エピローグ 俺達ともう一つの夏の物語

「あっついなー」


「……だなー」


 ネクタイを緩めながらそう答えると、愛用のタンブラーを口に運ぶ。

 自宅で準備してきた麦茶によって、一気に喉を潤すが、それでも汗は止めどなく流れ始める。

 地球温暖化の影響で平均気温が上がっていると、インターネットに書いてあったが、ここまで暑くなるのは想定外だ。

 数年前と比べると、最高気温は天と地ほどの差がある。

 このまま行けば、夏の最高気温は50度を超えてしまうのではないだろうか。

 朦朧とする意識の中でそんな事を考えながらも、一歩ずつ足を進めていく。


 あの日から……約八年が経過した。

 あの日、この世界から鈴鹿が姿を消した日。それは俺達の運命を大きく変える一日だったのかもしれない。

 俺と高弘は、鈴鹿の逃亡の手助けをした事によって、警察に逮捕された。

 鈴鹿達を手助けする際、周辺を歩いていた一般人に影響を及ぼした事や、確保された後で黙秘を貫いたことが大きかったらしい。

 俺達は約一年もの間、少年院に入れられ、そこで生活する事になったのだ。

 本来ならば、より長い期間少年院に入っているはずだったが、同時に逮捕された中島さんが実行犯であると言い張り、俺達の分まで多く罪を被ってくれた。

 本当に、中島さんには感謝してもしきれない。


 稲葉さんはと言うと、奇跡的に鈴鹿を逃がした犯人であるという事はバレず、何とか警察官のままでいられたらしい。

 そして、警察官として、例の事件の真犯人を逮捕するべく、もう一人の俺が持ってきたノートを利用し、捜査を続けて行った。

 結果、死に物狂いで捜査を続けた甲斐があり、俺達は出所した二年後、真犯人を逮捕するに至ったのだ。

 そのお陰で、世間的に俺達の罪は軽く見られ、中島さんも出所時期が早まる事になった。


 その後、俺は大学に入学し、高弘は専門学校へ入学。

 稲葉さんは昇格し、中島さんは普段通りの神主に戻った。

 様々な出来事があったが、それぞれが新たな日常に慣れていき、普通と言える生活に戻り始めた。

 しかし、その生活の中に、鈴鹿の姿はなかった。

 

 何故、彼女はこの世界へと戻ってこなかったのか。

 その理由は、実際に彼女から聞いたわけではないため、正確な理由は分からない。

 ただ、恐らくは彼女はもう一つの世界で生きる道を選んだのだろう。

 中島さんを通して、彼女達が無事に楽しく生活できているのは聞いている。

 彼女は無事で、楽しく生活できている。それならば、無理にこの世界へと連れ戻す必要はない。

 彼女がそれで良いのならば、俺達もそれで十分だ。

 俺達は俺達で、楽しく生活していこう。


 そう考え、俺達は俺達で、そこから数年間も仲良くやって来た。

 時より意見の違いから喧嘩をしたりもあったが、最後にはラーメンを食べて仲直りをし、より中を深めていった。

 大学を卒業し、社会人になってからも、俺達が親友であるという事は変わらなかった。

 定期的に必ず集まり、近況を報告し合う。

 今日も、近況を報告するべく、集まったのだ。


「……だけど、驚いたよなー。まさか、ラーメン星が東京一のラーメン店になるなんてな」


「確かにな。ずっと通ってた身からすると、まじで驚いたわ。まあ、当然と言えば当然だけどな」


「まあ、滅茶苦茶美味しいしな!……よし、星さんも頑張ってたし、俺も頑張ろうかなー!」


「いや、お前は十分にやってるだろ。三ツ星ホテルのホテルマンだろ?エリートじゃんか」


 隣の彼は現在、ホテルマンとして、都内の三ツ星ホテルで働いている。

 体力の使う業務に悲鳴を上げながらも、必死に体を動かし、昇格するために努力しているらしい。

 中島さんから聞いた話によると、並行世界の彼も同様にホテルマンになったようだ。

 彼とは別の三ツ星ホテルに就職したのだが、そちらも非常に体力をすり減らすため、毎日限界を超えて働いてるのだとか。

 エリートである事は間違いないのだから、彼らには体調に気を使いながら、頑張ってほしいと思う。


 ちなみにだが、俺はというと大学卒業以降、都内のIT企業で働いている。

 彼らの職場程ではないが、それなりに有名で、他の企業と比べると給料も高い。

 飛び切り楽しい事がある訳ではないが、それなりに良い生活を送っていると思う。

 平凡と言えば、平凡な生活なのかもしれない。

 それでも、俺にとっては十分な生活だ。


「……あ、やべ!もうすぐ六時じゃん!流石に夜勤始まるまでに昼寝しときたいから、俺は今日は帰るわ。久しぶりに話せて楽しかったぜ!お前は、毎年恒例のいつもの所に行くんだろ?」


