第15話 最終章
恵美が達郎と自然消滅したことを悟った武雄は、自分も理沙と自然消滅してしまうことを覚悟しなければいけないと思った。元々、無理のある付き合いだったのかも知れない。達郎と武雄は普通にバイト仲間というわけで、気心が知れたというところまでいかない中途半端な仲だった。
しかも恵美と理沙は、声を掛けられたその当日に知り合ったわけで、恵美も理沙も、知り合った三人とは、本当に初対面だったのだ。一緒にいた相手といくら意気投合したといっても、初めて会ったその日にグループ交際の一角を担うことになるなど、想像もしていなかったであろう。
武雄は理沙のことを好きになりかけていた。
武雄は今までの性格としては、
「好きな人は好き、嫌いな人は嫌い」
というハッキリした性格だった。そのせいであろうか、好きになりそうな人はすぐに分かった。
今までに一目惚れもしたことがない。高校時代に付き合った女の子も一目惚れではなかった。躁鬱症を感じるようになってからの武雄は自分の躁鬱症が、誰かに移されたものではないかと思うようになっていた。
武雄が四人の中では、一番まわりに気を遣っているかも知れない。しかしそれは性格的なものではなく、自分が一番分かっていないということを意識することで、成り立っている性格だ。
「まわりの皆は自分よりも優秀なんだ」
という思いが根底に潜んでいるからなのかも知れない。
四人の中で伝染という意味では一番染まりやすいのも、武雄なのかも知れない。
一番落ち着いているように見えて、実はまわりに染まりやすい性格だというのは、逆に言えば、一番分かりにくい性格であるとも言えるかも知れない。もしこれが武雄でなければ、きっと染まりやすいタイプだとは、誰も思わなかったに違いない。
武雄はなるべく人に染まりたくないと思っていることから、人と同じでは嫌だという性格になり、自分よりまわりが優秀だと思うのは、その反動だと思っていた。
しかし、実際には言い訳であるということを、まったく意識していなかったのだ。鬱状態になってくると、言い訳であるということを意識するようになり、まわりの誰もが信じられなくなってしまう。
武雄には、全貌があらかた見えているようである。
恵美と理沙がクリスマスの日に偶然出会った。
二人は、ちょうど同じ出会った日に、それぞれの彼氏と決別している。本当の偶然なのかまでは、武雄には分からなかったが、そこへ声を掛けたのが、達郎と自分であるという事実には違いない。
どうして理沙と恵美に声を掛けたのかというと、声を掛けようと最初に言ったのは、達郎だった。
「俺に関わりがある人だと思うんだ」
と、達郎が言ったその相手は、理沙だった。理沙の親友の妹が、まさか達郎が意識していた女性だったというのも、後になって聞いたことだった。
理沙と最後に会った時、理沙の口から聞いた。
「あなたと一緒にいると、何でも話せちゃう気がするのよ」
と、理沙が言っていたが、同じ言葉をかつて何度も聞いたことがあった。
武雄は、自分が女の子にとって話しやすいタイプの男性だとは決して思っていない。それは謙虚さではなく、そんなにまわりの人から当てにされるタイプの人間ではないと思っているからだ。
――なるべく他の人と同じでないようにしたい――
と思っている男が、まわりから見て話しやすいタイプであるはずがない。遠ざけようとすればするほど人が寄ってくるという人もいるようだが、タイプや環境は、そんな人とはまったく違っている。
武雄の性格を謙虚だと思っている人もいれば、謙虚ではなく、言い訳が謙虚に見えるだけだということを分かっている人もいた。
まわりから見て二重人格に見えることがある武雄だが、同じ考えでしかないはずなのに、見る角度によってまったく違った結果を産むことになるということを、自分では分かっていない。自分で分かっているのは、躁鬱症が定期的に出たり引っ込んだりしているということだ。
由紀という名前を最近になって、よく達郎から聞かされる。由紀がどんな女の子なのか、そしてその姉の美佐枝がどんな女の子なのかということを想像していると、二人とも、かつて知り合いだったような気がしてならなかった。性格的にどこかが違っているのだろうが、頭の奥に封印された記憶の中に、美佐枝と由紀は存在しているかのようだった。
美佐枝という女は相手の中にもう一人の自分というのを見つけることに長けていたことを思い出した。武雄も自分の中に同じような性格が秘められていることをウスウス感づいていたが、それは自分は決して相手と目を合わさないようにしようと決めていた時のことだった。
――目を合わせてしまうと、すべてを読まれてしまう――
そう思うと、また謙虚な言い訳が頭を擡げ、すべてのことを他人に委ねるが、心の中では自分がやったという記憶を確信に近い状態で残してしまう。
