第9話 信仰の翼

 亜人の歴史は人間より古く、獣人より新しいとされている。最古の人類は獣人に近いものだったという。そこから進化したのが亜人であり、さらに進化したのが人間とされ、人間の歴史が最も浅いという。種族学者は皮肉を込めて言う、それなのに人間が最も強い権力を手にしている、と。また別の種族学者は、最初に亜人が生まれ、そこから野生と知性に枝分かれしたのが、それぞれ獣人と人間であるという説を唱える。亜人は長寿の種族である事がその説の根拠で、枝分かれした獣人と人間は枝葉であるから短命なのだという。亜人の各種族の最長老は平均して数百歳、過去の最長年齢は五百歳とも言われているおり、こちらの説の方が民衆の理解を得られている。だが結局は、それなのに人間は、という結論に使われる。人間だけが突出する世界を受け入れ難い心情は依然として存在しているのだ。

 亜人と獣人の中には、古くから神聖視され信仰の対象となっている種族がいる。神の使いとされる種族たちだ。背中に天使の翼を持つとされる亜人、山の神の子孫とされる獣人、海の王族と呼ばれる亜人、世界樹を管理すると言われる獣人、大地を鎮める虫を統べるとされる獣人、他にも多数の少数種族がおり、それらはいずれも神に関わるものか、星に関わるものたちだ。神も星は信仰の対象でもあり、人間も含めた多くの種族が、信仰を生活の中心に置く彼らに敬意を払っている。これらの種族に危害を加えたり、ましてや殺害する事は禁忌とされているのだ。彼らは神と星のために命を捧げているのであり、その命を脅かす事はそれらを蔑ろにして天罰や天災を受ける原因になると考えられている。彼らと争う事で地震や津波、疫病、落雷に見舞われた国はあり、それらは事実として認識され歴史にも記されていた。銀星帝国も彼らの領地を侵す事はせず、ミッドランドの中にあっても独自の自治権を認めて同盟を結んでいる。

 幾度かの悪魔との大戦の中で、神聖なる種族である彼らも人口を減らされた。悪魔たちは人類の信仰も禁忌も無視してただ殺戮していく。悪魔たちには天罰も天災も通用しなかった、むしろそれらを呼び込んでいるようにも思えた。しかし、悪魔たちがどれだけ彼らを追い込もうと、彼らが絶滅する事はなかった。神聖なる役目を担う彼らは、類稀な生存本能を発揮して、敵わないと見るや、全精神と体力を動員して逃げる事に集中するのだ。それは彼らが勝つ事よりも重要視する、種の保存のためだ。これも信仰心の成せる技、種を継続し信仰を受け継ぐ事が彼らの勝利であり、戦闘でどれだけ敗北しようと種が残れば勝ちだと考えている。そうやって幾度の危機も乗り越えて来た。

 この時代、ある種族は崩壊の危機を迎えている。人の大戦の後、信仰が覆される事態が起きた。神聖なる信仰を絶やさなかった種族を、天罰、天災が襲ったのだ。それ以降、種は迷い、信仰心を失い、担って来た信仰を捨てる者も現れた。神に裏切られた、信仰に命を捧げてきた我らが。最長老は失意のまま息を引き取り、若者たちは自分たちの生まれた境遇に困惑しながら他国に活路を見出すべく去って行った。若者がいなくなれば、次の担い手もいなくなり、子孫も望めなくなる。絶滅ではない、どこかで種は生き残る、だが信仰を伴わない種の継続は、彼らにとっては敗北を意味していた。今、彼らには、信仰心を取り戻す方法が求められていた。


 背中に翼を持つ老亜人に案内され、というより後ろから背中を押されて、シリウスは荷物を抱えたまま服屋の敷地の奥へ押し込められるように入って行った。盾に乗せた旅道具や釣り竿が服屋の商品に引っかからないように注意しながら歩みを進める。老人はシリウスの背中を押してさらに奥へ、突き当たりの半開きのカーテンを越えて、その先の従業員用の部屋へ、老人が再度背中を強く押して、ついにこの店の敷地の一番奥と思われる土壁まで追いやられてしまった。そこまで辿り着くと老人はようやくシリウスを押す事をやめた。シリウスは老人の方に向き直って部屋の中を見渡したが、狭い部屋のどこにもポンチョらしき物は見当たらない、それどころか商品と思える物はなく、部屋の隅の粗末な机の上に従業員の着替えと思われる衣服が畳まれて、その脇には食べ掛けのパンが皿に乗っている、パンには何かが挟まれているようだが、至って質素なもの、机の反対側の壁際には梯子が2階へ続いている、これは一体。筋肉質の老いた亜人は、悪い人物には見えない、どちらかと言えば正義感タイプ、人が見かけに寄らないとしたら、これは旅人を閉じ込めて金品を奪い取る強盗なのだろうか。シリウスは旅道具の荷物の受け皿にしていた盾の端を持ち直して間を作り、

「たしか、奥にポンチョがあると」

と亜人に問い掛けた。老いた亜人は、うむ、と頷き、机に向かって行って机の上の服とパンを端に寄せると、

「荷物をここに置くといい」

と机の上の空いたスペースを手で指し示した。採寸でもするのだろうか。シリウスはしばらく老人の顔を見つめたが、結局、言われた通りに荷物を盾ごと机の上に置いた。そして背中を少し逸らして筋肉の強張りを取ってから、再び老人の顔を見つめた。

「うむ、上へ」

老人は先に梯子に向かい、力強く素早く昇って行った。天井の四角い穴に到達すると背中の翼を肩幅まで折り畳むようにして縮め、穴の先まで昇り切ってから、下から見上げているシリウスに着いて来るように手で合図を送った。怪しいのは分かっているが、老人から感じる魔力は、やはり悪人のものではなかった。シリウスは老人に従って梯子を昇り、2階の一室に出た。2階は店舗側のスペースまで突き抜けの1部屋になっており、部屋の真ん中でカーテンで仕切られて奥まで見えないようになっている。老人はさらにシリウスを誘ってカーテンの前まで進むと、

「船旅の客人です」

と奥に向かって言ってから、カーテンを半分だけ開けた。部屋の奥の窓際の椅子に、同じく翼を持つ亜人の少女が腰掛けていた。白い刺繍のある布を胸の前で交差させるように巻いた服と同じく刺繍のある白いスカート。上衣のあの巻き方は独特ではあるが、背中の翼を自由に動かすために肩甲骨のラインを大きく開ける工夫の末に完成された文化なのだと理解出来る。少女が座る椅子の向かいには、ティーカップの置かれた机が1脚、部屋の壁際に寄せられたベッド、窓は小さいが、そこにはレースの刺繍のカーテンが掛けられ、入って来た店舗の外観と店内の見た目とは、雰囲気が違っていた。それも少女が纏う清廉な魔力と老人が見せた少女に対する礼儀によるものだと分かった。高貴な血脈の亜人。少女は立ちあがろうとして、思い出したように老人と視線を一瞬合わせてから、シリウスを正面に腰掛け直して、顎を僅かに下げる礼をした。何処かの王族の子孫かも知れない、翼の羽の艶も翼の畳み方も、相応の身分の気品がある。高貴である事を見せなければならない王族は、一般の客人に対して無闇に立ち上がって迎える事が許されない。立ち上がって対応するのは自分よりも身分が上の人物に対してのみ、下の人間に対してそれを行うと身内から叱責される、例え相手が友人であっても、王族は一族の威信を守らなければならないのだ。老人は少女の椅子の隣まで進み出ると、シリウスに向き直って踵を揃えて言った。

「こちらに座す方は、天の塔、ヴァヴェル王国が第一皇女、ダリアローズ様に御座います。客人、名乗られよ」

シリウスは老人が告げた内容に、一瞬言葉を失い半歩後ろへ後退したが、すぐに気を取り直して跪き、

「シリウスと申します。旅の途中のところ、こちらにお招き頂きました」

と礼をした。少女は慣れていないのか、シリウスの敬礼に対してすぐに、

「どうぞ、楽に、お寛ぎを」

と老人に視線を送って、部屋の隅に据えてあった椅子を持ってくるように合図を送った。老人は持って来た椅子を少女の斜め脇に置き、シリウスをそこへ促した。対面で座る事は平等とされてしまうから、王族の正面に対して無礼のないように客人は横付けに座らせるのだ。シリウスは立ち上がって再び礼をして、老人が用意した椅子に腰掛けた。少女はシリウスが不慣れな自分を察して詮索せずに対応してくれた事に、「ありがとう」と感謝した。

 シリウスは中央大陸を旅する中で、様々な世界の情勢や噂を聞いていた。そのうちの1つが、滅びつつある神聖な国がある、という噂話。それがヴァヴェルだった。さらに耳にしたのは、天の塔、災害、という言葉。それを聞いた時のシリウスにとっては、遠い地に起きた1つの災害、という他人事の範疇を越える情報ではなかった。人が残っているなら復興は出来る、天災による被害に恨む矛先はない、神聖視される国であっても、この戦火では他国からの支援は難しい。1人の旅人に過ぎない自分には関係のない事、それよりも優先すべき事がある。だから、その話について思い返す事もなく、旅の途中で再びその国の名を聞くとは思っていなかった。しかもその国の第一皇女と出会う事など、予想のしようもない。サンガはこれも予見しただろうか。まさか、とは思うが、サンガが繋いだ縁のように思えてならない。

 シリウスは服屋の2階の部屋でダリアローズと老人から、彼らのこれまでの経緯、ここに匿われている理由、なぜここに連れて来たのか、そして、これからどうするのか、など様々な話を聞いた。シリウスは老人に視線を向け、老人はその視線を逸らすように真っ直ぐに宙を見た。やはり、この老人、騒動に巻き込むつもりだった。剣士の船旅を利用して、皇女を護衛付きで国へ送り届けようとしているのだ。老人は自分が抱えていた荷物を観察して、複数人の遠出の船旅である事を見抜き、剣士である事も確認した上で、ここまで引き込み皇女に面会させた。もしかしたら、耳の翡翠のイヤリングを見て、魔導剣士とも思ったかもしれない。真の魔導剣士は、目の前で困っている人を見捨てる事があってはならない。それは修行の最初に教えられる事で、誰もが知る魔導剣士の教義。いきなり面会させた理由はその教義を心得ているからに違いない。策士。してやられた、というわけだ。シリウスは一気に肩の力が抜けて、椅子の背に体重を預けて深く息を吐いた。寛いで良いと言われたのだから、気を張るのはやめよう。老人は咳をしてから、シリウスに問い掛けた。

