仙人の湯

西順

仙人の湯

「疲れた顔しているなあ」


 会社のPCとにらめっこしていると、そう言って先輩が俺の汚いデスクにコーヒーを差し入れてくれた。


「あざっす」


 感謝して俺はコーヒーを口にする。はあ。この苦味良いよね。目が覚める。そんな事を思いながら、俺は肩をバキバキ鳴らした。


「ずいぶん凝っているな?」


 先輩が空いている椅子に腰掛けながら、そう尋ねてくる。


「そうなんですよ。ここの所、疲れが抜けなくって」


「眠れないのか?」


「いえ、家に帰ったらぐっすりっすよ」


「ちゃんと飯食っているのか?」


「はあ、まあ、コンビニ飯っすね」


「まあ、男の一人暮らしなんてそうなるよな」


 先輩は俺を思ってか、何やら思案している。


「風呂には入っているのか?」


「いやあ、シャワーで済ませてますねえ」


「ふ〜ん……。お前、電車、俺と同じ方向だったよな?」


「? はい、先輩の駅の二つ前ですね?」


「良し! じゃあ、今日は俺に付き合え。悪いようにはしないから」


 ええ? それって先輩の駅まで行かなきゃいけないって事? 面倒臭いなあ。


 俺は面倒臭い事が嫌いだ。掃除や洗濯も面倒だから、家の中は散らかり放題。食事なんてコンビニ飯で良いし、風呂よりシャワー派なのだ。それなのに、仕事帰りに二つ先の駅まで付き合わなくちゃいけないなんて、面倒臭いったらない。


 それでも先輩の誘いを断り切れなかった俺は、先輩が普段から利用している駅へと降り立った。駅前は普通のベッドタウンって感じだ。ここに何があると言うのか。高名な整体師でもいて、俺のバキバキの身体をすっきりさせてくれると言うなら、それほど嬉しい事はないが。


「ここだ」


 が、先輩が連れてきたのは、外見は少し大きな5階建て程の建物である。流行っているのか、老若男女問わず入口を絶えず出入りしている。入口にはこんな看板が掲げられていた。


「『仙人の湯』?」


「ここはスーパー銭湯だ」


「スーパー銭湯?」


 そう言えば昔にそんなものが流行ったのを覚えている。俺が小学生の頃に父が一時ハマって、毎週末家族で通っていた。


「今時? って思ったろ?」


 ドキッとした。顔に出ていたらしい。


「スーパー銭湯は良いぞ。広い風呂ではのんびり出来るし、サウナもある。食事処もネットカフェも併設されているしな。仮眠室もあるから、24時間利用可能なんだぞ」


「はあ」


 乗り気じゃなかった俺だったが、結果から言えば大ハマリした。広い風呂でのんびりすると、日頃の疲れが解けていくのを実感したし、サウナと水風呂を交互に入って、整うのも気持ち良い。風呂から上がると、水泳の授業の後のような程良い倦怠感を感じられ、食事処では栄養バランスの考えられた和洋中の食事が供される。ここは楽園か?


 俺は一発でこのスーパー銭湯の虜となり、すぐにこの駅近くに引っ越し、仕事帰りにスーパー銭湯に立ち寄る事が、俺の日課となった。そして朝もここに立ち寄るのが日課となり、そして俺は当然の如くスーパー銭湯の会員となったのだ。


 会員特典は年パスでこのスーパー銭湯が使い放題になる事だ。風呂も入り放題、食事も食べ放題だ。更には着替え用の個室兼個人ロッカーまで使用可能になるのだ。このロッカー、設定しておくと荷物をこのロッカーに宅配してくれるので、宅配便との行き違いがなくなり便利だ。そして何よりも着替え用の個室である。


 俺は朝起きるとTシャツ短パンで家を出て、スーパー銭湯でひとっ風呂浴びてから、個室でスーツに着替えて出勤。仕事を終えて退勤するとスーパー銭湯に立ち寄り、のんびりその日の疲れを癒やすと、またTシャツ短パンに着替えて家に帰るのだ。


 こんな事が出来るのも、このスーパー銭湯にクリーニング店まで併設されているからだ。会員特典でクリーニング店も使い放題で、その日着た服をクリーニング店に預けると、会員の場合、クリーニングが終わった服を、着替え用の個室に仕舞っておいてくれるのだ。ありがたいサービスだ。なので俺は家にあった殆どの服をこのスーパー銭湯の個室に移動させて、着替えはクリーニング店に預けて洗濯して貰う生活をしている。


 休日にはネットカフェのPCで映画やアニメを視聴したり、マンガを読んだりしていたが、その内このスーパー銭湯にフィットネスジムが併設され、そこで身体を鍛えたりするようになり、気付けば俺はスーパー銭湯の仮眠室で寝るようになり、自宅に帰らなくなっていた。


 仕事も在宅ワークに変え、スーパー銭湯のフリースペースで仕事をするようになり、俺はスーパー銭湯から外に出なくなっていた。


 俺がスーパー銭湯から出なくなって何年経っただろうか? 気付けば店内ではロボットが掃除をしたり食事を配膳したり、人間とロボットで働く割合は半々になっていた。


 更に数年後、スーパー銭湯の店員は全てロボットに成り代わり、店内で見掛ける人間は、俺と同時期にスーパー銭湯内で在宅ワークを始めた人間だけになっていた。外から人間がやって来なくなったのだ。宅配便にしても、ロボットが配達してくる。そう言えばここ何年も窓の外は霞がかっており、よくよく外の景色を眺めていなかった。スーパー銭湯の外の世界は、今どうなっているのだろうか?

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仙人の湯 西順 @nisijun624

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