第5話 rain of sorrow

 くすぶっていた灰色の空から降り出した雨は、次第に強さを増してまだ雪の残る山道と二人を濡らしていく。


「とうとう降ってきたか……フィリア、大丈夫?」

「冷たっ。もう、アカデミーの予報じゃ今日は降らないはずだったのに」

「予報は予報だし、山の天気だからね。それより走れる? 村の人が書いてくれた地図によると、帰り道とは別のルートの少し先に神殿があるみたいだから、そこで雨をしのごう」

「うん」

「そうだ、荷物を貸して。自分が持つよ」

「ごめんね、ジュリオ。いつもありがとう」

「いいさ、山育ちで慣れてるからね。さ、急ごう」


 行軍用の背嚢リュックサック背負せおって旅装りょそうに身を包んだジュリオとフィリアは、王都ミリアムから離れた山岳地帯にいた。

 馬も使えないような険しい山岳部の村で、死霊レイス首魁しゅかいとした不死者アンデッド10数体が突如とつじょとして発生。村からしらせを受けた警察は即座に冒険者ギルドへと討伐とうばつを依頼したが、あいにく死霊をふくむアンデッドの集団を倒せるほどの冒険者パーティは出払っていたため、急遽きゅうきょ王立調査局へとお鉢が回ってきたのである。


「ふむ。死霊とアンデッド10数体程度なら、お前たち二人だけでも大丈夫だろう。最近便利屋として使われすぎている気もするが、村の危機となれば出ない訳にもいくまい。村人は結界を張った洞窟どうくつ内に退避たいひしているとはいえ、食料と水は無限ではない。明日の朝一番に出発し、これを殲滅せんめつせよ。いいな、フィリア、ジュリオ」

「「了解です」」


 これが昨夕の話である。

 今朝、馬車で山のふもとの町まで移動、そこから山道を登ってアンデッドの一団を掃討そうとうし、村人にひとしきり感謝された後の帰り道で雨に降られたのだった。


「あ、あれかな?」


 勢いを増した雨の水煙みずけむりの中、うっすらと建物の影が見える。

 二人が神殿まで辿たどり着いた時には、冷たい雨が外套がいとうから中に着ていた服まで染み込んでいた。

 たまらず神殿の扉を押し開ける。こんな辺鄙へんぴな場所に建てられたにしては大きく、立派な建物である。回廊かいろうを抜けて聖堂せいどうに入ると正面には祭壇さいだんと双子を模した神像があり、奥の窓にはモザイク模様のステンドグラスがめられている。その横手にもうけられた暖炉だんろでは赤々とまきが燃えており、数人の旅装の男女が身を温めていた。


「ああ、あなた方もこの雨から避難ひなんしてきたのですか? さ、暖炉で服を乾かしてください。何もありませんが、温かいお茶くらい用意いたしましょう」


 祭壇の裏から聖服を着た人族の男性が姿を現すと、ジュリオたちを出迎えた。恰好かっこうから見て、この神殿の管理者だろう。

 二人は頭を下げると、


「お世話になります。自分はジュリオといいます」

「わたしはフィリアです、よろしくお願いします」


 そろって言う。聖服の男性――老境ろうきょうにさしかかったくらいか――も灰色がかった頭を下げると、


「これはご丁寧ていねいに。私はこの神殿を預かるモデストと申します。さ、挨拶あいさつはこのくらいにしてあちらへどうぞ、お若いとはいえ風邪を引いてしまいますぞ」


 そう言って暖炉をす。


「ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます」


 フィリアがもう一度頭を下げると、ジュリオと共に暖炉の前へと移動する。

 火のそばでは四人の男女が暖を取っていたが、ジュリオたちが来ると二人のために隙間すきまを作ってくれた。それに礼を言いつつ、羽織はおっていた外套を脱いで服と体を温める。


「予報外れの雨とは、運が無かったね。しかしあんたらみたいな若い人たちが、こんな山に来るとは珍しい。何のようだい?」


 声をかけてきたのは、人懐っこい笑みを浮かべた人族の男性――年の頃はモデストと同じくらい――だった。


「わたしたちは仕事で来てたんですが、帰り道で雨に降られちゃって」


 フィリアがそう答えながら、村の名前を挙げる。


「ああ、あの村にかい、なるほどねえ。おっと、そういえば自己紹介がまだだったね。私はキケー、この辺りを巡回する旅商人だ。まあ今日で引退の予定だったんだがね。商売の帰りでたいしたものは残ってないが、なにか物入りなら声を掛けてくれ」


 キケーの言葉にジュリオたちも名乗ると、横の人族の中年女性から声がかかった。ただ火にあたっているのも退屈なのだろう。


「あたしはセルカ、この近くの村に住んでいる者さ。二人は恋人同士かい?」

「いえ、そういう訳では」

「ふふ、いいんだよ隠さなくたって。あんたが二人分の荷物を持って入ってきたのを見てたよ、彼女の荷物を持ってあげるなんて優しいねえ。ウチの旦那にも見習って欲しいよ」


 セルカの顔は、隣のひげを生やした人族の中年男性に向けられていた。中年男性はしぶい顔をすると、

 

「おいおい、そりゃあないだろう。俺だってちゃんとお前の荷物を持ってやったじゃないか」

「軽いやつを一つだけね。重いのは触りもしなかったじゃないか」


 軽口かるくち応酬おうしゅうしあう。どうやら髭の中年男性がセルカの夫なのだろう。


「俺はレホス、見ての通りこいつの旦那だんなだ。雨が上がるまでの間、よろしくな」


 レホスはそう言って器用にウインクして見せる。


「で、俺の隣のこいつがソンブラって言うらしいんだが……無口な奴で、名前以外しゃべろうとしないんだ」


 ソンブラと呼ばれた森妖精族エルフの女性――森妖精族は寿命じゅみょうが長く、若く見えるので年齢は判らない――がちらりとジュリオたちを見るが、何も言わずに暖炉に視線を戻した。


「この調子でな。何者なのか、どこから来たのかもわかんねえ」


 やれやれと言いたげに首を振る。


「あんた、あんまりよそ様を詮索せんさくするんじゃないよ」

「奥さんの言う通りだ、人には事情がある。その人もそうなんだろう」


 セルカとキケーが森妖精族の女性をかばう。


「後ろ暗いことがなきゃ良いんだけどな」

「あんた、それくらいにしときな、失礼だよ。ソンブラさん、気にしないでやってね?」


 セルカが夫をたしなめるが、レホスは知らん顔である。ソンブラも聞こえてはいるのだろうが、無視していた。

 なんとはなしにそのまま会話が止まると、薪がぜる音だけが響く。

 ややあって、聖服の老人――モデストが茶色の液体の入ったカップを持ってやってきた。


「皆さん、急な雨で大変でしたね。さ、お茶をどうぞ」


 一人一人にカップを手渡していく。


「すまんね、モデスト。助かるよ」

「これも神のしもべたる神官の務めです」

 

 キケーの言葉に、生真面目に返すモデスト。


「ですが、もう陽が落ちます。夜の山道は大変危険ですから皆さん今夜はここに留まられるのがよろしいでしょう。幸い部屋はありますので、あとでご案内します」


 モデストがカップを配りながらそう言うと、その場の皆が口々に感謝の言葉を述べる。


「ただ客用の部屋は4つしかありません。ですので、キケーさん、レホス夫妻、ソンブラさん、ジュリオさんとフィリアさんの組み合わせでお願いしたいのですが……」

「私は構わんよ」

「俺たちもオーケーだ」

「フィリア?」

「うん、それで大丈夫」

「……」


 全員が言葉とうなずきで賛意を示す。


「ありがとうございます。それでは――ああ、せっかくですからお茶を飲んでからにしましょうか」


 皆が手早く配られたカップの中身を飲み干し、荷物をまとめるのを見やってからモデストはカップを回収してゆっくりと歩きだした。どうやら入口から伸びる回廊の脇にある、2階へと続く階段を目指しているようだ。

