第3話 執事

 佳苗は晃少年よりも年上だったが、精神的には、魂が持っている記憶は疑似であり、異臭を発することで、誰かに生き直してもらうのを待っているようなものだった。

 それは、臓器移植のドナーを待っているようなもので、彼女の中で生き直すことができる人は本当にいるのかどうか、疑問だった。

 そのことを分かっているのは、佳苗の中で生き直している晃少年はもちろんだが、その晃少年の中で生き直している俊三。そして、実は二人に密接な関係にある人がもう一人、このことを知っていた。

 それは、晃少年に仕えている執事だった。

 彼は、余計なことは一切口にすることはなく、どんなに洞察力の鋭い人でも、執事が何を考えているか、理解できる人はいないだろう。なぜなら、執事には自分のことを考える力が欠如していた。いや、最初からなかったのかも知れない。

――そんな人間って、本当にいるのだろうか?

 と、思えるほどだった。

 執事の経歴については、過去のことは何も分かっていない。どこで生まれて、どこでどのように育ったのかということを、彼は覚えていないのだ。

 晃少年の父親が最初に執事を見つけたのは、まだ父親が結婚前のことだった。父親は生まれ持っての金持ちの息子だった。当時で言えば、

「財閥の御曹司」

 とでもいうべきだろうか。平成の時代になれば、今は昔の物語になるのだろうが、晃少年として生き直している俊三の時代でも、すでにそんな言葉は過去のものになりつつあった。

 そんな父親は、まわりの友達からはチヤホヤされていたが、決して有頂天になって、舞い上がってしまうことはなかった。悪い気はしなかったので、まわりからは、有頂天になっているように見えていたようだが、それも仕方のないことだった。

 晃少年の父親は、感情を表に出すことが苦手だった。いつも自分はチヤホヤされているが、決してナンバーワンになれるものではないことを自覚していた。

――チヤホヤするんだったら、俺がナンバーワンなんじゃないか?

 という思いをいつも抱きながら、ナンバーワンに自分がなれるはずがないことを感じながら、ナンバーワンにならないことにホッとしていた。それならチヤホヤされて、それを喜ぶというのは少し感情が違っているのだろうが、喜んでいないと、自分の中にある自己嫌悪が露骨に自分を苛めるような気がしてならなかったのだ。

 もちろん、自分の意に反して、チヤホヤされることを喜んでいるのだから、自分の中でジレンマが湧きおこることは承知の上だった。それをやり過ごすには、表に自分の感情を出さないようにすることが肝心だった。自分の苦悩を曝け出すことで、自分の本性をまわりに知られることがその時の父親には、

――一番してはいけないことだ――

 という意識があった。

 だから、友達もほとんどおらず、話し相手は昔から自分を見てくれていた家にいる執事やメイドさんたちだけだった。

 そんな父親も、次第に寂しさが自分の中にあることに気付き始めた。

 学生時代までは、友達と呼んでもいいと思っている人が何人かいたが、しょせんは同じ世界に住める人ではないことに気が付くと、冷めた付き合いしかできなくなっていた。

 父親にとって、

――孤独こそが友達だ――

 と感じる時期があった。

 いろいろなことを考えながら、辿り着いた思いだったのだが、それが開き直りによるものだということに気が付くと、結局、自分がいくら考えても、

――それは堂々巡りを繰り返すことになるに過ぎないのだ――

 と、思うようになったいた。

 それでも、自分には孤独が似合うということに気がつくと、友達と一緒にいることはなくなっていた。それまで話し相手だった執事ともあまり話をすることがなくなっていた。そのことを執事の方では、

「お坊ちゃまが自分を必要としていないということは、お友達がたくさんできた証拠なのだろう。ここから先は私の役目ではない」

 と思っていた。

 その時の執事は実に忠実で、執事としては申し分のない男だったのだが、一つだけ文句を言わせてもらうとすれば、それは楽天的なところがあることだった。

 もちろん、仕事をしている上では、そんなことを表に出さないように心掛けていた。執事自身にも自分が楽天的だという意識はずっと持っていて、それが執事としての仕事にはあまりいい影響を及ぼさないことも分かっていた。

 それでも、

――欠点の一つくらいは誰にだってあるものだ――

 として、甘く考えていた。それこそが楽天的な考えなのだろうが、楽天的な性格であるがゆえに、甘い考えは決して起こさなかった。

 そういう意味では、執事の性格は、

「一長一短はあるが、執事としては十分だ」

 と、先代に言わせたほどだったのだ。

 ただ、そんな執事も、ある日交通事故に遭って、急に死んでしまった。

 あっという間のことで、現場を目撃した人も、ほとんどがあっけにとられたようで、

「その瞬間、時間が凍り付いたような気がしたくらいですよ」

 と、目撃者の証言は、それぞれに曖昧だった。

 そのせいもあってか、この事件が、

「交通事故ではなく、本当は自殺だったのではないか?」

 と、いう思いを警察も抱いたようだ。

「事故と自殺の両面から捜査する」

 ということで、最終的には事故として処理はされたが、自殺としてもかなりの信憑性を持って捜査していたようだ。

 もちろん、遺書も自殺の動機もなかったことから、環境的には自殺を匂わせるものは何もなかった。しかし、

「執事という仕事がどんなものか想像もつかないので、本人が何を考えていたかを思い図ることはできない」

 という、まるで未知の世界を覗き見ているかのようで、そこに神秘の影を感じた人は少なくなかった。

 父親も、

「本当は自殺だったんじゃないだろうか?」

 と思っていた。

 その思いが一番強かったのは、他ならぬ父親で、その理由の一つに、

――自分があまり執事を必要としなくなったからだ――

 と思っていたのだ。

 もし、執事が楽天的な性格であることを父親が知らなければ、執事が自殺をしたなどという妄想に捉われることはなかったに違いない。執事が楽天的な性格だからこそ、執事を必要としなくなったことを感じさせても、大きな問題にはならないとタカをくくっていたのだ。

――洞察力があるというのも、困ったものだ――

 自分には洞察力があることを自覚していた父親は、自己嫌悪に陥っていた。

 しかし、それでも執事が亡くなってから三か月もすれば、自己嫌悪はなくなっていた。その代わり、執事が亡くなってから忘れていた孤独感が、また父親の中に舞い戻っていた。

――やっぱり俺の本質は、「孤独」なんだ――

 と感じるようになった。

 執事のことは少しの間忘れることにした。

 家では新しい執事を探そうとしていたようだが、父親にはどうでもいいことのように思えていた。

「執事なんていないならいないでいいんだ」

 執事が自分のためだけではなく、他にも仕事があることを分かっていて、それでもそう思っていた。

――執事を雇うのなら、俺が直々に採用した人じゃないと認めない――

 と思っていたが、それはわがままであり、矛盾した考えだった。そのことも分かっていたが、その時は、どうしていいのか分からなかったのだ。

 執事の性格というのが、

――長所は短所の裏返し――

 という言葉が当て嵌まる一番のいい例だった。

 先代に、

「一長一短はあるが、執事としては十分だ」

 と言わしめたのは、彼の楽天的な性格を見てのことだが、楽天的な性格ほど、表裏一体のものもないだろう。長所でありながら、短所でもある。だから、短所に見える部分も、捉え方によっては長所になる。そのことを父親は、執事本人が死んだことで初めて理解した。

