ポストアポカリプス・百合の破片(6)

 ※※※


 シラセの、思いのほか強い視線に戸惑って、アイネは突き飛ばした。

 開放されたシラセは咳込んで、忌々しげに頭を振り、

「言ったでしょう、今しがた。二人の件を、『わたしはわたしのやり方で』って」

「じゃあ、今回の依頼ってのは」

「そうよ。関係があると見てる、だからちょっとは落ち着いて腰を下ろしなさい」

 叱りつけるような口調だった。まるで学生時代に戻ったような。アイネは虚をつかれてたじろぎ、言われるままに倒れた椅子を立てて座り直した。

 そう、とシラセはつぶやき、彼女自身を落ち着けるように酒で唇を濡らして、

「エッグネストの不自然な壊滅。『ルプス』は何か知ってると思う」

「そりゃあそうでしょ、鼠の集団自殺じゃあるまいし、テロリストがやったに決まってんじゃん」

「あなた、何を見てきたの?」シラセは呆れ顔で、「戦闘の跡なんかなかったでしょ」

「今どき銃をぶっ放さなくったって殺せる、生物兵器だってざらだ」

「それならガスマスクでもつけて入った? それにエッグネストは完全環境都市、その手の処理はお手のものよ」


 シラセはため息をついて、白衣の内ポケットから煙草の箱アークロイヤルを取り出し、疲れた手つきで火を点けた。紅茶の甘い香りが漂った。

 アイネの知らないシラセだった。思わず目を丸くして、

「シラセ、吸うようになったの……」

「ああ、まあね。わたしもいろいろとあったから」

 シラセは灰を落とし、煙を吐き出して、

「あなたの目は何を見たの、アイネ。データの話は後でいい。わたしたちの情報が結びつけば、手が届くかもしれない」

「あんたも話してくれるって条件なら」

「もちろん」シラセはうなずいて唇を引き結び、「そのために来た。外界バラックの、誰にも聞かれないここまで」

 もっともだ、とアイネは思う。エッグネストの中という安全で安心な、大気汚染からも無縁な無菌都市から、わざわざリスクを取ってここまで来ている。シラセが呼吸器を機械的にいじっていないとすれば、滞在できる時間はそう長くない。

 アイネはシラセのほうへ額を寄せて、

「何もかもそのままだった。人間がいなくなっただけ。三層は水の下で、電力系統は半分死んでたけど、最終的にはセキュリティも動いた」

「他には。一層で、コントロールルームで何を見たの」

「印象的だったのは旧式のPC。中身はバイタルデータ、だと思う。一気に強制離脱ジャックアウトと生体反応なしが増えてた。……なのに」

「なのに?」

「思い出した。トータルの反応数、つまりVR空間上の人口は減ってない。生きてないけどVRには存在するってことだ、そんなことが」

「そう。やっぱり、そうなのね」

 シラセは意味ありげに何度もうなずいて、苦い顔で煙草を口にした。まるで浸水の報告を受けた潜水艦の艦長が、穴そのものを見つけてしまったように。

「あんたは、知ってるの……」

「仮説。まだ仮説でしかない」シラセは立てた指を左右に振る。「でも同じような現象が、わたしのエッグネストでも起きつつある。『i』を観測したものだけが、生きているのに死ぬ」

「アイ?」

「虚数のことよ。名前はどうでもいいけど」

「ねえシラセ。『ルプス』だとしたら、裏切り者がエッグネストの中にいたりはしないの……」

 シラセは下唇を噛んで、煙草を灰皿に押し付ける。

「それも、ありうる。ちょうどわたしたちがまんまと騙されたみたいに」

 ああ、とアイネは呟いた、その瞳は濁っていた。

 脳髄の奥、3年の月日が巻き戻されて。

 つまりはあの女の裏切りが、再生される。


   ※※※


 誰もが『ルプス』の名前を知っていた。世情に疎いミドルスクールの学生でさえも。

 中庭で、イチョウの若葉が青々と生気を放ち始めていた。そろそろ半袖を、という考えがアイネの頭に過り始める季節に、そのニュースは飛び込んできた。

「また戦争か」木に背中を預けたナギが、タブレットを眺めながら唸った。「これが第何次だったかな」

「第3630次世界大戦」

 車座の斜向いで、イルマが顔も上げずに言った。彼女はハンバーガーからピクルスを選り分ける作業に熱心だった。隙のない外見の割に可愛らしく、野菜をまったく食べられない偏食家であること、そもそも恐ろしく食が細いことを、アイネは会ってしばらくしてから知った。

「そう、よく覚えてるね」ナギは紙コップのコーヒーで唇を濡らし、「ディセンバー対テロリストか。まったく、ゲリラ戦はいつ終わるとも知れない。どう思う、アイネ」

「どう、と言うと?」

「この戦いはいつ終わるか、どっちの勝ちになるかだよ」

「そりゃあディセンバーじゃない? 『ルプス』の装備がどれぐらいかは知らないけど、世界のネットワークインフラはほとんどディセンバーが抑えてる。軍事力もケタ違い」

「でも廃棄都市ゴーストシティは生まれてきている。まったく攻略されないってわけじゃない。北のほうにある国が支援してるという噂もある」

「国家なんて古い概念よ。今じゃ企業のほうが圧倒的に強いわ」

「まったくその通り。しかしね、まだ彼らを支持している層がいるということさ」

 ナギの言い方には、どこか冷笑的な気配があった。アイネは眉をひそめ、

「言いたくないけど、『ルプス』に勝って欲しいの?」

「まさか」ナギは大口を開けて笑い、「なるほど、そう聞こえたか。私はむしろなぜ『ルプス』がそこまで戦うのか、どんな手段で攻めてくるかに興味があるだけさ。それが理解できれば防御はたやすい。だろう?」

