第61話「はじまりのはじまり」

”士官学校は内恋禁止! つまり候補生同士の恋愛は許されない。ま、誰も守っちゃいませんでしたけどね”


第二十期卒業生のインタビュー




Starring:マリア・オールディントン


7月30日 17時半


 宴会はつつがなく始まった。


 第七区隊の面々は、有志の四年生が手配してくれた料亭の座敷で、お疲れ様会に興じていた。料亭はともかく、このようなバカ騒ぎはマリアも初めてだった。なにしろ明日から一ヶ月、訓練はお休みである。盛り上がらない筈がない。なお予算は積み立てだが、四年生が多く出してくれたようだ。学外なので酒も解禁。栓抜きでビールを開ける音が、そこらに響いた。


「ぐう、ぎぶ」


 マシュー・ベックがぷるぷる震える手で、山と積まれたおはぎに手を伸ばし、それを引っ込めた。カンカンとベルの音が響く。


「どうやら記録は35個。世界記録の38個には届かなかったであります」


 司会のナタリア・コルネが大げさにやれやれする。マシューも同じく悔しそうに床を叩いて見せた。世界記録はどこぞの侍が38個食べてお殿様に褒められたとか言う都市伝説である。よくもまあそんなものに挑む気になったものだが。


「すまねえみんな。俺、在学中に必ず記録を打ち立てるから!」


 が、残念ながらこの余興は不評だったようで。


「うるせー。自分が食いたかっただけじゃねーか」

「ひっこめー」


 などとヤジが飛ぶ。もちろんヤジる方もヤジられる方も笑っているが。


 マリア・オールディントンは目線で義兄あにを探す。視線の向こうで、彼は楽しそうに笑っていた。手のひらをくるくる回して、飛行機の機動マニューバを説明している。どうやら、先週の事はもう忘れたらしい。


 ……人の気も知らずに。


 隼人がこちらを見た。何やら気遣わしげな視線を向けてくる。一週間もろくに話していないのは、中学が別だった頃以来だろう。心配してくれているのは分かる。でも、今は話したくない。


「それではお待ちかね! 我らがジャン・スターリングから、エルヴィラ先輩への感謝の品を贈呈であります」


 一同は一気に熱狂した。それはあれだけ「面白い事をやるぞ」とハードルを上げまくっていたらそうなる。そして上半身が隠れるほどの花束を持ったジャンが現れ、会場のテンションは最高潮になった。彼はだぶだぶのズボンと山高帽、ついでにステッキを右腕に引っかけている。花束に隠れているが、付けひげもしているそうだ。


「なんなんです? あれ?」


 ぼそっと口にしたら、隣席のエーリカ・ダバートが言った。


「チャーリー・チャップリンの真似だって。大げさ感が増すだろうって隼人が」


 



「きゅう?」


 彼女の膝では、白い幼竜がマリアを見つめて首をかしげている。自分が落ち込んでいる事など、パフには全てお見通しなのだろう。


「ねえ」


 エーリカが遠慮がちに告げる。何を言わんとしているか、瞬間的に分かって、思わず身構えた。


ぼく・・は、マリアの辛さは分からないけど」


 ”ぼく”。それは、エーリカ士官学校の同期としてではなく、リッキー四銃士の仲間としての言葉。


「ちゃんと話さないと、後悔するかもよ?」


 マリアは古い友人の忠告をありがたく思いながら、若干の反発も抱く。この苦しみを知らない癖にと。いい加減に認めなければならない。「魂の兄妹」などとうそぶきながら、マリア・オールディントンが南部隼人に感じていた絆は、ただの恋慕でしかなかった事を。抱きしめられた狼狽と、彼が呼んだ名前が自分では無かった事に、相応なショックを受けている事を。


「私は、自分が崇高な人間だとうぬぼれていたのかも知れませんね」


 四銃士などと名乗って、浮かれていただけの恋愛脳。それが自分なのではないか? そんな自己否定が頭をもたげてくる。


「ぷっ」


 失礼にもエーリカは盛大に吹き出した。これには正直むっとする。それを見た彼女は、また笑った。


「友達の為に必死になって体を張る女の子が、どうして崇高じゃないんだい? ぼくが君に助けられたのって何回あったっけ?」


 そう言って、指を折り始めるエーリカを見ていたら、少しだけ馬鹿らしくなった。


「もう良いですよ。ありがとうリッキー」

「どういたしまして」

「きゅーきゅー」


 壇上では、今まさにジャンが花束を渡したところだ。誰かがピーピー口笛を吹いている。


「でもですね」

「うん?」


 視線を壇上に向けたまま、エーリカにつぶやく。


「あなたもいつ同じようになるかもしれませんよ?」

「そうだね」


 そう言えば彼女と、いやそもそも今まで恋愛話などしたことが無かった。やっぱり彼女が自分にとって大切な存在なのだなといつも以上に思う。


「エルヴィラ先輩!」


 苦笑交じりにジャンを出迎えたエルヴィラ・メレフ先輩は、花束の向こうから現れたちょび髭に吹き出しそうになっている。ジャンの方はいっぱいいっぱいと言う感じだ。彼は意を決して、叫ぶように言った。


「ぼっ、僕の為にみそ汁を作ってください!」


 正直ずっこけた。何故みそ汁?