――生きている時に理解してあげればよかった――

 と悔いてみても、後の祭りだった。実に皮肉なことである。

 父親の中に、執事の意志として、楽天的なところだけが、記憶として残った。ただ、その時の状況によって、執事のことを思い出すと、すべてを楽天的な性格に当て嵌めて考えてしまうことになる。

――ひょっとすると、事実とは曲がった形で頭の中に記憶されているのかも知れないな――

 という意識があった。

 それでも思い出すことができる間はよかった。執事が亡くなって三か月、その間は執事のことが頭から離れなかった。ちょうど自己嫌悪に陥っていた時期だった。

――執事のことが頭から離れなかったことで自己嫌悪から抜けられなかった――

 という思いもあったが、逆に、

――執事のことが頭から離れなかったことで、自己嫌悪に陥っていただけで済んだのかも知れない――

 という思いもあった。

 どちらが信憑性の深いことなのか分からないが、父親の中で湧き上がってきた感情は、後者だったのだ。

――俺の中にも、知らず知らずのうちに、執事の性格である楽天的な部分が伝染したのかも知れないな――

 性格というものが伝染するという思いを抱くようになったのはこの頃からのことであり、ちょうどその時に、息子の代にまで執事を勤めてくれる人と出会えたというのも、運命のようなものだったに違いない。

 だから、今の執事は、父親の代から仕えている実に忠実な執事だった。彼には前の執事のように楽天的なところはなかった。ただ、楽天的な人に対しては敏感で、楽天的なところが顔を出すと、

「気を引き締めなければいけません」

 と、いくら相手が仕えている主であっても、敢えて苦言を呈することも厭わなかった。

 ただ、二代目の執事が二重人格ではないかということに気付いたのは、晃少年に入りこんでいた俊三が最初だった。

 長い間執事に世話になっている父親には気付くチャンスはいくらでもあっただろうが、それに気付かなかったのは、楽天的な性格のせいであろう。それは、晃少年にも言えることで、楽天的な性格は晃少年にも伝染していた。

 ただ、それは晃少年には二重人格的なところがあって、普段は表に出ることのないものだったのだ。

 執事が二重人格だということに父親が気付かなかったのも無理はない。執事が二重人格だったというのも、同じ二重人格でも、他の人とは一味違ったところがあったからであった。

 父親が初めてこの執事に出会ったのは、父親が一人で立ち寄ったバーだった。

 その店は、父親の馴染みだったが、まだその時は馴染みになる前で、二度目に立ち寄った時のことだった。

 最初に立ち寄ってから一か月近く経っていたので、店の人は誰も自分のことなんか覚えていないだろうと思い、

「一か月くらい前にここに来たことがあるんですけど、覚えていないでしょうね?」

 と、敢えて訊ねてみた。

「覚えていない」

 と言われれば、分かっていたことだとはいえ、少し寂しい思いをすることは分かっているのに、どうして聞いてみたくなったのか、自分でもその時の心境を計り知ることはできなかった。

 しかし、意に反して、

「いえ、覚えていますよ」

 という答えが返ってきた。

「えっ、覚えているんですか?」

「ええ、前もこの席にお座りになりましたよね? ちょうど一か月くらい前のことだったんじゃないですか?」

「はい、そうです。でも、あの時、お話をしたわけではなく、一人で佇むようにチビチビ酒を呑んでいただけなのに、よく覚えていましたね?」

「そういうお客さんほど、覚えているものなんですよ。気になるというんでしょうか? あまり見ちゃいけないと思いながらも、どうしても、視線はそっちに行っちゃうんですよね」

 と、言っていた。

 確かに、一人で佇むように呑んでいれば、こういう店では却って目立つのかも知れない。いや、意外と一人で佇んでいる人が多いというイメージもある。それでも一か月も前のことを覚えているというのは、その時の父親が発していたオーラのようなものが、他の人とは違っていたのかも知れない。

 そんな話をしていると、カウンターの手前に一人の男性が入ってきた。父親はカウンターの奥に座っていたので、カウンターの端同士で座っていることになる。

 その時、時間的には、まだ開店直後だったので、客は誰もいなかった。父親はその客の顔を、初めて見る顔ではないことに気が付いた。

――この店で見たのかな?

 と思ったが、どうもそうではないようだった?

「すみません。以前にどこかでお目に罹ったことがありましたでしょうか?」

 と訊ねると、その人はキョトンとした表情で、

「初めてだと思いますが」

 と答えた。

 そんな表情には訝しがる様子もなく、父親を不審な顔で見ることもなかった。ただ、キョトンとしていただけだった。

――いや、やはりどこかで――

 とは思ったが、相手が否定するものを、それ以上聞くのは忍びなかった。

――まあ、話をしているうちに思い出すだろう――

 と、簡単に考えたのも、前の執事から受け継いだ楽天的な性格が顔を出したからではないだろうか。

 その人とは、その時ほとんど話をしなかった。ただ、横顔を見ている限りでは寂しそうな雰囲気を醸し出していた。

――俺も一人で佇んでいると、あんな雰囲気なのかな?

 と思うようになり、なるべくマスターに話しかけるように心掛けていた。

 父親は、友達がいても、自分から話題を作って話し始める方ではない。人が話をしているのを聞いている方が多く、たまに口を挟むことがあっても、話の腰を折らない程度に一言口走るくらいだった。

 その人は、軽く食事を摂ってから、すぐに店を出た。一時間もいなかったように思う。それでも父親にとって気になるその人と同じ空間を共有した時間というのは、時計の示す時間よりも、かなり長く感じられた。ただの錯覚に違いないが、それでも長く感じた時間は、

――次回出会うのは、案外と早いかも知れない――

 と、次回が約束されていて、しかも、それが舌の根の乾かぬ内のことであるのが、分かっているような気がしたのだ。

 父親がその店に立ち寄ったのは、それから一週間後のことだった。

「そろそろお越しになると思っていましたよ」

 と、マスターに言われた。

「どうしてそんなことが分かるんですか?」

 いつもニコニコしていて、その表情は多種にわたっているわけではないマスターだったが、その時は結構な「どや顔」をしていた。

 マスターにとって、自分をあまり表に出さないのは、お客様に対してのマスターなりの気の遣い方だと思っている。

――そんなマスターが違う表情をすれば、まったく違う人間のような顔になるのだろうか?