そうなると記憶は嘘で固められたものになってしまい、思い出そうとして思い出せる時というのは決まってくる。
躁状態から鬱状態に入る時はどうしても思い出せないが、鬱状態から躁状態への有頂天であれば思い出すことができるのだ。
保護色というのを誰もが聞いたことがあるだろう。自分を外敵から守るために、絶対的に不利な相手とは戦っても勝てるわけがない。食べられてそれで終わりになるだろう。しかし、色や形を背景と同化させることで、相手に自分の存在を悟らせないようにできる。だがそれも相手が同じ人間であれば、悟らせないようにするのは容易なことではない。相手もこちらのことを分かろうと必死になって見つめてくるからだ。素性も分からないような相手と真剣に付き合って行こうなどと思えるはずがないからだ。その時だけでいい場合と、これから先も付き合って行こうと思っている相手との気持ちを比較すれば、おのずと答えも見つかるというものだ。
鬱状態の時ほど、実はしっかり見えているものがある。昼間は霧が掛かったかのようになっているが、夜になると、霧も綺麗に晴れ上がって見え、信号機の青のシグナルが緑ではなく赤、そして赤のシグナルは真っ赤ではないが、昼間の真っ赤に比べて紅色が濃く感じられる。
――そんな時こそ、見えていなかったものが見えてくるのかも知れない――
鬱状態もそう考えれば、決して最悪ということではない。新しい世界を自分に見せてくれているようにも思うし、何よりも現実を真剣に直視させられてるように思えてならないのだ。
角度によって見え方が違う場合、躁鬱症であるのは、本人の見え方であって、逆に角度によって見え方が違う場合、二重人格に見えるのは、まわりの目の見え方である。躁鬱症や二重人格が伝染する場合、相手の中にもう一人の自分が見えたりするが、それも、伝染に寄る影響があるからなのかも知れない。
そんな話を以前誰かから聞かされた気がしてたのをなかなか思い出せなかったが、思い出して見ると納得のいく相手だった。
恵美が今回、一気に三人と出会ったが、皆それぞれ独立しているようで、性格や感情は似たものがあった。だからこそ、一緒にいる相手の中にもう一人の自分を見ることになったのかも知れない。
恵美にその話をしてくれたのは、中学生の時に、当時小学生だった由紀だった。
恵美は、まさか小学生がそんな難しい話をするわけもないということと、由紀と出会ったのがその時だけだったことで、自分の中で、
――まるで夢を見ているようだ――
として片づけていた。
今回、三人の男女と出会うことで由紀のことを思い出したのだが、その時に自分が由紀の中にもう一人の自分を見ていたのと同様に、恵美の中にもう一人の自分と、それ以外に他の人を見ているのではないかと思った。
美佐枝がいたこともあっただろう。由紀が興味を示す相手は、皆どこか精神的に特徴を持っていたりする。二重人格であったり、躁鬱症であったり、そして、由紀は自分の中に確実に美佐枝の存在を感じていたのではないかと思った。
今さら分かるはずのことではない。あれはやはりクリスマスの夜、一番意識していたはずなのに、伝染に耐えることができなかった由紀は、その思いを墓の中まで持っていってしまったのだ。
その時彼女の指には赤いルビーが光っていたことを感じていたのは、恵美だけだったに違いない。由紀は相手がどんな男性であっても見捨てることはできない。細やかな幸せは彼女の指の先に光っている色を、褪せさせるには忍びない。美佐枝の悲しそうな顔がなぜか目に浮かばない。由紀の断末魔の顔を思い浮かべてしまうと、美佐枝が恵美の中から消えてしまう。美佐枝と由紀は、それだけ一体化していたのだろうか。どちらかが表に出ている時は、片方は隠れているというそんな関係が二人には似合っていた、
だが、由紀がこの世から消えてしまった以上、比較する相手がなくなってしまった美佐枝は、今後、日の当たる場所に出ることはなく、ひっそりと生きていくのではないかと思われ、やるせない気持ちになった。
由紀と美佐枝の間にあるものは、伝染ではない。光と影の存在が、二人で一つを形作っていたのだ。だが、お互いの性格を損なうことがないように、片方しか表に出ることはなかった。
クリスマスに出会った四人もそんな関係なのかも知れない。
――今日、表に出ているのは誰なんだろう?
恵美が、そう感じた時、すでに気持ちの伝染は始まっていた。それは、真っ白い雪がちらつき始めたクリスマスの夜のことだったのだ……。
( 完 )
聖夜の伝染 森本 晃次 @kakku
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