亜鉱滓のチャイムズ

Aiinegruth

Blass

「私はいま、事件の現場に来ています」

 副都第四鉱ふくとだいよんこうの底に穴が開いていた。ブラスは下層北壁に沿って垂らされた非常用の大綱おおつなを下りきって、黒い金属床きんぞくしょうに降り立つ。カンっとした靴音は、ふえの魔法の効果もあり、冷える洞内をささやかに揺らしたに留まった。

「ちょっと待って、置いて行かないで。ふべっ」 

 続いて、消音術しょうおんじゅつの効いた声が床に落ちる。クラスメートのチャイムズだ。自分より小柄な少女に手を伸ばしたブラスは、くすんだ金髪を相手の銀髪と重ねるように顔を近づけて、無事を確認した。

 遥か昔、世界は音によって作られたという。国に何百も掘られた鉱区は、ブラスたちが生まれたときに捧げられる楽器を作るためにある。一人に一つのふえは、様々な魔法の源となり、今日も彼女たちの生活を彩り豊かに支えている。どの鉱区でも、音鉱おんこう――ふえの材料となるカラフルで柔軟な鉱物――は地表付近ほど多く、下限深度を埋めるのは黒い亜鉱あこうだ。闇色の世界の底。全ての魔法を蝕み、受け付けない、不壊ふえの金属床は、ブラスたちの目の前で奈落の大口を開けている。

「ブラスさん、こんなところにいたら具合が悪くなるよ。学校でも亜鉱あこうには近づくなって、言われてるし……」

「でも、するんですよね。違う音が、この下から」

「うん、人の叫び声と、ごーん、ごーんって迫ってくる感じの音」

「本当に、いままで聞いたことないですか?」

「そうだと思う。ふえとは全然違うもん」

 頷いたチャイムズを見て、ブラスの目が艶めかしく光った。低く伏せて這いながら、広い欠落面に顔を覗かせる。後ろから心配の声が響くが、関係なかった。チャイムズが謎の音の夢を見るから、正体探りに付き添っている。これは建前で、友達でも何でもない引っ込み思案のクラスメートを一直線に引っ張ってきたのはブラスだった。鉱区でも関係者以外立ち入り禁止なのに、その底面。学生二人が、全くの無許可。手に刻まれた大綱の跡がじんじんと痛むのを、ブラスは無視して立ち上がる。


 遥か昔、世界は音によって作られたという。

 だから、人は死ぬときにこう言う。

 新しい音の時代で会おう。


 一昨日の弟の笑顔を思い浮かべて、ブラスは照明術しょうめいじゅつを解いた。首元のふえの明かりが消え、心地よい黒に輪郭が溶ける。ドタドタとクラスメートが追いかけてくる音を聞きながら、自分には無音に感じるだけの暗闇へ、倒れ込むように一歩踏み出す。

 チャイムズに夢の話を聞いた。たった一人の家族に今際の言葉を渡された。鉱区に前代未聞の穴が開いた。全てが嘘のように連続し、繋がった。

 終末には、音の怪物が現れる。弟が残したのが、そんな古い伝承と同じくらい形骸的な言葉なのは、学校で最も優秀な彼女には分かっていた。けれども、この底の向こうには、まだ、あの笑顔があるかもしれない。三日間一睡もしていないブラスは、両眼を闇にぎらつかせたまま、もう一つ揺れるふえの明かりの方を向いた。

「ありがとう、チャイムズ。気を付けて帰ってください。また、新しい音の時代で」


・・・・・・

 

「トラウマになるわぁあああああ!」

 ブラスは首元をめちゃくちゃぐわんぐわんされて叩き起こされた。目覚めたのは、副都の端にある鉱区の作業員宿泊室だった。ああ、おはよ、みたいな様子で涙目のチャイムズに答えたブラスは、ふえ先で頬を突かれまくったあと、はっと思い出した。

「そうだ、ここは何処!? 弟は――」

「まず説明と謝罪でしょ」

「あ、あー」

「説明」

「……あー、すごく、申し訳ございません、でした」

 ぐっすり寝て冷静になったブラスがしこたま謝って事情を話したあと、チャイムズはわざとらしく深いため息を吐いて彼女を先導した。壁に掛けてあったお揃いの黒い服を着て街に出る。ほとんど変わらない街並みのなかでも、ブラスは驚かざるを得なかった。通りを往く人々の首から下がるもの。それは指で空気を塞ぐ穴を持った長い筒――彼女たちの持っているふえ――には全く似通わず、底面と中身のくりぬかれた紡錘形の音鉱おんこうに金属棒がぶら下げてあるものだった。一歩進んで内部構造がぶつかるたびに、こーんと甲高い音が鳴り、それがふえと同じ魔法を生み出している。

かねというらしいの、話すと長くなるんだけど」

 チャイムズが道中で説明したことにはこうだ。謎の穴からブラスが落下して間もなく、穴の亀裂が拡がり、彼女もまた巻き込まれた。落下した先のここは、ふえの代わりに鐘というものが音の魔法の道具になっている。チャイムズは――おそらくブラスも――鐘を使って魔法を使うことが出来ない。副都の役所は魔法適性もなく、出自も不明の彼女たちに一つの仕事を押し付けた。亜鉱滓堆積場あこうさいたいせきじょう音鉱おんこうを発掘する過程で邪魔になった反魔法の危険物を保管、管理する仕事だ。

「成人までは見学だけど、その内ちゃんと働かないと生きていけないかも」

「えー、記者か探偵になりたかったです……」

「まだわがまま言えるのすごいね」

「えへへ」

 空を見上げても、特に落ちてきた穴らしきものは見当たらない。どうにかして元の場所に戻る方法を探さなければいけないが、先に探したい人がいる。ブラスがもう一度頼み込むと、チャイムズは重い腰を上げた。ここ――仮に鐘の世界とする――には、元の場所――仮にふえの世界とする――と、同名の人物が多くいる。寝ている間ブラスが呻いていたその名前に、街を歩き回っていたチャイムズは心当たりがあった。

 シェイクさん。名前を呼ばれると、壮年の男性は飛空鐘ひくうしょうの高度を下げて、広場に降り立った。見上げるほどの大男は、チャイムズたちの倍の高さはある荷物配送用の鐘に張り付けていた身体を外すと、静かに屈んで視線を合わせた。

「お嬢さん、僕に何か用かな」

「あ、いえ……。すみません、人違いだったみたいです」

「そうなのかい? 僕は見覚えがある気がしたんだけど――まぁ、良いか。お互い良き音がありますように」

「はい、良き音がありますように」

 ごーんと音を鳴らして飛び立った人影が消えたころ、ブラスは一筋の涙を流した。ほとんど違う姿をしているが、弟だ。何の事故にも遭っておらず、憧れていた浮遊術ふゆうじゅつも使いこなせている。鐘の世界では、幸せに笑っている。

「チャイムズ、ごめんなさい。ありがとうごさいますぅうう」

「はいはい、泣かないで、あとくっつかないで」

 これからのことを考えましょ。泣きじゃくるブラスを引っぺがしたチャイムズは、彼女の手を取って堆積場へと戻った。

 それから、幾つもの日が昇り、暮れていった。亜鉱あこうを運び、稼いだお金で小屋を買い、さらにそのなかを小物で埋め、庭に植物を育てた。鐘の世界の自分探しをしてみたり、首都や他の副都、別の国に出かけてみたりした。どうやってもふえの世界に戻る方法が分からないまま、四〇年が経ったところで、ブラスはあることを認めざるを得なかった。

 

 シェイクの棺に羽の意匠の掘られた鐘を供えながら。

 自分たちが、年を取らないことを。


・・・・・・


「やっと気付いた?」

 堆積場の上。黒い鉱物の地平に寝そべりながら、チャイムズは言った。上空を隣国から飛んできた飛行鐘ひこうしょうの編隊が過ぎ去り、丘の下に拡がる副都のビル群を爆撃していく。殺人術。破壊術。地上からも幾条の振動波が伸び上がり、敵の乗った鐘と空と雲を破壊的な音でゆがめていく。闇夜にけたたましい明かりが木霊し、焦熱と爆音が大地を揺らす。ここにきてから、五三〇〇年が経った。何が切っ掛けだか思い出せない戦争は一〇〇〇年続いていて、きっとみんな死ぬまで終わることはない。

 多くの人が生まれ、大人になり、老いて、死んでいった。その果てに、通りの一等地に建てた新居も、シェイクの墓も灰になった。むせ返りそうな終わりの気配を、魔法を通さない亜鉱あこうはすっと薄めて伝えてくる。

「鐘の世界が滅亡するまで、ふえの世界には戻れない」

「そうよ、ブラス。あと、」


 ――鐘の世界じゃなくて、鐘の時代よ。

 新しい音の時代で会おうって、言うでしょ。

 

かねの時代は終わり、ふえの時代になる。亜鉱あこうの底に穴が開く。絶えた音楽は昇り、再び始まる。そういう風にして、あたしたちは魔法と命と時代を渡っていくの。――みせてあげる」

