第2話

 一見地味な淡いくすみグリーンのドレスにパリュールではないシンプルなジュエリーを重ね付け。地金と石の色味とテイストが少しずつずらされていい感じの抜け感になりつつも、違和感が出ないほどの統一感は残されている。

 手袋とデザインを合わせたレースのサッシュに淡金のチェーンのベルトを重ねて、アクセントに生花のコサージュ。全体的なテーマは花と朝露、霧に濡れた庭園だろうか。


 夕方の玄関ホールの片隅。そんな格好で帰ってきたおねいちゃんにわたしはふるふると震えていた。

 ――ああーっこれはドレスがシンプルな方が映えちゃう! こんな手があったなんて!

 今日おねいちゃんが身につけているのは、今おねいちゃんの用意できるものだけで出来ている組み合わせだ。

 地味なドレスと、日常使いの装飾品。あんまり取るに足らないものすぎて、わたしも取り上げるだなんて発想すらなかったものだ。

 安価なものではないけど、侯爵家の娘が持つと思えば特に見るべきものはないはずのもの。それをおねいちゃんはひとつのコーディネートとしてまとめあげてしまった。

 お行儀はいいとは言えない格好ではあるのだが、お行儀がいいとは言えないだけだ。この程度の崩し方はカジュアルな集まりなら歓迎される範疇。

 デイドレス用のパリュールというのも最近はちょっと気取りすぎかな、という見られ方をする向きもあるし、かといって〝デイドレスに光る宝石なんてとんでもない、パールが精々よ〟なんていうのは祖母世代の感性だと言われてしまうところ。つまり、今日のおねいちゃんの格好は流行の先端と言っていい。これを糾弾したり嘲笑したりする女性はもうその瞬間から頭カッチンカチンのそしりを受ける、という、そういうコーディネートだ。


 なにより、そんな格好がおねいちゃんには最高に似合うのだ。可憐で清楚なのに人を惑わす妖精の姫君じみた一匙の妖しさもある、とでも言おうか。


 ――おねいちゃん、綺麗よ! まるで妖精みたい……。トータルコーディネートセンスもあるだなんて、最高すぎる……!

 わたしはおもわず称賛の言葉が口から漏れそうになるのを抑えつつ、どう偉そうにおねいちゃんに難癖をつけるのかをものすごく思案した。


 なんという難問なのか。多分なんかこう創作物とかに出てくる意地悪な姉妹というやつは毒舌で世界を取る修練を積んでいるのだと思う。一体どこに行けばレッスンを受けられるのか誰か教えて欲しい。幼少時に前世に目覚めてしまった自分は早くから好き勝手に怠惰に過ごしていたので、きっとそのレッスンの受付ハガキとかが届くフラグを立てそびれてしまったに違いないと思うのだ。


「まあ! お姉様、なんて見窄らしい格好をしておられますの? そんな格好でお出かけになるだなんて、王女殿下もお驚きになられたことでしょうね」


 うん、まあうん。お茶会でこの格好の人にこんな事を言ったらセンスなしで映す価値なし確定のやつなのだけど、とりあえずそれは置いておいて。


 この穴だらけでぼろぼろ極まりないバトウにも、おねいちゃんは言い返してきたりなんかはせず、ちょっとしょんぼりした顔をしてくれた。やさしい。


「ごめんなさいね、イーデ。」

「今日ばかりはエデルトルートお嬢様の仰るとおりですわ。そんな無作法な格好でお外に出られたなんて」


 ええい頭カチンカチンの先史時代の遺物家庭教師め、だまらっしゃい。

 わたしはつまらない文句をつけてきた家庭教師のロッテンマイヤー女史(なんと本名だ!)の方をおねいちゃんにはわからないように睨みつけた。


 おねいちゃんはただでさえ貴女のカチンカチンの教育のせいで過剰にきちんとした格好でないとお出かけ一つしないんだから。という気持ちをいっぱいに込めている。それを便利におねいちゃんの行動制限に使っているわたしは正直何も言えないやつではあるのだけど、おねいちゃんはもうちょっといきいきのびのびしていたって誰をも魅了する魅力があるのだから、四角四面な礼儀作法にギュッとはめ込まなくてもいいと思うのだ。まあ、そこも辺境伯領にいけばおいおい花開いていくはずなんだけど……。

