猫の挨拶を
お父様からランハート様との遠出の許可が出た。
やったーっ!と手をあげてくるくると踊り出したいところを、必死に我慢していると、お父様達から笑われてしまった。
視察は長期休みに行く事になっている。長期休みの前にある物、それは試験。
ランハート様とのお泊りデー・・、いや、視察に心置きなく行く為には試験も最低でも五位以内に留めておきたい。
試験勉強や視察の準備で忙しくしていた為、ランハート様とは手紙のやり取りが主になっていた。学園で顔を合わせる事も少なかったが、それでも、ランハート様は手渡しで手紙を持って来てくれる。
「ソフィー嬢、もうすぐ試験ですね。体調は崩されていませんか?」
「ランハート様、お手紙有難うございます。あの、ランハート様に会えるのはとても嬉しいのですけれど、忙しい時に手紙も直接頂いて、無理をさせていませんか?」
私がそう訊ねると、ランハート様は少し驚いた顔をして、ニコリと笑った。
「私が会いたくて来ているんです。それに時間は作ればどうにでもなります。まあ、私はもう少し試験勉強を頑張らないといけませんが」
ああ。好き。
はははと笑ったランハート様はクラス役員の会議に呼ばれて忙しく出て行かれたのだけれど、その少しの間、会いに来てくれたのがとても嬉しかった。
そして試験が数日後に迫った日、私は天気も良いので学園の中庭で歴史の勉強をしようとベンチに座っていると。スカートが引っ張られた。
「あら」
本から目を離し、下に目を向けると白と黒のブチ猫がスカートをちょいちょいと触っていた。
「あなたは」
本を脇に避けてまじまじと見ていると、ぴょんっと私の膝の上に乗ってきた。
「きゃあ!」
驚き、小さく声が出たが、猫は一度くるりと回るとそのままストンと丸くなってしまった。
「あなた、ここで、寝てしまうの?私の膝はベッドではないのよ。あなた、やっぱり木から降りられなかった子猫さんではないかしら?」
一年程前に白と黒のブチの子猫が木から降りられなくなってミーミー鳴いていたのをランハート様が引っかかれながら助けていたのだ。
間違いない気がする。学園であれから猫を何回か見たけれど、白と黒の柄は見た事がない。きっとこの子だけだと思う。
「元気だったのね。良かったわ」
ゆっくりと私が手を伸ばして、背中を撫でると、一瞬ぴくっと動いたがその後は耳が動くだけだった。
「ふふふ。あなた、良い子ね。撫でさせてくれるの?」
ふわふわで温かい。座られた膝からも、程よい重さと温かさが伝わってくる。
暫くなでていると、猫は耳をピクっと動かして顔を急に上げた。
「どうしたの?」
ひげをピクっと動かして、遠くを見ているようだが誰もいない。
「猫さん?」
私が呼びかけると、猫は「ナー」と一声鳴いて、背伸びをすると私の鼻にツンっと自分の鼻を付けてトンっと膝から降りた。
「まあ!」
今のは何かしら?猫さんの挨拶?鼻にちゅっとされたわ。
猫は地面に下りるともう一度伸びをして「ナー」と鳴くと走り去ってしまった。
「行ってしまったわ」
猫が消えた方を見ていると、後ろから「ソフィー嬢」と声が掛かった。
「ランハート様」
愛しい人の声はすぐに分かる。
振り向きながら答え、急いで立ち上がろうとすると、ランハート様は手で静止して私の隣に座った。
「ランハート様、御機嫌よう」
「ソフィー嬢、御機嫌よう。ソフィー嬢、誰かと喋っていましたか?声が聞こえましたが」
「ふふ。可愛い猫さんが膝の上に乗ってこられたのですよ。驚きましたが、とても愛らしいのですね」
「膝?」
「ええ、くるっと丸くなって眠っていましたの。耳が時々動いて、撫でると、ぴくっとひげが動いたり。とても可愛かったですわ。ランハート様、以前、猫を助けていたでしょう?多分、あの子猫が大きくなったのだと思いますわ」
「ああ。あの子猫ですか」
「ええ。大きくなっていて、もう子猫ではありませんでしたけれど。ふふふ。猫って可愛いのですね」
私がそう言うと、ランハート様もにっこりと笑われた。
「ソフィー嬢の方が可愛らしい」
「え?」
ポンっと私の顔が赤くなると、ランハート様の手が私の髪をサラリと触った。
「ソフィー嬢は全てが愛らしいですよ」
「・・・。ランハート様」
「ははは。ソフィー嬢が話していたのが猫でよかった。ヤキモチを焼いてしまう所です」
「まあ!ランハート様がヤキモチですか?」
「ええ。猫を撫でられたと聞いて、羨ましいと思うほどには」
「ふふふ。ランハート様が宜しければいくらでも撫でてさしあげますわ。こうやって」
ランハート様の髪を触って頭を撫でると、私の髪よりも大分硬く、真っすぐな事が分かった。
よしよしと撫でていると、ランハート様が黙っているのに気付いた。
「あら?ランハート様?」
ランハート様は片手で口元を覆っていた。
「ソフィー嬢、思いのほか、恥ずかしい事に気付きました」
やだ。ランハート様が可愛い。
最高に格好良いのに、その上可愛いだなんて。
もう、ドギューンっと胸を撃ち抜かれて、私は少しおかしくなってしまった。
「ふふふ。ランハート様、とっても可愛いです」
そう言って、ランハート様の素敵な鼻に自分の鼻をチョンっとくっつけた。
「!!!!」
「ふふふ。先程、猫さんの挨拶を教えて頂きましたの」
自分の鼻を触ってランハート様の鼻を指さすと、ランハート様は口元を覆ったまま蹲ってしまわれた。
「あら。ランハート様?」
「ソフィー嬢・・・。ちょっと。ちょっとだけ、こうさせておいて下さい・・・・」
「はい。あ、私、ランハート様にお願いがございますの。手を繋いでも宜しいですか?」
「・・・・はい」
「ふふ、嬉しいですわ」
私は猫さんは何処に行ったのかしら、と辺りを見回したが見つける事は出来なかった。
そして、ランハート様に手を繋ごうと自分から言えて、これからもこうやって手を繋ごうと言えばいいのね、と、とても幸せな気持ちに包まれていた。
********
時を少しだけ戻そう。
ソフィーが中庭にやって来た所から、ソフィーの信者達はソフィーの勉強の邪魔にならないようにと誰も中庭には近寄らず、遠くから、二階から、また三階からとソフィーを眺めている者は大勢いた。
「猫と戯れる女神。最高でしたわ」
「俺、猫になりたい」
「あの猫、やりますわね」
「ソフィー様、動物もお好きなのね」
皆がうっとりとソフィーと猫を見ていたその時、噂の婚約者がソフィーの下へと駆け付けたのだ。
「あら。ソフィー様の婚約者様だわ」
「地味な方と有名な」
「ああ、地味だけど、良い男だ」
「クラス役員をやってて成績も優秀だと聞いた。地味だけれど」
二人が並んで座り、にこやかに微笑み合う姿は不思議と絵になった。
「不思議ですわ、ソフィー様が何倍も輝いて見えますわ」
「うん、俺、目がおかしいのかな、キラキラして見える」
「大丈夫だ。俺にも見える」
「は!見て!」
ソフィーがランハートに手を伸ばし、ランハートの髪を触り、嬉しそうに頭を撫でたのだ。
「な!!!」
「く!!!」
「はう!!!」
「ごふ!!!」
ランハートが固まり、ソフィーが輝く様に笑うと、二人を眺めていた信者達も崩れ落ちた。
「す、すごい破壊力だわ」
「なんてことなの」
「俺、猫になりたい」
「は!なんてこと!!」
胸や鼻を押さえていた者達に一人の勇者が皆に声を掛けた。
「皆さん!!」
その時、ソフィーの顔が口元を抑えていたランハートに近づいて離れたのだ。そして、ランハートは固まり、崩れおちた。
「「「「「「!!!!!!!」」」」」
「・・・・・・・」
「見ました」
「見ましたわ」
「ええ。しっかりと」
「瞬き厳禁ですわ」
「ああ」
「凄いな。婚約者殿、生きてるか?」
「俺、猫になりたい」
その後、学園では白と黒のブチ猫を見るとその日恋人と上手くいくというジンクスが生まれたのだった。
美しい令嬢の心の内側はポーカーフェイスで隠します サトウアラレ @satou-arare
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