ポストアポカリプス・百合の破片(4)

 アイネは屋台に滑り込むと、くしゃくしゃな新・円ニュー・イェンの札を差し出した。白髪の店主は右腕があったはずの場所をちらりと見たが、何も言わずヤキトリの皿をカウンターに置いた。トリとは名ばかりの、味のしない合成肉フェイク・ミート。それを強い酒で流し込む。身体のほとんどが機関義肢となった今でも、脳と精神作用のために食べることは欠かせなかった。

 腰を落ち着け、ゆっくりと肉を咀嚼しながら、アイネは置き去りにした少女を思った。エメラルドのような髪と、育ちきらない身体と、迷子犬の瞳を思った。

 口数の多さが寂しさを紛らわすためだったと、人付き合いを避けてきたアイネでさえ読み取ることができた。その程度には分かりやすかった。だから死ぬ。真っ当に人を信じ正義を語り倫理に殉じるできた人間は、あまりに生きることが下手だ。


「いつかのあたしみたいに」

 呟いて、アイネは自嘲に唇を歪めた。あたしみたいに、か。

 いつまでも傷が疼いている。裏切りは未だ出血し続けている。

 置いていかれた自分がライムに重なった。同時に、あたしこそがあの娘の手を放してしまったのだという罪悪感が胸の奥からこみ上げて、串を置いた。

 いや、そうだろうか。ライムは既に置いていかれていたのだろうし、あたしはあの場でやれる最大限の手を打った。それにセキュリティが動き出した原因も彼女にあるかもしれない。全てがかもしれないだけれど。


「だったら、あのひともあたしを裏切ってはいない?」

 違う。それは違うとアイネは苦笑交じりに首を振る。彼女は明確な答えをよこしたのだから。それに今さら違っていたと言われても困る、と思う。

 あたしはずうっとあのひとに恋々として、死に顔を見なきゃ死ねないんだから。


 ――忘れて、眠ってしまえばいいから。


 遠く、記憶の彼方でその声がふくらんだ。低く、耳に心地よい声。

 恋人のようには囁いたのだった。イチョウの木の下で、髪を漉きながら。私が見ているからね、と穏やかに。

 言葉通り、アイネはいつしかまどろみのようなぼやけた物思いに耽りかけた、その際で隣に影が差した。はっとする最中に椅子が引かれ、誰かが腰を下ろした。

「クラッカーと密造酒ムーンシャイン

「わざわざ出てきたんだ、もうちっと外界バラックらしいモノ食べなよ」

 アイネが混ぜっ返すと、彼女はこちらを向いた。肩で着た白衣の上で、鳥の巣めいた長い癖っ毛が揺れる。

 深い黒の瞳が、じっとアイネを覗き込んでいた。

「アイネ、あなたその腕……」

「2日前になくしたよ。あんたの仕事でな。それより」アイネは憂鬱に赫の目を細め、「まずは久しぶり、じゃないの。違う、シラセ」

 シラセは何か言いたげに口を開きかけたが、いや、と首を振ってそれを打ち消して、

「そうね、本当に久しぶり。よく生きていてくれたわ、アイネ」

「それ、もしかして皮肉? あたしってわかってて依頼寄越したんでしょ」

「違うわよ」とシラセはかすかに眉をしかめ、「一層まで捜索してくれる奇特で腕のいい剥ぎ取り屋スカベンジャーを探していただけ。その条件にあなたが合っただけよ」

「それは重畳」

「信じなくても構わないわ。でも、アイネ」シラセは下唇を噛む。「わたしが、どれだけ心配したか、わからないでしょう? あなただとわかった時の、気持ちも」

 吐いた言葉には熱がこもっていて、だからアイネは笑ってしまった。

 煙草をくゆらせ、彼女は足を組み直す、

「心配? よく言う、あんたは何もなかったように生きてたでしょ、だから今やディセンバーのエリート社員、一国の主。何もかもどうでもよかったんじゃない?」

「馬鹿言わないでよ、あの時はああするしかなかった、あなたが行くからわたしは残る、それが最善だった。あなたみたいに考えなしじゃないの」

「あんたは心がないからね」

 まるで肋骨の隙間へナイフを差し込むように、アイネは言葉を叩きつけた。シラセの瞳が見開かれ、何かを飲み込んだような間の後に憎悪に染まった。

「本当、何もわかってない、まだ15歳のつもりなの?」シラセはそう吐き捨てた。「もうわたしたちの時間は終わった、あなたがどんな傷を負っていようと時間は進んでいる、わたしたちも進むしかないでしょう」

 は、とアイネは口元を歪めて、かえってシラセを睨みつけた。炎のような怒りを込めて。

「アレがそう簡単にケリをつけられるってんなら、やっぱりあんたはひとでなしさ」

「そうは言ってない! わたしはわたしのやり方で決着をつけようとしてる、でも終わったのよ、4人の時間は!」

「黙っててよ!」

「あなたは今を見てない、アイネ。あの日からずっと」

「それ以上、言ったら……」

「ずっと、ナギとイルマのことしか見てないじゃない!」


 弾かれたようにアイネが立ち上がる。椅子が倒れて派手な音がした。彼女の左腕は、シラセの胸ぐらを掴んで締め上げている。

 シラセが呻いた。けれどアイネは少しも力を緩めなかった。開ききった瞳孔が、雄弁に殺意を語っている。


「なあシラセ、わかってて口にしたんだろ? その名前を呼ぶんじゃない、あたしの前で。あれはあたしだけのもの。あたしが、殺さなきゃいけないんだ」

「それでも」シラセは、あえぐように言う。

「わたしはまだ裏切っていないと信じてる……!」

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