第4話 生まれ変わり
以前いた執事のようにあっという間に死んでしまう人、そして、植物状態になって、
――生きているのに、本当に生きていると言えるのか?
と思えるような形になって生きながらえている人、それぞれである。
安楽死が認められていない以上、生き続けなければいけないのは、本人にもまわりの人にも苦痛でしかない。俊三は、植物人間になったり、意識不明のまま寝たきりで、そのままこん睡状態に陥ってしまった人は、
――すでに死んでいるんだ――
と思うようになっていた。
それでも親族は、死んだなどと認めたくはないだろう。苦しくても生かす方法を模索する。それは医者も同じことで、倫理上も安楽死などありえない。
生き直すために、晃少年の中に入りこんだ俊三は、植物人間やこん睡状態に陥った人というのは、
――生まれ変われる相手を待っているのではないか?
と思うようになっていた。
生まれ変わるためには、自分が死んだその時に生まれてきた相手の魂にならなければいけない。
誰でもいいというわけではないのだとすれば、自分が入りこめる相手が現れなければ、生まれ変わることができないのは当たり前のことである。
生まれ変わった時、物心がつくまで、入りこんだ魂が、赤ん坊の中だけで意識を持つことができると思っている。
もちろん、物心がついてしまってからは、生まれてきた人間の魂が、その人の中ですべてを支配することになる。物心がつくまでに考えたことは、そのすべてを忘れてしまうのが約束事になっているのだろう。
――自分が誰かの生まれ変わりなんだ――
ということを感じない限り、絶対に自分の中に他に誰かがいるなどということを感じるはずもない。ひょっとすると、生まれてきた時、本来であれば存在していたはずのその人の魂は最初からなく、生まれ変わった人の魂が、最初からその人の魂であったかのような場合もあるだろう。
そんな時も、生まれ変わった人は、物心つくまで、今まで生きてきた意識を赤ん坊の中で感じている。物心ついてからは、やはり他の人と同じように、生まれ変わった人間の過去の意識は消えてしまう。消えてからの意識の中には、生まれ変わったなどという感覚は絶対に表に出ることはない。
――どちらにしても、人間は必ず誰かの生まれ変わりなのではないか?
と考えるのは、かなり突飛ではあるが、無理なことなのだろうか?
物心がつくまで、生まれ変わった人の魂の感じたことが、その人の成長にとって不可欠で、いわゆる本能として培われているのだとすれば、決して無理な発想ではないように思える。
死んだ人全員がそうだとは言わないが、即死以外の人は、意図せず苦しみながらでも生き長らえた分、生まれてきた人の本能として役立つのだとすれば、生まれてから物心がつくまでの意識のないことは説明がつく。
――もっとも、こんな発想、誰もする人はいないだろうが――
晃少年の中に入りこんだ俊三は、そう思っていた。
――晃少年の中で生き直しているのだから、晃少年が物心つく頃になっても、晃少年の中から僕の意識が消えることはないだろう――
と思っている。
それよりも、晃少年の魂というのは本当は最初からなかったのではないかと思う方が無理がないのかも知れないと考えていた。元々生まれた人に魂がない時、その人の中に入りこんだ人は生まれ変わったわけではなく、生き直そうとしているのかも知れない。元々その人に魂に入る人は決まっていたのかも知れないが、その人が即死してしまったのであれば、魂が彷徨うことはなく、直行で死の世界に行くからだ。
死が決まっていると、まわりの人も覚悟している晃少年は、まわりの考えを敏感に察知していたいたのだろう。
――自分は死んでしまうのだ――
と考えた時点で、彼の魂は死んでしまったのかも知れない。そこに俊三が入りこんだ。俊三は晃が死ぬことはないと思っているので、自分の中にいる晃少年を探したが見つからなかった。
そんな時、晃少年の本能が意識して止まない相手、それが異臭を放つ佳苗だった。
俊三は、晃少年が佳苗のことが好きだと思っていた。自分と同じ運命を持っている佳苗に惹かれたとしても無理もないことだ。普通なら臭くてたまらない異臭であっても、晃の中にいれば、決して辛いものではない。むしろ、愛おしさを感じるほどだった。
晃少年が佳苗の中にいるのではないかと思った時、元々いたはずの佳苗はどこに行ってしまったのかを考えてみた。
――ひょっとして、死んでしまったのだろうか?
