最終話 夏祭り、大人になって
「ただいま~」
お母さんの声が聞こえて、私は記憶の旅から帰ってくる。
みんなが靴を脱いでいる音が聞こえ、ほっとする。
手に持った酎ハイはいつの間にか飲み干していた。
お母さんはリビングに入ってくるなり目を輝かせて忙しく話し始める。
「なんで帰ってくるって言ってくれないのよも~、おかえり~、何飲んでるの~」
買ってきた物を冷蔵庫に片付けもせず、近くに座って怒涛の勢いで話すものだから私は苦笑いをしてしまう。お母さんはその顔に気づき「なによその顔は~」と言うものの、「それでね」と気にせずに話していた。
お父さんはそんなお母さんに気圧され、小声で「おお、おかえり」と言ってテーブルの方に座り、こちらをちらちらとを窺いながらスマホをいじり始めた。
おばあちゃんは「おかえり。帰って来てくれてありがとうね」と私に微笑み、2階の自室に上がっていく。膝が悪いと言っていたがまだ階段を上れるようで安心した。
お母さんは、私の同級生の誰々が結婚したらしいだとか、あの小学校は統合されてしまっただとか、昔よく使ってたお店が潰れただとか、話したいことが沢山あったみたいだ。たまに電話もするけど、直接だと話がどんどんと湧き出してくるようで、お父さんとあまり話ができてないのかな?と勘ぐってしまう。
子供のいない3人暮らしは想像すると寂しそうで、これからはちょくちょく帰って来ることを静かに決めた。それかペットでも飼えば何か変わるかな?
途中からぼーっとしていたら、お母さんが「それで明日の夏祭りだけど、一緒に行かない?」と聞いて来た。私は「いやぁいいよ」と答えるが、どうやら私が帰って来ることになったから「家族みんなで行こうか」とお父さんが言い始めたらしい。
それでお父さんはこちらをちらちらと窺っていたのか。そんなことを言われると行かざるを得ない。どうせ暇だしいいか。お母さんは「そう?残念ね。気が変わったら言ってね」と言って次の話題に移る。お父さんは寂しそうにキッチンへ行き冷蔵庫を覗いている。どうやらお腹が空いてきたようだ。
お父さんが魚肉ソーセージを取り出して冷蔵庫の扉を閉めたとき、その音を聞いてお母さんは「いけない、晩ご飯作らなくちゃ」とキッチンへ行ってしまう。そして、冷蔵庫の前で魚肉ソーセージを開けるのに手間取っていたお父さんは、お母さんに魚肉ソーセージを取り上げられて冷蔵庫に戻されてしまう。
なんだかかんだ仲良くやっていそうで安心した。
夏祭りか。誰かに会えるかな。誰かに連絡してみようかな。
ん?誰かって誰だ?
誰とも何年も会っていないし、結婚したあの子に連絡するのも迷惑だろし、昔みたいには話せないだろうし、県外に行った人も多いだろう。
あの中の何人がこの街に残っているんだろうか。
誰かの記憶の中に私はまだ残っているんだろうか。
メッセージアプリの友達欄をスクロールしているとおばあちゃんがやってきて「先に荷物でも片づけてきなさいな」と言う。
私は「わかった」と答え、素直に荷物を片付けに自分の部屋に向かう。
部屋に入り電気とエアコンを点ける。
部屋はあの頃のままだった。彼と取ったクマさんもベッドの上で微笑んでいる。
思い出すと、あの夏の残りはとても退屈だった。「彼とはどうなったの?」と友達に何度も聞かれたが、「何もないよ~」とホントのことを答えるしかなかった。
私は彼からの連絡をずっと待っていた。
そして、待っているうちに夏休みが終わってしまった。
一緒に海へ行った日の夜も、とうとうメッセージを送ることができなかった。
思えば連絡はいつも彼からだった。私からは連絡しなかった。できなかった。
彼も私からの連絡を待っていたのかな……。
でも、今更だよね。
卒業式までは私も少しは足掻いていた。普段から積極的に話しかけ、バレンタインには手作りチョコを机の中にこっそり入れた。ホワイトデーのお返しは卒業式の日に貰った。
ケーキ屋さんのクッキーに短い手紙が添えられていて、そこには「また連絡するから」と書いてあった気がする。もう8年も連絡は来ていないけれど、そのことを思い出すたびに彼のアイコンを探してしまう。
その卒業式が彼との最後の思い出だ。
私の恋はどこで間違たのか、運命だったのか、いつの間にか消えてしまった。
お別れが決まり、沢山泣いて、時が流れ、いつの間にか終わった。
どれもこれも何度も考えたこと。後悔だらけの私の青春の全部だ。
高校生になってからこれまで、告白も数回受けたことがある。でも、彼のことが頭にチラつき、全て断ってしまった。頭のすみっこに彼がいるのに付き合うのは不誠実だと思ったし、彼から連絡があったときに困ってしまう。
彼からの連絡なんてありえない。頭では分かっている。だけどいつまでも彼のことを考えていた。彼だけが私の中の恋心の全部。
こんなこと考えるなんて重くて面倒くさい女だし、なんなら子供みたいだ。
でも、忘れられないし仕方ないじゃん。一途っていいことじゃん。
って、誰に言い訳してるんだろう。
翌日、お昼ご飯を食べてるところでお母さんが話しかけてくる。
「今日は夜どうするの?一緒に行く?」
「ん-、行くよ。浴衣の着方も覚えないとね」
そう答えるとお父さんは隠しきれないくらい笑顔になっていた。嘘や隠し事ができないのはずっと変わっていない。
おばあちゃんは「もう黒も似合うかもしれないわね」と笑顔だ。
黒か、あのとき着たかった浴衣だ。大人っぽくて素敵だった。
おばあちゃんも認めるくらい私のエスカレーターは進んでしまったみたいだ。
私だけ浴衣を着て家族4人で神社まで赴く。
神社の空気はあの頃のままで、”夏祭りに来たな”という感じがする。
盆踊り会場の奥に机と椅子が並んでいたのでみんなで座り、お父さんが買ってきたタコ焼きやベビーカステラを食べ、みんなで盆踊りに参加した。
久しぶりでもやっぱり家族は家族だ。思っていたより満喫できた。
最後に花火を見ていると「おじいちゃんとの思い出の花火が孫との思い出にもなるなんて、すごく幸せな人生だわ」とおばあちゃんが溢すので、私は「来年も見ようよ」と言う。来年のことなんて分からないけど、少なくとも今は帰ってきたいと思っている。時間は有限だ。帰れるときには帰った方が良いだろう。
最後の花火が打ち上がる。あの夏の花火は特別に大きかったみたいだ。
今年の最後の花火は10発くらいが同時に咲いて終わった。
鮮やかで煌びやかな花火も全て数秒で燃え尽き、切なさがこみ上げる。
花火以外の何かが燃え尽きたような、終わりを迎えたような、そんな感じ。
会場は明るくなり、数分すると帰る人の波ができる。
その中に中学の頃友達だった子を見つけた。
あの日駐輪場で目が合った男の子と手を繋いで歩いていた。
もうすっかり大人になり、綺麗になっていた。
私の心はあの頃のままで、私だけ取り残されているように感じる。
私の心にはモヤがかかり「ちょっと一人で遠回りして帰るね」と家族に伝える。
お母さんは「だめよ、最近は物騒なんだから」と言うが、お父さんは「わかった、遅くならないように気を付けてな」と言ってくれる。私は「ありがと」と言い残し、遠回りをしてあの河川敷の公園に向かう。
何かを取り戻せる気がして。何かを期待して。
ひょっとすると私は今日、家を出る前からあの公園に向かうことを決めていたのかもしれない。高校生の頃からできればあの道は通りたくないと思って避けてきた道だったけれど、今日はなぜか頭から離れなかった。感傷に浸りすぎて脳がふやけておかしくなってしまったのだろうか。あそこに行ったからといって何かあるわけでもないのに。
あのときと同じ満月。蛙が盛大に鳴いて夜風は生温い。
土手は綺麗に舗装されて歩きやすくなったが、車がよく通るようになってしまった。あまり車の通らない寂しさが良かったのにな。
懐かしい公園が見えてきて立ち止まる。流石に誰もいないか。
立ち止まって初めて、少し前のめり歩いていたことに気づく。
もう8年も経ったのにこんなに浮ついていたなんて。私の中の中学生の私はまだ熱を失っていないみたいだ。
でも、もうこの恋も潮時だ。他人からすれば、夏休み明けに机の中から発見されたパンのような、冬の茶色く濁ったプールみたいな、そんなものだろう。
そろそろ忘れてしまわなければ、私はずっとあの夏に生きることになる。
はぁ。ため息をついて階段を下りる。
ブランコに乗ってみる。遊具なんていつぶりだろう。体はブランコの漕ぎ方を覚えていた。ブランコを漕ぐと意外と涼しく、その涼風に子供の自分が梳かされていく。
これで、私もやっと大人になれるのかな。
今度告白してくれた人にはいい返事でもしてみようか。
ブランコは少し漕ぐと飽きる。私も大人になったものだ。
”そろそろ帰ろう”そう思って階段を上りかけたとき、誰かがビニール袋をシャカシャカと鳴らしながら土手を歩いてくるのに気づく。コンビニ帰りだろうか。
街灯の下を歩く姿は男性のようだ。
あの背筋の伸びた特徴的な歩き方には見覚えがある。
心臓の鼓動が少しだけ早くなり、私はどんどん中学生の頃の私に戻っていく。
私が階段の上の方まで来るとその男性はこちら気づき、ちらりとこちらを見る。
2人の距離は5mくらい。月明かりだと顔はぼんやりとしている。
男性の方からは私の顔は見えているのだろうか。
その男の人が少しの間こちらをよく見る仕草をする。
でも、そのまま歩いて行ってしまった。
顔ははっきり見えないだろうし、あれから何年も経っている。私は化粧を覚えて浴衣も大人っぽいものを着ている。簡単には気づけないだろう。
でも、気づいて欲しかったな。
顔ははっきり見えなかったけど、たぶん彼だった。
背も伸びて体つきも筋肉質で大人になっていたが、空気感はあの頃のままだった。
今、どんな生活をしているのだろうか。
追いかけて話しかけてみようか。なんて話しかけよう。
また、できもしないことを妄想している。
結局彼とは反対方向に歩き、家に帰って来た。
自分からは何もできない私は、やっぱりあの頃のままだった。
何年経ってもこのままだろう。
動画サイトで猫たちが戯れるのを眺めながら酎ハイを飲む。
歳を重ねて覚えたのはお酒だけ。
これまでの私の人生には何も残らなかった。
唯一残ったのは青い春の苦い記憶だけ。
どうして私の人生、つまらなくなっちゃったかなぁ。酔って卒業アルバムを開き、無邪気な笑顔の私を見つける。
せっかくお祭りの後なのに、自分の人生を思い返してネガティブになってしまう。大事なところで一歩踏み出せない私はずっとこんなつまらない人生なんだろな。もしかしたら今日、土手で彼とすれ違ったときが自分を変えられる最後のチャンスだったのかもしれない。
だとすれば私の人生はあの夏でピークだった。私はこのまま、楽しいことも嬉しいこともなく人生を終えるのだろうか。
憂鬱に浸っているとLINEの通知が入った。
”彼かな?”という考えがすぐに浮かび、なかなか大人にはなれないなと苦笑いが出てしまう。誰からか気になるが、もう気にしないことにしようと決め、スマホは伏せたままにした。彼からだったらいいなぁ。
ああ、あの頃に戻りたい。
置いていかないでよ、みんな。
私はまだ、あの夏にいるのに。
-完-
まだあの夏にいる。 もうつあるふぁ @moutsuarufa
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