第2話 きっかけ

 喫茶店に通うことが好きな人は、何を楽しみに行くのだろう?

 店の中で本を読んだりする一人の時間を楽しみにする人であったり、常連になって、他の常連客との会話に花を咲かせることを楽しみに行くのだろうか?

 山田明美は、一人の時間を楽しみに、通う店を決めていた。いくつか馴染みの店を持っている人に限って、それぞれの店で見せている顔は、多種多様である。他の店で見せる顔は、まったく想像のつかないものであるに違いない。

 学生時代に本を読むようになってから、通い始めるようになった喫茶店。高校時代から馴染みの店を持っていたが。誰からともなく聞こえてきた噂は、

「高校生のくせに、一人で喫茶店に入り浸っている」

 というものだった。

 数人で連れ立って、ゲームセンターに立ち寄る人たちとは、明らかに違う目で見られていた。彼らの方が、まだまともに見られているようで、明美にとっては、さぞや理不尽に思えているのだろうと思っていたが、実際には、それほど明美は気にしていないようだった。

「よほど、気持ち悪いと思われているようだわ」

 と、明美は感じていたが、普段から暗い素振りを見せている明美には、まわりが何と言おうと気にならない性格になりつつあった。

 本を読むことは、中学時代までは嫌いだった。一番の理由は「じれったい」ということだった。本を読んでいると眠くなるのも、そのせいだと思っていたが、じれったさというよりも、本で読むより、テレビや映画の方が、ビジュアルに訴えることができ、入ってくる情報を素直に見ればいいだけなので、楽である。ものぐさだというよりも、早く結論を知りたいという思いが強い。それは小学生の頃の国語のテストに起因しているかも知れない。

 決まった時間内に問題を解かなければいけないというプレッシャーが、問題文をまともに読めないような焦った気持ちにさせていたのであろう。

 小学生の頃は国語が一番嫌いだった。文章を分解して、やれ文法や、掛かり言葉のような考え方に、虫が好かない思いをしていた。

 今から思えば、文章が好きだったからだろう。好きな文章を切り刻むような真似をして、せっかくの自由な発想が立ち回る余地を与えない国語が嫌いだったのだろう。

 算数のように答えは決まっていても、導き出すプロセスは、理論にあっていて、答えが正確に導き出されているのであれば、それはすべて正解であった。国語のようにあやふやなものではない、誰が正否を見極めるのかということも大きな問題であろう。

 それでも明美は中学時代の友達に、ミステリーが好きな人がいて、時々、ミステリー談義を重ねたものだ。

 その女の子は杉村愛里といい、愛里は国内のミステリーの代表作をほとんど読破していた。

 ミステリー雑誌にも投稿し、投稿者の中で競うコンテストにも入賞したほど、ミステリーの批評に関しては、プロ並みと言えるだろう、

 ミステリーの中でも、彼女が好きなのは、昔の話だった。戦前、戦時中、戦後と、昭和前半の社会を描いた小説に造詣が深かった。

 明美も、愛里の影響で、ミステリーを読むようになった。しかも戦前からの話を集中して読んでいた。

 今とまったく違う時代。まったく想像すらできないであろう時代への思いは、本を読んでいく中で、いつも気になっているのが、大きな屋敷が出てくる場面と、交差点であった。そのどちらも戦前の時代を象徴する小説には不可欠で、そのどれもは、現代とは違った佇まいを見せている。

 大きな屋敷などは、今はほとんど見ることができない。屋敷の中に生え揃った緑の世界は、想像というよりも妄想の中にしか浮かんでこない。妄想だということは、浮かんでくる光景が一つしかないということでもあった。

 愛里が大きな屋敷に住んでいた記憶があるという話をしていたのを思い出した。

 大きな屋敷に住んでいたのは、小学生の二年生の頃くらいまでであったか、記憶は定かではないということだ。

 大きな屋敷を思い出す時には、いつも頭痛が伴っている。頭痛とともに汗も出て来て、身体の奥から微熱が出てくるのを感じていた。

 身体の節々が痛く、背筋や腰に痛みを感じる時は、寒気を伴い、風邪をひきかけているのを感じることができる。

 大きな屋敷に住んでいる時は、いつも体調を壊している感覚があった。

「ひょっとしたら、子供の頃は身体が弱くて、別荘に療養にきていたのかも知れないのよね」

 と言っていた。

 その言葉を聞いて明美は、自分の子供の頃を思い出す。大きな屋敷というわけではなかったが、やはり同じように身体を壊すことが多く、田舎町に療養に出ていた時期があった。そう思うと、お互いに小さい頃は似たような境遇だったことに気付く。

 お互いが友達になったのは、中学に入ってから、同じ小学校から皆来るのだから、小学生の頃も知っていて当然なのに、知らなかったというのは、それだけお互いに気にすることがなかったというべきか、それともそれぞれ、まったく違った世界を見ていたことで、意識することもなかったのかも知れない。

 子供の頃から、体調を壊しやすかった明美は、頭痛と腹痛に悩まされていた。頭痛は吐き気を伴うもので、腹痛は、夜寝ている時に起きるのが多かった。その時にいつも何か夢を見ていたような気がする。激しい腹痛であれば夢を見ていたことすら覚えていないであろうが、じくじくと痛み始めたお腹が、夢の中を次第に圧迫させていたことだけは、夢を覚えていなくとも、意識の中で忘れることはなかったのだ。

 子供の頃に、よく出かけていた診療所があった。そこは自分が治療を受けるものではなく、祖母が出かけていたところで、いつも付き合って行っていた。

 まだ、十歳にもなっていなかった明美は、いくら祖母が一緒であるとしても、親以外と出かけることなどなかったのに、

「一人では行きたくない」

 という祖母の願いを両親が聞いたもので、母親が付き添っていくのは、どうしても嫌だったようだ。本当は祖母が嫌がったものだったのに、記憶の中では、母が一緒に行くのを拒んでいたということしか意識として残っていない。