 一人の人の表情がまったく違って見えるというのは、今までの父親には考えられないことだった。彼のまわりには、ほとんど同じ表情の人しかいなかったのだが、それは、父親が御曹司だということもあって、まわりが必要以上に気を遣っているからだった。

 今も、それほど変わっていないと思うが、昔は腫れ物に触るような人が多かった。貧富の差が激しい時代だったこともあって、昔からの主従の時代の名残も残っていたりする時代だった。

――そんな視線にはウンザリだ――

 と思っていながら、一番そんな時代を意識していたのは、本当は父親だったのかも知れない。

 だが、この店はそんな雰囲気を感じさせない。

――微塵もない――

 と言えるほとではなかったが、それは、あくまでも父親の被害妄想のようなモノが招いた考えだった。特に一人でやってくる客が多いこのバーでは、誰もまわりに遠慮など、本当はしていないのだった。

 お世辞にもあまり流行っている店だとは思えなかった。それでもやっていけるのは、

――きっと常連でもっている店なんだろう――

 という思いがあったからだ。

 だが、客のほとんどは一人で佇んでいる人ばかりで、どの人が常連なのか分からなかったが、逆に皆常連だと思うと、この店に集まってくる人の特徴のようなものが、何となく見えてくるような気がしていた。

 それは、形で表せるものでもなく、言葉で表現できるものではない。誰もお互いに話すことのない雰囲気が、客の一人一人に充満している。

「ここは、皆それぞれの中で、『隠れ家』として利用してくれるような店を目指していると思ってくれていいですよ」

 と、マスターは答えた。

「じゃあ、この間の人もそうですか?」

「そうですね」

 この間の人と言っただけで分かるところが、さすがはマスターだった。父親はこの店で数人の客を見たのだが、最初に見たのが、その人だった。さぞや不思議そうな眼差しを浴びせていたに違いない。

「こんばんは」

 思わず声を掛けた。

「今度は二回目ですね?」

 とニコニコしながら、その人は答えた。

「ええ、そうですね」

「でも、本当は二回目ではないとお考えでしょう?」

「えっ、実はそうなんです」

「それはきっと、私とよく似た人の記憶があって、私を見ていると、どうしてもその人の記憶がよみがえってくることで、あなたの中で意識が混乱しているからなのかも知れないですね」

「どういうことですか?」

「あなたは、デジャブという現象をご存じですか?」

「ええ、知っています。『初めて会ったはずなのに、初めて見た光景のはずなのに、以前にもどこかで……』という現象のことですよね?」

「ええ、そうです。デジャブを感じると、どうしても目の前に見えていることよりも、前に感じたはずの意識を何とか思い出そうとする。デジャブを感じた時ほど、過去の記憶が曖昧なことはないはずなのに、それでも思い出そうとするのは、無理を押し通そうとしておる証拠でもあるんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ、しかもそれは、何かの辻褄を合わせようとする意識の表れでもあるんですよ。一つのことに集中してしまうと、他のことが目に入らない人などに、特に序実に現れるものえではないのだろうかって、私は思います」

 意識や記憶の辻褄を合わせようとするのは、

――自分を納得させよう――

 という意識の表れだと思っていた。

 その思いは最初からあったわけではなく、最近感じるようになったことだった。それがいつだったのかというと、執事が交通事故で亡くなったあの前後のことだったように思えてならない。

 頭の中を記憶と意識がシャッフルしているように感じた。目の前にいる人と、亡くなった執事のイメージが一度かぶってしまった。一度かぶってしまうと、なかなか抜けないもので、ずっと思い出せなかった執事の顔が、まるで昨日会ったことのように思い出せるのだった。

――この人がデジャブを話題に持ち出したのは、まるで俺の心を見透かしているかのように思える――

 と感じた。

 父親は、なるべく亡くなった執事のことを思い出さないようにしていた。

 思い出してしまうと、夢にまで出てくるような気がしていた。しかも、死に方が交通事故で、実際に目撃したわけではなく、あくまでも現場は想像でしかない。

 見たことがないはずなのに、夢に見てしまうと、それがまるで現実のように思えるのは錯覚だけの問題なのだろうか?

――それこそ、デジャブなんじゃないか?

 と思えてきた。

――ということは、記憶の中の何かの辻褄を合わせようという意識が働いているということかな?

 と感じていた。

 デジャブと夢というのは、そのあたりで結びついているのだ。

――夢というのは、目が覚める寸前に一瞬だけ見るものだ――

 という意識があった。

 それは、以前に読んだ本に書いてあったことだったが、確かその本は、執事からもらった本だった。執事は幻想的な話が好きだった。楽天的な性格でいられたのは、その感覚があったからなのかも知れない。

 父親は、その本に関しては、結構意識して読んだものだ。何度も読み直した。それでも忘れてしまうことが多かったのは、それだけ内容としては難しいものだったのだ。

 それでも読み終わった時にはいつも、

――なるほど、これで辻褄が合うんだ――

 と感じた。

 その辻褄というのが、なぜかいつも違う結論から生まれていたのを不思議に感じていた。――同じ本を読んでいるのに、そして、同じように辻褄が合っているのに、そのプロセスが違っているというのは、一体どういうことなのだろう?

 父親は、本の内容が読むたびに少しずつニュアンスが違っているように思えた。きっと、読む前の意識がその時々で違っていると、読んでいる本も違った内容に思えているのかも知れない。

――本の内容って生きているんだろうか?

 という発想と、

――本というのは読めば読むほど、発想が膨れ上がってくる――

 という思いが同時に芽生えていた。

――本というのは、二重人格なのかも知れない――

 本に意識があるとすれば、その性格は二重に感じられ、まわりの意識も十分に影響を与えるものだと考えられる。そう言う意味でも、あまり一度読んだ本を読み返すことのない父親がこれだけは、何度も読み返すわけだった。

 その日、その人と話をしてから、しばらくは会うことはなかった。一か月もすれば、その人のことが気にならなくなっていたが、それまでは、夢に見るほど意識していたのだった。

 ある一瞬を過ぎると、それまでとはまったく違った意識になるということは、この時以外にも何度も感じたことだった。

 そんな時自分のことを、

――二重人格だからなのかも知れない――

 と思ったが、少し違っていた。

 自分のことを二重人格だと思ったとしても、途中で急に意識しなくなるのは、時間のせいではないと思いたい気持ちを正当化させたい思いが、二重人格を自分の中の悪い性格だとして、自分を納得させるための犠牲にしている。そのことに繋がっているのだということを分かっていながら、否定できない自分を責め苛める気持ちが、最初の一か月なのだろう。

 その後、パッタリと忘れてしまうのは、自分が納得できるまでの時間が、まるで別世界だったのだと思わせるためだった。

 だが、完全に忘れたわけではない。意識のどこかに残っている以上、記憶の奥に封印されることはないのだ。

「新しい執事だ」

 と言って、祖父に紹介された人の顔を見ると、父親は驚いた。確かにこの間バーで話をした男性だったが、表情はあの時とはまったく違っていた。緊張しているのか、血色が感じられないほど冷静に見えた。それでも、涼しそうな表情は、この間話をした時を彷彿させるものがあった。

 その人は、父親に気付いていないはずはないのだが、初めて会ったようにしか思えなかった。

――初めて会った様子だとすれば、あの時と変わりはないはずなのに、明らかに違うのは、この人が二重人格だからだろうか?

 どうしても、父親の頭の中は、何かあれば二重人格だということで片づけようとするくせがあるようだった。

 ただ、この人が、

――自分は執事になるために、ここにいるのだ――

 ということをわきまえているだけだということを父親には理解できなかったのだ。

 最初からそのことに理解できないと、執事であることに慣れてきた頃には、

――もうこの人は、執事以外として見ることができない――

 と思うようになってしまったことに自分で気付かなくなってしまうのだ。

 執事というのは、本当に自分を殺して主に仕えるもので、テレビドラマで見る執事、そのままだった。

 以前は、

――そんな人がいるわけがない――

 と思っていた。

 父親は、わざと執事に逆らうようなことをしては、気持ちを逆撫でするようなことをしてみた。それがどれほど自分を惨めにするかなど分からずにしてしまったことだが、さすがに、

――こんな子供みたいなことをして、何になるんだ?

 と思ったことで止めてしまったが、それでも自分に逆らうことのなかった執事を見て、全面的に信じるようになっていた。

 それから父親は結婚し、晃が生まれた。その頃には親の会社の社長に収まっていて、晃が生まれてからも、家庭だけを見ているわけにはいかなくなった。

 晃の命が危ういと教えられたのは、晃が生まれてから四年が経ってからだった。それから数年が経ったが、さすがに最初の一年目は、晃のことが気になって仕方がなかった。仕事が手につかないほどの落ち込みように、まわりも心配になったが、一年も経つと、今度は急に仕事に専念するようになり、晃の静養場所を執事に探させたのだった。

「旦那様は、何かを吹っ切られたようだ」

 と、執事が言っていたが、まさにその通り、その頃には立派に社長業もこなしていて、晃のことは、執事とメイドに任せきりだった。

 最初は母親にも晃のところに行ってもらおうと思っていたようだが、

「私にお任せください」

 という執事の言葉を全面的に信じた。そこまで父親は執事に全幅の信頼を置いていたのだ。

 晃は、ほとんど父親に対しての意識がなかった。物心つた時から一緒にいないのだから、当たり前のことだが、だからと言って執事を自分の父親のように思うことはできなかった。

 それは執事も同じことで、あくまでも、主従の関係を、

――どんなことがあっても壊さない――

 という意識を持って、晃に接していたのだ。

 子供の晃には、

――何かおかしい――

 と思っても、それがどのようにおかしいのかまでは分からない。だが、晃少年の中に入りこんだ俊三には分かっていた。

 晃少年にとって執事は、召使いではなかった。尊敬できるところがあって、決して無理な命令をしてはいけないことをわきまえていた。

 それを見て執事は、

――何ともこんなにも潔い子供がいて溜まるものか――

 と思っていた。

 執事としては、相手が子供であっても、従うことを宿命づけられているように思っていたが、わがままを言うのであれば、そこはしっかりと、

「ダメなものはダメだ」

 という躾けはしなければいけないと思っていた。

 しかし、晃少年にはそんなところは一つもない。自分の命があとわずかであることを知っているかのような潔さに、執事はたまらない思いを抱いていたのだ。

 しかし、晃少年の命があとわずかであることを知っているのは、ごく限られた人間だけだ。父親も母親も、決して口にするはずはない。何しろ敢えて一緒に暮らさないのは、自分たちの態度で、子供が自分の死を悟ることを嫌ったからだった。

 執事の本心としては、

「限られた命であるのなら、そんな時だからこそ、両親がそばにいてあげなければいけない」

 という言葉を、両親の前で必死に堪えていたのだが、もちろん、そんなことが言えるはずもなく、今まで執事として本音を言うことができなくて辛かったこともあったが、この時ほど、本当に辛いと思ったことはなかった。

 そう思えば思うほど、執事は冷静になり、晃少年の前では、何も言えないため、これまで以上に自分を殺し、耐えなければいけない自分に少なからずの自己嫌悪を抱いていたのだ。

 父親は、そんな執事の気持ちを分かるはずもなかった。逆に自分が執事のように、冷静沈着な態度で、息子の前では毅然としていなければならないと思っていた。

 晃少年の回りで、皆それぞれ自分の意識を殺したり、ごまかしたりして、微妙な距離を保つことが、不穏な空気を漂わせていることに誰もが気付いていながら、どうすることもできないと感じる他なかったのだ。

 そんな空気を一番敏感に感じていたのは、誰でもない晃少年だった。

 俊三が晃少年の中に入りこむ前から、晃少年には、何が起こっているのか分からないまでも、何かおかしいと感じていたことで、いつの間にか、

――僕は正常ではないんだ――

 と思うようになっていた。

 正常ではないということを、晃は自分の命に関わることではなく、精神的な面だと思うようになっていた。さすがにおかしいと感じても、自分の命に関わることとまで考えるだけの力は持っていなかった。それでも他の子供よりも若干勘が鋭く、そのことを両親が気付いたことから、余計に息子に悟られないようにしないといけないと思い、用心深くなってしまう。

 細心の注意を払っているつもりでも、いつの間にか気付かれてしまうというのは、往々にしてあることで、そこまで気を遣っていては、今度は自分たちが参ってしまう。誰かがコントロールしなければいけないのだろうが、その役目を担ううってつけの人がその場にはいた。

 それが執事だということは、最初に父親が気付き、そして母親が気付いた。当の本人である執事はすぐには気付かなかったが、気付いてみるとすぐに行動に移すことのできる執事だったので、両親は、

――私たちよりも執事の方が先に気付いたんだわ――

 と思っていたに違いない。

 執事にとって、これほど皮肉めいていて、厄介な仕事はないだろう。仕事をこなしたからと言って、大っぴらに褒められたり、褒美がもらえたりするわけではない。執事が仕事をやり終えるということは、すなわち、

――晃少年の死――

 を意味しているからだった。

――決して表に出て評価される仕事ではない――

 そんな割の合わない仕事だと思いながらも、やはりこれができるのは執事しかいないというのが、まわりの一致した目だったのだ。

 晃少年が佳苗を気にし始めたのも、自分が正常ではないという意識があってのこと。俊三はそのことになかなか気付かなかったが、執事を見ていると、自分が晃少年の心を持っているように思えてきた。それは、執事の見る目が、今まで晃少年を見てきた目と同じだったからだ。

――この人は、晃少年の中にいるのが違う人だということに気付いている――

 と、かなり早い段階で分かっていたにも関わらず、終始見ている目は、晃少年に向けられていたものと変わりはない。晃少年が自分が正常ではないという意識を持っていることを分かった上での最善の目線を、執事は向けていたのだった。

――優しさの中に、厳しさがある――

 晃少年が佳苗を気にしていることを、執事が知っていたのかどうか俊三には分からなかった。しかし、晃少年が佳苗や、佳苗のいる病棟に感じた異臭を、俊三は執事に感じている。

――執事も、本当はしっかりしているように見えるが、どこか精神異常に苛まれているのかも知れない――

 と感じた。

 しかし、考えてみれば、佳苗に感じた異臭というのが、精神異常者だけに感じるものだという結びつけは、根拠のあることなのだろうか? 晃少年が感じた異臭は、精神異常の人にしか発生しないものだという発想は、晃少年ではなく、俊三だけが感じているものなのかも知れない。

 ただ、自分と同じ臭いを感じたことで、晃少年には親近感が湧いた。ただ、それが精神異常の親近感ではなく、

――まもなく終わってしまう命――

 という共通点を導いていたのだった。

 その時はまだ、自分が精神異常であることに気付いていなかった。その精神異常という考え方が、

――他の人に見えないものが、自分だけには見えている――

 という発想で、そのことが精神異常だと思っていた。

 他の人と少しでも違うことに敏感だったのは、

――他の人と同じであれば、僕は死なないかも知れない――

 という思いがあった。

 しかし、違っているからこそ、他の人にはない優れた力が備わっているという考えが、まだ幼い晃にはなかったのだ。

――中途半端な思いを抱いた中、晃少年の魂は、どこに行ってしまったというのだろう?

