15 『アポイントメント』 


 賀崎圭太郎かざきけいたろうは緊張していた。


 約束の時間まであと6分。

 このファミリーレストランに入ってからもう1時間ほど経っている。ひとりでボックス席を独占してしまっているが、長年続く不況のせいだろう。客入りは目に見えて少ない。迷惑な客とまでは思われていないはずだ。コーヒーのおかわりを繰り返すことで売上にも協力している。


 約束の場所に早く着きすぎてしまったのだ。

 土地勘がなかったという理由だけではない。

 遅れるわけにはいかなかった。何があっても。

 大事な用件である。

 他のどんな事柄にも優先する、とても大切な約束である。

 首都住まいの賀崎は今日この日のために強引に仕事を休み、飛行機を利用して寂れた北の地を訪れていた。


 賀崎圭太郎。51歳。

 都内中堅企業の中間管理職。

 突然の休暇申請に上司からいやな顔をされるも、事情・・を知る社長が助け船を出してくれた。年頃のひとり娘がいるというから、同情からの親切だろう。繁忙期にもかかわらず3日間の休みを認められた。


 有り難いとは思う。

 だか、たとえ馘首クビになったとしても、賀崎は仕事より約束を優先しただろう。


 仕事など、正直もうどうでもよくなっていた。

 30年近く勤めた会社ではあったが、いまではやり甲斐など微塵も感じない。責任感すら消え失せてしまっている。あの事件・・・・以降、惰性で続けていただけなのだ。もはや金銭かねを稼ぐ意味も理由もない。かといって職を辞すのも面倒だった。


 賀崎が生きる意味。

 いや、生きながらえている理由など、ひとつしかない。

 そう。たったひとつだ。

 それが。唯一の目的が、今日。これから。果たすことができる、かもしれない。


 革靴の音が近づいてくる。

 初対面だが、足音だけで察せられた。

 間違いない。迷うことなくこちらへ向かってくる。

 時間ぴったりだ。待ち人が来た。賀崎はゆっくりと顔を上げる。


「賀崎圭太郎さんですね」

 

 想像していたよりもずっと強烈な印象を与える男だった。

 癖のついた短い銀髪の壮年。

 細面ほそおもての整った顔だちである。

 薄墨色のドレスシャツに黒いベストが引き締まった身体によく似合う。

 細眼鏡は色の濃いブラウンカラーで、その奥を覗いてまで目線を合わせる気にはならなかった。覚悟・・してこの場に臨んだつもりだったが、やはり雰囲気からして普通ではない。落ち着いた低い声が逆に緊張を誘う。賀崎は背に寒気すら覚えていた。


「ああ、そのままで。向かい席、失礼します」


 立ち上がって挨拶しようとすると止められる。

 男はひとりではなかった。

 アロハシャツ姿の中年男が一緒である。

 銀髪よりひと廻りは年上だろう。対照的な体型だった。背が低いのに厚みが尋常ではない。まるで達磨ダルマだ。体重は100キロを超えているだろう。ひどく汗をかいていて、見るからに暑苦しい。ここに来るのに急がされたのか。息を切らしていた。


「挨拶が遅れました。朔田さくたです。……こちらは胴真どうまさん。今回の件では骨を折っていただきました」


 奥側の席へ押しこまれた分厚い男――胴真――が困ったような顔で頭を下げる。

 視線が賀崎と銀髪の間を幾度も往復していた。

 3人がけのソファだが、2人で座るのにも窮屈そうだ。通路側に腰を降ろした朔田の片足はテーブルの下に収まりきっていない。


「それは……。どうお礼を申しあげるべきか。ともかく、ありがとうございます」


 賀崎が礼を口にすると、胴真はますます戸惑った顔になった。

 横にいる銀髪に向け、つばを飛ばす。


「お、おい、朔田。なにが、どうなってるんだよ。この人は、いったい」

「すみませんね、賀崎さん。こちらの胴真さんには詳しく説明をするひまがなかった」


 とはいいつつ、朔田の口ぶりはアロハシャツの男を無視するような態度である。

 困惑顔で問いかける胴真には目もくれない。持参した黒革のセカンドバックを開くと、中からラミネートされた小さなカードを取り出した。


「確認願います。……この男で、間違いありませんか」


 卓上に置かれたのは学生証だった。

 目を落とした賀崎は食い入るように見つめる。

 氏名。学部と学科。事前に得ていた情報と同一である。顔写真は入学時のものか。賀崎の記憶より印象はずっと地味だが。しかし間違いない。間違えるはずもない。


 こいつだ。

 この男だ。

 環壁陽介わかべようすけ

 世の中すべてを舐めているような目つき。この餓鬼がきに、娘は――。

 

「朔田。こいつ……。あのときの野郎か」

 

 胴真という男の声で、賀崎は我に返る。

 歯を食いしばっていたらしい。半開きの口から漏れる息が熱かった。目も血走っていることだろう。まずは話を聞かなくては。


「身柄は拘束しおさえています」


 銀髪の男はことも無げに口にした。

 もっとも知りたかったことを。

 賀崎の目的。標的とした男を、捕らえていると告げてみせた。


「や、やつは何処どこだ、何処にいる!」


 思わず腰を浮かせたところで、向かい席の朔田に掌を向けられる。

 だが、落ち着いてなどいられない。


「……逃げられないところに」

「ど、どこなんだ! やつは何処に? 案内してくれ、頼む、頼むよ! この餓鬼を引き渡してくれるなら、何だってする! か、金銭かねか? 金銭ならいくらでも払う! だから――」


「落ち着いて。声が大きい」


 我を忘れていたらしい。

 賀崎は卓に両手をついて身を乗り出していた。

 はっとして周囲を見渡す。通路にいた店員と、少ないが他の客から注目を集めてしまっている。


「賀崎さん。……お察ししますが、場所が場所です」

「す、すまない」


 深呼吸をしつつ、賀崎はソファに深く腰を降ろした。

 すっかり取り乱してしまった。

 危ない。危ない。怒りを抑えなければ。取引・・は冷静に行わなければならない。


 なにしろ、相手は極道なのだ。

 朔田から連絡を受けた際、彼はみずから身分を明かした。

 いつわりではないだろう。

 たった数分の通話でも経験したことのないたぐいの緊張を強いられた。

 実際に対面したいまとなれば確信に近い。外見といい物腰といい、その独特の雰囲気は一般人とはかけ離れている。あえて極道をかたる理由も見つからない。隠すのなら、わからないでもないが。


 極道ヤクザ

 斜陽の存在である。

 裏社会の主役だったのは昔のことで、いまや見る影もない。

 なんらかの罪を犯して逮捕されたというニュースすら、最近はとんと耳にしなくなった。半グレや外国人ギャングなど、新興の反社会勢力に駆逐されたというのが世間一般の認識だろう。組の数も構成員も減少を続け、いまだ残る者もその大半が老齢だといわれている。誰の目にも弱体化は明らかだ。


 とはいえ、狡猾で残忍な性質まで失ったわけでもあるまい。

 もともとが堅気かたぎを食い物にして稼ぐ、暴力と脅迫を基本とする連中だ。礼節を弁えているように見えても、優しい笑顔を浮かべていても、その本心は正反対のところにある。信用できるわけがない。


 目の前の銀髪が何らかの情報を掴んでいるのは間違いないだろう。

 学生証も偽物には見えない。

 偽造したものなら顔写真にはもっと直近の画像を用いているはずだ。入学時らしきあの風貌は素朴な印象が強すぎる。ぱっと見では別人と間違えてもおかしくない。少なくとも学生証については本物と考えていい。


 だからといって朔田の言葉すべてを信じるのは迂闊うかつというものだ。

 やつを拘束している、というのも事実なのかどうか。

 もし本当なら謝礼を惜しむつもりはない。環壁の身柄を引き渡してくれるのなら、賀崎の財産すべてを対価として渡しても構わない。食い物にされても文句はなかった。賀崎の目的は果たされるのだから。銀髪の極道、朔田市太郎が真実を語っているならばそれでいい。 


 とにかく、真偽を見極める必要がある。


 詳細を聞き出して、その上で判断しなければならない。

 こちらの弱みにつけこんで金銭を騙し取ろうという魂胆かもしれないのだ。いまさら金銭に未練などないが、成果もなく奪われるのにはもう懲りた・・・・・。目的を果たすまでは活動資金が要る。


 疑ってかかるくらいで丁度いいはずだ。

 まずは心を鎮め、慎重に取引を進めなくては。


「……失礼しました。取り乱してしまって、申しわけない」

「無理もない」


 朔田は細眼鏡の奥で目を伏せた――ように見えた。 

 言葉が少ないのは店のスタッフが注文をとりに来たせいか。

 3人ぶんの飲み物を頼み終えると、銀髪の極道はゆっくりとした動作で卓上に手を組んだ。賀崎は思わず息を呑む。小さな仕草ひとつ。それだけで、また緊張を強いられている。


「さて、賀崎さん。やつを捕らえた経緯。……いや、手前どもが何故この件に関わったのか。そこからお話したいところですが……」

「た、頼む。いや、失礼。……お願いします」


「その前に」


 と、朔田は隣に居るアロハシャツの男に視線を移した。

 胴真といったか。いまだ困った顔のままだ。

 先ほどのやり取りで激した賀崎の剣幕に驚いたのか、ひどく居心地が悪そうにも見える。座席が狭苦しいという体型上の理由だけではないだろう。まだ額に浮いた汗の粒が減っていない。座る位置は空調設備近くのはずだが。


「こちらの胴真さんにも説明してもらえませんか。賀崎さん。……貴方のお嬢さんのことを」


 そう来たか。

 凄惨な過去を話させることで、こちらの心を揺さぶるという手法かもしれない。

 激情に駆られた中年男など意のままにできるということだろうか。情報を小出しにするだけでいくらでも金銭を搾り取れる。そうほくそ笑んでいる可能性もある。


 アロハシャツの男は、そのために連れてきたのかもしれない。

 事情を知らされていない。それは嘘ではなかろう。

 この胴真という男、とても演技などできそうもない。いかにも不器用そうなタイプだ。抱いた関心を隠せていない。態度に遠慮が見えるが、同時にこちらをちらちらと窺ってもいる。


 いいだろう。

 乗せられてやる。

 話してやろう。語ってやろう。


 熱い息をひとつ吐くと、賀崎は意を決して口を開いた。


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デストピアの鉄拳 のぎふ。 @no-gift

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