 その診療所は、海が近くにあったのを覚えている。

 裏には小高い丘があって、丘に向かうには、電車の線路を越えなければならず、診療中の人は、ここでは缶詰だった。

 祖母は、患者というよりも、患者仲間に会いに行っているようだった。明美は、どうしてそんな祖母に付き合わなければならないのか、不思議で仕方がなかったが、実際に付き合ってみると、違和感はなかった。

 中にはいかにも精神に異常をきたしている患者もいるのが分かっていたが、近寄らなければいいだけで、祖母のそばから離れなければ、それでよかったのだ。

 同じくらいの女の子がいるのに気付いたのは、何回目に訪れた時のことだっただろう。その子も患者というわけではなく、家族の付き添いだったようだ。一人家に置いておくわけにはいかず、親が連れてきたというのが正直なところであろう。

 話し相手もおらず、どうしていいか途方に暮れていたところだったので、話し相手ができたことは嬉しかった。学校ではいつも一人。まわりから煙たく見られていた明美には、本当にありがたかったのだ。

 まず学校の話から始めたのは、彼女の方だった。名前を聞いた気がしたのだが、記憶にはない。本当は聞かなかったのかも知れないと思うほど、お互いに名前を気にしていなかったのだ。

――確か、芸能人に似たような名前の女の子がいたような気がするな――

 と思ったが、それ以上記憶する力が、まだ幼さの残る明美にはなかったのだった。

――そういえば、色が黒かったような気がする――

 色が黒かったことで、海の匂いを思い出させる。日焼けで健康的な肌は、子供であっても、大人の魅力を引き出しているようで、

――この診療所には似合わないな――

 と思えてならなかった。

「あなたも、ここに来るような人じゃないわね」

 一見異常に見える人も、この異常な環境の中にいると、本当は一番まともなのかも知れないと思う。では、まともにしか見えない人は、やはりどこかがおかしいのではないかと思えてならなかった。

 診療所というところは、精神に異常が見られる人がいるところだという固定観念を持っていたが、それが大間違いであることに、すでに分からされたのである。

 お互いに自分のことが一番まともだと思っている。実はそれが一番危険なのかも知れないと思ったのは、大人になってからだが、そのことに気付かせてくれたのは、ここの診療所を子供の頃に訪れたという経験があったからなのかも知れない。

 その時に出会った女の子の雰囲気を忘れられないでいると、その時の女の子に雰囲気が似ている女の子が転校してきた。それが、杉村愛里だったのだ。

 愛里は、最初から友達に馴染もうとせず、せっかく話しかけてくれる女の子に対して、積極的に笑顔を見せようとしなかった。そのせいで、相手にされないのはおろか、よからぬ噂まで立てられたりして、自分から、立場を悪くしていた。

「私は、人に媚を売ってまで、仲良くしてもらおうとは思わないのよ」

 と嘯いていたが、普通に話をするのには、別に角が立つわけではない。人と一緒にいることが煩わしいと思っているのか、相手が男であっても女であっても同じで、相手によっては露骨に嫌がっていた。

 愛里の場合、人の好き嫌いがハッキリとしていた。自分を見る目を敏感に察知し、自分に対して嫌な雰囲気を感じながら、それを隠そうとする人は、誰に対しても同じような態度を取っているのが分かることから、相手を完全に信用できない。元々自分を信用できないと思っている愛里は、人のことも完全に信用していない。露骨に態度に出てしまうことで損をしているのだろうが、本人は、それでもいいと思っている。

 愛里は、中学生にしては、身体が大人だった。しかもグラマーな体型は、思春期の男子にとっては、たまらない魅力に見えたに違いない。嫌というほど、男性の厭らしい目つきを浴びせられたら。恐怖心が先に立ってしまうことから、ついつい人を避けるようになっていた。

 愛里は、自分が子供の頃に連れて行かれた診療所の話を聞かせてくれた。もし、自分から話してくれなかったら、愛里がその時の女の子だとは思わなかったに違いない。

――何となく似ている――

 と思っても、ハッキリとした確証がなかった。

 どうして愛里があの時の女の子だと感じるに至ったかというのは、顔の特徴にあった。

 丸い顔に、少し太めの唇。それ以上に一番大きな特徴は、クリっとした大きな目が、怯えを帯びていて、そこが特徴だということを、子供の目が覚えていたからだ。子供の目だと言って侮ってはいけない。意外と正確な捉え方をしているからである。

 友達になるきっかけは、いろいろとあるだろう。

 ミステリーが好きだということで友達になったのだが、それだけの友達だったら、子供の頃を思い出したり、診療所のことを思い出したりしなかっただろう。昔のことを思い出したことで、さらに愛里のことが気になり始めた。

 明美が一人で喫茶店に行くようになったのは、愛里と知り合う前からであったが、馴染みの店を見つけたのは、愛里とミステリー談義に花を咲かせるようになってからだった。

 愛里と二人で行く店も決まっていた。駅前の喫茶店で、よく待ち合わせをした。その店が二人だけの馴染みの店として定着したのだ。パスタのおいしい店で、ここも常連客が多い。駅前ということもあって、待ち合わせが多いのか、常連客の多くは、一人で来るというよりも誰かと一緒が多い。アベックが多いことで、一人の常連客は、なかなかいつかないのかも知れない。

 店の雰囲気は明るく、待ち合わせにはもってこいだ。だが、明美にはどうにも馴染めないところがあった。きっと一緒に愛里がいなければ、ここに来ることはないだろう、

 明美が常連になった喫茶店に、もし愛里が入ってきても、明美がいることに気付かないかも知れない。それだけ一人だけの世界での明美は、普段と違っているのだ。雰囲気も違えば表情も違う。この店の常連になったことで、まわりを見る目が変わってきたと言っても過言ではなかった。