 チャイムズがそう言って伸ばした手を、ブラスはためらいなく掴んだ。堆積場から見上げる空。空いた黒の大穴の奥から、余りに懐かしい音色が注ぐように聞こえてくる。ふえだ。チャイムズは言う。時代の変わり目に開くこの穴は、みんなが渡り切った後に閉じなければならない。

「それが、一二ある音の時代の担当者たちの仕事。だから、私はここに来たの。ブラスは次の時代の担当よ」

「……分かりました」

「あれ、ずいぶん聞き分けがいいじゃん」

「寝言で全部喋ってたし、巻き込んでごめんって何度もいってましたから」

「は?????」

 蒼空を駆ける軌跡。小さな町にも似た質量の晩鐘が、ひときわ大きな炸裂音を響かせて都市を蒸発させる。爆光に晒し上げられる視界のなか、未だ大人でない二人は、亜鉱に手を触れる。世界は音によって作られたという。終わるときもまた同じだ。景色が歪む。盆地の副都を囲う山々が、奇声を発して溶け落ちていく。残り時間は僅かしかない。その間に穴を塞がなければ、破滅の音が管の時代に波及する。

 やり方は分かっている。ブラスはチャイムズを背負うと、ぐずぐすの堆積物に埋もれるように沈んでいった。魔法を蝕む毒。それは彼女たちの全身を強く押さえつけながらも、巨躯の怪物の姿を与えた。一秒を争うなか、亜鉱滓外装獣あこうさいがいそうじゅうは、少女二人を飲み込んで猛進する。

 終末には、音の怪物が現れる。副都の主幹道路を占領するほどの幅と、長さ。鉱物で作られた黒い毛虫は、丘から降りて都市の残骸や人々の亡骸を引き潰しながら進み、気管に吸い込んだ空気でおぞましい音楽を奏でたあと、蛹も経ずに羽化した。変じたのは、羽の代わりに背から突き出た六つの鐘で飛ぶ蛾だ。蛾は音色の衝撃波で血風と灰燼を巻き上げると、遅れてきた自律兵器を風圧で吹き飛ばした。

 ごーん、ごーん。粉のように揺らめく最後の人々の音を見送って、廃都市の上空を旋回すると、巨体は再び羽ばたいた。響く音を置き去りにするように、穴のなかに突っ込む。怪物の真ん中で、二人は力の限り叫んでいた。ガガガ、と削り、埋め込まれる巨影。重量差をものともせず、蛾の尻尾から引いた糸で吊り上げられた亜鉱滓堆積場あこうさいたいせきじょう本体が、激震を伴って大穴に食い込んでいく。直後、闇の上から、いつかの声が聞こえる。


「私はいま、事件の現場に来ています」


 凄まじい地鳴りがして、鉱物が崩れ、二人は黒い床に転がった。痛ぁーと、腰を抑えて立ち上がるブラスに、チャイムズは手を伸ばす。もう鐘の音は何処にもない。暗い洞窟の底面。聞こえるのは、遠いふえの旋律と、もう一人の声だけ。

「あれ? 私、何でここにいるんですっけ」

「ん? ほら、探検っていってあたしを巻き込んだじゃん」

「えー、そうでしたか?」

 閉じた時代の記憶は、担当者しか持たない。

 それも、しばらくすると薄れて、消えていく。

 チャイムズは笑ってごまかすと、無理やり肩を組んで歩き出す。

「あたしたちって親友になれる気がするんだよね」

「何か学校のときとキャラ違いません?」

「細かいことはいいのよ、ブラス」

「うわ、呼び捨てだ」

 三日間寝ておらず、ふらつく女性の身体は、しっかりと支えられて倒れることはない。やがてうとうとし始めたブラスをふえ強化術きょうかじゅつで背負って、チャイムズは帰路の大綱おおつなを進む。

 両手に跡をつけて、一つ進むたびに、涙が溢れてくる。鐘の夢を見て、初めて担当者だと悟った。感じた焦りと不安。関わり合いが下手だったから、自分を利用しようとしたブラス以外、誰も頼れる人はいなかった。たった一人だったら、今の自分はここにはないだろう。

「ありがとう、ブラス。あなたはきっとなりたいものになれる。どんな音の時代でも、あたしはあなたの味方だから」

「え、急に距離近くないですか」

「起きてたの!?」

「うわ、バカ落ちる落ちる落ちる」

「いや、こんなときには、ぴゅー、あ、ふえが発光した」

浮遊術ふゆうじゅつ照明術しょうめいじゅつを間違えるやつがあるかぁぁああああ!」

 二人して滑り落ち、防護網に引っ掛かり、鉱区の警笛けいてきがけたたましく鳴る。

 慌てて駆け付けた警備員にこてんぱんに叱られて、――ふえの時代は、まだ始まったばかりだ。

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