第4話 もう一人の自分
最近祐樹は瀬戸の夢をよく見ていた。夢を覚えているというのは、相変わらず怖い夢であり、その意識があるから夢を覚えているのだと思っていた。大学三年生になり、そろそろ就職活動や社会人に向けても考え方を変えていかないといけない時期で、意識改革を自分でも進めていた。
――きっと、そんな思いが見せる夢なんだろうな――
と考えていたが、大学二年生までの自分が、決して甘えていたとは思っていない。
それでも将来への不安は果てしないものがあり、普段あまり意識しないように心掛けていることもあってか、夢に反動となって現れるのではないかと思っていた。
夢の中で瀬戸はいつも一人だった。
祐樹が話しかけているのに、笑顔を絶やさない瀬戸は、何も答えようとはしない。
――いったい、何を考えているんだ?
相手がまったくの無表情だったら、表情の恐怖よりも、その思いが強いこよで、それほど怖いと思わないかも知れない。
しかし、いつもの笑顔で自分を見ている瀬戸は、こちらに気を遣ってくれていることは分かっているのに、こちらがそれに反応しても、反応に対しての反応がない。元々は無効からの意思表示のはずなのに、気持ちのキャッチボールができないのだ。これほど恐ろしいことはない。本当に何を考えているというのだろう?
瀬戸の夢は一度ではなかった。
何度も何度も夢に出てくる。
「若槻君」
彼の唇がそう動いた。しかし、声になって聞こえてくることはない。まずそれが恐ろしかった。
それ以上に恐ろしいのは、
「何だい? 瀬戸君」
と言って返事をしているはずの自分の声も感じることができない。
喉が震えていて、声が発せられているのは間違いないはずだ。それなのに聞こえないということは、
――二人がいる世界は、音を感じることのできない世界なんだ――
と感じた。
それがこの世界を夢の世界だと感じた理由だった。祐樹には夢の世界とは別に狭間世界という意識があったはずだ。それなのに、
――この世界は夢一確だ――
と感じたのは、やはりそれだけ怖いという意識が強かったからだろう。
夢は数か月の間に数回見たようだった。
――よく数か月って分かったな――
夢であれ、狭間世界であれ、現実世界でなければ、ほぼ時系列は感じないと思っていたはずだ。それなのに、どうしてこんなに簡単に時期が分かったのか、きっとそれだけ、現実に近い感覚の夢だったのだろう。いわゆる、
――リアルな夢――
と言える。
それが本当だと思わせたのは、それから三年後のことだった。
三年が経つと、祐樹は希望の会社とまではいかないが、それなりに地元では名の知れた企業に入社することができ、自分でも、
――自分を褒めてやりたい――
と思ったほどだった。
他にもいくつかの会社の入社試験を受けたが、この会社だけには自信があった。
筆記試験もさることながら、面接に一次二次試験とあり、一次試験はグループディスカッションだった。新聞を渡されて、その中から自由に意見を戦わせるのだが、祐樹には作戦があった。
――最初の話題は他人に任せて、俺は人の意見の反対意見を言えばいいんだ――
という思いだった。
最初に意見を言うやつは、正論でなければいけない。ただ、正論を相手に印象付けるには、かなりのテクニックがいる。なぜなら、正論は誰もが考えている多数意見だから、少々のことを言っても相手に響かないのだ。
しかし、逆説だと、相手の正論に対しての反対意見なので、自分も感じている正論に対し、反対だと思うことを言えばいい。いかにもこちらの意見も正論に負けないという辻褄さえ合っていれば、それだけでいいだろう。祐樹は、それが作戦だった。
話をしているうちに次第に気持ちが高ぶってくる。どこかで自分の自己顕示欲が働いたのか、気が付けば熱弁を奮っていた。
――これって本当に俺?
夢の世界からもう一人の自分が降臨してきたような気がした。
――でも、それだけだろうか?
