第10話 建築家の策

 中央大陸の北西に天の塔という巨大な建物がある。その名の通り、天まで届くような巨大な塔、古代から存在するとされ、誰が何のために建てたのかは不明であり、古文書に名前は登場しても、その起源については解明されていない。伝え聞く話の通りなら、古代からこれまで、その塔の頂上に辿り着いた者はいない。天の塔に登るのは、神に近付こうする行為であり、神はそれを当然のように拒むというのが、塔を神の依代として崇める信仰者たちが信じる訓戒だ。過去に数え切れないほどの冒険家が登頂を目指して塔に挑み、返り討ちに合っているという。殆どの者が何日も登り続けて食料が尽き、体力も尽きて諦める。旅団を編成して大陸を横断するほどの食料と水を持って登った者たちも、病的な症状が旅団を襲い諦めざるを得なかったという。登頂を目指した冒険家の中には、頂上に迫ったものの正気を失って塔から落ちた者もいる。塔から落ちるのは珍しい例ではないらしい。頂上に近づくほど正気を保っていられなくなるというのだ。神に近付く者は罰を与えられる、冒険家が落とされる度に、巡礼者は増え、信仰が広まり、その信仰心から塔の元に集う者が増えて町が作られた。町はやがて都市になり、信仰者たちの中から選ばれた最も信仰深い者が司教となって、司教の血族から法皇が選出されて、法皇は信仰者たちによる皇国を作った。その国の名がヴァヴェル。法皇を主とする宗教国家。天の塔はそれ自体が神格化され、名のある冒険家でも、一国の王であっても、塔に登る事は禁止された。触れると災いを招く塔、それを管理する国、各国は厄介者を封じ込めるように、法皇による都市の統治と独自の自治権を認めた。これに反してヴァヴェルに侵攻しようとした国は疫病や天災に見舞われた。時代が移っても、同じ過ちを侵す者たちはいなくなった。

 それから現在に至るまで、その禁が解かれる例は幾度かあった。歴代の法皇の中には、自ら神の存在を証明しようと塔に登った者もいた。信仰を忘れて義心に苛まれて神に背いた法皇、また、民を人質にされ禁を解いた法皇もいる。いずれの者も亜人の長とは思えないほどの短命でこの世を去っている。彼らの命を犠牲にして得られた情報は、天の塔の神話をより堅固なものにするのだった。それらは禁が解かれた際に内部を調査した建築家から齎された情報だったが、その建築家は後に学者や信仰者からの批難の的に晒されて命を絶った。当時の建築家の情報に寄れば、まず、大地が作った山を除いて、過去の誰かが作った同じ高さの建築物はこの世界に存在しないという事、つまり建築物の中で最長高。次に、塔に使用されている建築素材では、予測される頂上の高さの建築物が現代までそこに立っている事自体が、無理があるという事。これは建築家の言葉を借りれば、奇跡、であっていつ倒れても不思議ではないのだという。この考察は、信仰者のみならず学者たちも巻き込んで議論の的になった。奇跡は当然と主張したのが信仰者たち、計算間違いとしたのが学者たちだ。なぜなら、古代からそれはそこに立っており、計算上は無理であり奇跡の技、とする結論自体に説得力がなかったからだ。当時の法皇は、存在するものを実は存在しないと言う、信仰の侮辱、と建築家を批難した。法皇と同じように、この説は誰の支持も得られなかった。後に、この法皇の発言は魔導剣士による検証によって覆されている。真の姿を見せないものは存在する、天の塔と同じように、と。建築家が齎した最後の情報は、議論をする材料がなく、得るものもないただの個人意見と蔑まれた。天の塔の上層部は、毒の層、建築家はそう言った。それの意味するところは、頂上に近付くほど正気を失う理由と思われたが、これは理由のこじ付けと認識された。神からの罰を毒に置き換えただけだと。建築家はこの世を去った。しかし、世論が認めなかったにも関わらず、毒の層、という言葉は、当時、建築家を批判していた法皇の心にも刻まれたのかも知れない。法皇が亡くなった後に見つかった日記には、確かにその言葉が書き記されていたのだ。毒の層。これは瞬く間に世間に知れ渡り、各国の見聞書にも記された。やはり、天の塔、ヴァヴェルには近付いてはならない、不可侵の信仰地であるのは勿論、目的も知れない、人類にとって未知の最長高、そしていつ倒れるかも分からない、さらに毒の層。神秘と畏怖を持って再認識された天の塔、ヴァヴェル皇国は、その神話性を強固にして、現代に至っている。現代においてある星学者は、毒の層の真に意味するところは、地表から距離が離れ過ぎている事による低酸素と、それによる器官失調を示唆しているのではないかとの説を唱えた。しかしそれを実証する術、塔への進入は現代では禁止されている。塔ほどの高さではない山の山頂であるにも関わらず、そこでは星学者の予測と同様の症状が見られる事から、学者の間では、それを越える高さでは人類は意識を保てない、いわば人類にとって毒の領域とされた。当時の建築家の言葉は、現代になってその存在感を増し、建築家の名誉は復活した。その建築家の名は、アンタレス・ガーウィン。各国にいまだに名所として残る数々の名建築を残した人物であり、ヴァヴェル出身、天使の翼を持つ亜人、かつて天の塔に憧れて建築家を目指し、塔の真の姿を確かめるべく魔導を学んで魔導剣士となった異才の建築家だった。

 天の塔が国に天罰を与えたのは、人の大戦が始まってから数日の事。塔から降り注いだかのような無数の落雷が、ヴァヴェルを焼き、竜巻がその炎を吸って炎の渦柱となって、国を崩壊させたのだ。落雷に打たれた者もいれば、付近に降った雷によって感電死した者は多数、雷が焼いた建物の延焼に巻き込まれた者、その煙に肺を満たされて窒息した者は、感電死の死者の数十倍、炎の竜巻によって焼死した者は3000人、城下町の混乱によって出口の門の人の殺到で圧死した者は1000人に及び、宗教国家は一夜にして廃墟となった。町の外に逃げ出して生きながらえたのは、たったの500人に過ぎなかったという。その多くが火傷や怪我を負っていたが、生存本能が強い彼ら亜人は、何とか500人が生き残る事が出来た。絶滅しなければ負けじゃない、生き残った彼らは皆がそう思ったが、その500人の中に法皇は含まれていなかった。多くの年長者が逃げ遅れて死亡した。法皇の側近も親族も法皇を逃すために尽力して命を落としたのだ。それから数日は町の外で皆が寄り集まって野宿をし、焼けた町の中から探し出されてきた食料を皆に配って、皆で飢えを凌いだ。国の再建のために立ち上がった若者たちは、死体と焼かれた家を片付けて、家が建っていた焼けこげた場所に再び家を建てていった。誰の家だったかも定かではないが、家の跡が残る場所にはとにかく家を建てた。それは弔いのような意味もあったという。とりあえず500人が寝られる家を建て終わって、人々はやっと屋根のある家で布地や焦げた布団に包まれながら睡眠して体力を取り戻す事が出来た。しかし、生きる準備が整った彼らの心には、ぽっかりと空いた大きな隙間があった。それは自分では埋めようのない部分、これまで確かにあった大事な部分、その空虚感に、皆が未来をイメージする事が出来なくなっていた。法皇は不在、次の法皇となるべき親近者も不在、何より大きい心の空白は、信仰が裏切られた事に由来していた。信仰を欠かさず命を捧げて来た、天の塔を崇めていた、それにも関わらず、天の塔は我らに天罰を下した。なぜ、こんな事を、信仰者に、天の塔は答える事はない。ただ彼らを見下ろしているだけだ。我らの言葉はもう砕かれそうだ。心には穴が開いている。天の塔はそれを治してくれない、一体、誰が我らにそれらを与えてくれるのか、誰かに助けてほしい、そうでなければ、我々は信仰を続けられない。ヴァヴェルの民は、1人、また1人と、国を離れて行き、残った数十人も行き場を探して模索しているのだった。信仰の滅亡までに残された時間は、あと僅かだった。


 服屋の2階の椅子に腰掛けたまま、シリウスは床を見つめて、これからの旅について思案を巡らすのだった。沈黙に耐えかねたのか、無言のシリウスにダリアローズが話し掛けた。

「帝国は、なぜ私の命を狙っているのでしょうか? これまで、同盟によって国には自治権が与えられていたのに」

その疑問には、シリウスも明確な答えを見出せなかった。帝国にも信仰はある、皇帝を人神とした一神教のようなもの、その神位は太古から伝えられる大陸を割った神よりも上とされている。銀星十二軍のひとつに、皇帝信仰の布教と教義を司る軍がある。ヴァルゴ宮の僧兵軍だ。ヴァルゴの大将軍は皇帝の代理人とも呼ばれ、十二将の中でも著しい権力を持つと噂される。皇帝の神格化を推し進めるために、他宗教を占領下に置き、その神をも皇帝の下の神位にする事で皇帝の神位を上げる、そして帝国の信仰の下に他宗教の信仰を位置させる、それは原始的な支配の仕方であり、強引で外圧的な神の扱いには、必ず反乱が付き纏うと言われる。あの狡猾な帝国がそんな愚を侵すだろうか。この考えを、シリウスは自ら否定した。昔はそうだった、今は違う、大きくなった銀星は、各大陸からの批判の影響を考慮せざるを得なくなった、信仰については、皇帝の神格を否定しない限り自由だとした。それからは神聖視される信仰の聖地には踏み入っていない。これは若き新皇帝の意思ではなく、ヴァルゴ大将軍の意向が継がれた部分が大きかったとされている。だから、ヴァヴェルは侵攻されなかった。しかし、これまでのダリアローズとアルベルトの話を聞いたシリウスは、信仰によるものではない別のものに由来する可能性を思い浮かべていた。

「同盟は、信仰を侵す批判を回避するための口実です。これは旅の最中に聞いた話によるものですが、実際には、帝国は国力を背景に同盟国に対して莫大な物資の供与を強制していたようです」

「父は私にそのような事は言いませんでしたが、親族からは聞いております。おそらくそれは、事実です」

「信仰の自由をアピールするための同盟ですから、地元国の信仰が揺らいだ場合、帝国はそれを救い、再建するという大義で、堂々と国を占領下に置くでしょう」

「そ、それは、まさに、今がその時、と言えます」

その理由、信仰も失われた小国、徴用出来る人員も僅か、信仰心に頼った物資の寄付に依存する資源にも乏しい土地、そこを他国が占領しても何も得る物はない。この矛盾をひとつの可能性が覆すのかも知れない。

「姫、天の塔には一体、何があるのでしょうか?」

ダリアローズはシリウスの問いに瞼を瞬かせ、何も言葉が浮かんでこなかった。シリウスは両の掌を組んで、再び床を見つめて言った。

「帝国は、天の塔にある何か、あるいは、それ自体に、価値を見出しているのかも知れません」

様々な神の信仰者は各地に存在する。古代の巨大な建造物を信仰する種族もいる。しかし、天の塔ほど圧倒的に巨大で建築技術も不可思議なものを神格化して信仰する例は他にない。

「塔が、で、ございますか?」

「姫、いや、ダリアローズさん、これから一緒に旅をする仲だから言いますが、妙な敬語、やめましょう。やめようダリア」

ダリアローズは、シリウスの言葉に初めて目の焦点を合わせたように、頷いた。

「嬉しい。息が詰まるみたいな感覚だったの、もうやめる、やめるよシリウス」

ダリアローズの表情の変化に、シリウスは、この子にはきっとこの方が良い事のはず、と思い眉間の皺を緩ませて笑顔を返した。それに釣られて彼女はこれまで小さく開くだけだった口を大きく開けて話をしてくれた。

「天の塔は、私たちが信仰する神の依代、魂の器なんだ。だからそれ自体が神、って教えられて皆んな育ったの」

ダリアロースの口調は軽快であった。芯は活発な子。シリウスはそれまでの彼女の暗い印象を振り払って、眉を上げて次の言葉を促した。ダリアローズは手振り身振りを加えながら話を続けた。