 回廊の左右にそれぞれしつらえられた階段の先には、ドアが2つずつ並んでいた。左手側の回廊の2階に2つ、右手側の回廊の2階に2つといった具合である。それぞれの回廊の奥には3階へと続く階段が見える。

 まったくの左右対称に造られているようで、それぞれの部屋の正面には、吹き抜けの回廊を挟んで反対側の部屋のドアが見えた。


「それでは、左側の奥の部屋にソンブラさん。その手前の部屋にレホス夫妻で――」

「悪いが俺たちは右側にしてもらうぜ。素性の知れないヤツと隣同士になりたくないからな」

「……」


 レホスがいわくありげな視線をソンブラに送り、険悪な雰囲気になりかけた二人の間にキケーが割って入る。


「まあまあ。そういうことなら、私がソンブラさんの隣になりましょう。商売柄しょうばいがら、見知らぬ人と一緒になることも慣れてますからな」

「すいませんね、キケーさん、ソンブラさん。ほれ、あんたも頭下げな!」


 セルカがキケーたちに頭を下げる。


「いえ、こんな時にめるのもなんですからね」 

「それでは左の奥にキケーさん、手前にソンブラさんで、右の奥にジュリオさんとフィリアさん、手前にレホス夫妻ということで」

「おう、それなら構わねえよ」

「わかりました」


 レホスとフィリアがそれぞれ了解の意を表す。


「では、あと1時間ほどしましたら夕食を部屋に持っていきますね。といっても、保存食くらいしか用意出来ませんが……」


 申し訳なさそうに言うモデスト。


「いや、なにからなにまでありがとうございます。せめて何かお手伝いさせて貰えませんか? 自分、料理は結構得意ですので」

「あ、わたしもお手伝いします」

「ありがとうございます。それでは荷物を部屋に置かれたら1階の祭壇の左手にあるドアの奥にいらしてください、台所がありますから」

「はい」

「了解です」


 ジュリオとフィリアが頷くと、


「それでは他の方々は部屋で楽にしてください。ああ、ただ窓はあまり開けない方が良いでしょう、音で分かると思いますが雨が相当強くなっていて、雷が――」


 その瞬間、窓の向こうに雷光が走り一拍おいて轟音ごうおんが響いた。


「……ご覧の通りです。先ほど確認した予報では明日には雨は止むとのことでしたが、今夜一杯は降るようなのでご注意を」


 そう言うと、モデストは一礼して聖堂の方へと去っていった。

 皆もそれぞれの部屋へと散っていく。


「じゃあわたしたちも荷物置きに行こう?」

「そうだね」


 レホス夫妻の部屋の前を過ぎ、用意された部屋へ向かう。

 木製のドアには三日月を意匠いしょうした模様もようられていた。外側には鍵は無く、内側に木で出来たかんぬきが付けられている。


「外からは開けられない作りなんだ……少し珍しいかも」

「フィリア、この模様は何かな。レホスさんたちの部屋のドアも同じマークがあったけど」

「それは闇神ルナリスの紋章もんしょうだね。ほら、聖堂の祭壇の奥に双子像があったでしょ? あれが光神ソレティナと闇神ルナリスの双子神の像なの」

「へぇ、てことはここは光と闇の神殿ってことか」

「うん。だから多分反対側――回廊の左側の方のドアには太陽の模様があると思う。左が光神、右が闇神で対称の造りになってるはずだから」

「さすがフィリア、よく知ってるね」

「わたしも光神ソレティナの神官だからね!」


 えっへんと胸を張るフィリア。


「……一番下のくらいの小神官だけど」


 すぐに肩を落としたが。


 部屋にはベッドが2台と小さい机が1つ、ガラスの窓が2つ設えられており、ドアの向こうの小部屋にはトイレと浴槽があった。机の上には燭台しょくだいがあり、チロチロと蝋燭ろうそくが燃えている。

 二人はそれぞれ床に荷物を置き、外套を壁に掛ける。

 と、床に置いたジュリオの背嚢がもぞもぞと動き、銀毛の猫が顔を出した。あたりを見回すと「ニャー」と鳴く。


「ミィか。勝手に付いてきたうえ、雨が降ってきた瞬間に背嚢に隠れたくせに」

「ニャオ?」

「まあいいけど……部屋の外には出るなよ。お前を連れてることは話してないからな」


 ミィがするりと背嚢から抜け出すと、机の上に飛び乗った。そのまま毛繕いをはじめる。


「ミャーオ」

「お前も腹が減ったか。ちょっと待ってろ、いまフィリアと用意してくるから――」


 そうジュリオが言いかけたところで、再び雷光がひらめく。直後に窓ガラスを震わせるほどの音がとどろいた。

 フィリアが小さく悲鳴を上げてジュリオのそでつかむが、ジュリオとミィは視線を窓に向けるだけで微動びどうだにしない。それを見たフィリアは、


「……なんかさあ、ジュリオもミィちゃんも変わってるよね」

「なにが?」

「なんていうか、都会まちの知識とか一般常識は無いくせに、雷とか幽霊とか、それどころか戦闘だって全然怖がったりしないじゃない? なんでかなって思って」


 フィリアの当然と言えば当然の疑問。フィリアは先の『青のさそり』との戦闘の後でジュリオとヴァイオレットが交わした会話を知らない。


「自分もミィもこういった山で育ったから天気の急変にも慣れてるし、さとでも狼やアンデッド、それに好戦的な小鬼族ゴブリンなんかも出たからね、戦いの経験が無い訳じゃないんだ。それに――」

「それに?」

「フィリアも知っての通り、物心ついてからずっと技の訓練をさせられてきたからね。恐怖とか驚きをおさえる訓練もやってただけだよ」


 ジュリオはつまらなそうに苦笑しながら言うが、18という若さでそれらを身につけるのにどれだけのきびしい訓練と犠牲ぎせいを重ねたのかと、フィリアは考えてしまう。


(ガストンさんも恐怖などに対して耐性を持ってるけど、それは人狼族ウェアウルフな上に軍隊の、しかも特殊部隊での経験の積み重ねがあるから。ジュリオのは普通じゃない。ううん、これはもう異常よね)


 ジュリオの動じなさ――というか感情の希薄きはくさと言っていい――は、そうした異常と言える特殊な環境で育った、いや、育てられたせいだろう。

 そのことにフィリアは怒りと悲しみ、あわれみがないぜになった感情をいだく。人としての普通のあり方を教えなかったジュリオの周囲の大人たちに。そしてジュリオ本人がそのことを不幸と思っている様子がまったくないことに。


(そう言われてみれば、楽しそうに見えるのは料理してる時と、それを食べる皆を見る時だけ。あとは顔は笑ってるけど、淡々たんたんと命令をこなしてる姿しかわたしは知らない……)


 常識は知らないけど、観察眼が鋭く、礼儀正しく、動物とも会話でき、戦いでも頼りになる、殺しを嫌う優しい同僚どうりょう。そう思っていたが、育ちを考えるとその在り方はいびつに、不幸に思えてしまう。

 余計なお世話だとは分かっていたが、


(――わたしがジュリオの力になってあげないと。喜びとか楽しさを教えてあげられるように)


 ひそかにそう決意するフィリアだった。


「フィリア?」


 考え込んでいたフィリアを心配するように、ジュリオが声を掛ける。


「――ううん、なんでもない。それよりモデストさんのお手伝いにいかないと」

「そうだね。ミィ、お前は留守番だ」

「ニャッ」


 ミィの短い返事を背中に受けながら、二人は部屋を出る。

 1階へと下り聖堂の左手のドアを開けると、ソファが向かい合わせになり、調度ちょうどととのえられた部屋があった。

 応接室だろうと二人は見当を付ける。


「さて、台所は……と」


 ジュリオたちがきょろきょろしていると、物音に気付いたのか応接室の端のドアが開いてモデストが現れた。


「すいません、説明不足でしたね。こちらが台所です」


 やはりすまなそうに言う。

 

「あ、そちらでしたか」


 モデストに付いて台所へ。

 台所ではかまどに火が入り、フライパンの上でトルティーヤが焼かれていた。


「今、とりあえずトウモロコシ粉のトルティーヤを焼いていますが、あとはどうしようか困っていまして。私は夕食は食べないことが多いのですが、聖職者でもない方々にはそうも行かないかと」


