船乗りランデブー
花野井あす
船乗りランデブー
吉住芳子はタイム・トラベラー。
今年高校生になった彼女は熟練の舟のこぎ手。
彼女はどんな時も、うつらうつらと、舟を漕ぐ。
朝の寝覚めは悪く、いつも不機嫌。
母親に与えられた朝食を無心で頬張り、黙々と用意されたブレザーの制服の袖に手を通す。
決められた時間のバスに乗り、五分に一本の電車に乗る。
通勤通学の人間ですし詰めにされて、気が付けば何時の間にか、教室の中。
ぼんやりと滲む黒板を見て。
がやがやと聞こえる雑踏を片耳に舟を漕ぐ。
腹の虫で呼び止められると。
いつの間にか時を超えて昼休み。
腹ごしらえをしっかり済ませれば、再び船旅は始まっている。
横切る級友や先生に声を掛けられた時だけ、ほんの少し櫂で水を押す手を止めるのだ。
時々呼び声を聞き逃して。
すうっと通り過ぎてしまうこともある。
其れでも彼女の舟は止まらない。
彼女の時間は断片的で。
そして飛び越えるのはあっという間。
朝起きたと思えば。
次の瞬間には布団の中。
たまに時を巻き戻して。
歪な世界をふわふわとした足取りで渡り歩く。
「こんなところに何故あの人がいるのかしら?」
教室の片隅に座っていたのは幼稚園の園長先生。
「前にもこの講義を受けた気がするわ。」
既視感の覚える黒板の文字。
メソポタミア文明の説明の中に時々埋め込まれている、F(X)=ax^2+bの文字。
「あら、わたしはいつの間に、駅へ来たのかしら。」
教室から出れば、そこは最寄り駅。
本で見たクレープ屋の傍で映画に出てきた道化師がくるくる回っている。
たとえ不思議に思っても。
櫂が水を押すのを止めることはない。
「芳子ちゃん、帰りの時間よ。」
中学の友人Aが、舟を揺らして声を掛けた。
空は鈍色で、ぽっかり二つの月が浮かんでいる。
「いけない、帰らなくちゃ。」
舟の行く手をそっと変えると。
目覚まし時計の音が鳴りだして。
呆れ顔の母親が彼女を舟から叩き落した。
あら不思議。
昨日の過去に居たはずなのに。
いつの間にか時を超えて次の日の朝。
吉住芳子はタイム・トラベラー。
今日も今日とて舟を漕ぐ。
船乗りランデブー 花野井あす @asu_hana
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