甘い果実

雨月 史

第1話 黄金色の月

何が起きたのかちっともわからなかった。


ただ僕の目の前に莉乃りのが呆然と立っていた。


そのうち立っているのも辛くなってその場に倒れ込んで道端に寝転んだ。

そうしたら大きな満月が僕にスポットライトを当てるように光を放っていた。

普段は都会のネオンの光が優闇ゆうやみを照らしていつも月はこんなにも美しく見えない見えないはずなのに……。

ここが木々に囲まれた神社だからだろうか?


そうか今日は……満月か……。


今宵の黄金色の月は赤みを帯びたまるで良く熟れた果実のようで……目が霞んできたせいか、甘く熟した金色の果物の雫が滴り落ちるように都会の闇におぼろんでいた。




。。。。。。


なんとなく迎える朝。

なんとなくつけられたテレビ。

華やかな女性キャスターと、

各所の専門コメンテーターたちが、

今日も現実味のない世界の話をはじめる。


「では今日のトップニュースです。

昨日神奈川県川崎市の路地裏で男性が血を流して倒れているという通報があり、男性は駆けつけた警察官の連絡で救急搬送されましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。警察によると男性は胸から腹にかけて、滅多刺しにされており……」


そこに眠気まなこの莉乃が起きてきた。



「おはよう。最近多いね、こうゆうの。」

とTVの前に座り込み近視持ちの目を極限まで細めて内容を見入っている。


「あー痴情のもつれってやつかな……。」


朝ごはんの目玉焼きを皿に盛り付けて。安物の食パンにケチャップととろけるチーズをのせる。


「あっわたしジャムにする。林檎のやつね……。まーねわかるよ。いかれる気持ちはね。私だって悠太が浮気したらショックで怒りと悲しみで立ち直れないかもしれない……。だけどね……ナイフで刺し殺すって……しかも滅多刺し。あーこわー。」


と首を左右に振りながらゆっくりと立ち上がった。



「そうだね。ご飯にしよう。早く着替えておいで。」



それから寝起きすっぴんである事を思い出したのか、顔を半分手で隠して恥ずかしそうにしながら、


「いつもありがとう!早く着替えてくるし、ちょっと待っていてね。」


と足早に洗面所に向かった。

朝が弱い莉乃。

だから朝のご飯は僕の担当だ。

そのかわり、僕が仕事に向かうと洗濯や夜ご飯は毎日当然の様にしてくれる。

毎朝ほとんど変わり映えしない朝食を文句も言わずに食べてくれる。

そうして僕たち夫婦の一日は毎日同じルーティンを繰り返していた。



「お待たせー。食べよー。」



20分ほど待ってすっかりお化粧した彼女が食卓につくそのタイミングで、レンジで温められたホットミルクをトレーにのせて、そのわずか1分後にトーストの焼き上がる音がなる。こんがり焼き色の付いたチーズトーストと、浅く焼き色のついたトースト。僕は良く焼くのが好きだし、彼女はサクッとふわっとが好みだ。

それから二人で手を合わせて。


「いただきます。」

「いただきます。」


と食事を始める。


「来週の話だけどね。金曜日の帰り何時になるかわからないし、先に寝ていてね。」


そういえばパート先の飲み会があると言ってたなー。本当は気が進まないけど……。



「あのなんだったかな、吉村って男の人も来るんでしょう?その飲み会……やっぱり行くの?」



僕には少し気がかりな事があった。


「まーね。会社の飲み会だしね。それに私はお酒飲まないから大丈夫よ。だいたい吉村さんは変な事しないよ。誠実な人だよ。」



はー……人の気も知らないで。



。。。。。


吉村という男の存在を知ったのは一ヶ月ほど前だ。見るつもりなかったのだが莉乃がお風呂に行ってる時に彼女のスマホが点滅したので、ついホーム画面を見てしまったのだ。


「今日は話を聞いてくれてありがとう。また明日も頑張りましょう。」



話?なんの話だよ?

仕事?ではなさそうだけどな。

聞くべきか?

それとも知らんぷりするべきか?

もしくは見なかった事にして自分の記憶から抹消するか……悩んで悩んで悩み倒して……結局耐えきれなくなって……。


「なー莉乃?吉村さんて誰?」


と風呂から上がった莉乃にダイレクトに聞いた。けれども彼女は悪びれもなく、

乾かしたての髪をブラシでときながらこちらも見ずにスマホを手にしながら答えた。


「あー職場の社員さんよ。管理課の人だから私の直属の上司になるかな……って?悠太、

スマホ勝手に見たの?」


どうやらスマホに入ったメッセージを見て感づいたようだ。



「見たっていうか……光っていたからつい、その…なんだろうってね。ホーム画面見ただけだよ。パスワード知らないしね。だって大事な連絡なら莉乃が困るだろう?……悪かったとは思うけど……その…話って何?なんとなく仕事じゃなさそうだけど?」



「え?あー私と机がね隣なのよ吉村さん。それで休憩時間になんか……奥さんの事?少し愚痴ってきたからさ聞いていただけよ。」



もうそれだけでその男に対して、嫌悪感しか感じなかった。


「莉乃……気をつけた方がいいよ。莉乃に気がなくても男って、スキを狙って入り込んでくるんだよ?」



「何それ……?ありえないよ。私そんなにモテる女じゃないしね……それに吉村さん真面目な人だよ。だからなんか奥さんの自分対する態度が気に入らないみたい。真面目に仕事して帰ってきても、全然ご飯とか作らないみたい。それから子供の事で少し悩んでみたいよ。だから……まー私はアドバイスできる様な事はないけどね、うちは子供いないし、

でも聞くだけならいいかなー?って。おかしい?」



おかしいに決まってる!!というか、気に入らない。吉村という男がどうこうも気に入らないが、莉乃がそいつを庇う事が尚更気に食わなかった。



「おかしい……かどうかはわからないけど、

でも気をつけた方がいいよ。莉乃は少し男をわかってないから……。」



「えー?じゃー悠太も私と喧嘩したら他の話聞いてくれそうな女の人見つけて、浮気してやろう?とか思うわけ?」



「いや……俺はしないよ。でも……」



「だったら大丈夫よ。吉村さんて少し悠太みたいな感じだから……。悠太がしないならきっとそんな事はないって。」



俺と一緒にすんなよ……。

それがまた気に入らなかったけど……。


「大丈夫だって。私、悠太がいないと死んじゃうよ。それくらい悠太が好きだから。裏切るなんてあり得ない。」



そう言って僕の体に擦り寄ってきた。

彼女のその甘えた態度と歳の割に若々しく、

可愛らしい甘えた声に僕はすっかり怒る気を無くしてしまった。そのままご飯も食べずに風呂上がりの莉乃を抱き寄せて唇を重ねた。ネットリと感触を確かめ合いながら舌を絡めた。いつもより少し長い口付けのあと、そのままソファーに彼女を押し倒して、甘い目で見つめる彼女の服に手をかけた。


「もー……駄目だよ。今お風呂入ったところだよ?」



「いいじゃん後でもう一度一緒にはいろう。」


無性に莉乃が欲しくてたまらなくなった。

何か他の物に目をつけられたような、

自分の大事な物に唾を吐きかけられたような、少し汚されたようなそんな気分だった。

彼女の首筋に、キスをして、耳たぶを唇で噛み、顎のラインを撫でる様に唇まで優しく噛み舐めて、それから深く濃厚なキスをした。



そうして僕は莉乃が僕の物であると安心して、その話は彼女の言う言葉を信じる事に決めた。本当は喉につかえながらも、その日の晩のビールと一緒に飲み込んだのだ。

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