「私が他国へ留学に出た日。人の大戦が始まって2日後だった。神聖軍が勝った日。天の塔から雷が降ってきたって。雷は何度も降り注いで、嵐も竜巻も来て」

ダリアは顔を左右に振ってから、シリウスを見つめた。

「一族も、家族も、それで死んでしまった。誰も天の塔に近付いていないのに。皆んな、これまでと同じように天の塔を神として大切にして、崇めて、欠かさず毎日祈りを捧げていたのに」

話しているうちに、当日の悲報を思い出したのか、ダリアは今にも泣き出しそうだ。

「天の塔には、毒があると言われているの。でもそれは登った人に対してだけ。それを禁止した今は、誰も登っていない、それなのになぜ?」

シリウスは黙って彼女の話を聞いていた。皇女であっても、これ以上の天の塔に関する情報は与えられていないのかもしれない。これらの情報の中に、天の塔を占領下に置く理由は見当たらない。ダリアを見つめていたシリウスは、座りながら宙を見つめて、他の答えを模索しながら言葉を返した。

「何か、天の塔の地理的に戦略的な機能、帝国が狙う戦力が分かればと思ったんだけど、毒、か。もし何らかの機能を持つ場合、帝国がそれを知って、手に入れようとしている可能性はある。しかし、法皇を継ぐ者が現れてしまったら、また信仰が復活してしまうかもしれない、だから、血族であるダリアを、亡きものにするか、捉えて幽閉するか」

ダリアローズはシリウスの言葉に目を丸くして怯えた。

「いや、可能性だよ。天の塔を、帝国が欲しがる理由、何だろう」

シリウスとダリアは2人とも椅子の背に体重を預けて答えに至るヒントを空想した。そこへ、下の階からアルベルトが登ってきて、盾を抱えて階上に出た。

「ポンチョは、ほれ、この通り。じゃが、出発には、少し難ありじゃ」

アルベルトが抱えるシリウスの盾の上には、これまでの旅道具に加えて、巻かれた布が3つ乗せられている。シリウスは一安心し、建築家のアルベルトなら、天の塔に関する何かの情報を持っているかもしれないと思い、質問を投げ掛けた。

「ちょうど良かった。アルベルトさん、天の塔の秘密について姫に聞いていたところです。アルベルトさんは、何か知りませんか?」

アルベルトは盾と荷物を床に置くと、一息を吐いて、梯子の穴から下の様子を確認しながら言った。

「先祖が塔を調べた時に、当時の魔導剣士から受けた助言が、秘密といえば秘密、謎の類だな。たしか、見えている物がその通りの物ではい、とか何とか、意味は分からんが、秘密のヒントになるかもしれん」

シリウスはアルベルトの動向を気にしながらも、

「見えている物、その通りではない。真実の姿は違う、という事、か?」

と自身に問いかけるように呟いた。

アルベルトは再び階下を確認してから、梯子に足掛けてシリウスに言った。

「それよりもな、1階の店の前に、怪しい3人組が来ておる。店の外から中を物色しておってな。姫様の事を探しておるのかも知れん。賞金稼ぎか、帝国の下働きか、決して服を買いに来た風貌ではない。2人とも、逃げる準備をしておくんじゃ、わしが店の方で奴らを食い止めておくからな」

不意に天の塔の話は打ち切られた。アルベルトは梯子を下っていき、シリウスは荷物を両手で抱え持った。そして奥の横長の窓の際に寄ってカーテンを少し上げて階下の様子を確かめる。店の前の路地に3人のトカゲの獣人の男たち。その男たちにアルベルトが向かっていく。ダリアローズは窓に顔を近付けて下を見下ろして、すぐに顔を引っ込めてシリウスに言った。

「あいつらだよ、帝国」

シリウスは頷きつつ、自分の口元に人差し指を翳して少女の言葉を止めてから、再び下に視線を向けた。アルベルトは彼らに話し掛けている、どうやら服屋を装って商品をアピールしているようだ。このまま帰ってくれるのが一番だが、一応、逃げる用意はしておくべきだ。