「それで、ご返答は、如何に」

困っている人を助けないわけにはいかない。分かっていて聞いているのだ。

「承知しました」

ダリアローズと老人の顔が一気に緩み、2人は互いに笑顔を見せ合った。ダリアローズはシリウスの右手を取ると、両手で蕾を作るように包み込んで感謝の意を表した。あまりに長く手を握り続ける泣き顔の皇女に、老人は咳払いをした。これにはシリウスの方が逆に恥ずかしくなった。「もう、手を」と言ったシリウスの様子を見て、ダリアローズも恥ずかしくなって手を引っ込めた。シリウスは思い出して老人に言った。

「ポンチョを4着ください。あれ? なぜ、ポンチョだと分かったんですか?」

「そうだったな、すぐに用意する。なに、遠出の航海をする旅人や漁師は、夜はポンチョに包まって寝るものだからな」

「店の前で、あの一瞬でそこまで分かるなんて、あなたも只者ではないですね」

褒められた老人は照れを隠すために鼻の頭を軽く擦った。

「わしの名はアルベルト・ガーウィン。建築家の家系でな、わしは設計図も描くが、大工もする。するとな、色々な事が見えて予測出来るようになるもんじゃ」

「なるほど」

建築家は、家や建物はそこを使う人たちの用途、便利さを想像して設計するものなのだ。それを自身も大工として組み上げる事で、精度を増してさらに予測出来るようになる。理解出来る理屈だ。

「アルベルトさんの祖先は、有名な建築家なのです」

ダリアローズはシリウスに微笑みかけて、その笑みをアルベルトにも向けた。

「はは、まあ、そうらしい」

アルベルトはまた照れて鼻を掻いた。シリウスはやっと笑顔を共有出来たが、ふと疑問に思う事があった。

「なぜ、服屋を?」

「ああ、ここは借りただけじゃ。姫様を匿うために、一時的にな」

道理で、服屋には不相応な肉体と見た目のはずだ。

「メグの町の建物の大半はわしが作ったんじゃが、この店には内緒で隠し細工の屋根裏を用意しておいた事を思い出してな、そこ」

アルベルトは天井の隅を指差した。その指先が示す天井の板には、僅かに切れ込みがあり、隣り合った板の継ぎ目の幾つかを見たところ、四角い出入り口の穴が開きそうな作りだった。大半を作った事にも驚くが、店主に内緒で仕掛けを入れていた事にも驚かされた。建築家、恐るべしか。アルベルトは話を続けた。

「本来は、これだけの大事の案件は、メグの裏の主、バツマル様にも相談すべきなんじゃ。しかしこれは信仰の問題、彼らには彼らの信仰もある、つまり他国の信仰に関わる事は出来ないんじゃ」

確かに、信仰の壁というものは、国境のように目に見えるものより強固で、2つの信仰が交われば必ず戦争が起きるとされている。どんな神を想像し、何を神の意思とするか、それが国や種族ごとに異なるのは当然なのだが、人類はそれぞれが神を背負って勝敗を決めたがる。互いに干渉しないとするのは、それが戦争の引き金になる事を人類が学んだからだ。

「ま、これはヴァヴェルの身内の問題じゃからな。ちょっと待っててくれ、ポンチョ4着、集めてくるわい」

アルベルトはそう言うと階下へ戻る梯子へ向かって行った。そして、梯子に足を掛けてシリウスに振り返って言った。

「わしがもう少し若く馬鹿であればな、ガーウィン家の、一族追放の禁罰など無視して、暴れまくってやったのに、時間は残酷じゃよ」

シリウスは、しまった、と瞬間的にアルベルトに言った。

「3着でした」

「ん、あいよ」

そう言うとアルベルトは梯子を下って行った。老人は最初の印象と違って、意外にも気さくで、面倒見も良く、照れ屋で優しいおじいちゃんだった。それにしても、バツマルやランに相談もなく、決めてしまって大丈夫だったのだろうか。信仰に関わらないというは、確かにその通り、食料も水も2人分しか買って来ないだろうし、当初の自分とバツマルだけの男の2人旅とは違って、少女を守りながら旅をする護衛旅になってしまう、当然、準備する物は増えるはずだ。出発は少し待って貰うとして、追加の道具や食糧は自分が責任を持って買い足してくるか、そして彼女の身分や事情をどこまで彼らに話すべきか、いや、今後の3人の信頼関係のためにも、すべて話すべきだ、その上でバツマルに反対されたら、自分が責任を持って彼女をヴァヴェルへ送り届ける、それでいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る