ポストアポカリプス・百合の破片(7)
※※※
「まだ夢に見ることがある」
アイネは、灰皿に煙草を押し付けた。それから間髪容れずに次の一本に火を点け、
「殺しきれなかったナギを、あたしが受けた痛みを、あの、氷のような目を」
「裏切り者には、死を?」
「もちろん」とアイネは眉ひとつ動かさない。「あんただって、自分のエッグネストを危機に陥れたいやつがいたとしたら、殺すだろ」
「……話し合うことができなければ」
「おいおい、よく言うぜ」アイネはケタケタと笑う。「なら皆様でよくお話しされることだな。誰がその『i』とやらを起こしてるか教えてくれるだろうぜ」
そんな皮肉に、シラセは屹と目を細め、
「茶化さないで。わたしは最後まで開き直ったりしないだけ」
「あたしも諦めたつもりはないけどね。ただ……」とアイネは気だるげに煙を吐いて、「事実は受け止めたほうがいいよ。あの二人はあたしの敵だ。敵でしかない」
シラセの唇が魚のように動きかけて、けれども言葉は発されなかった。彼女は煙草を置き、前髪を雑に掴んで掻き上げ、
「わかった。もうこのことは好きにすればいい」
「もちろん、ずっとそのつもりだよ」
「ただ、エッグネストの消滅と二人が関係あるとは思えない?」
「わからん」アイネはカウンターに頬杖をついて、「なあ、『i』とやらはメタバース上の攻撃なんだろ?」
「そうね、もし『ルプス』だとすれば電子戦になる……」
「おかしい話だぜ。はじめから奴らがそれを使えるんなら、わざわざ現場に出てきて銃をぶっ放す理由がねえよ。何ならナギもイルマも、あたしはこの目で見た」
「戦ったの……」
いや、とアイネは首を横に振って、
「ニアミスさ。ディセンバーの保安部隊が途中で来ちまってな。奴らを見間違えるはずがない。金と銀の髪。ああ、実にお元気そうだったね」
そう語る間にも、アイネの目には憎悪の光が募っていく。支え合うようにして立つ二人を見て、即座に襲いかからなかったのは僥倖だった。一個小隊ばかりのテロリストに単身突撃したところで、結局は犬の餌がオチだったろうとアイネは思う。確実に仕留めることができるその時まで、死ぬわけにはいかない。
「……あなたは」とシラセが重たげに口を開いた。「イルマが反政府だと、いつ気づいたの」
「そりゃビッグ・ブラザーからご指令をいただいた後さ。どうしてディセンバーのセキュリティを騙したらしい仕掛けがあたしに、あたしらにわかる?」
だが、気づく要素はあったとアイネは思い返している。
二層以上の人間、例えば目の前にいるシラセも含めて、保安部隊に所属でなければ機関義肢への換装は最小限だ。それも歳を取ってから不具合の出た部位を弄る程度で、20代ではめったにない。成長過程の学生なら、なおさら。
イルマは食事も最低限で、記憶力が異常に良く、何より幼少期に過ごしたエッグネストでの思い出らしいものを一切語らなかった。避けていたんだ、とアイネは今にして思う。
結局、最初から『ルプス』だったイルマは同志を手に入れ、ディセンバーのやり口を学び、完全に露見する前に――より正確に言えば保安部が学徒動員の次元ではないと本気で動き出す前に――逃げおおせたというわけだった。
シラセは乾いた下唇を舐め、
「もともと『ルプス』にはエッグネストへ紛れ込むことのできるの下地があった、わけで。それにあの二人が協力したとすれば」
「エッグネストを殺していくプログラムも作れる、と」
シラセは我が意を得たり、とばかり大きくうなずいた。
合理的にも思える。卒業して一仕事できるぐらいの年だ。現にシラセは相応のポストまで上り詰めていて、同じ程度の能力を持つ彼女たちが、何か対抗手段を講じるまでになった……なるほど、だからかつては銃で、今は電子戦なのかと、アイネも首肯しかけた。
けれど、
「そのストーリーじゃ、あたしは奴らを殺せないよ。それなら剥ぎ取り屋を続けながらもっと前線に行く。北に。そうすればいつか本隊とぶつかるから」
「死にに行くようなものじゃない」
「もともとその気だから。それとも、あんたの言う『i』を解き明かせばここに出てくる保証でもある?」
「……そんなものは、ないけど」
だろうね、とアイネは冷ややかにつぶやいて、沈黙が落ちた。酒場の、あらゆるさんざめく音が膜を隔てた向こうにあって、無音よりかえって虚しく聞こえた。
