ。途中までは同じであっても、途中からまったく違っている。お前は違ったところからしか見えていないので、どうしても不思議で仕方がないのさ」

 そう言って、こちらの私に話しかけてくる。

「なるほど、確かにどこで割りきるかということが大切になってくるというものだ。僕もその考えを持ってはいるが、具体的に考えたことはなかったな」

「そこも大きな違いさ。具体的に考えるのがこの俺。お前は具体的に考える前に、いつも何かに迷っているだろう? それが俺とお前の大きな違いなのさ」

 と話しかけてくる。

「自分のことは自分が一番よく分かるはずだということか」

 そう思うと、夢の中でもう一人の自分が現れるのが怖いと思う理由が分かったような気がした。

 なるほど、自分だからこそ、自分のことが一番よく分かるということなのだ。

 夢の種類には、怖い夢と、怖くない夢がある、その違いは何かと言えば、

「もう一度見たいと思うのか、それとも二度と見たくないと思う夢なのか」

 ということであろう。

――中途半端な思いはそこには存在しない――

 夢の世界を垣間見ることができる時がいつだと言われれば、邪推になってしまう中途半端な気持ちを捨てた時である。そう思うと、夢の世界から目が覚めてくるにしたがって、すべてを忘れようとしている作用がそこにあることをイメージできる。

 晴彦は、夢の中で離婚したくないという思いが、自分から離婚を言い出すことで、どう意識の変革が起こるかということを見極めようとしているのかも知れない。

 離婚を言い出したことで、相手に対して自分の気持ちがハッキリと分かっているはずだ。今の自分は相手に先に切り出されて、戸惑うだけであった。離婚しなければならない理由を見極める前に戸惑いが走ってしまっては、すべてを見失ってしまっても仕方がないことではないだろうか。

 元々、離婚と言われて、戸惑っている間でも、

――離婚などということが、本当に起こるなど信じられないと思っていたが、最初から分かっていたことだったように思えてくる――

 と感じたことがあった。

 すぐに打ち消したのだが、そう思ったことは事実で、どこまで離婚に対して覚悟があったのかと言われれば、

「まったくなかった」

 としか言いようがない。離婚などというものは、まったく別の世界で起こっている出来事のように思っていたことで、油断もあれば、

「嫌なことはなるべく考えたくない」

 という思いが働いていたのも事実である。

 離婚に対して余計なことを考えたくないという思いを「つけ」として残してしまったのであれば、それは晴彦にとっても罪だったのかも知れない。

「こういうところが、妻には嫌だったところなのかも知れないな」

 という思いもあった。

 自分の悪いところなど、いろいろ見ていると見つかるものなのだろうが、こと離婚という重大事件に関しては、そう簡単に割り切れるものでもない。

 もう一つの世界での晴彦は、離婚を言い出したのは早かったのに、なかなか離婚が成立しないことに苛立ちは持っていない。それは、こちらの世界で、離婚を宣告されて戸惑っていた晴彦とは別に、まったく焦ることのなかった妻と同じである。

 その時、晴彦は妻に対して、

――戸惑っている僕を見て、楽しんでいるようにしか見えない。こんなサディスティックな性格のオンナだなんて思いもしなかった――

 と、感じていた。

 サディスティックな性格のオンナは好きではない。男としてのプライド、あるいは、女に対して持っていないと思っていたはずの男尊女卑の考え方。そのどちらもが顔を出したのだ。

 男尊女卑の性格を自分が持っていると気付かされたのはショックだった。だが、妻を見ていると、それも仕方がないと思えてきた。男との決定的な性格の違いを思い知らされたことで、男の辛さ、そして、それに対してどれほど女が甘く見ているかということを感じたからだ。

 離婚ということになると、どうしても、相手を蔑んでみることで、自分を正当化させないと、自分が惨めになるだけだという感覚がある、そのため、晴彦は自分の気持ちよりも相手をいかに蔑むかということも考えないわけにはいかなかったのだ。

 そんな自分が嫌だったのも事実だ。人のせいにして自分を正当化するなど、男のプライドという意味では、してはいけないことにも思える。しかし、そうでもしないと、この局面を乗り切ることができない。そう思うと、やりきれない気持ちの中で、二重人格ではないかと思う自分が顔を出すのだ。

 もう一つの世界での妻は、最後開き直って、離婚に応じた。その気持ちが一番よく分かるのは、何を隠そう、自分ではないだろうか。とは思ったものの、妻の気持ちが分からない。

 それは、妻の顔を見続けていたからだ。

 こちらの世界の妻の落ち着きはらった表情、さらに、離婚となった時の、さばさばした表情は、それまで一緒に暮らしてきた相手に対しての冒涜としか思えない。明らかに愛想を尽かしたその顔は、それまで感じたことのない、思い切りの上から目線であった。

 上から目線の妻を見た時、

――一番付き合いやすく、誰よりも自分のことを分かってくれていると思った相手は、これほど話しかけるのも恐ろしい相手に豹変するなど、考えたこともない――

 と思わせたほどだ。

 もう一つの世界の妻の表情は。完全にうろたえていて、見ていて可哀そう以外の何物でもない。同じ自分であるとはいえ、ここまで彼女を苛めなくてもいいのではないかと思うほど冷酷であった。そして、できることなら、もう一人の自分と入れ替わりたいと思う気持ちを持とうとした時、

「それはいけない」

 と制する声が聞こえた。

 その声は男だった。

 少し籠った声ではあるが、どこかで聞いた声、あまり好きではないその声の主が誰であるか、しばらくして気付いた。

――これは僕の声――

 晴彦は、自分の声が好きではなかった。鼻に掛かったような声で、まるで人をバカにしたようにも聞こえてきそうで気持ち悪かったのだ。

 だが、人によっては、この声が好きだという人がいる。

「物好きもいるものだ」

 と思っていたが。実際には他にも晴彦の声が好きな人がいるようだ。

「お前の声は声優に似ているんだよ」

 子供に人気の声優の名前を出されたが、自分にはピンと来なかった。

「そんなに似ているとは思えないがな」

 顔は自分で見るには鏡のような反射物を見ないと見ることができない。声の場合も録音機でもなければ、聞くことはできない。それを思うと、晴彦は自分の声を聴いたことがなかったことを思い知らされた。

 自分で感じている声に比べて、少し高い声で、しかも籠っている。一番自分が嫌いに感じる声であることを実は前から気付いていたように思えたのは、声優に似ていると聞かされたからなのかも知れない。

 その声がもう一人の自分で、自分を入れ替わることを否定しているのは、今に立場に満足しているから、まったく逆の人生を歩みたくないという気持ちの表れであろうか?

 いや、もう一人の自分に入れ替わることを考えた時、最初は、

――どんなにいいだろうか?

 と思ったが、同じ人間なのだとすれば、確かにその場面で入れ替わってしまえば、しばらくはいい思いをできるかも知れないが、そのうちにボロが出てきてしまう。要するにその人が歩んできた人生をお互いに知らないからだ。

 まったく同じ人がそれぞれの世界にいたとしても、自分一人だけでも、これほど違う人生を歩んでいるのだ。自分だけが、違う世界を形成しているとか考えられない。もしそうであるとするならば、根本的に見ることができない世界でなければいけないはずだ。

 しょせん夢の中の妄想だと思うこともできるが、考えているうちに発想は一つの結論に繋がっているようだ。どこまで繋がっていくのか、晴彦はそれ以上余計な想像してはいけないように思えた。

 だが、離婚したあとのことは分からない。夢の中ではなく、自分ではない話として想像することはできるのだろう。だが、そこに信憑性は感じられない。もう一人の自分の世界は、一つしかないのだろうか?

 一つの世界の中で、たくさんの人が犇めき合うように生きていることが、もう一つの世界を知ったことで、感じるようになった。いくら向こうは同じ自分であるとはいえ、自分が違うのか、それともまわりの環境が違っているのかで、赤の他人の出来事のように思えてくるのだった。

 晴彦が今の世界で生活していると、時々、誰かに見られているような視線を感じることがあった。その視線は、上の方から見られていて。まるで落とし穴に落ち込んだ人間を、上から覗いているような感覚である。箱庭のような限られた世界を、さらにまわりに存在する世界が見つめているようにも見えるのだった。

 もう一つの世界の存在を、心の中でウスウス気付いていたような気がする。気付いたことで、心の中で、してやったりだという気持ちもある。だが、不安な気持ちに拍車を掛けたのも事実で、自分が絶えず何かの不安に苛まれて生きていることを、今さらながらに思い知らされたのだ。

 その後の二人がどうなったのか、勝手に妄想を始める自分がいた。垣間見ることはできなくても、妄想くらいはいいであろう。妄想も、

――過ぎたるは及ばざるがごとし――

 ということわざにもある通り、深く考えすぎると、却って考えが及んでいないことに気付かないまま、迷走してしまうであろう。特に、同じ顔をした外見上まったく同じに見える自分で、他の人からは見わけがつかないはずなのに、自分だけには違いが分かる。そんな自分を初めて見た時の驚きは、他の人では絶対に分からないだろう。

 まったく同じシチュエーションであっても、驚きは他の人と違っていて、個人差の激しさが、モロに出てしまうのではないかと思えた。

――僕の場合の驚きは、ひどいものなのだろうか?

 自分では、かなりのものだと思っているが、他の人と比較ができないだけに何とも言えないところだ。他の人との違いをあまり考えたことがないだけに、初めて考えることが、ひどいショックを受けたことだけに、言葉も出ない状態になっているのだった。

――もう一つの世界の自分も同じことを思っているのだろうか?

 何よりも、相手がこちらの世界のことを認識しているかどうかである。晴彦の考え方としては、こちらが覗いたのと少しずれた時間に向こうも覗いているのかも知れない。ひょっとすると、それぞれの世界に時間のずれが発生したことで、その歪みが、それぞれの世界を見せる効果に繋がったのかも知れない。

――この世界は、本当の現実なのだろうか?

 と、時々考えることがあった。

 もちろん、何かのきっかけがなければ考えることもないのだろうが、晴彦の場合は離婚がきっかけになって、見ることのできなかったものが見えてきたように思えた。実に皮肉には感じるが、離婚を悪い方にばかり考える必要もないのだという、警鐘なのかも知れない。

「偽り」が存在するとするならば、一体どちらの世界なのだろう……。

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