二日目 「変わり始めた明日」(※あとがき必読)

 ──起きると朝を通り越し昼になっていた。


 今更いまさら帰る気も起きず、結局この宿で一夜を明かした。


 ……とうとうこの日が来てしまった。憂鬱ゆううつな気分になり、こうべを垂れる。

 そう、この日、もしこの日俺が学校に戻らなければ、俺はもう絶対に戻れなくなる。


 なにせ今日は定期テストの日だ。しかも主要三教科。もしそれらすべてを受けずに白紙で提出すれば、退学になるかもしれない。


 まぁ今更だが。


 備え付けられたブラウン管テレビを点けると、昨日の昼ごろ高校の男子生徒が突然学校を抜けだし行方不明になっていると報道されていた。

 学校から電話を受けた俺の両親が、あの後すぐ警察に捜索願を出したらしい。


 いきなり窓から飛び降りたんだから無理もないが。

 画面が切り変わり、うちの学校を上空から生中継で映し始めた。見ていてあまり気分のいいものではなかったので、チャンネルを切り変えた。


 今度は俺が中学生ぐらいだったころに撮った写真がでかでかと映し出されていた。


 ほかのどのチャンネルも、同じようなものを報道していた。

 あるチャンネルでは、俺が街中を疾走しているのが目撃されたことから、何らかの精神障害を抱えているのかもしれないと、偉そうな専門家たちが口々に話していた。


 またあるチャンネルでは、目撃者の証言をもとに俺がどのようなルートで走ったのかをパネルを使って考察していた。

 俺の居場所がバレるのも、時間の問題かもしれない。


 朝食を食べに行こうと食堂へ向かう途中、廊下ですれ違った宿屋の従業員から視線を感じた。

 怪しまれているとしても報道されている写真のほとんどは中学生の頃のもので今とはかなり見た目が違うし、そう簡単に通報されたりはしないと思うが、食べ終わり次第すぐにこの宿を立ち去ることにしよう。



