第4話 ようこそ「テリア」へ

 再開日の今日、本当にありがたいことに、席は開店から閉店まで、予約で埋まっていた。


 再開にあたり、かつてのご常連にDMを送ったのだ。お客さまの名刺をお母さんがきちんと2冊分にファイリングしてくれていた。


 名刺には端っこに小さく日付も記されていた。きっといただいた日のものだろう。


 そして、これまで予約をいただいたお客さまの情報は、開店当時のものからエクセルにまとめられていた。


 そのデータと名刺をざっと照らし合わせてみると、お母さんは本当に几帳面で、1年以上来られていないお客さまの名刺と、定期的に来てくれるお客さまの名刺は別々のファイルに入れられていた。後者の中には榊原さんの名刺もあった。


 なので、最近まで来てくれていたお客さまを中心にリストを作った。


 そして、DMの作成は、両親が「テリア」を経営していた時から懇意こんいにしていたデザイン会社にお願いした。天王寺にある会社である。


 途中まではオンラインで打ち合わせをし、制作途中はオンラインストレージを介してPDFで見せてもらい、完成手前、責了せきりょう原稿と言うらしいのだが、その時点で担当デザイナーがあびこまで来てくれ、駅近くのカフェで見せてくれた。


 それまでデータで見ていたものが、プリンタとはいえ紙に印刷されると、また少し雰囲気が変わって驚いた。データで見るより落ち着いて見えたのだ。


 これまで両親が作ってもらっていたものを参考に、そのイメージを崩さない様に柔らかなクリーム色が基調になっているのだが、印刷されるとそれが馴染んで、品が良く見えた。


 それはそのまま採用され、必要枚数が印刷されて、お客さまの住所などが印刷されたシールが貼られ、郵便局の窓口に出された。その時守梨まもりは心の中で、よろしくお願いします、と手を合わせて願ったのだが。


 そろそろDMが到着するだろうころ、「テリア」への電話が、まだ春日家だった家の固定電話に転送されて来た。


「再開しはるやなんて、ほんまに嬉しいわぁ。楽しみにしてるわね〜」


 ご婦人が高揚した声で、再開日の予約を入れてくれた。嬉しいことにそれが続き、まさかの、当日には席が取れなくて、別日にしてもらうことにまでなり。


 そして、今日を迎えることができたのだ。


 なんと言う幸先の良い、縁起の良いスタートなのだろう。しかし、最初が肝心である。ゆうちゃんのお料理はもちろん、守梨のサービスも気に入ってもらわなければならない。お母さんと同様に、もしくはそれ以上に。再開を喜んでくれるお客さま、ご常連をがっかりさせるわけには行かないのだ。


 オープン時間の17時が近付くに連れ、守梨の緊張度合いは増して行く。落ち着かなくて、ついつい何度もテーブルを磨いたりしてしまう。もっと他にすべきことがあるだろうに。


 今日新たに仕入れたワインに過不足は無いだろうか。ナプキンとカトラリーの準備は直前の方が良い。表のスタンド花のビニール袋もさっき外した。時計を見ると、ああ、なんと言うことだ、時間までそろそろでは無いか。守梨は慌てて厨房に向かい、トレイに手を伸ばした。


「守梨」


 仕込みがひと段落したのか、祐ちゃんが手を止めて守梨に近付いて来る。


「ん?」


 すると祐ちゃんは守梨の左手を取り、薬指にはめていた結婚指輪に重ねて、違う銀色の指輪をはめた。それは。守梨は目を見張る。


「祐ちゃん、これ」


 お母さんの結婚指輪だった。お父さんのものと揃いの、シンプルなプラチナのみが使われたもの。守梨とお母さんは身体だけでは無く指輪のサイズもそう変わらない。なのでぴったりなのだった。


「守梨、無くしたくないからって、大事にしまっとったん見せてくれたやろ。でも「テリア」におる時だけは、お守り代わりにしたらええんちゃうやろかって。ほんまは俺もしたいんやけど、おやっさんの指は俺より細かったし、何より食べ物扱うからな。自分の結婚指輪すら外してるんやし」


 守梨は指の上で並ぶ指輪を見つめる。買って間もない、小さな石がはめ込まれている守梨の結婚指輪と、小さな傷があって、少しばかり鈍い色合いになっている、お母さんの結婚指輪。


 お父さんとお母さんの魂はもうどこにもいない。祐ちゃんがここに越して来るタイミングで、両親のものはあらかた処分した。それでもこうした思いの込もったものは、たくさん遺されている。


 がんばりや。守梨はやれる子やで。


 まるで指輪が、そんなことを語り掛けて来た気がした。


「祐ちゃん、ありがとう」


 百人力だ。心がゆっくりと落ち着いて行く。守梨は潤む目尻を下げた。


 例えば心が燃え上がる様な情熱や、可愛らしくきゅんきゅんとするときめきや。


 守梨は祐ちゃんに対して、そういったものは無い。それでもこうして守梨を思いやり、穏やかさや暖かさを祐ちゃんは惜しみなく与えてくれる。


 それは守梨に多大な幸せを感じさせ、ああ、祐ちゃんと一緒になって良かったと、生涯一緒にいられる約束を、心の底から嬉しく思うのだ。


「……ほんまに、ありがとう」


 ぽつりと呟くと、祐ちゃんは優しく微笑んで、頭をぽんぽんと撫でてくれた。


「ほら、そろそろ時間や。カトラリー取りに来たんやろ」


「あ、そうや」


 守梨は引き出しから出したカトラリー一式とナフキンをトレイに乗せ、フロアのテーブルに並べた。そして時計は17時を指す。


 少しして、ドアがそっと開かれる。入って来たのはご夫妻と思しき初老の男女ふたりだった。


「こんばんは、再開おめでとう」


 男性の和やかな声が、守梨の心に暖かく響いた。


「ようこそ、いらっしゃいませ」


 守梨は朗らかに、元気と感謝を込めて、お客さまを迎え入れた。

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