 最初、晃少年の中に入った時に感じたのは、

――死ぬのが怖くて、他の人の中で生き直そうとしているのかも知れない――

 と感じたのだが、晃少年が自分のことを精神異常だと思ったと感じた瞬間から、少し違った考えが、俊三に芽生えてきた。

 晃少年が、心の中に裏と表を持っているということである。そしてそれが決して二重人格ではないことも分かっていた。二重人格というのは、同じ相手に自分の異なった性格を表に出すこともあるが、晃少年は決して同じ人に対して別の性格を表すことはない。ただ、相手によって性格を変えることで、見る人によって、味方になったり敵になったりするかのようであった。

 つまりは、晃少年には自分の性格が一つではないという自覚があったのだ。

 他の人はもし二重人格であって、そのことに気付いたとしても、二重人格を自ら表に出そうとはしない。しかし、晃少年は自分に複数の性格が存在していることで、相手によって性格を変えることを覚えた。幼い子供なりの、考えがそこにあったのだろう。

 晃少年に入りこんだのは、人生をすでに半ば近くまで生きてきた俊三だった。今までの自分の人生を思い出してきた中で、子供の頃に晃少年と同じように、相手によって態度を変えている友達がいたのを思い出した。大人になるにつれて、態度を変えていると思いこんだことですぐに意識しなくなったが、考えてみれば、その友達は、相手によって、性格を変えていたのかも知れない。

 自分の子供時代と、今生き直そうとしている時代は、どこか似ている。年代もほぼ同じくらいのものではないだろうか? ひょっとすると、探せば子供の頃の俊三がどこかにいるかも知れない。もし探し当てた俊三少年が、相手によって性格を変えていたりしたら、どんな思いになるのだろう?

 その頃の俊三は、いつも大人の人から怒られているという思いが強かったので、怒られないようにするよう、相手によって態度を変えていたが、性格まで変えていたとは思えなかった。一つ言えることは、

――なるべく、目立たないようにしよう――

 という思いだけは、相手が誰であろうと共通意識として持っていた。

 晃少年は、佳苗を意識していたが、実際に話をしたことはない。晃少年の中に入りこんだ俊三は、晃少年が佳苗と話をしたことがあるような意識を持っていたが、それは晃少年の妄想であった。あるいは夢だったのかも知れない。

 妄想や夢は、入りこんだ人間には、現実に起こったことと区別がつきにくいので、しばらくの間、本当に話をしたことがあるのだと思っていた。

 晃少年の意識の中で、次第にその区別が分かるようになってきたのは、現実に起こった事実よりも、夢や妄想の方が、意識の中でなかなか忘れることがないということからだった。

 その中でも夢の方が忘れていくという意識がない。その理由として、

――夢というのはいくら印象に深い夢であっても、同じ夢を見ることはできない――

 という感覚があったからだ。

 もう一度見たいと思っても、見ることはできない。ひょっとすると、限りなく同じ夢であっても、夢から覚めてしまうと、同じ夢だったという意識はない。それは、夢を見ている間は、他の夢が入りこむ隙間がなく、いわゆる夢というものが、

――一話完結――

 というものであるに違いないと思っているからであろう。

 さらに、

――同じ夢を二度と見ることはできない――

 と一度思いこんでしまうと、自分の中でその思いが確立してしまい、夢を見ている自分は、まるでスクリーンを見ているように、主人公である自分とは違う人物になっているのだった。

 佳苗とどんな話をしたのかという内容までは覚えていない。しかし、話をした場所は、晃少年が住んでいる別荘だった。

 普段は、パジャマ姿の佳苗しか見たことがなかったのに、別荘に現れた佳苗は、白いワンピースに白い帽子をかぶった。まさに、

――お嬢様――

 だったのだ。

 彼女をエスコートするのは執事の役目で、入り口では後ろにメイドを数名控えさせた晃が、門のところから執事にエスコートされてゆっくりと歩いてくる佳苗を、じっと待っている。

――まるで、教会での結婚式のようではないか――

 晃少年が結婚式の様子を知るはずもないので、結婚式を想像したのは、俊三だった。それでも、必要以上にゆっくりとした歩みで自分に向かってくる佳苗を見ていると、

――もっとゆっくりでもいいくらいだ――

 と、この時間をたっぷり味わってみたかった。

 そう感じたのも、夢だったからだろう。

 もし、現実の世界であれば、

――僕には限られた時間しか残されていないんだ――

 と感じるに違いない。

 やはり夢の中では普段の晃とは別の世界であり、毎日を死を意識して生きなければいけない自分を切り離すことができる。

――できれば、夢から覚めないでほしい――

 と思うのも無理のないことだろう。

 しかし、ひとたび夢から覚めると、襲ってくるのは死の恐怖だった。いくら、

――将来には助かるに違いない――

 あるいは、

――もう一度生き直せばいい――

 という楽天的な思いを持っているからと言っても、今の晃少年の中にいることで、死を意識しないわけにはいかない。

――そういえば、この楽天的な性格は、執事から伝染したものではないだろうか?

 と、思うと、

――晃少年も、本当は楽天的な性格だったのかも知れない――

 と感じた。

 晃少年の中にいて違和感がないのがその証拠に思えるし、晃少年が、同じ相手には同じ性格を一貫して見せていたことでも、俊三と似たところがあったに違いないと思えるからだ。

 俊三は晃少年の中にいて、

――俺はどうして生き直そうと思ったのだろう?

 と定期的に考えるようになっていた。

 俊三は自分が晃少年の中に入った瞬間、ちょうど同じ時に、晃少年が佳苗の中に入りこんだのだろう?

 佳苗は晃少年よりもかなり年上だった。晃少年が佳苗のことを意識しているであろうことを分かっているのは、晃少年の中にいる俊三だけだと思っていたが、実は違っていた。

――執事にも分かっているんだ――

 と感じていた。

 俊三も晃少年も、前にいた執事が交通事故で亡くなったことを知らなかった。父親がその時の事情を知っていたのだが、今の執事がその時に亡くなった執事の生まれ変わりのように思っていた。

 父親には、

――生き直す――

 という発想はなかった。

 生き直すということは、元々生きていた人が死んだちょうどその時に、他の人の魂が入りこむ時、人はそれを、

――死の淵からよみがえった――

 そんな風に思うだろう。

 死の寸前まで行っていて、生き返ったという話はよく聞く気がする。それは、本当は死んだ人の中に、彷徨っている魂がうまく入りこんだことで起こることであろう。

 生き直すことや、生まれ変わるという発想もいろいろあるのだろうが、

――死の淵からよみがえる――

 というパターンが一番多いのではないだろうか。

 いや、一番ハッキリとしていて、分かりやすいパターンということで、

――それが一番だ――

 と思えるだけで、実際には知らないところでもっとたくさん生き直したり、生まれ変わったりしているのかも知れない。

 執事のことを今でも父親は、

――前にいた執事の生まれ変わりなんだ――

 晃少年の中にいる俊三は、予備薬の存在が、自分が知るずっと以前から研究されていたことを知っていた。それがひょっとすると、執事が交通事故に遭った時から利用されていたのだとすると、俊三が予備薬の存在を知った時、すでに考えられていた副作用を伴っているとすれば、今の執事が、交通事故で亡くなった執事の生まれ変わりではないかという発想に至ったとしても不思議のないことだった。