 ある日、明美は、壁に掛かっている絵を見て、

――どこかで見たことがある――

 と感じた。

「この絵、気持ち悪いわね」

「なんだか、冷たさを感じるわ」

 という会話が頭を過ぎる。

 以前、違う喫茶店で、これとよく似た絵を見た気がしたのだが、その時に二人の女の子が絵を見て話しているのを思い出していた。

「冷たさって、どういうこと?」

「何か、重苦しいものがあるのよ。きっと、このあと、すぐに雨が降ってくるんだわ」

 二人の女性が絵を見て会話していた。近くの女子大生と言った雰囲気の二人だったが、絵を気にし始める前は、アルバイトの話や、付き合っている彼氏の話題など、いかにも女子大生の会話をしていたからだ。

 それなのに、絵を気にし始めると、二人の会話は急にかしこまったようになり、神妙な目で見つめる絵を、明美も一緒に見つめていた。

 絵を上下に半分に割ると、少し下の部分に地表があり、横を半分に割ると、真ん中よりも少し左側に一本の木が植わっていた。

 小高い丘のようになっているところに一本の木が植わっていて、その隣には、安楽椅子のようなものが置かれている。この絵に感じるイメージは、

「だだっ広さ」

 というイメージだった。

 絵の中に人は登場しない。上半分は空になっていて、背景に山がそびえているわけではない。真っ青な空が水平線から伸びているのだ。太陽が照り付けている雰囲気も感じない。女性二人の会話の中にある「冷たいイメージ」というのは、太陽を感じさせず、真っ青な空に対して感じたことではないかと、明美は思えたのだ。

 この二人の女性の会話を聞いていると、どこかおかしな雰囲気を感じた。常識とは少し趣きの違う会話で、

「ピカソの絵を思わせるわ」

「どこが? あの人の絵というと、人には分からないような絵を描く人の絵だってイメージが強いのに。この絵は、本当に単純に描いているだけじゃない」

「そう? 私には、裏にいろいろ見えるんだけど?」

「いろいろというと?」

「そうね、ここに一人の男性が佇んでいて、誰も座っていない安楽椅子をじっと眺めているのよ。しばらくして男の人はいなくなったかと思うと、安楽椅子に一人の女性が忽然と現れて座っているの」

「絵に流れがあるというの?」

「だから、イメージというのかしら? いろいろなイメージが思い浮かぶことから、まるでピカソだって言っているのよ」

――絵の世界をあまりよく知らない人が、絵を見て不思議な感覚を覚えた。その不思議な感覚を表現するのに、ピカソという人物を使った――

 そういうことなのだろう。

 絵を見て神妙になったのは、それだけ二人に絵は何かを訴えたに違いない。それは、同じように見ている明美とはまったく違った感覚だ。その感覚を与えたのは絵までの距離なのか、それとも角度なのか、少しでも違えば、感じ方がまったく違うように思えてならなかった。

 その絵のことを考えていると、何か不思議な胸騒ぎを覚えたのだ。

 その絵を最初に見て、女たちが絵のことを話し始めたのが、十日前くらいだったであろうか。それまでにこの店には四回ほど来ているが、絵が気にならなかったことはない。毎回本を読みながら見つめていると、絵が迫ってくるような感覚に陥った。

「絵の中に何かがいる」

 と思うこともあったり、

「以前にも同じ絵を見たことがある」

 と思ってみたり、あるいは、

「これと同じ絵を、将来、違うどこかで見るような気がする」

 ということであった。

 そのどれもが、過去に起こったであろうこと、未来に起こることを感じさせるもので、その時に絵にだけ注意を払っていてはいけない気がしていた。

 過去のことであれば、その時にひょっとすると、他に何か大きな出来事があったのかも知れない。だから、絵を見たはずなのに、見たことすら覚えていないのだ。それが何だったのか覚えていないのも、絵の魔力に知らず知らずに引き込まれていたからなのかも知れない。

 妙な胸騒ぎがしたのは、その時だけではない。明美には妙な胸騒ぎを覚えるくせのようなものがあった。それが身についたのは、診療所に祖母に連れられて行ったあの時からではないだろうか。

 診療所には、ビジュアルを感じさせるものは何もなかった。テレビもなければ、絵一枚も掛かっていない。そのことに明美は気付いていた。気付いていて誰にも気づいていることを言わなかった。もちろん祖母にも、診療所の人に聞くこともしなかった。家に帰ってから両親に話すなどということは、もちろんなかったことである。

 両親に対しては、診療所のこと以外でも何も話をしない。話をしても、まともに相手をしてくれるわけもなく、黙っているだけだった。何かを話すとすれば祖母にだけなのだが、明美にとって、祖母は駆け込み寺のようなものでもあった。

――両親に話すことのできないことを祖母が受け止めてくれる――

 祖母は、期待している答えを返してくれるとは限らない。ただ、黙って聞いているだけの時もある、

 両親に話すのが嫌なのは、何も返事が返ってこないからだが、同じ返事が返ってこないと言っても、祖母を相手に話をするのとでは、まったく違った。

 まったくリアクションが感じられない両親に対して、祖母はニコニコ笑顔が絶えなかった。返していい返事と、黙って聞いてあげるだけでもいいことの判断を祖母は分かっているのだ。

 両親を見ていると、永遠に交わることのない平行線を感じる。まったく感じられないリアクションは、どこまで行っても、まったく同じで、たまに目が合えば、吸い込まれそうな大きな目で、見下すような態度で睨みつけられると、恐怖以外の何物でもない感覚に陥ってしまう。

「これが本当に自分の親なのか?」

 と疑いたくなるくらいで、まだ、十歳にもなっていない女の子には、恐怖以外に感じるものはない。

 ただ、両親のこの目も、将来どこかで見るような気がした。胸騒ぎのもう一つの理由は、この目のために、将来にわたって苦しめられる気がしたからなのかも知れない。

 この目を自分に浴びせる相手が、両親かどうか、分からない。上から目線で見下ろされて、逃れることのできない感覚は、檻の中に閉じ込められたというよりも、もっと身動きのできないものの中に押し込められて見下ろされる感覚だ。