と思った時、思い出したのは、大学時代に見た笑顔を絶やさない瀬戸の顔だった。
――あの時は恐ろしいだけだと思っていたけど、それ以上に威圧感があったんだ――
と思うと、その表情を今の自分がしていることを感じた。そしてもう一人の自分は、面接官の目で見ているのを感じると、
――これで合格だ――
と思うと、それが自信となり、二次面接も完璧にこなすことができた。
他の会社の面接など、もう完全にかすんでしまっていた。この会社に入社できればそれでいいと思うと、合格通知が来た時、自分でも驚くほど冷静だった気がする。
――分かりきっていたことだ――
と思うと、瀬戸が夢に出てきた時の笑顔の裏にどんな気持ちが隠されていたのか、分かった気がした。
「ありがとうな。瀬戸」
目立ちたがりな性格が祐樹の中にあり、それを封印してきたことを思い返していた。
そして、目立ちたがり屋な自分の存在はいつも意識していたはずなのに、どこにいるのか分からなかった。祐樹はそれをもう一人の自分だと思ってはいたが、自分の中に潜在しているという意識はなかった。明らかにどこか別の世界にいるような気がしていたのだ。
――それが、狭間世界――
と考えると、もう一人の自分は左右対称ではないと思えた。
左右対称はあくまでも夢の世界であって、狭間世界という発想ではないのだ……。
社会人になってすぐのことだった。祐樹は先輩営業社員に付き添って、研修をしていた。その時に営業先の会社のロビーで、声をかけてくる人がいたのだ。
「おい、若槻君じゃないか」
「えっ」
と言って振り向くと、そこにいたのは天神だった。
天神とは、高校二年生の頃まで交流があった。
天神や瀬戸は自分とは頭の構造が違っているのか、二人とも優秀だったこともあって、それぞれに進学校に入学した。自分のようにそれなりの学校ではなかったので、皆バラバラになっていた。
離れてしまうと、連絡を取り合うことも減ってきて、お互いに忙しさにかまけてか、遠慮してしまい、誰も連絡を取らなくなった。ぎこちないまま付き合っていくのをそれぞれが嫌ったのだろう。
久しぶりの天神との再会だったが、その天神に連れられて出かけたバーに、
「懐かしい人がいるんだ。向こうも会いたいって言ってたので、一緒に行こう」
と言われてついて行った。
祐樹はそれを瀬戸だとは思わなかった。誰なのか想像できないわけでもなかったが、それ以上に、瀬戸でないことだけは確信が持てた。
「あら、お久しぶり」
清楚な雰囲気に大人の色香を交えたその女性は、中学時代にグループにいた派手好きの女の子だった。
「久しぶりだろう? 綾乃」
と天神が声をかけた。
――ああ、そうだ。確か名前を綾乃と言ったっけ――
祐樹は、彼女の印象とともに、なぜか名前を思い出せないでいた。
――派手好きな女の子――
これが、祐樹の記憶の中での彼女の名前だった。
「俺たち、もうすぐ結婚するんだ」
「えっ?」
天神のその言葉に少しビックリした祐樹は、反射的に彼女を見た。
――ああ、面影がある――
清楚な中に、顔を真っ赤にしているその表情は、派手には見えないが、中学時代の面影を完全に思い出させてくれた。
――彼女を派手好きだと思っていたのは、俺の思い過ごしだったのか?
そう、別に彼女は派手好きだというわけではなかった。綾乃の一か所だけしか見ずに、その一か所があまり好きではない印象だったので、勝手に思い込んだイメージでしか見ていなかったのだ。
――きっと、天神には彼女の本当の姿が見えていたんだろうな――
と感じていたが、
「今だから言うんだけど、こいつ、本当はお前のことが気になっていたんだぜ」
と天神が言った。
また反射的に綾乃を見ると、綾乃はさらに顔を真っ赤にして恥じらいを見せていた。
――しまった――
祐樹は後悔の念に襲われていた。
――何も今になって言わなくてもいいのに――
と、天神を睨んだが、天神の笑顔はびくともしなかった。
――瀬戸?
天神のその時のびくともしない笑顔に、以前に夢で見せた瀬戸の顔が思い浮かんだ。
「そういえば、瀬戸は元気なんだろうか?」
と祐樹が言うと、
「お前知らないのか?」
「えっ? 何を?」
「瀬戸のことだよ。あいつは、三年前に大学のサークルで登山に行った時、遭難して、そのまま亡くなったんだ」
「なんだって?」
祐樹はしばらく、金縛りに遭ったかのように動けなかった。
――あれは正夢だったんだ――
それを思うと、あの夢が本当に夢だったのか、狭間世界の出来事だったのか分からなくなった。
そして、もしあれが狭間世界の出来事であるならば、
――正夢というのは、狭間世界に存在する――
と思わせた。
瀬戸が自分の夢に死をわざわざ知らせるために出てきたのだと思うと、狭間世界がさらにリアルに感じる。委縮して他人事のようにしか思えなかった自分をグループに入れてくれた瀬戸に感謝もする。
そして、祐樹は今、自分が見た狭間世界は、自分によって創造されたもので、初めて見たのが瀬戸の夢だったことを感じた。
――瀬戸は何を伝えに来てくれたのだろう?
そう思うと、祐樹は、
「ありがとうな、瀬戸」
と、声に出して呟いた。
――狭間世界というのは、委縮を経験した僕にしか、感じることのできないのかも知れないな――
祐樹を見ながら、微笑んでいる天神と綾乃。天神には、中学時代、一緒に狭間世界の話をした時の祐樹少年が見えていたに違いない……。
( 完 )
狭間世界 森本 晃次 @kakku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます