ポストアポカリプス・百合の破片(5_回想)

 ※※※


 4人が出会ったのは教育用エッグネストミドルスクール/EE―3だった。

 ミドルスクールはただそれだけのために作られたエッグネストで、学生たちは他エッグネストから居を移すことになっていた。9割以上が寮生となり、だから4人が出会ったのは偶然だったが、打ち解けていくのは必然だった。

 シラセは二段ベッドの上で、アイネは下だった。

「そう、アイネのお母様は科学者なのね」

 簡単に出自の話をすると、シラセは垢抜けない微笑を浮かべ――その時から髪はもつれた鉄条網のようだった――穏やかに相槌を打った。

 一方、シラセの両親はともにディセンバー社に勤め、エッグネストの開発と管理に携わっていた。二人ともいわゆる二層、もしくはそれ以上の市民で、だからこそ生身でミドルスクールに通うことが出来たのだった。

 ただ、その中でもアイネは特殊な部類だった。飛び級なんですと説明すると、

「え、あなた3つも下なの……」

 とシラセは絶句したものだった。

 その反応にアイネは申し訳なさを覚えたが、いざ勉学となれば遠慮をするどころの話ではなかった。シラセは抜群の記憶力と豊富な知識で周囲を圧倒し、特に環境科学とプログラミングの科目などは学年で5本の指に入るほどだった。

 対してアイネは当初こそ中位にいたものの、じわじわと降下し、進級さえ危ぶまれるような状況になっていった。それはアイネを「あれが飛び級の」「そんなでもない……」「コネか何かじゃ」と噂する周囲の、好奇と悪辣な視線、こそこそと交わされる嘲弄が食い散らかしていったせいでもあったのだが。


「心配することなんてないわよ」誰もがアイネを嗤っても、シラセだけが根気強く付き合っていた。「わたしが教えるから、ゆっくりやってけばいいわ」

 夜更けに、どの部屋から明かりが消えた後でもシラセは隣につき、度が過ぎるほどの献身でアイネに付き合った。時々はまったく着地点の見えない雑談もした。食堂の新メニューについてだとか、配信サイトに現れた新しい俳優がかっこいいだとか。その姿は姉妹だった。3つという歳の差が、二人を柔らかく結びつけていた。


 この特別講義の効果は、寒くなってきたころになって――エッグネスト内でも、意図的に多少の四季が作られている――如実に現れた。このままなら留年は回避できそうに思えたが、障害は突然姿を現した。

「なぜか、わたしが呼ばれちゃって……」

 シラセは困惑した顔でそのメールを見せた。彼女は成績優秀者として約3ヶ月のインターンに呼ばれていた。それも、憧れであるはずのディセンバー社に。

「よかったじゃん」アイネは不安を殺して笑顔を作った、「あたしのことならもう心配いらないって。そんな馬鹿じゃないよ」

「でも、あなたはまだ……」

「子供だって? へえ、あたしも見くびられたもんだね」

 わざと拗ねた芝居を打ってみたりしてみせた。このインターンで高い評価を得られれば、ほとんど将来は約束されると専らの噂だった。シラセが行きたがっていることは明らかで、あたしは足枷になんかなりたくない、とアイネは思う。だから強がって、わざと手を放す。

 この議論は数日続いたが、やがてシラセのほうが根負けして、しょうがないわねとため息混じりに、

「わかったわよ、ありがとう。でも復習はしっかりすることね。いい?」

「もちろん。あんたこそ、クビにならないようにね」

 なにを、とシラセは皮肉っぽく口角を歪めたけれど、嬉しそうな響きが含まれていた。

 年明けにシラセはスーツケースひとつで出て行った。

「さ、やりますか」

 と意図的にアイネは呟いて、気合を入れ直した。これからは自分のこと、ちゃんとしなきゃ。帰って来た時に恥ずかしくないように。そう思って、講義室へ向かった。

 けれど。

 重々しい扉の向こう、始業前のざわつきが聞こえてきて、急に足がすくんだ。ドアに手をかけられなかった。

 あたし、誰も隣にいないんだ、と今さらのように気づいてしまった。シラセの背に隠れて妬み嫉み悪意を躱して歩いていたら、ただひとりだった。

 闇の中に放り出されたようだった。どこに行けばいいか、何をすればいいかわからない、それなのに誰もがあたしを見ていて、何か失敗をしないか伺っている、今は違うかもしれないけれど、少なくとも数ヶ月前はそうだったんだ。

