人魚になった少女

前回の「人魚に助けられた少女」の後編です。


ミサキとアイトラーの再会から5年。

当初はお互い頻繁に会っていたが、次第にその機会は少なくなっていく。

アイトラーは「彼女にも都合がある。仕方ない」と思いつつ、それでも心配だった。

何か嫌な予感も抱いていたから…。


そんなある日。アイトラーが海から顔を出すと、柵に囲まれた崖の上で佇むミサキを見つけた。

人間である彼女は、すっかり少女から女性に成長している。


(ミサキちゃん…?)


しかしミサキの様子がおかしい。遠くから見てもひどく悲しそうにしているのがわかった。

彼女の気を和ませようと考えたアイトラーは岩に座るとオカリナを取り出し、慣れた手つきと息遣いで音楽を奏でる。


(この音楽は…!)


ミサキはハッとし、音のした方に顔を向ける。

崖の下でアイトラーがオカリナを吹いていた。

その音色に、心が少し安らいだ。


(アイトラーさん…私のために…)


アイトラーはミサキと目が合うと演奏を止め、彼女に微笑んだ。

つられてミサキも笑みを浮かべる。




人間態になり、ミサキのいる所へ駆けつけるアイトラー。


「久しぶり、アイトラーさん」

「最後に会ったのは数年も前…だな」

「ごめんなさい…最近、ずっと忙しかったの」

「…立ちっぱなしもなんだから、ちょっと座って話そうか」


二人は近くにあったベンチに座り込む。


「ミサキちゃん、大丈夫か?なんだか元気なさそうだったから」

「さっきは、私を励まそうとしてくれたんだよね…ありがとう」

「ううん、どういたしまして。でも一体どうしたんだ?話したくなかったら、無理には聞かないけど…」

「いや…アイトラーさんには打ち明けようと思うの」


そう言ってミサキが話し始めた事は、アイトラーの想像を超える悲惨なものだった。


両親が旅行先の事故で亡くなった事。

その後一緒に暮らし始めた親戚の夫婦とはそりが合わず、いじめられている事。

「あんたの両親、とんだ不幸者ね。せっかくの楽しい旅行先で事故るなんて」

「親切に引き取ってあげたんだから、家事くらい一通りやってくれなきゃ」

「買い物を頼んだ時以外、ふらふらと出歩くなよ」

「私達は出かけるから、お前は留守番を頼む」

「でもあんたのお土産は買うつもりないから、変な期待しなくていいからね」

両親が亡くなり親戚との暮らしが始まってからは、こんな日々の繰り返しだった。

そして今は親戚が外出していて一人の時間が出来たおかげで、ここにいるという。


ミサキの境遇に、アイトラーは呆然とするしかなかった。


「…俺が知らない間に、君がそんな辛い思いをしてたなんて」

「本当にね…自分でも信じられないくらい不幸続きになっちゃった」


思い詰めた顔で目を閉じたミサキは、涙をこぼしながら言う


「もうお父さんとお母さんがいない事も、あの家で暮らす事も耐えられない…!だから…」


後に続いたミサキの言葉は意外なものだった。


「いっそ私も…人魚になりたい。そしてアイトラーさんや、アイトラーさんの家族や仲間と、ずっと一緒に暮らしたい!」

「ミサキちゃん…」

「聞いた事があるの。

 …ずっと昔、海の女神様が海に沈んで死んでしまった夫婦を哀れに思い、人魚として生まれ変わらせたって言い伝え…それが人魚という種族の始まりだって。あなた達人魚が実在するんだから、その女神様もいるはず。

お願いアイトラーさん!その女神様に私を会わせて!そして私を人間から人魚にしてって頼みたいの…!」


必死にそう言うミサキは、まるで恋をした人間の王子に近づきたくなったがために、自分も人間になりたいと望んだ人魚姫のようだった。




両親が亡くなり、親戚から除け者にされる日々に嫌気がさし、いっそ人魚になってアイトラー達と海で暮らしたいと言ったミサキ。

だが別の種族に生まれ変わり、まったく違う環境で暮らし始めるというのは、そう単純な話ではない。

アイトラーはどうすればいいかわからず、ミサキに


「俺には上手く答えを出せない…ごめん」


と謝る事しか出来ない。


「あ…私こそ、急にごめんなさい!こんな話をしても、アイトラーさんが困るだけなのに…」

「ミサキちゃんも謝る事ないよ。…そろそろ、俺は帰るね」

「うん…またね、アイトラーさん」


アイトラーは人魚の姿に戻り、海へ帰っていく。

海に潜っても、彼女の悲痛な声と涙が頭から離れないアイトラーだった。




アイトラーは普段過ごしている海よりも更に深くを泳ぎ、女神ユーラメールのいる神殿に向かった。彼女にミサキの一件を相談するためだ。

ユーラメールは世界に海が出来た日に誕生し、それから何億年もの間海を守り続けているという。

「人魚」という種族を生み出し、すべての海の生物が快適に暮らせるよう世界全体の海を浄化しているなど、その力は計り知れない。


「…女神様」

『アイトラーですね…事情は、海を通じて察しています。

あなたと仲良くしている人間の少女が、人魚になりたいと望んでいる…そうですね?』


やはり女神はすべてをお見通しだ。


「はい…それで、彼女に会っていただけますか?」

『もちろん、そのつもりです』




翌朝。アイトラーは魔法を使ってミサキに手紙を送った。


「…?これは…」


ミサキがベッドから起き上がると、布団の上には一枚の手紙が。

開いてみると、


『ミサキちゃんへ

昨日は中途半端に話を終わらせてごめん。考える時間が欲しかったんだ。

夜になったら、あのベンチのある所まで来てほしい。

アイトラー』


まるで告白の返事を待つラブレターの様だが、そういう物ではないとミサキにはわかっていた。




手紙を受け取った日の夜。月と星々がいつもより輝いて見えた。

家の玄関を閉め、歩き出そうとした時、ミサキは一度だけ振り向いた。


(私はもう二度とここには戻らないだろう…)


そんな気がしながら家をあとにし、再び足を進める。




「…待ってたよ。ミサキちゃん」


ミサキが手紙に書かれていた場所へ行くと、そこには神妙な顔つきをした人間態のアイトラーと、どこか只者ではない…かといって怖いわけでもない、不思議なオーラをまとった美しい女性がいた。

初対面だがミサキにはわかった。この人が海の女神様なのだと。


女神はミサキに目線を向け、口を開く。


『初めまして、ミサキさん。あなたが「人魚になりたいと望んだ人間」だと、アイトラーから聞きました』

「はい…」

『私の力なら可能ですが、これには条件があります。それでも意志が揺らがなければ、あなたを完全な人魚にしましょう』

「…わかりました」


女神が言う条件とは。


『人が一人消息を絶つ事で起こりうる騒動と混乱を避けるため、地上であなたを知る人間達の記憶を書き換えます。あなたが人魚になると同時に、あなたを知る者はいなくなります』


これは特に厳しい条件ではないな…とミサキは思った。

もう両親はいないし、親戚からはひどい扱いをされていた。あの人達に忘れられるなら、むしろせいせいする。

しかし二つ目の条件は…。


『そして、あなた自身もすべて忘れるのです。人間だった頃の記憶を』

「!!」


それが何を意味するか、ミサキは理解した。


『あなたの記憶も消す理由は、転生による身体の構造や寿命、住む環境の変化にすぐ適応出来るようにするため。そして嫌な思い出も忘れられます。…同時に大切な人、楽しい思い出も忘れてしまいますが』


そう言われてミサキの頭に浮かんできたのは、大好きだった両親。

墓参りに行く事も、両親との思い出を振り返る事も出来なくなる。

更にアイトラーを始めとした仲良くなった人魚達の事も、一度忘れてしまう。

それでも…


「…構いません。もう決心しています。確かに人間としての良い思い出もたくさんありましたが…すべて断ち切ります」


女神は頷いた。


『意志の強さはわかりました。あなたを正式に人魚にします』


女神がミサキに手をかざすと、彼女の体が光を纏う。


『その状態で海へ飛び込むのです。目を覚ました時、あなたは記憶を失くし、完全な人魚となっています。人魚としての新たな人生を歩むあなたに幸あれ…』


と言うと、女神はその場から消えていった。


アイトラーはミサキに問いかける。


「…よく決めたな、ミサキちゃん」

「うん。アイトラーさん、私が人魚になったら、改めてよろしくね」

「ああ…」


それ以上は何も言わず、アイトラーも海へ帰っていった。

崖の上には、人魚となる準備の整ったミサキだけが残される。




すべてを忘れて人間を辞めるなど、本来は簡単に決断出来るものではない。

しかし引き留める未練が「思い出の中の両親」だけでは足りない程に、彼女は心が疲れていた。


(お父さん、お母さん…ごめんなさい。私がそっちに行くのは何百年も先になるの。しかも全部忘れちゃう。家族の事、人間の自分の事も…。私が私じゃなくなるのを、許してね)


柵をよじ登り、目を閉じる。


「…さようなら」


親戚、両親、そして自分自身へ言ったものか…。

その言葉を最後に、彼女は海に身を投げた。


水面に残された浮かぶ帽子を、月明かりが静かに照らしていた。







海の底にて。人魚に転生した直後で気を失っているミサキを見つけたアイトラー。

そっと起こしてあげると、彼女はゆっくり目を開けた。


「大丈夫か?」

「………あ。私ったら、こんな所で寝てたのね。ありがとうございます、『見ず知らずの』私を起こしてくれて」


転生と同時に人間の記憶が消えたミサキ。

人魚達とは『二度目の初めまして』となった。


「…いえ、どういたしまして」


目の前の彼女は、もう自分が知っているミサキではないのだと痛感するアイトラーだった。




澄んだ海には、美しい人魚達が仲良く暮らしている。


そのうちの一人が『地上の人々から忘れられ、自身もかつての記憶を捨てて、人魚になった元人間の女性』である事を知ってるのは、ごく一部の人魚と海の女神だけである。


女神の加護を受けて、今日も彼女は仲間と幸せに暮らしている。

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神秘の人魚族 紫川ころる @colorfulfancy

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