我儘妹は姉を「氷の辺境伯」に嫁がせたい!
渡来みずね
第1話
「ええ!? おねいちゃんが王宮に上がった!?」
叫び声が部屋にこだました。
ばさばさと開け放った窓の向こうから鳩が飛び上がり、それからしんとした空気が戻ってくる。
わたしは困った顔の侍女のマリーをねめつけると、マリーは肩をすくめながら頷いた。
「は、はいぃ、間違いありません…… あの、今日はご気分がいいからと仰って……」
「もおおお……どうして今になってそんなこと」
「あ、あの、お止めしたんです、ドレスの用意も出来ていませんと申し上げて……それなのに、気にすることすらせず……本当です、ですから」
「はあ、まあいいわ。今回は不問にしてあげる。お下がりなさい」
「はっ、はいいぃ」
肩を縮めてこそこそと、私に止められないように早足で部屋から出ていくマリーを見送る。こうやって怯えられるのはあまり楽しい気持ちはしないが、まあ仕方ない。
わたしはエデルトルート。エデルトルート・ルフテンブルグ。わたしに婚約者を取られて「氷の辺境伯」と悪名名高い男のところに嫁ぐはずの姉を持つ、ルフテンブルグの嫌われ姫なのだから。
ルフテンブルグ家はこのエスター王国でも王に忠誠深い侯爵家のひとつ。公爵家ほどの権威はないが、建国の頃から王をお支えしている家系であることを誇りに思う侯爵のもと、揺らぐことはない権勢をほこる家柄だ。
ダーフィト・ルフテンブルグを当主とし、直系血族は娘のツェツィーリエとエデルトルート。
その陰りなしと歌われるルフテンブルグ家にも問題が無いというわけではない。
そのうちひとつが、若くして双子を産んで儚くなった妻を失った心の傷を侯爵がまだ癒やしていない、という噂。
もうひとつが、地味で引っ込み思案で、ろくに屋敷から出てこない地味な姉姫と、奔放な妹姫の噂だ。
地味という表現には強く異を唱えたいところだけれど、その全てはだいたい真実だ。
けむる雨の銀髪にアメジストの輝きの紫の瞳、夜の如き姉姫ツェツィーリエに、波打つ金髪に晴天の碧の瞳の、夏の正午の化身の如き妹姫エデルトルート。
父は母に似たわたしに強く当たれないし、王家の血を引くとかいう祖母の容姿を強く受けついだ姉は、性格は苛烈だったという祖母には全く似なかったらしくてとても引っ込み思案なのだ。この祖母が父と最高に折り合いが悪かったらしく、お陰で父と姉とはちょっと距離があるのも姉が引っ込み思案になった原因なのかも知れない。
あ、別に父が姉のことを嫌いだということはない、はずだ。であるのだが、祖母と父の軋轢のことを姉に聞かせた馬鹿がいたせいで、姉は父とできるだけ顔を合わせないように立ち回ってしまっているので、忙しいのもあってここ数年私的な場で全然顔を合わせていない。
困ったものだ。
「にしても、予想外だったわ……おねいちゃんがお城に上がるなんて……。礼儀に則った極めてちゃんとした格好じゃないと出かけないって思ってたのに……やっぱり最近おねいちゃん、ちょっと変」
わたしは親指の爪を噛んでぐぬぬっと唸る。塗られた爪を噛むと爪紅の成分が口に入ってなんだかとても体には良くない気がするが、頑張って再現するようにしている癖なので、しっかり体に馴染ませないといけない。
王城なんかにおねいちゃんを絶対に上げてはいけない、それは当然の結論なのに、侍女たちも父もそんなことは全然理解してはくれないのだ。
だから、おねいちゃんのちゃんとしたドレスをわざと欲しがってみせて、次のシーズンの採寸までおねいちゃんがお城に行けるようなドレスを枯渇させておかなくてはいけない。髪と顔の印象はだいぶ違うけれど、体型がほぼ同じなところは、ドレスを欲しがっても違和感はないので双子で良かったところであると思う。
今年のわたしのその努力は実り、おねいちゃんの持っているドレスは、お祖母様のものだというとても流行外れのドレスと、清楚だけれど地味な、よそ行きには使えそうにないドレス、人と会うのになんとか使える、という具合だけれど、きちんとマナーにのっとるのを好むおねいちゃんは絶対に王城なんかに着ていかない、フォーマルではないドレスだけだ。
「ああーもう、王城なんか軽薄でつまんなくて女の子の顔と家格しか問題にしない貴公子サマでいっぱいじゃない! おねいちゃんがぽけぽけとうろついたら夜の捕虫投光器みたいにいっぱい男を引っ付けてくるに決まってるんだからーーー!!」
私は叫んだ。
鳩は全部飛んでいってしまったらしく、テラスは優雅に静まり返ったままだった。
「そうじゃなくったっておねいちゃんは世界一かわいいのに……なんであんな自分の顔に鈍感でいられるのよお……くそっ、バカどもめ、褒め称えてあげる! 顔の趣味だけは一流だわ……! おねいちゃんの自己評価だけ上げてそのまま燃え尽きたらいいのよ!」
困ったことに、馬鹿極まりないバカ貴公子共は勝手に燃え尽きてくれたりしない。
「今回はどのぐらい馬鹿が釣られてくるのかしら。またおねいちゃんの顔とうちの地位しか知らないくせにいきなり婚約を申し込んでくる失礼極まりない馬鹿を誘惑しなきゃいけないのだわ……」
ぎりい、と、今度は自然に親指の爪を噛めた。
おねいちゃんはぽんぽん求婚される。
しかし、ちょっと媚びてすり寄ってあげると面白いようにこっちになびくものだから、そんなはしご状神経が脳の代わりに通っているような生物におねいちゃんをくれてやる事はできない。ちょっと困るのは、そんなクッソクソのクソの化身のような相手に婚約の破棄を申し入れられてもおねいちゃんはちゃんと悲しんでしまうらしいということだ。ゴミムシダマシがおねいちゃんと同じ空気を吸うことも我慢ならないので、おねいちゃんの手を握る以上のことをさせたことなど無いのに――本当はそれも過分だと思う――、なんという善良さなのか。そして、その度に自己評価が下がっているらしいのもとても胸が痛むのだが、この工程は絶対に省略できないので、心のなかで謝ることぐらいしか出来ぬ。ごめんねおねいちゃん、世界一かわいいって私は知ってる!
ともかく、おかげでわたしは婚約のプロだ。今年に入ってからは2婚約と2破談を経験している。
まだ6月だっていうのに!!!!
ちょっといい顔をするとスルッとこっちになびいてくるのに、ちょっと散財してみせたり、雑な生活態度を見せたり、侍女をいじめたりするだけでドン引きして破談を申し込んでくるのだ。最短レコードは直近の20日。そんなもので破談してくるなら最初から申し込んでこなければいいと思う。いや、そのままおねいちゃんの婚約者のままで居られてもまずいので靡いてもらわなくては困るのだけれど。
「あんまりやりすぎると家名自体が不味くなるから、程よいところで止めておきたいんだけど……」
これも、おねいちゃんのためなのだから仕方ない。
わたしはいわゆる転生者だ。それも、ごく幼い頃から記憶が連続しているタイプの。そして、家名や国名、家族の名前、容姿などは前世で読んだ「地味で大人しい姉姫が妹に婚約者を取られて評判の悪い辺境伯のもとに嫁いで溺愛される」物語と共通している。
当然、ヒロインはおねいちゃん。溺愛されてハッピーエンドになるのは辺境伯領。特に推理などしなくても当然の結論だ。
まあ、勿論、運命が完全に前世の創作と同じではない可能性だってあるわけで、それ以外でもそれ以上の有望株がいればちょっと許さないこともない、と柔軟に考えてはいるのだけれど、わたしなんかに鼻の下を伸ばすし、中に入り込んだのをいいことに調べると、ぜったいに瑕疵があるので、手を緩めてなどやれない。
不幸中の幸いは、そうして握った瑕疵はとてもとてもおうちのために役立ってくれることぐらいである。
はやくお姉ちゃんを辺境伯領に送り出してやりたいものだが、困ったことに、決定的な最後の一人の名前なんて覚えていない。当然だが、物語の発端になる精々五ページほどに登場し、三回名前が出てくるのがせいぜいの端役の名前なんて、誰が覚えているだろう!
「次が最後の一人ならいいんだけど、一登城のたびに2婚約申し込みぐらい続くのよね……」
一登城が大体年一、二回だし、これまではどうしても必要な行事ぐらいでしか出掛けて行かなかったので、時期の想定は楽だったのだけれど。
おねいちゃんが呼ばれたお茶会は夕方遅くまで続くはずだ。
招待主の王女殿下に恨めしい思念を飛ばしつつ、わたしは一日千秋ぐらいの気持ちで、夕方が来るのを待つことにした。
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