 イルマがスカートについた芝を払いながら、

「敵を知り己を知れば」

「百戦殆からず、か。孫子までよくご存知で」

 ナギが最後を言ってしまったせいで、イルマはふて腐れてわずかに唇を尖らせた。さざ波のように繊細な感情表現だったが、毎日顔を突き合わせているうちにふと感じ取れていることに気づいた。当初はまるで機械みたいと思ったその表情にも色があって、結局のところあたしの目次第だな、とアイネは思った。

「ナギはどうせこう思っている」珍しくイルマが言い募る。「もしかするとディセンバーに内通者がいるのではと。陰謀論が好きだから」

「人聞きが悪いな、私は面白いほうに考えているだけだよ。芝居としてね」

「見世物じゃない」

 イルマは短く言って、小さく口を開けバーガーを喰む。

「キミは相変わらず堅苦しいな、イルマ。私も真面目だが。ねえアイネ?」

 その問いかけには首肯しかねた。実際ナギはいい加減な部分があって、しばしば適当な記憶を持ち出すことがあったからだった。

 例えば「旧史上、ジョン・ロックの書いた『法の精神は』……」などと言い始めると、イルマがそっと口を挟んで、

「それはモンテスキュー。アイネに間違ったことを吹き込まないで」

 などと初歩的な訂正をすることもよくある話だった。

 ナギは生物学や数学の系統では恐ろしいセンスを発揮したが、こと史学と語学においては壊滅的だった。これがイルマによって補われて、なんとか人並みを維持していた。

 傍目から見れば二人はちょうど噛み合っていて、鍵と鍵穴のようにぴったりとしていた。アイネは自分がその輪に加わっていることを嬉しく思ったし、あるいは自分も包んでくれているような気がしていた。

 それは、4人目が戻ってきたから、ということもあったけれど。

「待たせてごめん……って待ってないじゃない!」

 息せききって走ってきたシラセが、3人を見て頬を膨れさせた。彼女はまずまずの成果を上げたインターンから戻ってきて、あっさりと輪に加わった。今度は色々な研究室に引っ張られて、結局会える時間が短くなっていたけれども。

「悪い悪い」ナギは少しも思っていなさそうに笑って、「まあ座りたまえよ。アイネのアイスコーヒーをあげよう」

「あ、ちょっと!」

 とアイネが止めるより先に、シラセはタンブラーを引っつかんで一息に飲み干した。それから荒々しくアイネの隣に腰を下ろして、

「せっかく時間作ったのに、もう解散前みたいな雰囲気じゃない。アイネ、この人たち勝手なんだから言ってよ」

「それこそ無理だよ、ナギはあたしの話なんか聞かないもん」

「おいおい、人聞きが悪いなぁ」ナギは大仰に手を開いてみせて、「シラセがいない間、わたしがどれだけ話し相手になっていたか」

「ほとんどナギがしゃべってた気がする」

「アイネ、こういう時は年長者を立てるものだよ」

「あたし、嘘つけないから」

 でしょうね、とシラセが苦労してあぐらをかきながら、ナギの食べていたチョコレートを奪い取った。

「ナギ、あなたに任せたのは間違いだったかも」

「そんなにアイネを私の色で塗り固めたのが嫌だったかい? ごめんごめん、嫉妬しないでくれよ」

 ナギは愉しげに冗談っぽい微笑を見せて、一方でシラセの頬はさっと紅潮した。それがからかいへの苛立ちから来たのか、何かしら羞恥を覚えたのか、アイネには判別がつかなかったけれど。

「本当、そういうとこ」シラセは疲れたため息をつく。「最近アイネまでわたしをいじるようになってきたんだよ?」

「それは意外だね。やってみせてよ。アイネ?」

「そんな雑なパスある?」アイネは苦笑して、「別に普通だよ」

 普通に、化粧っ気のなさをおちょくったり、ウブなシラセにいろいろと話して面白がっているだけだった。もっとも、後者に関して言えばアイネ自身にも実体験があるわけではなかったのだが。

 ナギはつまらなさそうに舌打ちをし、

「うーん、今日のところは勘弁しておいてあげよう。じゃあシラセ、これ」

「なに、学生証がどうしたの」

「私の奢りだ、好きなもの買ってきて構わないよ」

「学生はみんなタダでしょうが!」

 心地の良い空間だった。イルマ以外は多少戯画的に演じているきらいはあったけれど、つまりは各々が4人のバランスを保とうとしているという意図だったし、そういう気遣いがグリスのように滑りを良くしていた。

 ここにいていいんだ、とアイネは思えたし、きっと一生の友達になるだろうなと感じた。

 ディセンバー社から、一通のメールが届くまでは。

 

 ――『ルプス』の協力者を捕縛し、情報を入手せよ。

 ――イルマ及びナギの生死は問わない。



   ※※※

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