 宿を出てしばらく街を歩いていると、道の先で何やら人だかりができているのを見つけた。

 その中心で、かすかに黒煙が出ているのがうかがえる。


 人だかりの中心にはありふれた二階建ての一軒家があった。


 その一軒家は炎上していた。


 家のベランダに俺と同じくらいに見える少女がおり、何かを叫びながら自らの首にナイフを突き立てていた。


 野次馬の波をかき分けながらぎりぎりまで近づくと、ようやく彼女の声が聞きとれた。


「来ないでっ!! 私はもう死ぬの!」


 彼女はそう叫んでいた。

 人だかりの正体は、群がる野次馬たちだった。


 心配そうに見つめるだけで、何もしない達。


 何を思ったのかスマートフォンで動画を撮り、勝手にネットに投稿するたち。


 そして目の前で少女が自殺しようとしているというのに、なぜか口元から笑みがこぼれ、家が燃える様子を平然と見続ける達。

 まるで見世物だった。


 ──なぜ奴らにそんなことが出来るのか、俺にはわからない。

 永久にわからないままでいいと思った。


 何もしなければ、間違いなく彼女は死ぬだろう。

 彼らはそれすらも棒立ちで見つめ、撮影し、自分たちが盛り上がるためのネタにするというのだろうか。


 許されないことだ。


 彼女の死は、軽々しくネタにしていいものではないはずだった。

 でも、きっと彼らはこの先もそれを続けるだろう。


 誰かが助けるなんて勝手に思い込んで、仕方なかったなんて言いわけして、自分が同じ目にわない限り、いつまでも。ずっと変わらずに。


 そう思うと、腹の底から熱く煮えたぎる何かが込み上げてきた。


 俺は野次馬たちを押しのけもろくなっていた木製のドアを蹴り飛ばして家の中へと駆けこんだ。


 昔のだったら、怖気おじけづいて野次馬にさえなれなかったことだろう。

 でもそれでいい。あんな風になるくらいなら。

 でも俺は、もうどちらでもない。

 俺はもう僕なんかじゃない。今の俺ならきっと、彼女を助けることができる。

 この状況だって変えられるはずだ。


 炎上していたのは表だけのようで、中まではあまり燃え広がっておらず、二階へと続く階段も無事だった。


 俺は階段を駆け上がり、少女のもとへ急ぐ。


 扉が開け放たれた部屋をのぞくと、ベランダに立つ少女の背中が見えた。もう目前まで迫って来ている。


 窓を閉めているせいか、こちらにはまだ気付いていない。

 だが俺はそれ以上前に進めなかった。


 突然、何をすればいいのかわからなくなった。

 最初は少女からナイフを奪い、そのまま取り押さえればいいと考えていた。そうすれば彼女は救われるとばかり思っていた。


 でも違う。


 今はっきりと気付いた。それでは彼女は救われない。

 それでは彼女はもう、戻れなくなってしまう。


 ならどうすればいいのだろうか。

 どうすれば、彼女を救う事ができるのだろう。


 背後から野次馬どもが階段をドタドタと駆け上がってくる音がする。今更いまさら乗り込んできたのか。


 もう考えている時間はない。俺は勢い良く窓を開けて不意打ちでナイフを奪い、襟首えりくびをつかんで抱き寄せると、野次馬共に向き直りながら少女の首にナイフを突き付けた。


「黙って道を開けろ! あと一歩でも近づいたら、コイツの命は無い!!」


 俺が叫ぶと、野次馬たちは立ち止り困惑した。

 ただ一人、人質の少女だけは恐怖におびえていた。


「助けて……」


 今にも消え入りそうなかすれ声だった。

 彼女の首筋に、うっすらと血がにじむ。


 野次馬たちは驚愕きょうがくした。ようやく気がついたらしい。


 ナイフの刃が、ほとんど隙間なくあてがわれている事に。


 少女の首筋から垂れたしずくが、床に赤い染みを作る。


 この野次馬どもはどうせ偽善者ぶって簡単には道を開けないだろうから、このくらいの演出は止むを得ない。

 コイツらは彼女を助けるつもりなどない。

 この非日常を映画気分で楽しみたいだけだ。もしあったとしても無責任に警察に突き出すだけだろう。


「道を開けろっつってんだろ! お前らがいたって邪魔になるだけなんだよ!!」


 野次馬たちはようやく道を開けた。


 そう、それでいい。脇役は、素直に脇役してろ。


 俺は少女を半ば引きずりながら一階へと下りる。


「ついてくるな!!」


 俺が振り返り叫ぶと、後へ続こうとする足音は消えた。


「勝手口はどこだ?」


「台所の、奥」


「案内しろ」


 俺がずっと突き立てていたナイフをおろしても少女に特に変化はなく、静かに台所の方へ歩いて行く。


 だから、その足取りがどこか軽快に見えたのは、きっと気のせいだろう。


 勝手口から裏へ出ると、一旦敷地の外の道路に出てからぐるりとまわって表の野次馬たちの中に混じった。


 それがこうそうし、駆けつけてきた警察官は俺たちに気付くことなくパトカーに乗り込んでどこかへ消えた。

 どこぞの知ったかぶりが作ったデマに流されて、俺たちが逃げ出したとでも思い込んだのだろう。


 そりゃそうだよな、まさか家の前で野次馬にまぎれてるなんて思わない。

 俺たちはパトカーの数がまばらになったのを見計らい、その場から立ち去った。


           *


「ねぇ、どこに行くつもりなの?」


「今考えてたところだ。お前の家族の家で一番近いのはどこだ?」


「私の、実家」


「お前の両親がいるのか?」


「うん」


「じゃあ駄目だ」


「何でよ?」


「警察にまっさきに先回りされる」


「そっか」


「お前の祖父母の家で近い方は?」


「……橋本」


「聞いたことないな」


「地名じゃなくて私の名前! お前じゃなくて橋本!」


「悪い」


 なんで俺は人質に謝っているんだろう。

 それよりも、この少女は──


「それで、あんたの名前は?」


 先の思考をはばむように、少女、橋本は立場を忘れて話しかけて来る。


「そんなことより、祖父母の家の場所を教えてくれ」


「わかったわよ、そんな怖い顔しなくてもいいじゃない。えっと、確かこの近くの停留所からバスに乗って終点で降りたとこの近くだったはず」


           *


「あぁ、あったあった。あれよあれ、あのバス停から乗るの」


 しばらく人気ひとけのない住宅街を歩いていると、やがて少女がバス停を見つけ、俺の方に笑顔で振り返った。


 その表情からは、一片のかげりも恐怖も、まるで感じられなかった。

 間違いない。コイツは心の底から笑っている。


 そしておそらく、この状況を楽しんでいる。



 バスの中はさほど込んでおらず、俺たちは座席に座ることができた。


 少女はやや遠慮ぎみに、俺から少し距離を置いて座った。

 それでも、腕を伸ばせば余裕で届くような距離だ。


 よくよく考えてみれば、あの時の彼女はどこかわざとらしかった。

 しかし、一応の距離を開けて座っているし、彼女の家も特に変わった様子はなかった。

 ではなぜ、彼女はこの状況を楽しんでいるのだろう。いわゆる〝変人〟か?


 いや、きっと違う。


 安易に決めつけるのは失礼だ。

 俺もよく、そんな風に言われるから。


「テメェ、ぶつかっておいて謝りもしねぇとか、なめてんのか?」


 歯切れの悪い不協和音がした。


 そう言えばさっきから妙に静かだな。

 さっきまであんなにうるさかった女子たちはもう降りたのだろうか。


 閉じていた目を開く。

 ずっと閉じていたせいで少しぼんやりとしているが、あの女子高生たちはまだバスを降りていなかった。

 彼女らはうつむいて、居心地悪そうにスマホをいじっていた。

 ずっとスマホにばかり視線を落とし、まったく顔を上げようとしない。見回せば他の乗客たちも同様だった。


 それも指でせわしなく画面をスライドさせていて、あまり意味があるように思えない。

 ちらちらとどこかの様子をうかがったかと思えば、またすぐに視線を落とす。


 そして彼らがスマホを持つその手は、かすかに震えていた。

 まるで何かにおびえるように。


 何だ? ふと隣を見ると、少女橋本も、スマホこそ持っていなかったがやはり視線を落とし、うつむいていた。


 そして時折ときおり、こちらをすがるような目で見つめてくる。

 俺が疑問を浮かべているのをさっしたのか、橋本が俺に前を向くよう目で合図してきた。


 視線を辿たどると、その先にはあまりにも不愉快なので見ないようにしていた人間不協和音がいた。

 そいつは無意味に髪を金に染め、鼻に重そうなリングを通していた。


 まるで牛だ。さすがは不協和音の代名詞。見るだけで不快だ。


 さっきは一瞬しか見ていなかったので気づかなかったが、俺の目の前で不協和音の化身のような奴が気弱そうなサラリーマンに難癖をつけていた。


 俺はようやく気がついた。


 乗客たちが視線を落としているのは、この二人に関わりたくないからだ。

 つまり彼らは逃げているのだ。目の前の現実から。


 助ければ自分も襲われるから、関わりたくないから、自分は動かない。

 大丈夫、どうせ誰かが助けてくれる、そう思い込んで。


 いもしない誰かに頼って、自分は関係ないからと、知らないふりをする。


 でも、そうゆうは、誰かになれるのだろうか?


 彼を助けられるのだろうか。

 いや、何を言っているんだ。

 僕はもう死ぬんだから、今の僕なら何だって出来るはずじゃないか。

 今までだって──


 そう言えば誰かを助けたことなんて、今まで一度もないような気がする。

 この子だって、結局は巻き込んだだけだし。

 今目の前のサラリーマンを助けたら、僕は変われるかもしれない。


 でも僕は動けなかった。

 体が震えて、足がすくんで、声を出すことすらできない。

 僕の目の前では今も、罪のない男の人が不良に絡まれている。

 目の前で、不良が金を寄こせとおどしてる。それでも僕は動けない。


 僕は変わったはずなのに。

 何でもできるはずなのに。

 怖くなんかないはずなのに。


 僕の体はひどく震えて、まるで言う事を聞かない。

 僕はただの、アルジャーノンだったのだろうか。


 僕もあの白いねずみのように、一時は天才になった主人公のように、やがて元よりも弱くなってしまうのか。

 僕はもう変われないのだろうか。強くなれないのだろうか。


 いな、違う。


 はまだ変わりきってなどいない。

 俺はまだ満足していない。

 例え俺がアルジャーノンだったとしても。

 俺がいつか元よりひどくなるとしたらそれは、明後日あさってのはずだ。


 俺は立ち上がった。左手をポケットの中に入れて。


「あぁん? 何だテメェ、文句あんのか?」


 不協和音のかたまりが、サラリーマンを突き飛ばしてにらみつけてくる。

 動作の一つ一つが目障めざわりだ。不快な気分になる。こんな奴消えちまえばいい。


 俺にならできる。体の震えもとうに止まっている。


 俺はポケットの中のものを取り出し、躊躇ちゅうちょなく不協和音の首筋に突き付けた。


 照明に反射して、光り輝くそのナイフを。


「な……」


 息をんだのが、手に取るようにわかる。


「今度はそっちがおびえる番だ」


 俺から出たはずのその声は、かすかに震えていた。


 一瞬が永遠にも感じられた。


 他の乗客が何かを言っているが、まるで聞き取れない。

 景色の流れが止まり、ドアの開く音がする。どこかのバス停に着いたようだ。


「チッ……」


 不協和音は震える吐息といきで舌打ちをかなでると、足早にバスを降りて首元を押さえつつ走り去って行った。

 乗客の一人と目が合ってしまい、俺は目をそらす。


 見回すと皆、俺の方を見て何やらひそひそと話したり、指さして何かをつぶやいたりしていた。


 拍手も賞賛もなく、ほめられているようではなかった。


 さっき突き飛ばされたサラリーマンも、今は明後日あさっての方向を向いている。

 少しやり過ぎたか。


「ここで降りよう」


「え? どうして?」


 どうやらコイツは思ったより鈍感らしい。


「別に追いかけなくてもいいじゃない」


「そうじゃない。ちょっと急用を思い出しただけだ」


 言って、半ば強引にバスを降りた。



「ねぇ、この辺に何か用事でもあるの?」


「いや、そういうわけじゃない。ただ、」


「ただ?」


「忘れたのか? 俺たちは警察に追われてるんだ。もうマスコミがかぎつけて俺たちの顔写真を公開してるかもしれないだろ」


 俺なんかすでにテレビで報道されてる。言いかけたが、すんでのところで踏み止まった。


「それもそっか」


「だからなるべく公共の乗り物は使わない方がいい」


「でも、ここからだと歩いて五時間ぐらいはかかるよ?」


「マジで?」


「マジで」



 住宅街はもう、夕方になっていた。


「なぁ、あとどのくらいで着くんだ?」


「えーっとね、多分あと二時間ぐらい……かな?」


 少女は口には出さないが、息が上がって肩で呼吸しており、かなり疲れているように見える。

 それは俺も同じことだったが、俺も顔には出さなかった。


 優しさではなく、単なる意地だった。


「なぁ、お前は──」


「橋本! さっきも言ったでしょ」


「いや、だって俺が橋本って呼ぶと、なんか変な反応するじゃん」


「じゃあさやかでいい」


「……なぁ」


「何よ」


「人質って、そんなに楽しいか?」


 図星だったらしく、さやかはしばし言葉を失う。


「どうゆう意味?」


「……最初は気のせいだと思ってた。何かの間違いだって。でも違った」


 さやかが息をんだ。


「お前は逃げようと思えばいつでも逃げられたはずだ。でも逃げなかった。

俺のことを怖がっているわけでもないし、逃げる勇気が無いわけでもない。それどころか、あの家の中で会った時よりずっと楽しそうにしてる」


「さっきだって俺に笑って見せた。作り笑いには見えなかった」


「何が言いたいのよ」


「お前は楽しんでる」


「気のせいよ」


 さやかは尻すぼみに答え、視線をそらした。


 それ以降、家に着くまで俺たちの間に会話は無かった。


「着いた。ここ」


 指さす方を見ると、さやかの家よりもずっと大きい二階建ての家だった。所々古ぼけており、相当年季が入っている。


 見た目からして、さやかの祖父母の家と見て間違いなさそうだ。


「ちょっと待ってて。インターフォン押すから」


 さやかは落ち着かない様子で門の前へ駆け寄る。


 緊張しているのか、中々インターフォンを押そうとしない。

 門の前をうろうろしてしばらく辺りを見回したかと思えば、ようやくインターフォンを押した。


 会うのが待ちどおしいのか、足踏みをして、終始落ち着きがない。


「そんなに会うのがうれしいのか?」


「ちっ、違うわよっ」


 さやかは顔を真っ赤にして怒る。女心とはわからない。


「あれ? 全然出てこない。いないのかな」


 しびれを切らしたのか、さやかはインターフォンを連打し始める。

 誰も出てこない。

 よくよく見ればどこの窓からも明かりが漏れていない。


 寝ているのだろうか。


「この門、鍵かかってないんじゃないか?」


「え? そんなはずは……」


 さやかが手をかけると、門はあっさりと開いた。


「あれ? おかしいな。いつも家の戸締じまりだけはしっかりしてるのに」


「もう年なんじゃないか」


「はぁ? 何言ってんのよ。家のドアにはちゃんと鍵をかけて──」


 ドアノブを回すと、これまた何の抵抗もなく開いた。


「ないみたいだな」


「……何かあったのかな?」


「ただの認知症じゃないか」


「そんなはず……」


 心配になったのか、さやかは急ぎ足で家の中に入って行った。


 俺は少々迷ったが、後に続いた。

 リビングの電気を点け壁にかかった時計を見ると、午後10時半だった。予想よりも遅い。やはりもう寝ているのだろう。


 家の中には多くの家具があり、生活感こそあったものの、人気はまったくない。

 あまりに不気味だったので、二人で手分けして家中を探し回った。


 俺は一階をくまなく探し回ったが、誰もいなかった。

 二階のさやかがまだ下りて来ないので、俺は木製の階段をのぼる。


 さやかは、二階の部屋の中でも一際大きい部屋にいた。

 その部屋は壁に沿って窓がいくつも並べられ、そこだけ切り取ると教室のような作りだった。


 さやかはその窓の一つを開け放ち、外の景色を眺めていた。

 月の光で照らされたさやかの横顔は神秘的で、魅力みりょく的だった。


 いつまでもながめていたかったが、視線を感じたのかさやかがこちらに気づき、髪をなびかせながら振り向いた。


 その黒髪も、目を奪われるほどに美しかった。

 改めて見ると、さやかは美人だった。


 俺はさやかと、もっと一緒にいたいと思った。

 でも今更戻ることなんて、にはできるのだろうか。


「ねぇ。何でいきなり、教室の窓から飛び降りたりなんかしたの」


「何だ、知ってたのか」


「始めからわかってた。あんたの写真、テレビに映ってたもん。

 てゆうか何よあの髪。金髪にしようとして失敗したみたいな。何であんなことしたの」


「変わりたかったからさ」


「馬鹿ね。髪の色何か変えたって、何も変われやしないのに」


 言いながら、さやかは見下すように笑う。


「そうさ、その通りだ」


 俺は、さやかの目を真正面から見すえた。


「髪を金色に染めたって、気に入らないから逃げ出したって、街を駆け抜けたって!!

 何も変わりやしないんだ。何も変われやしないんだ。

 そんなのは、〝いつもと違うことをした〟たったそれだけのことなんだ。

 俺は何も変わっちゃいない。俺は明後日あさってに死ぬ。あとに残るのは僕。

 弱くて臆病おくびょうで、何にもできない駄目な僕。

 そんな僕を見たら、きっと君は失望する。

 だからそうなる前に、死ななくちゃならないんだ。変わらなくちゃいけないんだ。

 僕一人の力で。今度こそ、本当の意味で変わらなくちゃ──」


「何言ってるの? あんたが死んだら、私はどうすればいいの?」


「大丈夫。君は明後日あさってになる前に、ここを出て行けばいい。

 それで警察に、今までのことは全部、僕に脅されてやったって言うんだ。

 問いつめられても全部僕のせいにすればいいし、知らないと言えばいい。

 そのころにはもう僕はこの世にいないから、警察は君の話を信じるよ」


「嫌よ! あんたを踏み台にして、私だけ生き残るなんて、絶対に嫌っ!!」


 さやかは声を張り上げ、その目に大粒の涙を浮かべた。


「ねぇ、考え直してよ。別に、死ななくたっていいじゃない。

 変われなくたっていいじゃない! 変わるって、そんなに大事?

 これ以上何が欲しいっていうの。せっかく、せっかくあなたに会えたのに。

 運命の人だって、思ったのに。私は、私は、あなたが好きなのっ!


 あなたといると戻れるのよ。昔の私に。


 何も考えずに、ひたすら突っ走ってた、悩みなんて何一つ無かった、あの頃の私に。


 しょっちゅう失敗して、怒られて、もっとよく考えて行動しろって怒鳴どなられて、それで私は何でも深く考え込むようになった。

 それで確かに、失敗することは少なくなって、人に迷惑をかけることもほとんどなくなった。でもそのかわり、悩みはどんどん増えていった。

 考えてるだけで一日が終わっちゃうことも多くなった。それで気がついたの。


 こんなの、つまんないだけだって。だから私は戻ろうした。

 でも、もう手遅れだった。


 私は変わったの。変わっちゃったの。一度変わったら、もう戻れない。

 私は今でも後悔してる。

 きっとあなたも、後悔することになる。

 それでもあなたは、変わりたい?」


 さやかが、涙ながらに問いかけてくる。

 悲痛に満ちたその声で。


「死んだらもう終わりなんだよ? 変わった自分を見てくれる人なんて、いないんだよ?」


 さやかのほほを冷たいしずくが伝い、床に小さなみを作らせた。


「そんなの、何の意味があるの?」


「いいんだ、別に。誰も見てくれなくても、誰も認めてくれなくても。

 ──それで何かが変わるなら」


「馬鹿っ!!」


 かわいた音が部屋中に響き渡った。ほほが焼けるように熱い。


 僕はさやかに叩かれたらしい。

 気づいたのは、さやかが出て行った後だった。


 部屋の振り子時計を見ると、午後11時59分だった。

 明後日あさってまであと一分もない。

 僕はもう死ぬしかないんだろうか。


 さやかの言う通り、今ならまだ戻ることもできるかもしれない。

 元通りにはならなくても、やり直すことはまだ、できるかもしれない。


 大きな振り子時計から、0時を告げる鐘が鳴る。

 あぁ、もうすぐ明後日あさってが来る。


 僕に変化の勇気をくれた、


 ──あの明後日あさってが。


 何気なにげなくポケットに手を入れると、僕の冷たい指先に、小さくて固い何かが触れた。


 取り出すとそれは、破片はへん


 僕はそれを、そっと、ポケットの中にしまった。



────────────────────────────────────

あとがき(※)