 困り顔でモデスト。ジュリオとフィリアは顔を見合わせると、


「うーん、そうですね……ほかに材料は何がありますか?」

「水はこの季節は井戸の水が凍っていますが、雪を解かしたものを使えば十分な量があるでしょう。食材の方は戸棚にいくらかハムやチーズ、パンなどの保存食があります。あとは日持ちする野菜のタマネギとジャガイモ、ニンジン、それとニンニクくらいでしょうか」

「うーん、それならハムを入れたケサディーヤに、野菜入りのソパ・デ・アホニンニクのスープにしたらどうかな?」

「あるいは具材を全部入れちゃって、ソパ・デ・トルティーヤトルティーヤのスープという手もあるね」


 フィリアとジュリオがすぐに案を出す。

 

「なるほど。さすがは若いお二人、限られた材料で良い料理を考えていただけてありがたいです。私は料理が不得意ですので、パンにチーズやハムなどだけで暮らしているものですから」


 関心したようにモデストが言う。


「いえいえ。ただ、七人分となると大分だいぶこちらの保存食のストックを使ってしまいますけど大丈夫でしょうか? 使わせていただいた分のお金はお支払いしますが、備蓄びちくが足りなくなってしまって困ったりしませんか?」

「それはご心配には及びません、あと3日ほどで巡回の商人さんが来てくれますし、歩いて半日程度の距離に村もいくつかありますから、飢えたりする心配はないですよ」

「それを聞いて安心しました。では調理に取り掛かりますか」

「そうですね。ああ、それとお金は結構です、困っている方々を助けるのは神殿の務めですから」

「そういう訳には――」

「ジュリオ」


 フィリアがそっとジュリオに目配めくばせする。


「では、あとで寄付箱きふばこに入れさせてもらいます。それなら問題ないですよね? わたしたちが勝手に寄付するだけですから」

「確かに皆様の善意ぜんいである、寄付をめることは出来ませんが……まいりましたな、フィリアさんは神殿のことをよくご存じなのですね」

「わたしも光神ソレティナの小神官として、小さいころに王都の大神殿で修行を積ませていただいたものですから」

「おお、ソレティナ様の小神官でしたか。これはまさに神の御導おみちびき、よろしければあとで祭祀さいしの手伝いをお願いしても? なにぶんここはルナリス様の信徒の私一人しかおりませんので、ソレティナ様への祭祀がとどこおっておりまして」

「もちろん、わたしでよろしければ喜んで。でも、こんなに立派な神殿にお1人なんですか?」

「かつては妻がソレティナ様の神官をここで務めていたのですが、5年前に病気で亡くなりまして。以来、こんな辺鄙へんぴな場所へと来てくれる神官のても無く、私一人でなんとかやっております」

「それは……申し訳ありません」

「いや、昔の話ですのでお気になさらぬよう。さ、それでは料理を再開しましょう――といっても、私では作り方が分かりませんので、何をお手伝いしましょうか?」


 明るく言うモデスト。

 ジュリオとフィリアは再び顔を見合わせると、


「それじゃあまずは何を作るか決めましょう」

「モデストさんはさっきの料理、どっちが良かったですか?」

「そうですね、私はどちらも美味おいしそうに思えましたが――」


 三人で料理の支度したくを始めたのだった。




◇◆◇




 結局フィリアの案が採用され、ジュリオの指導の下、ハム入りケサディーヤ――チーズをトルティーヤではさんで焼いたいわゆるファストフード――とソパ・デ・アホニンニクのスープが小一時間ほどで作られていた。

 台所には美味おいしそうなニンニクの香りが広がっている。


「これで完成、と」


 焼けたケサディーヤとスープを人数分の皿に盛る。

 

「ジュリオさん、フィリアさん、ありがとうございました。おかげで皆さんにひもじい思いをさせずに済みそうです」


 言って頭を下げるモデスト。


「いえ、材料を提供ていきょうして頂いたから可能な料理ですので」

「そうですよ」


 ジュリオ、フィリアもモデストに謝意を述べる。

 モデストは一つうなずくと、


「それでは、ついでで申し訳ないのですが、皆さんに持って行って頂けますか? 私は後からお茶を用意して持っていきます」

「お安い御用です。あ、モデストさんの分はここに残しておけば大丈夫ですか?」

「はい、私はいつも台所で食事を取っておりますので、置いておいて頂ければ」

「了解です」


 ジュリオとフィリアがトレイに人数分のお皿を載せていく。


「……ジュリオさんたちは、ひょっとして軍属の方ですか?」

「? いや、違いますが」

「そうですか。お二人ともお若いのにキビキビしてらっしゃいますし、返事にも『了解』を使われるあたりてっきりそうなのかと」

「そういえば、了解ってつい使っちゃってますね。でもわたしたち、軍隊じゃなくて王立調査局で捜査官をしてるんです」

「ああ、王立調査局のかたでしたか」


 納得したように頷くモデスト。


「それではジュリオさん、フィリアさん、ありがとうございました。お皿はお茶をお出しする時か翌朝に私が回収しますから、お二人も運び終わったら部屋で食べてらしてください」

「わかりました」

「それじゃあ運んできますね」


 ジュリオとフィリアは出来立ての料理を持って台所を出る。


「じゃあ自分がソンブラさんとキケーさんに渡してくるよ。フィリアはレホスさんたちにお願い」

「わかったわ。配り終えたらそのまま部屋に戻ってきてね」

「了解。モデストさんの手伝いはもういいのかな」

「あまりびたっても悪いから、お茶は任せましょ」

「なるほど」


 二人は手分けして料理を運ぶ。

 時刻は19時。すっかり暗くなった神殿内を、時折稲光が白く彩る。

 雨は強さを増し、窓ガラスを叩き続けていた。


「はーっ、配達終了! ……まだミィちゃんだけ?」

「ニャッ」


 部屋に戻ってきたフィリアの質問に、ミィが首を縦に振る。


「そっか」


 言いながら自分たちの分の食事を机に置く。

 そのままなんとはなしにベッドに身を投げ出すと、天井を見る。


「ジュリオ。ジュリオ=レイクウッド……」


(相変わらず料理してる間は楽しそうだったな――)


 作り終わって皆に配る時、距離の遠い手間の掛かる方を自分から選択する。そういう『優しさ』なのだと思っていたけど、それはジュリオ個人の優しさなのか、それともそうあれかしという『常識』に従っているだけなのか。もし後者だとすれば、今までフィリアに見せてきた優しさも単なる上辺だけの――いや、例えそうだとしても、ジュリオの力になると決めたはず。

 ただ、どうすればいいのか。


「わかんない……」


 考えれば考えるほど分からなくなっていく。

 そのまま際限無い思考に落ちていきそうだったフィリアを、


「ニャオ」


 ミィの鳴き声が引き留めた。

 フィリアがベッドから身体を起こすと、ミィが机の上のケサディーヤをちょいちょいと猫手で指している。


「あ、ごめんね。お腹すいてるんだっけ」

「ニャー」

「うーん、でも猫ちゃんて塩分の高いものダメじゃなかったっけ?」

「ミャオ?」

「確かそのはずよね。もうちょっと待って、ジュリオが帰ってきたら聞いてみるから――」

「自分がどうかした?」


 折よく戻ってくるジュリオ。


「あ、おかえりジュリオ。ミィちゃんがケサディーヤを欲しがってるんだけど」

「ただいま、フィリア。ミィ、そのままのハムとチーズは止めとけ。お前には塩抜きしたハムを用意してあるから、ちょっと待ってろ」

「ニャッ」

「チーズも寄越せ? まあ良いけど……一欠片ひとかけらだけだぞ」

「ニャオウ」


(ミィちゃんが相手だと少し乱暴な口調になるのよね。やっぱり付き合いの長さの違いかな)