 でも、おねいちゃん、今日に限ってどうしてこんな度胸あふれることをしたんだろう。

 浮かび上がってきた再度の疑問に私はそっと首をひねる。

 きっちりと礼儀に則った格好を好むおねいちゃんが消去法で着るなら、おばあさまの時代がかったデイドレスだろうと思っていたのだ。

 とても大時代的で、若い女の子の集まりには不適格だけど、礼儀には適している。


 ……でも、たしかに、おねいちゃんはこのところなんだか変だから、その延長なのかも知れない。

 これまで、おねいちゃんは身の回りのことはとてもしっかりやる人だったけれど――親身な一部の者を除いた使用人たちはおねいちゃんのことだと手を抜きがちなせいで、おねいちゃんはなんでも自分で出来るようになってしまった――、庭いじりなんかには手を出さなかったのに、先日は自分で縫ったワンピースで庭に出て、かぼちゃの種を撒いていたりした。そのワンピースというのも、倉庫に入れてあったカーテンのあまり布を使ったものだったのだ。


「ええ、ごめんなさいロッテンマイヤーさん。どうしても今日はお招きを断れないお茶会だったのです。王女殿下のご意向で……変わった格好をしておいでなさい、とのお達しでしたから」


 困ったように眉を下げたおねいちゃんの様子に、そうだったのか、とわたしは少しだけ納得する。

 テーマがあってのお茶会だというなら、おねいちゃんでも少し冒険する……ことはあるのかもしれない。

 王女殿下は破天荒な方で、デビュタント前にほんの三月ほど行われたフィニッシングスクールで学びを共にしたご令嬢達に時折そういう変わったご招待を送るのだそうだ。おねいちゃんは基本的にお断りをしていたはずだけれど、そろそろ行かないと流石に失礼にあたる、と思ったのかもしれない。


「お若い方々の考えることはわかりませんわね。よろしいですか、ツェツィーリエお嬢様。侯爵家の令嬢として常に恥ずかしくないふるまいをしなければいけません。侯爵家の令嬢としてふさわしいかどうか、常に!皆様がお嬢様の振る舞いに注視するのですよ。わかっておられますね?」


 ロッテンマイヤー女史はおねいちゃんに対してことのほか厳しい。便宜上の長子であるおねいちゃんの家庭教師に任命されていることに誇りを抱いているのだ。

 その割に、おねいちゃんの事が大事なのかというとたぶんそうでもなく、わたしがおねいちゃんのドレスをねだって持って行っても文句だとかを言われたことなどはない。

 おねいちゃんが辺境伯領に行くのでなければどんな手を使っても馘首にしてやるのに。

 戻りがけに足を滑らせたフリでロッテンマイヤー女史のいけ好かない布靴をぎゅりぎゅりに踏んづけていこう、とそっと企んでいたわたしは、続いたおねいちゃんの言葉に耳を疑った。


「はい、ロッテンマイヤーさん。本日はお言葉の重さを胸に刻むため、部屋に下がって反省してまいります」


 お、おねいちゃんが他人の長話を遮った!!!??


 お説教となると途中から聞き流しがちなわたしと違っておねいちゃんは我慢強く、ありがたいお話を最後まで傾聴するのが常なのだ。こんなふうにするっとその場から離脱するような言い回しをしたのを見たことはない。


 思わず頷いてしまったらしいロッテンマイヤーさんを置き去りにして、楚々とした動きで部屋に向かうおねいちゃんに、わたしは思わずぽかんと開いてしまった口を頑張って閉めたのだった。


 次にわたしがぽかんと開いた口を閉める努力をしなければならなかったのは、次の日の朝食のときだ。


 おねいちゃんは、基本的に部屋で朝食を食べる。

 それは、朝食の席でお父様と顔を合わせない、というおねいちゃんの配慮であり、おねいちゃんの味方の使用人たちによる、おねいちゃんにのびのびとしっかり栄養たっぷりの朝食を食べさせよう、という気遣いでもある。

 だから、朝食の席におねいちゃんが着いているのを見たわたしはまずうっすらした疑問を覚えた。

 ――おねいちゃんが朝のテーブルに来るのは、なにか行事があるときだけと思っていたけど、今日はなにもないよね……?

