携帯が鳴るまで、あと少し
けろけろ
第1話 携帯が鳴るまで、あと少し
朝倉達哉は悩んでいた。
自宅であるワンルームマンションの一室、パソコンデスクの前。椅子に全体重を預け机の上に足を放り出し、眺めているのは天井ばかり。
「……どーすっかなぁ」
どのくらい悩んでいるかといえば、いつも真面目な勤務態度の達哉が、仮病を使って二日間お休みしてしまうくらい。なので、かなり悩んでいると言えた。
「なんでかなぁ、俺は女子アナみたいなタイプが好きなんだよね……頭良さそうだし、しかも清純派っての? それに……って、誰に言い訳してるんだよ!」
達哉はぎしっと椅子を鳴らし、先日の情事を思い出す。いかにも遊び人風な知り合いと、贔屓の飲み屋で偶然会って――べろべろに酔っ払い、アラサー同士わりと意気投合して、という。まぁいい年こいた大人なら、やっちまったなぁというレベルの事で。平たく言えば、良くある話。
「いやまぁ、自分がソレをやるとは、とんと考えていなかったんだけど……はぁ、どうするかな」
相手は名前と勤め先だけ知っている程度の女性。次に飲み屋で会った時、どんな顔どんな対応をするかというのが、大人の腕の見せ所。何事もなくすっかり覚えてないって風でスルー出来たら、誰も褒めてはくれないだろうが自分にしては上出来だろう。それで相手に同じ対応をされたら少々傷つくのもお互い様。ちくりちくりとした痛みは、酒か他の体温か日にち薬で治せばいい。そこまで行けば万々歳。
「あっ、なーんか納得したわ。うん、これでいいんじゃないの?」
達哉は独り頷くと、だらしなく組んでいた足を机上から下ろした。ちょっと考え疲れて糖分が欲しくなったのだ。なので、冷蔵庫のイチゴ牛乳までぺたりぺたりと歩く。
「いやー、この状況で飲む甘い物は最高だよなぁ。柄にも無く考えすぎちゃったから格別に染み渡りそう」
一リットルパックからグラスにも注がす、達哉はそのままごくごくと飲み干す。冷たい甘みは咽喉にも腹にも気持ちよく、達哉は満足して飲み残しを冷蔵庫に仕舞おうと──した所で、びくっと震えた。
けたたましい騒音。
何かと思えば、パソコンデスクの上に置いた、達哉の携帯が元気良く鳴り響いている。
「……っ!」
無視したっていいのに達哉は慌てて携帯を取ろうとした。あまりに焦っていたのかイチゴ牛乳を取り落とし、さらに牛乳パックを踏んで滑って、べちょっと突っ伏す。
「いてぇなこの野郎!」
床に出来た水溜りならぬイチゴ牛乳溜まりを物ともせず、達哉は携帯をぐわっと掴んだ。相手は非通知、イタズラ電話か悪徳セールスかもしれない。それでも。
「も、もしもしっ! どなた様っ!」
携帯の向こうは無言だった。耳を澄ますと微かに喧騒が聞こえたので、どうやら道端からの通話らしい。
「あのー、もしもし?」
無言は続く。普段ならとっくに切ってしまうが──。
「もしかして、近藤さん、か?」
「……う、うん。ごめんね、朝倉、さん」
遠慮がちな近藤さんの声を聞き、達哉は一気に沸騰する。先ほど立てた計画やらシミュレーションは綺麗さっぱり吹き飛んで、軽口さえも出て来ない。
それはお互い様らしく、果たして通話の意味があるのかと思うくらい、これでもかと無言は続いた。
だが、そのうち。
近藤さんの、飲み屋の態度からは想像もつかない様な、か細い声が降って来る。
「……し、仕事、出来ちゃったから……これで」
「待っ……! 近藤さん、腰の具合は──」
そこでぶつっと通話は途切れる。達哉は自分の頭を一発殴った。
「腰の具合って! もっと言いようあるでしょ俺! もっとこう……繊細な表現が! って、アラサーなのよ俺ら! 繊細じゃなくていいじゃない!」
もう一発自分を殴って、達哉は電話帳を広げた。近藤さんが勤める会社は知っていたので、代表電話に掛けてみる。すると、すぐに受付らしき女性が出た。
「あっ、あのー、すみません、近藤恵さん居ます? こちら朝倉と申しますが、すぐ連絡を取りたいので彼女の携帯電話の番号をですね――あ、駄目? コジンジョウホウってやつ? はいはい、はいどうもー」
ピ、と携帯を切り、達哉は溜息をついた。今まで気づかなかったが、こちらから連絡を取るのすら難しい事が判明したのだ。
「……でも待てよ? なんで近藤さんが俺の番号を知ってるわけ? もしかして飲み屋経由なんじゃないの?」
お互いが通う飲み屋では、なぜ近藤さんの番号が欲しいか追求されるかもしれない。しかし達哉は恥を忍んで、そのルートを使ってみた。
でも。
「……電源が入ってないか電波が、そうですか……」
己の胸にぐっさり刺さった杭を感じ、達哉はだらだらと冷や汗をかいた。どうでもいいと思っていたはずが、一体どこからこうなったのか。
本当は連絡を待っていたんじゃないか?
思ったよりもずっと近藤さんの事が大事だったんじゃないか?
どうでもいいフリはただの保険だったんじゃないか?
向こうからの電話一本で、なりふり構っていられなくなったんじゃないか?
自分の中で一問一答。
「あ~! そういう事かぁ!」
答えに気づいてしまった達哉は、携帯を睨んだ。
鳴れ。
鳴れ。
鳴っちまえ。
しかし都合よく鳴りはしない。達哉は携帯に向かって話しかけた。
「近藤さん、あんたはどう思ってんの? さっき連絡くれたって事は、期待しちゃっていいんだよね? 俺、気づいたからにはぐいぐい押しちゃうよ?」
──携帯が鳴るまで、あと少し。
携帯が鳴るまで、あと少し けろけろ @suwakichi
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