第35話 復刊 人工知能

「人工知能って怖いよね。何か文学が人工知能に取られそうで」

 町屋良平さんの作品に人工知能を題材にした作品もあった。確か、あれは人工知能が才能のある少年の作品を盗んだように書き進めるストーリーだった。恐ろしい。

「ミツルは人工知能についてどう思う?」

「俺?」

 ミツルはあっけらかんと言った。

「さあ、何のために書くのか、ぶれなければいいんじゃないか」

 ごもっともだった。

「人工知能が怖いと思う私もいるよ」

 実際、本音だった。

「人工知能って怖いし、脅威だし」

 人工知能って怖い。

「何だかんだって言って小説を嫌いにはなれないんだよね。どんなに過去に酷いことを書いても、物語、という可能性を失いたくないという僕もいるんだ。多くの作家も駆け出しのころは失敗もするし、変な勘違いもするだろうよ。人間だから失敗するし、それはどんなにすごい文才を持った人間も同じだと思う」

 記者会見前の煮え返る熱気に私は押されそうになりながら、すし詰めの部屋の隅っこに着地した。記者会見が始まった、と分かったのはその喧噪に魔が差し込んだときだった。

 新倉蒼が車椅子に惹かれたまま、俯き加減に登壇した。ニュースでは腰を粉砕骨折し、もう二度と歩けなくなったという。カメラの白銀のフラッシュがこれでもか、とたかれる。眩しい。それにしても眩しい。発光で目がジュクジュクする。ものもらいでしたのかな。

「新倉蒼さん。では」

 アナウンスの声が恬淡と聞こえる。ああ、もはやスターの面影はない、と残酷な事実に暮れそうになった。

「皆さん、この度は申し訳ありません」

 十八歳の新倉蒼さんは何と頭が白かったのだ。ストレスで髪の毛が真っ白になったのだろう。あまりにもの凋落ぶりに私は愕然とする。

「僕のことを責めるのは当たり前です。しかし、伯父のことを責めないでほしいです」

 カメラがフラッシュし続ける。スマートフォンの中継の反応を見る。

「僕が伯父の代わりに新人賞に応募したのはずっと落選続きだった伯父を驚かせ、喜ばせるためだったんです。僕の年齢で応募したらいいところまで行くんじゃないか、と浅はかな期待をしたんです。良くても一次選考が関の山だと思っていました。まさか入選するなんて微塵も思わなかったんです」

 新倉蒼さんの思いもよらぬ懺悔に視線は釘付けになる。

「僕の年齢で判断された伯父の作品、『月虹のアイリス』はご存じの通り、受賞しました。担当編集者にも言えず、僕はとうとう隠し通していました。そのことで多大な迷惑をかけてすみませんでした」

 ……結局は年齢だけで選ぶ新人賞の弊害なのだ。最近、性被害の告発が取り上げられているけど、目に見えないところで本当の哀しみは避けて通れないのかもしれない。

「すみません! 今回の騒動で何か感想は?」

 さらに追い打ちをかけるような記者会見に咽喉が締め付けられる。自分のことじゃないのに痛みを覚える心理ってどんな名称がつくのだろう。

「伯父の作品を嫌いにならないでください」

 心臓さえもロープで縛られているような錯覚に陥る。

「僕を責めても構いません。けど、伯父は何も悪くありません。僕だけが悪いんです」

 何度も深く、深く、お辞儀する。

「では、磐崎柚葉さん」

 不意打ちのように壇上にあの人が現れた。

「磐崎柚葉さん、どうぞ」

 磐崎柚葉さんは一気に老け込んだように思えた。白髪が増え、変わり果てた姿だった。新倉蒼を激賞した磐崎柚葉はこの騒動でいちばん、叩かれ、炎上していたからだ。最近、メディアでも出演したことがめっきり減ったものの、久方ぶりの登場にマスコミは絵に描いたようにざわつく。

「磐崎柚葉さん! いちばん、責任があるのはあなたじゃないですか!」

 怒号に近い質問に私は吐きたくなった。

「やめてよ!」

 私はいつの間にか、移動し、叫んでいた。

「みんな、自分自身が謝るのはあるじゃないの。何で、そんなに自分が正義を司る神にでもなったんだよ。もうやめようよ……」

 震えるような声で言う私。やばい。パニックになった。ああ、これはパニックじゃない心からの叫びだ。

「確か、あなたは女子高校生作家だった佐野友里さんだよね?」

 視線は私に注がれる。同じように凋落した高校生作家として、意見が喉から手が出るほど欲しいのだろう。その嬉々としたような目線にも軽蔑ではない悲しい瞳孔の影があった。

「佐野さん、あなたはあの後、ずっと入院していたんだろう?」

 ネットにも散々、書かれているし、最近では私の悲惨な転落劇にアンチだった人さえ同情されるようになった。その周知の事実に私ははい、と訴える。

「磐崎柚葉さんにあなたは酷評され、それが引き金になって入院したんでしょう。磐崎柚葉さんについてどう思いますか?」

「私はもう、失うものはありません」

 毅然とした態度で言えたか、分からないけど、よくぞここまで言えた、と私は鼓舞する。

「もういいんです。過去は過去ですから。磐崎柚葉さんに憎しみはありません。私は復活しようと合田編集長にコンタクトを取ってくれたのが作家・磐崎柚葉ですから」

 会場が静まり返る。息がきつい。

「私は復活しに来ました。畏れ多いですが」

 やっと言いたいことが言えたと思えたとき、拍子抜けするほど、私は一安心していた。

「もう私は憎まなくていいんです」

 拍手の音が聞こえる。新倉蒼さんも、磐崎柚葉さんも、その他大勢の記者の皆さんも拍手を送っている。ああ、やっと本音で言えたな、と地獄の淵から生還したとき、肩でミツルが繰り返している。

「浩二さんの『月虹のアイリス』の復刊が決まったニュースだ」

 前方で合田編集長が手招いている。ああ、私は地獄の淵から帰還したのだ、とその光景を見て判断した。


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下読み判官小説 業が深い物書きを求む。 詩歩子 @hotarubukuro

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