「確か、告白の台詞を考えてた時に、ヴィクトルが出したアイデアだったと思うけど。まさかそれを選ぶなんてね」


 色恋に疎いエーリカでも、このチョイスは「無い」らしい。みそ汁の告白が悪いのではなく、時と場合がちぐはぐ過ぎるのだ。


「あー。確かに日本ではそうやってプロポーズする人もいると聞きましたが、ジャンはなんでこれをチョイスしたのやら」


 マリアは頭痛を堪えつつ周囲を見るが、それをネタと見たのか大盛り上がりである。エルヴィラ先輩は、一瞬驚いたそぶりを見せたと思う。ついで、視線が会場を撫でるように動いた。自分達六人を見ているのだと直感的に感じ、不味いと思いながらも反射的に目を逸らした。たぶん、六人全員が息を飲んでエルヴィラに意識を向けている。彼女がふっと笑った。「しょうがないなぁ」と言いたげな顔に、マリアは息子を叱る隼人の母を思い出した。


「ジャン君、私の料理・・を気に入ってくれてありがとう。でも私は包丁よりハインツと・・・・・剣をやる方が性に合うかな?」


 ジャンは一瞬目を閉じて言葉を受けとめ、それでも笑顔を浮かべた。


「それは残念です。いやぁ、ふられちゃったよみんな」


 四方から紙テープが投げ込まれる。ここでピエロに徹する事がジャン自身を守る為に必要なことだし、本人もそれを理解している。ともあれエルヴィラはちゃんと受け止めてくれて、断ち切ってくれた。あとはジャン自身がどうするかである。


 席に戻ったジャンは、ビールを瓶のままぐびぐびやりだす。今日は誰も、それを止める者はいなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



Starring:南部隼人


「隼人君、せっかくだから少し話をしないかい?」


 さあ飲むだけ飲んだし。そろそろはけて飲みなおすなり、休日前のベッドを満喫するなりしようか。そんな流れになった時、南部隼人はエルヴィラ・メレフに肩をぽんぽんと叩かれた。


「ぺぎぃ!」


 どこぞの兵長のような声を出してしまう。どうやら、自分が首謀者だとばれたらしい。


「駄目れす先輩! 首謀者はぼくれす!」


 ジャンは庇おうとしてくれるが、既に千鳥足。意を察したコンラートとヴィクトルが捕まえて、店の外に連れて行ってしまう。さっきタクシーを呼んでもらっていたから、あのままドナドナコースだろう。ついでに、気を利かせたオクタヴィアが人払いをしてくれる。つまりここに居るのは隼人、エルヴィラ、ハインツと言う、地獄のような顔ぶれだ。


「その話はもういい。面白くはないがな」


 ハインツ・ダバート先輩が仏頂面で言う。まあ面白いはずがないとは思っていた。コンベイ山で生死を共にした信頼感で、そっと笑って流してくれると思っていたが、読みは外れたらしい。やばい。


「……冗談だ」


 直後、ハインツは笑う。冗談になっていない。ってか心臓が止まるかと思った。


「まあまあ。私たちは君の得意な飛行機知識を聞きたいだけだよ。そうだな。イタリアで開発中のジェット機についてどう思う?」


 エルヴィラの笑いにも圧がある。これは修正一発では済まないっぽい。質問の意図を必死に考えるが、不意打ちを食らっていつもの悪い癖が出た。


「あ、あれですか? あれはハインケルのやつと違ってちゃんとした・・・・・・ジェットエンジンじゃありませんし」


 モータージェットはジェットエンジンでありながら、従来型のレシプロエンジンで空気の圧縮を行う。立派なジェットエンジンであるが、効率において後発のエンジンに劣る。

 ハインツがうむと頷き、エルヴィラがにやりと笑う。蛇に睨まれたカエルだ。


「不思議だね。ジェットエンジンは未知の技術。何故現時点で・・・・ちゃんとしているかしていないのかが分かるのかね?」


 背筋が凍った。既に酔いなど吹き飛んでいる。自分は、試されていた。つまり――。エルヴィラは嗜虐心全開な顔で、隼人に微笑んだ。


「南部隼人君、君転生者だろう?」


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雛鳥たちの航跡雲 ~第二次異世界大戦前夜 王立士官学校A.D.1938~ 萩原 優 @hagiwara-royal

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