 その時に見ている相手が、本当に自分を一人の人間だという目で見ているのかどうか、それが不安に陥る胸騒ぎの正体だった。

――ひょっとして、両親は、私を一人の人間として見ていないのかも知れない――

 そんなバカなことはないだろう。

 だが、両親が明美のことを、見下ろすような目で見ていたのは、祖母が診療所に通うようになってからの数か月間だけだった。それ以降は、あまり優しいというわけではないが、最初の頃のような胸騒ぎを引き起こすほどの、見下ろすような目つきはなかった。見下ろす目つきがなくなってから、その目つきの本当の恐ろしさが、突き刺すような痛みを感じていたことだったのだと気が付いたのだ。

 祖母の笑顔に癒されていたわけではあるが、胸騒ぎは取れなかった。胸騒ぎは祖母に対して起こるもので、

――祖母から嫌われたらどうしよう――

 というような胸騒ぎではなかった。祖母がいなくなった後の自分を憂いているのであって、一人になることの恐怖を、最初から抱いていたのである。

 祖母が死ぬことを考えていたわけではない。どこか、明美の知らない土地に行ってしまうという意味で、それは死というイメージではなかった。

――子供なのに、死のイメージを知っているわけもないのに、どうして、違いが分かったのだろう?

 これから感じるであろうことを、予知できる何かを明美は持っていたのかも知れない。だが、それも今だから思うことで、その時に感じたわけでもなく、実際にいろいろ分かってくるようになると、予知なるものを自分ができるかも知れないなどという感覚は、まったくなかったのである。

 祖母が実際に診療所に入院したのは、それから少し経ってのことだった。両親が祖母の見舞いになど行くはずもなく、明美は祖母の面影を追いかけるつもりで、毎日学校の帰りに、家の近くの河原で、日が暮れるまで佇むようになっていった。

 沈む夕日を見るのは、最初神秘的で、夕方のこの時間が一日の中で一番の楽しみになっていった。

「おばあちゃんも同じように夕日を見ているのかな?」

 沈む夕日が毎日大きさが違っているのではないかと思いながら見ていると、時間を感じさせないように、静かに過ぎゆく時間を、爽やかな風のように感じさせる何かが存在しているようだった。

 夕日に照らされた場所は、小さな塵が舞っていた。金色に光っていて、動きがゆっくりで、止まって見えるほどだった。

 中学の修学旅行での宿のお土産屋を思い出していた。小さな筒のような中に水が入っていて、その中に金箔が泳いでいるのを見ると、とても綺麗なものを見たと思った。近い将来に、同じ光景を見ることになるのを予感できたが、お土産物屋だとは思わなかった。修学旅行に行くまで、家族で旅行に行くなどないことだったので、宿のお土産屋などという光景を想像することもできなかった。

 修学旅行の時は、まわりの背景をわざと黒くしていたことで、金箔の光を巧みに演出できていたが、河原で見る空気の塵は、本当の天然ものだった。神秘性はいかにもこちらの方があるのだった。

 おばあちゃんのことを気に掛けて河原に一人佇んでいると、おばあちゃんから聞かされた話をいろいろ思い出していた。

 妖怪の話だったり、昔の怖い話など、おばあちゃんの得意とするところだった。明美が怖がるのを見て、なるべく怖くないように話してくれるが、それでも怖いものは怖かったのだ。

 そんな中で夕凪に出会う妖怪の話は印象的で、今でも時々怖くなる、夕日を見ながら佇んでいる時間がいいのだが、夕日が見えなくなってからの時間は、恐怖がじわじわと襲ってくるのを感じていた。

 恐怖が一気に襲ってこないからまだマシだと思っていたが、じわじわ襲ってくる恐怖の方が、怖いのかも知れない。

「恐怖とは、自分の中にこそ存在する魔物が現れる瞬間だ」

 という話をしていた人がいた。何も分からない十歳にも満たない女の子にそんな話をするのだから、その人も相当変な人だったのだ。

 祖母と一緒に行った診療所で、祖母とよく話をしていたおじいさんから聞かされた言葉だった。訳が分からないまま覚えていたが、妙に気になったからこそ、忘れずに覚えていたのだろう。

 確かに大人になって考えれば分からない理屈ではないが、自分の中にだけ存在するというのが不思議だった。

 恐怖は誰もが味わうものであるのだから、自分の中にだけ存在しているものであるならば、それは一人に対して一つは存在していることになる。

「ということは、人の数だけ魔物がいるんだ」

 似たものを創造したとしても、まったく同じ人がいないのと同じで、創造物も同じことはありえない。そう思っていると、明美の中に、もう一つの仮説が生まれた。

「魔物というのは、もう一人の自分なのではないだろうか?」

 と考えれば、少し辻褄が合ってくるように思えた。

 眠っていて見る夢の中で一番怖いと思っている夢は、

「もう一人の自分が出てくる夢」

 これは自分だけではなく、友達と話をした時に同じようなことを言っていた人がいた。あまりまわりの人と意見の合わない明美だったが、その時に意見が合致したことで、夢に対して印象的な事柄として頭の中に残っていた。

 夢の気持ち悪さと、決して忘れることのできないものは夢には存在しているということを、その時に初めて感じたような気がしたのだ。

 明美にとっての祖母は怖い話をしてくれる存在であり、怖い話は、魔物へと通じるものがある。

 魔物は、絵の中に見た記憶が残っていた。それは愛理とよく行く喫茶店で見た絵に感じたものが一番近い印象で残っていたりする。

 明美は、中学時代に昼夜逆転の生活をしていたことがあった。最初は深夜放送のテレビを見ていて、夢中になって眠れなくなった。夜眠れないものだから、昼はいつも学校で居眠りをすることになる。

 途中から、わざとらしいとも思われたが、保健室のベッドで寝ていたこともあった。保健の先生は黙っていてくれたが、他の人にはどのように写ったであろうか。さぞやしらじらしいと思っていたに違いない。

