第109話:バルビエルとの死闘
「おい夜賀、下がれ!!」
「ッ──!!」
唐突に浴びせられた強烈な圧力に、マヒロは呑まれかけていた。
しかし鋭く放たれた斎藤の呼びかけを受けて、ギリギリのところで動きが間に合う。
全裸の男は、高く掲げた右腕を無造作に振り下ろす。
ただそれだけの動作で、マヒロがいた辺りの地面が派手に抉り取られる。
「んんん?」
思っていたのとは異なる手応えに、全裸男は訝しげに首を捻った。
叩き潰して散らばるはずの肉片がどこにも見当たらない。
どころか、今潰したと思ったガキは離れた場所で剣さえ構えているではないか。
無傷で、生意気にも自分を睨んでくる。
たったそれだけの事が、全裸男には腹立たしく仕方がなかった。
「オイオイオイオイ! 何で生きてるんだよ!!
オレ様が殺そうとしたんだから、そこは大人しく殺されろよ!
なんて礼儀のなってないガキなんだ、ブチ殺してやる!!」
「……一体何だ、コイツは」
地団駄を踏む全裸を睨みながら、朱美は掠れた声で呟く。
当然ながら、相手が単なる変質者でないことは分かっていた。
肌を焦がすような『力』の圧。
構えた短刀を握る手が、知らず知らずに震えてしまう。
彼女も準一線級の冒険者として、それなりの修羅場は踏み越えた経験がある。
その過去と照らし合わせても、並ぶ例が存在しない脅威。
朱美だけでなく、葵海と斎藤、ステラもまた戦慄に身を固くしていた。
一体、この化け物は何だというのか……!
「……《十二の円環》」
マヒロだけが、現れた怪人物の正体を知っていた。
冒険者たちの間に戦慄が走るのを感じ、全裸男は気分良さげに笑う。
「そうだ、良く知ってるなぁガキ。
オレ様こそが《十二の円環》の一角、蠍の座バルビエル様だっ!!
まったくお前らは運が無いな、《円環》最強のオレ様に出会っちまうなんて──」
「けど、本体じゃない。お前、眷属か分体だろう」
吐き出されかけた戯言が、ぴたりと止まる。
信じられないモノを見る目を向けてくるバルビエルに、マヒロは笑う。
お前など少しも恐ろしくはないと、そう示すように。
「ズリエルの奴も、巨大な蛇みたいな眷属を操っていた。
その時と似た気配だと思ったけど、当たりだったみたいだな」
「っ〜〜〜〜ガキがぁ、調子に乗るんじゃねぇ!!
オレ様はお前より強くて賢いんだぞ! 分際を弁えろよっ!!」
癇癪を起こした子供同然にバルビエルは叫んだ。
忌々しい、本当に忌々しい!
まるで見透かしたようなマヒロの言動が、《円環》の神経を逆撫でする。
とにかく否定しようと、バルビエルは叫びながら手足をデタラメに振り回した。
声を張り上げただけでも、周囲の全てがビリビリと震える。
手は掠めただけで枯れ木を粉々にし、踏みしめた足は地面に無数の亀裂を刻む。
《円環》最強だのは戯言だとしても、その力が強大である事に変わりはない。
決して油断出来ない、恐るべき敵だと理解した上で。
「コイツは確かに《円環》だけど、本体じゃない!
俺たちでも十分に戦える!」
この場にいる仲間たちを鼓舞するため。
合わせて念話で繋がったアリスたちに状況を伝えるため、マヒロは力強く言った。
耳飾りを通じて言葉は返って来ないが、戦闘が行われている事は何となく伝わってきた。
推測だが、この分体が現れたのが『基点』に仕込まれた罠なのだろう。
他の場所でも、こちらと同じように交戦している。
《円環》といえど、分体如きにアリスたちは負けはしない。
いずれ誰かが駆けつけてくれるかもしれないが、すぐではない。
ならば自分たちで勝利しなければ。
「調子に乗るなと言っただろうがァ!!」
口角から泡を飛ばす勢いの絶叫。
怒りの度が過ぎたか、バルビエルの眼は狂気の色すら帯びていた。
常人ならそれだけで心臓が止まるほどの圧力を受けながら、今度は誰も怯まない。
眼前の相手は理解不能の怪物ではないと。
そう思えば、竦みそうだった足も前に出せる。
「やってやろうじゃねぇかよ《円環》!