「ダリア、荷物は?」

「何もないよ。この服だけ」

よし、この横長の窓は、外に向かって上へ開くタイプ、縦幅も人が通れるサイズはある。ここから飛び降りればあの3人の正面に出る事になってしまう。部屋の反対側には窓や出入り口は無い、この横長窓だけか。いや、屋根裏だ。もし奴らが店に入ってきても、そこに身を潜めてやり過ごす。一刻も早く隠し部屋を確認しておくべきだ。

「ダリア、外を見張っていてくれ」

少女は一瞬目を丸くしつつも、頷いて窓際に顔を寄せた。シリウスは先ほどの天井の位置を確認して、昇る手段がない事に瞬間的に困惑したが、すぐに答えを見つけた。階下に降りるための梯子を取り外して階上に引き上げ、それを屋根裏の入り口に近い壁に立て掛ける。シリウスは梯子を昇りながら、もしかしたら梯子を引き上げるだけで奴らは2階を諦めるのかも知れなかったが、梯子があったあの部屋には机もあり、それを踏み台にすれば2階へ昇れてしまう。瞬時に踏み台にする事を思い付く知能でなければ、しばらく時間は稼げる。天井板を下から押してみると、天井は四角い穴を作って上へ開いた。シリウスはその穴に顔を入れて屋根裏部屋を見渡した。屋根裏のイメージから、真っ暗なものと思っていたが、路地側の壁に小さな彩光窓があり、部屋の隅まで見渡せた。蜘蛛の巣はかかっているが、身を潜めるには十分な広さと高さ、屋根は三角だったのか、中央の梁が高く、部屋の両端に向けて斜めに屋根に傾斜がある。路地の反対側の壁には、何か仕掛けがありそうな取手。アルベルトさん、期待していいのか。シリウスは顔を引っ込めて、窓際のダリアローズを小声で呼んだ。

「ダリア、こっち」

シリウスは梯子を昇り切って屋根裏の蜘蛛の巣を払い、天井の穴から顔を出した。少女は声を発しないように静かに梯子の下まで来ると、シリウスの手招きに応じて梯子を昇っていった。彼女は翼を器用に畳んで穴を通り抜け屋根裏の中まで上がった。次いでシリウスは梯子を横にしながら引き上げて、屋根裏部屋へ隠した。そして開けた天井板を元の天井の状態にぴったりと戻した。よし、外の様子は分からなくなったが、梁を伝って音はよく聞こえる、問題ない。シリウスはまた小声で、

「ダリア、音に注目していてくれ」

と告げると、彩光窓とは反対側、店の裏手側の壁に向かって足音をさせないように進み、壁まで辿り着くと、気になっていたその壁に取り付けられている取手に手を掛けた。押してみる。動かない。引いた。壁が扉のように隙間を開け、外から風が吹き込んだ。そのまま取手を引いて扉を広げていく。風が勢いよくシリウスを薙いだ。店の裏手の外。顔を出して下を眺めると、地面まで一直線に伸びる細い鉄の管が壁に据えられている。裏手の正面にある他の店舗と、この店舗との間には人が1人通れるだけの隙間が開けられていた。左右を確認すると、その隙間がどの店舗の間にもあり、それを伝っていけば運河まで出られそうだった。何という運の良さ、いや、これは計算された配置、この壁の隠し扉、鉄の管、店舗間の隙間、アルベルトさん、やはり策士だった。シリウスはダリアローズに振り返って、親指を立てた。ダリアローズは盾と荷物を引きずりながらシリウスの元まで来ると、開け放たれた扉から下を見た。地面まではかなりの距離があったが、彼女はシリウスに見えるように背中の翼を親指で指し示した。シリウスは頷いて自分の荷物を持って盾ごとマントで包み込んで首の後ろにマントの端をまとめて縛り、赤ん坊の抱っこ布のように担いだ。店舗の一階側が騒がしくなった。奴らが店に入り込んだのだ。だがこの逃走ルートに気付くまでには随分な時間を要するだろう。梯子も外して天井板も塞いでおいたから、あとはこの壁の扉を閉めて行けば、安全に船まで辿り着けるはずだ。シリウスたちはアルベルトに感謝しながら、屋根裏部屋を出た。

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ヘリクシオンストーリーズ Mito @Mito110329

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