 薬には副作用が付きものだ。この予備薬についている副作用は、

――使ったら、しばらくはこん睡状態に陥る。そして意識が戻ると、それまでの記憶をかなりの確率で失ってしまっている公算が高い――

 ということであった。

 それまでの人生を覚えていたとしても、それは自分の人生ではないようにしか思えない。夢だったと思うことだろう。

 当然、かなり危険な薬として、実用化はおろか、その存在までもが、しばらくの間は、専門家の間でもひた隠しにされていた。

 知っているのは一部の人間、それだけに秘密を知っている人のリスクも高かった。

 ただ、噂というのは、いつの間にかどこからともなく湧いて出るもので、あれだけ極秘にしていたことも、噂として独り歩きをしていた。

――根も葉もない噂――

 というレベルのもので、信憑性は限りなく低かったが、信憑性の高さが問題というわけではなく、

――どこからそんな噂が湧いたか――

 というのが問題だった。

 根も葉もない噂の方が、たちが悪い。ある程度信憑性のあるものであれば、扱い方も慎重になるというものだが、根も葉もないレベルのものに対しては、そこまで神経質なことはない。

 隠そうとすればするほど、嘘だと思われる噂が、実は的を得ていたりする。内容を知っている人間としては、いつ核心に触れられるかという不安に駆られ、一度噂が立ってしまった以上、不安が払拭されることはない。

 そんな状態で、一人歩きする噂ほど、恐ろしいものはないのだ。

 誰が噂を流したのか分からない以上、どうすることもできないが、終結させるには、誰かを犠牲にし、人身御供にする必要がある。すなわち、

――生け贄――

 である。

 立場上、危ない人は自分で分かっていたりしたものだ。

「最初から分かっていたのだから、手の打ちようもあるだろう」

 というような生易しい問題ではない。分かってしまえば、そこから結論のない目的地まで、堂々巡りを繰り返すだけの焦りの世界に入りこんでしまうことで、

――ギリギリまで知らない方がよかった――

 という後悔の念に捉われることだろう。まさしく、知らぬが仏である。

 予備薬の研究に関わっていた人の中に、晃少年の祖父がいたことを、晃少年が知るはずもなかった。祖父は、晃少年が生まれる少し前に亡くなっていた。病死だということだったが、なぜか、祖父のことに触れる人は誰もいなかった。

 俊三は、自分が生きていた時代に予備薬の存在を知った。その頃になると、医学や薬学に従事している人であれば、ある程度の人も知っているほどの知名度になっていたからだったが、それでもまだ一部の大きな病院で使われているだけで、一般の個人病院が使用できるわけではなかった。

 薬自体の効果に問題はなかったが、やはり副作用に関しては、まだまだ問題もあった。精錬された薬になると、かなり副作用はなくなっていたが、そこまでの薬を開発するとなると、かなりコストがかかってしまい、薬としては、かなり高価なものであったのだ。

 それでも、薬自体の効果は抜群だった。

 晃少年の病気を治すのに、かなりの効果を示すに違いなかった。さすがに薬だけでは治せないだろう。何度か手術を受け、薬品投与を重ねることで、今は不治の病でも、今後は決して不治の病ではなくなってくるのだ。

 晃少年の祖父は、元々財閥の出身だったが、学生時代に医学を志したことがあったことで、予備薬への専門的な知識は少しは理解していたつもりだった。

 もちろん、副作用への危惧は他の医学者と同じ意識を持っていたし、実用化にはかなりの時間がかかるのも分かっていた。

 それでも、

「医学の進歩には必要なことだ」

 ということで、出資を惜しむことはなかった。

 ただ、予備薬開発は、最重要国家機密に属するほどで、もし、これがアメリカの開発だったら、FBIなどの秘密警察組織が裏で動いているほどの研究だった。

 祖父は、それも分かっているつもりだったが、どこかまだ甘い考えを持っていた。危機感がなかったと言えばそれまでだが、自分の意見が通ったり、研究者がもっと自由に研究できる環境が与えられていると思っていた。

 しかし、国家機密に属しているということは、完全に国家の意志に逆らっては、自らの存在をも危うくすることを分かっていない。それは、まるでサスペンス映画のような、綱渡りだったのだ。

 祖父は、出資だけしていればよかった。下手に首を突っ込まなければ、それでいいのだった。

 しかし、少し興味を持ってしまったため、機密漏えいに敏感になっている組織に目を付けられた。脅迫状が送られてくることもあったし、自ら危険な目に遭うこともあった。

 それでも、出資者を殺害できるほど、国家予算で賄えていたわけではない。一人でも多くの出資者を募らなければ、たちまち、立ち行かなくなる。しかも、出資は継続しなければいけない。出資者は、開発者と同等か、それ以上に貴重だったのである。

 ただ、そのために、祖父の回りではいろいろな災いがあった。もちろん、嫌がらせに過ぎないのだが、それだけでは済まないのが、国家ぐるみだった。

「執事の交通事故」

 これは、国家組織による、暗殺だった。

 もちろん、そのことを知っているのは祖父だけである。財閥である祖父にとって、出資のことを隠しておけない人は数限られていたが、祖父は執事にだけは話していた。

 執事はそれだけ、祖父から接待的な信用を得ていたし、他の人から悟られない人の中で一人だけ秘密を知っていてくれる人がいれば、最後に何かあっても、その人が行動してくれるという思いがあった。いわゆる「保険」という意味合いだった。

 だが、国家組織はそんな祖父の考えを見越していたのか、執事の殺害を敢行した。祖父は、その瞬間、

――もう、私は逃げられない――

 と腹をくくったのだが、執事の死を無駄にしてはいけないという思いも強かった。祖父の執事への思いの強さと、執事の祖父への従順な気持ちとが、見えない力となって、生まれ変わらせたのかも知れない。

 今の執事の意識の中に、記憶としては残っていないが、いつか芽生えるであろう意識として格納されていた。それにしても、その予備薬を使わなければいけない人間が身近に、しかも、それが自分の孫であるというのは、何という皮肉なことであろう。運命の導きというべきであろうか。

 幸か不幸か、祖父はそのことを知る前にこの世を去っていた。晃少年は生まれながらに因縁深い数奇の運命を担っていたのだ。

 晃少年の中に入りこんでいる俊三には、時間が経つにつれていろいろなことが分かってきた。分かってきたというよりも、発想としてはあまりにも奇抜なので、これが生き直しているわけでなく、普通に生きている人間であれば、こんな発想ができたとしても、それは「妄想」として片づけられたに違いない。

 晃少年の遺伝子に、祖父の意識が残っているようだった。父親の意識の方が強いものだったが、それ以上に祖父の意識が俊三には気になった。俊三も昔は予備薬について気になっていた一人だった。祖父がどれほど自分の人生の中で、予備薬というものの開発に携わっていたか、出資者と開発者としての立場は違えど、違うからこそ、今まで見えなかったことが見えてきたようで、晃少年の苦悩が今さらながら分かったような気がした。

 俊三は、執事のことも何となく分かる気がした。祖父の意識が晃少年の中にある遺伝子によって受け継がれたものであるのとは違い、執事のことは、晃少年が直接感じたことが基礎になっている。それだけに、祖父や父親の意識のようにおぼろげではあり、遺伝子のように間接的なものではない。