 保健室で寝ていると、またしても怖い夢を見てしまう。怖い夢と言っても、妖怪や魔物の類が出てくるものではなく、眠れないと思っている自分が出てくる夢だった。

 夢の中で必死で眠ろうとしている明美は、汗を掻きながらうなされているのを感じた。眠ろうとすればするほど、苦悩の色が寝顔に浮かぶ。本当に怖い夢を見ているという時は、こんな表情をしているに違いない。

 ということは、夢を見ているその時に、感じる恐怖は、自分の中から出てきたものなのだろう。夢というものが潜在意識の見せるもので、潜在意識の外にあるものは決して見ることはない。怖い夢を見るのであっても、それは信じているから見るのだ。

 そういう意味では、夢の中の発想には限度がある。夢を他の人と共有できないのはなぜなのだろうと、以前は思ったことがあったが、今考えてみれば、潜在意識に決定的な違いがあるのだから、夢を共有できるはずがない。夢を共有できないからこそ、夢が潜在意識以外のものを見せたりはしないという発想にも繋がってくるのだ。

 絵の中に描かれた世界を夢に見た気がしていた。潜在意識として見たのであれば、以前にどこかで見たということになるのだろうが、その記憶はなかった。見ていたとしても、記憶として意識していなければ、夢に見るはずもない。

 では、どこで見たというのだろう?

 同じような意識を持った人がいて、その人の意識が目を通して自分に乗り移っていれば。意識の中もその人になって、見ていたことだろう。だから、何も見えていないと思っていても、見えてくるものがあるのかも知れない。

 診療所に入院した祖母を、誰も見舞う人はいなかった。

 明美は、親に黙って、一度祖母に会いにきたことがあった。もし、親に祖母のお見舞いに行きたいなどと言ったりすれば、

「何バカなことを言っているの」

 と言われるのがオチである。

 祖母を、明美の養育係として、こき使ったくせに、明美が祖母に陶酔し始めると、今度は、祖母を煙たく思うようになった。

「おばあちゃんのいうことなんて、聞くことないわよ」

 と、自分たちが押し付けておいて、何たる言い草だと思ったが、口に出すことはなかった。一度口に出さなければ、次に口に出すには、さらに勇気がいる。後になるほど、どんどん口にすることができなくなってくるのだ。

 明美は長女で、生まれた時は、親から過保護とも思えるほどの可愛がられ方をしていた。小さかったので、意識はほとんどないが、過保護だという言葉は、親戚の人が話していたのを聞いたからだった。

 だが、明美が生まれてから五年して、妹が生まれた。それまで明美にべったりだった両親は、今度は妹にべったりとなった。過保護というわけではなく、子育てにてんやわんやだったので、仕方がなかった面もあるだろう。

 それを祖母は「よし」としなかったのだ。

 両親の態度がまるで手のひらを返したように変わったと思ったのだ。それは、明美に対しての態度しか見ていなかったことが原因である。明美を贔屓して見てしまったことが招いた誤解ではあったが、すべてが誤解というわけではない、表に出てこない部分を、無意識に捉えていたのかも知れない。

 確かに手のひらを返したような態度だった。贔屓目に見ていなくても、感じる人もいたことだろう。そう思うと明美にとって祖母と両親のどちらかを選ぶために天秤に掛けると、祖母を選んでしまうことは一目瞭然だった。

「両親には、妹がいる」

 姉としての嫉妬が、親に対しての厳しい感情を湧き上がらせる。実の親から裏切られた気がするのだ。裏切られたというよりも見捨てられたと言った方が辛いかも知れない。一緒に上るために使ったはしごを先に使って降りられて、そのはしごを外された気がしてしまうのだ。

 両親としては、二人目を諦めていたところに妹が生まれたことで、まるで初めて授かった子供のような気分になったのかも知れない。特に父親の可愛がりぶりは尋常ではなく、母親がそれに乗せられているといったところであった。

 妹が生まれて一年は、母親がべったりで可愛がっていたが、次第に家事と子育てに疲れたのか、家を空けることが多くなった。もちろん、祖母に預けていくわけだが、さすがに、ここまで来ると、祖母も母親に文句を言っていた。

 露骨な文句は聞こえてこなかったが、祖母としては、なるべく子供たちに不快な思いをさせないように努力していたことだろう。

 だが、母親はヒステリックだった。

「何で、そんなに言われなきゃならないの?」

 と、声のトーンはいつもよりも数段高めで、ヒステリー丸出しだった。声の高さが却って食って掛かっている様子を和らげているかのようだった。

「そんなこと言っても、あなたがちゃんと子育ても家事もする意志が見えてこないからじゃないの」

 本当は、押し付けられて迷惑していると言いたいのだろうが、子供たちの手前、それを口にするのは許されないことだと思っていたに違いない。

 それでも、相手がヒステリーを起こしている人である。会話はとても普通の会話であるわけがない。子供が聞いて、どんなにやわらかく言おうが、喧嘩しているようにしか聞こえない。

 そのうちに詰り合いになるのではないかと思えたが、寸前のところで祖母が身を引いた。子供心に危ないという気持ちの寸前だった。

 祖母が家を出たのは、それからしばらくしてからだった。喧嘩が直接の原因だとは思いたくはないが、原因の一つになったことには間違いない。家を出た祖母がどこに行ったのか分からないが、どこかの大きな家で、お手伝いさんをしているという噂を聞いた。それを聞いたのが母親の口からだったので、明美にしてみれば、信憑性のないことだった。もはやそれだけ、母親のいうことは信用できないようになっていたのだ。

 祖母がお手伝いとして入った家を覗きに行ってみたかったが、行ってしまうと祖母と永遠に会えなくなってしまいそうで、怖かった。

 遠くからちらりと見かけただけだが、その屋敷のおかしな噂を聞いた。そこに住んでいた一人の女の子が、突然姿を消したという。その時に一緒に祖母も姿を消したようで、その屋敷は今は誰も住んでいない。