前は夜賀とオレが出る! 援護頼むわ!」
「っ、オッケー! 任せて!」
「くそ、私だって……!」
剣を構え、斎藤はバルビエルと対峙する。
頑丈な彼以外は、相手の怪力に捕まればそれだけで死にかねない。
故に葵海は下がり、朱美は妹が魔法に専念出来るようその傍に留まる。
そして、ステラも。
「父祖の血よ、我らに戦う力を……!」
己の血に宿る力。継承した皇帝としての《契約》。
《人類皇帝》としては不完全だが、それは攻防を強化する術式として味方を守る。
剣には鋭さを、五体には鋼の護りを。
術の援護を受けると同時に、マヒロは《転移》を発動した。
怒り狂うバルビエルの背後を取り、無防備な背に刃を突き立てて──。
「ッ……!!」
「そんなもんが通じるかよ、雑魚が!!」
罵倒を吐き、バルビエルは右腕を振り回す。
マヒロはそれを紙一重で回避し、左手の追撃を床に転がってやり過ごす。
《転移》を試みようとしたが、身体に走る痛みが集中を阻害する。
右肩辺りに穿たれた、小さな穴のような傷。
出血こそ少なく決して深くはないが、動く度に激痛が神経を削る。
迂闊だった……!
油断したつもりはなかったが、もっと想像力を働かせるべきだった。
「おい、大丈夫か夜賀!」
「気を付けろ、コイツにもサソリの尾がある!」
距離を詰める斎藤に、マヒロは痛みに堪えて警告を発する。
分厚い毛皮の外套を羽織っているせいで、まったく見えていなかったが。
「何だ、しぶといなお前。コイツで刺した奴は、すぐに痛がりながら死ぬんだけどなぁ」
嗜虐的な笑みを浮かべ、バルビエルは毛皮の下に隠れていた尾を晒す。
つい先ほどまで戦っていたサソリ似の魔物と同じ。
先端を毒で濡らす針を備えた尾だ。
痛む程度で済んでいるのは、由結が調合してくれた中和剤のおかげか。
毒としての強さが違うだけで、種類としてはあの魔物たちと同じなのだろう。
「ギャハハハハハハッ!! やっぱり人間なんて弱っちぃよなぁ!!
どいつもこいつも、オレ様の毒を受けたら一発だ!」
見せびらかすように尾を揺らし、バルビエルはマヒロに嘲笑を向ける。
その隙だらけの顔面に、横から剣の一撃が叩き込まれた。
斎藤だ。柄を握る腕の筋肉を限界まで隆起させ、渾身の力で刃を振るう。
「オラァっ!!」
「雑魚が、そんなもん効くかよ!!」
顔に直撃したにも関わらず、バルビエルは平然と笑っていた。
単純に硬い。分体でしかない身でも、《円環》の防御は容易くは破れない。
何度も打ち込む斎藤に対し、バルビエルは無造作に拳を突き出す。
動きは素人と変わらず、けれど大地を引き裂く膂力が込められた一撃。
攻め立てる斎藤に回避する術はない。
「斎藤……!」
「舐めんじゃねぇぞ怪物!!」
バルビエルの拳は斎藤の胴に突き刺さる。
嫌な音が響き、腕に伝わる手応えに《円環》は笑みを深めた。
だが、剣は止まらない。
鋼にも等しいバルビエルの皮膚を、滞る事なく叩き続ける。
「なっ……!?」
「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
面食らう怪物に、斎藤は血反吐をこぼしながらも剣を振るう。
文字通り死ぬほど痛いし、骨は折れて内臓はどこか痛めた可能性は高い。
しかしそんな苦痛、我慢出来ずに何が戦士か!
今の一発で終わらせるつもりだったバルビエルは、予想外の事態に困惑する。
困惑して、それはすぐに怒りへとすり替わった。
雑魚のクセに、すぐに死ぬ人間のクセに!
