自殺探偵・希死念リョーコの事件簿

外清内ダク

いきなり首吊り殺人事件



 それは、嵐の夜のことだった。

 花椿はなつばき市郊外のマンションで、女性の死体が発見されたのだ。

 被害者はガイシャ青依あおい、24歳。

 第一発見者は、同じマンションに住む友人2名と、マンション管理人。

 通報を受けて駆けつけた警部は、状況を聞いて表情をけわしくした。

 死体が発見された時、部屋のドアにも窓にも、内側から鍵がかけられていたというのである。

「密室殺人か! これは難しいぞ……」


 と、そのとき。


「ご安心くださいッッッッ!!!」

 クソデカい声がマンションを根本から揺るがした。

「この声は!?」

「奴か!?」

「そうです彼女です!! 頭脳は天才! 心は病人! どんな事件も円満解決! 迷宮知らずの名探偵!! 拍手でお迎えくださいっ!

 自殺探偵・希死念きしねんリョーコさんの入場で―――――すっ!!!!」

 しかし、助手の肩にかつがれて入ってきた探偵は、

「死にたい……」

 目が完全に死んでいた。



   *



 自殺探偵、希死念きしねんリョーコ。

 彼女こそは、これまで数々の難事件を解決に導いた、日本屈指の名探偵である。

 ただし、心を病んでいる。

「ボクは情けない。殺人現場まで自力で来ることもできない。だからボクに事件解決なんかできるわけない。ボクは探偵失格だ。探偵ができないボクはクズだ。クズは死んだほうがいい。だからボクは死ぬべきだ。死のう……」

「死ぬなー!!」

 そそくさと首吊り準備を始める探偵リョーコ。

 それを必死の羽交はがい締めで止める助手、佐々江野ささえのココロ。

「リョーコさんっ! いきなり首吊りはやめてくださいよ!」

「いきなり死体を転がすのはミステリの基本……」

「探偵の死体を転がすミステリがありますか!! リョーコさんは事件を解決するほうでしょっ! ほらっ、現場ですよ、推理力の見せどころですよ、まず自分の足で立っ……てっ……よし! 立てた! えらい!! さすが!! 天才!!」

「天才……? ボクは天才……?」

「そうだ! 天才だ! リョーコさんはすごい! えらい! かわいい! 美人! メガネ! ナイスバディー!!」

「うへ……うへへへへぇ……!

 そんじゃ、ちょっくら犯人見つけたるかぁ〜……!」

 リョーコとココロのやりとりを見て、警官たちはドン引きしている。

「何アレ……?」

「探偵……?」

「警部ぅ、あんなのホントに頼りになるんですか……?」

 警部は、ゴリゴリ頭をかいた。

「ああ見えてもアイツの推理は本物だ。俺ァ何度も助けられてきたからな。

 ……リョーコさん! まず、事件の概要を説明しますよ」



   *



 殺人現場はマンションの3階、被害者本人が住む部屋。

 第一発見者は、同じマンションに住む被害者の友人2人と、マンションのオーナー兼管理人である。

 被害者の様子がおかしいことに気づいた友人たちが、管理人に相談。マスターキーで部屋に踏み込んだところ、玄関先にいきなり……

「でーん!! と、首吊り死体がぶら下がってたそうです」

 警部は説明しながら、玄関のドア上部にある金具を指さした。

 ここにロープを掛けて首吊りしていたらしい。確かにドア金具には、小柄な女性ならギリギリ首吊りできる程度の高さはある。

 助手ココロは首をかしげた。

「ってことは、これ殺人じゃなくて自殺では?」

「……自殺じゃないよ」

 探偵リョーコは玄関にしゃがみこんでボソリとつぶやいた。

「人間の肛門は、常に括約筋かつやくきんによって閉められている。

 人が死ぬと、この筋肉が緩む。

 特に首吊りの場合、重力に引かれて直腸の内容物が落ちてくるので……

 ようするに首吊り自殺すると、うんちが漏れて床を汚す」

「うっ……そうなんだ……詳しいですね、リョーコさん……」

「普段いろんな自殺法を検討してるから♥」

「どうして自殺について語るのに頬を赤らめるんです?」

「とにかく、床に汚れた痕跡はないよ。

 それは、死後硬直で肛門が閉まった後に吊り上げられたため。

 つまり……」

「殺害された後で、首吊り自殺に偽装されたってこと!?」

「うん」

「ところが、です」

 と、警部は頭をゴリゴリかきむしった。

「このマンションのエントランスはオートロック式。入るには暗証番号が必要で、監視カメラも設置されてます。

 その映像には、住人以外の出入りが全く映ってなかったんですよ……」

「えーっ!? じゃあ、犯人はどこから入ったの?」

「そこが問題です。この建物の1階廊下は、壁で完全に囲われていますから……

 エントランスを通らず侵入するなら、壁をよじ登って2階廊下へ入るくらいしか方法はありません。まるでスパイダーマンですな。

 というわけで、リョーコさん」

「あっ、ハイ、生きててすいません」

「誰も責めとりゃしませんよ。

 次は、遺体発見者たちの証言を聞いてもらえますか」



   *



 友人A、栄田えいだエイミの証言。

「えっと……私、殺された青依あおいちゃんの隣の部屋に住んでて……

 嵐で電車が止まって仕事が休みになったんで、今日は昼間からビーコちゃんと一緒に部屋飲みしてたんです。そうよね、ビーコちゃん……

 ああもう、ビーコちゃん、泣かないで、ね?」

 友人B、尾藤びとうビーコの証言。

「ひっく……えぅっ……ぐずっ……あのっ……エイミちゃんの言う通りでえっ……二人で飲んでたら……青依あおいちゃんから電話が来て……」

 助手ココロは熱心にメモを取りながらうなずく。

「電話? どんな内容でしたか?」

「なんかぁ……すごく暗い声でボソボソ言ってたから、よく聞き取れなくて……

 『どうしたの?』って聞いたら、『ごめんね、もう死ぬね』って……」

 そこまで話すと、尾藤びとうビーコは、わっと泣き出してしまった。

 その背をさすりながら、栄田えいだエイミが後を引き継ぐ。

「実は、こういうこと初めてじゃなかったんです。

 前にも、青依あおいちゃんが電車に飛び込もうとしたのを皆で必死に止めたことがあって……」

「つまり普段から自殺志向があったわけですか」

 それを聞くと、探偵リョーコは半泣きのままニヘラと頬を緩めた。

「共感できるぅ〜〜〜〜〜!」

「共感しないでくださいッ!

 止める方も大変なんですよ毎回!」

「ココロちゃんごめんね、ごめんね、いつもごめんね、ボクなんかのために……」

 ぼろぼろ泣き出す探偵リョーコ。その背中を抱いて「また始まった……」という顔で慰める助手ココロ。

 被害者の友人たちは「こいつ大丈夫か」とばかりに顔を見合わせている。

「えっと……それで、青依あおいちゃんの部屋に行ってノックしてみたんですけど、全く反応がなくて……」

「今度は本当にヤバいんじゃないかと思って、管理人さんに相談しに行ったんです」

 というわけで、マンション住み込みオーナー兼管理人、すが理人ただひとの証言。

「はい。みなさんが血相を変えて管理事務所まで来られたもんでね。あわててマスターキーを持ってきて、ドアを開けてみたら……

 デーン!! といきなり首吊り死体が目の前に!!

 それでもう、ビックリするやら恐ろしいやら……私らみんな逃げ出しちまいました」

「逃げ出した?」

 探偵リョーコが眼鏡の奥で目を光らせる。

 管理人は震えながらうなずき、

「ええ、そりゃあ、怖かったですもん。思い出しても震えが来るほどで……」

「ふーん。逃げましたか。そうですか……」



   *



 そこまで聞くと、探偵リョーコは遺体発見者たちから興味を失ったかのように、フラフラと殺害現場の部屋に戻ってしまった。

 その後を、助手ココロがちょこまかついて回る。

「リョーコさん? 証言はもういいんですか?」

「うん。解散してもらっていいよ」

「私思うんですけど、あの3人の誰かが犯人じゃないですかね!? 管理人とか怪しいですよ、マスターキーで部屋に入れるし!」

「それはないなあ」

「でもでも、突っ込んで聞いてみたら動機だって見つかるかもしれませんよ?」

「動機なんかどうでもいいよ」

 探偵リョーコは部屋に入ると、あっちを開き、こっちを探り、しきりに何か調べ始めた。

「動機なんか無くたって、人は簡単に人を殺す。

 逆に動機があったって、そう簡単に人なんて殺せない。

 つまり動機の有無は、なんの手がかりにもならないってこと。

 それに、あの3人には犯行が不可能な理由があるから……ここかな?」

 探偵リョーコは、クローゼットの戸を開けた。

 中には夏物の衣類がいっぱい。女性の一人暮らしく、どの衣服も同じサイズのレディースだ。

 と、リョーコが目をギラリと光らせる。クローゼット内の床に、コイン大の血痕を見つけたのだ。

「見っけ」

「血痕! どうしてこんなところに?」

 助手ココロは目を丸くする。探偵リョーコは彼女の疑問には答えず、またフラフラとよそへ行ってしまう。

「んー……てことは、このへんに……」

 ブツブツ言いながら、今度は洗面所のドアを開ける。

 洗面所に並ぶ洗面用具。洗顔料、化粧落とし、カミソリ、清潔なフェイスタオル、プラスチックのコップに、歯ブラシは赤と青の2本。

「……ココロちゃん」

 ちょいちょい、と探偵リョーコは助手を手招きした。助手ココロが近寄ってきて、リョーコの口元に耳を寄せる。リョーコの声があまりにも小さすぎて聞き取れなかったのだ。

「なんです? え? 鑑識さんに話を聞きたいけど、コミュ障だから声がかけられない……?