 昨日のうちにキッチンに話を通してあったのか、おねいちゃんのぶんも含めた朝食が運び込まれ、なんとなくぎこちない雰囲気で朝食が始まる。


 黙ってパンを齧っていたお父様がバターの器をおねいちゃんに取ってもらって、ゆで卵に――普段はバターなんか入れたのを見たことがない―― 一匙落としてからおほんとわざとらしい咳払いをした。


「ツィルカ、一緒に朝食を摂るのは久々だな。」


 もしかしてお父様とおねいちゃんは話が通っていて、なんらかのデモンストレーション的な……家庭内で話を通さないといけないことがあってのこの朝食の席なのではないか、というわたしの予想が外れていることがこの時点で決定する。

 ――お父様、緊張しすぎて呼び方が幼児用になってるーっ!

 ツィルカはおねいちゃんの愛称だが、小さい時のものだ。あんまり普段顔を合わせないものだから思わずその呼びになったのかもしれないが、日本語で例えるなら……さちこをさっちゃんと呼ぶような感じだろうか? ちっちゃいちゃん、みたいな意味になる呼び方であり、真面目な話のときに飛び出てくる愛称ではない。

 わたしの直感した通り、お父様自身も呼び方ミスに気づいたらしく、牛乳にむせたふりでうほんうほんと咳払いを続けてごまかしたようだった。


「んんんっ、ツィリア、どうだ最近は。昨日は王女殿下の茶会に出たと聞いたが……」

「お父様のお耳にまでもうお話が入っていたのですね。……はい、庶民のするような格好でお茶をとの王女殿下のご意向で、そのような格好で出向いてまいりました。お断りすべきかとも悩みましたけれど、もう今季に入ってから二度失礼をしておりましたから……」

「んっ、そ、そうか。王女殿下の覚えがめでたきことは悪いことではないな」

「ありがたきお言葉に存じます」


 おねいちゃんが目を伏せて会釈し、やり取りが一旦終了した雰囲気が出る。

 ――おねいちゃん、凛として素敵よ。おねいちゃんづきの使用人たちもみんなホッとした顔をしてる。お父様に責められるんじゃないかって心配していたのね。でも、お父様そういう話をしようとしてたんじゃないと思うの! ほら、すごく寂しそう!!


 こう、ちょっと距離感のある娘が久々に一緒に食事をするとあって、お父様も色々と頑張ろうとしていた気配がするわけなのだが、歩み寄る前にさくっと話の接穂を断ち切られたものだから、手元のお皿に目線を落とした背中が絶妙に哀愁漂う感じになってしまっているように見えた。


 ――お父様頑張って! ただ、あんまり頑張りすぎるとおねいちゃん幸せ計画に支障が出ちゃうから、ほどよく距離があるぐらいで……!


 内心の激励も特に功を奏さなかったらしく、お父様は久々に顔を合わせる娘とする話題がうまく思いつかなかったらしい。一旦食卓には沈黙が落ち、淡く食器が触れ合う音だけが響く。

 まあ、こればかりは仕方がない。

 母が亡くなってからは仕事一徹、昭和のサラリーマンぐらいに日々働き詰めのお父様は、わたしとも数日に一度朝食の席で顔を合わせるのがほとんど、という具合で、あまり軽妙に雑談をしよう、というお人柄ではない。

 全体的にぶきっちょな人なのだ。

 そんな風だから下の娘が姉にきつく当たっても看過してしまうし、口のうまい妹の言い分を信じ込んで、貴族として足をすくわれないように面目ばかりを意識して、上の娘の結婚を性急に決めてしまったりもするわけなのだけれど。

 ――娘たちへ情がない人なのか、というと、全然そんなこともなかった、というのがこうしてると見えるから、ちょっといたたまれないんだよなー……。


 背中を丸めてスープを飲んでいるお父様を眺め、今日の朝食はこれで終わるのかな、などと考えていたわたしは、しばしして沈黙を破ったおねいちゃんの声に目を瞬いた。


「そうだ、お父様。わたくし、そのことで……、お話して置かなければならないことがあるのです」


 ――む。


「どうした。話してみなさい」

「はい。実は……、わたくし、家を出て、働こうと思うのです。王女殿下が、女官の口をご紹介くださると仰っていて。」


 にゃにい!?

 聞いていない。そんなのストーリーのどこにもなかったぞ。


 わたしはぽかんと顎が落ちるのをすんででこらえつつ、おねいちゃんの顔を、まじまじと見つめる。

おねいちゃんはそんな視線も知らぬげに、涼しい表情でゆで卵をこつんと叩き、スプーンで掬って口に運ぶのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我儘妹は姉を「氷の辺境伯」に嫁がせたい! 渡来みずね @nezumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