第62話 アサヒを求めて。あるいはヤンデレサイコブラコン

「うふふ。いらっしゃいー。マツリカさん、シノンさん、そしてドクター。あら。あらあら。三人ともそんなに殺気を滾らせて……。レディのお部屋だというのに、いささか無粋ではありませんかー? ねぇ、サクラさんもそう思われますよねー?」


 さっき切り捨てた三間坂シィが居る事には今さら驚かなかった。だがそれよりも、アサヒの妹であるという少女に気が取られていた。


 マツリカが見つめるその先には。


「……兄さまがいません。兄さまはどこ」


 三間坂シィを見上げながら、小首をかしげる少女がいる。


 兄とよく似ている、と思った。男女の差というものもあれど、根本を同一とする造形というものはある。またパーツごとの話だけでなく身にまとう空気感のようなものも似通っている。もちろん血縁者であるならば、ままあることだろうが。


(妹さん、だよね?)


 二人の相似はある。アサヒを師匠と仰ぐマツリカにはそれが分かった。


(でも、あれ。おかしいよ)


 だからこそ、違和感がある。


(お師匠さんの妹さんなら、あんな顔はしないと思う)


「ああ、兄さまがいない。兄さまどこ? 兄さまが居ないなら私は、私は……」


 兄を思ってさめざめと泣いているらしい。弱い。あまりにも弱弱しい存在だと思う。あの生命力にあふれ、むしろ脳筋気味なお師匠さんの妹さんがこれ?


 解釈違い。


「――シィさん。その人、サクラさんですよね……?」

「ええ。そうですよー。マツリカさんの大好きなアサヒさんの妹さんですよー」


「確認ですけど、その人に何かしました?」

「いえいえ、いえいえいえ何も何も。彼女はこういう人なのですよ」


 精神攻撃は、虚神の十八番。ならば精神操作くらい平気でする。あるいは彼女も沼人間かもしれない。何もしてないなんて嘘。絶対してる……。


(ああ、ほんと嘘ばっかり……。こいつの言う事、全部嘘だ)


 シィを見ていると、マツリカの心はどこまでも冷めていく。 


 あの兄さまと兄さまと気弱げに嘆く表情はなんだ。かと思えば、兄の事を語るあの恍惚に満ちた面持ちはなんだ。兄さま、兄さま、兄さま。わたしを離さないで兄さま。壊れたおもちゃのようにお師匠さんを呼ぶあの子はなんだ。


 あれは兄を呼ぶ妹の顔では無いじゃないか。

 あれは女だ。男を求める女の顔だ。

 男としてお師匠さんを求めている。


「ちょっと、妹さんのこと、嫌いになりそう……」


「あら、あらあら。初対面ですのに、もっと仲良くなされてはー?」


「うるさいです。人外が軽々しく口を開かないでくださいよ。――私は元々のサクラさんは知らないですけど、お師匠さんの事は知ってます。ずいぶんシスコンなんだなって思っていましたけど。それでもそんな関係だとは思えませんでした」


「そうですかー? そうでしょうかねー? もしかしたらそうじゃないかもしれませんよー?」


「……貴方はまたそうやって、お師匠さんの周りの人に害を成す」


 薄墨丸を抜き放ち、水平に構えた。隙があれば一気に踏み込んで、その顔面を切り飛ばしてやる。そう思いながらマツリカは問答を続ける。


「大人しく彼女を渡してください。サクラさんをお師匠さんが呼んでいます」


「あらあら。アサヒさんの方から……。ええ。ええ。やっぱり感じたのでしょうねぇ。呼び合うのでしょうねぇ。アサヒさんと、サクラさんは特別ですからー。――私がはいそうですかと応じると思いますかー?」