剣だって大した事はないが、叩かれれば多少なりとも痛みはある。
少しずつだが積み重なる傷は、より一層バルビエルの小さな脳を苛立たせた。
「雑魚がやせ我慢しやがってよぉ、だったらコイツはどうだ!!」
憤怒を叫び、サソリの尾が蛇の如く蠢く。
中和剤の効果を受けても、喰らえば激痛が身体を蝕む毒針。
鋭く打ち込まれる針は、斎藤の首辺りを狙い──。
「《盾よ》!!」
葵海の詠唱が枯れた森に轟く。
素早く展開された力場の盾が、斎藤を貫くはずだった針を弾き返した。
同時に、大柄な斎藤の影から朱美が飛び出す。
バルビエルの死角から襲う短刀の一撃。
彼女の力では、《円環》の防御は貫けない──本来なら。
「ぎっ……!?」
予想外の痛みに、バルビエルが顔をしかめた。
朱美の持つ短刀の切っ先から、赤く濡れた血が滴る。
「ヨシ、予想通り! 甲殻の隙間は脆いようだな!」
「き、さま……!」
笑う女ニンジャを、《円環》は燃える眼で睨みつけた。
彼女が狙ったのはサソリの尾。その可動部分である甲殻の隙間だ。
与えた傷自体は僅かなものだが、この戦いで与えた初のダメージだ。
攻撃が通じる。その事実を確認出来た意味は大きい。
「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」
バルビエルの注意が朱美に向いた瞬間も、斎藤は構わず剣を振るっていた。
尾を狙う事はしない。朱美の短刀を受けた時点で後ろに引っ込んでしまった後だ。
愚直に、真っ直ぐに。
何度も何度も剣を叩き込まれて、バルビエルは朱美に反撃する機会も逸してしまう。
なんて鬱陶しい奴だ……!
本当に腹立たしい事この上ないが、斎藤の剣は少々痛いだけだ。
ならばこのまま無視して、他の奴から殺すべきではないか?
そう考えたところで、先ほど毒針を刺した相手──マヒロの存在を思い出す。
アイツは毒を喰らってロクに動けないはず。
ならくびり殺すのだって簡単だ!
思い付いた最高のアイディアを実行するべく、バルビエルは視線を動かす。
毒を受けたマヒロは、床に膝をついたままの状態だ。
無防備な獲物の姿を認めて《円環》は笑う。
「いいぞ、先ずはお前から──」
殺してやる、と。
その言葉をバルビエルが言い終える事はなかった。
意識の外から、強烈な衝撃と痛みが顔面を叩いたからだ。
「ガッ……!?」
「だから舐め過ぎなんだよ、素人がよぉ!!」
気合いを叫ぶ斎藤。
ほんの数秒前までは、彼の剣はバルビエルに微かな痛みしか与えられなかった。
だが今の一刀は、《円環》の顔に浅くない傷を刻みつけていた。
何が起こったのかバルビエルには分からない。
動けなくなったマヒロが、密かに《奇跡》で喰らった毒の治療をしていた事。
動けぬフリで息を潜め、手にした剣に魔力を込めていた事。
そして解毒により集中力を取り戻し、機を見て斎藤の手に剣を《転送》した事。
注意力散漫なバルビエルは全く気付いていなかった。
「このまま押し切るぞ!」
「分かってる……!」
「そのままくたばっちゃって! 《魔力の矢》!!」
斎藤の声に応じながら、マヒロは《レガリア》を自らの手元に戻す。
撹乱を兼ねて放たれた力場の矢が、次々とバルビエルに着弾した。
魔法による攻撃は、剣よりも明確にダメージを与えられていた。
が、皮膚が幾らか裂けた程度で決して深くはない。
その傷を、死角から仕掛けた朱美の短刀が斬り裂いた。
「ギャアッ!?」
「父祖の血よ、昂ぶれ!!」
苦痛を叫び、バルビエルの動きが止まる。
ステラは剣に魔力を宿し、その瞬間に仕掛けた。
狙うのは斎藤が刻んだ顔面の傷。
上手く当てれば、そのまま仕留められる可能性もあると。
「──痛ェじゃねぇかよ、チクショウがぁ!!」
「ッ!?」
しかし、それは分体といえど《円環》を侮り過ぎた。
ステラが振り下ろす刃を、バルビエルは素手で掴み取ったのだ。
手のひらは魔力に焼かれるが、構わず握り締める。
動けない。咄嗟に手を離す判断は、間近で睨みつける怪物の眼を見て霧散する。
恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい!
少女の内に芽生えた恐怖を読み取り、バルビエルは笑った。
「美味そうな小娘だなぁオイ、このまま殺して喰っちまうか……!!」
「ぅ、ぁ……」
初めて感じる、あまりに暴力的な殺意。
誰かが呼びかけている気がしたが、ステラの耳には届かない。
時の流れが緩やかになり、泥みたいな世界の中で《円環》が右腕を掲げる。
そして、直後に赤い血が飛び散った。
【※10月中はコンテスト用の原稿に専念するため、しばらく投稿はお休みさせて頂きます】
《ハズレガチャ》扱いな底辺冒険者の自分が転送罠を踏んだら、最強冒険者の彼氏になりました。 駄天使 @Aiwaz15
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