 誰もいなくなった屋敷を見に行ったが、誰も住んでいないはずの屋敷に、一人の女の子がいた。話に聞いていた女の子は、笑うことを忘れたのではないかと思うほど暗い女の子で、いるかいないか分からないような存在感の薄い娘だったという。

 だが、今明美の前に現れた女の子は、いつもニコニコしている女の子で、あまりにも笑顔が板についていることで、却って存在を薄く見えてくるほどだった。存在が暗く感じられるというところは似ているが、イメージは正反対の女の子であった。

 明美が想像していた女の子とあまりにもかけ離れているだけに、

――ひょっとして知っている女の子ではないか――

 という思いに駆られた。

 知らない女の子だからこそ、いろいろな想像が巡らされるのであって、知っている女の子であれば、想像を豊かにしたとしても、限界があるのだった。

 ニコニコ笑っている女の子の顔をじっと見つめていたが、彼女は明美の視線にまったくと言って気付いていない。気付いていて知らんぷりができるほど、彼女がしたたかな女性にはとても見えなかった。

 奥を見ればひとりの女性がお手伝いさんとして家事全般を任されているようだった。顔を覗き見るが、まったく分からない。明美も必要以上に相手を確かめようという気持ちもなかった。彼女と目を合わせてもそれほどのことはなかったが、お手伝いさんと目を合わせることはできないと思うのだった。

 この家を一人で明るくしている女の子の存在は、明るすぎるせいか、どこか希薄な感じがした。それは明美が見てもそう感じるのだから、もし男性が見れば、もっと強く感じるのではないかと思えた。

――彼女は女性には好かれないタイプだ――

 と思う。明美自身が、どうしても好きになれないタイプの女性で、笑顔に白々しさを感じ、引き寄せられる男性が情けなくもあり、可哀そうでもある。

 ただ、言い訳をするタイプには見えないので、友達になれないというほどではない。ひょっとすると友達になろうと歩み寄ると、彼女の本当の姿を見ることができるかも知れないと感じた。今の姿がウソだとは言わないが、彼女も知らない自分の中にある本性のようなものが笑顔の奥に隠されているのではないだろうか。明美は久しぶりに興味を持てる女性を見つけたように思い、胸の高鳴りを覚えていた。

 屋敷は、大きくもなく小さくもなく、ただ屋敷の真ん中に大きな時計台の三角屋根が聳えているのが特徴的だった。上には風見鶏が飾られていて、いかにも西洋館というイメージが滲み出ていた。

 西洋館に二人で住んでいるなど贅沢であった。その日から、屋敷が気になって仕方が亡くなった明美は、学校の帰りに毎日のように通りかかるようになっていた。小学生の頃とは違い、中学になると、背も高くなり、見えなかったものも見えてくるようだ。小学生の頃にも同じような西洋館の近くを歩いて、屋敷の中を盗み見ようとしたが、見ることができなかったことを思い出していた。

 そんな時、一人の男の子が、屋敷に入り浸るようになったのを知った。男の子は女の子の言うとおりにしていて。自分から何も言おうとしなかった。女の子は相変わらずニコニコしているばかりで、

「どこに会話があるというのだろう?」

 二人の関係が不思議で仕方がなかったが、興味津々に見つめていた。

 最初の二日間を見ていると、男の子は、彼女の言いなりだった。それだけに、二人の関係がどういう風に推移するのか分からずに、興味を持って見ていたが、三日目になると、明らかに態度が違ってきた。

 男の子の態度は強くなり、決して言いなりではなかった。逆に女の子が彼のいうことに従うようになり、明らかに上下関係、いや、主従関係が確立されたかに見えていた。

 だが、その二日後には、今度はさらに立場が逆転していた。と言っても、最初のような言いなりになっているだけではない。明らかに男の子にも言い分はありそうだった。

 口を開くことはなかったが、どう見ても、何かを言いたげで、ただ、言ってしまうと、自分の築き上げてきたものが壊れてしまいそうな気分になっているのではないだろうか?

 彼のような男の子は、自分の中で世界を作り、自分の秩序が正義になると考えているタイプである。人からあれこれ指図されるのを嫌うはずなのに、彼女にだけは従順だ。きっと逆に従わせることができる時間を持っていることは、自分の中での従順さを彼女に求めることができるようになるためのミッションのようなものだと言ってもいいだろう。

 明美は西洋館を垣間見ているところを、まわりの人から見られても、別に構わないと思っていた。他の人みたいに、興味があるくせに横目でチラチラ見ているよりも、どうせなら、ハッキリと見てしまう方が、さっぱりしていいものではなかろうか。西洋館にはまだまだ明美が興味を持てそうな秘密が詰まっているのかも知れない。

 西洋館から出てきた人を、見たことがない。これだけ気にして見ているのに、誰も出てこないということは、買い出しなどはどうしているのだろう?

 食事の支度はお手伝いさんがするとして、買い物などは、配達に任せているのではないか。

 ただ、出入りする人もいつもやってくる男の子だけで、やはり不思議なことが多い屋敷だった。

 男の子もどこから来て、どこに帰っていくのか分からない。そこまで男の子の方に興味があるわけではないし、ここを離れてまで、追いかけてみる気にもならなかった。

 ただ、女の子と視線が合ったことはないのに、男の子とは視線が合うことがある。

「彼は、私のことに気付いているのかしら?」

 と思うが、気付いているのであれば、視線を離すのが早すぎる。誰かに見られているかも知れないという意識はあっても、それを確かめる勇気がないのか。それとも、彼女に対しての意識が強すぎて。錯覚だと思っているのかのどちらかであろう、

 錯覚だと思っているとするなら、視線が合うのは、一度や二度ではなかった。何度も視線を合わせているのに、彼の方で、意識がないのだ。そう思うと、意識しようとしていないという思いが強くなる。確かめるのが、怖いのかも知れない。

 西洋館は、いつも扉が開いていて、開放的だった。見ようと思えばいつでも見れるようで、不用心な気がしたが、泥棒に入る人はいないだろう。これだけ開放的であれば、却って警戒するというもの。表から見ているだけでは分からないだけで、いろいろな仕掛けが施されていたり、用心棒のような人もいるのであろう。一か所から見ただけでは全体を見渡すことができないという盲点が、泥棒には分かっていて、侵入を許さない雰囲気を作り出しているように思える。

 それでも、中が見えてしまう明美は、

――本当に見えているのかしら?