「応じてもらいますよ」


 視線で、シノンとドクターに合図。

 とにかくサクラさんの身柄を奪取するのが先決。


「もう正直ウンザリなんですよね。何がしたいんですかあなた」


「何、とはー?」


「目的ですよ。お師匠さんには虚神たちはただそこに在るだけ。浸食で地上にじわじわと影響を及ぼすことはあっても、明確な目的は無いと聞いてました。でもあなたナイアは違うんですよね。地上を泥で飲み込んで、お師匠さんをさらって、サクラさんにもちょっかいかけて……。何が目的なんですか」


 目的。目的だ。

 最初中京断崖からナイアを討伐するために潜ったのは、泥にあふれた地上を救うためだった。エイボンが言うには、地上を飲み込もうとしていると。だけれど、そのあとはどうなの? と思う。地球が全部ナイアの泥で覆われて、そのあとは?


 こんなにも流暢に話し、悪意をもって人の感情も理解する化け物がそのあとの事を考えていないとは思えない。


「目的、目的ですかー」


 三間坂シィは、顎に手をあて首を傾げ考える。


「まぁ、あることはあるんですけどー」


「言いなさい。切り捨てる前に聞いてあげる」


「あはは、マツリカさん強気ですねー。貴女が私に勝てるとでも思っているのですかー?」


「勝てるよ。気持ちで負けなければ、絶対勝てる」


 睨みつける。確証なんかない。だけれども勝てるとマツリカは確信していた。


「――う、う、ううう。痛い、胸が痛いよ。シィさん……」


 と、その時だ。

 マツリカとシィのにらみ合いが続く中、サクラが胸を押さえながら息を荒くしていた。


「痛い。お腹も痛い。身体中痛い。どうにかなっちゃいそう。私が私じゃなくなっちゃう……。兄さん。兄さんはどこ……? なにこれ、キモチワルイ。身体の中が、なんかへんだ。何かイルような――――」


「あら、あらら。もう洗脳が解けるのですかー。早いですねー。さすがアサヒさんの妹さんですねー。それとも、『門』の影響でしょうかー?」


 サクラは青白く脂汗を浮かべ、頭を抱え苦悶の表情を浮かべている。


「怖い、何か。オカシイよ。変わる。私が替わル……」


 そうつぶやきながら。


 その時、マツリカたちは見た。ベッドを起こし座っているサクラの腹部。白のシーツと布団で覆われたそのあたりがボコボコと蠢くのを。


 ナニカが染み出している。シーツの白を汚染し、赤く、黒く、まだらに汚れた色彩が広がる。それはあっという間に布団を通り越し、部屋にまで波及する。白かったはずの病室が、混沌に染まる。


「はいはい。もうすぐですから、抵抗しないでくださいねー。【ヨ■@の猛け黄、銀の#ぎアサヒさん】の準備は整ったんです。あとは、サクラさんの【シュ■の&猥#る門】サクラさんの覚醒だけだったんですよー」


「何をしたの……」

「さぁ、わかりませんし、教えませんー」


 マツリカが止める間もなく、シィがサクラの額に触れた。

 それでガクリと動きを止めるサクラ。うつむき動かなくなった。


「ええとですねー。このサクラさんという人は、生まれつき病弱でしてねー。幼少期に埋め込んだあるものが身体に適合しなかったんですがー、まぁ、それで彼女は苦労したんですよー」


 カクリと、首が曲がった。横90度に曲げられた首。そのまま上げられた顔。上げた時、サクラの顔はすでに異形だった。瞳孔が開き、変形している。形は四角。人間の目ではありえない。白目は黄色く変色し、ぎょろぎょろと眼球が動く。


「子供の頃から、外より病院で過ごす方が多かったですねー。それでも彼女は強く生きていましたよー。お兄さんであるアサヒさんの支えも大きかったですが―」


 髪も替わっていた。黒髪であったものは、いつの間にか名状しがたき、太く、ねとねととした表面を持つ触手に代わり床を這っている。その末端が触る場所が溶けていた。ブクブクと泡立ち、床を溶け始めている。


