第2話

食事をして帰ってくるともう開店準備を始めなければいけない時間だった。少しスケジュールが押している。ゆっくりしすぎてしまった。少し急がなければと思う俺の足元でリリーは呑気に欠伸をしている。そのマイペースさが羨ましい。

昨日の夜更かしの原因である魔法の掛かった手鏡をショーケースの中に戻す。こまごましたお守りやらまじないの道具なんかを並べなおして、高価な商品は防犯魔法が掛かっているか確認する。金庫の金額が合っているのかを確認すれば店内の準備はひと段落する。言葉にすると作業は多くないように感じるのだが、扱いが面倒な商品が多いので、意外と時間がかかるのだ。

特に昨日の手鏡なんかは取り扱いに細心の注意を払わなくてはいけない。のぞき込みすぎると心を持っていかれるので、布をかけておかないと。うっかりしていると俺も取り込まれるので、ここは素早く丁寧に。

「ちょっとノア!あなたまたそんなくたびれた顔して!辛気臭いからやめなさいよ」

「昨日夜更かししたからだよ。今日もお元気なようで何よりです」

「夜更かしはあれほど止めておきなさいって言ったのに!お肌に悪いわ。ねぇ?」

あとは喋る絵画たちを黙らせるのに一苦労。俺の言うことなんかちっとも聞きやしない。ペチャクチャおしゃべりが好きな婦人たちのご機嫌取りをしつつ、喧嘩を始める子犬たちにため息をつく。


「あー......エマがいたら」


ぴたり。騒がしかった店内に沈黙が訪れた。やってしまった、と思うにはもう遅かった。

エマ。この店の元の店主で俺の恋人。もうこの店にはいないし、生きているのかも分からない。俺の一番大切なひとで、きっとこれからもずっと忘れることなんてできない。この店を切り盛りしているのも彼女が大切にしていたからだ。

それを絵画たちは知っている。彼らもエマのことが大好きだったから、最初は俺のことを拒絶するやつだっていた。でもここまで俺がやってこれたのは彼女が未だ死んでいるとは限らないから。それを理解して受け入れてくれた彼らは本当に優しい。

「ごめん。聞かなかったことにしてくれ」

普通ならこんなミスはしない。寂しいのは皆同じだから。町の人だって俺がずっと立ち直れないのを知っていて、食材を二人分買って帰っても、飲み物を二人分頼んでも優しく笑って受け入れてくれる。だから、俺はなるべく普通に生活することを心掛けていた。この店がなくなってしまったら彼女はきっと悲しむから。


昨日の手鏡は正確に言えば、覗き込んだ人の一番大切な人を映して心を取り込む魔法具だった。人の心の弱い部分に付け込んで、自分の養分にする。随分と質が悪い。俺はこの鏡を見ることができなかった。もし彼女が見えたら、見えなかったら。もう声も顔も思い出せない、俺に彼女を大切だなんて思う資格があるのか。

結局、どこまでも怖かったのだ。

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魔法を愛した君へ @gyu_tan168

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