 と感じるほどに意識と違ったものが見えているように思えてくる。

 その中に一つ、殺風景な部屋があり。家具はほとんど何も置いておらず、カーテンすら掛かっていない。壁にはいくつかの絵が飾られていて、まるでそこは画廊として使っている部屋のようだ。

 そういえば、女の子はたまに部屋の中から表を見ながら、キャンバスに向かっている姿を見かける。

――絵を描くのが趣味なんだ――

 真っ白いワンピースに、部屋の中だというのに、ワンピースとおそろいの真っ白な、庇の大きなチューリップハットをかぶっている。

 絵具で汚れないのかという危惧を抱きながら見ていると、思ったよりも器用な手つきで、絵筆をふるっている。しっかりと背筋を伸ばし、距離感を図りながら、ゆっくりと描いている。

――これだけゆっくりなら、汚れることもないか――

 ゆっくりと、正確を期するのは、彼女の性格なのだろう。

 彼女の絵を描く部屋は、画廊になっている部屋の隣だった。掛かっている絵は。詳細部分までは見えないが。とても素人の絵だとは思えない。とはいえ、彼女の絵だと思って疑わないのは、自画像だと思える絵があったからだ。

 絵描きに来てもらって、わざわざ描いてもらったようには思えない。だが、よく見ると、彼女とは別人にも見えてきたことから、描いたのは彼女に間違いないと思うようになったのだ。

 また違った想像も生まれた。

――この絵、彼女に似た絵を描いたのは、ここに出入りしている男の子なのかも知れない――

 明美は絵心が知れているわけではないが、男の子が描いた絵だと言われたとしても、まったく違和感がないと思われた。逆に素朴なタッチは、男の子が描いたのだと言われた方がしっくりくるように思えた。

 では、画廊にしている部屋に、わざわざ他人が描いた絵を飾るのかと言われると、明美の神経では考えられない気がしたのだ。

――ここに出入りしている男の子は、私が考えているよりも、よほどここの家に関係があるのかも知れないわ――

 と感じた。

 男の子はいつも無表情である。まるで感情がないのかと思えるほどなのだが、どこか抜け殻のようなところがあった。

――実際に見えている男の子は蜃気楼のようなものかしら――

 虚映であって、本当の姿はどこかにあるのかも知れない。本当の男の子はどこかにいて、微笑んでいると思うのだが、その表情を想像することはできなかった。

 明美は、高校に入ってから、自分も絵を描いてみたいと思うようになったが、中学生の時に見た屋敷の画廊が印象的だったからに違いない。

 高校になって描いていた絵の多くは風景画と、建物画であった。どこかに出かけて描くことが多かったが、思い出の中にあるのは、山の中で見つけた、一面すすきの穂が広がった平原だった。

 すすきの穂は、風に吹かれて微妙に揺れていたが、狭い範囲で見ていると、まったく同じ動きに見えるのだが。広い視野を持って見ると、遠くの方に行くほど、少しずつ動くがずれているのを感じた。

「あきらかに風の流れが影響しているんだわ」

 と、創作意欲を掻きたてるには十分な光景であった。

 写真に撮って収めた瞬間を掻くと、一番リアルに描けるかも知れないとさえ感じた。ただ、実際に目の前に映し出されたものを描かないと意味がないという考えもあり、やはり、写真に撮って描くようなことは邪道だと感じ、目の前に広がる光景を、隅々まで見ながら描いていくことにした。

「ビュー」

 静寂の中で、風の音だけが響いている。風の音は耳をくすぐり、すぐに通りすぎていく。いたずら好きの風には、困ったもので、筆を少し動かしては、くすぐったさから、すぐ耳に手が動いてしまう。集中できているのかいないのか、自分でも分かっていなかった。

 何もないところから描いていくのが、絵画の基本ではあるが、

「必ず目の前に見えるものをすべて描かなければいけないのだろうか?」

 という疑問が頭を過ぎった

 忠実に映し出すだけが絵画ではないはずで、目の前にあるものを、疑う気持ちがないと、本当の絵画は完成しないのではないかと思うようになった。

「絵とは、目の前にあるもの忠実に描くだけではなく、時として大胆に省略することも必要だ」

 と、言っていた人がいたが、最初は何のことか分からなかったが、自分が描くようになると、その気持ちが分かるようになってきた。

「では、一体何を省けばいいというのだろう?」

 と思うと、これが結構難しい。

「この世に存在するもので、省略できるものなどどこにもない」

 という気持ちがあるからだ。

 無駄なものがあるとすれば、人によって見えたり見えなかったりするものがあれば、

「この世にとって無駄なものの一つなのだ」

 と思うこともできるが、そんな経験をしたこともなければ、聞いたこともない。

「いや、果たしてそうなのかな?」

 中学の時に盗み見た屋敷の部屋にあった無意味に広い部屋、いわゆる「画廊」に飾ってあった絵、その絵を見ることができたのは少しだけだった。何度か見ようと試みたが、画廊の中にあった絵がなくなっていたのだ。

 移動させたと思えば、何の不思議もないのだが、翌日には違う絵に変わっていて、さらに翌日には、元に戻っているのだ。その日一日が自分にとって、架空だったのか、それとも、たった一日だけ見せられた絵がそれほど印象的なものだったのか、明美には分からなかった。