決裂したな、とアイネは思う。結局目的が噛み合わなかった。シラセはエッグネストが壊滅する謎を解かねばならず、アイネは二人を殺したい。妥協点を見いだせない以上、もう話は終わりだと思い、残った酒を一度きに飲み干した。
もちろん、シラセもそれを察していた。彼女はカウンターに与信端末(クレジット・チップ)のカードを置いてアイネのほうへ滑らせる。
「これが約束の報酬。腕の分は」今度は
「データは後で送る。カネの話は……旧い付き合いに免じて許すよ。本当は全部現金でいただきたいところだが」
アイネは肩をすくめて立ち上がる。頭の中にはもう次の仕事と、機関義肢の算段がある。あちら側世界との話は終わりだで、現実を見る時間。
「あの……アイネ」
シラセが、行きかける背中へ呼びかけた。
「エッグネストの座標は送っておく。もし興味があれば、来て」
「身体に気をつけろよ、シラセ」
アイネは肩越しに手を振って店を出た。
宵闇の中で雨が蒼く光っていた。アイネはパーカーのフードを羽織った。化学物質だとか酸性雨だとか、何かしらの嫌なものらしいという知識しかなかったが、外界では十分に過ぎた。どうやって人が消えたかもわからないのに、自然現象の話まで手が回るわけもない。
泥道を歩きながら、アイネは胸のむかつきを覚えた。煙草の吸いすぎだった。その味が舌に残っていて、足元に唾を吐く。
頭の中には、シラセの語った物語がまだこびりついていた。
一笑に付して正解だったはずだ、とアイネの中で誰かがささやき、けれどまだ何か引っかかってるんだろう、ともうひとりが呟く。
ナギがもし、ディセンバー内部の情報を知っているのなら、シラセがどこにいるかは知っているはずだ。彼女はシラセを殺したいと思うだろうか?
「……きっと、助ける」
低い声が漏れ出している。そう。そうだ。ナギはもとよりアイネでさえも、殺しに来た相手でさえも生かしておいた。仮にナギのエッグネストを攻略しようとしていて、その結果が全滅なのだとすれば、警告のひとつぐらいくれてやるはずだし、ことによれば脱出に手を貸すべく現れる可能性はある。大いに。
そうなったら、とアイネは頭を回す。保安部隊とかち合うだろう。ナギがうまくやるならそれはそれでいい。けれどもし、そこで殺されたら?
汚れた黄金の髪をイメージする。ドス黒い血。閉じられた瞳。長いまつげ。その隣には銀の髪をした小さい頭。はじめから裏切っていた女! イルマ! あたしからナギを奪ってたぶらかしたやつも、必ず、一緒にいるはずだ。焦燥が胸を掻きむしった。
殺すのはあたしだ。切り飛ばされた腕の借り、それはもはやどうでもいい、ただあの空間をぶっ壊してのうのうと逃げて二人で仲良くやってらっしゃるヤツを、この手でぐちゃぐちゃにしなきゃダメだ。それがあたしの、ただ一つの生きる理由だ。
もちろん、今この時もナギは戦場にいるかもしれない。どこかで死体になっているかもしれない。それがいいわけではないが、自分以外の誰かに盗られたことが明確になるよりはよほどマシだ。
「……頭を冷やせ、バカ」
そう吐き捨てながらも、左手がサングラス型端末に伸びていた。
視界の左端に地図が立ち上がっている。アイネはそれをピンチアウトし、数字を叩き込む。頭のどこかではうんざりだ、という自分がいた。こうやって頭を突っ込んで外れだった時にどうする? 時間の無駄だぞ、と。
遠く、岸壁で砕かれた波の音がする。しばらく、アイネはそれを聞いていた。思案するでもなく、聞き惚れるでもなく。茫洋と、事実があるべき場所へ落ちるのを待っていて。
「やる。やるんだよ、それしかないんだ」
やがて、アイネはそう呟いた。そうだ、こうしよう、とも。
もし何の収穫も得られなければ、その時は、
「シラセ、あんたのことも、殺さなきゃいけなくなる」
=======================================
(続きは未定。ここまでで1/3部です)
小説の破片たち 山口 隼 @symg820
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。小説の破片たちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます