第3話 甘い果実
「それで?」
本当は辛くて辛くたまらないのに、
僕は冷たい声で莉乃にそう言った。
「え……あー……その…ごめんなさい。」
「いや…謝られても……。」
「最初はね……いつもの通り奥さんの愚痴がはじまったの。会社では彼の恐妻話は有名だからね。みんなには影では尻に敷かれてるなんて言ってる。だからいつものやつがまた始まった……という感じで、みんな少しずつ席から離れていったの。そしたらなんだか可哀想になって……それで聞いてあげていたの。」
本当は真実なんて聞きたくなかった……でも僕には彼女が嘘をついてまで、ご飯の誘いに乗ろうとした事が納得出来なかった。
「奥さんのこと聞いていたら、あの人どんどんお酒が進んでね……。」
あの人とかいうのがまた気に食わなずつい舌打ち。
「あ、私はのんでないよ。ずっとカルピス。それでフラフラになって、そしたら部長がね駅まで送ってやってくれよなんて言うから……。その……断らなかったのよ。」
「いや断れよ!!その部長あたまおかしいんじゃない?普通パートの女性に男の社員送らすか?お前が送れよ!!」
全ての出来事に腹が立った。
怒りで
それで思わず声を少し荒げて言ってしまった。その低い声を聞いて莉乃が少し怯えた目でこちらを見る。
「吉村さん会社やめるんだって。それでなんだか少し寂しい気持ちになって……そうしたら、もの寂しそうな目で私を見て、高瀬さんみたいな可愛くて、僕の話を聞いてくれる奥さんだったら良かったのに。て言われて……なんだかどう言って良いかわからないけれど……その……怒らないで聞いてくれる?」
寒気がした。
怒りよりも気持ちが悪くなってきた。
自分でも、怒りなのか?妬みなのか?悲しみなのか?とにかく感情がいったいどの方向をむいているのか頭と心の整理がつかなくなっていた。
莉乃は先程はまで怯えた顔をしていたのに、
少しこちらの様子を伺うように、
そして理解を求めるように莉乃は言った。
ここまで来たら聞かないという選択肢はなかった。
「うん。怒らないよ。」
と冷めた声でそう言った。
「そうしたらなんだか、気分が高揚してしまってね、私求められてるんだなーって……。
そのまま私を抱きしめたの……。でも誤解しないでね。私本当に吉村さんの事なんて好きじゃないのよ。私は悠太が……。」
「バン!!!」
聞いているのが耐えきれなくなって、
グーで思いきり石作りの朱い鳥居を叩いた。
「ごめん……。もう言わない方が良い?」
「いや……。」
聞きたくなかった。
でももう聞かないわけにはいかなかった。
「うまく言えないけど……甘い囁きってよくいうじゃない……。あれって本当なの……
『彼の甘い囁きで乾いていた私の心を潤うように思えた。きれいな林檎の実のような私の心は、その狂わす様な甘い言葉で、よく熟れた甘い果実の様にじゅくじゅくに腐っていき、甘い汁を
私はあきらかにどうかしていた。自分の価値観を満たされて。抱きしめられて耳元でずっと莉乃ちゃんと一緒にいたいって言われた。そうしたなんかおかしな気分になって……。
なんだかすごく求められている事に、
満たされてしまったのよ。そうしたら私が彼の話を聞いてあげなければならない気がして……。それでそのあと唇に……」
「やめろ!!!」
と再度鳥居を殴った。
絶望感しかなかった。
なんなんだいったい。
莉乃は何がしたいんだ?
俺の何が悪いんだ?
俺はいつだって莉乃の為に
俺はいつだって莉乃の事を想って……。
くそーくそーくそー!!
さっきはなんと無く加減したけど、
今度は全く加減出来ずに握り拳が赤く滲んだ。その流れる赤い液体を見ながら妙に冷静な気持ちになった。
こんな話は嘘に決まってる。
こんな話はあってはならない。
こんな話は……。
無かった事にしなければならない。
莉乃をたぶらかした男を、
ぶん殴ってやりたい……いや……
いっそこの世から消してしまいたい。
「教えて。」
「え?」
「教えろよそいつの住んでるところ、もしくは電話番号。」
先程までの怒りの声は、
恐ろしい殺意の含んだ冷たい声になる。
「それは……。」
「出来ないんだ。じゃーもう終わりだね。」
「悠太。私は……悠太が好きだよ。ずっと一緒にいたい。」
「どういう神経??お前も気が狂った?
俺には全く理解できないよ……。」
もう一緒にいる事に耐えられなかった。
それだけ言うと小走りで後ろも振り向かずに神社を飛び出した。涙で前が見えなかった。
バン!!!
何かとぶつかった。
ひどく転がって荷物が散乱した。
慌てて起き上がって荷物を拾った。
よく見ると青っぽいシャツを着た長い髪の女の人が倒れている。
しまった……。
さっきのは人とぶつかったんだ。
「すいません。」
けれどもその女は自分についた汚れを払うとゆっくりと立ち上がりこちらも見ずに手荷物を拾って神社の境内に歩いて行った。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって。」と口でごもごもと呟きながら、
妙に腹が立った反面少し寒気がした。
その女が何か冷静さを失ったにも関わらず、
何か悪い物に憑かれた僕の様な腐食した、
黒い空気を漂わせていたからだ。
関わらまい。今の僕より腐ってるやつなんていない。そう思い路地裏通りを悲しみと怒りを抱えたままどこに向かっていいかもわからず……いや……
だけどこんな夜遅くにあの女は神社に何をしに行ったんだ?
そこにバタバタと二人の警察官が小走りでやってきて僕に話かけた。
「あのすいません。今この辺りで、髪の長くて青っぽいシャツを来た女の人を見ませんでしたか?」
そういえばさっきの女がそんな服装だったような……。
「さっきあちらにいたような……何かあったのですか?」
「いやね……駅前のスーパーでこんな時間に思い詰めた顔の女性が包丁を買って行ったという通報がありましてね。一応念の為その女性に事情を聞こうと思いまして、それでその女性どこに……。」
僕は駆け出していた。
通り魔かよ?
なんて日だよ全く。
あの神社には莉乃がいる……
僕の心は腐っていた。
けれども本当に莉乃を失うわけにはいかない。
そう思い今来た道を急いだ。
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