 絵を見ていると、まったく両極端な感覚を抱くことがある。冷徹で冷たい空気の中、通り抜ける風に痛みを感じながら佇んでいるような感覚に陥りながら眺める絵は、まるで厳冬を思わせ、暖かな空気が爽やかさを伴った風を吹かせるが、風が吹いていることすら感じさせない自然な佇まいに、春の安らぎを与えられたような絵を感じるのだった。

 安らぎの中で、感じるのは、香りであった。風がほのかな香りを運んできてくれる。厳冬であっても安らぎの中であっても、与えられることに変わりはない。素直な気持ちで迎え入れようとするならば、なぜ暖かい安らぎだけにならないのかが、とても不思議に思う明美であった。

 だが、すすきの穂に感じるのは、暖かさではない。ましてや厳冬のような苦しみでもない。そこにあるのは、自然を受け入れようとする気持ちが、すすきの穂の高原として、明美に見せたものであった。

 その場所を教えてくれたのは、美術部の先輩だった。彼女がいうには、

「あなたの目にはどう映るかしらね?」

 というものだった。

 先輩もこの場所を、他の先輩から襲えてもらって、訪れたのだという。

「私が行ったのは、その時一回きり。一回であの光景を絵にするのは至難の業。でも私は私なりの絵を完成させた。それを公開しようとは思わないんだけどね。公開するということは、自分を否定するんじゃないかって思うからなの」

 どういう意味であろうか?

 一度では描けない。それでも描いたということは、それだけ印象に残っていたということなのか、それとも、写真に撮っておいたのかのどちらかであろう。

 ただ、写真に撮っておいたということは、考えられないと言ってもいいだろう。先輩がそんなことをする人ではないということも一つだが、公開していないというところに正直な気持ちが隠されているように思う。

 自分が描くには、あまりにもテーマとして被写体が壮大すぎると感じたのかも知れない。それは目の前に広がる、永遠の広がりを見せるかと思わせるようなすすきの穂の光景。見たものでしか分からないだろう。

 じっと見ていると、次第に目の前の光景が小さくなっていくのを感じる。それに伴って空が大きく感じられ、まるで動かないはずの光景が動いているのだ。

「大胆に省略するのも必要だと言っていた言葉も、この光景を見ると納得できるものがある」

 と感じた。

「動く景色」

 細かい風景が動くのは当たり前だが、被写体全体に擦れが生じるようなものは、感じたことがない。それこそ、錯覚がなせる業なのではないかと思う。

 小さく見えるということは、それだけ遠くに見えることであり、さらには視界が広がることを意味している。一つの錯覚から、いくつもの波及する感覚が生まれてくるが、それだけにどれを省略していいのか難しいところだ。

 省略すると一口に言っても簡単なことではない。下手に省略してしまうと、元々の性質を損なってしまう危険性がある。あたかも見えている光景が変わることなく、錯覚を生かしながら、いかに忠実に描けるかという、矛盾とも思える考えが絵画の中には必要なのではないだろうか。

 最初は小さく見えていた光景が、今度は一点に集中して見るようになってくる。意識してではなく、勝手に目が動くのだ。

 そこには、客観的に見ている自分が影響しているかのように思えることがあった。

「もう一人の自分」

 という存在を意識することは今までにも何度かあったが、絵画では現れることはないと思っていた。絵画を描いている自分が、普段の自分とは違うと思っているからで、普段の自分が一体どういう性格なのかということを時々考えさせられる時でもあった。

 すすきの穂が見える光景は、今までに想像したことがあるものだった。夢の中で見たものだったが、いきなり現れた目の前の光景に、

「ここは一体いつの時代なのかしら?」

 と呟いた。

 最初に感じたのは、文明の始まる以前の時代。稲作が始まってすぐの弥生時代を彷彿させた。誰もいないところに風だけが吹いているのは、まさしく弥生時代にふさわしい。そう思いながら歩いていると、前から馬に乗った武者が現れた、

 鎧を身に纏っているのを見ると、戦国時代を彷彿させるが、一気に飛んでしまった時代を考えると、そこに人間の限界を超えた何かが存在しているように思えた。欲と本能が入り混じった世界、それが、すすきの穂がたなびく、果てしのない平原の広がる世界なのだった。

 時代を飛び越えた感覚を味わっていると、すすきの穂の世界が、今度は、絵の中の世界であることを思い出してきた。

 どこで見た絵だったかハッキリと覚えていないが、美術館のようなところではなく、喫茶店だったのだと思うと、自分が見た絵に魅せられて、同じような光景の場所をよく捜し当てられたものだと思うのだった。

「本当によく似ている」

 実際にその場所に立ってみて、本当に似ていることに気付かされる。プロの絵ではなかったはずなのに、印象に残っているのは、全体的にまとまりのある絵だったからだ。

 西洋館から出てきた男の子が、絵を描いているところを見たことがあった。あれは、いつものように河原で佇んでいた時、絵を描いている後ろ姿を見たのだった。ただ、男の子が描いている絵は、明らかに目の前に広がっている絵ではなかった。不要なものを省略するなどというレベルのものではなく、まったく違ったものを描いているのだった。

――いつの時代のものなのだろう?

 と、最初から時代に目が向いてしまった。目の前に人がっている光景が違っているのは、違う場所を描いているわけではなく、同じ場所の違う時代が見えているということなのであった。

 西洋館から見た景色、それも違って見えていたのかも知れない。彼が、妄想を抱いている時、その時に見えるのは、絶えずすすきの穂が生え揃った、風に舞う様子を描いている自分の姿だったのかも知れない。

 一本の木が植わっている光景、すすきの穂が永遠に続いている光景、それぞれに絵にするには難しさがあるが、それには、何かのきっかけが必要である。祖母が入った診療所、屋敷の中に飾られている絵を見た時に感じた光景、結びつけるきっかけになったのが、男の子が掻いたと思われる絵であった。その絵は、未完成であった。なぜなら、明美が以前に描いた絵と酷似していた。そして、その絵が、今までで描いた明美の絵の、最後の作品だったのだ……。

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