 はいはい、分かりましたよ。じゃあ今から私はリョーコさんの外付け発言装置です。

 鑑識さーん!!!! ちょっとお話うかがえますかー!!!??」

 声がデカい。隣りの探偵リョーコが突然の大音声でショック死しかけている。

 呼び声を聞きつけて、かなりベテランの鑑識官が、ひょっこりと2人の前に顔を出した。

「はいはい? なんでしょ?」

 探偵リョーコが聞きたいことを助手に耳打ちし、助手がそれをはきはき喋る。

「ひそひそ」

「えーっと、部屋の中の指紋は採りましたよね?」

「もちろん」

「ぼそぼそ」

「被害者以外の指紋が……たくさんあったんじゃないですか、って? たくさん?」

 鑑識官は驚きながらうなずく。

「そうなんですよ。よく分かりましたね。もう、そこらじゅうベタベタと指紋だらけで! まるで……」

「こしょこしょ」

「ひゃん!? もうっ、くすぐったいじゃないですかリョーコさん!

 ……え? まるで、何ヶ月も犯人がこの部屋に住んでたみたいだって?」

「そうなんです! すごいな探偵さんは。全部お見通しなので?」

 鑑識官にめられて、ニッチャァァ……! と粘着質の笑みを浮かべる探偵リョーコ。

 その顔が怖すぎて、鑑識官の愛想笑いも引きつってしまう。

「キヨッホー!」

 などと突如リョーコは奇声を発し、死にたい級のドン底メンタルから急転直下の超絶ハイテンションで部屋の外に飛び出した。

 向かった先は、マンションの廊下の端。非常口のドアの周りに警官が集まり、何か熱心に調べている。

「オイオイ君たちィー! ひょっとして非常口の鍵でも開いてたかぁい?」

「あ、探偵さん。

 そうなんですよ。非常階段に通じるドアが開いてました。

 外からピッキングされた形跡は無し……これは内側から開けたんですね」

「そっかあ……!

 うひっ……うひひひぃ……

 いいぞお……ボクほんとに天才かも……さすがボクぅ。うへっ、うひゃほはっ、うひへひゃこかかけきょけこけこ!!」

「リョーコさん!? 一体どうしたんです、急に飛び出して!?」

 慌てて助手ココロが追ってきた。探偵リョーコは、ココロに向けて親指を立てる。

「事件の全貌、見えちゃったよ、ボク」



   *



「それじゃあ謎の解決といこう、警部……」

 探偵リョーコは、警部を殺人現場の部屋へ呼びつけた。

 さっきまでのハイテンションで体力を使い果たしてしまったのか、リョーコは今にも嘔吐おうとしそうな酷い顔で、ソファにぐったりと沈み込んでいる。

 その顔を、警部が心配そうにのぞきこむ。

「そりゃありがたいですが、リョーコさん、大丈夫で……?」

「大丈夫……大丈夫……ボクは元気、ボクは元気、ボクは元気ボクは元気元気元気元気元気元元元元元元」

「あんまり大丈夫じゃなさそうですが……」

「なんとかがんばる……

 あのね、警部さん。

 そもそもこの事件は、密室殺人じゃないんだよ」

「えっ!?」

 警部が目を丸くする。ココロはリョーコの背中を優しくさすり続け、リョーコも懸命に吐き気をこらえて先を続けた。

「第一発見者の3人は、死体を見て逃げ出しちゃったんでしょ。

 そのとき部屋はからになっていた。

 その間にいくらでも逃げられる」

「あっ……!

 ってことは、死体が発見されたとき、犯人はまだこの部屋の中にいたと!?」

「正解。

 まず犯人はこの部屋の中で被害者を殺害。

 首吊り自殺を偽装して遺体を吊るしたあと、部屋の中に隠れた。

 隠れ場所はたぶん、そこのクローゼット。血痕が残ってたからね」

「むむ……!

 とするとリョーコさん、いくつかおかしな点が出てきませんか?」

「そう。3つの問題がある。

 1、エントランスの監視カメラに映ることなく、どうやって犯人がマンションに入ったか?