「ああ、まあな。習慣みたいなもんだしな」


「そっか。じゃあ、もしあいつと会えたら一言言っといてくれよな。流石に、少しは会いに来たって良いだろってさ!……それじゃあ、次は夏祭りでかな!」


「ああ、多分そうだな。それじゃあ、また今度」


 別れの言葉を交わすと、彼は自宅方向へと歩き始めた。

 軽く見送ると、それとは逆方向へと足を向ける。

 俺が向かう先は決まっている。この時期になると、毎年のように訪れる思い出の場所である。

 友達とはしゃぎながら帰路につく小学生や、時期を終えつつあるアブラゼミの鳴き声。

 それに加え、夕方を知らせるカラスの声など。

 特に何も考える事無く、周囲の音に耳を澄ませ、ボーっとしながら橙色に染まった空を仰ぎながら、一歩ずつ足を動かしていくと、数分で目的地に到着した。


 そこは、あの夏の思い出の発端である、例の神社。

 あの夏を軽く思い出しながらも、バックとスーツを階段に置いた後に、勢い良く階段に腰を下ろす。

 去年と比べ、一層座りずらくなった階段部分に、自らの成長を感じながらも、残った麦茶をすべて消費し、喉を一気に潤していく。

 タンブラーが空になったのを確認すると、バックの中深くにしまい込む。

 そして、再び空を仰ぎ、様々な感情を胸に持つ。


 毎年、特定の日付の前後にこの神社で時間を過ごすようになったのは、少年院から出所した年からだ。

 あの夏の事を振り返り、中島さんから聞いた話を元に、今現在のみんなの様子を想像する。

 

 中島さんから聞いた話によると、並行世界の俺と鈴鹿は教師になったらしい。

 並行世界の稲葉さんに影響されたのも大きいらしいのだが、他にも自分の体験して得た知識を伝えたいという思いがあったらしい。

 俺の知ってる鈴鹿はと言うと、小説家として成功したらしい。

 彼女の想像力は他と一線を画すものがあるらしく、書いては売れ、書いては売れを繰り返しているようだ。

 

 そして、みんなの情報を伝えてくれている中島さんはと言うと、結婚した。

 神社に参拝客として訪れた女性に一目惚れし、猛アタックした結果、結婚するまで至ったらしい。

 今では会うたびに嫁の事を自慢してくる、楽しそうな新婚さんになったという訳だ。

 

 並行世界の中島さんはと言うと、結婚はしてないものの、少しずつ明るくなってきてるらしい。

 俺はあった事がないため分からないが、多くの人が絶望する表情を見てきたことにより、数年前まで相当病んでたらしい。

 しかし、あの夏の出来事で、もう一人の俺が絶望することなく、全てを助け出した事をきっかけに、少しずつ元の中島さんへと戻りつつあるようだ。

 今の趣味はアニメで、声優になろうかと考えているらしい。


 暫くは中島さんから話を聞いていないが、きっとみんな大丈夫だろう。

 楽しく、ハチャメチャな人生を送っているに違いない。

 俺が楽しい人生を送っているのだ。他の奴らはそれ以上に最高に人生を送っているに決まっている。


「……きっと、みんななら大丈夫だよな。……俺も、結構良い人生歩んでるし」


 良い人生を歩んでいる。

 ふと、口から出した言葉だが、その言葉が本心でなかったことは自分でも理解できた。

 確かに、俺は平凡だが楽しく、十分に良い生活を送れている。

 それは自分でも分かっている。だが……それでも足りないものがある。

 これが無くては生きていけないという訳ではない。

 もし、死ぬまでに敵わなかったとしても、深い後悔はしないだろう。

 ただ……それでも、心の奥底で、思ってしまうのだ。


 もう一度、鈴鹿に会いたい。


 別に、彼女に恋をしているわけではない。

 何か特別な感情がある訳ではない。

 ただ……大切な幼馴染として。大切な友達として。大切な存在として。

 また、彼女に会いたい。そして、出来る事ならば話したい。

 あれから何があったのかを。これから何をするのかを。

 直接、彼女に会って、伝えたいのだ。

 俺達の思いというのを。



「……やっぱ寂しいしな。……会いたいよ、鈴鹿」



 その時、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。



「全く、尚也は……どれだけあたしのこと好きなのよ」


「……え。…………何で」


「そりゃあ、約束したでしょ!って!」



 彼女はそう言うと、満面の笑みを浮かべた。

 様々な感情を胸に持ちながら、俺は笑顔で、一言だけ返した。



 おかえりと。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二人の俺から、一人の君へ GIN @GIN0701

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