オーバル

高黄森哉

オーバル


 俺は相手の会社に話をつけに行く途中だった。その商談がどんなものだったかは、六月のゆだるような暑さで、不透明でいた。ただ、そこに辿りつけば良い、という一心で歩みを進めている。

 右手に持つナビは右に折れ左に折れ、住宅街を縫うように進めと、指示を飛ばす。川沿いや駄菓子屋の裏を案内したりする。煙草の自販機の右側に、舗装されていない狭い道があり、その場所を歩かされる。住宅と住宅の間だ。

 そして砂利道へ出た。そこはアパートの前で、お婆さんがベランダで布団を干している。俺は私有地かもしれないと、突っ切ることを迷った。


「あの、すみません。ここは通り抜けられますか」

「ああ、いいよ」


 と老婆は許可した。

 さて、その砂利道を挟んで、同じだけの厚みの住宅街を案内に従い、ジグザグに進む。途中、喉が渇いたので自販機でジュースを買うことにした。

 その自販機は俺が生まれて初めて見たメーカーだった。その名もグリーン。一応、日本の会社みたいだ。売っている飲料は、ランカンコーラ、オリオンスカッシュ、ルイボス、コハクソーダ、と言った具合だ。迷いに迷いコハクソーダに決めた。味はきめ細かく、とても満足であった。


「お、君」

「ん、なんでしょう」

「ああ、全然違った。孫かと思ったんだがね」


 老人は眼鏡をつけ、俺の顔をまじまじと観察する。


「いや、孫か」

「いいえ、違いますよ」

「外から来たものか」

「外。外とはどこのことですか」

「この楕円ガ原の外部ということだね」


 楕円ガ原。聞いたこともない地名だ。俺はここに長年住んでいるわけではないから、当然と言えば当然なのかもしれない。


「それでは」


 と別れの挨拶をして、ナビが教える方角へと歩き始めた。

 緑の柵が両側にある。左側には牛がいて、おがくずと乾草の混ざった匂いがする。右からは鮮やかなピンクの南国調な花が覗いている。海に続くような趣だが、ここら辺には海はない。

 そして大通りにでた。沢山の車が走っている。トラックとか、スポーツカーとか。微かに違和感があった。歩道に沢山の子供がいたからだ。普段は老人や中年しか見ないのに。あたかも、俺は経験していないベビーブーム世代の風景が、再現されたようだ。


「子供が気になるかね。おらのところの娘を貰ってみないか」


 驚いて背後を振り返ると、腰の曲がった老人が立っていた。最近よく高齢者から話しかけられる。


「娘。いやそれは相性もあるのでちょっと」

「だからこそ、お見合いしてみるべきだ。な、悪くないだろう」

「いやあ。今日は仕事があるんで」

「いつでもええよ。電話番号を教えようか」


 と彼が読み上げる電話番号を登録する。ふりをすれば良い話だが、実は結婚に興味があるので、無視できない提案だった。


「このグリーンという飲料の会社、ここらへんに良くありますね。製造工場がここらへんなのですか」


 ふと尋ねてみる。ここに来るまでの自販機は全てそれだった。知らない会社だから、なにか知っていることはないだろうか。


「そうだよ。たしか楕円ガ原以外には事業を展開してないはずだね」

「へえ」


 そんなことあるものか。とこの時の俺は思った。


「楕円が原は陸の孤島、よく言われとる。土地が楕円でな。その外周を走るのがここの道路じゃ。つまりこの大通りは輪っかで、この土地以外には通じておらんよ。町を維持するに必要な制度は全て楕円の内部で完結しとる。不便なのは、車で外に出たければ、迷路のような住宅街を縫っていくしかないこと、くらいじゃ」

「そんなところが日本に」


 仰天した。


「どうしてここは有名でないんですか」

「思うに普通すぎるんだろうな。全国津々浦々、沢山このような町はある」

「知りませんでした」

「まあ、きっかけが無いとなかなかなあ」

「この場所から離れたことは」


 俺は老人に尋ねてみる。


「ないよ。ここから出んで生涯を終えるものもおる」

「それが寂しいとは思いませんか。まるで檻のようではありませんか。こんな狭い場所で」

「思わんな。ある場所に住んでも結局、知るのは周辺のみじゃ。知っているのは家から職場まで、あるいはスーパーまでの道のりなんてのは、場所によらず、ざらにおる。それよりか狭い土地を隅々まで知る方がええ」


 この土地に四年住んでいる己も、この地区は知らなかった。人間そんなものか。皆、人間の不可能性の檻に囲われて生きている。


「ま、気が向いたら家に来なさい」


 と、彼は言い残しその場を後にした。はっとして時計を見る。まだ時間はあった。だが余裕を持って行動するために休むことはしない。俺はで、目的地をまた目指し出した。

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オーバル 高黄森哉 @kamikawa2001

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