 2、どうやってマンションから出て、どこへ行ったか?

 そして3……被害者はどうやって友人へ電話をかけたか?」

「電話?」

「出来事の起きた時系列を考えてみれば分かる。

 被害者からの電話は、犯人の偽装工作の一部だったはず。

 とすれば、電話があった時点で、被害者はもう殺されていないとおかしい」

「そうか。死人が電話をかけられるはずはない……」

「仕掛けは単純。電話をかけたのは被害者ではなく、犯人だったんだよ」

「それは変だ! 別人が電話したのなら、友人が声で気づきそうなもんじゃないですか」

「そこで問題1について考えてみる。

 犯人は監視カメラに映らずにどう部屋に入ったか?

 実は、『映っていない』のではなく、『映っていたのに、誰もそうとは気づかなかった』のだとしたら……?」

「!?」

「部屋中にあった無数の指紋は、犯人が数ヶ月もこの部屋で暮らしていたことを示している。

 事実、洗面所には歯ブラシが2本ある。

 にもかかわらず、衣服は同じサイズの女性ものしか見当たらない。

 以上全ての条件を満足させる解答はただひとつ!」

 と、そのとき。

 警官が部屋に飛び込んできて、背筋をピンと伸ばして敬礼した。

「探偵さん!

 あなたの言葉通り、駅にいました!

 被害者と全く同じ顔をした女性です!!」

 探偵リョーコは青ざめた顔で『へへぇ……!』と笑う。

「そう……

 犯人と被害者は、双子の姉妹だったんだよ!」



   *



 犯人ガイシャ赤李あかりは、近くの駅ホームで途方に暮れているところを確保された。

 犯人は、被害者の部屋を出た後、非常口を内側から開けて非常階段でマンションを脱出。

 そのまま駅に向かい、電車で逃亡をはかろうとしたようだが、この日は嵐で交通機関が完全に麻痺しており、足止めを食っていたのだった。

 雑な自殺偽装、大ざっぱな隠れ場所、歯ブラシや指紋を残していく気配りのいたらなさから見て、おそらく衝動的な犯行であろう。となれば逃走経路も深く考えていないはず……と読んだ探偵リョーコの推測通りだった。

 確保された犯人は、ぽつぽつと犯行動機や後悔の念などを供述しているということだが、探偵リョーコは、その部分には全く興味がないようだ。



   *



 かくして、またひとつの事件が探偵リョーコの推理によって解決した。

 しかし、まだひとつ大きな謎が残されている。

 助手ココロは、どうしてあんな精神状態の探偵リョーコを、わざわざ殺人現場に担いできてまで推理をやらせるのだろうか?

 それには重大で切実な理由があった。

 事件が解決したとみるや、助手ココロは現場を駆け回った。

 警部、警官、鑑識官など、その場にいるあらゆる人々に、なにやらひそひそと耳打ちして回る。

 そして、探偵リョーコがソファでぐったりしているのを見ると、警察官たちに目配せして、

「せーのっ」

 と声をかける。

 すると警察官たちは一斉に歓声をあげた。

「うおー!! すごいぞ探偵リョーコ!!」

「またしても円満解決!!」

「さすが名探偵!」

「迷宮知らず!!」

「リョーコさん天才!!」

「リョーコさんはすごい!!」

「えっ……」

 まわりから雨あられと浴びせられる称賛の声。リョーコの顔に、少しずつ血の気が戻ってくる。

「リョーコさんすごい!!」

「リョーコさんえらい!!」

「リョーコさんは天ッ才ッ!!」

「素敵!!」

「美人!!」

「ノーベル賞!!」

 にへらぁぁ〜〜〜〜〜っ……

 と、リョーコの頬が緩んでいく。

 そう。これこそ、助手ココロが探偵リョーコを事件に引っ張り出す理由。

 なにかにつけて死にたがるリョーコに、称賛の雨を浴びせて、生きる気力を取り戻させようというのだ。

 今まで希死念慮きしねんりょ(死にたい気持ち)がMAXになるたびに、この方法でギリギリ自殺を食い止めてきたのである!

 そんなココロの意図を知ってか知らずか、探偵リョーコはとろけるような笑顔を見せる。

「もうちょっとだけ……

 生きてみてもいいかも〜〜〜〜〜〜っ!!」



 こうして、ひとまずリョーコの命は繋がった。

 だが彼女に希死念慮きしねんりょがある限り、何度でも推理は冴えるだろう。

 がんばれリョーコ!

 負けるなリョーコ!

 リョーコが再び死にたくなるまで、あと3日――!



THE END.

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