 なんだかんだ言いながらミィへの食事を手早く用意するジュリオを見ながら、そんなことを考えるフィリア。

 ジュリオは床に置かれた皿の上に茹でて塩抜きされたハムとチーズを盛ると、


「ほれ」


 ミィに呼びかける。

 待ちかねたようにカツカツと食べる銀毛の猫を尻目に、


「フィリアも食事にしよう? っていうか、先に食べててくれてよかったのに」

「ううん、すぐ戻ってくると思ったから」

「そっか、じゃあ遅くなってごめん」

「そんなに待ってないから大丈夫」

「そう? キケーさんがお金を払うって言ってきて、断るのに時間が掛かっちゃって」

「行商人の人だっけ。ならご飯に代価を払うのは当たり前って思うかもね。ジュリオだってモデストさんにお金払うって食い下がってたじゃない」

「それもそうか。じゃあ受け取ってモデストさんに返した方が良かったのかな」

「気にしなくて良いんじゃない? モデストさんとキケーさん、知り合いっぽかったし」

「そうなの?」

「うん。名前で呼んでたからそうなのかなって」

「なるほど、相変わらず良く見てるね」

「ジュリオほどじゃないと思うけど……そんなことより食べよっか?」

「そうしようか」


 二人で机に向かい、料理に手を伸ばす。

 山道と雨で体力を消耗しょうもうしていたこともあってか、二人とも勢いよく食べ進め、10分もする頃には料理は全部空になっていた。


「美味しかったー……! さすがジュリオね」

「フィリアやモデストさんが手伝ってくれたから」


 言いながらジュリオが食べ終えた食器をまとめていく。

 外は変わらずの雨。束の間訪れた静寂に、


「ねぇ、ジュリオ」

「ん?」

「前から聞きたかったんだけど、どうしてジュリオは――」


 フィリアの疑問を、遠慮えんりょがちなノックの音がさえぎった。


「ジュリオさん、フィリアさん、モデストです。入ってもよろしいですか?」


 扉の外からモデストの声。


「どうぞ、開いてますよ」


 ジュリオが返事をする。


「ごめんフィリア、何?」

「ううん、いいの。なんでもない」


 小さく首を振るフィリアをジュリオは不思議そうに見ていたが、モデストが入ってくるとそちらに顔を戻す。


「お茶を持ってまいりました」

「ありがとうございます、モデストさん」

「いえいえ。食事をお任せしてしまいましたので、これくらいは――」


 と、モデストの視線が床にいたミィに注がれる。


「ミャオ?」

「ああすいません、この猫はいつの間にか荷物に紛れてくっついてきたようで――」

「猫、ですか……懐かしい。昔、この神殿にもよく来る猫がいました」


 そう言うと、思い出すように目を閉じるモデスト。


「どこにでもいるような野良猫でしたが、こうした雨や雪の日にはよく現れましてな、妻が構ってやっていたものです……しかし、そういえばここ数年見かけておりませんな。どこかで幸せに暮らしていると良いのですが」

 

 少し悲しげに笑うと、


「ああ、つまらない話をお聞かせしました。どうも年を取ると思い出話ばかりになっていけません」


 ゆるゆると首を振る。

 お茶の注がれたカップを机に置くと、


「それで、フィリアさんにはソレティナ様へのお祈りのお手伝いをお願いしてもよろしいですか? 食後すぐで申し訳ないのですが、あまり遅くなってもと」

「あ、はい。わたしでよければ」

「ありがとうございます。それでは参りましょう」


 モデストが部屋の外へ出る。


「じゃあジュリオ、ちょっと行ってくるね」

「うん、いってらっしゃい」

「ニャオ」


 ジュリオとミィが軽く手を振って応える。

 フィリアが部屋を出ていった後、ふと時刻を確認すると時計の針は20時少し過ぎを指していた。


「さて」


 モデストが持ってきてくれたお茶を一口すする。


「これは……」


 その味に少し難しい顔をするジュリオ。先ほど暖炉の前で配られた物とは違うお茶だった。いつの間にか机の上に登ってきたミィが、もう一つのカップ――フィリアの分――を覗き込んで、


「ニャオウ」


 と鳴く。


「そうだな。でも疲労回復には良いんじゃないか?」

「フニャ」

「そういう見方もあるか。でもモデストさんは悪人には見えないぞ」

「ニャオ」

「分かったよ、自分は飲まないことにする。お前は心配性だな」


 そう言うと、ジュリオはカップを机に戻した。 

 同じタイミングで、雷が鳴る。


「雷か……」


 先程フィリアに語った通り、雷に対する恐怖は無い。恐怖こそ無いが、ジュリオは雷が苦手だった。


(こないだの事件でも雷術師の雷撃でひどい目に遭いかけたっけ……効果範囲が広い上に発動から到達までが早くて避けにくいんだよなぁ、あれ)


 基本的に中・遠距離であれば、戦士などの前衛職と後衛たる魔術師では遠距離から攻撃を加えられる魔術師の方が圧倒的に有利である。近距離まで近づくことができれば魔術には詠唱が必要な分、今度は前衛職が有利になるが、それには近距離まで魔術師の放つ魔術をかいくぐることができれば、の話となる。

 前衛職にとっての魔術とも言える技術スキルは数多く存在するものの、そのほとんどは近距離用のものである。一部の達人は気闘法を用いての遠当てや、剣閃から真空波を生み出すことを可能とすると言うが、それは伝説級の話であって一般的ではない。

 そこで、絶対数は少ないが遠距離・大火力を可能とする魔術師を恐れた昔の人々は、中・遠の対魔術師戦に弓やクロスボウを扱う軽戦士、弓術師などを中衛として生み出した。攻撃範囲は魔術よりは狭いが、その代わり魔術師の詠唱より早く攻撃を仕掛けることが出来、矢弾が当たらずともその集中を乱すことができる。だが、矢弾は装甲で防ぐことが出来るため、分厚い騎士鎧プレートアーマーなどを着こんだ前衛職への対応策が無く、接近されると脆いという弱点を抱えることにもなった。

 結局、前衛は中衛に強く、中衛は後衛に強く、後衛は前衛に強い。そのような三すくみが常識となり、それを受けて現代の冒険者のグループは前衛、中衛、後衛をバランスよく組み合わせたパーティーが一般的となった。軍隊もまたしかりである。

 特殊犯罪課においてはジュリオ、ガストンが前衛、フィリア、ヴィクトル、アルセリアが後衛で中衛は不在だが、個々の能力が高いため今のところ特に問題にはなっていない。


「ただいまー」


 扉を開けてフィリアが帰ってくる。


「おかえり、早かったねフィリア」

「もう遅いからって、お祈りだけ捧げてきただけだから」

「そういうものなの?」

「正式な祭祀となったら、3日掛かりだけどね。……もう冷めちゃったかな?」


 そう言いつつ、机の上のカップを取る。


「ニャッ」

「なに、ミィちゃん?」

「ああ、気にしないで。なにかお茶に使われている植物が気に入らないみたい」

「へえ? 毒が入ってるって訳じゃないでしょう?」

「それは大丈夫、自分がさっき確認したよ。疲労回復向けの植物のブレンド茶みたい」

「そうなんだ。モデストさんは料理は苦手って言ってたけど、お茶の調合は得意なのかしら。少し苦いけど、お花の優しい香りがして飲みやすいよ、これ」


 喉が渇いていたのか、フィリアは話しながらお茶を飲み干す。

 

「ん~……っ」


 カップを戻して伸びをするフィリアに、

 

「戦闘もあったし、山道と雨、料理とお祈りと大分疲れたでしょ。せっかく部屋にあるんだし、お風呂入ってきたら?」

「そうね、そうしようかな」

 

 フィリアは自分の背嚢から着替えとタオルを取り出す。もともと一泊する予定は無かったが、万一に備えて用意はしておくものである。


(ん? そういえば、局の仮眠室とかで一緒の部屋で寝ることはあったけど、二人きりなのは初めてかも……)


 今更の認識であるが、もともと男女間の機微きびうといフィリアである。


(ジュリオだし問題ないよね、うん)


「じゃあちょっと入ってくるね」

「ごゆっくり」

 

 少しだけジュリオを意識しながら、フィリアはお風呂へ向かった。

 なお、ジュリオはフィリアに輪を掛けてそういった感情に疎い。女の子に興味が無い訳ではないのだが、郷には同年代の女子が妹くらいしかいなかったため、どうしていいか、どうしたいのかがいまいち本人にも分かっていないのである。


 結局、特にジュリオとフィリアの間には何事もなく夜が明ける。


 後日、ガストンがこの話を聞いて「そういうとこだぞ、坊主」とコーヒーをすすりながら溜息ためいきをついたという。




◇◆◇




 翌朝。

 ジュリオが目を覚ますと、窓の外の雨は止んでいた。昨晩のうちに雨雲は去ったようだ。

 隣のベッドではフィリアとミィがすうすうと寝息を立てている。


(さて、どうしたものか)


 時刻は5時。普段なら朝課の運動をするところであるが、雨の上がったばかりのぬかるんだ山道では問題がある。かといって神殿内でやるのも非常識だろう。それくらいはジュリオにも分かる。

 となるともう一つの朝課である朝食作りをと思ったのだが、夕べすでにモデストから少ない食料を分けてもらっている。朝食も、となると負担になってしまうかもしれない。


(一応様子だけ見てくるか)


 そう考えをまとめると、ジュリオは閂を外して静かに部屋を出た。

 早朝の神殿は静謐せいひつそのもので、外からの柔らかい日差しがステンドグラス越しに聖堂へと色とりどりの光を投げかけている。その光景は、特に信仰するもののないジュリオにもなにか訴えかけるものがあった。

 回廊へと続く階段を下りると、聖堂でひざまずき祈りを捧げるモデストが見えた。


「おはようございます」

「おはようございます、ジュリオさん」


 ジュリオの挨拶に、居住まいを正したモデストが返す。


「雨はあがったみたいですね」

「ええ、朝になってあがりましたね。皆さんもこれでそれぞれの家へ戻れることでしょう」


 これも神の御導き、と呟くモデスト。


「それで、ジュリオさんはどうなさいました? まだ朝早いですが」

「目が覚めてしまいまして」

「ふむ、朝の運動をなさりたかったのではありませんか?」

「……分かりますか?」

「これでも長く生きておりますし、一時期は従軍司祭も務めておりましたから人を見る目だけはそれなりにあると思っております。ジュリオさんの動きは一見無造作に見えますが、実際は流れる水のようでほとんど無駄がありません。その若さでこれほどとは相当な修行を積まれたのでしょう、正直、色々とお察しいたします」

「そういう家に生まれただけなので、自分ではなんとも思ってないですよ。――しかし、そんなに分かり易かったですかね?」


 ジュリオが首を捻る。最短、最小で動くのでなく、動きに『ゆらぎ』を持たせ、いわゆる普通の振りをしているつもりだったが、少なくともガストンには見破られていたことは確実である。ガストンは元特殊部隊所属のいわば格闘技のエキスパートであったため気づかれたのは仕方ないと思っていたが、おそらく戦闘からは縁の遠いであろうモデストにも見破られたことを考えると、ジュリオの想定が甘かったと考えざるを得ない。


「いえ、普通は気づかないかと思います。ただ、私は昨夜にジュリオさんが料理されるところを見ておりましたので」

「――料理?」


 モデストの発言に少し考え込むが、すぐに気が付いた。

 

「ああ、そうか、料理中は動きに気を付けてなかったかも、ですね」

「はい。フライパンの振り方一つだけでも、気づかれる方はいらっしゃるかもしれません」


 美味しい料理を作るためにとジュリオは全力を尽くしていたが、それが原因で偽装を見破られるとは完全に盲点だった。


「指摘、ありがとうございます。そうか、料理中か」

 

 どうしたものかと悩み始めたジュリオに、


「さしでがましいことかもしれませんが、何故隠そうとされるのですか?」

 

 モデストが訊ねる。


「いや、強さを見せてしまうと怖がられたり、問題の元になると教えられたもので」


 自分を強いと言い切ってしまうジュリオは、悪気はまったくないとはいえ普通に見れば傲慢ごうまんに見えるだろう。だが、郷を出て王都で暮らし始めたジュリオには、一般人と自分との差が分かってきていた。郷で育てられた自分と、普通の人の間にはその戦闘力に歴然とした差がある。そして、戦闘力の無い方が普通なのだと。だから、ジュリオは自分の強さを隠そうとしていたのだ。


「なるほど。ですが、ジュリオさんの周りにはジュリオさんの強さを知って怖がるような人はいらっしゃらなかったのではありませんか?」


 モデストの言葉に再び考え込む。


(確かに、フィリアやガストン先輩、ヴィクトル先輩にアルセリア先輩、レオーネ博士といった特殊犯罪課の人達は気にする素振りすらなかったかも)


 そう思い出す。


「なにも常に高圧的な素振りでいろという訳ではありませんし、たとえどれだけ強くとも、それをひけらかすようなうちは二流である、という言葉もあります。ですが、演技することが普通になってしまうと、いつのまにか素の自分を見失ってしまうことが多々あるものです。ジュリオさん、あなたはその若さでその強さを持ちながら他者を見下すこともなく、また自分の物を他者に振る舞うことに何の疑念も持たない、最近ではとても稀有けうな心の持ち主です。そんなあなたが、自分を偽っていくことでいつか歪んでいってしまうのではと、勝手ながら心配しております」


 モデストから見れば、ジュリオはまっすぐに伸びた若木のようだった。だが、この若者には些細ささいな事でどうにかなってしまいそうな、どこか危ういところがある。長年人を見てきた経験からそう判断したモデストは、つい忠告めいたことを口にしてしまっていた。


「もっとジュリオさんにとって、普通にしていていいのではありませんか? 何も知らない方から見れば怖い面もあるかもしれませんが、あなたを知る人はきっと誰もあなたらしさを気にしないと私は思います。むしろ、素のあなたを見せることでより理解が深まるのではないでしょうか。もっと周りを信頼して良いと思うのです」

「それは、神のしもべとしての助言でしょうか?」

「いえ、人生の先達としての、余計な言葉です。あなたは良くも悪くもまっすぐに育てられていらっしゃる。これからどう成長されるかとても楽しみな反面、もし悪に染まってしまったらと考えると……いや、私が言えることではありませんでした」


 悲しげに目をそらすと、モデストは言葉を切る。


「年寄りの繰言と思って頂ければ幸いです。余計なことをお話しました」

「いえ、出会って1日の方に見抜かれたのも、そのような話をされたことも初めてでした。自分は考えすぎだったんでしょうか?」

「おそらくジュリオさんが思うほど周囲は気にしないでしょう。フィリアさんを見ればわかります」

「フィリアは素直な子ですからね」


 ジュリオとモデストの二人が思わず笑みを交わす。


「わたしがどうかした?」


 声の方を見ると、ミィを肩に乗せたフィリアがいつの間にかやってきていた。聖堂の大時計は6時半を指している。


「おはようございます、フィリアさん。良く眠れましたか?」

「おはよう、フィリア」

「おはようございます、ジュリオ、モデストさん。おかげさまで今までぐっすりでした」

「ニャッ」


 3者と1匹の間で挨拶が交わされる。


「いやはや、しかし良く訓練された猫ですね。まるで人の言葉が分かるようです」

「ミィは大体の言葉を理解してますよ。猫特有の気まぐれさはありますが、ある程度の命令は聞いてくれます」

「それはすごい」


 モデストが手を伸ばしてフィリアの肩のミィを撫でた。ミィは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らし始める。

 ひとしきり撫でると満足したのか、


「さて、それではそろそろ皆様を起こしに行ってまいります。少し早いかもしれませんが、皆様予定もあるでしょうし」


 そう言ってモデストは回廊へと向かっていった。

 あとにはジュリオとフィリアの二人が残る。


「ジュリオ、モデストさんと何話してたの?」

「うーん、色々かな。モデストさんにもっと自分を出してみればって助言された」

「あー、それはわたしもそう思うかな」

「……そんなに不自然に見えてた?」

「気付いてないかもしれないけど、料理を作ってる時のジュリオと普段のジュリオじゃ雰囲気が全然違く見えるよ? まだ半年も経ってないから難しいのかもしれないけど、もしまだわたしたちになにか遠慮してるならそれはちょっと寂しいし」


