第63話 貴方に捧げる刃(1)

『マツリカ君、注意せよ。斎藤サクラに起こったその現象は、ナイアルラトホテップの介入で引き起こされし『威神顕現いしんけんげん』だ』


 サクラの異変は、ツァトゥグァの領域でサポートに回るエイボンも察知するところとなった。アサヒ不在の現在、エイボンはマツリカこそが鍵である。経験で言えばドクターアンデルセンの方が上だが、彼の広範囲攻撃は連携には不向きであると考えていた。


 マツリカの持つ存在浸食の力を主軸に戦略を立てる必要があるのだ。


『悪性変異からの威神顕現は見た事があるだろう。宇賀原ミウがそうだった』


 焼けただれ燃え滅びた後、人外へ変じた宇賀原ミウ。師であるアサヒと共に打倒したのは、マツリカの記憶に新しい。


「じゃあ、あれもそれほど強くない、ですか?」


 あの時は、マツリカの参戦によって戦局は大きく傾いた。アサヒに危機的なタイミングがあったのも知っているが、彼女の実感としてミウにそれほどの脅威は感じなかった。


『いいや、それは違う』


 だがエイボンは違うと言う。あの時は状況が異なるのだと。


『宇賀原ミウは死者だった。威神顕現とは、幻想器を通して虚神へ自己の存在を明け渡す技だ。死者でありまがい物だったミウにはそもそも明け渡す余白が少なかった。であるため、あの時顕現した悪性虚神ミウ=クトゥグアはあの程度だったのだ』


 古代魔術の申し子であるエイボンは、ナイアの領域への突入から状況を解析し続けている。当然、宇賀原ミウに起こった変化も正確に理解していた。であるからこそ、サクラの変化に脅威を感じている。


『威神顕現とは、もっとすさまじいものだ。彼女に対峙するならば、重々注意する必要があるだろう』


 シノン、ドクター、マツリカはそれぞれサクラから数メートルで散開、包囲の形で距離を取っている。大技で一網打尽にされないための布陣だった。その中心に静かにそびえる塔のような異形の敵。斎藤サクラに警戒を強めている。


 サクラ。斎藤アサヒの妹。あっという間に人から変じてしまった。

 彼女は、本当にサクラなのか。

 仮にサクラだとしたら、倒してしまっていいのか――。


「反射的に戦闘態勢を取っちゃいましたけど、戦っていいんでしょうか? お師匠さんの妹さんですけど」


『戦わざる得ないだろう。同様にナイアが手引きをした宇賀原ミウは明確な敵性体だった。また姿を隠したようだが、奴が手引きしているのであれば、打倒せざるを得ない。だがね』


 まだ取り返しがつく。とエイボンは言う。


「取り返し……、人間に戻せるという事ですか」


『そうだ。ミウのケースとは違う。彼女はすでに死人だった。死した後の身体をナイアに操られ虚神化したのだ。だが彼女は生きている。人としての存在が根幹にある。虚神としての存在を削り弱体化させることができれば、人間に戻すことは可能だ』


 アサヒがサクラの事をどれだけ気にかけていたかは、マツリカはよく知っていた。お師匠さんのためならば、虚神の一体や二体……と、薄墨丸を握る手に力が入る。


「わかりました。どうすればいいか教えてください」


『力はすでに渡してある。元々はアサヒの身に潜む何かに対するものだったがね。君とシノン君に渡した刻印だよ』


「これですね」


 マツリカの左の手の甲に、薄ぼんやりと幾何学文様が浮かぶ。


 魔導書『エイボンの書』

 その内容を魔術刻印の形で集積記載したものだ。この図形の中に、数千万年の月日を経た、古代魔術の神髄が詰まっている。


 斎藤アサヒの中にある何か、に対抗するためのエイボンが託した、保険ともいえる代物だった。


『魔術の行使はこちらで行う、君たちは、アレを無力化してくれたまえ』


「シンプルでいいですね」


『だろう』


「了解、じゃあさっそく行きますね」


 いうが早いかマツリカは身を低くし疾駆する。

 刀の鞘と鍔の間、鯉口を切り、すらりを抜き放つ。


 薄墨の刀身は、深淵にはびこる力の断片から来たえし、異形殺しの刃だ。


 振るえばあらゆるものを飲み込む黒球を生み出し、つけられた傷は決して癒えず、そこから爆ぜて砕ける、虚神殺しの兵装。


 アサヒの土塊返しアース・スター、ドクターの風乗征破ウンディゴなどの幻想器は虚神由来の力を色濃く宿す。


 深淵にて眠る古代イス文明の民が作り出し、彼らが滅びたそのあとは、それぞれの虚神が所持していた神造兵器だ。そのテクノロジーを解析し、ドクター、アンデルセンが疑似的に虚神の力を振るえるようにしたものが、彼女の持つ革命器、薄墨丸である。


「黒球、壱、弐、参、攻撃開始! 肆番、迂回して後ろから!」


 薄墨の刃の軌跡は、彼女の疾走に並走し、鈍いきらめきを空間に残す。


 庭マツリカの戦闘スタイルは、師匠であるアサヒの動きを取り入れつつ、さらにトリッキーに進化させたものだった。


 マツリカは、探索者になる前からスポーツが得意で、陸上部に所属していたこともある。大会でもかなりの成績を残し今後の活躍も期待されていたが、あっさり陸上をやめた。もっと刺激的な事を見つけたからだ。


 ダンジョン配信。

 魔物が出る地下迷宮に潜り、自身の力だけでサバイブし、その様子を配信するコンテンツ。初めて見たのは、今では親友となった曽我咲シノンの配信であっただろうか。


 彼女はなんにでも決断が早い。

 親友である阿賀野ハルカを誘い、すぐに配信を始めた。

 

 最初は戸惑った事もあったが、神話やファンタジーの世界から抜け出てきたような迷宮魔物と戦う事はマツリカの性によく合っていた。


 元々の外見が良い二人だ。あっという間に配信でも人気者になった。


 だが、迷宮の闇は濃く底は見えず、さらには深淵があった。深層域に住まう魔物にあっさり敗北し命の危機を悟り――、そこで出会ったのがアサヒだった。


「お師匠さんの妹さんをこんなにして」


 マツリカは本質的に好戦的で直情型な乙女である。


「たとえ、妹さん本人であろうとも、許せるものじゃないですよね」


 命の恩人であり、師匠たるアサヒに害をなす存在は、たとえそれが、妹本人であろうとも彼女には看過できない。


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仕事をぶっちした俺は壊れテンションのまま最下層を目指した。 千八軒 @senno9

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