二日間に渡り連載した本作を最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。

よろしければこのページや、今作のトップページ(表紙)の『★で称える』の+ボタンを押したり、ハートを押すなどして応援していただけるとうれしいです。


今作は私が中学三年生のころに書いた妄想の産物を改良したものです。


変わりたい、でも変われない。何もできない自分が嫌い。

そんな葛藤かっとうを抱えているすべての方にこの物語が届くなら、本望です。


今回はあえて、今作に込められたメッセージについてれます。

本来作者の口からそれを語るのはあってはならないことですが、のだということを明確にするための措置そちです。

必ず目を通してください。


ラストで主人公は、自分に欠けていると思っていた『勇気』が、ずっとそばにあったのだと気づきます。

明言しますが、


しかし、元の日常に戻るわけでもありません。

彼は変わったのです。

タイトルの『僕だった俺。』は、主人公の明後日あさってまでの成長と変化を表しています。


彼にはこのあと、苦難が待ち受けていることでしょう。

定期テストの主要教科はすべて0点、問題行動を起こしたことも報道されていますから、最悪退学になるかもしれませんね。

しかし、何も失うことのない変化など、この世に無いと私は考えています。

何もできない自分から脱し、宣言通りすべてを変えた彼は、後悔などしていないでしょう。


変化を恐れる必要はありませんし、辛い現実から逃げ出したっていい。


学校に行くのが辛くて、死んでしまうくらいなら、学校なんか行かなくていい。


もし両親に相談してもダメなら、他の大人に頼りましょう。

公的機関に相談するのがオススメです。

学校のスクールカウンセラーなどに頼るのもいいかもしれませんね。

ちなみに心のホットラインや命の電話に実際にかけたことがあるのですが、基本的につながらないので、あまりオススメしません。


日本の人口は現在一億人以上。

この国には一億通りの考え、意見があるわけです。

両親なんてその中の、たった二つに過ぎないのです。

具体的には0.000002%の意見です。どう考えても多数派ではありません。

どころか、天文学的なレベルの少数意見です。

登校するのが当たり前、みんな苦しいけど我慢がまんしている、そんな根拠こんきょのない”嘘”にまどわされてはいけません。


日本の0.000002%でしかない彼らに登校することを強要されたとして、反抗するあなたは、果たして間違っているでしょうか?


あなたの味方はすぐそばに必ずいます。たくさんいます。

誰も見ていないと感じても、必ず誰かが見ています。


生きることをあきらめてはいけない。

『勇気』も『変化』も『幸せ』も案外あんがいポケットの中にあるかもしれませんよ?


明日に希望が持てずとも、明後日あさってという未来を、正確に予想できますか?

無理です。

絶望も希望も、幸せも苦難も、未知のあらゆるすべての可能性が、明後日あさってにはある。


明後日あさっては、生きることを選んだすべての人に与えられるなのです。


中学や高校に通わなくても大学に入学することができる制度が日本にはあります。

くわしくは『高等学校卒業程度認定試験』と検索してみてください。

必ず、役に立ちます。


一定の偏差値のある大学卒なら、そうそう職に困ることはありません。

学歴社会の良さが出ていますね。


もちろん、中卒や高卒で働く人たちもいます。それもまた正解です。

働いている人たちに優劣など無く、等しく平等に価値があります。

馬鹿にしたり見下したりするたちの言葉など、間に受けてはいけません。


長い長いあとがきを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

これを読んでいるすべての皆様の明後日あさってが、幸せでありますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕だった俺。 羽川明 @zensyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