俊三は、佳苗のことを意識していた。
今までは晃少年になったつもりでの意識だったが、今回は少し違う。
――晃は、僕がこの身体に入りこんだ時からいなかったんだ――
ということが分かってから、今まで自分が晃を意識していたのが何だったのかを考えてみた。
確かに晃少年の足跡は、身体の中に残っていて、どこかに潜んでいるように思えた。それは、現実世界であれば、気配のようなものだというのが表現としては、一番近いものになるだろう。
そして、その気配について最近感じたのが、
――晃少年の本能――
だった。
もし、晃少年が身体の中にいたとすれば、後から入ってきた俊三のことを意識できるであろうか? 意識できたとすれば、俊三の存在をいかに自分を納得させられるような結論を導き出せるかというのも興味のあるところだ。
晃はまだ少年なので、なかなか自分を納得させられる理屈が思いつくわけではないだろうが、それでも納得させられるとすれば、最後は俊三と同じ結論に達するはずである。
つまりは、
――本能のようなものだ――
ということである。
自分の意識していることとは別に勝手に身体が動いたりすることを、
「本能によるものだ」
ということを、いつの間にか意識するようになる。
それは誰かから教えられるものなのか、それとも、本やメディアから知識として得られるものなのか、気が付けば備わっているものだ。
教えられるものではなく、最初から生まれつきに備わっている意識だとすれば、
――本能を意識するということも、一種の本能だ――
という、堂々巡りを繰り返す、まるで禅問答のような滑稽さに、思わず苦笑いをしてしまうだろう。
俊三は、今まで自分が生きてきた四十年ほどの間に、何度本能というものを感じたであろうか?
本能とは、
――潜在意識を作り出すものだ――
と、考えたことがあるが、潜在意識というものを考えた時、今度は夢というものを考えてみた。
――夢というのは、潜在意識の成せる業――
というのが、俊三の持論で、潜在意識があるから夢の世界といえども、暴走してしまいそうになっても、暴走することはない。つまりは、
――夢の世界だから、何でもありなんだ――
という考えではないということだった。
――夢の中であれば、空を飛ぶことも不可能ではない――
と思ったとしても、実際には、地べたから数センチ上を這うようにしてしか進めない状況になっている。しかも、空気を水の中のように、泳いでいる感覚でしかないので、進むスピードは歩く方が早い。
――しょせん、夢の世界であっても、自分が理屈として納得できることでなければ、成立しない――
ということになってしまうのだ。
――現実世界が表であれば、夢の世界は裏になる。表と裏は、光と影のようなもの。どちらかが存在すれば、片方も存在する。現実世界も夢の世界も、そして光と影も、表裏のように、必ず存在しているものと言えるのではないだろうか?
頭で考えていることと、本能とは、表裏のような関係だと思うと、納得のいくところがある。四十年生きてきた人生で、俊三はそこまでは考えていたように思えてきた。確かに前の意識を持ったまま新しい身体に入りこんで、生き直している俊三だったが、すべてを覚えているわけではない。何か肝心なことを忘れてしまったように、絶えず頭の中で意識していたのだ。
俊三は、大学三年生の時、一度放浪の旅に出たことがあった。
その時は、自分が何をしたいのかということを探すつもりで旅に出た。放浪と言っても、お金がなかったわけではなく、食事代や宿代には困らなかった。大学二年生までに、少し無理と思えるほどのアルバイトで、かなりのお金があったのだ。
お金の使い道も定かではなかったが、とりあえずお金を貯めることを目的に、アルバイトをしていた。知り合った人もいたが、さほど仲良くなったわけでもなく、深く話をしたわけでもなかったので、人間関係で勉強になったことはなかった。
逆に孤独を感じていた。
俊三は孤独を嫌だとは思っていなかった。孤独が一人で寂しいということであるならば、自分は孤独ではないと思っていたからだ。人といることで自由がなくなるのであれば、寂しさくらいは苦にならないと思っていた。しかも孤独がそのまま寂しさに繋がるわけではない。俊三にとっての寂しさは、自由を削がれることだった。そういう意味では、人といることの方が寂しさを感じさせられるのではないかと思うと、一人で旅に出たくなったのも、無理のないことだったに違いない。
旅先で知り合った人とは、別に連絡先を交換したりもしなかった。中には連絡先を交換したいと言ってくれた人もいたが、
「また、いつかどこかで会うことになると思うよ」
と言って、敢えて教えなかった。
「うん、分かった」
少々、残念そうだった相手だが、そんな相手とは、本当に再会できるようで、旅をしていると、
「あれ? また会ったね」
と言って、人懐っこそうに近寄ってくる。
「だから言っただろう? またどこかで会えるって」
「本当なんだね。圓楽先を聞いた人とは、ほとんど会ったことがなかったのに、面白いものだ」
俊三も、
「また、いつかどこかで会うことになると思うよ」
と言った時、確証があったわけではない。ただ漠然とまた会えるかも知れないと思っただけだったが、一度そんなことがあると、他の人で連絡先を聞いてきた人に同じことを言うと、再会できる可能性がグンと上がってくるように思えてきた。そして、実際に出会うことができると、可能性が上がってきたと思った時、自分の中で確証めいたものが芽生えていたのではないかと思えてくるのだった。
ただ、旅行に出てから、いいことばかりだったわけではない。お金が尽きかける時もあり、そんな時は現地でアルバイトを探すのだが、そんな時に限って、アルバイトが見つからない。
どうしても、他にアルバイトの候補がいれば、雇う方も、現地の人間を優遇するのは無理のないことだ。しかも、旅行中でお金が無くなったためのアルバイトなのだから、臨時の意味合いが強いアルバイトである。
それよりも、現地の人であれば、長期の勤務が可能である。自分が雇い主になったことを思えば、まず、自分がどれほど不利な状態か、想像もつくだろう。
順風満帆とはいかない旅であったが、総合的に考えると、
「旅に出てよかった」
と思った。
――経験は何よりも尊いものだ――
と、実感できたからだ。ただ、この旅で何を得ることができたのかと言われると、言葉にして表現することは難しい。言葉に表現できないような漠然としたものなので、俊三の中では、
――長い旅だったわりには、成果として得られたものは、それほど多くはなかったのだろう――
と思うのだった。
旅行中に考えたこととして、なぜか前世について思い浮かべることが多かった。それまで前世のことなど一度も考えたことがなかったのに、急に考えるようになった。旅先で知り合った人の話を聞いてから考えるようになったのだが、一度前世のことを思い浮かべてみると、それからというもの、旅行から帰ってきても、
――気が付けば、前世のことを考えていた――
と思うようになっていた。
「前世って面白いですよね」
両行先で知り合った人からいきなり前世という言葉を口にされて、正直戸惑った。
「はぁ」
曖昧な返事しかできなかったが、色々な人がいることくらい覚悟の上なので、奇抜な発想に対しては、曖昧な態度を示すのが無難であることは分かっていた。
ただ、その人の発想が奇抜だったことを意識しながら、彼の顔を見ていると、前世という発想がさほど奇抜なものではなく、自分も以前から意識していたことだったように思えてくるから不思議だった。
それまでに前世のことなど考えたことはなかったはずなのに、前世という言葉にどこか懐かしさを感じるのは、デジャブのようだった。
「前世を覚えてい人はまずいないと思うけど、前世が存在するのだとすると、その前世が人間だったという保証はないんだよ」
「どういうことですか?」
「犬だったり猫だったりするかも知れない。それならまだいいが、下等動物だったり、ひょっとすると植物だったりするかも知れない」
「植物ですか? それはまた奇抜な発想ですね?」
「そうだね。でも植物だって命があるんだから、人間の前世だったとしても不思議のないことさ。逆に植物の前世が人間だったということもあるかも知れないよね。そう思うと、命というものをどう考えるか? それって答えがないような気がしてくるんだ」
その話を聞いて俊三は、頭の中に浮かべてはいけない発想が思い浮かんでしまったことを後悔した。
――まともに聞かなければよかった――
発想として思い浮かんだのは、植物人間という言葉だった。
――生き長らえてはいるが、自分の意志で生きているわけではない――
生命維持装置によって、かろうじて命を保っている。生きているのか死んでいるのか、植物人間が一人いるだけで、本人だけでなく、まわりは皆不幸になっているという発想だった。
どうしても、現実的に考えてしまう俊三とすれば、まず最初に考えるのは、金銭的なことだった。
生命維持装置にどれだけのお金が掛かるのか分からない。保険からどれほど出るのか分からないが、半永久的に続くのであれば、金銭的なものだけでも、精神を蝕むことになるに違いない。
最初にお金のことを考えたのは。一番分かりやすいからだった。精神的なものだったり、倫理の問題だったりすることに関しては、漠然としてしか感じることができないからである。
少なくとも、今まで生きてきた自分には、自由というものがあったはずだ。植物人間を身内に抱えていても、自由がないわけではないが、かなり制限されるのは間違いない。考え方によっては、
――まったく自由を奪われた――
と感じるのも当たり前のことだった。テレビなどで、交通事故で植物人間になった人が出てくるドラマを何度か見ているが、植物人間になった人のまわりをハッキリと写すことはないような気がした。
やつれた態度で応対する姿を見ることはあるが、その人が何を考えているのかなど、はかり知ることはできない。あまりそちらに重きを置くと、ストーリーのバランスが崩れてしまうからだろうが、見ている人に、どこか釈然としないモヤモヤしたものを与えているのではないかと感じていた。
俊三が前世の話に興味を持ったのは、話をした相手が、植物を口にしたからだった。彼がどんなつもりで口にしたのか分からなかったが、聞く人によって、他愛もない気持ちで話をしたつもりであっても、まったく予期しない発想を思い浮かべることになるという典型的な例だろう。
しかも、典型的な例を思い浮かべた俊三自体、
――口に出すことに対して相手がどう感じるか――
など、頭の中になかったりする。
「奇策を弄する人間ほど、自分がされることに関しては、疎いものである」
という話を聞いたことがあったが、
――本当だろうか?
と思いながらも、まさか自分が言葉通りの状況に陥ってしまったなどと、思いもしなかった。
俊三は、異臭漂う佳苗を見ていると、自分の大学時代に旅行に出かけたこと、そしてその時に前世の話を聞き、なぜか植物人間を思い浮かべてしまい、
――あの人と、話なんかしなければよかった――
と感じるようになった。
その時の旅行中は、その話をしたこともあってか、何とも言えないモヤモヤした気分で過ごさなければならなかったが、帰ってくるとすっかり忘れていた。
帰ってくる間に忘れてしまったのか、それとも帰り着いた瞬間に忘れてしまったのかのどちらなのかと思い浮かべてみたが、帰りついた瞬間に忘れてしまったと思った。その理由は、
――急に忘れてしまうというのは、環境の違いを感じたからだ――
と思ったからだ。確かに旅行から帰ってきてから、旅行中のことをほとんど忘れてしまっていた。楽しいこともあったが、それも合わせて忘れてしまった。それまでに何度も旅行に出ていたが、嫌なことも楽しいこともあった。
それでも、楽しいことだけは、ほとんど覚えていた。嫌なことは、忘れていたつもりだったが、急に何かの弾みで思い出すこともあった。忘れているつもりでも、記憶の奥に格納されていたのだった。
それなのに、その時のことは、いいことも悪いこともすべてひっくるめて忘れていた。後から何かの弾みで思い出すことはなかったのに、何を今さら、自分の身体から離れて、晃少年の中に入りこんだにも関わらず、思い出したというのだろう?
――意識だけではなく、記憶までもが、生き直している身体に移っているのだろうか?
と思ったが、逆の発想もあった。
――記憶はすべて失われていたと思っていたが、記憶が失われたことで、格納していた記憶が解放され、表に出てきたのかも知れない。表に出てきた記憶が意識として入りこみ、そこから晃少年の記憶の中に紛れ込んでいたとも考えられる。ふとした時に出てきたのも、無理もないことではないだろうか?
と感じていた。
俊三が、気になっていたのは、植物人間の記憶を今さら思い出したのかということだった。
そんな思いでいると、ある時、執事から話しかけられた。
「晃様は、本当に晃様なんですか? どうも違う人の影を感じるのは、私だけなんでしょうか?」
と言われた。
晃少年はたじろいでしまったが、
「心配することはありませんよ。私も晃様と同じことを考えているんじゃないかって思っているんですよ。この発想は、ちょっと他の人には話せませんからね」
そう言いながら、前の執事のことを話し始めた。
「私は直接、前にここにいた執事のことは知らないんですよ。でも、こうやって話をしていると、どんどん想像が頭に浮かんできて、そのうちに、疑いようのない記憶に思えてくるんですよ。でも、それは想像というよりも妄想に近いもので、自分の中に誰かがいて、妄想を見せているように思えてならないんです」
という話をした。
俊三は、何となく執事が言いたいことが分かった気がした。
執事が話をしているのは、晃少年にではなく、明らかに俊三にであった。俊三は見透かされているようで、たじろいだ態度を隠すことができなかったが、執事の目をずっと見つめ直して、視線を切ることができなくなっていた。
執事は自分の中に、交通事故で亡くなった、自分がここに来る前の執事がいることを悟っているというのだろうか?
――いや、俺に話しかけているのは、目の前にいる執事ではなく、交通事故に遭ったという執事なんだ――
と感じていた。
二人の会話は、別の人の身体に入りこんだ者同士の会話である。お互いに声を出して話してはいるが、入りこんだ人の意志とは違うものだった。光と影が存在しているのであれば、影同士の会話ということになる。
交通事故に遭った執事は、自分が生き直していることを自覚はしているようだが、それは、彼が望んでのことなのか、ハッキリと分からない。生き直しているのであれば、執事が晃少年の中に俊三を見つけたように、俊三にも執事の中に、もう一人誰かがいることを悟ってもいいはずだ。
執事の中に、誰かが潜んでいるような素振りはまったく感じられなかった。ただ単に、鈍感なだけだと言ってしまえばそれなのだが、執事が晃少年に対して、誰かがいるということを口走るのは、勇気のいることだろう。少なくとも、ある程度の確証がなければできないことだが、それは、逆に俊三にも言えることなのかも知れない。
そう思うと、生き直しているということの本当の意味が、分かってくるような気がしてきた。
「私は運がよかった」
執事はボソッと口走った。
その声は、さっきまでの執事とは違っていた。声の低さには変わりなかったが、今度の執事の声の低さは、まるで作られた声のように思えてならなかった。
――まるで別人のようだ――
そう感じた時、その声の主が、執事の中にいる、本当は交通事故で死んだはずの執事であることに気が付いた。
「運がよかったというのは?」
「私は、即死だったからね。もし、あのまま病院に運ばれていたらと思うと、考えただけでも、ゾッとするよ」
何が言いたいのだろう?
「でも、死んでしまったら、即死だろうと、少しの間生きていたとしても、何か変わりがあるんですか?」
「残った人に悪いだろう?」
なるほど、そこまで考えているんだ? しかし、いきなり死んでしまったのに、そこまで考えられる余裕ってあるのだろうか?
「確かにそうですけど、死んでしまって他の世界に行くのだから、頭の中ってリセットされるんじゃないんですか?」
「普通なら、確かにそうかも知れない。頭の中がリセットされ、この世とは関係のない世界に魂だけが行ってしまう。その世界では生きるという概念はないのさ。考えるということもなく、ただ、彷徨っているだけなんだ。たいていの人はそこで再生を待つ形になって、時間がくれば生まれ変わる。だけど、生まれ変わると言っても、今度はどこの世界に行くのかというのは、分からないのさ」
――何を言っているのだろう?
「どこの世界って、この世のどこかに生まれ落ちるんでしょう?」
「君は、人が一般的に言う『この世』という世界が一つだと思っているようだね?」
「そうじゃないんですか?」
「いや、違うんだよ」
やぱらとハッキリという。どこにそんな確証があるというのだろう? 確証というのは、自信の元に成り立っているものではないんだろうか? 彼の中から湧きおこる自信、俊三にはまったく見えなかった。
「この世を司っているのは、実は『時間』なんだよ。時間には時系列というのが存在し、時系列には誰も逆らうことができない。規則的に刻んでいる時間に逆らうことはできず、過去に行くことはできない。発想するということはできても、実現に向けて考え始めると、そこには大きな壁がいくつも立ちはだかって、先に進むことはできない。たぶん、君なら少し考えれば分かるはずのことだ」
――なるほど、この男の言う通りだ――
最初は「何をバカなことを言っているんだ?」と思って聞く耳を持っていなかったが、その発想には奇抜さがあるだけで、説得力から考えると、普段なら生まれることのない発想が、どんどん生まれてくる。それは生まれてくるというわけではなく、湧いてくるのだ。湧いてくる発想が一つ、また一つと繋がっていくと、一足す一が、三にも四にも膨れ上がってくるような気がしてくるのだった。
執事は続ける。
「一度死んでから生まれ変わるというのは、誰もが有している権利のようなもので、生まれ変わることができないと、その魂は、永遠に誰かの中に入りこんだまま、抜けることができなくなるのさ」
「えっ? それが自分たちだということを、暗に仄めかしてはいませんか?」
「そういうわけではないんだけど、少なくとも、この世と呼ばれる『種類』のこの世界にいる間、自分が誰か他の人の身体に入っているという意識がある以上、それは他の人がいう、『生まれ変わり』とは違うものなのさ」
「それは、まるで次元の違いだと言っているように聞こえますが?」
すると、執事は少し考えていた。言葉を選んでいるのかも知れない。
だが、どんな言葉を選ぼうとも、難しい話になっているのは間違いのないことで、俊三は執事が、言葉を選ぶことで、自分がどこまで理解できているかということを少し疑問に感じるようになっていった。
「次元の違い? 確かにそうかも知れないが、それは次元というよりも、同じ次元の中に無数に他の世界は広がっているとも言える。それは、一言でいえば、『可能性の限界』という表現になるのかも知れない」
「何となく分かる気がします。いわゆる『パラレルワールド』のような世界でしょうか?」
「そうだね。発想としてはその言葉が一番適切なのかも知れないね」
パラレルワールドというのは、俊三が神父のような人から、生き直すという話を聞いた時に感じたことだった。
――だいぶ前のように思っていたが、思い出してみると、この話をしたのは、まるで昨日のことのようだ――
と感じていた。
パラレルワールドとは、自分がいる今から一つ先の瞬間を考えた時、色々な可能性が考えられることで、その可能性が無限だと感じた時、そこから広がる世界も無限だという発想である。逆に言えば、今考えている世界もその一つ前の瞬間には、無限に広がる可能性の一つだったわけで、一つが無限になるわけで、この世が時系列で繋がっている以上、パラレルワールドとは、「無限の可能性」という概念を、発想にしたものだということになるのだった。
「あなたは、パラレルワールドを信じているんですか?」
「絶対的な存在に対して、信じる信じないもないものだ。だけど、僕にはそのパラレルワールドという発想自体が、無限のものに見えて仕方がないんだ」
「どういうことですか?」
「パラレルワールドという言葉で片づけてしまうと、可能性が無限だと言われても、発想が無限だとは誰も考えないでしょう? でも頭の中には意識していることなんだよ。パラレルワールドという発想自体が、曖昧なものである以上、誰もが発想することに対して、決して同じものではないはずだよね。根本は同じでも、人の数だけ、発想は存在するんだからね」
「なるほど」
分かったような分からないような発想であった。
「でも、僕が言った『運がよかった』という言葉には、もう一つ意味がある」
「どういうことですか?」
「それは、生まれ変わった僕が、時系列に沿って生まれ変わることができたからだということだよ。そういう意味で言えば、君も同じなのかも知れないね」
「あなたの話を聞いていると、まるで生まれ変われる時代というのは、時系列に関係のないように聞こえるんですけど?」
執事は苦笑いを浮かべ、溜息をついたように見えた。その溜息は相手に失礼なものではなく、自分の中で一呼吸置こうという意志に基づくものに感じた。
「その通りだよ。生まれ変わる先には時系列は存在しない。だから、その発想をハッキリとさせるためにパラレルワールドという発想が必要になるんだ」
「ハッキリさせるというよりも、自分を納得させるためだと僕は思うんですが、違いますか?」
「なるほど、君は頭がいい。頭がいいというよりも、発想が柔軟だというべきではないだろうか? 僕の話を理解するには、それなりに言葉の一言一言を柔軟な頭で理解していかないと、ついてこれないからね」
執事は、じっと目を見つめながら話している。目の奥にいる俊三を凝視しようとでもいうのだろうか?
執事は続けた。
「実は、僕は今までにも何度も生まれ変わっているのを感じている。最初の記憶を持ったまま、他の人に生まれ変わるんだ。その時は、必ず時系列に沿って生まれ変わっている。きっと時系列に沿わない生まれ変わりをする時というのは、記憶を完全に消していないといけないんだろうね」
「ということは、今は生き直していると思っている僕だけど、最初に生まれた時、過去の記憶も意識もまったくなかったのは、ひょっとすると、未来からの生まれ変わりだったんじゃないかと思っていいのかな?」
「少なくとも、その可能性は否定できない。否定できないということは、どちらとも言えるということで、その発想の信憑性も、実に曖昧で、グレーゾーンに入りこんでいるとも言えるよね」
「人の死にはいろいろなパターンがあると思うんですが、普通に老衰で死ぬ人、病気になって、死ぬ人。そして、事故に遭って死ぬ人。または、殺されてしまう人、さらには、自殺した人……」
そこで、一旦俊三は言葉を切った。そして、一拍置いて話し始めた。
「どこまでが、寿命を全うしたと言えるんでしょうね?」
「自殺と、事故死と、殺害された場合は、寿命の全うとは言えないと思う。でも、それ以外でも、寿命を全うしたと言えないこともあるだろうね。たとえば病気になってしまったんだけど、病気になる前に、自分の身体に無理をさせ続けた人というのは、ある意味微妙な立ち位置なのかも知れないと思うんだ」
「そうですね。その意見には賛成です」
俊三はそう言って、また考え込んだ。
今度は、誰かを思い出しているように思えた。おぼろげにその顔が浮かんできそうなのだが、のっぺらぼうのように、表情がなかった。
すると、さっきまで感じなかった臭いを感じるようになった。
――夢だと思っていたけど、違うんだろうか?
と感じた。
異臭、それは佳苗に感じた臭いだった。なぜ、今この場面でいきなり思い出さなければいけないんだろう?
寿命という言葉を思い浮かべて、佳苗の臭いを感じたというのは、佳苗の死期の近さを感じ取ったからなのかも知れない。
――佳苗は、もうすぐ死んじゃうんだ――
この心配は、俊三ではなかった。晃少年の本能が感じていることだ。しかも、その佳苗の中には、自分の魂が入りこんでいることを信憑性のある発想だとして感じている晃少年の本能は、寿命という発想に感じるものがあったのかも知れない。
俊三は、今執事に話しかけられたことで、せっかく何かを思い出そうとしていたのに、煙に巻かれたような気がした。しかも、それと同時に感じたのが、佳苗に感じた臭いだったのは、死期が近いと思っている佳苗に対して、本当はそうではないことを感じさせる何かを、執事が想像させたように思えてならなかった。
俊三には、確かに思い出してはいけない何かがあることを悟っていた。
――一体何なんだろう?
そう思えば思うほど、交通事故で亡くなった執事の場面が思い起される。
「俊三くん、あれは、本当は私ではないんだよ」
「あれというのは?」
「君は、今目を瞑れば、きっと交通事故の場面を思い浮かべていると思うんだ。それは、私がこの世からいなくなることになった忌わしい事故だったのだが、今ではもう一人の新しい執事になって、今を生きている。生まれ変わったことになるんだよ。でも、あの時の私は完全に即死だったんだ。君が想像しているその人は、本当に即死だったのかい?」
言われてみれば、確かに断末魔の表情があまりにも印象が深すぎて、即死のイメージが強いが、言われてから思い返すと、何が気持ち悪いと言って、その人が虚空を睨みながら、まだ生があったことを示していたのが気持ち悪かった。それよりも死んでしまった後の断末魔の表情の方が幾分か気が楽だ。永遠に同じ表情から変わらないからだ。
「確かに即死ではなかった。微妙に手が動いていたし、表情も変わったように思えたような気がする」
「君はそろそろ、自分のことを理解する時期が来たということだよ」
「自分のことを理解する?」
「ああ、そうだ。生き直していると思っている人は、必ずどこかで自分のことを思い出し、そして、元の自分に戻っていくんだよ。それが辛いことであったとしても、戻らなければいけないんだ」
「それは、どういうことなんですか?」
「君は、人の死に立ち合ったことがあるかい?」
言われてみれば、誰かの死に立ち合ったということはなかったような気がする。いつも寸前のところで間に合わなかったりした思いが強かった。
「あったような気がしますが、曖昧なんですよ。でも、交通事故に遭った人を目撃した記憶が鮮明にあって、それが邪魔しているような気がするんです」
「そうだろうね。交通事故に遭ったシーンを見るというのは、かなりショッキングなことだからね。でも、自分が人の死に立ち合ったことがあったのかどうかすら忘れてしまうほどのショックなことだというのは、少しおかしいとは思わないかい?」
「確かにそうですね。でも、今までそんなことを考えたこともありませんでした」
「君が交通事故の記憶を思い浮かべたのは、本当は今が初めてのはすなんだよ。だから、僕が、『おかしくないかい?』と言った時、君の中で違和感があったはずだ。僕にはそのことが分かっていて、敢えて君にそのことを聞いたんだ」
「一体、どういうことなのか分かりません」
「普通、他の人の身体の中に入るというのは、生まれ変わるということなんだ。それは、入りこむ人間は死んでしまって、そして、これから生まれる人の中に入りこむ。僕がさっき言ったように、生まれ変わる相手には時系列は関係ない。まったく違う人になって生まれ変わるのだから、過去であっても問題ない。だが、君が違和感を感じているのは、きっと、元々死ぬ前の自分と同じ時代を生きていることに対してではないかと思うんだが、それも生まれ変わった相手の中で、過去の記憶が消えていれば、問題ない。たとえ意識が残っていたとしても、人間は時系列に沿ってしか考えられないので、いわゆる前世の自分と同じ時間を生きていても問題ないわけさ」
「……」
「君も確かに時系列に関係なく、かなり過去に遡って生き直している。しかも、君は生まれ変わったわけではなく、生き直していると思っているわけでしょう? つまりは、意識と一緒に記憶まで一緒に持ってきたことになる」
もう、俊三には言い返す力は残っていない。
「君は、異臭を放つ佳苗に対して、死の意識を持っている。そして、その佳苗の中で晃が生きていることも分かっている。晃は生まれ変わったんだ。生まれ変わるためには、自分は死ななければいけないんだけど、ちょうど、そこに君が生き直すということで、晃少年の身体に入りこんだ。時系列に惑わされることはないので、お互いに、生まれ変わることと、生き直すことはスムーズのうちに行われ、静かに意識は乗り移ることができたんだと思う」
「そこまで分かっているんですね……」
「僕は何でも分かっていて、敢えて君に話をしているんだ。君に対しては誰かが話をしなければいけない。それが執事としての僕の役目であり、そのために生まれ変わったのかも知れないとも思っている。いや、君が元に戻れば、晃少年も戻ってくる」
「佳苗はどうなるんですか?」
「佳苗は、本当はもう死んでいるんだよ。君が感じた臭いは、嘘ではない。いや、もっと厳密に言えば、君だからこそ感じることができたんだ。僕も理屈は分かっているつもりなんだが、臭いを感じることはできない。この意味が君にももうすぐ分かることになるんだよ」
「僕は、一体どうすればいいんだ?」
「君は、自分のことを思い出そうとすればいいのさ。今、君は自分のことを必至に否定しようとしている。否定する気持ちを少しでも現実を見つめるという気持ちに変えれば、君は、元の自分に戻ることができるんだ」
執事の話を聞いているうちに、今まで確かに自分を否定し続けてきたことを感じた。だが、それは、
――生き直す――
ということが前提だったので、否定し続けるのも当たり前のことだと思っていたのだ。
――生き直すというのは、自分を否定することだと勘違いしていたんだ――
と思うと、少しずつ自分を思い出してきた気がした。
異臭がまたしても鼻をつく。そして、記憶は交通事故に遡っていた。
その交通事故の現場は、今まで意識していた執事の事故の現場とは違っていた。もっとリアルで。身体が動かなくなるという危機感があった。
――交通事故に遭ったのは、この俺なのか?
それを思い出すと、随分と長い間眠っていたような意識が芽生えてきた。眠っていたというよりも、生かされていた。病院のベッドで、口には酸素マスク、腕には点滴が施されていて、静かで機械の音しか聞こえない。
「ピーピーピー」
定期的に刻んだその音は、永遠に続いているようだった。いつも誰かが寄り添ってくれているが、見たことはあった気がしたが、覚えていない。それほど、僕は今まで生きていた時代に別れを告げたかった。
――だけど、死んだわけではないんだ。いっそのこと死んでくれれば――
という意識が頭を過ぎった。
――どうせ、ここにいる連中も僕が死ねば楽になれる――
と思っているんだ。
だが、それは当たり前のこと、それも気づかずに、まわりの人に対して恨みばかりを抱いていた。そして、そのまま眠り続けているところに、神父が現れた……。
――俺は一体何をしていたんだ――
そう思うと、もう一度自分の身体に帰ることを願った。
――今度こそ、運命よりも強いものを掴むんだ――
という思いを抱いていた。
――植物人間からの復活――
それは、「命が宿る」という、自分が運命よりもさらに強い「宿命」というものを掴んだ瞬間だったに違いない……。
( 完 )
宿命 森本 晃次 @kakku
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