 だからさざめきが全て自分へ向けられているような気がして、被害妄想だということはわかっていて、けれどその沼に足を取られて一歩も動けない。

 そのとき、軽く肩が叩かれた。

「入ったほうがいい、この教授はやたらと遅刻に厳しいからね」

 すぐ後ろから声がした。低く、けれど膨らみを持った、包み込むような声だった。

 振り向いたアイネの目に写ったのは、透き通るほどに白い髪と、黄金きんの瞳。はっきりした目鼻立ちで、切れ長の瞳から涼やかな視線が注がれている。そんな風にまじまじと分析できたのはもう少し後の話ではあるけれど。

「君のことは聞いているよ。シラセからね」と言いながら彼女はアイネの背を押して教室へ押し込んだ。「いない間、面倒を見てやってってね」

「シラセの、知り合いなんですか」

「ま、そんなところさ」と彼女はウインクして、「ナギと呼んでよ、アイネ」


 午前のコマが終わってしまうと、三人はランチへ向かった。

 そう、三人だったのだ。ナギには連れがいて、イルマ、と名乗った。短い銀の髪と碧の瞳は、ナギと対にも思えた。漂わせている気配や立ち居振る舞いはどこか厳粛さを含み、見るものに落ち着きといくらかの畏れを感じさせた。その雰囲気の通り、彼女の性格もひどく物静かで、必要以上の話をしなかった。

「これは怒ってるんじゃないよ」ナギは不調法に、フォークでイルマを指しながら言った。「私といても変わらないからね」

 はあ、とアイネは曖昧な返事をした。あまりに答えにくい。

 それが可笑しかったのか、ナギは鈴が転がるように笑って、

「キミもあまり話したがらないクチかい?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど……」

「です、はやめてって言っただろう?」

 そうじゃないんだけど、とアイネは頬を掻きながら言い直して、

「あんまり、そういう感じでもなくて」

「わかるよ」とナギは培養槽ヴァット育ちでない、天然モノのサーロインを切り分けながら口元を歪めた。「私も14で入ったからね」

「そうなの? でも、学年は……」

「ははは、気づいた?」ナギは開けっぴろげに笑った。「二度留年しているから今はみなと同じ歳になった。これじゃあ早いか遅いかわからないね。だね、イルマ?」

 と水を向けられたが、イルマは我関せずという感じにサンドイッチを咀嚼していた。目線は手元のタブレット端末に向けられている。核廃棄物に関する論文を読んでいるらしかった。

「まったく、食事の時ぐらい落ち着けばいいのに」

 ナギは肩をすくめる。それからアイネに笑いかけ、

「まあ、とにかく私とキミは似た境遇というわけだ。もっとも、キミにはいい相棒がいたおかげでやっていけそうな感じだけれど」

「シラセとは、どこで……?」

「知り合ったか、かい? 簡単な話だよ。親どうしが同僚でね。ふたりともE―11エッグネスト出身なのさ。子供の頃はよく遊んだよ。昔は私が神童でシラセはそうでもなかったのになぁ」

「イルマ、さんも同じなの? ナギと、シラセと」

「そう見えるなら、いいことだね」

 ナギは目を細めた。奥の光は笑っていなかった。その隣で、イルマがかすかに首をもたげ、アイネに色のない視線を向けた。


 結局、ナギは言葉を濁し、アイネもそんなものだろう、イルマさんは詮索されたくないタイプなのだろうなと仮の処理を施して脇に置いた。切り取ってパターンに当てはめて、理解したつもりになることにした

 けれど、実際は。

 ナギは、よく知っていたからだった。

 イルマの出自を語ることが、致命傷になりうるということを。


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