 そう言うとフィリアははにかんだように微笑む。

 ジュリオは暫く考え込んでいたが、


「わかった、やってみる。別に遠慮してるつもりはなかったんだけどね」


 少し困ったような笑顔を浮かべてそう言った。

 そこへ、


「ジュリオさん、フィリアさん。一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」


 戻ってきたモデストは、どこか緊張した面持ちをしている。


「なにかあったんですか?」

「キケーさんが、いくら呼んでも起きていらっしゃらないのです。確認しようにもドアには閂が掛かっておりまして」

「わかりました、すぐに向かいましょう」

「ありがとうございます」


 三人は早足でキケーの部屋へと向かう。

 キケーの部屋のドアには、太陽を意匠化した模様が刻まれていた。

 モデストがドアを強くノックして、


「キケーさん、いらっしゃいますか? キケーさん」


 そう呼び掛けるが反応は無い。


「御覧の通りでして」

「フィリア、生物に反応する魔術があったよね? あれでこの神殿内の人数を確認できないかな」

生者気配感知センスライフエナジーね。了解」


 フィリアは長杖ロッドを掲げて目を閉じると、


接続コネクト光神ソレティナ……【生者気配感知センスライフエナジー】」


 詠唱が終わり、魔術が発動する。

 暫くしてフィリアが目を開けて険しい表情を見せた。


「いまこの神殿で感知できる人の数は6つだったよ」

「6つか、一人分足りないな……こういう場合、ドアを破って確認しても良いのかな?」

「緊急事態だし、モデストさんに許可を取れば大丈夫だと思う」

「そうか。モデストさん――」

「わかっております、キケーさんの確認が最優先です、お好きにして下さい」


 モデストがジュリオに頷く。ジュリオも頷き返すと、


「ドアを破ります。フィリアとモデストさんは少し下がって」


 ドアの前でジュリオは拳を構えると、自分たちの部屋のドアの構造を思い出して、ドア全体ではなく取り付けられている閂だけ破壊できる技を探す。最適なのは表側にではなく内部に、裏側に影響を及ぼす技――

 

戦技せんぎ・【ぬき】」


 そうつぶやいて闘気をまとったてのひらをドアに押し付ける。一瞬の間を置いて、ドアの向こうから木材の折れる音、そして何かが落ちた音が響き、ドアが少しだけ開いた。


「行きましょう」


 ジュリオがドアを押し開けると、フィリアとモデストも無言でついて行く。

 部屋の内装はジュリオたちの部屋と同じだった。2つの窓に小さな机、2つのベッド。その1つにキケーはいた。

 ベッドに横たわったキケーは目を見開き、半開きになった口の周りは汚物にまみれ、舌がはみ出している。両手は喉を押さえるようにしていた。人の好さそうだった顔は崩れ、一目でも明らかに苦しんで死んだ姿だと判る。


「キケーさん……」


 複雑そうな表情でそれを見たモデストは、小さく聖句を唱えていた。

 ジュリオとフィリアはキケーに近づいて、確認を始める。フィリアはポーチから手袋を取り出すとキケーの体を触り、ジュリオはベッドの周囲に異常が無いかチェックし始めた。


「……脈は無し。完全に亡くなってる。死後硬直も進んでいて、レオーネさんに教えてもらった通りだと死後6~8時間後くらいかな。ジュリオはどう思う?」

「フィリアと同じ意見かな。ベッドと部屋に不審物見当たらず。死因は?」

「苦しみ方からすると、心臓麻痺とかだけど……それなら喉じゃなくて胸を押さえるから違うかな」

「部屋の閂は掛けられてて外からは入れなかったから、病死か自殺の可能性が高いか。でもキケーさんに持病とか自殺とか、そんな気配は無かったと思う」

「となると、やっぱり心臓発作的な病気?」

「うーん、判断材料が足りないかな。レオーネ博士に確認して貰わないとかも」


 二人で手早く事態を確認していく。

 と、ついてきていたミィが「ミャオ」と鳴いた。反応したジュリオが素早く動き、キケーの顔を覗き込む。


「フィリア、キケーさんの瞳孔が散大じゃなくて縮瞳してる」

「え? ごめん、まだ確認してなかった」

「縮瞳とこの苦しみ方――たしか神経毒だっけ? その症状によく似てる気がする」

「そうだね。でも毒物ってことは、他殺か自殺の二択かな」

「おいおい、他殺って……キケーさんが殺されたのかよ!?」


 響いたレホスの声にジュリオたちが振り返ると、キケーの部屋の前にセルカとレホス、そして森妖精族のソンブラの姿が見える。部屋に入ろうとするレホスをモデストが抑えていた。


「モデストさん、聖堂に行きましょう。ここは現場ですので、無暗に人に入られては困ります」


 フィリアの言葉に、


「さっきから勝手に動いてるのはお前たちだろ。警察でもないだろうに何やってんだ?」


 不審そうな目でレホスがジュリオとフィリアを見る。声には出さないが、そばにいるセルカも同じような顔だ。


「わたしとジュリオは王立調査局の捜査官です。警察と同じく、こうした事態に対して捜査権を持っています。すいませんが、わたしたちの言葉に従って下さい」


 フィリアがきっぱりと告げると、胸元から蛇喰鷲の紋章を取り出して全員に見せる。ジュリオも懐から紋章を取り出すと、フィリアと並んだ。

 うさんくさそうに見ていたレホスとセルカ、そして遠巻きにしていたソンブラもはっと息を呑んだのが分かる。


「キケーさんが亡くなりました。死因はまだ不明ですが、他殺の可能性があります。皆さん、わたしたちと一緒に聖堂へ来てもらいます」

「お、俺たちは関係ない。先に帰らせてもらう」

「キケーさんが亡くなったのは恐らく昨晩です。この神殿にいた以上、無関係ではないですね。従わない場合は逃亡と見做して逮捕させていただくことになりますが?」


 長杖を構えてフィリアが告げる。杖の先端にある魔石に光が灯り、魔力を込め始めた事が目に見えて分かった。普段はおっとりとしているが、捜査に入ったフィリアは真剣な表情を崩さない。


「あんた、やめな! やましいことが無いなら堂々としてれば良いのよ」

「わ、分かった。一緒に聖堂に行くから杖を下ろしてくれ」


 セルカの言葉と、フィリアが本気だと悟りレホスは抵抗をやめる。

 ジュリオがソンブラに視線を向けると、ソンブラは黙って頷いた。来ていたコートから短杖ワンドを取り出すと、ジュリオへと渡す。相変わらず無言ではあるが、魔術師が自らかなめとも言うべき杖を手放すのだから、抵抗するつもりが無いのは明らかだった。

 ソンブラの杖をフィリアに見せてから懐にしまう。


「皆さん協力ありがとうございます。では移動しましょう」


 外鍵のないドアのため現場に鍵を掛けることが出来ないが、全員を一か所に集めておけば問題は無い。フィリアは亡くなったキケーに短く聖句を唱えると、ドアを閉じる。

 一行は階段を降り、聖堂へと移った。


「立っているのもなんですから、皆さん座って下さい」

 

 祭壇の前に立ったフィリアが言うと、それぞれが思い思いの場所に腰を下ろす。


「改めてお知らせしますが、キケーさんが亡くなりました。死因はどうやら毒物のようで、死亡推定時刻は昨夜の12時から2時。まずは皆さんの昨夜の行動を教えて下さい」

「それは構わないが死亡推定時刻ってなんだ? なんとなくは分かるが……」


 レホスが疑問の声をあげる。レオーネの死後硬直による死亡時刻推定法は、まだ王都で使われ始めたばかりなので、この辺りには死亡推定時刻という言葉も広まっていないらしい。

 ジュリオがフィリアの横から補足する。


「死亡推定時刻は、その名の通りおおよそ何時にその人が亡くなったかを示す言葉です。亡くなった時間が分かれば、その時間の周囲の行動を調べることで色々と割り出すことができます」


 納得したようにレホスとセルカ、ソンブラにモデストが頷いている。


「では、まずはレホスさんたちからお伺いします」

「俺もセルカも、フィリアちゃんから食事をもらった後は今朝キケーさんの部屋に行くまでずっと部屋にいたよ。食事後にモデストさんが来てお茶をくれたくらいかな」

 

 レホスの横でその通りだと頷くセルカ。


「わかりました。ソンブラさんも同じですか?」


 フィリアの言葉にやはり頷くだけでソンブラが返答する。


「モデストさんは如何でしょう?」

「私は皆さんにお茶を配ってからは自室に居りました。23時頃に神殿内の見回りをした後は朝4時頃に起きて祭壇で祈りを捧げておりましたが、5時になるとジュリオさんが部屋から降りていらっしゃいました。そのままジュリオさんとお話していて、あとはジュリオさんやフィリアさんのご存じの通りです」


 フィリアの視線にジュリオが軽く頷いて、モデストの言葉を肯定した。


「一応わたしたちの行動も。皆さんと同じように食事のあとモデストさんからお茶を頂いて、それからはずっと部屋でした」


 全員の行動が提示されたが、これでは何もわからないのと一緒である。


「全員部屋から出ていない、と。では誰か変わった物音などを聞いたりとかはありませんでしたか?」


 ジュリオの問いに、


「昨夜の雨と雷では物音は難しいかと思います」


 モデストがそう答え、レホスやソンブラが分からないと首を振る。

 

「モデストさん、見回りをした際に何か気付いたことはありますか?」

「各部屋の前も通りましたが、どなたもお見掛けしませんでした」

「そうですか……」


 フィリアが首を傾げて考え込む。

 その様子を見て、


「なあ、本当にキケーさんは殺されたのか? 事故とか病気とかじゃないのか?」

「他殺と決まった訳ではありませんが、死亡したと思われる原因からすると事故の可能性は低いです。自殺の可能性も考えましたが、遺書の類も少なくとも目のつく範囲にはありませんでしたし、昨日お見掛けした限りでは自殺されるような様子も感じられませんでした」


 レホスとセルカは顔を見合わせると、


「キケーさん、行商人辞めてやっと故郷に帰れるって喜んでたもんな……」

「息子夫婦と孫と暮らすんだって笑ってたわね……」


 昨日キケーと交わした会話を思い出したのか、口々にそうこぼす。


「レホスさんはキケーさんとお知り合いだったんですか?」

「ああ、行商人だから時々うちらの村にも来てたからな。挨拶する程度だったけど」

「ではソンブラさんはキケーさんのことはご存じでしたか?」


 ソンブラはふるふると首を振って否定。

 

「モデストさんはキケーさんとお知り合いですよね?」

「はい。この神殿に物資を運んでくださる大半はキケーさんでしたから、付き合いは長いですね。良き友人でした」


 淡々とモデストが答えた。

 一同の間に沈黙が訪れる。

 と、ジュリオがフィリアを皆から離れた壁際へと手招きした。

 壁際に二人が移動する。

 

「どうしたの、ジュリオ?」

「皆嘘を吐いてる様子は無いし、犯人は判ってるんだけど――状況証拠以外は無いし、動機が分からないんだ。予測は出来るけど」

「うん、それで?」


 ジュリオの言葉に驚くことなく、フィリアが先を促す。


「隠す気も逃げる気もなさそうだし、証拠は無くても本人に聞けば殺したことを認めると思うんだけど、こういう場合は逮捕してから麓の町の詰所で確認してもらう方が良いの?」

「状況証拠だけだから、自白を確認してからにしましょう。念のためソンブラさんに質問してからだけど」

「了解」


 ジュリオとフィリアはお互いに頷き合うと、祭壇前へと戻った。

 改めてフィリアが問う。

 

「ソンブラさん、一つ確認なのですが、あなたの使える魔術の属性を教えて頂いても良いですか? わたしは水と風、光の3属性ですが」

「――わたくしは火と風の2属性ですが、フィリアさんと同じく闇属性はありません。所属先に確認していただいても大丈夫です」


 初めて口を開いたソンブラの声はか細かったが、はっきりとしていて聞き取れない部分はなかった。発言内容で事態を理解していることも示している。

 レホスとセルカにはなんの意味があるのか分からないようだったが、モデストとソンブラは黙って頷く。その目は『決着を付けろ』と訴えていた。

 フィリアに代わり、今度はジュリオがモデストの方を向く。


「モデストさん、キケーさんにお茶を配りに行った時、何か話をしましたか?」

「はい。少々話をいたしました」

「それは、モデストさんの奥様の死に関わることですか?」

「はい、妻の病気の特効薬についてでした」

「……詳しく話していただいても?」


 モデストは悲しげに微笑むと、語り始める。


「5年前、妻が病気に掛かっていることに気が付きました。妻は光神ソレティナ様の神官でしたから、魔術で病気を治そうと試みたのですが、その病は魔術で治せない特殊なものだったのです。幸い、特殊な病ではありましたが特効薬が存在していることを知った私たちは、神殿を離れられない私たちに代わってキケーさんに特効薬の入手をお願いしました。少々値は張りますが、王都か大都市に行けば手に入らないことはないはずのものでしたから。病の進行が早く、妻の病状はあっという間に悪化して行き、キケーさんが戻ってきた頃には既に明日をも知れぬ身となっていました」


 一旦言葉を切ったモデストが、周囲を見る。


「間に合った。私はそう思ってキケーさんの帰還を喜びました。ですが、折り悪く流行り病が発生していたこともあって特効薬を入手できなかった、キケーさんはそう言ったのです。その特効薬は他の病の治療にも転用可能なものでしたし、流行り病の治療にこの神殿を訪れる者も多かったですから、私はその言葉を信じました。結果、間もなく妻はこの世を去りましたが、仕方がなかった、間が悪かったのだと諦めておりました」


 モデストの表情が怒りに染まる。


「しかし、昨夜になってキケーさん、いやキケーは言ったのです。実は特効薬は入手出来ていたのだが、10倍の値で買わせてくれという富豪に売ってしまったのだと。そして引退するからもうここには来なくなってしまうので、その前に懺悔ざんげしたかったのだと。今では後悔している、そうキケーは言いました。本人は反省しているつもりでも、妻を殺されたと感じた私には到底許せるものではありませんでしたが」

「……だから、あなたはキケーさんを殺したのですね」


 ジュリオの静かな言葉に、モデストは頷いた。


「はい。その場は怒りを見せずに部屋を出ましたが、今更になってそんなことを言い出し、しかも許されようとするキケーへの殺意で一杯でした。幸いと言うべきか、皆様にお出ししたお茶は疲労回復のために睡眠導入を強化する種類のものでしたから、邪魔をする者はいないだろうと考え、23時の見回りの際にキケーの部屋の前で闇神ルナリス様のお力を借りて、従軍司祭をしていた折に知った神経毒を発生させる魔術を使用しました。ドア越しでしたから直接確認は出来ませんでしたが、今朝見たキケーは大変苦しんで死んだようで満足しております」


 怒りを収めて普段と変わらぬ様子でモデストが言う。その淡々とした様子に怯えたように、


「モデストさん、あんた……」

「神官なのに、人を殺したってのかい」


 レホスとセルカが愕然とした様子で口にするが、


「神官とて人の子です。ましてや人にはそれぞれ許せぬものがございます。今回、私にとってのキケーがそれだっただけのことです。戦場では理由すらなく人が死んでいくのですよ」


 大したことではありません、とモデストが返す。


「平時において人殺しは大罪ではありますが、後悔はございませんし隠すつもりもございませんでした。この場にジュリオさんたち王立調査局の方が居合わせたのも、神の御導きでしょう、どうぞ裁いていただきたい」

「殺す方法はいくらでもあったはずなのに、あえて闇魔術を使ったのは何故ですか?」

「フィリアさんはソレティナ様の神官ですから、反対の闇属性をお持ちである可能性は低いです。ソンブラさんは分かりませんでしたが、闇神ルナリス様に使える私が闇魔術を使えるのは明らかなので、疑われるのは私が先でしょう。神経毒は一般人が手に入れられるものではございませんし、闇魔術にのみ神経ガス魔術が存在します。どのみち自白するつもりでございましたし、他の方を巻き込むつもりはありませんでしたから」

「そもそも殺さない選択肢は――なかったのでしょうか?」


 フィリアが悲しげに聞くが、モデストは首を振ると、


「ありえませんでした」


 そう断言した。

 再び聖堂に降りた沈黙を、ソンブラが破る。


「では事件も解決したようですし、わたくしの短杖を返して頂いても? 任務の途中ですので」

「失礼しましたソンブラ中尉。ご協力に感謝します」


 ジュリオが短杖をソンブラへと返す。


「しかし、王直属の護衛軍の方がなぜここに?」


 その言葉にジュリオとフィリアを除いた周囲が驚くが、ソンブラは困ったような笑みを浮かべると、


「本当にたまたまなのです。任務の途中に雨に降られ、立ち寄っただけですから」

「そうでしたか、任務の邪魔をして失礼いたしました」

「いえ、すぐ解決すると思ってましたから。護衛軍の印を知っていてくれて助かりました。王立調査局のジュリオとフィリア、覚えておきます」


 にこやかに笑ってからそう言うと、ソンブラは振り返ることもなく聖堂を颯爽と出て行った。


「あー、じゃあ俺たちも行ってもいいかな? 別に予定はないけど、帰りたい」


 レホスが言うと、隣のセルカもコクコクと頷く。フィリアが苦笑して、


「わたしたちが引き留める理由はないです、ご自由にどうぞ」

「ありがてえ。しかし若い二人が王立調査局の捜査官で、女森妖精が護衛軍とはねぇ……」

「あんた、これからは誰彼構わず喧嘩売るのはやめな。ソンブラさんが良い人で助かったけど、護衛軍に喧嘩なんて売ったらほんとは切り捨てられても文句言えないからね?」

「おお、そうだな。気を付けるよ」


 あまり反省していなさそうなレホスを連れて、セルカも聖堂を出ていく。

 ジュリオ、フィリア、モデストが残った。


「それではモデストさん、詰所まで同行願います」

「承知いたしました。神殿を離れる準備は昨日のうちに済ませております」

「フィリア、キケーさんの死体を放っていくわけにもいかないから、フィリアは神殿に残ってくれる?」

「了解。ジュリオはモデストさんを麓の町の詰所まで連れてって、説明と各種手続きをお願いね」

「ニャオ?」

「お前はフィリアと一緒にいてくれ。護衛兼話し相手だ」

「ニャッ」


 それぞれの役割を確認して、ジュリオたちは行動を開始した。




◇◆◇




 山道の途中。

 麓への坂を下りながら、ジュリオとモデストが会話していた。


「モデストさんは人を殺して後悔とかはありませんか?」


 直線すぎる問いである。だが、モデストは首を振って、


「後悔はありません。神も妻も望んでいないことは承知しておりましたが、私は私が為すべきことを為しました」

「そうですか……」


 言葉を濁したジュリオに、


「ジュリオさんは後悔したことがおありなのですね?」


 今度はモデストから直線の問いが返される。視線をそらして、ジュリオが頷く。


「――はい。この手で弟を」

「そうでしたか。何か理由があったのですか?」

「いえ。訓練の中で、戦いに没頭するあまりに気が付いた時には」

「事故だったのですね」

「自分には分かりません。殺意は無かったかもしれませんが、結果的に自分の技は弟の命を奪いました。これは、事故と言えるのですか?」

「明確な殺意が伴わなかったのなら、それは殺人ではなく事故です」


 断言するモデストをいぶかな目で見たジュリオは、


「加害者はそれで良くても、被害者はそうは思わないのでは……」


 そう返す。

 苦笑したモデストは、


「やはりジュリオさんは真面目な方ですね。王立調査局に所属されていて、それだけの力をお持ちなら犯罪者と直接戦うこともお有りのはず。命の懸かった場面で躊躇ためらえば、いつかジュリオさんが命を落としますよ。もしあなたが負ければ、次はフィリアさんや善良な一般の方が死ぬと知るべきです」

「皆そう言いますが……殺さなくても済むのなら、そうしたいと思うのは悪いことですか?」

「なにも皆殺しにしろと言うわけではありません。ですが、覚悟を持たねば覚悟が必要になった時にどうしても反応が遅れます。一瞬の油断が死を招くことは、ジュリオさんならご存じのはずですが」

「自分は容易に人を殺せる力を持ってしまいましたが、命を終わらせる権利など誰も持っていない、と考えます」

「では、法が人の命を奪うのは構わないのですか?」

「他人を傷つけたり、奪ったりした者が結果として処刑されるのは止むを得ないと思います。悪いことをすれば処罰されると分かっていれば、悪いことをする人は減ります。人が人を裁くより、法が人を裁く方がまだ健全です」

「その法も結局は人が作ったものです。あなたがそう言って手をこまねいている間に、あなたが倒さなかった人間が他の人を傷つけるのですよ?」

「それは犯罪者が立ち戻って今度は人の役にたつ可能性を無視しています」

「その可能性は否定いたしませんが、犯罪者の再犯率と復帰率、どちらが高いのかは――」

「分かっています。ですがその可能性が0でないなら、自分はそれに賭けたいんです」


 モデストは改めてジュリオの顔を見つめる。熱く語るその顔は、驚くほど必死だった。


「ジュリオさんは弟を殺してしまった自分がどうしても許せないのですね……でも履き違えてはいけません」


 強さなど持ち合わせていないが、かつて戦場にいた者なりに分かる事がある。モデストは犯罪者の身である自分にその資格が無いのを知りながら、足を止めてあえてジュリオに言葉を掛けた。


「犯罪者であろうと殺したくない。大変立派なことですが、それはジュリオさんが強者だから言える言葉です。あなたほどの強さがあれば、犯罪者を殺さずに捕まえることも余裕でしょう。ですが、普通の警察官にそれを求めるのは無理があります。彼らは家族や同僚、一般市民、そして正義と守るものを多く抱えています。あなたの発言は、それらを守るために必死な彼らに『犯罪者も可哀そうだから手加減して戦え』と言っているのと同じです。あなたが犯罪者を見逃すたびあなたほど強くない彼らの負担が増えていき、やがて彼らの中から犠牲者が出るでしょう。もう既にそうなっていてもおかしくありません。はっきり言って、あなたのその考え方は強者のおごりでしかないのです」


 強くしていた語調を落とし、


「あなたが守らなければいけないのは一般市民である弱者であって、犯罪者ではありません。状況に余裕があれば助けるのもいいでしょう、無暗に殺すこともありません。ですが、それは一歩間違えればあなたが守るべき弱者を死においやります。戦場では弱者から死んでいきますが、ジュリオさんの強さがあればそうした彼らを少しは助けられるはずなのです。もしあなたが王立調査局の捜査官としてあり続けたいのなら、その力を振るうことを恐れてはいけません」


 それまでモデストの言葉を黙って聞いていたジュリオは、


「自分は……驕っていたのでしょうか」


 ぽつりと呟いた。


「自分は――自分は殺人鬼などでは」

「今無理に結論を出すことはございません」


 必死になにかを言葉にしようとするジュリオを止める。


「必要なのは落ち着いて考えることです。先ほどの話は、所詮しょせん一犯罪者の戯言に過ぎないのですから」


 そういましめるとモデストは会話を止め、以降詰所に着くまでジュリオと会話することは無かった。

 

(人の話を聞くことは本来美徳ですが、ジュリオさんにとっては致命的な欠点かもしれません。やはり彼は危うい。神よ、願わくば彼に耐えられないほどの試練を与えることのありませんよう)


 モデストはそう祈ったが、得てして祈りとは届かないものである。

 ジュリオにとっての試練の日は近かった。

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蛇喰鷲の紋章の下に 如月十八 @Tooya-Kisaragi

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