亜鉱滓のチャイムズ
Aiinegruth
Blass
「私はいま、事件の現場に来ています」
「ちょっと待って、置いて行かないで。ふべっ」
続いて、
遥か昔、世界は音によって作られたという。国に何百も掘られた鉱区は、ブラスたちが生まれたときに捧げられる楽器を作るためにある。一人に一つの
「ブラスさん、こんなところにいたら具合が悪くなるよ。学校でも
「でも、するんですよね。違う音が、この下から」
「うん、人の叫び声と、ごーん、ごーんって迫ってくる感じの音」
「本当に、いままで聞いたことないですか?」
「そうだと思う。
頷いたチャイムズを見て、ブラスの目が艶めかしく光った。低く伏せて這いながら、広い欠落面に顔を覗かせる。後ろから心配の声が響くが、関係なかった。チャイムズが謎の音の夢を見るから、正体探りに付き添っている。これは建前で、友達でも何でもない引っ込み思案のクラスメートを一直線に引っ張ってきたのはブラスだった。鉱区でも関係者以外立ち入り禁止なのに、その底面。学生二人が、全くの無許可。手に刻まれた大綱の跡がじんじんと痛むのを、ブラスは無視して立ち上がる。
遥か昔、世界は音によって作られたという。
だから、人は死ぬときにこう言う。
新しい音の時代で会おう。
一昨日の弟の笑顔を思い浮かべて、ブラスは
チャイムズに夢の話を聞いた。たった一人の家族に今際の言葉を渡された。鉱区に前代未聞の穴が開いた。全てが嘘のように連続し、繋がった。
終末には、音の怪物が現れる。弟が残したのが、そんな古い伝承と同じくらい形骸的な言葉なのは、学校で最も優秀な彼女には分かっていた。けれども、この底の向こうには、まだ、あの笑顔があるかもしれない。三日間一睡もしていないブラスは、両眼を闇にぎらつかせたまま、もう一つ揺れる
「ありがとう、チャイムズ。気を付けて帰ってください。また、新しい音の時代で」
・・・・・・
「トラウマになるわぁあああああ!」
ブラスは首元をめちゃくちゃぐわんぐわんされて叩き起こされた。目覚めたのは、副都の端にある鉱区の作業員宿泊室だった。ああ、おはよ、みたいな様子で涙目のチャイムズに答えたブラスは、
「そうだ、ここは何処!? 弟は――」
「まず説明と謝罪でしょ」
「あ、あー」
「説明」
「……あー、すごく、申し訳ございません、でした」
ぐっすり寝て冷静になったブラスがしこたま謝って事情を話したあと、チャイムズはわざとらしく深いため息を吐いて彼女を先導した。壁に掛けてあったお揃いの黒い服を着て街に出る。ほとんど変わらない街並みのなかでも、ブラスは驚かざるを得なかった。通りを往く人々の首から下がるもの。それは指で空気を塞ぐ穴を持った長い筒――彼女たちの持っている
「
チャイムズが道中で説明したことにはこうだ。謎の穴からブラスが落下して間もなく、穴の亀裂が拡がり、彼女もまた巻き込まれた。落下した先のここは、
「成人までは見学だけど、その内ちゃんと働かないと生きていけないかも」
「えー、記者か探偵になりたかったです……」
「まだわがまま言えるのすごいね」
「えへへ」
空を見上げても、特に落ちてきた穴らしきものは見当たらない。どうにかして元の場所に戻る方法を探さなければいけないが、先に探したい人がいる。ブラスがもう一度頼み込むと、チャイムズは重い腰を上げた。ここ――仮に鐘の世界とする――には、元の場所――仮に
シェイクさん。名前を呼ばれると、壮年の男性は
「お嬢さん、僕に何か用かな」
「あ、いえ……。すみません、人違いだったみたいです」
「そうなのかい? 僕は見覚えがある気がしたんだけど――まぁ、良いか。お互い良き音がありますように」
「はい、良き音がありますように」
ごーんと音を鳴らして飛び立った人影が消えたころ、ブラスは一筋の涙を流した。ほとんど違う姿をしているが、弟だ。何の事故にも遭っておらず、憧れていた
「チャイムズ、ごめんなさい。ありがとうごさいますぅうう」
「はいはい、泣かないで、あとくっつかないで」
これからのことを考えましょ。泣きじゃくるブラスを引っぺがしたチャイムズは、彼女の手を取って堆積場へと戻った。
それから、幾つもの日が昇り、暮れていった。
シェイクの棺に羽の意匠の掘られた鐘を供えながら。