「サクラさんには、子供のころから望みがありましたー。それは『お母さんになりたい』お二人のお母さんは良い方だったのでしょうねー。お母さんに憧れる。女の子あるあるですねー。私はよく知りませんが―。知っててもどうでもいいですがー」


 また、まだらに染まった布団の中からぞわぞわと這い出すものもあった。それは山羊の角のように奇妙に歪んだ縞模様に枝にも見えた。ベッドのフレームに絡みつきバキバキと破壊する。これ、足だ。とマツリカは思った。それを軸に、サクラが身を起こす。


「お母さんになるにはー、子供が必要ですよねー。それなら旦那さんもー。殿方がいないと、女の人は子供は産めませんからー。きゃー、ちょっとえっちですねー。あらら。なぜそんなに嫌そうな顔をするんですかー? 事実ですのにー」


 身を起こしたサクラは巨大だった。巨大な異形だった。

 虚神ラヴクラフト。宇賀原ミウと同じような変化。だけれどもサクラは幻想器はもっていないはずでは?


「彼女にお婿さんを用意したくてー。お恥ずかしいことに、私はちょっとアブノーマルでインモラルな感じが好きなんですよー。うふふ、実はそういう本をたくさん集めて居まして―。まぁそれはどうでもいいことですがー。それでサクラさんにはね、アサヒさんと子供を作ってもらおうかなと。ご兄弟で、そういうことって、とっても禁忌的で冒涜的じゃないですかー。素敵です。そんなわけでちょと頭を弄ったり弄らなかったりー」


 狭かった病室もいつの間にか、異界に変わっている。


 森だった。暗闇に閉ざされた深き森。むせかえるような湿気と、腐臭に嘔気をおぼえる。泡立つ地面からむくむくと出現する影があった。蹄が見えた。四足獣だ。偶蹄目。だが、その顔には触手が生えている。また角は枝だった。いびつな果実が実り、熟れた芳醇な香りを放つ――。


 穢れた仔供たち。それが合唱を始めると。


 メェメェ メェメェ メェメェ


 山羊の鳴き声に似ている。サクラの目が山羊の目に酷似しているからだろうか。渦巻く。鳴き声。暗黒の聖母の誕生を祝う唄だ。


「サクラさんが、お兄さんを求めているのは本当ですよー? まぁちょっとばかり認知は歪ませてもらいましたがー。私の目的を聞きましたよねー? 私の目的は兄妹の、えっちでインモラルなまぐわいが見たいなーって。それでがあるなーって」


 うっ、と背後でえづく声が聞こえた。マツリカが振り向くまでもなく曽我咲シノンが気分を悪くし口を押えて必死に嘔気をこらえた音だった。


「すいません。匂いがきつくて……。キモチワルイですわ……、なんだかすごく、キモチワルイ」


「大丈夫。口を覆って、ゆっくり息を吸って。――ドクター。これミウさんの時と同じかな? 虚神ラヴクラフト化?」


「ええ。多分ですがね。相変わらず悪趣味です」


「うん。付き合い切れないよね」


 マツリカは薄墨丸をかまえ、黒球を放った。

 放たれた黒球は、三間坂シィの胴をごっそりと抉ったが、彼女は平然と笑っていた。駄目か。まぁいいけど。


「あの、シィさん、あなたの性癖開示はどうでもいいんで。要するに、次はそのサクラさんを倒したらいいんですよね。死んじゃわないですか? それだけが心配です」


「うふふ。大丈夫ですよー。彼女は死にませんよー。出来損ないの悪性変異である宇賀原ミウとはモノが違いますからー。心置きなく戦っちゃってくださいー」


「彼女を倒したら、お師匠さん帰ってきます?」


「ええ。ええ。それはもう。『門』の完成をお手伝いいただき、光栄ですー」


「『門』……。またわけの分からない事を。まぁいいです。黒球、展開セットアップ自在軌道フリーマニューバ。庭マツリカ。行きます」

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