――あれだけポーカーフェイスで、自分の腹の内を絶対に悟られることのないような態度は、虫の入りこむ隙間すらない――

 誰もが、そう思うに違いないが、晃少年にとって、

――執事のように分かりやすい性格はない――

 と思えるのであった。

 その根拠は一体どこにあるのか俊三には分からなかったが、もし分かるのだとすれば、それは、

――波長が合う――

 ということではないのかと思えた。

 普通、

――相手の性格が手に取るように分かる――

 という時は、似たような性格の人に言えることが多いのだが、執事と似た性格であれば、まず相手のこtが分かるというのはありえないような気がした。

 もし、執事のような性格が自分にもあったら、知らず知らずのうちに、相手に自分を見られないような対策を施すに違いない。

――何、難しいことではない。まわりに自分を同化させ、自分の全体像を見せないようにすればいいだけだ――

 と思うからに違いなかった。

 晃少年が、執事のことを、

――分かりやすい――

 と感じたのは、まんざらでもない。執事には裏と表の性格が存在するが、それぞれの性格は一本である。そこから枝葉が伸びているが、それは一本の幹を悟られないようにするための見誤れるための工作にすぎなかった。他の人のように、性格の中にいくつもの線があって、その枝葉は毛細血管のように絡み合い、他の幹から伸びてきた線と、絡み合っているだけで、決して重なることのない性格の方が、よほど分かりにくいはずだった。

 それでも、分かったような気がするのは、人の性格を見る時に、全体から見るのではなく、見つめた一点から広げていく場合には、どちらが分かりやすいかというと、後者であった。

 後者の場合は時間はかかるが、地道に見ていれば、ある一点から先は、芋づる式に理解できるようになってくる。どうして理解できるのかというと、放射状に張り巡らされた毛細血管のような枝葉が、他の幹から伸びた毛細血管と決して重なることがないことからではないかと俊三は考えるようになっていた。

 もし、俊三が自分の人生だけを全うしていれば、死ぬまで分かることではないだろう。ここに「生き直している」という意味があり、俊三が晃少年の中で生き直している理由があるとすれば、このあたりにも秘密があるのではないだろうか?

 執事には、枝葉があっても、美貴は一本なので、交わらないようにできていても、元の幹まで辿り着くまでには、それほど時間が掛かるわけではなかった。ただ、他の人のように、一点から広げていくには、そこからが大変なことであった。

 執事のように、誰に対しても態度を変えることもなく、何があっても、それほど態度が変わるわけではない人の全体躁に辿り着くには、一点から広げていくには、無理がある。最初に全体像を思い浮かべてから、詳細に絞っていくことであればできなくもないが、それをさせないようにしているのは、態度を変化させることのない執事の性格によるものだった。

 性格というよりも、考え方と言った方が正解なのかも知れない。執事の誰に対しても態度を変えない姿勢には、明らかに執事の意図が含まれていて、また、意図がなければ、ここまで徹底した一つの幹を表に出すことはできないに違いない。

 執事のような性格の人は、自分の中にある幹が一本であることを、まわりに悟らせながら、一本気な性格通りの態度を示し続けないと、きっとまわりからは石ころのように、まったく目立つことのない性格に見られてしまうに違いない。

――こんなに存在感が強いのに――

 と、思うことは永遠にないだろう。

 しかし、執事のすごいところはそれだけではなかった。

 今のように、存在感を絶対的に強く表に曝け出しているのに、場合によっては、自分の存在感を、石ころのようにまったく消すこともできるのだった。そんな機会が今はないだけで、近い将来、俊三にも分かる時がやってくるのを、そのうちに疑問とともに、ジワジワ感じるようになることを今は知らないだけだった。

 それが執事の特徴でもあった。

 もっとも、俊三以外の人は、執事のまったく気配を消すことができるという性格を、無意識のうちに悟っていたようだ。

「執事というのは、いつでも影のように主人に仕えるものだからな」

 テレビドラマなどで、執事というと、自分を殺して主に仕える、

――黒子のような存在――

 だということを意識させられる。俊三には、それがまるで誰かの手によって洗脳されているように思えてならなかった。

――執事という仕事は、誰にでもできるものではない。選ばれた人間にしかできないものだ。そういう意味では世襲で橙受け継がれていく方が、よほど自然な気がしてくる――

 と感じた。

――執事は、まるで忍者のようだ――

 これが、生き直す前の俊三が感じていた意識だった。

 金持ちの家の独特な性格を代表しているのが、執事という存在であるかのように思っていたからで、今も昔も、俊三にとって執事というのは、一番分かりにくいタイプの人であることに違いはなかった。

 それなのに、今はしっつじのことがよく分かるような気がする。晃少年の遺伝子が教えてくれるのだ。

 晃少年の祖父が、交通事故で亡くなった執事のことをどれほど理解していたのかということを想像していると、

――交通事故で亡くなった執事は、自分の命が風前の灯であったことを、ずっと感じていたのではないか――

 と感じられるようになってきた。

 病気であれば、自分の身体のことなので、悟ることもできるであろうが、突発的な事故までは想像するのは難しい。自分の命が狙われているということを最初から悟っていたのでなければ、なかなか想像できるものではない。

 しかも、普通の人なら、

――そんな不吉なことを考えていると、余計に鬱状態に入りこんでしまって、あることないことで悩むことが、結局、自分の寿命を縮めてしまうことになる――

 と感じ、不吉なことを、余計なことだとして考えるようになり、余計なことを考えるだけ無駄であり、

――百害あって一利なし――

 と思うことだろう。

 その性格は楽天的ではなくとも、被害妄想である限り、どうしても自分に付きまとって離れないに違いない。

――無駄なことはしたくない――

 という、誰もが持っているであろう考えは、

――被害妄想に陥りたくない――

 という考えが招いたものであることを、どれだけの人が自覚しているだろうか。俊三も自分が生き直すことがなければ、知ることがなかったことなのかも知れない。

 しかし、一度分かってしまうと、これほど分かりやすい理屈もない。得てして、考え方というのは、見る角度を少し変えるだけで、まったく違ったものになってしまうことを今さらながらに知ったというのが実感だった。

 楽天的という意味では、交通事故で亡くなった執事ほど、楽天的に見えた人はいないと、祖父の遺伝子は教えてくれた。

 最初は、楽天的に見えるのは父親の遺伝子によるものだと思っていたが、最初に感じたのは祖父だったのだ。

 それも、父親が感じていた思いよりもかなり強いものがある。そのことに気付かなかったのは、先祖の遺伝子を手繰っていくには、一つの道しかなかった。途中を飛び越えて見ることは不可能であり、なぜならば、それだけたくさんの先祖の遺伝子が、自分の中にあることを分かっていたからだ。

 時系列を逆に手繰ってのだから、当然、最初は父親であり、その次に祖父になる。しかも、それはまるでテープの巻き戻しのようなものであるだけに、通常スピードでなければ理解できないことであるならば、生きてきた時間を遡るのだから、当然、時間が掛かって当たり前である。それを数倍速で理解しようとすると無理があり、ある一点に焦点を絞って、それ以外は数倍族で遡る。探しているその一点が見つかれば、その原点まで遡り、今度は、そこから通常スピードで、時系列に沿って見て行くことになるのだから、遺伝子を感じることができても、その遺伝子が何を教えてくれるかということを理解するまでがどれほど難しいことなのか、考えたこともなかった。

