最悪

千歳千歩

最悪

 目を覚ますと違和感があった。何故か服が小さくて息苦しい。自分の声が男のように低い。下半身に何かがある。

 「まさか」と思い、起き上がって姿見の所に行く。姿見に被せてある布を引き剥がすと、暗がりの中、人影が映る。

 目が闇に慣れてきた。そこには男が映っていた。

 顔には女だった頃の面影がある。しかし、髪は短く、肩幅は大きい。恐る恐る体を触る。喉仏があり、胸は平たい。下には塊が着いている。

 吐き気がした。悲鳴をあげたかった。しかし、「男の声なんて聞きたくない」という気持ちが強く、声にならない悲鳴をあげていた。

 頭がぐるぐるする。思い出したくない記憶が脳から溢れ出てくる。


 あの日の午後、1階から母の悲鳴が聞こえた。

 何かが割れる音、母と母ではない誰かの足音、そしてまた母の苦しそうな悲鳴。

 当時小学生だった私は状況が分からず、部屋のクローゼットの中で「母ではない誰か」が来ない事を祈っていた。

 数十分か経って、母の悲鳴が止んだ。そのかわりに、階段を上がって部屋に向かって来る「母ではない誰か」の足音が聞こえてきた。

ゆっくり、一歩ずつ、この部屋に近づいて来る。足音が鳴る度に、私の体の震えが強くなる。

 部屋の前で足音が止むと同時に、ドアがギィと開く音がした。

「どうかクローゼットを開けないで」と震えながら神に祈った。

 しかし、神は非力な子どもを救ってはくれなかった。

 クローゼットが勢いよく開き、急に目の前が明るくなる。目の前には、下半身を露出した男が立っていた。男は手を伸ばし、私を








「なんでっ、こんなっ、気持ち悪い…、姿に…、なんでなんで!?」

 身をかがめ、涙をぼろぼろと流す。着ている服がよりきつくなり、余計に吐き気がする。男の声なんて聞きたくないのに、言葉の嘔吐が止まらない。

「…戻って。戻って、戻って、戻って。戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ、戻れぇ!!!」

 姿見を突き飛ばした。これ以上こんな姿見てられなかった。姿見がバリンと勢いよく割れる。飛んできた破片が肌を何箇所も食い破る。

 1階から母の足音が聞こえてきた。私は破片を踏みながらドアの前に立ち、急いで鍵を掛ける。

 母がガチャガチャとドアノブを回す。もちろん開かない。母は「何か割れたの?」「大丈夫?」と部屋の前で私に呼びかけている。

 (ごめんお母さん。こんな姿じゃ誰にも会えない。誰にも)

 また頭がぐるぐるする。大好きなあの子が、私の頭を侵食していく。


 「私もサラサラが良かった」と、彼女は嫌う綿飴のような髪。少し焼けた小麦色の肌。男の店員が注文を聞きに来た時、私の分の注文も言ってくれるその口。男が私に話しかけてくるとすぐ間に入ってくれるその足。私の過去を詮索しないその優しさ。

 可愛くて、かっこいい、私の騎士。


「こんな…こんな姿じゃ、あの子に会えない…。」

 私はドアの前でうずくまり、涙を流す事しか出来なかった。

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最悪 千歳千歩 @chest200

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