自分たちが、年を取らないことを。
・・・・・・
「やっと気付いた?」
堆積場の上。黒い鉱物の地平に寝そべりながら、チャイムズは言った。上空を隣国から飛んできた
多くの人が生まれ、大人になり、老いて、死んでいった。その果てに、通りの一等地に建てた新居も、シェイクの墓も灰になった。むせ返りそうな終わりの気配を、魔法を通さない
「鐘の世界が滅亡するまで、
「そうよ、ブラス。あと、」
――鐘の世界じゃなくて、鐘の時代よ。
新しい音の時代で会おうって、言うでしょ。
「
チャイムズがそう言って伸ばした手を、ブラスはためらいなく掴んだ。堆積場から見上げる空。空いた黒の大穴の奥から、余りに懐かしい音色が注ぐように聞こえてくる。
「それが、一二ある音の時代の担当者たちの仕事。だから、私はここに来たの。
「……分かりました」
「あれ、ずいぶん聞き分けがいいじゃん」
「寝言で全部喋ってたし、巻き込んでごめんって何度もいってましたから」
「は?????」
蒼空を駆ける軌跡。小さな町にも似た質量の晩鐘が、ひときわ大きな炸裂音を響かせて都市を蒸発させる。爆光に晒し上げられる視界のなか、未だ大人でない二人は、亜鉱に手を触れる。世界は音によって作られたという。終わるときもまた同じだ。景色が歪む。盆地の副都を囲う山々が、奇声を発して溶け落ちていく。残り時間は僅かしかない。その間に穴を塞がなければ、破滅の音が管の時代に波及する。
やり方は分かっている。ブラスはチャイムズを背負うと、ぐずぐすの堆積物に埋もれるように沈んでいった。魔法を蝕む毒。それは彼女たちの全身を強く押さえつけながらも、巨躯の怪物の姿を与えた。一秒を争うなか、
終末には、音の怪物が現れる。副都の主幹道路を占領するほどの幅と、長さ。鉱物で作られた黒い毛虫は、丘から降りて都市の残骸や人々の亡骸を引き潰しながら進み、気管に吸い込んだ空気でおぞましい音楽を奏でたあと、蛹も経ずに羽化した。変じたのは、羽の代わりに背から突き出た六つの鐘で飛ぶ蛾だ。蛾は音色の衝撃波で血風と灰燼を巻き上げると、遅れてきた自律兵器を風圧で吹き飛ばした。
ごーん、ごーん。粉のように揺らめく最後の人々の音を見送って、廃都市の上空を旋回すると、巨体は再び羽ばたいた。響く音を置き去りにするように、穴のなかに突っ込む。怪物の真ん中で、二人は力の限り叫んでいた。ガガガ、と削り、埋め込まれる巨影。重量差をものともせず、蛾の尻尾から引いた糸で吊り上げられた
「私はいま、事件の現場に来ています」
凄まじい地鳴りがして、鉱物が崩れ、二人は黒い床に転がった。痛ぁーと、腰を抑えて立ち上がるブラスに、チャイムズは手を伸ばす。もう鐘の音は何処にもない。暗い洞窟の底面。聞こえるのは、遠い
「あれ? 私、何でここにいるんですっけ」
「ん? ほら、探検っていってあたしを巻き込んだじゃん」
「えー、そうでしたか?」
閉じた時代の記憶は、担当者しか持たない。
それも、しばらくすると薄れて、消えていく。
チャイムズは笑ってごまかすと、無理やり肩を組んで歩き出す。
「あたしたちって親友になれる気がするんだよね」
「何か学校のときとキャラ違いません?」
「細かいことはいいのよ、ブラス」
「うわ、呼び捨てだ」
三日間寝ておらず、ふらつく女性の身体は、しっかりと支えられて倒れることはない。やがてうとうとし始めたブラスを
両手に跡をつけて、一つ進むたびに、涙が溢れてくる。鐘の夢を見て、初めて担当者だと悟った。感じた焦りと不安。関わり合いが下手だったから、自分を利用しようとしたブラス以外、誰も頼れる人はいなかった。たった一人だったら、今の自分はここにはないだろう。
「ありがとう、ブラス。あなたはきっとなりたいものになれる。どんな音の時代でも、あたしはあなたの味方だから」
「え、急に距離近くないですか」
「起きてたの!?」
「うわ、バカ落ちる落ちる落ちる」
「いや、こんなときには、ぴゅー、あ、
「
二人して滑り落ち、防護網に引っ掛かり、鉱区の
慌てて駆け付けた警備員にこてんぱんに叱られて、――
亜鉱滓のチャイムズ Aiinegruth @Aiinegruth
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