 ただ、そんなことを考えてしまっては、せっかくの力も足踏みしてしまう。こういうことは一気に理解してしまわないと、途中で立ち止まると、自分が彷徨ていることに気付かされて、そこで立ち往生してしまう。そのままどっちが前で後ろなのかも分からず、真っ暗な中、一歩踏み出せば、そこは断崖絶壁などという思いが生まれはしないかと思うと、恐ろしい。

 祖父や父親の遺伝子を、忠実に手繰っていけるのも、俊三だからである。

 晃少年であれば、きっと無理だったに違いない。自分の中に遺伝子が存在し、それが見えない力となって作用しているということは、無意識に晃少年にも分かっていたようだが、あくまでも無意識なため、意識することのないものとして、自分の中で分類している。一度、意識することのないものとして分類されれば、そこから意識に持って行くには、至難の業だ。できるとすれば、自分の中にいるもう一人の自分に委ねるしかないのだが、それも、もう一人の自分というものを意識しないとできないことだった。

 しかし、もう一人の自分を意識するということは、無意識に感じていることすべてが、もう一人の自分の力によるものだということを感じなければ無理がある。もう一人の自分を感じるのは、夢の中でしかできないことなので、物理的に遺伝子の詳細を知ることはできない。なぜなら、もう一人の自分の存在を意識できるのは、夢の中でしかないことを分かっているからだった。

 その思いは、

――当たらずとも遠からじ――

 と言ったところではないだろうか。

 自分の身体に他の人が入りこむことはできない。それは、もう一人の自分が、他の人の侵入を許さないからだ。

 だが、もう一人の自分の存在を、知っている人がいた。それも晃少年にとって、すぐに身近にである。

 それは誰あろう、今晃少年に仕えている執事だった。

 彼は交通事故に遭った執事と同じように楽天的な性格で、執事になるには、楽天的な性格を持ちあわせることが不可欠なのだと思わせた。

 晃少年に仕えている執事は、

――楽天的な性格だというのは、余計なことを考えないようにすることだ――

 と思っている。

 余計なことを考えないから、一貫した態度が取れるわけで、執事にとってマイナスと言える、

――プライド――

 であったり、

――目立ちたい――

 という性格は決して持ってはいけないものだと自覚していた。あくまでも主に仕える人間としては、自分を殺してでも、表に出ることをしてはいけなかった。

 そんな執事だからこそ、余計にもう一人の自分の存在を意識できたのかも知れない。しかも執事は、

――もう一人の自分の存在を意識できるのは、夢の中だけだ――

 ということを分かっているように思える。

 ということは、執事は現実社会を生きながら、

――自分は夢を見ているに違いない――

 と思っているようだ。

――現実世界と夢との境界線というのは、一体どこにあるというのだろう?

 そのことは執事だけでなく、人は誰でも一度は考えることである。それを考えることが無駄なことだと誰もが思っても、執事だけは無駄だとは思えない。思った瞬間に、自分の性格を否定してしまうことになるからだった。

 交通事故に遭った執事は、あっという間に死んでしまった。ひょっとすると、死んでから魂だけになった時、自分が死んだということを認識していなかったのかも知れない。死んでしまったことに気付かずにいるというのを想像してみると、想像できてしまう自分が怖かった。

 俊三は、自分が生き直していることを意識している。生まれ変わるのとでは、まったく違っているという意識もあった。

――生まれ変わるためには一度死ななければいけない――

 自分の魂は一つしかないのだから、自分が抜けてしまった身体は抜け殻になっているはずだ。そのためには死んでしまわないと、新しい肉体に入ることはできない。しかも、元々の自分が死んだその時に生まれた人に移ることで、生まれ変わったことになるのだ。

 生まれてすぐには、身体に魂は宿らない。その間隙をぬって、その人の中に入りこむのだから、乗り移ってから物心がつくまでに考えたことは、完全にその人の身体から抜けているのである。

 それを思うと、生まれてから物心がつくまでの間の記憶がまったくないのも理解できる。生まれて間もない頃なのだから、考える力を持っていないということで誰もが納得しているのも無理もないことだが、そのことに誰も疑問を抱くことがないというのも、考えてみれば不思議なことだった。

――自分の人生は一度キリで、他の人が冒すことのできないものだ――

 ということは当たり前のことのように思っているが、果たしてそうなのだろうか?

――この瞬間にも、何人の人が生まれてきて、そして何人の人が死んでいくというのか――

 ということを考えてみると、その中で、

――生まれ変わっている人――

 というのがいても、不思議のないことである。

 俊三は自分が誰かの生まれ変わりではないかということを考えたことはなかった。いや、考えたことがあったとして、忘れてしまっただけなのかも知れない。もし、そうだとすると、考えた時というのが、誰もが持っている人生のブラックボックスである、

――物心がつくまで――

 という時期だったのかも知れない。

 言葉も片言しか喋ることができない。後は泣きわめくか、喜びを表現するのに、奇声を発するかなどといった、考察の上での言葉ではない。

 一体何を言いたいのかなど、元々考えから出ている言葉ではないので、誰も真剣に考えようとはしない。考えるだけ無駄だからである。それよりも、表情や行動から何をしてほしいのかということを考える方が一般的だ。

 その時に、誰かが子供に入りこんでいたとしても、誰も気づかない。そんな発想すら浮かばないからだ。発想が浮かばないということは、信用していないからだと思われがちだが、逆に信用しようとして、信じられないという思いを抱いている人も少なくはない。そんな人に限って、

――こんな発想は自分しかしないだろう――

 と思っているに違いない。

 誰も想像もしないようなことを自分だけが考えていると思っていることほど、意外とその人にとって信憑性のあることだったりする。それだけに、否定してしまいたいという思いが自分の中にあり、無意識のうちに、

――こんなことは誰も思いつかないことだ――

 と思うことで、自分は他の人とは違うという優越感のようなものを感じるようになる。この感覚は、決してまわりの人に悟られてはいけないと思うことで、自己否定が強くなるのだ。

 自己否定などできるはずもない。それはまるで、ヘビが自分の身体を尻尾から食べていっているようなもので、そこから先を想像すると、矛盾が矛盾を呼び起こすことになってしまい、まるで異次元を表現する時に使われる、

――メビウスの輪――

 を想像させられる。

 ただ、その思いは、自分の発想の「堂々巡り」を繰り返らせることになる。

――「堂々巡り」とは、頭の中の矛盾を言葉にしたもので、形にしたものが、「メビウスの輪」という発想に繋がっているのかも知れない――

 と思えた。

 こんな発想は、晃少年の中に入らなければ思いつくことではなかった。晃少年は俊三にとって、

――生き直している身体――

 だと思っていたが、本当にそうなのか、次第に疑問に思えてきたのだった。

 最近俊三は、晃少年が自分の前世というものを思い浮かべながら生きていたことを感じるようになっていた。ハッキリと前世だという意識を最初から感じなかったのは、俊三が考えている前世と、晃少年が思い浮かべていた前世という概念が違っていたからなのかも知れない。

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